Covetous love
「行ってくる」
明日には帰ってくるからそれまでは互いに一人だな。
オフなんだから、お前は少し寝ていろ。
部屋の扉の前でアイツはそう言った。
ほんのひとときの別れではあるけれど、飲みながら夜を過ごしていつのまにか朝方になっていた。
俺が昨夜の片づけをしているときにアイツは着替えていたらしい。
簡単な朝食を出してやったときには、身だしなみをすっかり整えていた。
軍服でいてもラフな格好を好む俺と違ってアイツはきっちりとした格好をする。だから、スーツ姿は珍しくない。
けれど、今朝は学会に赴くためか白衣を羽織っていた。
従兄弟の白衣に釘付けとなってから俺は自分でどんな行動をとったのか覚えていない。
俺と一緒に行動するときはスーツ姿でいても上には軍用コートを羽織るのが常だった。
白衣の彼はたまにしか見たことがない。
睡眠不足とアルコールの吸収とで頭はぼぉっとしていた。
従兄弟の部屋で簡単な朝食を作った記憶はあるが、食事中に何を話したかはまったく覚えていないのだ。
そしてまた冒頭へと戻る。
行ってくる云々と従兄弟は俺を気遣っていた。
徹夜と酒で赤くなった眼に口付けながら、大人しくしていろよとも囁いて。
俺の手に自室の鍵を残して従兄弟は出かけていく。
アイツは今日から学会だ。予定は明日の昼までだとも言っていた。
俺たちはいつもは二人で行動するが、たまに別行動をとる。
俺は総帥としてやらなくてはならないことがたくさんあるし、アイツは科学者だ。
本当なら高松やグンマと一緒に研究室にいるのが筋なんだ。
アイツは俺と一緒にいることを選んだけれど。
俺はいつもアイツが離れていくんじゃないかと不安を感じている。
アイツは高松のことをよく話す。後見人という立場とはいえ、彼の名をよく口にする。
高松、高松、高松、、、、、、
目の前にいるのは高松でなくて俺だ。シンタローだ。
そう思っていても俺は口には出せない。
言ったら最後、アイツが離れていくんじゃないかと思ってしまう。
アイツが白衣を着るのを見るたびに俺は不安になる。
そのまま、俺の傍でなく高松とともに研究室に籍を置くのではないかと、たまらなく不安になる。
自室に戻ってベッドに横たわってからも不安は渦巻いたままだった。
それから一日はとりとめなく過ごした。
今までだってアイツがいないときは度々あった。
そのこと自体に不安はない。一人で過ごすことには慣れている。
俺を溺愛している親父も遠征や仕事で家を空けることが少なくはなかった。
アイツがいない夜が明けて、昼を過ぎ再び再び夜が近づくにつれ俺の不安は増大していく。
いないのは別にいい。心が離れていなければ。
傍にいても俺ではなく他の誰かのことを想っているとしたら。
アイツにとって俺は誰かの代わりだったとしたら。
サービス叔父さんにとって俺はジャンの代わりだった。愛しい親友の代わり。親友によく似た甥。
ハーレム叔父にとっても俺はジャンの代わりだった。憎らしい男の代わり。ジャンによく似た甥。
青い石にとっては番人の影。
親父は俺を愛してくれたけれど、俺は赤の他人だ。
俺なんかよりもグンマヤコタローを可愛がればいいのだけれど。
だけど、俺は影でいたくない。
親父にとっても、アイツにとっても俺は誰かの影でありたくない気持ちが渦巻いている。
俺の所為で不幸になったヤツに幸せになってほしいのに、俺を愛していてほしい気持ちが渦巻いている。
だけど、オレは影でいたくない。
みんないつかは俺から離れていくんだ。
俺が影だから。
影なんかではなく、本物を手に入れて。
サービス叔父さんはジャンを取り戻した。
親父は…離れてはいないけれど二人の本当の息子を手に入れた。
だから、アイツもいつか俺から離れて本物を手に入れるのかもしれない。
影の俺ではなく、高松を。
日が落ちて、夜の色が濃くなっていくにつれて俺の不安は増大していく。
窓からは次第に濃くなっていく闇の色が目に映る。
闇の色。黒い色。影の色。
俺の髪と同じ、高松の髪とも同じ色が部屋へと忍び寄ってくる。
ソファから立ち上がり、ブラインドを落とす。部屋は途端に暗くなった。
外の色は暗くなってきたと思っていたがすこしは光もあったらしい。部屋の闇色が濃くなった。
ドッドッドッと押し寄せてくる不安を抱えながら、室内の光源を片っ端から点けて回る。
部屋に光を取り戻してもなお抱える不安を紛らわすために冷蔵庫からストックしていた酒やツマミを出した。
飲んでいれば気持ちも落ち着くかもしれない。飲んで待っていればアイツを待つ時間も短く感じられるかもしれない。
そう考えて、俺は酒を呷る。呷る。呷る。ひたすら一人で酒を呷っていく。
けれど一人で飲むのは味気ない。いつもは横にアイツが座っていて、楽しいときが過ごせるというのに。
昼はとうに過ぎたとはいえ、まだ夜には早い。
だけど、飲まずにはいられない。不安がちっとも紛れないのに酒に手が伸びる。
酒が不安を流し去ってくれればいいのに。
そう思って幾つも杯を重ねても不安は拭われない。
酒量が増えるにつれ、思考がどんどん淀んでいく。悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
いつもなら、アイツがいるときなら楽しいことしか考えられないのに。
それでも俺は一人で杯を重ねていく。
どんどん湧き上がる不安が俺の頭の中を埋め尽くしていく。
アイツのことを考えようとすると、昨日見た白衣の姿が脳裏に浮かんでくる。
白衣のアイツ。高松といるアイツ。
俺の元から離れていくアイツ。
そんなのはいやだ。
誰かの影になるのは、もういやだ。
不安を紛らわせられないまま、ただ酒だけが消費されていく。
「なんだもう飲んでいるのか」
律儀にノックをして俺の部屋に入ってくるなりキンタローはそう言った。
オフなんだから別にいいだろ、と思いつつも「おかえり」と言ってやる。
「随分と飲んだんだな」
俺の分がないな、そう言いながら俺の横に腰掛けてテーブルから一缶手にする。
「遅かったんだな」
時計はすっかり夜の時刻を指している。昼までだといっていたはずだ。
「興味深い発表があってな。終わってからも話を聞きに行ったんだ」
連絡なら入れたはずだが聞いていないのか、とも言う。
昼過ぎから部屋から出ていないと言うと彼は納得したようだった。部下も俺がオフだからあえて伝えなかったのだろう。
「メシ食ったか?食ってないなら作るけど」
テーブルにはサラミやチーズだとか加工していないツマミしかのっていない。
「それだけ酔っ払ってて何を言っているんだ。メシはもう済ませている。高松と帰りに食ってきた」
頬も目も赤いぞ、とキンタローは言う。
あたりまえだろ、酔っ払ってるんだから。そう思いつつも帰ってきたのは嬉しい。
帰ってきてすぐに俺のところへ直行したのだろう。少しの荷物と脱いでたたまれた白衣が床にある。
それはすごく嬉しい。
飲みながら、キンタローは学会で訪れた土地のことを話してくれた。
ルーザー叔父さんの知り合いだった人に会ったとか、発表後に思いもかけない質問を受けたとか。
取り留めない話だけれど、そのなかに高松の名は何度も出てきた。
杯を重ねるにつれ、キンタローも酔ってきたらしい。
酒も話すことも尽きてくると、俺へと手を伸ばしてきた。
くるくると指で俺の髪を弄る。引っ張ったり梳いてみたり。
長い髪がさらさらと彼の指先から零れるたびに俺の頬をくすぐる。
コイツは髪を弄るのが好きだ。俺もコイツに弄られるのが嫌いでないから止めないけれど。
「綺麗だな、お前の色は」
やさしく俺の髪を梳きながら、コイツはうっとりと口付けてくる。
頬にも口唇にもそして俺の黒い髪へも。
啄ばむようなそれはやさしく心地よい。
けれど、そのやさしさは俺だけのものなのか?
