お気に召すまま
赤や青、緑の裾が翻る。
袖に染められた蝶や鳥が青い空に羽ばたいている。
スーツの波の中にところどころに黒や灰色、濃い紺色の布が混じる。
今日は成人式だ。
画面の中の、澄み切った青い空の下ではしゃぐ若者を見てシンタローは微笑ましそうな目をしていた。
ときおり、懐かしむ表情をしたのはきっと数年前の自分のことを思い出した所為だろう。
今年の目標だとか、大切な人へのメッセージというインタビューに答える若者に従兄弟はじっと見入っていた。
今日起こった事件の数々や国際情勢、スポーツ、天気予報が終わると再び画面に色とりどりの着物が映った。
穏やかな音楽とともに「それではまた明日」とナレーションが入る。
画面は切り替わり、賑やかなまでに仰々しいCMが流れ始めた。
正午きっかりにはじまるバラエティ番組を見ながら、俺とシンタローは食事にした。
何回言ってもシンタローは食事時にテレビを消すことをしない。
ときには口にものを運ぶよりも、テレビに釘付けでいるときが多いくらいだ。
成人式にちなんだクイズやらトークが繰り返される中、ちらりと映った観覧者の中に晴れ着を着た女性がいた。
あまり、十九、二十歳には見えない。
不思議に思うあまり、シンタローに尋ねてみる。
「今日は成人なら誰でもキモノを着るのか?」
すると、シンタローからは「はあ?」っと訝しげな声が返ってきた。
「さっき映った女がどうみても二十歳くらいじゃないんだ」
着てもいいのか、と聞くとシンタローは少し悩んでいた。
「親とかならいいんじゃねえ?」
「……子どもがいるような年でもなかったぞ」
う~んと考え込んだシンタローは、結局はどうでもよくなったのか「着たければ着せてやれよ」と言い捨てた。
「着物なんて今時、七五三と成人式くらいなんだからな」
と続け、彼は再び視線はテレビに向けたままパスタに格闘し始めた。
シンタローが皿やフライパンを洗う間、俺は洗い終わった食器を拭いて片付けていく。
洗剤の泡や湯がかからないように、シンタローはエプロンをかけていた。
そういえば、シンタローは正月の間もこのエプロンをかけておせちを作っていたな。
今年はずっと洋服で、和服を着ていなかった。
「キモノ…」
「なんだよ?また」
着ないのか、と横にいるシンタローに尋ねると彼は着ないとそっけなく答える。
「とっくに正月って気分じゃないしな」
今日は成人式だから関係ないし、と言い、最後に手を洗ってから彼はエプロンを脱いだ。
軽くたたんでキッチンのサイドテーブルに置く。
「正月だって着なかっただろう」
「そういう気分じゃなかったんだよ」
なんなんだ、それは。
「これだけキモノが溢れているのにお前が着ないのは物足りないな」
「親父みてえなこと言ってるんじゃねえよ」
伯父貴もそう思っていたのか。
余程しつこく伯父貴に着てくれとねだられたのか、シンタローはいやそうな顔をしていた。
「だいたいそんだけ人に勧めるんなら自分も着ろっつうの」
伯父貴には和装は似合わないと思う、そう真っ先に思ったが口にはしなかった。
いや、口にできなかったという方が正しい。
目の前の従兄弟がらんらんと目を輝かせている。
なにかよからぬことを思いついた顔だ。
「……シンタロー?」
本能的に危険を感じてあとずさると彼はにやっと笑って俺の肩を掴んだ。
「お前の着物姿見たことないよな?たまには着てみろよ、キンタロー」
***
鏡の前の俺はシンタローの黒い和服を着ている。
そして、それがとてつもなく似合っていない。違和感すら感じた。
馬子にも衣装という言葉で誤魔化すことも出来ない。
想像上のマジック伯父の和装と同じく、金髪碧眼が浮いて見える。シンタローのしっとりとした黒い髪とは大違いだ。
「…もういいだろう」
早く脱ぎたい。
金色の髪と黒い布が互いに主張しあっていてアンバランスだ。
体格は対してシンタローと変わりがないのに肩も袴から伸びた足もなんとなく似合っていない。
ちぐはぐな感じしかしない。
着せてる最中も着せた後もずっと俺を見ていてシンタローはなんとも思わないのだろうか。
じっと頭のてっぺんから爪先まで何度も見返していた。
「おまえ、けっこう和服も似合うんだな」
すらっとしててモデルみたいだな、とシンタローは耳を疑うようなことを口にした。
なにを考えてるんだ、シンタロー。
高松に視力検査をしてもらったほうがいい。
どこがだ、と眉を寄せるとシンタローが指で眉間をぐりぐりと押す。
「そんなカオすんなよな。せっかくカッコいいんだからさ」
「……」
「そうだ!写真撮ろうぜ、写真。正月のフィルム残ってたよな」
こんなもの記録に残さないでくれ…。
しかし、その願いが通ることはなく俺はシンタローに写真を撮られた。
最悪だ。きっと引きつった顔をしているだろう。
携帯でもデジカメでもないのが惜しい。
出来上がったらネガごと焼き払いたい気持ちになるに決まってる。
きっと、シンタローのことだ。俺の前に映っている正月の写真と一緒に皆に見せるにちがいない。
おまけにシンタローはさらに引きつるような提案をする。
「どうせなら街まで出てみようぜ」
せっかくだし、と従兄弟はにやにやしながらありがたくないデートの誘いを口にした。
「どう見ても二十過ぎの外人がキモノを着てか?」
勘弁してくれ、行くのなら着替えると言うとシンタローは「ダメだ!」と笑う。
「おまえ、今年五歳だろ?ちょうど七五三って理由があるじゃねえか」
それはそうだが…。って、シンタロー。俺は事情を知らないヤツには五歳に見えないぞ。幼児退行もしていないし。
ましてや七五三もこのキモノと同じく似合わない。
けれども、シンタローはいいことを思いついたとばかりに俺の意見を聞かずに壁に下がったコートをとり、マフラーを探し始めた。
「おい…シンタロー」
まだ、行くとは言っていないという言葉は口にする前に、彼の口からまた新しく追加された提案でかき消される。
「そうだ!甘いもん食いに行こう」
七五三には早いから千歳飴の代わりだ。
新しく出来たカフェにせっかく休みだから行こう、とシンタローが俺の手を引く。
引っ張られて、馴れない袴で足が縺れそうになる。
テレビで見た新成人のようにシンタローが屈託のないまぶしい笑顔で俺を振り返った。
「たまにはいいだろ?着物でデートも」
いや、よくない。シンタローがキモノだったら言うことはないんだが。
「カフェには洋服の方がいいだろう」
汚したら大変だ、雰囲気に合わない、歩きにくいんだといろいろな理由を言ってもシンタローは取り合わない。
「キンタロー、早くしろよ」
早く早く、と急かされ玄関まで追い立てられる。
あっというまに草履を履かされてしまう。
ここまできたらもう止められない。後はもうシンタローの計画通りになってしまう。
仕方ないな、とため息をつく。
本当に、仕方がない。
言い出したら聞かないシンタローも、彼の思いつきに反対できない自分も。
本当に仕方がない。
だが、まあ、不本意だが今日も付き合うとするか。
久しぶりに二人で出かけることだし。
「せめて写真は勘弁してくれ」
懇願するとシンタローは笑った。
「却下!せっかくのデートだから記念に残しておかないとな」
ああ、もう仕方がない。
「ほら、行くぞ。キンタロー」
ドアを開けるとまぶしい光と青い空が広がった。
初出:2004/01/09
ヤシロナナ様に捧げます。
PR