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nr4


ちょっとした変化 ~パプワとケンカと髪の毛の話~



 水滴と湯気で曇ってまったく見えない鏡にシャワーを浴びせると、ぬれた黒髪から水を滴らせている姿が見える。腰まで伸びた髪は、水を含んでずしりと重い。シャワーを元の位置に戻すと、水で固まりになった髪が、横手をさえぎる。

「・・・・・・」

 髪を搾ると大量の水が流れ落ちる。束ねて全て上にあげると、暖かい湯船に沈み込んだ。

「っあー・・・・・・」

 年に似合わない吐息が、血色のよくなった唇からもれる。



 風呂から上がると、タオルで丹念に水気をぬぐってからブラシを通し、再び髪をぬぐう。長さがあるため、そんなことを繰り返しているうちに、タオルはすっかり湿ってしまった。新しいものに取り替えて、肩にかける。

しばらく放置してから、ドライヤーを当てるつもりだ。

「・・・・・・」

 鏡の前に立ち、移った自分の姿をまじまじと観察する。長く伸びた真っ黒な髪。つややかな、だが枝毛もちらほらあるまったく手入れのされていない髪。

「・・・・・・ちったぁ何かした方がいいかな・・・」

 一房つまんでそう一人ごちる。同級生は、染めたりウェーブをかけたり、きれいにカットをしたり、さまざまなヘアアクセサリーを使って、凝った髪型にしていたりする。それに比べて自分は――

 鏡台には白い髪留め紐がひとつ。彼女の日常で髪を飾ってきた、唯一のものがそれだ。何度か友人に「せっかくきれいなんだから、ちゃんとすればいいのにー」といわれたり、その場の流れで結われたりもしたが、自分の意思で変えたことはない。

 これまでは。

 つまんだ髪を離すと、まだ湿っているのでぼたっと落ちる。その反応に、なぜかやる気がそがれた。

 髪にこだわるようになったのは、あの男に出会ってから――正確には男というにはやや若い、彼女より4つ下の高校生の男子――だ。

 ぶっちゃけ恋をしたので、自分の見た目がやたらと気になり出したのだが、まだそこまでは気付いていない様子。

「・・・・・・何ができるかな・・・」

 長年放置し、結い方もほとんど知らないシンタローに選べるものは、ごくごく限られていた。













「あれぇ? シンちゃん髪形変えた?」

「・・・・・・グンマ・・・」

「・・・え? へ!? ええ?」

 顔をゆがめてかすかに目を潤ませたシンタローに、首に腕をかけられ抱きつかれ、いくら従妹とはいえ、ここしばらくそんなことはされていなかったため、思わずグンマは狼狽した。

「ちょ、ね、どうしたの? 何かあったの?」

「髪型が・・・」

 そのままの姿勢でシンタローはいう。

「変わったこと気付いたの、お前が初めてだ」

「・・・・・・? あー・・・・・・」

 時刻はすでに日が落ちる頃。もう授業も終わるくらいのころあいである。おそらくシンタローは朝から、髪型をひとくくりから今のみつあみに変えていたのだろう。それを誰にも指摘してもらえず、落ち込んでいた、というわけだ。

 それでこの反応か・・・となんだかかわいそうになったグンマは、背中をぽんぽんと叩いてやった。

「あのさぁ、みんな気付いてたと思うよ。きっと、ただ言うチャンスがなかっただけでさ」

「・・・・・・そっかなー・・・そうかなぁ・・・」

 つられてかシンタローもぽんぽんと、抱いた相手の背中を叩きだす。そのままなんとなく、ぽんぽんぽんぽん叩き合いながら会話を続けた。

「だとしたら・・・気付いても言うほどオレに関心がないって事だよな・・・」

「う・・・うん? それって誰を示して言ってんの?」

 ぽんぽん、が一瞬止まり、シンタローは硬直する。その様子にグンマは正直かなり驚く。

(え、え? ひょっとしてもしかして、これって・・・・・・)