コイツが好きだという俺の髪色は黒。
一族には見られない色。
光のような金色とは違って深い闇に沈む色。
黒は高松と同じ色だ。
俺はいつも誰かの影なんだ。
サービス叔父さんにとってはジャンの影。
一族にとっては青い玉の番人の影。
俺は誰かの影でしかない。
俺がいることで親父の息子のグンマが寂しい思いをしてきたように、キンタローが俺の所為で24年間を棒に振ったように。
俺はいつも誰かを不幸にしている。
キンタローも高松を好きなら、彼に想いを伝えればいいんだ。
俺を高松の影にすることなく。
「お前、俺の髪弄るのは高松と同じ色だからだろ」
ああ、言っちまった。だけど、もう止められない。
誰かの代わりでいることは耐えられないんだ。
だが、俺の髪を弄っていたキンタローは手を止めて、
「シンタロー、少し酔いすぎだ」
と極めて冷静に言っただけだった。
そっけない一言。彼らしいといえばそれまでだが、ちっとも気にしていないような態度はムカっとした。
気にくわねぇ。
頭に血が昇っていく。
ああ、そうだよ。俺は酔っているよ。だけどな、もう耐えられないんだよ。
「酔っ払っていたってどうでもいいだろ。俺はお前のなんなんだよ!」
高松が好きなんだろ。だったら俺を代わりにするのはやめろよ。
俺のことなんてどうでもいいだろ。
「どうでもなんかよくない」
手首を掴まれて、ソファに押し倒されるように口を塞がれた。
酔っていた所為もあるのか、熱い舌が絡み合うたびに頭がぼぉっとした。
この熱さに、甘さに流されてしまいそうになる。
「っ…やめろよ、こういうのは高松にしてやれよ!」
無理やり引き離して口を拭いながら怒鳴ると、キンタローは目を丸くしていた。
「何で高松にキスしなくてはいけないんだ」
心底不可解、といった表情。ああ、ムカツク。
「だからっ!お前は高松のことが好きなんだろ」
「好きといえばそうだが、別にキスはしたくないな」
「嘘つくなよ!お前、高松の話しばっかすんじゃねーか!俺は誰かの影なんだよ。
俺とこういうことするのは高松の代わりだからだろっ」
パシンっと音が鳴った。
頬がジンジンする。熱い。
平手で打たれた。痛くはない。なにするんだよ、と抗議するとお前が馬鹿だからだと返ってきた。
「シンタロー、俺はお前が好きだ。キスしてみたいとかそういう欲求がするのはお前だけだ。
お前は高松の代わりじゃない」
ゆっくりと一語一語噛み締めるように口にする。
俺だけ…?とぼやっとした頭で聞くとそうだと返ってくる。俺だけなのか?
「じゃあ、高松は…」
それでも言い募る俺にキンタローは親代わりみたいなものだと答える。
親代わり。たしかにルーザー叔父さんは亡くなっているし、高松はコイツの後見人だ。
じゃあ、俺がこんなに悩んでいたのは…
(馬鹿みてぇ)
うわーうわーと心の中だけで叫ぶ。恥ずかしい。一気に体温が上昇していく。
ああ、もう馬鹿だ。俺はなに考えていたんだ。
「まさか、お前が妬いてくれるとは思わなかったぞ」
追い討ちをかけるようにキンタローが口にしてくる。
ああ、もう思っていても言うなよ。
「そんなに俺は高松のことを話していたのか」
「自覚がねぇのかよ」
笑いながら聞いてきたキンタローに思わずムッととなる。
だいたい、お前がいけないんだよ。俺の前で他のヤツの話をするから。
「それは悪かったな。以後、気をつける」
キンタローの返答はあっさりしたものだった。
ああ、もう恥ずかしい。馬鹿だよ、俺。コイツはそういうヤツだったんだよ。
「それで、シンタロー。誤解が解けたのはいいとして、俺に言うことはないのか?」
ああ、もう分かってるよ。口に出して言えばいいんだろ!
「…疑っちまって悪かったよ。でもな、お前もいけねぇんだよ。
俺だけ見てろよ、俺の前で他のヤツの話なんかするなよ」
酒の所為だけではなく顔を赤くして言う俺に、キンタローは口唇だけでなく目の奥も笑っていた。
ああ、もうムカツク。
俺だけかよ、お前のことが好きで仕方がないのは。
「お前は酒が入ると素直になるな」
それから中断していたキスをコイツは再開した。
自信に溢れた表情が憎らしい。
ああ、また熱い舌が絡まってくる。
「シンタロー、お前は俺にとって光だ」
影なんかではない。代わりなんかじゃない。
囁かれて不安だった心が蕩けていく。
不安と酒に寄っていた気持ちから、今度はコイツに酔っていく。
不安はもうない。
あるのはこれから起こることの期待だけ。
部屋の中の闇も高松のことももうどうでもいい。
俺はキンタローに酔い痴れていく。
初出:2003/09/21
ヤシロナナ様に捧げます。
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ホームシアター
白と黒で構成された画面からはキーンと警告音が鳴り響いている。
パニックになる女性と彼女に襲い掛かる人間の荒い息。
サイコ。ヒッチコックの代表作の一つらしい。
俺の部屋へ飲みに来た従兄弟が気まぐれにつけた深夜番組だ。
照明を暗くした部屋にときおり正面の画面が強い光を放ち、窓から射し込む月光や淡い電光よりもずっと鮮明に従兄弟の体が浮きあがる。
暗い部屋に溶け込む闇色の髪と瞳。
少し、日に焼けた小麦色の肌。
汗と生理的な涙を溜めた睫毛。
きれぎれにくっきりとした従兄弟の扇情的な姿が俺の前に映し出される。
ホラー映画の、観る人を次第に興奮させていく音との相乗効果もあいまって、すでに映画の内容を気にしていない俺自身も高ぶってくる。
ブロンドのヒロインは白。
彼女の協力者の男は黒。
滅多に見ることのない昔の映画は、この二色の濃淡でできている。
目の前の従兄弟は、黒だ。
深くて何色をも包み込んでしまう色。
俺の眼前で黒い色が揺れている。
わずかな酒と互いの体温とで温められた赤みを帯びた黒。
長い髪を振り乱し、眉根を寄せて俺を煽る。
近づきすぎるくら密着した体勢で互いに相手を指や舌や歯や声をも使って高めさせていく。
彼の黒い瞳の端へとやさしく口付けをしても攻める手は休めさせてはやらない。
飴と鞭を使うように攻め立てて、彼から思考を奪っていく。
どちらが、勝つか。どちらに流されるか。
まるで手合わせをするかのように挑みあう。
もっとも、せっかく俺の体に馬乗りになるという絶好のポジションをとったシンタローもすでに降参した。
互いの軽い愛撫からはじまったこの体勢も、彼のポイントを先取した結果だろう。
かえってこの体勢が仇となって、抵抗らしいこともできずに俺の背へと腕を回している。
ときおり彼の背面から白い光が当たったとき、俺は従兄弟を煽る指先や舌の動きを止めてみせる。
やめんなよ、と上から俺に縋りつき、甘く擦れた声を耳元で響かせてくる。
熱い息が耳朶に触れ、そのまま従兄弟に甘噛みされるとくすぐったさと同時に背筋がぞくぞくしてくる。
湧き上がる快感と体の下部に血流が集まってくる感覚。
手合わせなんかとは比べ物にもならない、例えて言うのなら殺るか殺られるかの勢いで戦場で標的を仕留める感じにも似ている。
独特の高揚感と、陥落した従兄弟の極上の体。
もう、この勝負はクライマックスだ。あとは喰らい尽くすだけ。
「シンタロー」
俺の首筋に顔を埋めていた従兄弟の耳に低くささやく。
なに、と擦れた声が出る前の空白を見計らって、彼を一突きにした。
二人してソファにもたれかかりながら、荒く息をつく。
俺は従兄弟の体重を支えていた疲労を、彼は俺に攻め立てられた体の鈍さを濃く引きずっている。
普段は必要なものしか置いていない、殺風景な部屋だというのに今は行為の気だるさと情事の後の特有の空気が漂っている。
テレビの画面からはエンディングロールが流れていた。
結局、彼女がどうなったかは分からない。
もともと従兄弟がチャンネルを合わせたときから、さして興味がなかった。
リモコンを探そうと床の上を手探りしていると従兄弟の方が先に見つけたらしい。
プツッと画面が消え、部屋の中の闇が濃くなった。
「なんだか分からない映画だったな」
音がすごかった。
とくに話すこともなかったがなんとなく口にすると、従兄弟は俺は見たかったんだとブツブツ呟いた。
そんなこと、俺に言われても困る。
発端は俺にあるかも知れないが、こうなった責任の半分以上は従兄弟にある。
そもそも、今こうして二人で疲れきっているのも映画の途中での軽口が原因だ。
映画が始まってすぐにでてきたモーテルという耳慣れない単語を従兄弟に尋ねたとき、従兄弟はラブホテルのようなものだと言った。
元来は自動車で旅行する者の簡易ホテルだったらしいが、転じたらしい。
「おまえが18のとき泊まったヤツだな」
「なっ!!!」
どうしてそれを、と胸倉をつかみ上げるように慌てた従兄弟に、「落ち着け、24までおまえのことで知らないことなどない」と言う。
ぐっと詰まった従兄弟を見るのはおもしろい。もう少し苛めてやろうかと思って、証拠を並べてみる。
「マジック叔父貴が遠征に出かけて護衛が手薄だったときだったな。
士官学校もちょうど休みに入っていたし、護衛をいらないといって街へ出かけたときだったな。
付き合ってたヤツと体育倉庫風の部屋とかいうのを選択したんだったな。そのあと、たしかおまえは…」
そこまで言ったときに口を手で塞がれたのだ。
分かった。それ以上言うな!もういい。従兄弟が顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
そんなに大声を出さなくても、と思ったが俺から手を離してもうわーうわーと頭を抱える様子を見るとつい笑ってしまう。
笑う俺が気に障ったのか、上目遣い気味で仕返ししようと俺に技を仕掛け始める。
訓練場とは違い私室なので本気にはなれず、ジャレあいながら床の上を転げまわる。
ひとしきり転げまわった後、テレビに目をやるとブロンドの女が男と軽いキスを交わしていた。
それは挨拶程度のものだったが、なんとなく画面を見ていた俺に従兄弟は悪戯を思いついたらしい。
「なぁ、おまえこういうキスしたことあるわけ?」
とにやりと笑みを浮かべながら聞いてきた。
「こういうのは、ないな」
いくら、イギリス系白人だからといってこんな軍隊でそんな挨拶をするわけがない。
「だよなぁ。じゃあ、こういうのは?」
俺、ちょっと自信あるんだぜ。
そう言って、従兄弟が俺へと濃厚なキスを仕掛けてきたのがきっかけで。
それから今の俺たちの状態になるわけだ。
「ったく。どこで覚えてきたんだよ」
こんなこと…と俺の口唇を指の腹でなぞりながら口にする。
心地よい倦怠感のなか、なにも身に着けていない従兄弟を引き寄せてやる。
汗が引いた後は少し肌寒い感じがした。
「さあな。お互い様だろう」
不公平だ!俺はおまえの相手はしらねぇぞ!
