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29:布団を手繰って枕に頬を押し付けて、考える。
  明日が来るのかではなく、未来は輝いているのかと。







「もう休め」
「・・・時間が勿体ねぇだろ」
「お前そういって昨日も一昨日も寝ていないだろう」
「寝たさ」
「二時間睡眠は仮眠としか云わん。いい加減にしておけ」


静かな総帥室に響く声には薄く怒気が滲んでいて、優秀な補佐官に目の前のファイルの山を片されてしまう。
握っていた万年筆をも奪い取られてしまう辺り、やはり疲れが溜まっていたのは認めざるを得ない。
腕時計を見やれば、今日が終わる寸前といっても良かった。


「下手の考え休むに似たり、だ」
「人を馬鹿呼ばわりすんじゃねぇよ・・・」


一旦集中が途切れてしまえば、慣れないデスクワークの疲れがどっと押し寄せてくる。
膜がかった視界に目を擦り、軽く首をぐるりと回すと、こきりと音が鳴った。


「お前はいいのか?研究」
「今日はそっちは非番だ。朝に云っただろう」
「あー、そういや・・・っつーか非番ならお前こそ休めよ」
「心配するな。お前ほど激務ではない、効率のいい休みの取り方は心得ている」
「流石」


世界に放り出されてから二年と経っていないというのに
一般人より遥かに器用に物事をこなしていくそのあり方は、かつて天才と云われた叔父の血を確かに引いている。
それでいて、所々の常識のズレは愛嬌があって嫌味にならない。
・・・時々、物凄い天然ボケをかますが。


「どうした」
「いーや、なんも」
「嘘をつけ。お前はすぐ押し黙って無理をする」
「嘘じゃねぇよ。勘繰ったってしゃーねーぞ、マジなんでもねぇって」


ひらひらと手を振って誤魔化す。
眉間に皺を寄せて、むっとした顔をするキンタローは随分表情豊かになったと思う。


「だったらお前はなにをそんなに急いているんだ」


デスクに手を叩きつけ、静かに苛立ちを露にした声音だった。
叩きつけられた反動で処理済と未処理の書類が混ざっていく。


「別に急いでるわけじゃねぇよ、忙しいのは今に始まったこっちゃねーだろ」
「ここ二週間ほどでこれまでの五割増し程度の量をこなそうとしているのにか?」
「・・・変な監視してんなよ」
「ティラミスとチョコレートロマンスに感謝しておけ。お前の疲弊っぷりを止めてくれと泣きつかれたぞ」
「わーったよ。もう少し仕事配分を考える、それでいいだろ?」


決まり悪く、目を合わせずに妥協案を出す。
こいつは相当の頑固者で自分の主張を通すときは、一片の隙もなくゴリ押すのが常だ。
一見して紳士だが、俺にしてみればこういうときには妥協せざるを得ないガキだ。

話は終わった、と思い椅子から腰を上げると腕を掴まれた。
まだなにかあんのか、と問いかけた口を開き終わる前にキンタローはじっとこちらを見つめてきた。
怖いくらい、真剣な色でもって。




「……後悔しているからだろ、あのときの判断を」




それはあまりに淡々とした口調だ。
咎める意志はそこになく、含まれるのは憐憫でもなんでもない。
ひたすらに見透かしている事実だけを露わにする。
事実認識なんてとっくにしていた筈なのに、突きつけられたそれに確かな痛みが伴った。


だからか、気づけば掴まれた手を振り払い駆け出していた。
道順や見張りの人間ですら目には留まらなかったらしい。
息を整えて扉を背にしたと思ったら、既に自室に着いていた。









今の自分は肉体も精神も酷使のあまりを尽くしていた。
だから余計にあんな言葉は聞きたくなかった。
それは甘えだ。身内だという意識があるからこそ見ぬ振りをしてもらいたいという。


「公私混同をするなんて、俺もまだまだか…」


気を取り直し、肩から滑り落ちていく髪を緩く縛り上げて、荒っぽい手つきで洗面所で顔を洗う。
手近にあったタオルで雑に拭き、張り付いた髪を掻きあげた。見上げた鏡の中の顔には濃い隈が目立っている。


本当はいつだって疲れた顔などしてはいけない。弱みなど出してはならない。
総帥は揺るぎなく、威厳を持って立たなくてはならない。
それが腐朽した屍の山の上であったとしても。








「畜生ぅ・・・」








目を閉じて、その間にも世界は止まってくれない。
白紙ではない明日は否応なしにやってくる。
だから許される限り、納得いくまで自らで取り仕切りたかった。


磨耗するほど自分が足掻いたところで、出来ることなど高が知れている。
けれど初っから諦めるような物分りのよさは自分にはない。

結果の見えない日々を不安に思うことは仕方がない。
そして十分な結果が残せないことも。


そんなのは総帥を継ぐと決めた時点で承知していたことだ。
不手際も無作法も形振り構わずに、それこそプライド捻じ曲げて頭下げることもある。
幹部らの中の口さがない者の言葉は止まないが、敢えてそれを止めようとは思わなかった。

それこそ、さまざまな思惑で斑な世界を文字通り塗り替えることを得意としたマジックが先代だ。
ガンマ団よりも、音に聞くマジックの冷酷さと人には過ぎる力に誰もが畏怖するしかなかったのだ。
たった一人の力に世界征服は果たされようとしていた、冗談ではなく。


そんな絶対的な覇王に比べれば、自分はまだ若輩者に過ぎない。


自分だって誰かを糾弾するのも、攻め滅ぼすことも容易く出来てしまうだけのものはある。
力がある、ということは選択肢を広げられることに他ならない。

出来るからこそ、平和を、望んだ。かつての楽園のように。
あの平和とはまた異なる様相でも、皆が平穏さを持てる世界を成したいと思った。


完璧じゃないにしろ出来るだけよい状況を残したい、と。
そのために惜しむものなどないと思いたかった。
思いたかった、けれど。


一から造り直せない世界は、研磨することでしかその様相を変えられない。
自分が壊したものの中に、見捨ててしまったものの中に何があっただろうと惑い出したはある国の視察で、だった。











三ヶ月ほど前、国民に重税と武力による悪政を強いた政府を倒す助力を願う依頼が舞い込んだ。
依頼主の反政府組織は相手を「出来る限り殺さない」ということにやや難色を示したが
独裁君主制で肥え太った高官らの処分は後の政府に任せることでとりあえず契約は成立した。
ガンマ団には武力である政府軍の制圧が要請された。


渡された資料によれば政府軍は、訓練されたとはいえ一般の国民から徴兵されたものが圧倒的大多数だ。

傭兵を主に相手取るつもりであったが、むしろ徴兵された者の抵抗の方が凄まじく
団員も手加減が効かずに予想を上回る死者数を出すことになる。
まして、こちらはこの間まで戦闘と暗殺に明け暮れていたような連中だ。
俺が指揮官として出れなかった以上、どの程度歯止めが利いていたのかすら曖昧だった。


後にそれが最後の抵抗とばかりに過剰投与された薬物による効果と判明し、遣り切れない思いを抱きながら報告書を読んだ。



やがて制圧された軍隊に、武力だけを笠に着ていた政府は大いに慌てて逃亡を図るが
大半はすぐに捕らえられて、結果は反政府側の勝利に終わった。

仮政府がすぐに樹立し、契約は無事履行されたにも関わらず、組織の代表からの連絡が俺の元に届いた。
何事かと構えれば、なんてことはない。復興の手助けのための契約は結べないか、というものだった。

丁度立て込んでいた仕事が一段落着いたためもあって、自分の目で視察をしようと打診すればあっさりと歓迎された。


しかし、キンタローは視察を快く思っていなかった。
まだあの国は落ち着いていない、時期を考えろ、と。
俺だって別に歓迎されるだなんて思っちゃいなかった、そもそもが「元・世界最強の殺し屋集団」だ。

それでも、自分が背負うべきものである以上その重さには甘んじるしかない。
それに復興を助けるには現状を知るしかない。これまで自分の目で視察を出来たことなど幾度もないのだからいい機会だ、と説き伏せた。
結局、キンタローは自分も同行することで妥協をした。









それから数日後、飛空艦から空港に降り立つと組織から遣された案内役に付き添われるまま車に乗せられた。
迎えの車がジープであることに禿頭の男はひどく恐縮していたので、それで十分だと返した。

二台のジープが連なって走り、前車には俺とキンタローと案内役。
後車には前線経験の浅い団員を四人ほど乗せてきた。

三十分ほど走ると空港から整備されていた道路は悪路に変わり、がたがたと不安定にジープを揺らす。


「揺れますので、暫く我慢くださいまし」


運転をする案内役は青ざめた顔で震えている。
こちらの機嫌を損ねたのでは、と思ったらしいと気づいて苦笑うしかなかった。
キンタローも渋い顔をして、腕を組み俯いている。


市内に入り、流れる景色の中に戦況の爪痕がそこかしこに見受けられる。
身体に湧いた蛆をも食う男、放置され腐った死体、骨が浮き腹が迫り出した子ども。
目を背けるわけにはいかないものばかりが、そこにはあった。
知らず、握り締めていた手に爪が食い込んだ。




キキィッ――――――キィッ!