「シンちゃんそれって・・・男の人?」

「・・・・・・」

「それじゃ、それって恋?」

 シンタローはぎゅーっ回した腕に力をこめた。それは照れ隠しにしがみついているというよりは、嫌がらせに締め付けているという感じだ。現にグンマは苦しんでいる。

「ち、ちょ・・・シン・・・ちゃん・・・! 苦しいよ~!!」

「うるさい、黙れ」

 悪態をつきながらも、本気で苦しんでいるのが解り気が収まったのか、力を緩めて再びぽんぽんに戻った。

「あーもー、シンちゃんってば相変わらず・・・。で、相手は誰なの?」

「・・・・・・」

 懲りずに問うグンマに再び沈黙が返ってくるが、今度は締め付けられることはなかった。

「誰にもいわないよ? 僕も知ってる人?」

「・・・・・・どうだろうな・・・」

 かろうじて吐き出された言葉に、もっといろいろ引きだそうと、あれこれ考え実行してみる。

「ってことは伊達集のみんなや、叔父様たちじゃないよね?」

「・・・・・・・・・・・・」

「まさか、キンちゃん!? ・・・って違うね。えーと、んじゃー・・・まさか、パプワ君とか・・・・・・」

「・・・・・・オレは犯罪を犯すつもりはねぇ。何だよその人選は!! ほとんど身内じゃねぇか、オレをなんだと思ってやがる!」

 今度は呆れて声のなかったらしいシンタローは、そう怒鳴りつける。耳元で大声を出されたグンマは、思わず従妹から手を離して耳を押さえた。

「っあー・・・そんな大声出さなくても・・・。でもだとしたら誰? 同じクラスの人とか?」

「違う。この学園のやつだけどな。・・・・・・つか、もういいだろ、そんなこと」

「でもその人に髪形変わったこと気付いてもらえなかったの、ショックだったんでしょ?」

「・・・・・・」 

 シンタローは顔を背けたまま沈黙する。

 確かにこの話をしだしたのは彼女だ。それを一方的に終わらせるというのは、いくら俺様な性格でも後味が悪いらしく、顔をしかめている。

 そもそも、ほとんど人が通らない校舎の隙間の抜け道とはいえ、いつまでも男女が抱き合っているというのも、問題ありだ。いかに互いに恋愛感情が皆無とはいえ。

「あー、だからよー、そのショックっつーか、結果としてそいつのためにしてやったみたいな気分なのに、反応がないっつーのは、一人芝居みたいでむなしいっつーか、何つーか・・・」

 語尾を濁しつつしゃべるシンタローの、赤くなった顔を、グンマは意外さとほほえましさを感じながら見守っていた。

「・・・・・・けどまあ。考えてみれば、気づかれて指摘されたとしても、こっぱずかしいだけだろうし、第一いまさらこんなことしても変だよな・・・」

「え・・・? 何が変なの?」

 きょとんとした声で問い返され、シンタローは大きくため息をつく。解らないだろうとは思ったが、やはり少しも理解してもらえないと、寂しいものがある。

「・・・・・・今までちっとも女っぽいことしてこなかったのに、いまさら飾ってみても、お笑いなだけだと」

「そんなことないよ!」

 ぱっと体を離して、シンタローと向き合った。離れたといってもうでは相手に絡めたままで、相変わらずくっついてはいるのだが。

「シンちゃんは女の子なんだから、女の子らしくするのは、ちっともおかしくない。そりゃいきなりだったらちょっとはびっくりするけど、今さらとかそんな風に言うのはそっちのほうがどうかしてるよ!」

 シンタローは目を見開き、まじまじと従弟を見つめていたが、目が合うとなぜか吹き出した。何で笑うのさ、と言うと、自分より大きな従妹で兄妹の女性は、肩に寄りかかってくすくすと息を吐き続けた。

「そっか。じゃ、オレはおかしいって事だな」

「え、ちょ、ちが、そういうことじゃなくってさー」

 どこか意地悪そうな笑みを浮かべながら言われ、グンマは慌ててシンタローを離した両手を振った。何気ない一言で彼女を怒らせたことは数知れないが、そのたびに痛い思いをしたことは身にしみている。励まして殴られるのは割に合わないし、勘弁してほしかった。

「解ってる、解ってるよ。気にするほうが変なんだよな。うん。ところでお前はどう思う?」

「え?」

「この髪型」

 シンタローの表情がやさしくほころんでいるのを見て、グンマは緊張を解いた。そうなれば元来素直な彼のことだ。お世辞など言えるはずもなく、思ったままを口にする。

「いつもと大差ないよー。後ろ向かなきゃ解んないし」

「・・・・・・ほーう」

 とたんに冷ややかになった声に、危険を感じたグンマが逃げ出そうとしたときにはすでに遅く、硬く握られたこぶしが頭上に振り下ろされた。

 グンマは頭を押さえて泣き出した。

「ひどいよー、シンちゃーん! だって本当にそうなんだもん!」

「・・・まだ言うか、お前は・・・・・・・」

 さらに激したシンタローは、冷たく低い声ですごむ。その様子に顔を引きつらせたグンマは、一目散にそこから逃げ出したのだった。























 一日が終わって疲れているところに、ちょっぴり重たい買い物袋を両手に提げながら、リキッドは家路を急いでいた。

(あー、あいつら腹空かしてんだろうなぁ・・・。きっと気ぃ立ってるだろうから、もう一品増やせとかいわれるんだろうな。・・・たく、あいつがよく食うから食材がなくなって、しょっちゅう買い物に行くはめになってるつーのに・・・・・・・)

 帰れば遅いと怒鳴られる自分を、ありありと脳裏に浮かべながらも、足を速めてゆく。怒られるのは嫌だが、あの子供は嫌いではないし、世話を焼くのもけっこう楽しい。そんな思いが、迫害を受ける事実とのバランスをとっていた。

 ほとんど小走りになりながら、寮の近くの角までたどり着く。この時間にここを通るものは寮生ぐらいなので、今は人の気配はないはずだった。

「・・・とわっ! 気ぃつけ・・・・・・・じゃなくって、すいません」

 その角から飛び出してきた人物とぶつかりそうになり、ついついヤンキー口調で難癖をつけかけて、慌ててやめる。もうヤンキーは卒業したのだ。いつまでもこんなことを続けていてはいけない。