大体、なんでおまえ、俺の弱いトコばっか知ってんだよ!
よくそんなに元気があるものだ、と思う。少し前までは可愛げがあったのに、まったく。
ぎゃあぎゃあと喚く従兄弟を黙らせるために、俺は笑みを浮かべながら声をかける。
「シンタロー」
「何だよ」
「俺はおまえとずっと一緒にいたからな。おまえの記憶だけじゃなくて感覚も大体分かる。
おまえが誰とシたのかだけでなくて、なにに感じたのかもな」
まあ、不公平といえばそうだな。俺は、おまえの研究をし尽くしているからな。
情事の後が残る従兄弟を見ながら言ってやると、シンタローはうっと目を逸らした。
「おまえとは、もうヤらねぇ」
心底、うんざりした顔で言うシンタローの表情は可笑しかった。
これだから、従兄弟をからかうのはやめられない。
初出:2003/08/29
香り
ごろり。
ブルーカバーに掛かった読みかけの本を、肌触りの良いソファの上で寝読みする。
行儀は悪いが、今は常に威厳と尊厳を持ち始終緊張感に縛られる総帥任務から離れた、やっとのフリー時間。
こんな時まで、小さい事を咎める無粋者もいない。
いや、一人いるか。妙に行儀に煩いヤツ。
しかも目の前に。
何でも専門分野の研究の一つで、すっげー困難だったものらしかったがやっと目処の立ちそうな結果が導き出せそうだとかで、
コッチの脳みそがショートしそうな程意味不明な横列の報告書類を、
四方八方に―――けれどごちゃごちゃにしてるんじゃなくて綺麗に―――並べて、ノートパソコンと対峙している。
この部屋の主で、数年前まで俺と同体だった従兄弟。
従兄弟と言うより双子が近いんじゃないかと思う。
見た目は全く似ちゃいないけど。
俺とキンタローは任務以外でも一緒にいる。こうしてプライベートでも。
理由は『ずっと一緒に居たいから』と至ってシンプル。
当然と言えば当然だ。俺達は≪恋人同士≫だし。
好きなら常に一緒に時間を共有したいって思うだろ?
それを記憶からは薄れた誰かに言ったら、そいつには「常にってのは嫌だ」とか「飽きる」「うざったく感じる時だってある」
と言われた。
確かにあるな、そう感じる時。
けどそれは仕事の時には思っても、こうしたプライベートではうざいと感じた事はない。
それはコイツも同じだろう。
じゃなきゃ俺がコイツのトコに行かないと、自分の方から毎日でも来るって事ないよな。
いつもキンタローの部屋にいる訳じゃなく、お互いの気分次第で変わる。
昨日はキンタローが俺の部屋に来た。
それが嬉しくて………悔しい。
あー、馬鹿だ。
どうしようもなく馬鹿だ、俺。
コイツの事、マジで惚れまくっちゃっうなんてさ。
コタローを越える存在なんて、生涯絶対ないと思ってたのに。
コタローが一番のつもりなんだが、………コタローは特別の別格ってヤツで、キンタローは…………最愛?てか最恋??
いや、それもなんだかなー。
理由はよく分からないが、一緒に居ると安心するんだよな。
やっぱ好きだからだろうか。
と、今までパソコン向きだったキンタローの顔が俺に向いた。
こんな事すら嬉しい、なんて。
「何だ?」
「は?」
何だって、何が。
「いや、さっきから人の事を凝視してくるからな。何かと思った」
そういう事か。
特に何もないと答えると、あっさりと納得したらしい。
言えないだろ。見惚れてたなんて。
「邪魔したか、悪ィな」
本はまだ手に納めたまま、よいしょっと声を出して起き上がった。
「構わない。たった今終わらせた」
言いながら背後に回って俺の肩を抱くのは、キンタローの癖らしい。
いつもの事だから驚きはしないが、何かいつも以上に顔を寄せられてる気がする。
僅かに感じるコイツの吐息。
「何だよ?」
「いい匂いがする」
「どこから」
「お前からだ」
俺から?
まだシャワーは浴びてねえからシャンプーの匂いって訳じゃないだろうな。
けど香水類はつけてねーし。
くん、と自分の髪の一房を掬い、鼻先に近付けてみるが特に何も匂わないぜ?
「何の匂いだ?」
「さあな、分からない」
「何だよそれ」
分からない匂いなのに『いい匂い』なのか?
石鹸とか花とか、食べ物の何かとか………それのどれかとかと聞くと、どれとも違うと言う。
結局結構長い時間その体勢が続き、「良い匂いがする」と言い続けてきた。
悪い気は起きないが、すっきりしない問いと出ない答えが尾を引いた。
翌日、おやつに誘いに来たグンマに昨日の事を何となく話すと、最初は「う~ん………何だろうねぇ…」と眉を押せて可笑しい程真剣に悩んでいたが、急にパチンと嬉しそうに手を叩いて身を乗り出した。
「分かった!それってさ、“シンちゃんの匂い”なんだよ!」
いや、だからさ。
「俺の匂いって何の匂いだよ」
「だ~か~らぁ~、“シンちゃんの匂い”なんだって!う~ん…………そうだね、体臭?が一番近い表現かな?」
あんまり表現良くないけど、と付け足す。
体臭ってったって何も匂いつけてないぞ?
「僕もね、感じる事あるもん。シンちゃんから」
結局正確な答えは望めなかった。
悶々としたまま疑問は解けず終いで今日がもうすぐ終わる。
職務から解放された俺の傍にはやっぱりキンタロー。
今日は俺の部屋で一昨日借りてきたビデオ鑑賞。
それももうEDだ。
真っ黒画面に白い文字でキャスティングがスクロールされる。
そんなものは見ても別に面白くない。
興味を失った画面から目を互いに外し、唇を寄せ合う。
―――あ…。
思ったというより気付いた。
『理解した』が的確な表現か?
唇が離れ、銀絃が名残惜しげに泣き別れた。
「……そうか」
「どうした」
「あー、成る程ね」
グンマの言ってた事、こういう事か。
一体何だ。何を自己満足してるんだと眉間に皺寄せするキンタローに90度背を向けて笑った。
「何だ、一体」
「くく……っ、別にィ」
安心出来るいい香りを感じたんだ、お前から。
けどさ、花とか香水とかシャンプーの匂いとかじゃないんだよな。
体臭?ん~、よく分かんねーけど、感じたのは
“キンタローの匂い”
--------------------------------------------------------------------------------
* 風邪はお大事に *
よく晴れた日の事でした。
「え~!?シンちゃん風邪引いたの!?」
「なら見舞いが必「うつるといけませんから絶対に駄目です。キンタロー様。グンマ様もですよ」
「えぇ~!?」
「シンタローの風邪ならうつっても別に構わ「駄目です!いくらお二人の頼みでも駄目です!!
せめてもう少し熱が下がってからでないとシンタロー様にも負担がかかるんですよ?」
「…はぁ~い……」
「……………」
「あ~……、…だりぃ」
ごろり
寝返りするのも頭に響く。
ギリギリまで全然気付かなかった。
いや、確かに一昨日からなんかだりぃな~とは感じてたけど。
チョコレートロマンスからの書類を受け取って…………………………それからの記憶がない。
突然視界が暗くなったんだっけかな?