急ブレーキに激しく車体が前後し、身体が大きく前のめる。
幌がなければ外に放り出されていたような勢いだった。


「な、なんだっ?」
「こ、子どもが。あの、子どもが目の前に・・・っ!ワザとじゃないんですっ!!どうかお許しを・・・っ」


ガタガタ震えながら、俺に向かって頭を下げる男はただ自分が殺されるかもしれないという恐怖にのみ反応していた。


「子ども?ちょっとまて、子ども轢いたのかよっ!俺に謝ってる場合かっ!!」


怒鳴りつけると「ひぃぃ・・・っ!すいませんすいませんっ」と謝るばかりで埒が明かない。
確認に向かおうとすぐさまジープを降りると、当然のようにキンタローもついてきた。

ジープの前方には子どもが一人、うつ伏せに倒れていた。

見たところ外傷はないが頭を打ったのか、ぴくりとも動かない。
ぞっとするような思いで、駆け寄り傍に膝をついて「大丈夫か?」と呼びかけた。
無闇に身体を揺するわけにもいかず、口元に手を翳すと呼吸はしっかりと確認できる。


「シンタロー、動かすなよ」
「分かってる。お前ちょっとあの案内のオッサン呼んで来て、病院に連絡しろ」
「は、はい!」


後続の車から何事かと寄ってきた団員の一人に声をかけると
敬礼をしてから案内の男に詰め寄っていった。


「しかし、さっきの衝撃はブレーキによるものだけで接触した気配はないぞ」
「まぁ、そうだけど・・・」


爛れて潰れた右目に垢に塗れて黒光りした肌とぼさぼさに虱の湧いた黒髪をしているが
未だ眠り続けているコタローと年もそう違わないくらいの子どもだった。
その顔は子どもらしい丸さを失い、鼻を覆いたくなるような異臭を放っている。


「補佐官殿、申し訳ありません。病院に連絡はついたのですが・・・」
「なんだ?」
「現地語の訛りがひどく、我々では通じません」
「・・・分かった」


若干の緊張を交えた声音で呼びかけた団員に、一瞬迷う素振りを見せたが
キンタローは素直に車に付属している電話に向かう。


「お前は余計なことするな、いいか。分かったな?」
「分かってるっつーの。早く行け」
「総帥は我々がお守りいたしますので、どうぞ行ってらしてください」


二名の団員が俺の両脇に立ち、そう云って一礼した。
やや不満げなキンタローが背を向け離れ始めたのを狙ってか、銀のきらめきが視界の端に飛び込んできた。
風を切る音に危なげなく防御をし、相手を見て反射的に反撃しようとした足を無理矢理留めた。


「総帥・・・っ!」
「・・・・・・俺は大丈夫だ」


掴んだか細い腕がぶるぶると力なく震えている。
持っている腕力以上の働きをしようとするほど黒ずんだ顔に血が上り、開いた目はひどく血走っていた。
その両腕は、こちらの片手でも折れそうなほど脆弱だった。


「放せよ・・・っ!!放せっ!」
「分かった。でもナイフは捨てろ」
「ふざけんなっ!殺してやるっ!」


倒れていた筈の少年は、ナイフを握り締めて怨嗟の言葉を吐く。


「お前、総帥になんてことを・・・っ!」


少年の背後に回った団員が、少年の身体を取り押さえる。
再び地に伏せられ、後ろ手にされても凶器は手から離れない。


「シンタロー、傷は?」
「ねぇよ」


不機嫌そうな顔で横に立つキンタローは「・・・気づけなかった」と少しだけ落ち込みを覗かせた。
その間も団員と少年は一触即発の罵り合いを続け、少年は血反吐を吐くように叫んだ。

その言葉は文字通り、凍りつかせるような空気が周囲を包んだ。
騒ぎに、俺たちの周りを取り囲んでいた人々をも。



「兄ちゃんを嬲り殺した癖に生きてんなよ・・・っ!」



甲高い子どもの声には、不釣合いな重さだった。
ざぁっと血が下がる思いがしたのは気のせいじゃない。
ぎらついた片目は、地べたに這い蹲りながらも尚、殺意を薄めはしない。



「お前らが殺したんだ!俺にとって唯一だった兄ちゃんをっ!腐った肉塊にしちまったんだ・・・っ!」

「顔が分かんなくなるほど、グチャグチャにされちまってたんだよっ!」

「ガンマ団が・・・・・・お前が関わんなきゃ兄ちゃん死ななかったのに!」

「今すぐ死ね!!死んじまえよっ!人殺し・・・っ!」



恐らく、少年の兄は徴兵されて死んだのだろう。
たったひとりの兄を奪われた子供に俺からかけられる言葉など、ありはしない。
キンタローは無表情に唇を噛み締めて「戻るぞ」と俺の腕を引いた。


少年を地面に縫いとめていた団員を引き上げさせ、ジープへと踵を返した。
拘束を外す際に団員がナイフを取上げようとするのを押し留める。

返されたナイフに、飛び掛ろうとする少年を周囲の大人が留めた。
お前があんな外道のために死ぬことはないんだ、と小声でいうのが分かった。


少年の言葉に周囲には穏やからしからぬ空気が漂い、口々にぼそぼそと囁かれた呪詛は
やがてざわめきとなりシュプレヒコールが波立った。




『帰れ』『外道』『死ね』『家族を返せ』『人殺し』『悪魔』




黙れ!静まれ!と喚く団員を諌め、投げつけられる石礫を手で受け止めながら急ぐでもなくジープに乗り込んだ。
総帥は懸命に国を救ったのにこの扱いはなんだ、恩知らずめ、と苦々しく年若い団員たちは後に呟いていた。
















無為な諍いがあり争いがあり、どちらか一方を通すことでしか解決されないものもある。
たとえ明らかな悪であっても、悪を排除した末に自分の家族が嬲り殺されたのなら救われたなどと誰が云えるだろうか。


良かれと思って成したことの傍らで泣く子がいる。
けれども、誰も彼も救えるほど、この腕は広くはない。
先代が積み上げてきた過去は否定できず、自分だってかなり人を殺したことに変わりはない。



間違ってない、間違ってはいない。
ただ万人にとってそれが正しいとは限らないだけだ。



自分が動けば、それだけ何かが潰される。
自分が動かなければ、それ以上に亡くされるものがある。
犠牲の大小は仮定でしかない。どちらにしろ失わないものなどない。

だから、どうせ後悔するなら自分の望んだ道を取るしかなかった。
少しでも早く理想に辿り着けるようにするしか、自分の取れる選択肢はなかった。



それは償いですらない。
これからを生きる人間のためのものでしかない。
既に、失われた者へ償うことなど出来るわけがない。
死んだら、それまでなんだ。



だから何度味わっても、後悔は苦く後を引く。



それでも「殺すな」と云った口から、団員にそのために死ね、としか取れない命令を吐き出すしかない。
一つの国を生かすのに、敵対する者が殺されて数十数百の団員もまた死んでいく。

指先一つで幾万の生の行く末が決まるのだと、解らなかったわけじゃない。
総帥と一兵士とでは、その規模があまりに桁外れに違いすぎていて、今更実感を伴って沁みこんできただけだ。


綺麗な願いほど、叶うまでそれと正反対の手段に迫られる。
一から十まで、綺麗なものだけで出来ているのは寝て見る夢だけで
犠牲なく理想を成し遂げられるほど、世界は甘くはない。


そうした願いの足元には、数え切れない屍が泥濘を成して植わる。





「・・・・・・恨めばいいさ、俺を」





きっとこれは強欲なんだろう。
残された者を、死んでいく者を不憫に思う。

けども、叶う願いが先にあるから、突き進む足があるから
振り返る暇などなく忘れていくしかない。

明日がやって来る内はこんな思いは潰えない。








選択の末に、捨てるしかなかった者を振るい落とし
輝くしかない未来への道を造ることで救われる人だけを救うという矛盾に
それこそ、泣きたくなりそうになりながら。
















end


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ds







33:見えない世界、見える表情、消える言葉
憎しみの沈殿したこの世の、なんと美しいことか













「診せなさい」



いつものように待ち合わせ場所として使われた医務室。
グンマ様が来られてからの一時を茶会で消費するのが通例だった。
「レポートの質問があって遅れる」との連絡に、既に来ていた彼は準備だけでも済ませようと道具を漁り始める。

けれどもお茶を入れようと屈めた際、その不調に気づけない私ではない。
ポットを背後から取上げて掛けた硬い声に、不機嫌そうに彼の眉がみるみる寄っていった。

ばれないとでも思われていたとしたら随分見縊られたものだ。
表向きにしたって彼方の体調を気に掛けないほどの冷血ではないというのに、これでも。


肩を上から押さえ込んで、患者用の丸椅子に腰掛けさせる。
自分も向かい合う体勢に持っていったところで、目線で促す。
これでも駄目なら、と白衣に仕込んだ注射器を持ち出そうとしたところで観念したらしい。
渋々と捲り上げられた制服の下には拳大の暗赤色が幾班か浮き上がっていた。


「……ドクター。云っとくけど、別に」
「そうですね、リンチにしては数が少ない。模擬戦かなにかでしょ?」


なんでさっさと此処に来ないんですか、と幾らかの非難を交えて打撲傷に触れた。
熱をまだ持っているのだから冷やしておくくらいすればいいものを。


「シンタローさん。彼方ねぇ、もし内臓に後遺症でも残ってたらどうするんですか」
「大したことねーと思ったし」
「それを決めるのは私です。体痛めつければ強くなるなんてマゾ的に泥臭い根性論は止めときなさい」
「だけど」
「そんなに強くなりたきゃまず身体を育てなさい。彼方まだ成長期でしょ」


非科学的な手法に頼るなど嘆かわしい、と肩を竦める動作をすれば、彼は不貞腐れた仕草で口を尖らせた。
よく似た面差しだった友人にも、あの方にも見られなかった幼さに少しだけ嬉笑する。

頭脳よりも肉体の酷使を望む性格は、環境のせいかもしれない。
類似点がなさ過ぎる、などと嘆く可愛げは自分にはなかった。なにしろ分娩してすぐに取り替えたのだ。
彼が、彼の方の血を受け継ぐことに疑いを差し挟む余地などないに等しい。


空恐ろしいほど大胆な発想や、何もかも見通すだけの思慮が彼から見られなくても自分は落胆しない。
あの方が愛したであろう御子として見ることは出来ても、唯一無二なあの方と同一視しようなどとは思わないからだ。















湿布を強打したであろう腹に貼り付け、内服の消炎鎮痛薬を数回分包む。
カルテを書き込む合間に、彼が言葉を発した。



「ドクターぐれぇだよな」
「なにがです」
「俺に遠慮なく命令口調で物云える外の人間」
「……彼方の立場じゃそれが当然でしょう」


彼に厭われるだけでも文字通り首が飛ぶ。否、煤にしかならないのではとさえ思わさせる。
そうした噂がまことしやかに囁かれ、根付いた。そうしてその噂は限りなく本当に近い。
実際のところ、彼に対して害意さえあれば排除に足りるのだからより恐ろしい。


「士官学校すら出てねぇ俺にどんな立場があるっつーんだよ、クソ」
「嘆いたって生まれについてまわるものを易々と捨てられるわけじゃないでしょ」
「あぁ、そーかよ」


そもそも捨てる気など微塵もない癖に。
結局あの男の所業を許してしまうのだ、彼は。
あの男を超えるべき壁として見据えて、死に物狂いで追いつこうとする。
その過程に疑問など持たず、そうすることが当たり前になってしまった境遇に私が痛苦な思いを抱いているのを彼は知らない。


