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チェリーの雫
ぱしゃ、となにかがすぐ傍で弾ける音がした。
ふわっと立ち上る甘い香り。

何事かと見回すとホールへと続く階段からグラスを持った女性が中身を零したようだ。
俺の髪やジャケットから甘い香りが漂っている。
彼女はちっともすまなそうではない表情で謝っていた。
瞳は憎しみでぎらつかせ、口唇には謝罪の言葉を乗せて。

彼女の謝っていた相手は、俺だ。ガンマ団総帥の俺だ。
「シンタロー総帥、大丈夫でしょうか」
部下の言葉には「ああ、平気だ」と平静を装う。青ざめたりしたら、いい笑いものだ。
俺はガンマ団総帥のシンタローだ。付け込む隙は与えられない。
黒い髪からは紅い雫が滴っている。
いつもの赤い軍服だったら染みは余計目立ったかも知れない。

今日のパーティは新生ガンマ団が契約した某政府のお抱え商人が主催したものだ。
政府とレジスタンスとの小競り合いを治めたのが縁である。
政府主催でなく、一応民間の者が主催しただけあって客の大半は血生臭さとは無縁の者たちだ。
はじめから気を使って軍服ではなく黒いフォーマルタキシードに身を包んでいる。
赤い軍服で行こうかと思ったが、キンタローに止められた。
ガンマ団を前面に出すのはよくない。おまえの服は持ってきてある、と同じようにフォーマルタキシードに身を包んでそう言っていた。
アイツは俺と別行動だ。アイツの方は政府お抱えの議員や学者どもとのパーティに行っている。
アイツが止めなかったら、もっと反響が多かったんだろうな。酒じゃなくてナイフだったかもしれない。

暗い緋色の雫は黒に溶け込んでしまって見た目には分からない。
しかし、強い香りとともに髪が濡れてしまっていた。

「このような事は誰にでもあるので、お気になさらず」
失礼、と談笑する人々の背を押すようにして出口へと向かう。
主催者や今後つなぎをつけたい人物にはすでに挨拶は済ませてある。
もともと義理で参加したパーティだ。
途中で帰っても平気だろう。
傍目には、うっかりと階上から零してしまったかに思えるだろう。
だが、着飾った人々が社交的な挨拶を交わす中で俺たちの存在は異色だ。
つい最近まで殺し屋集団だったガンマ団の総帥とその血族。
勿論、今では人を殺めることはないがそれでも薄汚い家業には変わりがない。
彼女は、ガンマ団に対してなにか恨みがあるのだろう。

ドアマンに一応主催者には帰ると伝えるように頼んでおく。
会場の外で待たせておいたSPに車を回させ、ホテルへと戻る。
車中で髪を軽くハンカチで拭ったが、彼女の表情が目に焼きついたままだ。
憎しみでぎらぎらしたまっすぐな悪意と甘い香りで気分が悪い。
部屋に着くと同時にSP共は下がらせた。俺はもう休む。キンタローもそろそろ戻ってくるから、警護はいい。
そういうわけにはいきません、と騒ぐ部下も蹴散らし部屋へ戻った。



纏わりつくような甘い匂いがとても気持ち悪い。
さっさとジャケットを脱ぎ捨てる。それでもシャツの襟の辺りからなんとなくにおいが漂う気がする。
髪もべたついている。
シャワーを浴びることにして、着ていた物はクリーニングに出すことにした。

熱い湯が上から注がれる。固定式のシャワーヘッドのため、俺の頭から足まで滝のように湯が流れていく。
普段なら使い勝手が悪いと感じるだろうが、甘い香りがどんどん流れ落ちていって体が軽くなる。
排水溝へと流れ込んでいく。
備え付けのシャンプーと石鹸の香りが俺の体を包んでいく。
気が張っていた体から次第に力が抜けていった。



