3.ハーレム
学校は冬休みに入った。
とはいえ中高大一環の大きな組織だ。部活動や追試、補講などで人がいないときはない。さすがに年末年始の数日間は、校舎に人影はなくなるが、研究等や会社自体では人が作業を続けている。
そのほかにも寮や経営者一族の家には人が住んでいるし、その広さのために正確には敷地内だが、そうとは認識されていないほど遠くにあるショッピングモールや娯楽施設には、必ず少なからない人影がある。
ここは休息のない地だ。
24時間365日、絶え間なく人が動いている。
それだけ広大なのだ、この企業は。
その大きな企業を支えるのは(私企業であるから)一人の人間だ。これだけの大きさであるが、現在三代続いており、もうすぐ四代目へ移行しようとしている。
新たな企業の責任者――総帥――となるのは現総帥の子供・・・・・・若干24歳の一人娘だった。
「たっく・・・何考えてんだよ、あいつらはよ・・・・・・!」
そうこぼしながらショッピングモールを歩いているのは、タバコをくわえた金髪の男だった。背は高く、美形といってもいいような顔のつくりだったが、かもし出す乱暴な雰囲気が、それを覆い隠してしまっている。鍛え上げられた体つきといい颯爽とした動きと言い、彼の年齢を諮りかねるが、男はすでに40を超えていた。
「・・・・・・お?」
苛立たしげに足を進めていた男は、前方に見知った人影があることに気付いた。特に訳もなく髪をかき上げ、自らが作る風にさらし近付こうかどうしようか、しばし迷う。
「・・・・・・」
まあ、どっちにしろ進行方向だしな、と一瞬で迷いは晴れ、対象に近付いてゆく。その足音に気付いたのだろう。こちらが声をかける前に、向こうは顔を振り向けてきた。
「あ、叔父さん」
「ハーレム」
「よう」
最年少の甥と、その彼と同い年の友人に声をかけられた男――ハーレムは、彼らの前でのろのろと足を止める。
「何やってんだおめーら。ガキは帰って宿題してな。最後に日に泣きついてきても知らねーぞ」
にやりと笑ってやると、二人組みの子供は猛然と反発してきた。
「叔父さんじゃあるまいし、そんなことにはならないよ!」
「第一、僕らは、もう大体終わってる」
「っへー、生意気な! それになコタロー、俺ぁ宿題で泣きついたことなんざ、ねぇぞー」
とたんに、嘘だぁーという言葉が甥のコタローから、視線がその友人パプワから届けられた。
「叔父さんが勉強してる姿なんて、想像できないよ~」
「そりゃそうだ。俺も想像できん。一度もしたことねぇもんな」
「は?」
コタローの表情がぽかんとしたものになる。パプワは手を打ち、淡々と言った。
「そうか、初めからする気がないのなら、泣きつく必要もないな」
「よく解ってんじゃねぇか」
誇らしげなハーレムに、威張って言うことじゃないだろ! と、我に返ったコタローが怒鳴る。低く笑いながら頭をかき回してやると、さらに怒りは募ったようだった。
「もう! やめてよ叔父さん! タバコ臭くなるし、セットが崩れちゃうだろ!」
「男なら、ちまちま髪のことなんか気にすんじゃねぇよ」
「はっ、これだからやもめ男はだめだね。アイドルはつねに人目を気にしてないと。そんなんだから、いつまでも彼女いないんだよ」
「・・・・・・ほほう・・・」
邪険に払われた手を、面白そうにぶらぶらさせていたハーレムの表情がとたんに引きつった。目ざといコタローがそれに気付かないわけもなく、一気に畳み掛ける。
「それにね、これはお姉ちゃんにやってもらったんだからね! 今のトレンドだよ」
「・・・・・・シンタローが? 珍しいな。あいつ身飾りには全然興味なさそうなのに」
パプワが話に加わると、子供はとたんに嬉しそうに友人に向き直る。
「そうなんだよねー。ま、おかげで見る目のない男がわらわらよってくるのは避けられるし、高価なプレゼントにもだまされることはないけど、きれいなところを見られないのは残念かな? けど、最近はよく僕のセットしてくれて、それは嬉しいんだけどね」
「何かに目覚めた感じか?」
「んー・・・・・・」
自分の友人であり姉の親友でもあるパプワの問いに、首を傾げたものの、たいした間もなく答えは返った。
「そうだとしたら、自分のほうにも目を向けてほしいよね。そんな様子はないけど。・・・・・・・って言うかなんか、いつもより妙~に優しい感じ」
「・・・嫌なのか?」
「まっさかー」
少し心配そうな友人に、そんなわけないじゃん、とからからと笑って否定すると、今度はハーレムに視線を向ける。
「そういや叔父さんにも、ほんのちょっぴりカケラくらい親切かもしれないなー、と思えるような行動してるよね、お姉ちゃん。やっぱクリスマスのことのせいかな?」
その言葉に反応したのは、言われた当人ではなく、パプワのほうだった。気付いてとっさにそちらに目を向けたハーレムだったが、子供はじっと見返してくるだけで、何も言ってはこない。
「・・・・・・あのな、コタロー」
それを気にしつつも、甥と目の高さをあわせるようにかがみこむと、声を低めてささやく。
「これは、言い回るなって言われなかったか? こんな誰にでも聞こえるような場所で、言っていいことじゃねぇ」
「・・・・・・解ってるよ。でも・・・」
「でも、じゃねぇ。まさかこいつにもべらべらしゃべっちまったんじゃねぇだろうな」