幾ら年を経ようとも彼の世界の中心は此処にしかないのだと知ったとき、自らを呪わずにいられなかった。

総帥の狂態に潜んだ度を越した執着が、笑い事では済まないと知り背筋が凍りつき
挙句に悪態をつき足蹴にしながらも無下には出来ない彼の精神の有様に、狼狽せざるを得なかった。

望んでいたのは彼方の幸せだった。堅牢な束縛の手に絡め取られるなど、あってはならない。
あってはならない筈だった、なのに。


秘石眼でない彼方ですらも何故あの男に従い、囚われるのか。


道徳の範疇にすら身を置かなかった彼の方でさえ、最終的なボーダーはあの男の言葉であった。
歯止めならばそれらしく止めればいいものを。
相手の足の建を折らずとも、腕を砕かずとも止められる筈の男が制止しなかったのだ。
重んじられた意志は、命よりも重いとでも云いたいのだろうか。
貫かれた意志の末に遺体を弔うことも敵わなかったというのに。



あまりに現実味も生々しさもまるで足りない結末。
思えばあの方は硬質な面持ちでありながらも、特別な別れなどなにひとつくれなかったではないか。
高貴と気品とを備え、大胆な発想を生み出したあの方がグズグズに腐敗した肉塊になっていくさまでも
見ることが出来たなら落胆するくらいは出来たのかもしれないというのに。

日常と戦場とを繋ぐライン上にいながら、拒止しなかったのだ。
常日頃の公私混同ぶりを棚に上げ、総帥の責務だという顔をしていた。


あの男が平然と生きていることが許せない。
否、許す以前に絶対にあってはならないと理性の下で激しく突き上げるものがあった。
誰かを憎悪するという無為で非生産的な行いの原理を、私はあのとき身をもって理解してしまった。



「立場なんてね、利用してやるくらいの気概がなくてどうすんですか」


湧き上がる激情をやり過ごして、平静な態度で口は回る。
まったく年など取るものではない。吐き出せない重みばかりが内に積もっていくばかりだ。
この腹を切り裂けばおぞましいほどの黒さが滲み出すのではないかと錯覚したくもなる。


「品行方正が一番いい、だなんて私は云いませんよ。団には正義なんて題目ありゃしないんですから」
「それが将来有望な団員志望の青年に云う言葉か?」
「軍隊で夢見られても困るでしょ。私は此処に悩み相談に来るような輩は容赦なく切り捨てますよ」
「あんたらしいな、ドクター」


笑う彼は、私にとって救いだった。
庇護下に入ることで私の無為な生に新たな喜びを与えてくれたのとは異なる救い。
総帥の異常ともいえる執着に、必要以上には折れまいとする強い姿が嬉しかったのだ。
彼が、あの方の御子が、あの男の思い通りに動く木偶になるのだけは見たくなかったから。






そうして復讐に憑かれて、それに気づいたのはいつからだったろう。


他の誰でもない、ただひとりだけが許されているものがあるのだと。
未だ人を共に生きるものとしか思えない彼に「それを殺せ」と手を汚させることを。
あの男を超えることを至上とする彼にとって、総帥が父などということは悪夢に等しい。



何かを救うためではなく、大義を成すためのものではない。
総帥が望む形のための一端に過ぎない、ちっぽけな理由で殺さなくてはならない。
理由の大小は意味を成さない。けれど罪悪感を薄めるために欲する殺害理由も、言及を許されない。


父でないのならば、ただの総帥であったならば、彼には逃れることが出来た事態なのだと理解し、思わず青褪めた。
少なくとも選択肢は与えられる筈だ。現にグンマ様は研究者への道を選ばれ、戦線に生身で出ることはまず有りえない。
つまり、彼がその位置にあることが本来の形だったということ。






殺人のタブーは、社会維持のために生まれた必然のマインドコントロールといってもよい。
それを打ち砕くのに相当の訓練と服従を強いても、なお壊れる兵士は後を絶たない。

今更道徳を説く気でも、壊れる者が惜しいわけでもない。
ただ、彼の方の御子である彼はそうなるのが耐えられないのだという、純粋な私情だ。


彼自身を壊すかもしれないトリガーを、彼自らあの非道な男に差し出すのだ。
それはなんと熱烈ではないか、と自嘲したくもなる。







「……ター、寝ぼけてんのか」


ひらひらと目の前で振られる手。
硬化した皮膚は、それだけの訓練を課したことの表れ。
彼方のなにもかもが真っ直ぐにあの男へと向けられている如実な証拠。


「生憎と起きてますよ」
「だったら会話の最中に焦点ボケさせるなよ、怖ぇじゃねーか」
「今思いついた新薬の実験体になりたいですか」
「そーゆーのは俺以外に適役がいんだろ、根暗とかな」
「確かに」







もし彼が壊れれば、私はもう復讐の糸口すら見つけ出せずに立ち尽くすしかないのだ。
何よりも傷つけてはならないものを、壊してはならないものを砕いた最悪な罪と罰とで。




復讐の手管は自らをも飲み込もうと口を広げていたということか。
自分の首を締め上げる縄がゆらゆらと吊り下がり、獲物を待っているさまが脳裏を過ぎる。
私はそれを確信しながら、信じてもいないものに密かに祈った。




裁かれるべき罪にではなく、彼が望む道に幸いがあることを。

















end
最強のアナタ








 ガンマ団本部の体術専用道場の中央で、男がひとり立っている。
 真っ赤の道着姿の彼の両目は閉じられ、静かに瞑想しているように見える。
 しかし、その口元はかすかにだが両端が上がっており、無心ではないことを証明していた。

「はじめっ!!」

 ふいのかけ声が道場に響き渡った瞬間、静けさは破られた。

「御免!」
 鋭い気合いと共に顔面に繰り出された拳を彼は軽く受け流すと、右から襲ってきた男の背後に回る。
「ひとり。」
 そう言いながら、その背中を肘でつくと彼は息がつまったような声を立て、その場に昏倒した。
 一息つく間もなく、同時に二人が双方から同時にかかってくる。しかし、彼は左右双方、まったく隙を見せず、逆に両方を弾き飛ばす。
「三人、と……おい、おまえら、全員同時にかかってこいよ。まだるっこしくいけねぇ。」
 両手を腰に当てた無防備な状態で、総帥は周りを取り囲む部下達をぐるっと見回す。
 いくら上官とはいえ、あまりに失礼な言いぐさだったが、誰もそれを口にはしなかった。
 立場的なものもあるが、何より、確かに彼の言うことが正しいと言う気がしたからだ。
 それでも、命令である以上、彼の要望に背いて白旗を揚げるわけにはいかず、言われた通り、全員四方八方から彼に攻撃したのだった。
 結果は、まったく予想通りで、それぞれ、「肩が弱い」「踏み込みが甘い」「足が短い」等々、ろくでもない『指導』をされ、心身共に大ダメージを負ったのである。


 時間にして、およそ五分。
 二十人ほどの男達が、それぞれ頭や足などを押さえ、うめき声をあげて寝っ転がっていた。
 対してシンタローは一人涼しい顔だ。
「おい、おまえ、自分の間合いをちゃんと判断して動け。それからおまえは、タイミングが遅すぎる。」
 それぞれの欠点の指摘や、改良点などを床の上の部下達に教える余裕すらある。
「わー、シンちゃん、すっごーい。十分かかってないよお~。」
「当然だろ。おい、キンタロー、おまえもこいつらの相手してやるか?」
「しない。スーツが皺になる。それに、そろそろ他の生徒の訓練の時間だろう。おまえも、さっさと上がってこい。」
 キンタローのすげない返事に、シンタローはちぇっとふくれた。
 総帥の座についてから、こういう訓練の時間をほとんど取れないうえ、幹部達には参加をやんわりと止められている。
 十代の頃から日々のかなりの時間を鍛錬に費やしてきたシンタローは、最初の内はともかく、しばらく経つとなんとなく落ち着かなくなった。
 それで、なんだかんだと理由をつけて『指導』という名の、飛び入り参加を強行したのだった。
 ほぼ同等の力を持つキンタローが相手をすればよかったのかもしれないが、キンタローはあまりにも『近すぎ』て、手の内が分かりすぎる。
 新鮮さを求めてのことだったが、いかんせん実力が違いすぎて不完全燃焼気味のシンタローに、グンマがなだめるように声をかける。
「しょーがないじゃん、今、本部にいる人間で、素手でシンちゃんより確実に勝てる人って一人しかいないでしょ。」
「……確実に勝てる?」
 聞き捨てならない言葉にシンタローはぴくっと眉を上げた。
「オイ、『確実』ってなんだよ。叔父さんが留守だってのに、俺より強い奴がいるわけねぇだろーがっ!」
 シンタローの剣幕に、グンマは慌ててもう一人の従兄弟の背中に隠れる。
「うわああん! キンちゃ~んっ。」
「シンタロー、グンマを脅すな。」
「うっせー! オイ、グンマ。俺より『確実』に強いっていうのは誰のこと言ってんだヨ。まさかと思うが、テメーのポンコツロボットじゃねぇだろうなぁ。」
「ポンコツじゃないもんっ! ガンボットは強いんだからっ、ねぇっ! キンちゃん。」
「………。」
 あまりにも正直なキンタローの返事だった。
 シンタローは、無言でボキボキと指を鳴らしている。七割は脅しだが、後の三割が本気であることをようく知っているグンマは観念して、吐いた。
「おとーさまだよっ!」
「……なんだと。」
 思いもかけない人物の名にシンタローが目を見開く正面で、キンタローがあっさりと頷いた。
「ああ、確かにそうだな。」
 どこまでも、正直なキンタローの発言が、次のシンタローの行動を誘発したと言っても過言では無いだろう。