 自分にそう言い聞かせて見た相手は、返事もせずに無言で脇をすり抜けていく。そんな態度に再び昔の血が騒ぎ出すが、長いひとつのお下げを垂らした後姿を目にして、思い留まる。

(・・・・・・ヤンキーだろうがパンピーだろうが、女に手ぇ出すのだけは、だめだよな)

 どこかで見たような感じだな、とは思ったが、思い出せなかったので、そのことにはそこで区切りをつけ、再び道を急ぐ。すぐに自分に割り当てられた寮についた。

「あれ、パプワどうした? 遅くなったんで待ってたのか?」

「違う」

 寮といっても平屋の借家だが、その庭には同居人であるパプワがたたずんでいた。普段からあまり表情を変えない顔が、今は少し怒っているようだった。目はつり上がり、口はへの字だ。

「遅くなったのは謝るって。すぐ晩飯作るから、そんなに怒んなって。さ、中入ろうぜ」

「・・・・・・別に、お前に腹を立ててるわけじゃないし、飯の支度もしなくていいぞ」

「え、て・・・・・・・うお!」

 パプワの様子を訝しみながらも中に入ったりキッドは、目の前の光景にまず目をむき、呆然と呟いた。

「どーなってんだ、こりゃ・・・・・・」

 今のちゃぶ台には食事の用意がされており、部屋は出かけたときとは見違えるほどぴかぴかだ。覗きに行ってみると台所も磨き上げられ、食器類も整頓されて、使いやすい位置に収まっている。

 わぉん、と足元からした泣き声に目をやれば、チャッピーの毛並みもいつもより整っているようだ。

 という事は・・・

「シンタローさん、来てたのか?」

「ああ」

「でも帰っちまったみたいだな。せっかくだから、食ってきゃよかったのに。何か用でもあったのかな?」

「知らん」

 いつも通りのようだが、いまだにどこか不機嫌な様子の子供に、リキッドは戸惑いながら顔を覗き込む。

「何でまだ怒ってんだよパプワ。そんなに――」

 くいっ、とズボンを引っ張られる感覚に、思わず言葉を止める。チャッピーが何か言いたげにこちらを見上げていた。

「え、何? 何だよ?」

 茶色の犬はリキッドを見上げ長らくぅーん、た甘えた声を上げ、一瞬パプワに目をやり、再びこちらを見上げた。

「うえ? 何だよ? 何が言いてぇんだ?」

 しゃべれないチャッピーが相手なので、どうにも話が要領を得ないが。しばらくそんなことを繰り返すうち(というかその前に、パプワに聞くという選択肢は思いつかなかったのだろうか?)どうやら自分に対して怒っているわけではない、ということが言いたいらしいというのが、解ってきた。

「じゃ、一体何で・・・」

「リキッド」

 思考をさえぎるように、パプワが口を挟んだ。子供はすでにちゃぶ台の前に、でんと鎮座していた。

「とっとと飯にしろ。僕は腹が減っているんだ」

「あ、ああ・・・」

 リキッドはそそくさと買ってきたものを所定の場所に片付けると、食事にすることにした。

 改めて目を見張る思いだが、ちゃぶ台に茶碗などは人数分伏せられているし、おかずは品数が多く、色のバランスも取れている。口の中で感嘆の言葉を呟きながら、ご飯と味噌汁をよそり、箸を進め始める。準備をしなくラッキー、と思う反面、まだまだ至らないなと落ち込みもする。

 それならば勉強させてもらおうと、何がどんな風に使われているのか気にしながら食べ進めていると、パプワは不機嫌そうな顔で味噌汁をすすっていた。

「・・・・・・まだ、んな顔してんのかよパプワー。どうしたのか知らねぇけど、せっかくうまい飯なんだから、それっぽい顔したらどうだ?」

「・・・・・・うまいのが気に入らないんだ」

「え?」

 意外な言葉に思わず、聞き返すともなく声を上げる。

「あんなこと言っておいて、あいつの作った飯がうまいと思うのが、気に入らない!」

「は・・・・・・」

 ここでようやく、この子供が不機嫌な理由に思い至った。おそらくこの食事を作った相手――親友のシンタローとケンカをしたのだろう。

 そう予測してチャッピーを見ると、悲しそうにくぅんと泣いた。信じられずに再び子供を見る。

 パプワとシンタローは彼がパプワと出会う前からの友人で、とても仲がよかった。四六時中一緒にいるわけではないのだが。ここぞという時には息がぴったり合っていることで、それが解る。

 リキッドは二人がケンカをしているところなど、見たこともないし聞いたことも(一方的に命令されていたり、じゃれあいのような殴り合いならしょっちゅう目にしていたが)なかった。それなのに、その二人がケンカ――

