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実戦を模した訓練で幸運にもシンタローと戦うことになった。

炎の向こう、空高くシルエットが翻った時、勝敗は決した。

(また負けた・・)

勢いよく吹き出す冷たいシャワーに身を打たせ、汗と一緒に熱を流していく。

踝から下の感覚をなくすほどの時間は冷水を浴びているはずなのに、まだ指の先は、皮膚の内側はちりちりと熱い。

暴走しそうな炎。

なにもかも燃やしてしまいたいという身勝手な衝動。





ようやく熱を引かせてロッカールームに戻った途端、否応なく耳に入ってくる騒々しさが癇にさわった。

既に着替え終えているクラスメート達が話している内容は、この年頃にはありがちなものだが、有りがちなだけに、食傷気味で。

「あほらし。女のなにがええんやろ」

つい本音を低く呟くと、奴らは妙にあたふたとロッカールームから逃げ去っていった。

別に、だからと言って、特別男が好きというわけでもないのに。

「・・まあ、あんな柔そうな生き物に比べたら、男のんが幾分かマシって程度やな」

遊ぶなら張り合いがあるほうがいい。

己のためにならない相手には興味がない。

身体の奥を疼かせてくれるような、全身の血を沸騰させ爆発させてくれるような、そんな相手がいい。

裸の胸に手を当てる。

どん、どんと常より大きく脈動する心臓は、しばらく治まりそうになかった。

冷たいロッカーに額を付け、時間が経つにつれ変化している自分の心を思った。

試合が終わった時にはもちろん、負けた悔しさがあったし、それが消えたわけではないが――今では悔しさより、興奮が勝っている気がする。

(シンタローは確かに強いわ)

そして今なら、この興奮状態で対峙すれば、今度は勝てる気さえするのに。

「次のチャンスは、とうぶん先どすな・・」

試合は所詮、授業の一環。

機会が巡ってきた時には、とっくに興奮なんて冷めている。

(難儀やなあ)

学校という狭い世界がか、どういうわけか今さら興奮している己の性質がか。

自嘲に浸りかけた時、しかし、わずかな物音で意識は引き戻された。

そしてシャワールームから現れたのは、今まさに思いを馳せていた宿敵だった。

「・・まだいたのかヨ、アラシヤマ」

「あ・・あんさんこそ、ずいぶん長風呂どすな」

返してやれば、シンタローはうざったそうに長い髪を掻き上げた。

濡れた漆黒の髪が肌に張り付き、幾筋も滴を垂らしている。

「切ってまえばええのと違います?」

「ほっとけ」

声色こそ気怠げではあるが、ちらりとよこされた眼差しは鋭い。

戦っている間と似た高揚感に、ぞくりと背筋が震える。

同時に、ここで私闘を申し込むのはどうか、と名案が浮かんだ。

さっそく口を開きかけた瞬間に気付く、なにも隠すところのない皮膚に直接突き刺さる、露骨なほどのヒいた視線。

を、辿って目を下ろすと、

(・・えええ・・?)

いつの間にやら準備万端な形態になっている下半身が、あって。

そそくさと着替えを始めるシンタローから、慌てて目を逸らす。

理由はわからないけれど、たぶんきっと絶対これ以上は見ないほうがいい。

とりあえず、それだけはわかった。
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「シンタローはん、Trick or Treat☆」