「ええー、用事ってそんなことだったのかい? あんなに情熱的に『すぐ来い』っていうからパパ期待したのに……。」
 内線電話で呼びつけられたマジックは、愛息に勝負を挑まれて、がっかりした声を上げた。
 対してシンタローは父親の軽口に、さらなる怒りをかき立てられたらしく、手にした道着を父親の顔に向かってたたきつけた。
「てめーが期待した内容とやらは聞かないでいてやる。さっさとそれに着替えて、俺とここで勝負しろ。」
 いっそ見事なまでに顔の正面で受け止めてしまった父親を見て、シンタローはグンマを横目で睨みつけた。
 こんなののどこが、俺に十割勝率なんだ。
 そりゃ、トータルで言えば親父の方が強いっていうのは認めるが、『確実』は無いだろうが、『確実』は。
「シンタロー……。」
「なんだよ。」
「これって、シンちゃんのなのかなっ?」
 見るとしっかりと握りしめ、目をきらきらと輝かせている。
 シンタローはがっくりと肩を落とした。
 だから、なんでこれが十割……。
「私が着られる道着なんて、特注でもしない限り無いからね。ああ、シンちゃんの汗と匂いが染みついた道着……ありがとうっ! シンちゃん、こんな素敵なプレゼント……。」
「伯父さん、それは確かにシンタローの道着だが、未使用だから使用できそうな汗の匂いなどはまったくついていないぞ。」
「いけないよ、キンちゃん、こーゆうときは黙ってぬか喜びに浸らせてあげなきゃ。年寄りは先が短いんだし。」
 正直者のキンタローを、バカ正直者のグンマが諫める。
 二人の不穏当な発言内容より、道着がシンタローのもので無いことの方に、マジックは気落ちしたようだった。
「えー、じゃあ、いらない。パパ、道着似合わないしね。」
「いいからっ! さっさとそれ着て勝負しろ!」
「そんな……こんっっなにカワイイシンちゃんを虐めるなんて、パパにできるわけないじゃない…そりゃ寝技限定ならそうしてあげることにやぶさかじゃあないけれどね。もちろん、最後はちゃんと気持ちよくしてあげるし……。」
 マジックの提案は言い終わる前にシンタローの拳によって、無に帰した。
 見事にふっとんだ主人を見て、お供の一人が真っ赤になって肩で息をしている総帥に進言する。
「シンタロー様、勝負もついたことですし、そろそろお仕事に戻られた方が……。」
「これの、どこが勝負だっ!」
「はぁまぁ…いつもの痴話げんかですねぇ……。」
「だぁれが痴話喧嘩だっ!」
 己の失言にチョコレートロマンスは慌てて口をつぐんだ。
 髪を逆立てんばかりの勢いで怒鳴った総帥も怖いが、最近いろいろな単語の正確な意味を把握しだした副官の冷たい眼差しも怖い。
「とにかく、なんと言われようと、パパはシンちゃんと勝負なんかしないよ。なんだってシンちゃんの我が儘はきいてきてあげたけど、これだけはダーメ。」
 人を食ったようなその返事に、シンタローはつかつかと歩み寄ると父親の手から、自分を模した例の人形を奪い取った。
「なんてことするんだいっ! シンタロー、返しなさい!」
「勝負してくんなきゃ、これは没収。」
「うっ……。」
 さあ、どうする、と言わんばかりのシンタローの意地の悪い表情に、グンマは背伸びして隣の従兄弟に耳打ちした。
「あれって、いい大人がすることじゃないよねぇ……。」
 従兄弟もさすがに呆れた顔で頷く。
「ああ、さすがに伯父貴もあの挑発にはひっかからんだろうな。」
 キンタローの言葉通り、マジックは断腸の思いで顔を背けた。
「新しいのをまた作るからいいよ。」
 発言の内容とうらはらに手がぶるぶると震えている。きっと最高傑作だったのだろう。
 それでも可愛いシンちゃんと勝負するのは嫌らしいマジックに、息子は『これだけは使いたくなかった最終手段』を発動した。
「もし、やってくんないんなら、一生親父と口きかねぇ。」
 いくつだ、あなたは。
 とその場にいた四名は、そう思った。
 ちなみにその場にいたのは、秘書両名、副官、博士、総帥、前総帥の六名である。
 発言者のシンタローを除いて、つまり五名のうち、そう思わなかった人物が一名いたのである。
「わかりました。やります。やらせていただきます。」
 しくしくと泣きながら、あっさりと白旗をあげる父親にシンタローは改めて、十割勝率発言の主に怒りが沸いたのだった。
「じゃ、やるぜ。開始線まで下がれよ。」
「わかった。チョコレートロマンス、このシンちゃん人形を預かっておきなさい。汚したりしたら承知しないからね。」
「はっ、かしこまりました。」
 秘書の一人が、恭しく人形を預かり、それぞれが所定の位置に着いた時、待ったがかかった。
「お二方とも、眼魔砲はなしですよ。修理が大変ですから。」
「ベトコン戦法はすべて禁止だ、シンタロー。修理費用の予算がおりんぞ。」
「色仕掛けも駄目だよー、シンちゃん。鼻血で掃除が大変だからー。」
 最後の発言者をぎろっと睨みつけるシンタローに、目の前のオヤジはうふふと笑いかけた。
「パパは色仕掛けしてくれても、全然構わないよ。むしろしてして。」
「誰がするかーーーっ! いいから、とっとと構えろ。」
 くっそー、こんなヤツより評価が低いって……。
 シンタローが牙をむかんばかりの状態で自分を見つめているのを、鼻の下のばさんばかりに見下ろしている父親に怒りは倍増する。
 絶対たたきのめしてやる。
 よく考えれば眼魔砲が使えないのも好都合というものだ。純粋に格闘だけで勝敗がつけられるから。
「では、私が、開始の合図をさせていただきます。お二方ともよろしいですね?」
 頷く二人に、チョコレートロマンスは、人形を抱えていない方の手をまっすぐあげ、「始め」の合図と主に振り下ろした。
「行くぜ!」
 ぐっと拳を固めるシンタローに父親は答えた。
「カマーン、ハニー! さ、パパの腕の中へ。」
 両手いっぱいに腕を広げるマジックに、シンタローの血管は切れる寸前だった。
「こんのおおおお! アホオヤジぃぃ!」
 がっ、と拳を突き出したシンタローは、あっさりそれをかわされて、たたらを踏んだ。
「はっ! やぁっ! はっ!」
 気合いとともに繰り出されるパンチをすべてぎりぎりのところでかわしているマジックに、キンタローはため息を吐いた。
「やっぱりな。ただでさえ年期を積んでいる相手で、さらに恐ろしいことに体力も筋力もほとんど衰えていないんだから、シンタローに敵うはずもない。」
「まったく、バケモノ並だね。」
「お二方とも、それはあんまりなおっしゃり方では……。」
 しかも、どっちかというと誉められているはずのマジックの評価が。
「そう言う、チョコレートロマンス達はどうなの? やっぱり、おとーさまが勝つと思ってるよね? おとーさま、一応最強だし。」
 グンマに水を向けられ、チョコレートロマンスは「そりゃ、まあ…」と相棒の方を振り向いて肩をすくめると、ティラミスはくすっと笑った。
「この勝負にはお勝ちになると思いますよ。な?」
「ああ、まぁなぁ…。」
 二人の意味ありげな苦笑の意味をグンマが考え込んでいる間に、勝負の行方は最終局面を迎えていた。
「せいっ!」
 正拳突きと見せかけて、脇を狙った蹴りは、あっさりと止められる。
 シンタローは徐々に焦りを感じ出していた。
 シンタローが繰り出した技はすべて軽く、そう『軽く』かわされ、本人は息ひとつ乱していない。
 チッ! ひらひらと逃げ回って。
 シンタローはあがってきた呼吸を必死で鎮めた。
 落ち着け、数打っても当たらないのなら、一発で決めればいいんだ。
 シンタローは、必死で考えをまとめる。
 さっきから打ち込んで、分かったことは、左手の前への動きが他と比べてやや遅いということだ。
 だから、フェイントをかけて左に飛び込むと見せて、その後ろに回る。
 シンタローは息をひとつ吐くと、反対側へと踏み込んだ。
 予想通り、フェイクを見破った父親の身体が、左へと動く。
 よしっ、とシンタローは予定通り、後ろへ回り込もうと大股で足を踏み出したのだった。




「はい、捕まえた。」




 何がどうなったのか、後で考えてみてもよくわからない。
 気づいた時には、ひょいと両脇を抱えられて持ち上げられるようにして、頬にキスをされていた。
 そして、あろうことか、にっこり笑って父親はこう言ってのけたのだった。
「パパの勝ち。」
 目をまん丸くして、父親の笑顔を見返したシンタローだったが、やがてぼそりと「放せ」と言い、解放された後、無言のままぽてぽてと歩いて部屋を出ていってしまったのだった。




  








 そして、総帥室に籠城して二日目。
 ドアの外では締め出しをくらった副官が、この日何度目かの投降を呼びかけていた。
「シンタロー、あけろ。何を拗ねてるんだ。」
 しかし、中からは何のいらえも返ってこない。
「伯父貴に負けたことなんて、気にしなくていいだろう。あの場にいた連中は誰一人としておまえが勝つとは思ってなかったんだから、かっこわるくなんかない。」
 今度もしーん、としている。
 しかし、ドアの隙間から漏れてきた空気には怒りの気が含まれていた。
 何が悪かったんだ、と真剣に考え込むキンタローだった。
「いつまでも、子供みたいなことをしていないで、俺だけでも入れろ。」
「あ、キンちゃんたら、どさくさに紛れてシンちゃんを独り占めしよーとしてる。」
 ちょっとだけぎくりとして振り返ると、そこにはもう一人の従兄弟と、珍しい人物の姿があった。
 四兄弟の麗しき末弟サービスである。
「叔父様が帰ってきてたから、連れてきたのー。えらい?」
 グンマの問いに、キンタローは大きくため息をついて、「せっかくだが」と言った。
「シンタローは、拗ねて部屋に閉じこもったままだ。食事も睡眠もここでとっている。この俺が……いいか、この俺が何回、説得しようと意固地になって耳を貸そうとしない。会いにきてくれたのに、申し訳ないが、向こうでお茶でも飲んでいてくれ。」
 しかし、グンマはキンタローの説明をまったく無視して大声で呼びかけた。
「シンちゃーん! サービス叔父様が帰ってきたよーお。」
 コンマ三秒でドアが開かれ、久しぶりにシンタローが姿を見せた。
「おじさんっ! おかえりっ! 俺、ものすごーく会いたかったんだ。」
 まるで幼子のように飛びついてきた青年を受け止めると、サービスは苦笑した。
「拗ねて、意固地になってると聞いたけど、大丈夫そうだな。」
「……へーえ、そんなことを叔父さんに言ったヤツがいるんだ。まぁ、誰が言ったかだいたい分かるけどね。」
 視線を向けられたキンタローは、ぴきっと固まった。
 従兄弟を金縛りにした後、シンタローは大好きな叔父に満面の笑顔を見せる。
「今、お茶入れるから入って。ちょうど休憩したかったんだ。」
「なら、おじゃましようかな。」
「叔父さんは邪魔なんかじゃないよ。……叔父さんはね。」
 最後に極寒の視線でキンタローにとどめを刺して、シンタローは叔父を総帥室へと誘い、音を立ててドアを閉ざしたのだった。
 その音で我に返ったキンタローが、ドアを再び叩き始めるより、ほんの少し早くグンマが彼の腕を捕まえた。
「キンちゃんも、そろそろ諦めなよ。シンちゃんの機嫌が直るまで何をしても無駄だってば。とりあえず、サービス叔父様に会えたから今日中には浮上するんじゃない?」
「シンタロー…。」
 しゅーんとしたキンタローと、それをずるずる廊下を引きずって歩くグンマの姿はガンマ団の何人かに目撃され、しばらく本部内で物議を醸したのであった。