「え、な、何でまた、ケンカなんかしたんだよ!?」

「・・・僕が知るか。普通に話してたら急に「お前も同じなんだな」とか行って一人で黙り込むから、訳が解らなくて別の話をしようとしたら、怒り出した。何でかと聞かれても、僕のほうが知りたいくらいだ」

「あ・・・そうなのか・・・・・・・」

 具体的なことを質問していって、原因を探ってみようかとも思ったが、嫌な思いをしただろう子供に、それ以上掘り返させるのはためらわれたし、チャッピーも困ったような表情を浮かべていたので、今はやめておこうと思った。

 唯一の目撃者であるチャッピーが口を利けないとなると、シンタローに聞いてみるしかないか、ともぼんやりと考える。

(パプワも寂しいだろうしな・・・)

 窓に何かが当たる音がして、意識をそちらに向けると雨が降ってきていた。洗濯物を入れていないことを思い出したのはその瞬間で、慌てて立ち上がったリキッドは、ちゃぶ台の縁に思い切り足をぶつけてしまった。











 大学部の校舎は、高等部以上に解りにくかった。そもそも上級学校は専門家が進み、クラス分けなどあってないに等しいので、人を探すには、わざわざ聞いてまわらないとならない。

 リキッドは、シンタローが何を専攻しているのかなどそもそも知らないので、名前と学年、外見的特長で探すしかない。幸いなことにシンタローは学園内では有名で、大抵の人が知っていた。だが、現在の所在までを知る人は少なかった。

「ああ、あの方なら部室よ」

 ようやく得た情報は、五人目に聞いた女生徒からだった。慇懃無礼とも取れる言い方に少々カチンと来たが、おとなしく礼を言って3階の部室――音楽室へと足を進める。

 階段を上がるたび(高等部にはエレベーターもあったが、制服を着てそれに乗るのはためらわれた)人の声が減ってゆき、リキッドの立てる音だけが、大きく響いてくる。階段を上りきり、廊下に出ると、辺りを見回しながら歩を進める。程なく音楽室と書かれた教室が見えた。

 もう授業は終わっているらしく、人のいる気配はない。

「・・・・・・どこにいるんだろうな・・・」

 音楽室は第1と第2、準備室、個人練習室がそれぞれある。とりあえず、と一番大きな教室である第1音楽室のドアを開けた。

 ガキッ!

「・・・・・・」

 鍵がかかっていたようで、数センチで突っかかってしまう。ばつの悪い思いで、静かに開いた分を戻した。

「・・・・・・ん?」

 横手にある楽器室からイスを引く音が聞こえた気がして、そっと覗き込んでみる。すると、その狭く薄暗い室内には、彼の探し人がいた。彼女はテーブルの上で仰向けに寝転がり、足を地面に投げ出した姿で。

「! シ、シンタローさん!? 何やってんすか!」

「・・・・・・お前か」

 むくりと上半身を起こしたシンタローは、突然入ってきた男にも驚いた様子はなく、気だるげにそんなことを言う。そもそも窓か少なく、光量のない部屋だが、今はさらに逆光になっていて、顔つきがはっきりしない。

「危ないですよ、こんなところで寝てちゃ!」

「あ・・・あ~、平気だよ。壊れるもんは端に寄せてあるし、熟睡はしねぇし」

「そういうことじゃありません!」

 確かに、小さな楽器やらリード、ステレオなどは長テーブルの隅に寄せられていたが、リキッドの言った危機はそのことではない。

「そんな格好してて、変なおじさんとか来たらどーすんですか!!」

「・・・・・・小学生か、お前は。そんなオッサンは普通、校舎内まで入れるかよ。ここはセキュリティ厳しいんだから」

「・・・・・・それは、そうですけど・・・・・・・」

 校内こそ危ない、と彼は思っている。それは別に、シンタローが言うような変態がここには多いといっているのではない。

 シンタローは多くの男子に好かれている。今日聞いてまわっていてそう思ったのだ。そんなやつらにこんな無防備な姿を目撃されたら、何が起こるかは言わずともがなだ。

 それに、今ようやく理解できたのだが、女性とも安全とは言えないだろう。それだけもてれば、逆恨みしているものもいそうだ。

「襲ってくるような物好きもいねぇし、ここは家よか安全だ」

「・・・・・・」

 まったく自覚のない様子に、人ごととながら心配になってきた。けれどもそんなことを口にしたら、気をつけてくれるどころか怒られかねない。命は惜しいし用事もあったので、とりあえずは黙っていることにする。

「ところで」

 何かに気付いたように、鈍い女性とはリキッドを見た。

「何でお前はこんなことろにいんだ?」

「あ、はい。あの、あなたを探していたんです」

「私を?」

 とたんにシンタローは眉を寄せるどうしてこいつが自分を探すのかと思っているのだろうが、なぜかこちらと目が合うと顔を赤くした。

「そうです。昨日、これ見つけたんすけど、あなたのでしょう?」

「あ。・・・・・・ああ」

 リキッドが差し出したのは、銀色のブローチだった。シンタローがコートの飾りにつけていたものだったが、機能性がないからか今の今まで忘れていたらしい。

 細長い葉っぱを燃したデザインのもので、ダイヤのような小さいガラス球が3つ並んでついている。シンプルだがちゃちなつくりではなく、大きさもそれなりで、贋物にしてはいい出来のものだろうと思われた。

