Covetous love
「行ってくる」
明日には帰ってくるからそれまでは互いに一人だな。
オフなんだから、お前は少し寝ていろ。
部屋の扉の前でアイツはそう言った。
ほんのひとときの別れではあるけれど、飲みながら夜を過ごしていつのまにか朝方になっていた。
俺が昨夜の片づけをしているときにアイツは着替えていたらしい。
簡単な朝食を出してやったときには、身だしなみをすっかり整えていた。
軍服でいてもラフな格好を好む俺と違ってアイツはきっちりとした格好をする。だから、スーツ姿は珍しくない。
けれど、今朝は学会に赴くためか白衣を羽織っていた。
従兄弟の白衣に釘付けとなってから俺は自分でどんな行動をとったのか覚えていない。
俺と一緒に行動するときはスーツ姿でいても上には軍用コートを羽織るのが常だった。
白衣の彼はたまにしか見たことがない。
睡眠不足とアルコールの吸収とで頭はぼぉっとしていた。
従兄弟の部屋で簡単な朝食を作った記憶はあるが、食事中に何を話したかはまったく覚えていないのだ。
そしてまた冒頭へと戻る。
行ってくる云々と従兄弟は俺を気遣っていた。
徹夜と酒で赤くなった眼に口付けながら、大人しくしていろよとも囁いて。
俺の手に自室の鍵を残して従兄弟は出かけていく。
アイツは今日から学会だ。予定は明日の昼までだとも言っていた。
俺たちはいつもは二人で行動するが、たまに別行動をとる。
俺は総帥としてやらなくてはならないことがたくさんあるし、アイツは科学者だ。
本当なら高松やグンマと一緒に研究室にいるのが筋なんだ。
アイツは俺と一緒にいることを選んだけれど。
俺はいつもアイツが離れていくんじゃないかと不安を感じている。
アイツは高松のことをよく話す。後見人という立場とはいえ、彼の名をよく口にする。
高松、高松、高松、、、、、、
目の前にいるのは高松でなくて俺だ。シンタローだ。
そう思っていても俺は口には出せない。
言ったら最後、アイツが離れていくんじゃないかと思ってしまう。
アイツが白衣を着るのを見るたびに俺は不安になる。
そのまま、俺の傍でなく高松とともに研究室に籍を置くのではないかと、たまらなく不安になる。
自室に戻ってベッドに横たわってからも不安は渦巻いたままだった。
それから一日はとりとめなく過ごした。
今までだってアイツがいないときは度々あった。
そのこと自体に不安はない。一人で過ごすことには慣れている。
俺を溺愛している親父も遠征や仕事で家を空けることが少なくはなかった。
アイツがいない夜が明けて、昼を過ぎ再び再び夜が近づくにつれ俺の不安は増大していく。
いないのは別にいい。心が離れていなければ。
傍にいても俺ではなく他の誰かのことを想っているとしたら。
アイツにとって俺は誰かの代わりだったとしたら。
サービス叔父さんにとって俺はジャンの代わりだった。愛しい親友の代わり。親友によく似た甥。
ハーレム叔父にとっても俺はジャンの代わりだった。憎らしい男の代わり。ジャンによく似た甥。
青い石にとっては番人の影。
親父は俺を愛してくれたけれど、俺は赤の他人だ。
俺なんかよりもグンマヤコタローを可愛がればいいのだけれど。
だけど、俺は影でいたくない。
親父にとっても、アイツにとっても俺は誰かの影でありたくない気持ちが渦巻いている。
俺の所為で不幸になったヤツに幸せになってほしいのに、俺を愛していてほしい気持ちが渦巻いている。
だけど、オレは影でいたくない。
みんないつかは俺から離れていくんだ。
俺が影だから。
影なんかではなく、本物を手に入れて。
サービス叔父さんはジャンを取り戻した。
親父は…離れてはいないけれど二人の本当の息子を手に入れた。
だから、アイツもいつか俺から離れて本物を手に入れるのかもしれない。
影の俺ではなく、高松を。
日が落ちて、夜の色が濃くなっていくにつれて俺の不安は増大していく。