 大好きな叔父を、室内に招き入れたシンタローはいそいそとお茶の用意を始めたが、叔父に止められた。
「お茶はいいよ。シンタロー。私はおまえに会いに来たんであって、お茶を飲みに来たわけじゃないから。」
 綺麗な笑顔で、おいで、と呼ばれては一も二もなくそれに従うしかない。
 叔父の正面のソファーに腰掛けようとすると、横を示された。
「誰も見ていないからこっちに座りなさい。近い方が落ち着いて話ができるからね。」
「う、うんっ。」
 言われるがままに隣に座ると、髪を撫でられた。
「おまえが元気そうでよかった……と言いたいところだが、さっきのキンタローはどうしたんだい? 喧嘩でもしたのか。」
 髪を滑る繊細な指の動きにうっとりとしていたシンタローだったが、叔父の心配そうな声に我にかえった。
 自分たち従兄弟の運命に関して、人知れず自責の念を持っている叔父に負担をかけてしまったと、シンタローは反省する。
「してないよ。ただ、ちょっと今顔をあわせづらいんだ。グンマからちょっと聞いただろ?」
「ああ、兄さんに負けたって話かい?」
「――――うん……ああもう、どーしてこーなんだろーなぁ。」
 シンタローは苦笑した。
「叔父さんや……まーいやだけどハーレムに負けても、ま、しゃーねぇかって思えるんだけどさ。わかっててもなんかむかつくっていうか……。」
 子供の頃はもっと単純だった。
 父親は世界で一番強いのが当たり前で、今だってそれはそうなのだが。
「全然歯が立たなくて、あいつへらへら笑っててさー。ちびの時の俺をあやしていたのと変わんねぇんだよ。」
 すると、サービスは甥の肩を引き寄せてきゅうっと抱きしめた。
「お、おじさんっ!?」
 シンタローの焦った声にも頓着せず、さらにサービスは甥の頭をぐしゃぐしゃと混ぜたうえ、真っ赤になった頬にキスまでやってのけたのだった。
 憧れの美貌の叔父様にそんなことをされて、あわあわしているシンタローにサービスは笑いかけた。
「怒らないのか?」
「え? え?」
「私も今、おまえが小さい時と同じようにしたぞ。怒らないのか?」
「だって、べつにいまのは勝負とかそんなんじゃ…。」
「じゃあ、兄さんが同じことをしたら?」
「ぶっ殺す。」
 真顔で答えた甥に、サービスは相変わらずのなぞめいた微笑みを向けた。
 しばらく、無言で見つめ合った結果、降参したのは甥の方だった。
「うー、そうだよ、そうですよ! 俺がいちばんむかついてるのは…。」
 がっくり肩を落として、無念そうな声で歯の間から絞り出すようにして告げる。
「親父に負けたことを、ほっとしている自分ですよっ! 子供扱いされててもいいんだっってどっかで思ってる俺に腹立ててるんだよ。」
「シンタロー。」
 サービスはシンタローを自分の膝の上に座らせるて、子供をあやすような仕草でぽんぽんと肩を叩いてやった。
 今度はおとなしくされるがままになっているシンタローは、叔父の肩に額をつけてぶつぶつと言った。
「なさけねーの…。」
「何が? 情けなくなんかないよ。」
「おじさんだって、俺に早く親父に追いつけって言ってたじゃん。俺だってそうしてたのに、負けた時悔しいのと同時にほっとしちゃったんだよ。」
「『目標を達成した後』が怖いのか?」
 シンタローにとっては父マジックは常に越えられない壁だった。
 少年時代の時はそれで絶望したことだって何度もあった。
 今はあのころと比べものにならないほど強くなり、父親の後を継ぎそれなりにやってきた。
 あの背中を追い越すという目標が、常に自分を支えていたからだ。
 それを今達成してしまったら、次は何を目標にすればいいかきっとわからなくなってしまう。
 けれど、ほっとしたのは目標を失わずに済んだからっていうわけじゃなくて。



「……親父が負けなかったから嬉しかったんだ。」



 今、きっと甥は真っ赤になっているだろう、とサービスは思ったが、わざわざのぞき込むような無粋なまねはしなかった。
 このあたりが長兄とは違い、甥に懐かれる大きな理由だろう。
 かわりに背中を撫でながら、優しい声で彼の秘密を打ち明けた。
「私もね、父さんが今でも世界で一番強いと思っているよ。」
「…『おじいさん』のこと?」
 写真でしか見たことのないもう一人の叔父とよく似た髪のひと。
 記録を見る限りでは確かに歴代の総帥の中でも、屈指の実力の持ち主だったが、シンタローはよく知らない。
 けれど、叔父の『父さん』と呼ぶ声に溢れている崇拝と愛情に、どんな人だったか分かるような気がした。
「おかしいだろう? もう、私は父さんの年齢を抜かしてしまったのに、父さんはマジックのような秘石眼の双眸を持っていたわけでもないのに、それでも、私の中では父さんは最強なんだ。たぶん、ハーレムも………兄さんもね。」
「おかしくなんかないよ……。」
 シンタローはそう言って、ますます強くサービスにしがみついた。
「全然おかしくなんかない。」
 そう言い切る甥に、叔父は今までで一番優しげな微笑みを浮かべて、「ありがとう」と、もう一度甥の、今度は額にキスを落としたのだった。












 

「シンちゃん、今頃、機嫌が直ってるかなぁ…。」
「そのためにわざわざサービス様をお呼びしたんでしょう。大丈夫ですよ。」
 
 深い憂愁を込めた横顔を見せ、ため息をつく主人にティラミスはサーブした紅茶を出した。
 チョコレートロマンスはその横にサブレを置きながら、呆れたように言う。
「こうなることは予想がついたんですから、なんだかんだと理由をおつけになってお断りすればよろしかったじゃないですか。」
「だって、シンちゃんに無視されるのも嫌だし、引き下がるような子じゃないからねぇ。」
 もっともな理由だったが、チョコレートロマンスはなおも意見する。
「なら、あのような容赦ない勝ち方をされるからです。せめて、惜しいところで負けたとシンタロー様に思わせるような戦い方をすればよろしかったのに。」
「だって、悔しがるシンちゃんって可愛いんだもん。キスした時も目をまるくしてどうしたらいいのかわかんない顔してね、五歳の時、わんちゃんのぬいぐるみを買ってあげた時と同じ顔だったよ……ティラミス。」
「はっ、隠し撮りしておきました。こちらです。」
 いささか悪趣味なハート形アルバムを取り出して、マジックに差し出した。
 それは対決中の二人のショットがきちんとファイリングされている。
 秘書としてとても有能なティラミスだったが、この主人に仕えるうちにカメラの腕まで磨いたらしい。
 誰も気づかない間に超小型カメラで撮影したわりには、その数は優に50枚はあった。
「そうそう、これこれ~っ。かわいいなぁ~食べちゃいたいなぁ~。」
 アイドル歌手のブロマイドを手にした女子高生のノリできゃっきゃっと、親子の交流記録をめくっている主人を前にして、二人はお互いの視線をかわしてため息をついた。
 確かに、彼らの主人は最強だ。
 おそらく地上の誰も敵わない。
 けれど、たったひとり、黒髪の息子にはめろめろなのだ。

 




『おとーさま、一応最強だし。』

 さてさて、グンマ様、優秀な秘書としてはそのご質問にお答えしかねます。


 二人はこの場にいない青年に向かって、心の中でそう答えたのだった。













2005/3/12
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sdf
冷静と情熱の間





「ちっくしょー! 耐えられるかっ!」
「仕方ないでしょ。だいたいシンちゃん、昔っから我慢が足りない子なんだから。」









 大事に育てすぎちゃったからねぇ、と、うそぶく父親を前に、わなわなと両手を震わせている総帥に、ティラミスがびらっと書類を一通出す。
 見れば総務部からの、空調施設修理工事費の見積もりだ。
「う……こんなに。」
「本体の取り替えが終わった後、順次接続となります。総帥が眼魔砲で壊されたのですから、当然、こちらを一番後回しにさせていただきます。」
 てきぱきと扇風機を運び込ませながら、優秀なる秘書は決定事項を延べ、総帥の意見を拝聴しようというそぶりすら見せなかった。
 決算報告書作成という忙しいさなかに、余計な仕事を増やしてくれたことを相当怒っているらしい。
 もちろん、優秀で職務に忠実なこの男が正面切って、文句を言ったりすることはない。
 しかし、もう、空気が怒っている。
 顔は素だが、声も普通だが……それでも、怒っているのはわかる。
 それにしても、あまりに理不尽だと思う。
 だって、自分が眼魔砲をぶっ放したのは、この暑いのに父親にべったりと抱きつかれたあげく……思い出したくもないスキンシップという名のセクハラをされたからだ。
 それなのに、クーラーもない、部屋の主の立場上セキュリティの厳重な奥まった、つまり、風通しの悪いこの部屋でクーラーなしで過ごせとは酷すぎる。
「まぁまぁ、シンちゃん、なんだったら、私の部屋に来るかい? あそこのエアコンは違う本体につないでいるから無事だったよ。もちろん、パパがずっと側にいて護ってあげるからセキュリティも問題なしだし?」
「ざけんなっ! テメーが一番、俺の身体に害なんだよ!」
「シンタロー、眼魔砲はやめろ。同じ事を繰り返すつもりか。」
 キンタローに止められシンタローはぐっと詰まった。
「ちっくしょーーっ! でてけっ! クソ親父ぃいいい!!!」
「ああっ! ひどいよっ! シンちゃん。」
「うっせえっ。」
 腹立ち紛れに父親をけり出した後、仕事に向かう。
 それでも、やはり、不快感はどうしようもない。
 ああ、暑い。
 しかし、ふと見ると、キンタローは涼しげな顔をしている。
「なんだよ、おまえ暑くないの?」
「暑いが、耐えられないほどじゃないからな。」
 どうせ、俺は我慢強くありませんよ、とふてくされたシンタローだったが、ふとあることを思いついた。
「ちょっと来い、キンタロー。」