……で、気付いたらここ(医務室)に居てこうして寝ている、と。
はあ……、親父が居なくて良かったな。
俺が倒れたと知ったらどうなるか、嫌と言うほど行動パターンが分かりきってるし。
熱は運ばれた時よりは下がってるんだが、まだ絶対安静だとかドクターに釘打たれた。
いくら俺でもここまで体調悪いって理解したら、今後の効率を考えれば今日はもう仕事はしねーんだけど。
下がったってたってまだ38.5分あるし。(倒れた時は39.5分だったらしい)
「だからってせめて簡単の書類の10枚くらい、目を通したいんだがなー…」
それも駄目だと言われた。
反論しようとしても一言話すのにもすっげー労力要って辛い。
何より普段はあのおちゃらけたドクターにあんな真剣な目で押し留められれば、子どもみたいに駄々捏ねられない。
心配してるって分かるからな。
そうは分かっちゃいるしすっげー気持ち悪ィが……………………暇だ………………はぁ…。
カラリ
医務室の扉がやけに慎重に開いた。
幻聴かといぶかしむくらい小さな音。
???ドクターか?
「何だ。起きているのか。……それとも今の音で起こしたか」
あ、キンタローだったのか。
「いや、別に。起きてたし。見舞いに来てくれたのか?」
「ああ。高松には入ってはいけないと言われたが。だからと言ってもお前が倒れたんだ。
駄目とは分かっているが納得は出来なかったからな」
「けど医務室の前には警備兵が数人いたろ」
どうやって入ったんだ。
ガンマ団総帥である俺が弱っているとなると、それを狙っての敵襲とかの心配があるんで警備兵の手配を(ドクターが)した筈だ。
ドクターがキンタローすらここに入ってはいけないと言ったなら、
当然警備兵達にもコイツすら入らないようにも言ったと思うんだが。
「邪魔な奴等が扉の前に居たが瞬時に手刀で気絶させた」
オイオイオイ~~~………そりゃあヤバイんじゃねぇか?後々に色々と…。
何か色々と思うところがあり過ぎてガックリと肩を落とした―――と。
ぐぃ
「!?」
ゆっくりだけど突然にキンタローの胸に抱き込まれた。
何だよ!?いきなりどうしたって……っ!
わたわたと狼狽している俺に、気にせず言ってくれたその言葉。
「俺がいる。いつもお前の傍に俺が居るんだ」
キンタロー……。
「安心して休め。何も気に咎めるな」
仕事の事もそれ以外も何もかも、との言葉が柔らかい。
まるで母親のように俺の頭を優しく撫でた。
…そうだ………いつだってコイツは俺の傍にいる。
嫌と言うほど知ってる筈なのに、こうして改めて教えられると初めて知ったような初々しい想いに駆られるのは何故なんだろうか。
「ん」
小さく頷いて笑顔を見せる。
だってよ。マジ嬉しいし。
俺のこんな表情を見せてやるのはコイツの前だけだ。
「シンタロー」
ああ……、声の音がこんなにも優しい。
きっとコイツだって俺の前でしかこんな声色を出さない。
自惚れじゃねえよ、ちゃんと俺は知ってるんだよ。
大好きな声にふらふらと誘われて、胸に押し付けられていた顔を躊躇いなくあげる。
そんなに強く抱きしめられてた訳じゃない。
「何だよ――――~~~んっ!」
触れた、熱いコイツの唇――――ってえぇ!?まてマテ待て――――!!!!
「ぷはぁ!」
そんなに長くでもないし舌も入れてねえけど、弱ってる身体にはかなり苦しい行為。
軽いソレだけど肩でゼエゼエと荒息を吐き出す。
擦ってくれるキンタローの手が優しい………………………って、おい。
「~~~馬鹿ッ!風邪マジにうつったらどうするんだよ!」
「うつせばいいだろう。うつっても俺は全然構わない。たかが病原菌よりお前が苦しむ姿の方がずっと耐えられないからな」
お前のいち早い回復した姿は俺の為でもあるんだと言うコイツに……俺は……
ゴンッ!
力の限り頭を殴ってやった。
風邪で力全然出てないからそんなに痛くない筈だが。
「何をする」
「大馬鹿者」
「それが殴った相手に言う言葉か」
かなり心外と言った顔で俺を軽く睨んでくるが俺の方何倍も怒ってるんだよ。
何でコイツは分からないんだよ。
頭いいと思ってたが、ホントは馬鹿じゃねえの!?
「そんな事言われて俺が嬉しいと思うのか?お前は」
「思うか思わないかは知らな…」
途端、あ、という表情で固まったコイツは
「すまん」
と一言。
自分がどんな無神経な事を言ったか、やっと気付いたかよ。
「お前が風邪引いたら、今度は俺が苦しいんだよ」
お前が俺の苦しみが耐えられないのと同じで、俺だってお前が風邪で倒れたら辛いんだよ!!
俺の為だとか言って、そんなの押し付けの愛情だ。
いらないイラナイ要らねえよ!!!んな気遣いなんかッ。
きっと今より苦し過ぎる。
「…そうだな。すまなかった。確かに失言だった……」
馬鹿だ…。
「だから泣くな」
は?俺は別に。
ぽたり
・
・
・
え?
ぽたり
ぽたり
・
・
・
・
・
ふと言われて気付けば、シーツと俺の手に濡れて出来た幾つもかの大きな染み。
「風邪の所為だ…ッ!風邪の所為で無意味に涙腺が緩むんだよ…ッ!!!」
知らずに涙が出ていた。
俺の事をこんなにも想ってくれるコイツに嬉しさと自己犠牲を何とも思わない愚かさに。
ヤベエ…ッ、止まらねえよ。
キンタローが軽く肩をぽんぽんと叩いて横になるよう促す。
吐き出す台詞は相変わらずキザっぽいのに、他のヤツラなら鳥肌モンの台詞も
コイツからは意図してるものじゃなく天然からだからなのか、そんな感じは受けない。
しつこいようだがしょうがない。
湧く感情は、ただ嬉しいだけ。
「なら風邪を早く治さないとな。お前には泣き顔より笑ってる方が……………俺は好きだ」
「分かってる」
「横になっていればそのうち眠くなる」
俺の手を壊れ物を扱うように、でもぎゅうっと握って傍に居てくれた。
小さい子どもは母親にこうしてもらうと眠れるらしい。
コイツは間違っても俺の母親じゃないし俺も子どもじゃないが、………あぁ、段々眠くなってきた……。
……………あ、そうだ。なあキンタロー。
風邪が治ったらお前が好きだって言う笑顔を沢山見せてやるよ!それと何処か出かけるぞ。
ん~、デートってヤツ?
仕事はたんまりあるけどな、少しだけでも何処か行くぞ!
だからその時風邪うつったって倒れてんなよ?