「あほか」

一刀両断してもアラシヤマは今日に限ってなぜか強気に、同じ言葉を繰り返した。

・・俺の覚え違いじゃなけりゃ、ハロウィンなんて1ケ月も前に終わってるはずなんだが。

そうじゃなくても、三十路に近い男が顔を輝かせて言うセリフでもねーと思うし。

「仕事中につき、私用での総帥室入室禁止」

俺はもう顔も上げずにひたすらペンを走らせて、書類を片付けていく。

遠征から帰ってきてまずすることは、その期間にたまった俺のサインが必要な書類、それに遠征の報告書を上げることだ。

はっきり言って馬鹿な部下に構っているヒマはない。

なのに、その部下ときたら。

「総帥。ちょっとの休憩くらい、ええですやろ?」

眼魔砲を出されないのをいいことに、あくまで居座るつもりでいやがるし。

「・・ったく・・。キンタローはどこ行ったんだよ・・」

「ま、ま、とりあえず一服」

差し出されたのは、いつものコーヒーではなくて、日本茶だった。

柔らかな芳香に引き寄せられ、茶碗を片手で持ち上げると、冷えた指先にじわりと熱さが染みた。

「京都から取り寄せた最高級品でっせ」

「・・サンキュ」

「で、これが~」

「ニッキ臭い」

「・・老舗のおたべどす。スタンダードに中身はつぶあん」

上品な箱から1つ皿に分けられ、それにも素直に手を出そうとすると、アラシヤマはタイミングを見計らって皿を取り上げた。

そしてにやりとした気味悪い笑みを浮かべ、一言。

「Trick or Treat?」

「・・そんなにハロウィンごっこしてーのかよ?」

つーか、アラシヤマの行動は間違ってる気がする。

Trick or Treatってのは、お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、って意味だよな・・?

こいつ京都人だから英語わかんないのかも、とある意味同情し始めた俺に構わず、アラシヤマは口唇を尖らせた。

「遠征続きで、ハロウィン当日はシンタローはん、いませんでしたやろ?」

「そうだっけ?」

「そうどす。・・こうして会うのも久々やさかい、お菓子くらい、くれても・・」

徐々に聞き取りづらくなっていくアラシヤマの恨み言を、右の耳から左の耳に通過させつつ、俺は呆れたため息をつく。

「このおたべが欲しかったら、わてにもシンタローはんからのお菓子を!!」

「やっぱ用法間違ってるっつーの、お前」

それじゃただの間抜けな脅迫だ。

「アラシヤマ」

「え、な、なに、」

アラシヤマの顎を持ち上げて、ゆっくり顔を近付ける。

目を白黒させる様に、ついつい爆笑してしまいそうになるのを堪えながら、ピンクの耳たぶに囁く。

「Trick or Treat」

「え」

大きく上下する、細い喉。

だらだら汗を流しつつも、アラシヤマは身体を反らせて俺から距離を取ると、八つ橋の乗った皿を机に戻した。

「も・・心臓に悪いさかい・・どうぞ」

「・・意気地ねえなあ、お前って」

人がたまあにチャンスやってるのに。

「じゃ、しょーがねーから、俺からお菓子やるよ」

きょとんとした顔は到底子供にゃ見えねえし、かわいくもなんともないけど、な。

咄嗟にか閉じられた目蓋の上に、軽く口唇を押し当てて。

「ついでにこれでも食ってやがれ」

特別サービスで笑顔をくれてやって(ああ、もったいないもったいない)俺はアラシヤマの顔面を手のひらで覆う。

「眼魔砲」

吹っ飛ばされる瞬間のヤツの表情が幸せそうだったのが少し癪に触るが、まあ、これはこれでオールオッケーだろ。
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わてには絶対見せないような笑顔見せよってからに、あの子供がなんや誤解でもしたらどないするつもりどすか、と、喉元まで込み上げた愚痴を無理に飲み込むと、ひどく胸が重たくなった。



l-u-v



「あれ」

振り返った途端、予想通り、その顔つきはちょっとあからさまなほど険しくなる。

「なんの用だよ、アラシヤマ」

馬鹿みたいな笑顔(もう、偽ものなんだか本ものなんだか)で片手を上げ、ああ、もうあかんとどこか冷静な部分で諦めた時には、大股に距離を縮めて彼のしっかりした手首を掴んでいた。