窓からは次第に濃くなっていく闇の色が目に映る。
闇の色。黒い色。影の色。
俺の髪と同じ、高松の髪とも同じ色が部屋へと忍び寄ってくる。
ソファから立ち上がり、ブラインドを落とす。部屋は途端に暗くなった。
外の色は暗くなってきたと思っていたがすこしは光もあったらしい。部屋の闇色が濃くなった。
ドッドッドッと押し寄せてくる不安を抱えながら、室内の光源を片っ端から点けて回る。
部屋に光を取り戻してもなお抱える不安を紛らわすために冷蔵庫からストックしていた酒やツマミを出した。
飲んでいれば気持ちも落ち着くかもしれない。飲んで待っていればアイツを待つ時間も短く感じられるかもしれない。
そう考えて、俺は酒を呷る。呷る。呷る。ひたすら一人で酒を呷っていく。
けれど一人で飲むのは味気ない。いつもは横にアイツが座っていて、楽しいときが過ごせるというのに。
昼はとうに過ぎたとはいえ、まだ夜には早い。
だけど、飲まずにはいられない。不安がちっとも紛れないのに酒に手が伸びる。
酒が不安を流し去ってくれればいいのに。
そう思って幾つも杯を重ねても不安は拭われない。
酒量が増えるにつれ、思考がどんどん淀んでいく。悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
いつもなら、アイツがいるときなら楽しいことしか考えられないのに。
それでも俺は一人で杯を重ねていく。
どんどん湧き上がる不安が俺の頭の中を埋め尽くしていく。
アイツのことを考えようとすると、昨日見た白衣の姿が脳裏に浮かんでくる。
白衣のアイツ。高松といるアイツ。
俺の元から離れていくアイツ。
そんなのはいやだ。
誰かの影になるのは、もういやだ。
不安を紛らわせられないまま、ただ酒だけが消費されていく。
「なんだもう飲んでいるのか」
律儀にノックをして俺の部屋に入ってくるなりキンタローはそう言った。
オフなんだから別にいいだろ、と思いつつも「おかえり」と言ってやる。
「随分と飲んだんだな」
俺の分がないな、そう言いながら俺の横に腰掛けてテーブルから一缶手にする。
「遅かったんだな」
時計はすっかり夜の時刻を指している。昼までだといっていたはずだ。
「興味深い発表があってな。終わってからも話を聞きに行ったんだ」
連絡なら入れたはずだが聞いていないのか、とも言う。
昼過ぎから部屋から出ていないと言うと彼は納得したようだった。部下も俺がオフだからあえて伝えなかったのだろう。
「メシ食ったか?食ってないなら作るけど」
テーブルにはサラミやチーズだとか加工していないツマミしかのっていない。
「それだけ酔っ払ってて何を言っているんだ。メシはもう済ませている。高松と帰りに食ってきた」
頬も目も赤いぞ、とキンタローは言う。
あたりまえだろ、酔っ払ってるんだから。そう思いつつも帰ってきたのは嬉しい。
帰ってきてすぐに俺のところへ直行したのだろう。少しの荷物と脱いでたたまれた白衣が床にある。
それはすごく嬉しい。
飲みながら、キンタローは学会で訪れた土地のことを話してくれた。
ルーザー叔父さんの知り合いだった人に会ったとか、発表後に思いもかけない質問を受けたとか。
取り留めない話だけれど、そのなかに高松の名は何度も出てきた。
杯を重ねるにつれ、キンタローも酔ってきたらしい。
酒も話すことも尽きてくると、俺へと手を伸ばしてきた。
くるくると指で俺の髪を弄る。引っ張ったり梳いてみたり。
長い髪がさらさらと彼の指先から零れるたびに俺の頬をくすぐる。
コイツは髪を弄るのが好きだ。俺もコイツに弄られるのが嫌いでないから止めないけれど。
「綺麗だな、お前の色は」
やさしく俺の髪を梳きながら、コイツはうっとりと口付けてくる。
頬にも口唇にもそして俺の黒い髪へも。
啄ばむようなそれはやさしく心地よい。
けれど、そのやさしさは俺だけのものなのか?