 互いに手を伸ばしてそのブローチを受け渡そうとしたのだが、どうしてかそれは双方の手を離れ、地面に落ちてしまう。

 カシャーン・・・と、軽い音がして、ノリウムの地面に落ちたブローチは、あっさりと分解した。

「あ・・・・・・す、すんません!」

「何やってんだよてめぇは! 気ぃつけろ!」

 冷や汗をたらしながら、本当に自分が悪いのかは定かではないが、怒鳴られたリキッドは頭を下げる。その足元へとかが見込み、シンタローは破片を広い集めた。しばらくそのかけらを凝視していたが、終わったらしくほっと息を吐く。

「よかった・・・基礎は壊れてない・・・・・・」

 大事そうにブローチのかけらをティッシュにくるむと、そっと鞄に入れた。

「それ、大事なものなんすか・・・?」

「ああ。忘れてっちまったけどな。母さんにもらったんだ」

「・・・・・・・あ・・・・・・・」

 シンタローには母がいない。彼女が18のとき、弟を生んで他界してしまったのだ。つい最近友人からその事実を聞いたばかりだったリキッドは、自分のしでかしてしまったことに青ざめる。

「す、すんません、本当に・・・」

「まったくだぜ、ぼけっとしてんな」

 悪態をつくが、いつもと変わらない様子に再び申し訳ありませんと謝ってから、そろそろと相手をうかがった。

「あの・・・」

「ん?」

 やってしまったものは仕方がない。せめて始末くらいは自分でつけようと、口を開くと彼女は不思議そうに見返してきた。

「それ、よかったら俺が直します。手先は器用なんすよ、これでも」

「は? いや、別にそこまでしなくとも・・・」

「いえ、やらせてください。俺のせいで壊れたんすから!」

「そりゃそうだが・・・。直せんのかよ、お前」

 シンタローは実に疑わしそうな目を向けてきている。どう考えても素人にしか見えないものに、大切なものを預けていいものかと悩んでいるのだろう。しかし、譲らないぞという気迫をこめて見つめていると、それが通じたか、あきらめたか、頭をかきながらブローチを差し出してきた。

「まあ、どうしてもっつーんならいいけどよ・・・・・・」

「はい! ありがとうございます!」

 今度こそ両手で注意深く受け取ると、修理する側にもかかわらずそんなことを言う。

 パーツを見落とさないように、ティッシュを開いて確認していると、頭上から声がかかる。

「パプワの前ではやんなよ。刺さったらあぶねーから」

「え? あ、はい」

 意外な言葉に思わず相手を見返すと、すぐに顔をそらされてしまった。不思議に思いながらもブローチをしまっていると威風堂々な口調が振ってくる。

「んだよ変な面して。私が心配しちゃ、おかしいか」

「いえ、そうじゃなくてですね。・・・ケンカしたって聞いたんですけど、もう仲直りしたんすか?」

「・・・・・・」

シンタローの顔が朱色に染まる。鋭くなった目つきに一瞬後ずさりかけるもどうにか踏みとどまり、おずおずとその表情の中にある感情をうかがった。

「パ、パプワに聞いたんすよ。急にシンタローさんが怒り出したって。・・・だから、そっちはまだ怒ってんのかなって・・・」

「怒ってねーよ」

 ふん、と明らかに不機嫌な様子でそっぽを向きながら言われても、まったく説得力はない。

「何が原因だったんすか?」

 そんなシンタローの行動とパプワの不機嫌そうな様子を思い出して、聞いてみる。そもそも彼がここに来た理由に、ブローチを渡すというのの他に、二人のケンカのいきさつを知る、というものもあった。

 口を出すべきではないのかもしれないが、二人には少なからず関わらなければならない立場にいる以上、何も知らないのは都合が悪い。

 目撃者もいなかったので、当事者に聞くしかないが、機嫌の直ったパプワにも、よく解っていないようだったので、本人のほうへ来てみたのだが・・・

「別に。ケンカなんかしてねーし。お前にゃ関係ねぇだろ」

「嘘つかないでくださいよ。昨日怒ってたじゃないっすか。俺とすれ違ったみつあみの人って、シンタローさんでしょ? あの時返事もしなかったのは、怒ってた証拠っすよ」

「え・・・・・・・」

 シンタローの目が丸くなる。すぐには気付かなかったが、確かにそのときすれ違ったのも、返事をしなかったのも彼女だと、リキッドは確信していた。。

「気付いてたのか・・・?」

 なぜか、続くその声は震えていた。

「そりゃ、あれだけ近くで・・・」

 リキッドの言いかけた言葉は、そこで途切れてしまう。さすがに声だけでなく全身も震えていることに、不信感を覚えたのだ。顔をうつむけてこぶしを握っているシンタローを、2、3歩の距離を置いて恐る恐る覗き込む。