驚いたように黒い瞳が見開かれる。

妙に幼く見える表情は士官学校に通っていた頃と、なにも変わらない。

もう、ずいぶんと昔のことのように思えるのに。

「あんさんは人を簡単に信用しすぎや」

耳元に口を寄せ呟けば、すぐさま飛んできた拳、を、空いた片手で受け止める。

「・・っ、い、」

ふいに慌てる様子を見せられて、なにごとかと疑問に思う間もなく、鼻をつくのは焦げた臭い。

急激に体温が上昇していくのを感じる。

反比例して、頭から血が引いていく。

そっと1歩、後ずさり、どうしようもできなくて両手のひらで顔を覆った。

今の今まで支配されていた衝動には言い訳も逃避も許されない。

断続的に息を吐き出して、なんとか気持ちを静めようとする。

放出しきれなかった熱がぐるぐると全身を駆け巡り、呼吸さえも苦しいような、立っていることさえも辛いような、そんな気持ちはやっぱり凶悪なもののままで、形を変えようとしない。

自然と顔の筋肉が緩む。

「シンタローはん・・」

その。

所在なく空に浮かんだままの手を、再び取って。

抱き寄せた身体を地に倒して縫い付けて。

己が生んだ炎で燃やしてしまおうか。

なんて。

「・・冗談どす」

薄笑いを浮かべて吐いた言葉は、自身にも向けた戒めだ。

「ただの、冗談やさかい」

と、言ったところで免罪符にならないことなど承知の上だけれど。

「ほんの少しだけ、・・あんさんに触れてみてもよろしおすか」

懇願しながら伸ばした指先は、必死に力を制御しているせいで、みっともなくぶるぶると震えていた。
a
いくつか前の満月の晩、だったか。

見知らぬ、無気味な薄ら笑いを浮かべた男が、不法侵入をかましやがった。

そいつは俺の姿を上から下まで注視した後、気色悪いことを口走った。

「あんさんの血ぃ、おいしそうやな」

俺は当然のことながら、タメなし眼魔砲をお見舞いしてやる。

そして。

「惚れてまいそうやわ」

瓦礫の中から告げられた、全然めげていない言葉に、とどめを刺さなかったことを後悔したのだった。

それ以来、アラシヤマ――と名乗った自称吸血鬼は、月の出る晩には欠かさず俺の元を訪れて来る。



エフェメラリーな夜



羽織っただけの薄手のシャツが、ふわりとなびいた。

バルコニーと部屋を分かつガラス戸は、片方だけ開け放されていた。

湯冷めしないうちに、とっとと寝てしまおう。

窓際に近寄ると、冷気を含んだ突風が不意に吹き込んできて、俺は風呂上がりの温まった身を竦めて。

戸を閉めるために伸ばした腕の先、いつからいたのか、そこにある影にようやく気付く。

満月を背にしてバルコニーに佇む影は、俺の視線を受けて口許を緩めた。

「入ってもよろしおすか?」

躁とも鬱とも取れる妙に癇に触る声が、夜の空気を震わせる。

「やだ」

「そんな殺生な・・シンタローは~ん」