 さて、数時間後、そろそろ音を上げた頃だろう、と、いそいそとシンタローの元に向かうマジックと、いつものごとく付き従う秘書二人。
「シーンちゃーん。どうだい? そろそろパパの部屋に来る気になったか……い……。」
 ドアを開け放って、明るく言ったマジックの声がどんどん尻すぼみになっていく。
 脇から除いたチョコレートロマンスも室内の様子に凍り付いた。
 シンタローは椅子に座って、書類を読んでいる。
 それは正しい。
 キンタローも椅子に座っている。
 椅子はひとつしかないのだからこれはおかしい。
 それから、先ほどシンタローが椅子に座ってと言ったが、正しくいうと、シンタローは椅子に座ったキンタローの膝の上に横座りして、もたれかかっているのだ。
「なっななななななにをしてるんだいっ!!!!!!!」
 どもって甲高くなった声で叫ぶ父親を、シンタローは横目でちらっと見た。
「うるせぇなぁ。だって、こいつ、体温低いんだぜ。あー、気持ちいい。」
 そう言って、これ見よがしに従兄弟の首筋にすりすりと顔を押しつける。
「そうですか、すばらしい節電対策です。さすが総帥。」
「そう言う問題か? ティラミス。」
 秘書ふたりの前でわなわなと震えているマジックだったが、やっとのことで気を取り直して、キンタローに言う。
「そ、そりゃ、シンちゃんはいいかもしんないけど、キンちゃんは暑くてたまんないよねぇ……総帥だからって、遠慮しなくて放り出していいんだよ?」
 キンタローは涙目の伯父と、その伯父を冷ややかに見ている従兄弟の顔をじゅんぐりに見て、んーと首を傾げた。


「確かに、暑いが……気持ちいいからかまわん。」








 その後、厨房近くの巨大冷凍室の前で、繰り広げられた騒動。
「マジック様! おやめください! 死んじゃいますよ!」
「ええいっ! 放せ、チョコレートロマンス! 私もひやひやの肌になってシンちゃんといちゃいちゃするんだぁぁぁ!」
「たとえ、どんなに冷肌になられても、シンタロー様はマジック様に抱かれるくらいなら、煮え湯で行水した方がマシだとおっしゃられると思いますが……。」
 冷静に意見を述べた秘書をマジックは光る目で振り返った。
「ああっ! ティラミスがまたもやアフロにいいいい!」
 いやああああっ! ツッコミ役を俺に押しつけて逝かないでぇっ!
 と、いうチョコレートロマンスの本音が、その咽からほとばしりそうになる後ろで、呼びつけられたグンマが腰に両手を当てて、ため息をつく。
「もう、おとうさまったら、コックさん達が困ってるじゃない。冷凍庫になんか入らなくても、高松に頼んでいい薬つくってもらうからさー。」
「そ、それもおやめくださいいいいい!」