明日も、晴れるといいね。
--------------------------------------------------------------------------------
* 可愛い嫉妬 *
「何をしている」
「ああ、キンタローか。見て分かんねぇ?幾ら初めての体験っつたって知識として知ってるだろ。コレ」
目の前で―――未だ深い眠りについたコタローの寝室で、せっせとその作業をしているのは毎日毎日総帥職で多忙な筈の従兄弟。
コタローの事実上の義理兄。
二十四年間共に体を共有せざるを得ず、自由の身となってからも、当初は憎しみの対象にしかならなかった筈の相手と
今では恋人同士の仲なのだから、初めて世界に出ることが叶った一年前の俺から見れば驚愕ものだろう。
従兄弟であり恋人であり一応上司でもある、けれど互いに双子よりも近い彼―――シンタローは、
師走の今は普段の多忙に幾数もの輪っかをかけて時間に追われている筈が、コタローの背丈程まであるか否かの
小さめの作り物組み立てモミの木に、星やら天使やらバカデカイ靴下やら様々な飾りをせっせと飾り付けている。
「クリスマスツリーだな」
「ああ。この前遠征に行った時に丁度良い大きさのを買い物中に見つけてさ、買ってきた」
「しかし、クリスマスツリーなら毎年いつものがあるだろう」
マジック叔父貴が溺愛しているシンタローの為に彼が生まれた頃には買ったのだろう、
数百人は収容可能な大広間の天井にも届く程の巨大クリスマスツリーが。
外にもクリスマスツリーは飾られるが、それはあまりにも大き過ぎて地上から見ようとするのは首が痛くなるだけだ。
最低六階以上の部屋から見れば楽しめるらしい。
俺が提示したのは大広間に飾る方で、シンタローもそちらの方を思い出したようだ。
「あれか?あれ出すのは毎年クリスマス当日になってやっとの夜中だろ」
遅過ぎなんだよなーと眉を顰めて、けれど手は休めずに独り言のようにぼやいている。
「遅いのか?」
「あのなぁ………。クリスマス当日―――じゃなくても前日になってから飾っるってのはかなり遅いだろ」
「そうか?」
クリスマスイベントはイブを含めて24と25の二日であり、その日の為にクリスマスツリーを飾るのだろ。
ならばそれ程遅いとは思えんが。
俺の心情を察したのか会話からの繋がりからか、溜息交じりでシンタローが補足をする。
「たった二日だけ飾って直ぐしまっちまうのは呆気なさ過ぎとか思わないわけ?」
そう言われてみればそうなのかもしれない。
たった二日飾ってそれで終りと、あっさり片付けてしまうのは情緒にも欠ける。
かと言ってクリスマスの直ぐ後には正月という大行事が控えており、
その為の大掃除に25日以降にツリーを飾るのは邪魔になってしまう。
クリスマスを一日でも過ぎたツリーは意味を持たないただのオブジェと化す。
思い出せば、コイツが子どもの頃は直ぐに片付けてしまう、たった二日限りのクリスマスツリーに寂しさを覚えていた。
「だからこうして飾ってるんだよ」
語尾を言い終わる前にツリーの天辺に金の星を乗せて固定させた。
ツリーは完成したらしい。
広間のそれと比べ迫力はないが、従兄弟に組み立てからされ飾り付けられた小さなツリーは、
眺めていると不思議に穏やかな気持ちになってくる気がした。
理由は簡単だ。
従兄弟が小さな弟の為に心を込めて飾り付けをしたのだから。
シンタローにとって大事な大事な弟のコタロー。
俺にとってもその想いは変わりはしない………………………………………………………が。
「何?お前もじぶんの部屋に欲しいの?コレ」
「いや。これはコタローの傍にあればいい」
凝視と呼ぶに相応しい程ツリーに目をやっていたからかそう勘違いを起こしたらしい。
欲しくない訳ではないがツリーを欲しがるほど子どもではない。
それよりも今は。
「今俺が欲しいのはこれだな」
「うわっ!!」
ツリーよりも、もっと切望しているものは。
「離せ降ろせ――――ッッ!!!」
「飾り付けは終わったんだろう。それに大きな声を出すな。コタローが目を―――覚ますのはいいか」
「一人で自己完結するな!それよりこれからほったらかしておいた仕事に取り掛からなくちゃならねーんだよ!」
腕に抱えた愛しい体温。
「安心しろ。そう時間はかけない」
「嘘つけッ!!そう言って前も―――――――んんッ」
反論を封じ、唇を深く重ね合わせ舌を滑り込ませると、暫くすればシンタローもそれを絡めてくる。
ようやく離してやると、息苦しかったのか涙目で、しかし口元は意地悪げに微笑していた。
「お前…、嫉妬してたんだろ?コタローに」
おかし過ぎると腹を抱えて大笑いを始めたシンタローに
「ああ」
肯定してやれば笑いがぴたりと止まった。
嫉妬していたのは事実なのだ。隠す必要性もない。
嫉妬していただろうと問うてきたのだから正直に答えてやったというのに、何故かシンタローは耳まで朱に染めて
「馬鹿野郎!!ストレート過ぎだテメエは!!!!」
と怒鳴ってきた。
叱られる理由はイマイチ分からんが、あまりにも不安定な抱え方だというのに腕の中暴れるのとシンタローを欲っする想いから、
もう一度、先程より深く甘いそして略奪するような熱い口付けを落とした。
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* 狂乱の踊り子 *
物騒な言葉を、前触れも無くヤツは吐き出す。
何がキッカケという事も無い。
思い出したら口にする、ただそれだけだ。
実際有言実行に移る訳ではないし、それだったらとっくにオレかあいつかのどちらかがとっくに死体になっている。
オレに対しての暴言だが、面と向かって言われた事は殆ど無い。
主に傍に居る機会の多い高松やグンマが耳にしているらしい。
これはグンマから聞いた。
高松は慣れたように軽く嗜め、反対にグンマは焦って止めたり怒って見せたりするそうだ。
早く仲良くなってよね
困ったように数日前グンマが言ってきた。
そう言われてもなぁ………。
オレが歩み寄っても人見知りして警戒心を剥き出しにする獣のような目をされるんだぜ?
明るく「よッ」とか「調子はどうだ」とか聞いても「あぁ」だの「見て分からんか」だの素っ気無い返事しかしないんだぜ、あいつは。
なら、シンちゃんと仲良くなるように、ボクがキンちゃんを説得してくる!
飲みかけのミルクセーキを放り出して意気込むグンマの額に軽い拳を一つお見舞い。
涙目で講義してくるグンマにニヤリと含み笑いを返す。
馬ー鹿、んな事してくれんなよ。
なんでさー!だって二人共早く仲良しにならなきゃ…!シンちゃんはキンちゃん嫌いなの!?
必死なコイツには悪いと思いながらも、大丈夫だからの一言で強制的に話題を打ち切った。
反論される前にその場を立ち去ったんだが………。
いいんだよ。これはアイツとオレの事だから。
一心にオレに、オレだけに向けられる感情(コトバ)を始めは不快にしか感じなかった。
オレの知らぬところで幾つもの想いが交差しぶつかり合い時に交じり合って生まれた亀裂は奇跡。
本当に極最近、気付いた。
キンタローの殺意のメッセージに内包されているものに。
そしてその大切に包まれていた感情の喜びに。
ずっと待ち続けていた感情(コエ)に、甘く酔いしれる。
もっと、もっと
いっそ泣きたいほどに痛いくらいの想いを、オレに寄越せよ。
キンタロー。
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それは、本当に一瞬の事で。
ドオオオオオオオオオオオンンッツッツツ!!!!!
「シンタローッ!!!!!!!!!!!!!」
ガラガラガシャン……ッ
「シンタ……」
伸ばした手が…届かなかった。
THANKS
ピ ピ ピと、医療器械音がやけにリアルに耳を滑る。
先程までマジック叔父貴やグンマ、コタローも居たこの無菌部屋も、
今は俺と、主に高松の説得で部屋を後にした為ひっそりと静まり返っている。
無菌部屋にいつまでも多人数は居られないからだけでなく、いい加減夕食の時間も過ぎている。
昼食も全員まだとっていなかったのだから、腹は空いている筈だ。
…とは言え、グンマ達の先程の様子では飯は殆ど口をつけていないだろう。
いつもシンタローの前では笑顔を振りまき、シンタローが怒っても嬉しそうに自分に都合の良過ぎる解釈をするマジック叔父貴は
顔が蒼褪め、眼は信じられないのだと語るばかりに見開かれたまま、息をするのも忘れていたのではないかという状態だったし、
グンマも蒼褪め、目尻にはうっすら雫が溜まっていた。
コタローに至っては「嘘、うそ」と首を振り、溢れる涙を止める術もなく両手で顔を覆い、ただただ激しく泣いた。
それが数十分前までの事だ。
三人共、とても食事を取れる心情ではない。
勿論それは俺も同じだ。
だが、誰かが冷静さを保っていなければならない。
グンマとコタローはマジック叔父貴に任せて、俺だけがこの部屋に残った。
シンタローが事故に合って直ぐ負傷と意識不明のシンタローはガンマ団最高クラスの医師達に委ねられ、
その中には当然ながら高松が居合わせてた。
「で、どうなんだ。シンタローは」
「命に別状はありません。いやはや全く運の強いお方ですよ、彼は。
あれだけの鉄筋が雨のように降ってきたというのに」
俺と事件直前周囲に居た団員からの報告を纏めたカルテを軽く口元に当てて、まず先にシンタローの命を保障する。
咄嗟に眼魔砲を打って何本かは破壊出来たが、それだけでは足りず、数本がシンタローに容赦なく降り注いだ。
防ぎきれないと判断して直ぐにガードしたらしいが、背中を強打し、痛々しい外傷を残し反対に意識は消えた。
今のシンタローは意識不明の重体という状態で。
「外傷は背中が最も酷いですが、今まで私がシンタロー様の傷を治療してきた過去と照らし合わせますと
おそらく跡も残らないと思われます」
流石ですねえと軽口で褒めるが、それはこの重い空気を和らげる役目を果たせなかった。
「意識の方はどうなんだ」
「……………」
「高松」
「……………」
「たかま」「意識が回復する確率は」
俺の言葉を遮り、下唇に張り付いていたカルテを放してもう一度検査結果に目を通している。
何度も何度も検査し直したその結果は―――
「確率は7%」
視界が暗く揺らぐ。
黒と白が渦を巻いて訪れるマーブリング状の眩暈に襲われる。
「それがシンタロー様の意識が回復する、一番希望を持ってみてもの確率、です」
7%も意識が回復する確率があるんだ。
そう俺自身に言い聞かせても、“も”は“しか”になる。
シンタローの生命力と運の高さは知っている。
シンタローは必ず意識を取り戻すと信じている。
信じているなら、この胸の重みはなんなのだろう。
今日はもう遅い。
マジック叔父貴に高松から聞いたシンタローの状態を伝え、俺は自室へと戻った。
シュンッと軽い音を立てて開かれた、俺の部屋、の、ベットに見える
「……誰だ」
人影。
誰も居ない筈の薄暗闇に問う。
暗闇の中の人物は完全なシルエットになっていて、誰なのか、はっきりとは識別出来ない。
暗闇に紛れているとはいっても、隠れもせず人のベットに腰掛けている“影”。
気配を感じないのは消しているのだろうが、堂々とシルエットを見せておいて気配断ちする無意味さが不可思議だ。
そういえば息遣いも全く聞こえない。
体系からして間違いなく男だとだけ分かった。
誰にしろ、一族の者以外が俺の部屋に勝手に入っているのだ。
何の理由にしろ不法侵入者には変わりない。
右の手の平に気を僅かに溜めもう一度問う。
「お前は誰だ」
影は驚いてか少し揺らめき、けれどもまた腰をベットに下ろし握り締めた指を顎に当てているようだ。
その様子は戸惑っているように見える。
影が取る次の行動を様子見るが、相手もどうして良いのか判断出来かねているようで、ベットから腰を上げない。
しかし影の正体を知るのに時間は掛からなかった。
動かない俺達を促すように、雲が晴れたのか今まで身を隠していた月の光がブラインドの隙間からうっすらと差し込んでくる。
薄暗い空間でも知れた長く、黒い髪は僅かな月光を静かに受け止めていた。
戸惑いながらも常に強い意志を持つ黒い瞳。
男として整った顔立ちは、その持ち主は―――…。
「シンタロー……?」
まさか、そんな筈はない。
月光をバックに浮かび上がった男に目を疑った。
男は紛れもなくシンタローだ。
少なくとも見た目は。
だが、シンタローは意識不明の重体で特別看護室に横たわっている筈だ。
仮に俺が去ってから直ぐに意識が戻ったとしても、とても直ぐに動ける体ではなかった。
それに数え切れぬ程の傷を負っていたが、目に映る“シンタロー”は怪我一つ見当たらない。
どう反応を返せばよいのか戸惑っている俺に、“シンタロー”は困ったように頭を掻いた。
「あー…、なんつーか」
他人事のようにコイツは言った。
非科学的過ぎて、到底信じられない事を。
だがこれは現実。
「幽霊になっちまったみたいなんだよなー…」
………………
………………………………
………………………………………………ゆうれい…?