「・・泣くな、ガラスでツメ研ぐな。入ってきたきゃ入って、とっとと帰れよ」

どんなに邪険に扱ってやろうが、許可を出せば、アラシヤマは嬉々として部屋に入ってくる。

いつも、いつも。

「ちゃんと髪拭かないと、風邪引きますえ」

「ん」

適当に頷きながら、俺は寝酒を呷る。

強いアルコールは喉を焼き、少し冷めてしまった身体を内から熱くした。

「もう寝ますのん?」

「寝る。明日も早いし」

「そうどすか」

夜も更けた頃にやって来て、朝日が昇る前にどこぞへ帰って行くアラシヤマは、昼間の俺がなにをしているのか、知らない。

そして俺も、アラシヤマのことなんか、ほとんどなにも知らなかった。


◆ ◆ ◆ ◆


気泡が水の中から浮かび上がるように、ゆっくりと覚醒した。

ぼやけた視界に夜空と、それにアラシヤマの背中が映る。

月の位置は未だ高く、夜明けは遠そうだった。

「・・まだ帰ってなかったのか」

渇いた喉から絞り出した声は、掠れて小さなものだった、が、アラシヤマは耳聡く振り返る。

「堪忍、起こしてまいましたか」

「いや」

喉の調子を整えようと、意識的に咳をする。

そうすると次第に胸が苦しくなって、今度は本気で激しく咳き込みながら、ぎゅっと目を瞑って俺は身体を縮めた。

喉は引き攣り、閉じられない口唇からぱたぱたと唾液が垂れた。

「シンタローはん」

間近に聞こえた声に、いつの間にやらアラシヤマがすぐ傍にいることを、知る。

(自称)怪物だけあって、こいつは気配を消すのがうまいのだ。

背に押し当てられた手のひらが、比喩じゃなく氷のごとく冷たい。

思わず身体を震わせると、それが伝染したかのようにその手は震えて、ぱっと離れた。

「すんまへん」

「なに、が」

深呼吸を繰り返す合間に、問う。

喉の痛みを残して、咳は徐々に治まってきている。

アラシヤマは答えずに、ベッドサイドの水差しを取った。

グラスに添えられた、骨張った指先はいつもの通り青白く、闇の中に薄ぼんやりと浮かんでいる。

俺は口許から手を離して、自分の腕を見た。

アラシヤマのそれより太いし、張りもあるし、血色もいい。

咳の代わりに込み上げてきた深いため息を、そっと押し殺す。

「具合悪いんどすか」

「ちょっとむせただけだ」

首を振りながら、差し出されたグラスを受け取ろうとする。

と、タイミングが合わずに、お互いの手の甲が軽くぶつかった。

その拍子になみなみと注がれた水がこぼれて、俺の胸元にかかって。

「っ、」

慌てるアラシヤマの顔を横目に、冷たいな、と緩慢に思う。

さっき触れたアラシヤマの体温くらいだろうか、と。

義務的な動作でベッドから足を下ろすと、濡れたシャツがぺたりと肌に密着してくる。

不快感は、その感触にと、シャツ越しに透けて見える自分の体躯に対して。

(・・また、痩せたか)