 ―――ガンマ団の空調システムの修理は、一週間かかったという。









+++++++++++++++++

たぶん、これを書いた時、実際会社で空調が止まったかなにかあったような気がする。
とりあえず、キンちゃんの肌はひやひやそうだと。

リサイクル日 2005/06/27



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「シンちゃん、いるの? 入るよ?」
 異母兄の声に、転寝していたシンタローは、もたれかかっていた脇息からはじかれたように身を起こした。未だ開ききらない視界に、几帳をめくって顔を覗かせたグンマの、呆れたような表情がぼんやりと映る。
「誰もいないの? シンちゃん、無用心すぎるよ! こないだ、伊達衆のナントカってのに襲われたばっかりなのに!」
「人聞きの悪いことを言うな。この俺が昼間っからそう簡単に襲われるかってんだ」
 起き抜けに嫌なことを聞いた、と蘇芳の小袿を着崩したシンタローは欠伸を噛み殺しながら言う。一方、内裏から下がってきたばかりなのか、未だ深緋の束帯姿のグンマは、「わかってないな」と言いたげにため息をついた。
「本当だったら、女の人ってことになってるシンちゃんの部屋に、僕だってこんなふうに入ってきちゃいけないのに……取次ぎどころか、女房の一人もいないなんて。──ティラミスとチョコレートロマンスはどうしたのさ?」
 グンマの小言に、シンタローは億劫そうに返す。
「お前は特別だろ。兄弟なんだから、水臭いこと言うなよ。……ティラとチョコは、こないだその、アラシヤマが入ってきた築地の崩れを直しに行ってる」
「そんなこと……僕に言ってくれれば、仕丁の一人や二人、すぐ貸したのに」
 不満そうなグンマに、シンタローは肩をすくめた。
「俺がやれって言ったんだよ。まあ、こっちに不用意に他人を近寄らせたくないってのもあるが……いろいろばれると面倒だからな。別に俺は一人でも大丈夫だし、それにあいつらだって、たまには『自分は男だ』って、実感したいんじゃねえかと思ってさ。──ちゃんと狩衣を着て、力仕事してってな。俺が言うのもなんだけど、親父の馬鹿な遺志のせいで、女装して、自分が男だってばれないように、それこそ女みたいに屋敷に閉じこもる生活させられてるんだぜ? 女房装束を着せられてるってだけでも恥なのに、なんにも知らない奴らにちょっかいかけられたり、言い寄られたりまでして……男としての面目なんて、あったもんじゃねえ。たまには開放してやらないと、おかしくなっちまうだろ?」
「シンちゃん……」
 表情を曇らせるグンマに、シンタローは苦笑する。
「そんな顔すんなよ。しょうがねえだろ。親父が娘だって吹聴してた俺が実は男だ、なんて今さら知られるわけにはいかねえんだから。巻き込んじまったティラミスとチョコレートロマンスには悪いが、こういう秘密は、人が関わるほど漏れやすくなるからな。……とりあえず、一族の権力基盤が落ち着くまで、なんとか我慢してやってもらうさ。ルーザー叔父さんやコタローの不利になるようなことは、したくねえからな」
「だけど……本当にいいの? シンちゃんは、それで?」
 勧められた茵にふてくされたように座るグンマを無視して、シンタローは手渡された文箱を覗き込んだ。マジック亡き今、屋敷の主であるグンマがわざわざ文使いのようなまねをすることもないのだが、シンタロー側の事情が事情で、本来ならば大勢いるはずの女房も信用できる者を厳選して数を極端に制限しているため、なにか間違いがあってはいけないと、直々に出向いてきたものらしかった。
「……オッサン、また来るのか」
 文箱の中に不似合いな酒壺を見つけ、シンタローが忌々しそうに言う。
「うん。僕のところにも別に文が来たよ。月見酒だって」
 酒好きのハーレム叔父が、月見にかこつけてグンマとシンタローの住む二条院にやってくるようになったのは、三ヶ月ほど前からのことだ。
 それは、二人の父であるマジックの喪が明け、改めて一族の長の座に就いたルーザーの意向で、血族の誰かとシンタローを娶わせることが決まった矢先の出来事だった。都の口さがない野次馬たちは、絶大な権勢を振るったマジック亡き後、さっそく高貴なる一族の権力闘争が始まったのかと、興味津々でハーレムの動向に注目した。マジック最愛の娘を娶るということは、すなわち、マジックの持っていた力の全てを受け継ぐということを意味したからだ。シンタローを男と知る者はごく近い血縁の者と、シンタローの傍近く仕える二人の従者に限られており、マジックの生前からその周囲に近づくものは厳しく制限されていたため、当の二条院に仕える者にとってすら、シンタローは実在するのかどうかさえ定かではない、謎めいた深窓の姫君であった。シンタローが誰と結ばれるかによって、主であるグンマの行く末も変わりかねないと、都中の誰よりも二条院の使用人たちこそが、この訪問のもたらす結末について、固唾を呑んで見守っていたのだ。──その青の一族自体が、当初からこの茶番劇にいささかうんざりしていたことも知らずに。
 だが、渦中の人物の一人であるシンタローはと言えば、自分の素性を知っているはずの叔父が、微妙な時期に微妙な行動に出たために、その真意を測りかねて右往左往していた。
 常に行動が型破りでとらえどころのない叔父のすることである。単純に酒を飲みに来ただけなのかもしれないが、なにか別の考えがないとも言い切れない。ルーザーとハーレムの関係が良好とはいえないものであることも周知の事実だったから、今回の決定に対して、なにか一悶着起こすつもりではないかとも思われた。
 とにかく相手はなにをするかわからない酔っ払いだ。用心するに越したことはないとの結論に達し、ティラミスとチョコレートロマンスを見張り役に、シンタロー自身はこんなときのためにあらかじめ立てこもりやすいように改造しておいた塗籠に身を隠したのだった。
 しかし、それはただの杞憂だったと言うべきか──結局のところ、酒宴で酔いつぶれたハーレムが、シンタローのところにやってくることはなかった。
 都一の酒豪と評されるハーレムが酔いつぶれるなど、考えられないことだったが、もしかしたらグンマか、グンマの後見役の高松が、気を利かせてなにか薬を盛ったのかもしれないと、シンタローは勘繰っていた。──あえて確認はしていないので、真相は謎のままだが。
 拍子抜けするような思わぬ結末のおかげで、奇妙な緊張感をはらみつつも、日常は今までと一見変わりなく続いていくかのように思われた。最初のハーレムの行動が印象的だったせいか、その後の叔父や従兄弟との手紙のやりとりなどは、取り立てて人目を引きもしなかったのだ。──ただ、なにもなかったことの代わりのように、シンタローの心に奇妙なしこりが残ったこと以外は。
 ……あえて言うならば、それは、さんざん思い悩ませられておいて、結局は肩透かしを食らったことへの、恥ずかしさや苛立ちといったものであろうか。
 別にハーレムの方でなにかはっきりしたことを言ってきたわけでも、二人の間に暗黙の了解があったわけでもなく、シンタローが一方的に心配して気をもんだだけのことで、逆恨みと言われればそうなのだが、だからといって簡単に納得して気持ちを収められるわけでもなかった。
 少なくとも、シンタローにしてみれば、あんなろくでなしの叔父に対して、少しでも期待めいたものをかけてしまった自分が許せないのである。この先の見えないうんざりするような状況を、あの叔父ならなんとかしてくれるのではないかとかすかな望みを抱いて裏切られた、その八つ当たりも兼ねて、あのときのことをずっと根に持っていたのだ。
「ハーレム叔父様、よく来るよね。この前遊びに来てから、まだ三日もたってないんじゃない?」
 三ヶ月前の酒宴以降、ハーレムは頻繁に二条院を訪れるようになったが、毎回飲んで騒いで帰るだけである。警戒することがかえって馬鹿らしいと思えるほどに、ハーレムはシンタローのことを気にしていないように見えた。
「……どうせ、酒目当てなんだろ。でなきゃ、俺の財産目当てか。……一体何回月見するつもりなんだろうな、あのオヤジは」
 今日は新月だっつうの、とシンタローは悪態をつく。
 この時代、親の財産は娘が相続するというのが普通であった。ゆえに、生前、位人臣を極めたマジックの莫大な財産も、長男のグンマではなく、世間的に一人娘ということになっていたシンタローが全て受け継いでいる。ルーザーがシンタローを一族の者と娶わせようとするのも、実は男であるという秘密もさることながら、この莫大な財産を他の者の手に渡したくないという思惑ゆえでもあるのだ。
「サービス叔父様とキンちゃんからも手紙来てるからね。忘れずにちゃんとお返事書いてよ? あと一応こっちの二人にもね」
 榊と松の枝にそれぞれ結び付けられた文を見て、シンタローは呆れたようにため息をつく。
「……あいつらもよく懲りないよな……」
 おそらく榊が有力貴族の一人であるアラシヤマのもので、松が青の一族と同等の勢力を持つ赤の一族の一人、リキッドのものなのだろう。
 この二人、いつどこでどうシンタローを垣間見たのか知らないが、もうずいぶんと前から言い寄っていて、未だに諦めるということを知らない。シンタローを溺愛して、言い寄る者たちを秘かに闇に葬っていたとされるマジックが、絶大な権力を誇っていたころから生き延びているのだ。代替わりして未だ権力を掌握しきれていないルーザーが一族との婚姻を決めた程度で、引き下がるはずもなかった。
「こっちの二人のは、適当でいいから、今すぐ書いてくれるかな? あとで高松が害虫撃退の薬をふりかけて送るから、先に欲しいんだって」
「……あ、そう……」
 明日の二人の惨状を思うと今から気が遠くなるシンタローだったが、ここで情けをかけてもさらに泥沼化するだけである。なるべく二人のことは考えないようにして、手近な紙にどうとでもとれるような曖昧な歌を書きつけ、さっさとグンマに渡した。
「サービス叔父様とキンちゃんのは、また後ででいいから。ティラミスかチョコレートロマンスに持たせてよこしてね」
「……オッサンのはいいのかよ」
「ハーレム叔父様には、今夜の宴のこともあるから、僕の方から出しておくよ。シンちゃんは、前のときに返事書いたばっかりだから、今回はいいんじゃないかな?」
 頻繁に返事を書いて、こちらが気のあるような素振りをするのもどうかとグンマは言う。
「別に、ハーレム叔父様に対してどうこうっていうんじゃなくてさ……。どうせ、これは全部世間の目を欺くお芝居なんだから、変に野次馬を喜ばせるようなことするのも、癪だなって思わない?」
「……そうだな……」
 シンタローはため息をつきながら、サービスの手紙を取る。
「うちの馬鹿親父のせいでサービス叔父さんにもいらん迷惑かけちまって、本当申し訳ないよな……」
 サービスの手紙は、一応恋文の体裁を取ってはいるものの、中身はこちらの様子を心配し、気遣うような内容のものだ。
 マジックの死後、信頼していた長兄が堂々と隠していたとんでもない事実が明るみに出、ひどく驚き、動揺もしただろうに、シンタローのため、なにくれとなく心を砕いてくれるサービスを思うと、自分の置かれたこの異常な状況のことなど、実に些細なことであるかのように感じられてしまう。
 ルーザーは、懇意にしている弟のサービスや、自分の息子であるキンタローとの婚姻を望んでいるようではあるが、シンタローは、少なくともサービスにはこれ以上の心労はかけられないと考えていた。
「……あの繊細な叔父さんに、俺と結婚してくださいなんて言えるわけねえだろ……」
「そんなこと気にしないで言うだけ言ってみたら? サービス叔父様も、意外とまんざらでもないかもよ?」
「……いや、あの美貌の叔父様の御尊顔が連日傍近くにあったりしたら、俺の神経が持たない」
「じゃあ、キンちゃんにするの?」
「……キンタローねえ……」
 シンタローは、それぞれが季節の植物に結び付けられた恋文とは違う、いやに慇懃な雰囲気の立て文を手に取った。
 立て文とは、手紙を礼紙で縦に包んだもので、正式な文書という面がある一方、恋文であることを隠す場合などにも使われる。だが、キンタローがシンタローに恋文をこっそり送る必要はない──むしろこの状況では、その方がおかしい──わけで、キンタローの性格から察するに、正式な結婚の申し込みの手紙という考えからの立て文なのだろうが、この場合のそれは、かえってよそよそしい態度と思われかねなかった。──言うなれば、シンタローと結婚などしたくないのだが、世間体もあるし父親にも言われたので、とりあえず形だけ手紙を出してみる、というような。
 手紙の内容も、使っているのは恋文に使われる仮名ではなく真名で、これは公文書かと勘違いしそうな硬い文章が続く。これを仮に普通の女性に出すのだとしたら、十中八九、最初の手紙で断られるのがオチだ。
「……なあ、キンタローは、なにを考えてこの手紙を書いてんだろうな……?」
「ああ、キンちゃんはね、一族の義務とか責任とか背負い込んだ気になってんじゃないの? シンちゃんが本当は男だって知ったときと、それなのに女の子の成人式である裳着をするって聞かされたとき、すごくびっくりして落ち込んでたもん。大好きなシンちゃんが大変なことになってるから、自分がなんとかしなきゃ、って思っちゃったんじゃない。ルーザー叔父様もいろいろ発破かけてるみたいだしさ」
「……それはそれで気が重いな……」
 一族の者との婚姻が一番無難なのはわかっているのだが、どの相手も一長一短で決め手に欠ける。
「いっそのこと、ルーザー叔父様と結婚しちゃえば? そもそも言い出したのが叔父様なんだしさ。そうすれば、シンちゃんが受け継いだお父様の財産もルーザー叔父様のものになって、当主としての基盤も磐石になるだろうし、ちょうどいいんじゃない?」
「……そうすっと、俺がキンタローの義理の母親で、なおかつお前の義理の叔母になるんだぞ? オッサンや叔父さんと義理の姉弟ってことになるんだぞ!?」
 それでいいのかよ、とシンタローはグンマを睨む。
「……んん、僕や叔父様たちはともかく、キンちゃんは承知しないだろうね」