シャワーの後、バスローブに身を包んで一息ついていると電子キーを解除する音が聞こえた。



***



義理で参加したパーティとはいえ、なかなか有意義だった。
学者達との話はどれも自分の興味をひくものだったし、議員達と交流を深めるのもそう悪いことではない。
この地での、あるいは国際的にガンマ団の立場を強固なものにするのに役立つ。
そして、それは従兄弟の総帥としての地位をゆるぎないものとさせていく。

パーティで振舞われたカクテルは不思議な色をしていた。
赤を濃くしたような色。従兄弟の軍服よりも濃い。従兄弟の髪色のような濃さをたたえていた。
口をつけるとふわふわと甘い香りが漂った。アルコール度はそんなに高くないのに、なぜが頭がふわふわとする。
この酒は従兄弟のようだ。ふわふわと俺を捉えて離さない。
帰り際にホストに尋ねるとチェリーブロッサムだと答えが返ってきた。
お一人で飲むのならチェリーブランデーがいいかもしれない、と付け加えられた。
たしかにカクテルをつくるのは面倒だ。飲むのだったらそのままがいい。
ホテルに戻る前にその酒を買おうと寄り道することにした。



ホテルに着くとシンタローの部下やSPが下がれと指示されたことを報告してきた。
命令違反だがそうもいかず、ずっとホテルの要所を固めていたとも。
俺がじきに帰るだろうから警護はいいと従兄弟は言っていたらしい。仕方のないヤツだ。
この国は安全とは言いがたいのに。
買い物の最中も何度か不審な視線を感じたくらいだ。ガンマ団に対してよく思っていない連中はどこにでもいる。
シンタローの、総帥命令を聞かなかったとはいえ責める謂れはない。
「あいつには俺からよく言っておく。ご苦労だったな」
部下達はほっとした様子だった。


エレベーターを使って部屋まで向かう。停止したとき、少し揺れて提げた袋から瓶が触れ合った音がした。
部屋の前までたどりつき、ジャケットの中からカードキーを取り出す。袋の中の酒瓶がかちゃかちゃと再び音を鳴らした。
ランプが赤から緑へと変わり、キーが解除されて室内に入ると従兄弟はベッドに腰掛けていた。
バスローブを着ていたからもうシャワーを浴びたのか。随分と早く切り上げてきたのだな、と思う。

「帰ってきたか…」
従兄弟はふぅっと息を吐いた。心なしか口唇が青い。
シャワーを浴びたにしてはおかしい。具合が悪いのだろうか。
「どうした気分でも悪いのか」
同じようにベッドに腰掛けて、額に手を当てると従兄弟からあ、と小さい声が上がった。
当てていた手を掴まれ、下げさせられる。
「どうした、シンタロー。嫌なのか?」
熱はないようだった。けれども口をぎゅっと引き締めている。
「おまえ…なんか甘い匂いがする」
気のせいかもしれないけど。
「甘い匂い?ああ、これかもしれないな」
提げてきた袋から瓶を取り出す。それを見たとき従兄弟の顔が凍りついた。
「それ…」
「チェリーブランデーだ。さっきのパーティで出たのはカクテルだったんだが、これならそのまま飲めるからな。
薦められて買ってきた。おまえと飲もうと思ったんだが」
「悪いけど…俺はいらない」
もう休む、と目を逸らして言う。
「…なにかあったのか」
甘い香りに反応し、瓶を見てからも様子がおかしい。
「なんでもいいだろ」
もう、寝ると従兄弟は言う。それ以上の会話は望まないと全身で否定していた。
立ち上がって背を向け、シーツを剥いでいる従兄弟を後ろから抱きしめるとびくっと体が震えた。
「やめろよ…そんな気分じゃない」
震えて搾り出すように言う従兄弟の耳に口唇を寄せる。
「気分じゃなかったら、そういう気分にするまでだ」
言わないのなら口を割らすまでだ。
ベッドに転がして、従兄弟の目の前に酒瓶を突きつける。
「おまえはこれを見たときおかしかったな」
キャップを捻って、一口呷る。甘い香りが口腔に広がった。