 今日はいつもどおり、ひとつにくくっている髪から零れ落ちた横紙が、さらりと面長な頬を覆って流れている。

「シンタローさん? ・・・・・・って、うわ!」

 突然シンタローは手を振り上げ、リキッドに襲い掛かってきた。とはいっても狭い部屋である。正確には平手ではたきかかってきただけど、ほとんどの痛みは制服に吸収されたのだが、あまりにも唐突だったために、彼はよろめき、雑貨の入った棚に肩をぶつけてしまう。

「いって・・・! なんなんすか、いきなり!」

「うるせえ! お前何なんだよ! いったい何様だよ! 何考えて生きてんだ!? いっつもへらへらしてやがって!」

「な・・・・・・・」

 脈絡のない罵倒に、訳がわからず混乱したが、それより何より沸き上げって来る怒りのほうが強かった。いくら普段から蔑まれているようだとはいえ、彼にだって自意識というものはある。理由もなく暴力を受け、怒鳴りつけられ、さすがのリキッドも相手が学園町の子であるということも、年長とはいえ女性であるということも吹き飛んでしまう。

「あんたこそ、いつも人のことばかにして見下して! 俺はあんたの部下じゃないんだ!」

「・・・・・・っ、テメッ・・・!」

 頭に血が上っているのはシンタローも同じことだったらしく、リキッドの襟首につかみかかってきた。彼もそれに抵抗し、逆に腕をつかんでひねる。

「っ・・・・・・く・・・」

 固められた腕を振り払うと、力任せに平手を打ってきた。その腕をがっちりと捕まえ、襟元をつかんでいた手を払う。

「・・・・・・っ!」

「・・・・・・ふっ」

 二人は互いにつかみ合いもつりあっていた。原因すら忘れてしまうくらいに熱くなり、机を蹴り飛ばしほこりを巻き上げ、子供のケンカかと思われるほど、髪も服も乱れ放題になった頃、ついにシンタローが疲れに我を忘れてしまったのだろう。狭い室内にもかかわらず、力の加減もせずに、物の詰まった棚にリキッドを突き飛ばした。

「うわっ!! ・・・・・・っつ」

 したたか体を打ちつけたことにより、一瞬息が詰まり目の前が暗くなった。足からも力が抜け、ぼんやりとした意識でずるずると座り込む。

「あ・・・・・・」

 曇った視線の先に、棚の上の黒い物体があった。なんだろうかと考えるが、リキッドにはよく解らない。ただ、それがとてつもなく大きなものだということは知れた。

「――リキッド!!」

 体の上に、暖かく柔らかい官職が触れた直後、鈍い音と重い振動が伝わってきた。










「え・・・・・・?」

 とっさに目をつぶっていたらしく、その瞬間は見えなかった。それが幸いだったのかどうか、ともかく気付いたときに黒い楽器ケースが床に転がり、落ちた衝撃でなのだろう。ふたが開いて、中身が床にぶちまけられていた。

「あ・・・・・・」

 ケースの中身は、空だった。正確には掃除用具やねじなどのパーツが入っており、それらが床に広がっていたのだが、肝心の楽器は入っていなかったのだ。見えるのは、その形にくりぬかれた柔らかい布のみ。

 リキッドはほっと力を抜け、ずしりと体にかかる重みにようやく意識を向けた。気付かなかったわけではない。ただ見るのが恐ろしかっただけだ。だからこそ原因であるケースが軽いものであることを、先に確認したのだろう。

「シ、シンタロー・・・さん?」

 怒鳴られることを覚悟で、そろそろと声をかけるが、さっきまでもみ合っていた女先輩は、反応を返してこない。そんなに怒ってるのか、徒も思ったな、そのわりに体に力がない。

「・・・・・・」

 うつぶせた顔にそうっと手を伸ばして髪を掻き分けると、閉ざされた瞳が目に入ってきた。一瞬どきりとするが、それは気絶させてしまった罪悪感からなのか、無防備な姿を見てしまったことに対する緊張感だったのかは、解らない。というか、そんなことを考えてしまったこと自体に、かなり慌ててしまう。

「んっ・・・・・・」

 髪を引かれた感触に反応してか、シンタローが身じろいだ。驚いてとっさに手を放すと、あまり確かでない視線が、こちらを向いてくる。

「あれ・・・えっと・・・・・・?」

 しばらく二人は意味もなく、互いの目を見合っていたが、不意にシンタローが我に返った。

「あ、そっか・・・大丈夫かお前。・・・つーかなんであんま痛くねぇんだ?」

「あの・・・・・・」

 上に乗られたままで動けないリキッドは、顔を赤らめながら転がるケースを指差した。

「ああ、空だったのか。・・・・・・そーだよな、いくらなんでも人がぶつかったぐれぇで重い楽器は落ちねぇな」

「そ、そうっすね」

「・・・ん? お前ほんとに大丈夫かよ。頭でも打ったのか?」

「い、いえいえいえいえ! 大丈夫です! ですから・・・・・・!」

 心配そうに頭に触れられ、逃げようにも逃げ場のないリキッドは、大慌てでそう言って手を避ける。その行動でシンタローのほうも今の体制に気付いたのだろう。一瞬息を呑むと、勢いよく体を離して立ち上がった。