幽霊になった、だと?
幽霊というのはアレだな、『①死者のたましい。亡霊。②死者が仏になることができないで、
この世に現れるという姿。』(改訂新版現代実用辞典講談社編より)
死者…シンタローが?
そんな筈は無いだろう。彼はしっかりと呼吸をしていたのだから。
なら、目の前のシンタローはどう説明をするというのだ…?
「一体何がどう…」
足元が揺らぐイメージに、言葉が最後まで続かない。
ひび割れおうとつが出来た脆いガラスの上に立っているような気分だった。
「ん~?…なんか……鉄筋が降ってきて、鋭い痛みが襲ってきたと思ったら、意識がなくなって………、
次に気が付いたらココに居た」
「…………」
どう…反応し、対応すればいいんだ?
シンタローは意識不明の重体で高松が付き添う医務室に意識を沈めている。
今夜はずっとシンタローを診ているだろう。
万が一、シンタローが目を覚まし動ける状態にまで回復したなら直ぐ俺に連絡する。
高松が目を離さない限り、無断でコイツが医務室から出ることは出来ない。
第一、あそこはパスワードを入力しなければ出ることは叶わず、それを知っているのは高松と
以下所属している医師団そしてハーレムを除いた青の一族(ハーレムに教えてしまうと情報が
外部に漏れる危険性が極めて高い為)、そしてシンタロー直属の秘書のティラミスとチョコレートロマンスだけだ。
「すまん」
「は?」
詫びの言葉を口にした俺をなんだ突然とシンタローが見返す。
「なんと反応を返してよいか…分からない」
それで謝ったのかよとシンタローは小さく笑った。
「仕方ねえじゃん?いきなりだし、しかも幽霊だしな」
それにお前の所為じゃないだろと慰めるような瞳で苦笑した。
「悪いなら俺だろ?あそこで注意を怠った総帥である俺のミス」
だからお前は悪くねえの、謝る必要もねえの。彼は言うが、シンタローを護るのが俺の使命だった。
だれかに命を受けたことではない。
シンタローに頼まれたことでもない。これは俺と俺との約束だった。
そんな俺の心中を見透かしたようにシンタローは困ったようにくすりと笑った。
心配する側の筈の俺が、逆に彼に心配されていた。
僅かだが、俺も笑みで答えた。
…苦笑、だったが。
「は~、それにしても…」
大きく息を吐き出し自分の手を宙に翳して見る。
その手は僅かに透けていて、手の平越しに天井が見えるらしかった。
「俺、死んじまったのかよ~…」
ガックリと肩を落として見せるが、先程からシンタローは深刻な状況を軽くスラスラと口にする。
俺より彼の方がよっぽど現実に楽観でいられた。
現実味がシンタロー自身、無いのかもしれない。
“気が付いたら生霊になっていました”などは極めて非日常だ。
まぁ、コイツは以前も生霊になったことがあるが、あの時と原因が大きく異なっている。
解決策もあの時と同じには決してならないだろう。
つまりはこれからどうすればいいのか見当が付かない、のだ。
それでも―――
「いや、お前の本体はまだ生きている筈だ。いや、生きている」
そうだ。
あの時シンタローの体はオレが所有することになり、コイツはジャンの再生した体に移った。
しかし今度は違う。
もう今のシンタローの体は紛れも無くシンタロー自身のモノだ。
他の誰と争うものではない。
そしてその体は生命の温かさを今も休まず必死に維持しているのだ。
「でもよ、ほら」
ふわりと音もなく体を浮かせ、窓に近付く。
「窓にも映らねえしいくら派手に動いても音出ねえし第一空中に浮かんでるし物掴めねえし」
おまけに体も若干透けているしな。
「俺にも何がなんだかさっぱりだぜ」
誰か説明出来るヤツが居たら教えて欲しいっつーの!苛立ちとそれ以上の困惑がシンタローの神経を甚振る。
軽い口調だったからこそ今まで気付かなかったが、シンタローの方が余程困惑していたのだ。本当は。
だからこそ余計に俺が冷静にならなければいけないのだ。
「つまり、今のお前の状態は『生霊』というヤツか」
―――だが…。
シンタローの黒絹髪が、薄く開けたままの窓からそよぐ夜風に誘われて、俺の鼻頭を擽った。
そのくすぐったさに軽く眉を顰めると「悪ぃ」、と苦笑し、さわさわと流れるソレを彼の手の平に掴み取った。
………。
……くすぐったい…?