「なにがあったか知らないが…俺が変えてやるよ」
この酒の印象変えてやる。
しっとりした長い髪を掴んで引き寄せる。そのまま口づけると従兄弟はぎゅっと眉を寄せた。



何度も酒を呷り、従兄弟に流し込んで甘い香りに酔わせた。
酒の力を借りて何があったのか口を割らせると、この甘い香りを嗅ぐと悪意を持った人の顔が浮かぶと啜り泣いた。
カクテルをかけた女性だけではなく今まで殺した人や壊した町の人が浮かぶと。
「おまえの前にいるのは俺だけだ。他にだれもいない」
緋色の酒を流し込み、俺は何度も言う。

「シンタロー、辛いときは俺を思い出せ」
何を見ても、何があっても俺のことを思い出せ。
俺のことだけを思い浮かべろ。

自分の独占欲を刷り込むように、俺は何度も従兄弟に言う。
がくがくと揺さぶられながら、従兄弟は何度も首を上下に振った。






目覚めるとシーツには数滴、紅い雫がこぼれていた。


圧し掛かるようにして昨夜はベッドに押し付けていた従兄弟はいない。
シャワーの音がする。とっくに起きて仕度をしはじめたのだろう。今日は工場の視察を行う予定だった。
脱ぎ散らかして床に投げ捨てていたフォーマルタキシードは従兄弟の手によってランドリーボックスに入れられていた。
水音がやみ、しばらくすると髪をドライタオルで包み上げ、下着だけ身に着けた状態で戻ってきた。
石鹸の香りがチェリーの香りと入り混じる。
「今日はスーツだったよな」
いつもどおりの従兄弟に戻っていた。
ああ、と髪をかき上げながら立ち上がるとベッドメイクそのままの綺麗なベッドが目に入った。
「掃除するヤツはどう思うだろうな。二人の男が一つしか使ってないんだぜ」
従兄弟が恨みがましい目で見ている。
「酒がこぼれてるし、瓶もベッドにあるから夜通し飲んでたとでも思うだろう」
「そういう問題じゃねぇよ。俺はやめろって言ってたんだからな!とっととシャワー浴びて仕度しろよ!」
ああ、これは照れ隠しだな。昨夜は弱気になっていたし。
とくにそれに答えることなく、立ち上がりバスルームへと向かう。歩みを進めるたびに自分の体から甘い香りが漂った。



***



紅い紅いチェリーの雫。
甘くて強い香りがふわふわ漂う。


目覚めると体はキンタローに抱きこまれていた。眠りに深く落ちているため、力は込められていない。
身を捩ると金色の髪が鼻先に触れた。
そっと解いて起き上がると寝顔が見える。
ベッドから降りるとキンタローが脱ぎ散らかした服が目に入った。
床下の衣服をまとめ、ランドリーボックスに放り込む。
シャワーでも浴びるかと着替えを出していると透明な瓶が目に映った。
底の方にわずかに紅い液体が残っていた。


俺のことだけを思い浮かべろ。
何を見ても、何があっても俺のことを。

悪意のかたまりに苛まれることはもうない。ただ、何度も何度もキンタローの言葉が頭に響いてくる。
瓶を見るのをやめても、残り香に包まれているうちに思い出してしまう。

俺のことだけを思い浮かべろ。
何を見ても、何があっても俺のことを。


甘い香りを振り払おうと、キンタローのことを振り払おうとバスルームに向かう。
昨夜のことは礼を言うべきかも知れない。俺は、負の感情に囚われていた。


けれど、言ってはやらない。
いくら正しい療法だったとはいえ、やめろと何度も俺が言ったのに強引にしたのだから。

いつだって俺はアイツのことを思い浮かべる。
何を見ても、何があってもキンタローのことを。

けれど、それは言ってはやらない。
シャワーを捻ると熱い湯が注いでくる。甘い香りが排水溝に流れ込んでいく。


流れていく香りとともにあいつに言うべき言葉を一緒に洗い流す。
言ってはやらない。

俺がアイツのことをいつでも思っていることは。





  
初出:2003/10/26
桜寿様に捧げます。

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