薄闇の中で見る身体は、日中でのそれよりも、ずっと衰えが目立つ気がした。

「あの、シンタローはん」

「・・んだよ」

「着替えたほうが」

「わかってる」

アラシヤマに背を向けて、出て行けと言外に命じる。

戸が閉められる、小さな響きを待って、俺はシャツを脱ぎ捨てた。







あと幾日かで、再び月が満ちる。

わては身体に纏わりつく闇をかわしながら、目的の家へと一直線に向かっていた。

うきうきと胸は踊り、種族違いではあっても、なんだか月に向かって吠えてしまいたくなる。

ふ、と薄く笑い――シンタローはんに見られたら、気色悪ィ、と言われるかも――その大きな窓のあるバルコニーへと、音を立てずに着地した。

そっとガラス戸を叩けば、返ってきたのは、いかにも気怠げな許可。

「遠慮なく、お邪魔しますえ」

弾んだ声で告げて、鍵のかかっていないガラス戸を引き開ける。

途端、鼻をついた臭気に思わず顔を顰めてしまったのは、仕方のないことだと許してもらいたい。

俗に言うバケモノだけあって、普通の人間より鼻が利くのだ。

ああ、それでも。

己の身体は歓喜と欲望に、ぶるぶると震える。

久しぶりの獲物を見つけた時の、獣のような心持ちで。


◆ ◆ ◆ ◆


アラシヤマは部屋に入ってくるなり、独り言のように呟いた。

「不死なんて死ぬほどつまらないものですわ」

下らないジョークの類いだと思って、俺は笑う。

そのおかげで少しだけむせた。

軽く咳き込みながら視線を上げた先では、アラシヤマもやはり笑んでいた。

「つまらなすぎて、なにもかも億劫になって、生きるなんて本能も、全部、退屈で・・」

「の、わりには、お前よく笑ってるけどな」

「・・やっと退屈じゃないもの、見つけたんどす」

そう言ってアラシヤマの手が、俺に向かって伸ばされる。

ダンスの相手でも申し込むような仕種に、俺はようやく、身を起こした。

もちろん踊り出すわけでもなく、話している間に目が冴えてしまったから、こうしてベッドにいても意味がないと思っただけだ。

「なんか飲むか?ワインくらいなら、ご馳走してやるぜ」

「ワインよりシンタローはんが欲しいわ」

あほか。

怒鳴る気にもなれず手近にあった枕を投げつけてやると、アラシヤマはそれをたやすく受け取って。

逃げる、逃げないの問題じゃなく、身構える間すら与えられずに、腕を引っ張られる。

2人の身体に挟まれた枕がふかりと柔らかくて、それが妙に間抜けだから、俺は黙ってため息をつく。

「離せよ」

「死臭がする人間をおいしそうだなんて思うたん、初めてどすえ」

「・・んだ、それ」

「血液という生命の源を飲むことで、わてらは命を長らえることができます。つまり、死に冒された健康じゃない生命なんて、わてらにとっては猛毒みたいなものなんどす」

アラシヤマがなにを言いたいのか、わかる気がした。

だけどなぜ、今、それを言い出したのかはわからない。

わかるのは。

「お前、・・俺の身体のこと、知ってやがったのか。ずっと」

沈黙は肯定だ。

別に気を悪くしたわけでもないというのに、アラシヤマは深く俯いて、謝罪の言葉を口にした。

ただし、俺が問うたことに対して、じゃない。

「わては、初めて会うた時からずっと、ずっとシンタローはんが欲しくて・・」

自嘲を多分に含んだ笑い。

「・・死が欲しかったのかもしれまへん。でも、今は、死ぬのはいややと思い始めてますわ」

「・・わけわかんねえよ」

「それでええんどす。・・わて、シンタローはんが大好きやさかい」


◆ ◆ ◆ ◆


己の死と、焦がれる人の死。

どちらを選ぶか。

まさかこの自分がロマンチストだなんて感じたこと、今の今まであらしまへんけど――長過ぎた人生、1度くらいは恰好つけたい。

と、口にしたら、やっぱりシンタローはんは怒るやろか。


部屋の電灯を消しても、今夜は、過剰なほどの月光が部屋を明るく照らしている。

朝からずっと頭が痛くて、1日中ベッドに臥せっている。

ともすると感傷的な情景や思いが、勝手に脳裏に浮かんでは消え、どんどん心を昏いものにしていった。

微熱があるのかもしれない。

ドクターに貰った粉薬の袋を指先で弄り、・・結局飲まずに床に投げ捨て寝返りを打つ。

別に薬なんて、ただの気休めに過ぎないのだ、と、1つため息。

視界がやんわりと陰る。

首を捻れば、月光に照らされてバルコニーから伸びた影が、ベッドごと俺を侵食していた。

「・・なんの用だ」