目の前のシンタローは…今、は。
ぐいっ
「痛―――――ッ!!!~~~ッんだよ一体!?」
「幽霊というのは本来触れる事が出来ないのではないのか?」
手を伸ばせば確かに通り抜けてしまうシンタローの身体。
けれど彼の髪先に触れることが出来た。
「やー…、そうなんだろうけど、さ」
「ほら」と俺の頬に触れる。
温かく心地好い、よく知った感触。
確かなぬくもり。
続(つ)いで手を俺の頬から放し、
(高松が)新調してくれたばかりの鮮やかなスカイブルーのカーテンに触れた。
微かな布が擦れる音。
指の圧力で僅かに押されたカーテン。
再び彼の手を引き寄せる。
触れている。
他は一切触れる事はかなわず、後ろ髪の十数センチ毛先と両の手は触れることが出来る。
不思議に思うより先に、たった一部でも感じる場所があることが素直に嬉しかった。
ぺろりと手の平の生命線を舌でなぞると、返ってくるのはいつもの反応。
変わらない感度。
「~~~~~~…ッ」
ピクンと体が跳ね、彼の顔に朱が走っていた。
俺がシンタローの一部分を感じられるように、シンタローも俺を感じていた。
それは残酷なほど嬉しかった。
当たり前のように触れられるものが不可能になり、たった一部だけ許されたことへの喜び。
「馬…ッ鹿。やめろってッ。くすぐっってぇだろぉーが!」
俺から逃れようと力薄く片手で俺の肩を押す。
触れた部分からじんわりと注がれる手の平の体温。
厚い服越しで伝わる筈はないが、うっすらとシンタローの皮膚が汗ばんでいる気がする。
感じられるのは体温だけではない。
触れられる場所は生身の時と同じように発汗も僅かな手や髪の一房の重さも感じられた。
「触れる事が出来るのはココと髪の先少しだけか」
他の部分で俺に触れてみても全て素通りしてしまった。
無論触れることの出来ない場所の体温も重さも何も感じられない。
「中途半端だよな。カミサマの気紛れってヤツ?」
全く触れないよりはマシだけどさ、舌を出してシンタローが小さく悪態をついた。
「でもあんま中途半端過ぎても逆に欲求不満になりそー」
手の平を俺の額に当てて折角舞台がベットの上なのによと苦笑するシンタローは、
そういえば今日は一度も笑顔を見ていなかったことに気付いた。
先程から見せる笑みは全て苦さの混じったもの。
この状況だ、当たり前かと思いつつ、少々物足りないとも思った。
顔を寄せ、更に互いの距離を縮めて素通りの口付けを交わす。
月明かりの下生まれた影も独りきりで想いを冷めた唇に託す。
触れることは出来ないと知っている。
お互いがいつもの癖となってしまっているからする、してしまうだけだ。
何度かの口付けの後、髪の先を指に絡ませ唇をそっと彼の手の平に滑らせる俺と、
指全てで俺の口元で巧みに動かすシンタロー小さな遊びは暫く続いた。
カチ…
本当に微かな機械音が、複雑に入り組み始めた互いの思考を止めに入る。
時計は徹夜や真夜中まで掛かる研究や業務など何も無ければ、普段なら就寝する時間を大幅に超えていた。
「もうこんな時間か」
自室に戻ってから一時間も経っていないが明日も早い。
毎度の業務に加えて目の前の男の件もある。
何時もならシンタローを相手にして直ぐに翌日に(日付を越えて抱いてしまうこともあるが)備えて就寝をするところなのだ
―――が―……。
戸惑いが胸に溜まっていく。
その“原因”は俺の気を知らずに枕を数回叩いて眠るよう促している。
「別に眠くはない」
壁に寄りかかり此処を立ち位置にすると暗にアピールすることで寝る気は毛頭無いと教えてやったが、
ヤツは早くとベットサイドに手招きする。
普段ならこれはシンタローからの夜の誘いだが、幽体のヤツの意図は100%就寝命令だ。
「だからってこんな夜中に寝ないで他にすること無いだろ?ほらッ、眠くなくてもいいからさっさとベッドに入れ!」
横になって目と瞑るだけでいいからさ、そうすると自然と眠たくなるからなと両肩を押してくる。
「何故そこまで俺を寝かそうとするんだ」
本当に眠くはないのだぞ。
いや、正確に言えば眠くないと言うより寝てしまいたくない。
目を閉じて意識を手放してしまえば、
お前が――――――……がして…―――。
「夜はしっかり寝て翌日に備える!いつもお前が俺に言ってるだろ。夜更かししそうな時によ」
…ああ、そういえばそうだったな。
シンタローが仕事に熱中し過ぎな時やベットの中、何度も誘ってくる時や流行だとかのゲームに没頭している時に
言い聞かせていたのを思い出す。
「ほらほらキンタロー」
「…分かった」
仕方が無い。
ここは大人しくベットに入らなければずっとシンタローから小言を言われるのがオチだ。
やっと体を横にし薄手の掛け布団二枚を胸までかけた。
「ホントは疲れてるだろ?」
声を潜めて問いかけながらシンタローはそっと俺の頭に指を滑らせた。
安眠を促す為の額から頭上に撫でる指が心地好い。
あぁ……、本当に眠ってしまいそうだ…。
「眠りたくない」
眠ってしまったら
お前が―――――……る気ががして…――。
「でもさ」
ふぅ、と小さなため息がシンタローの口から漏れた。
「何だ」
息さえも本当は聞こえない。
シンタローが奏でる音は声だけだ。
それでもため息が聞こえた気がした。
「何か、お前の方が見ていて俺よりずっと辛そうだぜ?」
――――!
当たりだろと口元だけで笑みを浮かべてよしよしと俺の頭を撫でた。
不覚、だった。
意識不明で怪我人更には生霊にまでなってしまったヤツに気を使わせてしまったのか。
「寝ろよ」
横になるだけじゃなくちゃんと睡眠を取れと。
「病人にあんま心配されてんじゃねぇよ」
母親が子に安らかな就寝を促すように、ぽんぽんと薄手のタオルケットを叩く。
飲み込まれる意識の中に感じる一筋の糸。
ソレは音のイメージ。
……糸、
だ。……………。
……あぁ、これはシンタローの声か、この糸、は。
乳白色の視界の中で、純黒糸を引き寄せた。
聞えた糸。
お前が眠っても、俺はちゃんと側にいてやるから。だから安心して眠れ。
そんな彼の声が胸に聞こえてくるそれは決して幻聴ではない。
「なぁ…、キンタロー」
「なんだ」
「俺は消えないから、安心してたっぷり寝ろよな」
……ふ。
参ったな。何から何まで全てはお見通し、か。
………ああ…
もう、
お前の声が聞こえ―――
おやすみ。
「…ん」
チチチとか細くしかし高く鳴くのは、近頃早朝馴染みのつがい鳥のものだった。
着衣もそぞろに、窓から愛おしい視線を彼らに注ぐのが、この部屋に泊まって明けた早朝のシンタローの癖。
カーテンから溢れ出した白い光りが、睡魔に包まれたこの身体をそっと解き解し完全覚醒へと導く。
昨日は…シンタロー目掛けて突然鉄筋が降って……
―――!!!!!
「そうだ!!シンタローは…!?」
「あ~?こ・こ」
声がする方に目を向ければ、気持ち事件以前より白くなった肌のヤツが居た。
つがい鳥を見ていたのか、窓に体を寄せ首だけこちらに向けた。
夢ではないことを知る。
昨日、シンタローが鉄筋に襲われたこと。
意識不明の重体に陥ったこと。
生霊となってしまったこと。
そして
「前に幽霊になった時もそうだったけどよ。朝になっても」
消えてしまわない、こと。
疲れを癒す睡眠をとったばかりだというのに、落胆と安堵が交じり合った疲労がドッと押し寄せ深いため息を漏らした。
安堵はシンタローが目の前に居るからで、落胆は昨日の事故(事件と言った方が正しいか)は夢ではなかったからだ。
夢だったなら、今目の前に居るシンタローは生身であったのに。
「キンタロー」
「…なんだ」
「今のため息は安心からか?それともガッカリしたのか?」
笑みを浮かべながらも、申し訳なさそうに体制を少し低めにして俺の顔色を伺うように見上げている。
触れることが出来ないシンタローの頭代わりに自分の髪をグシャグシャと撫でる。
「両方だ」
「お前の様子でも見てくるか」
お前も行くか?と誘いかける前に、シンタローはちょっと待ったとパジャマの裾を引っ張るように制した。
「その前にさ、行きたいトコあんだけど」
「構わんが。急ぎか?」
「あ~…、絶対今直ぐって訳じゃねえけどよ……。出来れば早い内に用事済ませちまいたいし」
用事?仕事関係か?
今お前は本体は生きているが幽霊なんだ。
例え緊急の仕事でもお前がこなすのは無理だぞ?
考えが顔に出たのか、シンタローは違げーよと片手を軽く振った。
「予約していたCDが昨日入荷してる筈だからさ、一緒に着てくんねぇ?」
ふむ、今のシンタローは幽霊だからな。
車を走らせて、滅多に遭遇する事はないが交通交通渋滞に巻き込まれさえしなければだが、
15分もあれば繁栄謳歌を開設時から維持し続けている某大手デパートに着く。
シンタローが注文した品はビル三階端に構えているCDSHOPらしい。
しかし…わざわざ店に予約などしなくても、ガンマ団の特別ルートからの通信購入や秘書のティラミスや
チョコレートロマンスに言い付ければいい。
俺やグンマは殆どこれらで必要なものは揃えている。
一般的な品物なら談内の購買部も重宝しているな。
「お前、そーゆートコが淡白で味気ない考えなんだよ」
呆れたような苦笑を浮べ、シンタローは俺の一歩手前に進めていた足を止めて視線を僅かの間、合わせてきた。
「自分で買いに行くのがイイんだぜ?」
気分転換になるらしい。
俺にはあまり理解出来ない事だが。
「そりゃお前は買いモンとか興味薄いからなー」
後編へ続く≪
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最近あいつの様子がおかしい。グンマやマジックその他の連中には何ら変わりない態度をとっている。
おかしいのは―――俺に対してだけだ。
少し前は気軽に俺の部屋に入ってきて他愛のない世間話をアイツが一方的にしたり、
二人だけではないが共にどこかへ行った事もある。俺達が初めて対面した頃は想像すら出来なかった
平和と言うだろう、この図。その事に今は昔の確執に固執する気も起きない。
とにかく、ここ最近アイツは―――シンタローは俺を確実に避けていた。
「キンちゃん、シンちゃんと喧嘩でもしたの?」
グンマの問いに目を見張る事もなく「いや、特には・・・」と返答する。
あの鈍感極まりないグンマですらそう感じるほど俺に対して態度の変わったアイツ。
他の連中も感づいているのだろう。だが、俺には本当に心当たりが見つからない。
不自由する事もないから、それについてシンタローを問い詰める事もしない。
アイツの態度は日に日に余所余所しくなっていった。
そしてそれとは半比例するかのようにガンマ団内は酷く騒がしくなっていった。
一体何が起こるのだろうと聞いたらジャンが吹き出して笑った。
「もう直ぐお前らWシンタローの誕生日だろう。その祝いの準備だろーが☆★」
俺はこのかた誕生日祝いというものをした事がない。当たり前と言えば酷く当たり前だ。
今まで俺はシンタローの中に生まれた時から閉じ込められていたのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・―――!