「っと・・・」

 瞬間、バランスがとれずに机に手をつく。リキッドはそれを見ているだけで助けることも出来ず、ただ同じように立ち上がった。

「あの、大丈夫っすか?」

「ああ? 空ホルンケースが当たったぐれぇでまいるほど、やわじゃねぇよ。・・・・・・私が暴れたのが悪いんだし。・・・・・・えーっと、それで、悪かったな」

 言い終わると背を向け、散らばったケースの中身を拾い始めた。

「あ、て、手伝います!」

「・・・・・・こっちはいいから、机を直してくれよ。お前、パーツとゴミの区別つかねぇだろ?」

「・・・・・・」

 確かにそれはそのとおりだったので、リキッドはおとなしく大人二人分の暴力でずれてしまった机を垂直に直した。よくもまあ上のものが落ちなかったなと思いながら、落ちかけていたものも直す。

 いまや落ち着きを取り戻した頭で、何でこんなことしちゃったかなー、と考える。いくら向こうから手を上げてきたとはいえ、この人に対してここまで頭に来るとは・・・と、リキッドは背後へと意識のみを向けた。

 落ち着いた様子の片付けの音が繰り返されているので、あちらも冷静さは取り戻しているのだろう。この人も、なぜあれほどまでに怒ったのかと考え、ふと、ひとつの可能性を思いついた。

「あの・・・・・・」

「ああ? 終わったのかよ」

「はい・・・。けど、そうじゃなくて・・・・・・」

 言いかけるリキッドを無視して、シンタローは机の様子を確かめる。さすがに無視されることは気に食わないが、先ほど反省したばかりだ。おとなしく背を向けた姿に声をかけた。

「あの、シンタローさん。パプワともこんなケンカをしたんすか?」

 瞬時に鋭い視線が返ってくる。・・・かと思いきや、黒髪の垂れ下がった背中に動く気配はなかった。覚悟を決めて言っただけに、拍子抜けしてしまう。予想と違う反応をされてしまっては、早々言葉を続けられず、一言だけが宙に浮かんだ、気まずい沈黙がしばらく続いた。

「あいつ・・・・・・」

 どうしようかと困りきり、もう帰りたいとまで思い始めた頃、ポツリとシンタローが口を開く。

「あいつ、怒ってたか・・・?」

「あ、ええっと・・・」

 静寂が破られ、救われたような思い出顔を上げたのだが、彼女の問いがすぐには理解できず、一言置いてから思いをめぐらす。あいつとは、この場合一人しかいないわけで・・・・・・

「パプワでしたら、怒ってるつーか、不機嫌ですよ。まあ今はそれほどでもないみたいっすけど」

「そうか」

 軽く、安堵とも落ち込みとも取れるため息をつくと、ホルンケースに近付いていって、棚の上に押し上げた。

「あ・・・」

 瞬間手伝おうかともお思ったが、シンタローより身長の低いリキッドが手伝えることは何もない。ましてケースは軽いのだ。

「・・・・・・・気になるんだったら、早く仲直りしてくださいよ」

 とりあえず気を取り直して、そう口にしてみる。

「パプワ怒っちゃないし、もうそれほど不機嫌でもないっすけど、つまんなそうっす」

「・・・・・・」

「チャッピーもそうですし、コタローも心配してましたよ? 何か言ってたでしょ?」

「・・・・・・」

「俺もそうっす。二人が仲悪いのは変っすよ。おかしいっす。なんか落ち付かねぇし、コタローもいらいらしてるし・・・そっか。さっき俺が頭に来たのも、二人が仲悪くていらいらしてたからかな・・・。シンタローさんもそうなんでしょ? いつもと違うんで、おかしくなってるんっすよね?」

 リキッドはたたみかけるように言葉をつむぐ。自分で言って自分で納得し、そこから力を得ているようで、その表情には自信が見え隠れしている。

 そして、どこか必死さも。

「皆、心配してるんす。仲直りすれば全部解決するんすから、してくださいよ」

「・・・・・・」

 シンタローの瞳は揺れていた。動揺しているのが見て取れてリキッドは少し気まずくなる。だが同時に彼は奇妙な満足感も感じていた。

 傾いていた日がだんだんと姿を隠してゆき、部屋が暗さを増してくることも気にかかる。心臓が不安げに脈打ち始めた。

(あんま長居しちゃまずいよな)

 それもこれも、全てシンタローの返答にかかっているのだ。期待をこめてじっと黒い瞳を見つめていると。困ったようにその口が開かれた。

「オレ、あんまケンカとかしたことねぇんだよ。特に子供相手にゃ初めてだしな。しかもすっげぇくだらねぇ理由で・・・。たぶんパプワは、何がなんだか解ってねぇだろう。勝手に怒って勝手に帰ったんだ。いまさら何か言うのも、こっぱずかしいんだよ」