「入ってもよろしおすか」

俺の返事を待たずに、アラシヤマはバルコニーの戸を開けた。

そんなことは初めてだったから、俺は戸惑い、戸惑いを隠すために平然とした顔を作りながら、重い上体をなんとか起こす。

忍ばせいてるはずのアラシヤマの、歩み寄ってくる足音が、妙に耳の奥に高く響く。

「なんや、すっかり警戒されてはるみたいどすな」

「あたり前、だろ」

アラシヤマはその一言だけで俺の調子を見抜いたのか、前髪に隠されていない片目を、きゅっと細めてみせた。

「シンタローはん」

軋んだベッド。

冷たい腕に絡め取られた俺の身体は、自分のものじゃないみたいな使い勝手の悪さで、満足に抵抗もできない。

手を置いた枕の、どこまでも沈んでいきそうな柔らさが、心許ない。

「冷たいでっしゃろ?」

囁きながらアラシヤマは、ますます腕に力をこめ、自然と倒れこんでしまった俺に覆い被さった。

「シンタローはんは、あったかいなあ」

耳をくすぐるため息が、なぜだか、ひどく寂しげなものに聞こえた気がした。

「・・離せ」

「もう眼魔砲も使えないんどすか?」

俺の両脇に肘をついて、アラシヤマは、そっとごちる。

「シンタローはん。まだ、生きていたいどすか」

「・・は?」

突拍子のない問いかけに、間抜けな声が出た。

アラシヤマの真剣な瞳には、困惑した顔の俺が映っている。

「答えて下さい」

生きていたい。

と、願うのは、至極当然のこと。

だけど願うことすら許されない――願いを諦めるしかない人間だっているのだ。

俺みたいに。

「・・なんでだよ」

「別に答えてくれたって、ええですやろ」

「よくねえよ、ばか」

だって。

答えて、しまったら。

「舌、噛むのは、なしどすえ」

強引に抱き起こされて、やっぱり強引に口付けられて。

気付けば、容赦なく身体を這い回る、細い指先。

「ちょっ、な、なに・・」

「この先の展開がわからないほど、子供じゃあらしまへんやろ?」

歯列を割って捩じ込まれた舌に口腔を弄られ、反論どころか、息継ぎさえもままならない。

どんなにやり過ごそうとしたところで、一方的に与えられるむず痒いような、もどかしいような刺激が、徐々に身体を熱くしていく。

「本当ならこんなこと、あんさんの身体の負担になるだけやさかい、いやなんやけど・・」

「じゃ、やめ、ろ・・よっ!」

「答えてくれたら、すぐにやめますよって」

めちゃくちゃな物言いにかっとなって、拳を振り上げる。

力ない拳はそれでも、鈍い音を立ててアラシヤマの顎に直撃した。

「・・強情なお人やなあ」

「ざけんなっ!!」

叫んで、俺は、目を疑う。

挑むような声色とは裏腹に、アラシヤマの瞳は濡れていた。

月光を反射してきらきらと光る目が、その青白い肌に不釣り合いに埋まっている。

アラシヤマは動きを止めて、それなのに俺は蹴り飛ばすことも逃げ出すこともできなくて、じっとお互い、黙り込んで。

遠くで鳥の啼き声。

俯いたアラシヤマの頭を、俺は衝動的に胸に引き寄せる。

昔、泣き出した弟や従兄弟にやってやったような、手荒い優しさで。

「・・シンタローはん?」

「泣くな。ウゼーから」

「だって、答えてくれはらないから」

「だから!」

答えてしまったら、言葉にしてしまったら、諦めたはずの感情がまたぶり返してしまう。

それはとても怖いことじゃないか。

そう説明しようかと逡巡し、結局、アラシヤマに説明したってしようのないことだと結論付ける。

だから、ただ一言。

「・・そう簡単に死にたく、は、・・ねえよ」

ふわりと。

アラシヤマが、笑う。

瞬間、俺を襲ったのは、身体の芯まで響く鈍い痛みと痺れだった。

「堪忍」

「・・ブ、殺・・す」

俺をそっと解放したアラシヤマの、薄い口唇が、妙に赤くて。

その赤に目を奪われている隙に降ってきた、軽い口付けは、濃厚な血の匂いがした。

「前に――言いましたやろ。不死は死ぬほどつまらないって」

ああ。

さっきのが、吸血ってやつか。

「それでもあんさんには、・・シンタローはんには、生きててほしいんどす」

頭がくらくらして、視界もぐらぐらして、もう、アラシヤマの言葉を言葉として認識できるほどに、意識を保っていられない。

「・・ねむい」

「寝て下さい」

言われなくても。

やっぱり冷たい指を頬に感じながら、自然と落ちてくる目蓋に逆らわずに、俺は視界を閉ざす。

「次に、目覚めた時には」

目覚めた時、には?