・・・そうか、そう言う事か。アイツが妙に俺に対して余所余所しい訳はそれか・・・。
「馬鹿な奴だ・・・」
冷たく言い放つ。アイツがどう受け止めようと構わない―――筈だが、あまりのヤツらしさに呆れる。
そして何故かこの胸が無性に疼いた・・・。
少し前の俺はまさか今のような現状になろうとは思っていなかった。
覇王の高みを目指していた筈の俺は、今ではグンマや高松、ジャンと科学の道へと進んでいる。
そしてそれを決して不快には感じない。この道に進んだのは他でもない、俺自身の意思。
今もこうして倉庫から今日使用する素材を引っ張り出している。
使う素材が多いのと重いのでこういう力仕事はグンマには不向きだ。
こういう気遣いすら、以前の俺なら出来なかった事なのではないのか。
こんなにも俺が変わったのは、おそらくあの島の所為だろう。・・・・・・・・・・そして・・・。
全ての素材を両手に抱えると、重さはさほど気にならないが、視界が不自由になる。
角を曲がろうとした時、相手もぼぉっとしていたのか誰かとぶつかってしまった。
ドンッ
俺は何ともなかったが、相手も素材も派手に転んだ。
「―――――――っつ~~~」
視界に映るのは四方八方に転がった素材、そして鮮やかな黒と赤のコントラス。
無意識に俺はそいつの名を呼んでいた。
「シンタロー・・・」
「あ・・・」
あいつの顔が、俺の存在を確認した途端固まる。時が、止まる。
無機質な俺の部屋に居るのは、主の俺と・・・・・・シンタロー・・・。
何故俺はシンタローを招きいれたのだろう。
これからグンマやジャンと共に研究室へ向かう予定だった筈だ。
その為に必要だった素材は部屋の片隅に纏めて鎮座させている。
それが予定外の客のコイツも不審がり声をかけてきたが答える事はしなかった。
どう言ってよいのか、何故こうした事をしているのか俺自身分からない。
ほおっておけば良かったのだと言う声は、それ以上の何かによって打ち消され、
それが何度も心中で渦巻いた。
俺もヤツも言葉は少なく、とりあえず俺の好きな銘柄の紅茶を出す。
するとヤツは驚いたように、しかしふと笑った。何だと聞くとカップを掲げ、
自分の好きな銘柄の紅茶なのだと言った。そうかと返答し、また暫しの沈黙が流れる。
そう遠くもない場所のあちらこちらから賑やかな声や音が聴覚に入り混む。
「騒がしいな」
「お前の誕生日祝い・・・だからな」
その言い方に疑問を持つ事はない。
【俺達】ではなく【お前】と言う訳も知っている。どこか沈んだ声色で何を想う―――?
「お前もだろう」
「そうかな・・・以前はそうだったかもしんねーけど・・・」
そこで区切り、ふと窓辺に視線を投げる。分かっている。何故【以前は】と言うのか。
先程入れた紅茶は白い湯気を消して冷めていく。
「お前は【シンタロー】を捨てるのか?」
「・・・それは・・・・・・」
いきなり核心をつく問いに対して即座に否定はしないのか。
俯き、黒髪がコイツの顔を隠す。
泣きそうに見えるのは俺の気のせいではないだろう。
こいつはいつだって泣いていた。
ガンマ団という組織では滅多に喜怒哀楽を表わさなかったが、それでも心の底ではいつも殺し屋として、
総帥の息子として、青の一族の異端者としての重圧に耐え切れなくなり泣いていた。
・・・・・・たった一人で・・・・・・共に居た俺に気付かずに・・・誰にも、
コイツ自身すら気付かずにたった一人、心はいつだって泣いていた事を俺は知っている。
今もこの窓の外のようにいつ泣き出してもおかしくはないこの曇り空のようだ。
ずっと続くかと思われた沈黙の間は、カップを握り締めていたコイツの両手が解かれたのと同時に時を進める。
やっと重い口を開き、心の底を晒した。
「俺は・・・俺が時々分からない。
俺はずっとマジックの息子だと思っていた。
けど・・・けどっ!ジャンのコピーだアスの影だの!!本当は親父の―――マジックの息子じゃなかった!
けどっっ、ルーザーの息子でもない。
だってそうだろ?ルーザーの息子はお前だ・・・・・・お前だけだ・・・」
「・・・・・・・・・」
「俺は・・・俺の定位置が分からない・・・。
親父は俺に跡を継がせた。けど、それも・・・っ」
そこで区切り、それ以上の言葉を飲み込む。
全く青の一族の力も証もない自分に青の一族の未来を託させたのは一種の哀れみではないかと思っているのだろう。
誰もが気付かない。
この男の心中はこんなにも脆く、そしてそれを覆う為の強さを求め、得、
しかしやはり闇は消えないのだと。
「マジックはあの時言っただろう。お前も自分の息子だと」
「そう言うお前は俺をどう思っているんだ?憎い相手なんだろう?
ニセモノと・・・言い続けてきただろ」
伏せていた面を上げて問いかけてくる。
あの時はそう思っていた。俺こそがシンタロー本人だと、それは今も変わらず思っている。
だが、では目に前の男は誰だ?
俺はこの男をどう捉えている?
・・・答えは至極簡単に出てくる。
今も憎いかと問われれば肯定は出来ない。
また沈黙が流れそうになるのを止めたのは俺だった。
椅子から腰を上げ、近付く。
何だ?と見上げるコイツの右手を俺の右胸に強く押し付けた。
当然の行動にヤツは動揺したように黒曜石の瞳を大きく見開く。
トクン・・・トクン・・・
「感じるか・・・?・・・これが俺の鼓動―――ここに居る―――生きているという証だ」
そのまま左手もコイツ自身の右胸に押し付ける。
「そしてこれがお前の鼓動だ」
お前も俺も今ここにいて、異なった生を歩んでいる。
「今のお前は偽者ともコピーとも思っていない。俺は新たな名を受けた。自ら己の進む道を見つけた」
初めて俺の為に涙を流してくれたヤツが付けた名。洒落た名では決してないが、
それでも今はその名で呼ばれる事に腹はたたない―――と言うよりむしろ・・・・・・。
「お前はガンマ団の総帥・シンタロー。
・・・それが俺が知っている【お前】だ」
「キンタロー・・・」
「お前が今口にした名前・・・その存在が【俺】だ」
暫く呆けていたようなコイツの顔が、突然堪え切れないといった感じで吹き出して笑った。
・・・・・・何だ?・・・一体・・・。
俺の不快を感じ取ったのか、悪い悪いと手を振って未だ笑いながら紡ぐ言葉。
その中に黒い影が薄れていくのを感じる。
「ははっ、・・・まさかお前が俺に・・・くくっ・・・んな事言うなんて・・・っ、
思わなかったからよっっ」
あとは堰を切ったかのように笑い出した。
似合わない台詞だと言いたいのだろう、少々腹も立ったが、
涙まで浮かべて笑っていると思ったそれは可笑しさからではないと言う事が分かった。
何か吹っ切れたような・・・そんな感じだ。
俺には分かる。コイツと俺は24年間共にいて兄弟以上な関係だった。
そうでなかったにしてもコイツと俺は全く異なりしかしどこか似ているのだ―――そう言ったのは誰だったか。
言われた時は反発心を持った記憶がある。
だが、今は―――――。
コツン
軽くコイツの頭を小突く。
何だよと眉を寄せ見上げてくるその面には、先程とは打って変わったお前がいた。
「さっさと溜まっている書類を片付けろ。
俺もいい加減研究ばかりでは飽きるし、なにより身体がなまってしょうがない。お前もだろう?」
「・・・そうだな・・・さっさと終らせて・・・一戦交えようゼ!」
呆けていたような顔が徐々に子どものような挑戦的な笑みを口の端に浮かべさせる。
結局紅茶一杯だけでヤツは腰を上げ扉へと向かった。
「じゃあな!美味しい紅茶ごちそーさんっ」
「ああ・・・」
シュン
扉が開き、柔らかな笑みを浮かべ、手を軽く振ったヤツの姿が視界から消えた。
最後に見えた豊かな黒髪が踊るように揺れたように見えた。
もう、暫くは大丈夫だろう。お前は強いから一人だって立ち上がれる。
もし一人では立ち上がれない時、俺が手を貸そう。
きっと俺がお前の立場でもお前はそうしようとするだろうから。
「変わったのはあの島の所為か・・・?それとも・・・」
ふと窓の外に視線を向けた。先程までの薄曇りは晴れ、白雲が青空を更に浮き上がらせていた―――。
大分遅れてしまったが、今から隅に追いやった素材らを持って研究室にでも向かうか。
おそらく―――いや、間違いなくその歳に合わない幼い面をしたイトコが、
遅いと文句をつけながらも俺が来るのを待っているだろうから。
そいつとその育ての男、そして先程までこの部屋に滞在していた男と同じ顔を持つ青年が待つアノ場所へ―――
俺の居場所へ―――。