「それは、でも・・・だってお姉ちゃんのことだし、パプワ君が知らないのはおかしいよ!」
ハーレムはかがめていた腰を上げると、これ見よがしなため息をつく。
(それとこれとは別問題だろうが・・・)
どう解らせたものか、と空を仰ぎながら頭をかいていると、再び下方から声が上がる。
「まあ、まだ言ってないけどさ・・・」
「何だそりゃ」
拍子抜けした様子を隠しもせずに言うハーレムは、そのまま子供らを見下ろす。コタローはむっとした表情で見返してきたが、まったく話が見えないはずのパプワは、相変わらず落ち着いた視線を向けてきていた。
いや・・・・・・と、ふとハーレムは、黒髪の子供の無表情の中に、小さなもやのような含みを感じ取った。この子供をそれほど理解しているとは言えないのだが、今まで彼の表情の変化を見違えたことは、なぜかない。どこか、一族の異端の姪っ子に似たところがあるせいだろうか? ともかく、かなりの確信を持って指摘してやる。
「おい、どうしたチビ。なんか言いたいことでもあんのか?」
「・・・・・・」
「え、何々パプワ君?」
近親同士の二人にそれぞれ覗き込まれた子供は、しかし慌てもせずに視線を受け止めた。そうして口を開く。
「シンタローに何かあったんだな? クリスマスの日から」
「あ・・・う、うん、そうだけど・・・・・・」
戸惑ったように答えるコタローは、ハーレムへと視線を流す。眉を寄せた彼は、パプワを注視した。
この子供は、聖夜の出来事は知らないはずだ。なのにこの確信に満ちた物言いはなんなのだろう? 考えていると、コタローがゆっくりと混乱から抜け出していっていることに気付く。同時にふとある可能性がひらめいた。
「お前、クリスマスにあいつに何か・・・・・・いや、違う。ひょっとして、リキッドか?」
パプワはおもむろにうなずくと、意味ありげな笑みを含んだ表情で二人を見やっていた。何か言葉を促しているようにも見える。
パプワと一緒に暮らしている保護者のリキッドは、ハーレムの部下だ。正確には彼はまだ学生なのだが、おいおい部下にするつもりでこの学園へつれてきた。そのためハーレムは堂々と部下扱いをしているし、回りもそれを黙認(黙殺?)している。
本人の意思はともかく、この乱雑そうな男はリキッドをよく知っているのだ。彼が――自覚はないようだが――姪に惚れていることも、その姪は自覚してリキッドに惚れていることも。
「あいつ、ついにやったのか!? へぇ~、案外やるじゃねぇか」
「別に、告白したわけじゃないみたいだぞ。僕には“世話になってるお返し”って言ってたし」
その言葉に、ハーレムは呆れたように息をつく。
「ったく、まだんなこと言ってんのかよ! ぐじぐじやってたら、爺さんになっちまうぞ」
「僕もそう思う。けど、あいつもお前には言われたくないと思うぞ」
タバコをくわえた中年の男は、目を丸くして黙りこくったが、すぐに機嫌を悪くしたようにそっぽを向く。パプワはただ面白そうにそれを見上げていた。
「ねえ、2人とも何の話してんのさ」
その間に、ふてくされた様子でコタローが入ってくる。2人に割り込むように体を挟み込むところなど、かまってもらいたい子供の行動そのものなのだが、彼はそれには気付いていない。
指摘すれば怒り出すだろうことは、簡単に想像がついたので、パプワもハーレムもすぐにコタローをなだめにかかった。実際に仲間外れのような状態であったためもある。
「シンタローのことだよ。クリスマスに、ついにリッちゃんがやらかしたんだとよ」
「え・・・。あいつ、家政夫の分際で、お姉ちゃんに何かしたの!?」
何かあったら承知しない、といった口調でハーレムに詰め寄るコタローを、後方からパプワが止める。
「違うぞ、コタロー。リキッドはシンタローにクリスマスプレゼントをあげただけだ」
「え・・・・・・? それはそれで、身の程知らずだよ」
ハーレムはここで思わず吹き出すが、かまわずパプワは続けた。
「まあそういうな。僕も勧めたんだ。シンタローはリキッドが好きなんだから、プレゼンもらって喜ばないことはないだろう?」
「でも・・・・・・。って、え?」
「だから、嬉しそうにしていると思ったんだが、違うのか?」
姉の心を聞かされて混乱したコタローから、ハーレムに子供の視線が移る。彼は複雑な表情で頭をかいた。
「楽しそうかっていや、違うな。いや、喜んでないこたぁはないと思うぜ。あいつ、男から贈り物されたことなんざ、ねぇだろうし。ただ、そうだな・・・・・・」
言葉を濁し、ちらと自分と同じ色彩を持つ甥を見下ろすと、まだ困惑した様子をありありと見せている。さすがにこのままではまずいと思い、子供二人の肩を抱くと、歩くように促した。
「ここで立ち話もなんだ。俺が太っ腹にもご馳走してやるから、どっか入ってこうぜ」
すると、とたんにコタローは我に返り、胡散臭そうに叔父を見上げた。
「いいけど・・・後でお姉ちゃんに請求しないでよ」
「男の甲斐性だな」
2対の下方からのダメ押しに、ハーレムは顔を歪めて呟いた。
「そんなに俺ぁ信用ないか? 解ったよ。シンタローには金、せびらねぇ」
内容がないようだしなぁ、と一人後地ながら、3人は近くの喫茶店へと入っていった。
4 リキッド2 へ
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