「そうだろう?……それよかむしろ、俺としてはお前と結婚するのが一番手っ取り早いんじゃないかと思ったりもするんだけどな──」
 思っても見なかった申し出に、グンマは驚いて目を見張った。
「ええ? 僕と!? だって僕たち、兄弟だよ?」
「だからかえって気安いんだよ。要するに、俺が男だって世間にばれなくて、親父の遺産も他所に渡らなけりゃいいんだろ? だったら親父の長男で、ずっと一緒に暮らしてたお前が一番の適任じゃないかよ。他の血縁の奴らとだと、遺産はともかく、どうしたって人の出入りが激しくなって、秘密を守るのも難しくなりそうだし──それにお前なら、ルーザー叔父さんの信用もなぜかあるし、一応後見人の高松もいるしな」
 いざとなれば、気心の知れた使用人も含め、大きな力になるだろうと言うシンタローに、グンマは難しい顔で考え込んだ。
「……でも、兄弟──世間的には兄妹か──ってのを、どう言い訳するのさ?」
「そこをなんとか……実は養女で、とかさ」
 どうせお芝居なんだから、なんとかならないかな、と言うシンタローに、グンマは首を傾げる。
「んん……そりゃあ、『実は男でした』ってのよりは衝撃は少ないかもしれないけどさ」
「そうだろ?」
「でも、シンちゃんが世間的に女だって思われてるってことは、変わらないんだよ? 僕は、結局のところ、そこが一番の問題じゃないかと思うんだ。自分勝手なお父様が生きてたころならともかく……こんなこと、いつまでも隠しておけるものじゃないって。一時的に隠せはしても、この先、絶対に綻びができるよ。だから早めになんとかして、シンちゃんが男として、堂々と皆の前に出て、暮らせるようにした方がいいって思うんだ」
「……」
「それに、養女ってことになると、血筋とか、遺産相続とか、どうなるのかなあ……。それに今更、そんな余計に事態をややこしくするようなこと、ルーザー叔父様が許すと思う? とりあえず世間体第一で、シンちゃんに裳着までさせて、一族の者と結婚させるって決めちゃったのに?」
「……ああ、もう、面倒くせえなあ!」
 グンマの反論に、シンタローは苛立ったように髪をかき回した。
「……いっそのこと、俺が本当に女だったら良かったのにな」
 本当の女だったなら、こんな一族の厄介者ではなく、もっといろいろ役に立つことができたのに、とシンタローはつぶやく。
「……そう言えばさ、シンちゃん」
「ん?」
「シンちゃんって、どうして女の子として育てられたちゃったわけ?」
「……あれ、お前、知らないんだっけ?」
「知らないよ。そんなの全然、聞かされてないもん。シンちゃんが男の子だって初めて知ったのだって、お父様が亡くなったときだよ?」
 そもそもの原因を確かめずにいたと言うグンマに、シンタローは唖然とする。
「……その割には、お前、当たり前みたいに受け入れたよな。キンタローなんて、驚きすぎてしばらく音信不通になったのに」
 シンタローが感心したように言うと、グンマは首を傾げた。
「だって、シンちゃん、裳着したの遅かったからね……だから、あんまり『女の人』っていう認識がなかったっていうか……。その裳着だって、男だってわかった後にしたわけだし」
 この時代、高貴な女性は人前に姿を現すことは決してない。例え兄弟でも、話をするときには間に几帳を立てたり、場合によっては女房に取り次がせたりする。女性の姿を見られる者は、異性では、親や夫、恋人に限られるのだ。
 だが、それはあくまで成人した男女に関してのことで、子供にはその禁忌はない。その区別は男ならば元服、女ならば裳着と呼ばれる成人式にある。言うなれば、その成人式を終えていないのなら、いくつになろうが子供のままということで、だれに顔を見られようがかまわない、という理屈が成り立つ。
「これが、もしお父様が存命中で、僕がなにも知らないうちにシンちゃんが裳着をしてさ、昨日まで気軽に顔を見せていたのが急に見られなくなったりしたら、シンちゃんを『女の人になっちゃったんだ』って意識したかもしれないけど。でも実際はそんなことにはならなかったし、裳着を終えた今だって、『どうせ男同士なんだから』って平気で顔突き合わせているわけでしょ? ティラミスとチョコレートロマンスも『どうせ兄弟なんだから』って全然気にしないし。……だから僕としては、そんなに前と変わったことがあるような気がしなくて……」
「……そんなもんなのかな」
「でもまあ、僕の場合、シンちゃんと一緒に暮らしてるからね。キンちゃんとは話が違うよ。キンちゃんはずっと、シンちゃんのことが好きだったんだから」
「……キンタローの趣味も悪いけどよ、奴には本当、可哀想なことしちまったよな……」
 いくら女の子として育てられたからと言って、シンタローの中身までがそのように成長したわけではない。むしろ女の子らしからぬがさつな乱暴者で、事情を知らなかった叔父たちに、グンマと中身が入れ代わって生まれれば良かったのにと言わせたくらいだ。
 シンタローにしてみれば、そんな女に惚れるなよ、と言いたいところなのだが、事実を知ったときのキンタローの落ち込みようを見てしまえば、そんなことを軽々しく口にするわけにもいかない。
「……それで、結局、シンちゃんはなんで女の子でいることになったわけ?」
 昔を思い出して遠い眼をするシンタローを、グンマが引き戻した。
「あ、ああ……その話だったな。……グンマ、お前、俺の母親がすげえ迷信深い人だったってこと、知ってるだろ?」
 シンタローの言葉に、グンマは頷く。シンタローの母親は二人が物心つくころにはすでに亡くなっていたが、その奇矯な人となりは数々の昔話からなんとなく聞き知っていた。
「その母さんがさ、俺を産んだとき、お告げがあったって言うんだ」
「お告げ?」
 突拍子もない言葉にグンマが驚くと、シンタローも決まり悪そうな顔をした。
「ああ。……なんか胡散臭い感じがするんだけど……とにかくそうだったらしい。俺を女の子として育てなくてはいけないって」
「……ふうん……それで?」
「親父は、最初は信じなかったって言うんだ。どっちかって言うと、そういうの嫌いな方だし」
「うん、そうだね」
「だから、母さんの言うことを無視して普通に育てようとしたらしいんだけど──そのことで、母さんとずいぶん口論になったりもしたらしいんだけど、聞かないでいたら、そのうち母さんが産後の肥立ちが悪くて死んじゃって」
「……」
「親父は、そのことがよっぽど堪えたとかで……。こんなことになるんだったら、母さんの最後の望みくらい、叶えてやればよかったって思って──もしかしてそのお告げのことを無視したから、母さんが死んだんじゃないかとまで思いつめたらしくて。それで──」
「それでシンちゃんのことを、改めて女の子として育てることにしたってわけ?」
「そう、らしい」
「……」
「……」
「……シンちゃんには悪いけどさ、この話にはなんだかすごく、裏があるような気がするんだけど」
「……やっぱり……? 実は、俺もそう思う」
 二人は顔を見合わせて渋い表情をした。
「あの計算高いお父様がだよ? そんな絵物語みたいなこと、すると思う? 絶対なんか戦略立ててたに違いないよ」
「だよな。むしろ、母さんの迷信深さを、かえって利用してそうだよな。母さんの異常な物狂いの半分──いや、三分の二くらいは、親父が捏造して都合のいいように使ったものなんじゃねえの」
 もはや故人となった実の親に対し、見も蓋もないことを二人は言う。極端な話、没落貴族の姫と大臣家の子息の恋という、当時有名だった両親の御伽噺のようななれそめに対してすら、身寄りも後ろ盾もない女を妻にして他家の余計な干渉を避けるためだろう、とか、相手の女に恩を着せ、文句を言わせないようにするためだろう、とすら思っていた。
「僕が思うにさ、お父様は、一族に姫がいないことを気にしてたんじゃないかな」
 この時代の権力とは、娘を天皇に嫁がせて皇子を産ませることにある。だが、グンマやシンタローが生まれた当時、天皇家には直系の男子がおらず、女帝による一代限りの皇位継承が続いていた。
「天皇家は男系だから、いくら青の一族が男子に恵まれていて、女帝と結婚できても、その権力は次に続かない。女帝がお隠れになったり、代替わりしちゃえばそこで終わり。それに、女帝擁立は一時的なもので、いつまでも続くわけがない。──でも、一族には天皇に嫁がせるための姫がいない」
「……それで、賭けにでたって?」
「そう。……ええと、ちょっと待って……そのときのことを整理してみると……。シンちゃんが産まれたとき、帝は女性で、青の一族の男性がその伴侶だった」
「そして、天皇家には当分、男子が産まれそうな様子はなかった」
「お父様は、先のことを考えて、今度産まれてくる子──シンちゃんが、女の子であればそれでよし、よしんば男の子でも、女の子として育ててみるべきかどうか、検討し始める。でも、この無茶な計画を実行するにあたり、さすがのお父様にもかなりの躊躇いがあった」
「……その決心がつかないうちに、俺が産まれ、母さんが死ぬ」
「そのときにお父様は決めたのかもしれない。青の一族には女は滅多に産まれない。天皇家にも今は男子の産まれる気配はない。そしてシンちゃんはまだ産まれたばかりで、その性別を知る者はごく限られた者だけだ」
「……それが、どうして俺を女として育てようということになる?」
 シンタローの言葉に、グンマは奇妙に悟り済ましたような微笑を浮かべた。
「……結果的には、お父様は賭けに勝った、というべきだろうね……お父様が死んで、全ては無駄になってしまったけど」
「……親父が生きてたら、俺はやがてパプワのとこに入内することになったろうって?」
「そう」
 グンマが頷くと、シンタローは不快そうに眉をひそめた。
「……年齢差を考えてみろよ。パプワが元服するころ、俺はどう少なく見積もっても三十にはなってる。それでもか?」
「その年齢差こそが、重要なんじゃないかと僕は思うんだ。パプワくんは赤の一族の血を引いているから、権力を保持し続けるためには、青の一族はどうしても姫を入内させなければならない。シンちゃんは実際は男で、本当ならとうてい入内なんかできっこないんだけど、一方のパプワくんは子供で、入内したからってすぐに男女の関係になるわけじゃない。シンちゃんは入内するんなら女御として遇されるから、人前に姿を現すこともない。それなら信用できる女房さえきっちりそろえておけば、事実は絶対にばれない」
「……最初のうちはそれで誤魔化しても、パプワが大人になったら、どうするんだ?」
「そのときには、シンちゃんの年齢がものを言うんだよ。『もう齢だから、添い伏しはできません』って」
「……それで上手くいくと思うか……?」
「お父様なら平気で口出しもするだろうからね。無理やりにでも思い通りにしただろうね。……もっとも、パプワくんを見てると、さすがのお父様でも難しかったかもなっては、思うけど」
「……その計画が実行に移されなくて、本当に良かったと思うぜ」
 もしものことを想像してか、げんなりとしてシンタローは言った。
 近い将来、元服と同時に即位することになるだろうパプワは、今はまだ袴着を終えたばかりの子供ではあるが、すでにしてその非凡の才の片鱗を見せ、周囲を驚かせているという。
「……でも、惜しいのは惜しいんだよな。パプワの次はコタローが帝位に就くんだろ? 俺が入内できたんなら、それまでの橋渡しにもなったのに」
「それはもう、言ってもしょうがないね……ルーザー叔父様にはたぶん、そんな度胸はないよ」
「あの人、頭はいいんだけどなあ」
「お父様の死も、突然のことだったからね。今は一族を取りまとめるので、一杯一杯なんじゃないの。だからシンちゃんのことも、一族内でこっそり片付けちゃうことに決めたんじゃないかと思う。叔父様らしからぬ胆略的な考えだったよね。上手くすれば、赤の一族との均衡を保つのに使えたのにさ」
「……グンマ……お前って」
「赤の一族で、シンちゃんに言い寄ってるやつ、いたよね。ナントカっての。あいつ馬鹿っぽいから、上手く言いくるめてシンちゃんと結婚させちゃえばさ、赤の一族との伝手もできて、いろいろ便利だったのに。ねえ?」
「……俺は時々、お前が一番当主に向いてるんじゃないかと思うときがあるよ……」
 親父そっくり、とシンタローが呟くと、いやだなあ、とグンマは顔をしかめる。
「僕は権力なんてものに興味はないよ。あんなののどこが面白いのか、ちっともわからないもの」
「……いいよ、お前は別に、そのままで……。好きな学問でもやっててくれよ。その方が平和だから」
 シンタローが投げやりに言うと、その意味を理解しているのかいないのか、グンマは柔らかく微笑んだ。
「そうだね。早くいろんなことが落ち着いて、前みたいに皆でのんびりすごせるようになるといいのにね」
 お父様がいなくなってからこっち、つまらない人付き合いばかりが増えて、すごく面倒なんだ、とぼやくグンマには、栄華の頂点にある一族の面影は、ほとんどない。
 自分たち兄弟は、結局父親のようには、父親の望んだようにはなれなかったな、とシンタローは思う。二人を溺愛していたマジックが、そのところを実際にどう思っていたのかは、もはや知りようがないのだけれども。
 とはいえ、一族のこれ以上の繁栄は望まずとも、その凋落を招きたくないのは二人とも同じだった。叔父たちや従兄弟が悩み苦しむ姿など見たくもないし、それ以上に何百人といる使用人たちを路頭に迷わせるわけにはいかない。
 だが、それを防ぐ手立てがあるのだろうか、と思うと、シンタローは押し黙るしかなかった。ルーザーのするように、自分が一族の誰かと結婚して済む問題ではない分、不安は余計に募る。
 いつの間にか、世間話や中断している学問の話をし始めているグンマに適当に相槌を打ちながら、先の見えぬ現状に対し、シンタローはこっそりとため息をついた。


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 (05.12.15.)
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