なんて問いかけも、もちろん口にすることは叶わなかった。
すっきりと未だかつてないほどに心地よい目覚めを迎えた俺の、それからの行動は、非常に迅速なものだった。

アラシヤマと会ってから、いくらか吸血鬼に関する資料を集めたのだ。

十二分・・とは胸を張れない程度だが、知識は頭に詰まっている。

「馬鹿が」

床に散った灰に向かってとりあえず文句を吐き捨てて、と。

ホウキとチリトリを使って、部屋の隅から隅まで床を掃き、丹念に灰を集める。

そしてその上に――ああもう、面倒くさいから手順は省いて、とにかく手のひらにナイフを刺して。

こんもり積もった灰の山に、血を、垂らす。

「早く起きろ、このタコ」

呪文だの祈りだの、そんなんいらねえだろ。

これで起きなきゃ見限ってやる。

ほら。

・・俺のために、とっとと復活しろよ。





「・・複雑な気持ちですわ」

「なんで。死にたくなかったんだろ?」

「それはそう・・やけど」

「てめーは死んで俺を生き残らせる、なんて、ただの自己満足じゃねーかよ」

「・・・・」

「第一、俺のために死ぬとか、重い。重すぎる」

「・・・・」

「ん?」

「・・シンタローはんのために、生きます」

「よし。・・許す」
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体重をかけないように加減して崩れ落ちてくる身体を受け止めて、乱れた息を整える。

早鐘を打つ胸の動きが直接、身体に響く。

中に埋まっていたものが引き抜かれた奇妙な感覚、それに濡れた音を立てて太股にこぼれた液体の感触に眉を顰め、俺はようやく、ヤツの肩を拳で叩いた。

「出したんなら、とっとと退けよ」

「出した・・ってシンタローはん・・」

余韻に浸らせてくれたって、と、情けなく呟きながらもアラシヤマは、身体を起こす。

汗で頬に張り付いた髪を指で弾いて、ついでに俺の髪も一房奪い、恭しく口付けてみせて。

目を、細める。

「うるせー、ヘタクソ」

そのままの状態で絶句してしまったアラシヤマを横目に、ベッドを降りてバスルームに向かった。

深夜のひたすら静かな空気が、肌を震わせる。



ざんざん降り注ぐ温い湯にうたれ、考えるのは明日(いや、既に今日か)のスケジュール。

思い浮かぶはしから優先順位をつけて、頭の中に並べていく。

もっとも身体に残された痕跡を見つけるたびに集中は途切れ、どんなに時間をかけたところで、その作業ははかどりそうになかった。

「らしくねーな・・」

独りごちて、ため息を1つ。

いつまでもそうしているわけにもいかず、とりあえず今すべきことに取りかかることにした。

力を抜いて、下肢へと指を這わせれば、容易にそこは侵入を許した。

己の身体が、己の指を飲み込んでいく。

自慰とも違う、緩やかに上っていく感覚をつとめて冷静にやり過ごし、掻き回すようにして指を動かす。

体内からあふれた他人の精液はタイルの上でくるくると回り、排水溝に吸い込まれていった。

(流すくらいだったら、いっそ高松にでも提供したほうが役に立かもな)

たわいないことを思いながらシャワーの音に耳を澄ます。

じっとタイルを見つめているうち、濡れそぼつ前髪から落ちた水滴が睫毛に当たり、咄嗟に目を瞑る。

途端に意識を手放しかけてしまいそうになり、慌てて頭を振った。

そして。

「シンタローはん」

突然、湯気のベールを破り響いた声に、息を飲む。

振り向くまでもなく当然、背後の擦りガラスの扉には、アラシヤマのシルエットがある。

「わて、もう戻りますわ」

緊急召集が、とかなんとか聞き終える前に扉を開けた俺は、なにか言おうと試みたはずなのに、いざアラシヤマを前にすると喉に膜が張ってしまったかのようで、確かな言葉が出てこない。

2度目のため息は細く、静かに。

言葉の代わりにきっちり結ばれたネクタイを鷲掴み、冷たい口唇に、自分のそれを寄せる。

「またな」

不意を突かれた顔を至近距離に見て、少しだけ、胸がすいた。
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