コイツが好きだという俺の髪色は黒。
一族には見られない色。
光のような金色とは違って深い闇に沈む色。
黒は高松と同じ色だ。
俺はいつも誰かの影なんだ。
サービス叔父さんにとってはジャンの影。
一族にとっては青い玉の番人の影。
俺は誰かの影でしかない。
俺がいることで親父の息子のグンマが寂しい思いをしてきたように、キンタローが俺の所為で24年間を棒に振ったように。
俺はいつも誰かを不幸にしている。
キンタローも高松を好きなら、彼に想いを伝えればいいんだ。
俺を高松の影にすることなく。
「お前、俺の髪弄るのは高松と同じ色だからだろ」
ああ、言っちまった。だけど、もう止められない。
誰かの代わりでいることは耐えられないんだ。
だが、俺の髪を弄っていたキンタローは手を止めて、
「シンタロー、少し酔いすぎだ」
と極めて冷静に言っただけだった。
そっけない一言。彼らしいといえばそれまでだが、ちっとも気にしていないような態度はムカっとした。
気にくわねぇ。
頭に血が昇っていく。
ああ、そうだよ。俺は酔っているよ。だけどな、もう耐えられないんだよ。
「酔っ払っていたってどうでもいいだろ。俺はお前のなんなんだよ!」
高松が好きなんだろ。だったら俺を代わりにするのはやめろよ。
俺のことなんてどうでもいいだろ。
「どうでもなんかよくない」
手首を掴まれて、ソファに押し倒されるように口を塞がれた。
酔っていた所為もあるのか、熱い舌が絡み合うたびに頭がぼぉっとした。
この熱さに、甘さに流されてしまいそうになる。
「っ…やめろよ、こういうのは高松にしてやれよ!」
無理やり引き離して口を拭いながら怒鳴ると、キンタローは目を丸くしていた。
「何で高松にキスしなくてはいけないんだ」
心底不可解、といった表情。ああ、ムカツク。
「だからっ!お前は高松のことが好きなんだろ」
「好きといえばそうだが、別にキスはしたくないな」
「嘘つくなよ!お前、高松の話しばっかすんじゃねーか!俺は誰かの影なんだよ。
俺とこういうことするのは高松の代わりだからだろっ」
パシンっと音が鳴った。
頬がジンジンする。熱い。
平手で打たれた。痛くはない。なにするんだよ、と抗議するとお前が馬鹿だからだと返ってきた。
「シンタロー、俺はお前が好きだ。キスしてみたいとかそういう欲求がするのはお前だけだ。
お前は高松の代わりじゃない」
ゆっくりと一語一語噛み締めるように口にする。
俺だけ…?とぼやっとした頭で聞くとそうだと返ってくる。俺だけなのか?
「じゃあ、高松は…」
それでも言い募る俺にキンタローは親代わりみたいなものだと答える。
親代わり。たしかにルーザー叔父さんは亡くなっているし、高松はコイツの後見人だ。
じゃあ、俺がこんなに悩んでいたのは…
(馬鹿みてぇ)
うわーうわーと心の中だけで叫ぶ。恥ずかしい。一気に体温が上昇していく。
ああ、もう馬鹿だ。俺はなに考えていたんだ。
「まさか、お前が妬いてくれるとは思わなかったぞ」
追い討ちをかけるようにキンタローが口にしてくる。
ああ、もう思っていても言うなよ。
「そんなに俺は高松のことを話していたのか」
「自覚がねぇのかよ」
笑いながら聞いてきたキンタローに思わずムッととなる。
だいたい、お前がいけないんだよ。俺の前で他のヤツの話をするから。
「それは悪かったな。以後、気をつける」
キンタローの返答はあっさりしたものだった。
ああ、もう恥ずかしい。馬鹿だよ、俺。コイツはそういうヤツだったんだよ。
「それで、シンタロー。誤解が解けたのはいいとして、俺に言うことはないのか?」
ああ、もう分かってるよ。口に出して言えばいいんだろ!
「…疑っちまって悪かったよ。でもな、お前もいけねぇんだよ。
俺だけ見てろよ、俺の前で他のヤツの話なんかするなよ」
酒の所為だけではなく顔を赤くして言う俺に、キンタローは口唇だけでなく目の奥も笑っていた。
ああ、もうムカツク。
俺だけかよ、お前のことが好きで仕方がないのは。
「お前は酒が入ると素直になるな」
それから中断していたキスをコイツは再開した。
自信に溢れた表情が憎らしい。
ああ、また熱い舌が絡まってくる。
「シンタロー、お前は俺にとって光だ」
影なんかではない。代わりなんかじゃない。
囁かれて不安だった心が蕩けていく。
不安と酒に寄っていた気持ちから、今度はコイツに酔っていく。
不安はもうない。
あるのはこれから起こることの期待だけ。
部屋の中の闇も高松のことももうどうでもいい。
俺はキンタローに酔い痴れていく。
初出:2003/09/21
ヤシロナナ様に捧げます。
PR