「それは・・・解ります」

 子供の頃のケンカで、自分が悪いと解っていながら素直に謝れなかったこと、父親相手に子供じみた八つ当たりをし、その後何も言えずにただにらみつけていたこと、自分でなくさないようにと置いたものを自分で忘れ、パプワに指摘されて赤っ恥をかいたこと・・・などを思い出し、心から言うとそれが伝わったのか、彼女の表情が和らいだ。

「ほんとくっだんねぇことなんだよな。あいつが、オレの一族と同じ力を持ってるって知って、でもオレは持ってねぇから・・・やつあたって、でもあいつそーゆーところは大人じみてるから、なだめられて余計にむかついてよ、後はもう・・・泥沼」

 苦笑いを浮かべながら、今にも泣きそうな表情でため息をつく。その姿は今の時間帯もあいまって、とても切なさをかもし出していた。横顔のほとんどは髪で覆われていても、それだけは大いに伝わってくるのだ。

「早く出てぇよ、ここから。でも謝んのも・・・・・・なんか違う気がする」

「・・・・・・じゃ、それでいいんじゃないすか?」

 驚いたような顔がこちらに向けられた。ひらひらと舞う髪は光の中で見たら、さぞかし艶めいてきれいなのだろうなと、何となく思う。

「謝れないんなら謝らなくとも、会えばきっと今まで通りになりますよ。そうなれば、シンタローさんのもやもやもきっと晴れると思いますよ?」

 二人が仲たがいをしているのが嫌なのだ。それさえ解決すれば、もう問題はなくなると、単純だが思う。気持ちの問題はそれからどうにかしていけばいいのだ。それは確かにある意味では、正しい選択ではある。

「・・・・・・そうかな?」

「そうっすよ」

 はっきり言ったリキッドに、シンタローがパプワとけんかをした根本的な原因も、先ほど平静を失った確かな理由も、よくわからない。聞き返して突き止めたい気持ちは大いにあるが、それよりもまず二人を仲直りさせるほうが先決だ。

 彼がここに来た目的は、ひとつにはそれがあったのだから。自信を持って断言する。

 シンタローもリキッドの態度に心動かされているようで、落ち着かない行動を繰り返している。ふとここで先ほどからシンタローの人称が、“オレ”に変化していることに気づいた。

(いつも”私”だったのに・・・ひょっとして、自が出てる?)

 疑問に思って年上の女性を見つめると、泳いでいた黒い瞳が、そのときぴたりとこちらに定まった。

「・・・・・・そうかな・・・」

 言葉は先ほどのものと同じだが、調子がだいぶ違う。もっとずっと穏やかで、顔にはうっすらとした笑みさえ浮かんでいた。

 その表情に一瞬リキッドは意表を突かれ、呆然とするが、すぐに暖かい気持ちが湧き上がってきて、思わず笑みを返していた。

「いつでも来てくださいよ、会いに。この間の飯のお礼もしたいですし」

「・・・・・・ああ」

 そういえばそんなこともしたっけな、とつぶやきながら外を見たシンタローは、目の前に広がる暗闇に目を見開く。つられて外を見たリキッドも、とたんに慌てふためいた。

「げ、もうこんなに暗い! 早く帰んねぇと・・・!」

 家で待っている子供が何を考えるかなど、リキッドでなくとも理解できる。その慌てぶりが痛いほど伝わったのだろう。シンタローはリキッドに早く帰るよう促した。

「はい・・・! て、あ・・・シンタローさんは・・・」

「私も帰るよ。けどお前、急ぐだろ?」

 そりゃそうですけど・・・とつぶやきつつも、このままこの先輩を放っていくことはできそうもなかった。なんといってもシンタローは女性で、しかも先ほどまで数秒とはいえ、気を失っていたのだ。

「送ってきます! シンタローさん家近いですし、一人じゃ危ないですよ!」

 言ってはみたものの、怒られる呆れられるかどちらにしろ断られると思っていったのだが、意外にもシンタローは承諾した。

「言葉が矛盾してる気がするが・・・・・・ま、お前がそこまで言うのなら、しょうがねぇから送られてやってもいい」

「はい!」

 照れながら言われたその言葉が、妙に嬉しかった。それだけでリキッドは、今日あったさまざまな出来事が、全ていいことのように思えてきたのだった。



























 後日、シンタローがリキッドの寮部屋に姿を現した。しばらく席をはずしてパプワたちだけにしたので、彼らがどんな対話をしたのかは解らない。確かなのは、リキッドが目にした二人はいつも通りのやり取りをしていた、ということだけだ。

 もっとも、それだけ解れば十分なのだが。

「シンタローさん」

「あ?」

 騒がしさの戻った部屋の中で、シンタローがパプワから離れたときを見計らって声をかける。それはそれは偉そうな、いつも通りの返事が返ってきた。

「これ、直しときました」

 リキッドの差し出したものを見て、一瞬目を丸くするが、すぐにうっすらと笑って手を伸ばし、それを受け取る。

「サンキュ、リキッド」

 髪を編んだシンタローの手の中で、ブローチがきらりと輝いた。


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