酔っ払い編
扉が開き、ぐったりとした一人と、それを支えるもう一人が入ってくる。ひどく酒臭く、どちらからにおっているのかももう解らない。二人ともかもしれない。
今は新年会シーズンで、そのあおりを食らったのか、支えられている黒髪は、もうぐでんぐでんだ。支えている黒地に金メッシュも、それなりのようではあるが。
「しっかりしてくださいよ、シンタローさん!」
「あ・・・ああ・・・あう・・・」
支えられたシンタローは、そんな返事しか返さない。目はもう開いているのかいないのか、本人もよく解ってはいないだろう。
「参ったなぁ・・・ほら、そこのソファまではちゃんと歩いてください! 靴も脱いで・・・」
支えたリキッドの指示にどうにか従い、ソファに倒れこむ。その振動も気分に響いたらしく、まだ彼女はうめいている。うつぶせているために表情はわからないが、長い黒髪がものように広がっているのは、見ているほうも気分が悪くなるような風景である。
部屋は暗く、酒のにおいさえしなければ、まるでホラー映画のワンシーンだ。
「大丈夫ですか? だから無茶だって・・・」
「・・・・・・う・・・」
男が背中をさすった。ついでに近くにあるテーブルのものをどかしたりしている。ここは彼の部屋なのだ。ならば片付ける前に明かりをつければいいものだと思われる。
ともかく机を片付けた(はじに寄せただけのようにも見える)リキッドは、数回女性の背中をさすってから、奥に消える。水音がしてからコップを手に戻ってきた。台所に行ってきたのだろう。
「はい、シンタローさん水です。飲めますか?」
「あ・・・ぁ・・・」
のろのろと頭を起こして、どうにかといった様子でコップを手に取り、のどに流し込む。
「・・・・・・」
水を飲んでどうにか落ち着いたのか、しばらくしてシンタローはソファに上半身を起こし、だるそうに男を見た。
「リキッド・・・」
「はい?」
「・・・・・・悪ぃな・・・。お前だって・・・っう、きついだろ・・・つ・・・うに・・・」
「あなたほどじゃありませんよ・・・」
「・・・・・・」
苦しそうに言葉をつむぐ様子に、リキッドは苦笑い気味に答えるが、シンタローのほうにそれを聞く余裕は内容で、だんだんと体が傾き始めている。
「わわっ! ちょ・・・! 寝るんすか? いや、別にいいんすけど、今かけるもん持ってきますから! あ、上着くらい脱いでくださいね」
「・・・・・・ぉぉ・・・」
走り去ってゆく音の中、かすれた声でそんな返事ともつかない音を返して、シンタローはしばらく固まっていた。やがて、どうにかといった様子で立ち上がると、コートを脱いでジャケットを脱いでジーンズを下ろしてその下のストッキングまで脱いで、再びソファに沈んだ。
仕方のないことなのだが、脱いだものは全てその場に放置されている。どう考えても妙齢の女性が他人の家ですることではない。
やがて、ばたばたと戻ってきたリキッドが、ぐったりとした人影に毛布をかける。ようやく思いついたのかここで一度壁際により、電気のスイッチを入れた。
「!?」
「・・・・・・うう・・・」
うめき声に慌てて我に返り、明度を落とすが、それからの行動がない。シンタローはうめきながらも眠りに落ちかけているようだが・・・。
「・・・・・・どうしろって?」
成人したばかりの若い男が、脱ぎ散らかされた女性の服を目の当たりにしたときの感想としては、ごく平凡なものだろう。そんな機会に出くわすことが、果たしてそう回数があるかどうかはともかく。
(や、やっぱ片付けなきゃ、だよな。そうだよ、この人もともと言動とか男っぽいし、それほど抵抗ないだろ俺! これは不可抗力なんだよ、うん。しょうがない状況なんだ)
心中で言い訳をつぶやきながら、服を拾い上げ始める。一つ一つ手にとっては、妙にゆっくりたたんでいるのは、音で起こさないためだろうか? 無論、いまだためらいも残るためもあるだろう。ストッキングに手を差し出しかけたときは、直前でしばらく固まり、考えているようだった。
「・・・・・・・・・・・・」
そっとたたんだものを床に重ねると、すばやい動作でストッキングをつかみ、3秒ほどでたたんで服の上に乗せた。つまんで触る面積を少なくする方法もあったろうが、それではまるで汚れ物を扱うようなので、気がとがめたのだろう。実際、洗濯が必要な汚れ物なのだが。
一連の動作を終えると、リキッドは毛布をかけなおし、ため息をつきながら出て行った。シンタローのほうはもう夢うつつの状態らしく、何の反応もない。
このシンタロー、実はリキッドに惚れている。が、それを口に出さないどころか態度にもあらわせないので、まったく気付かれてはいないのだ。古くから彼女を知っている同僚や、リキッドの先輩でもあるシンタローの叔父らには、ある程度理解されているが。
当の本人に通じている可能性は0だと、少なくとも彼女は思っている。それどころか女として見られているかという自信すらなかった。
だが今、明らかにリキッドの反応は、女性に対するものだ。だからこそ起きていないのは非常にもったいない。起きていたところで互いに何かをする度胸もないだろうが。ただシンタローの心は少し晴れたかと思う。
そんなかすかな逢瀬の機会を逃した二人だったが、リキッドにとってはもったいないどころか、非常に困った状況になっているらしい。出てきた部屋の扉を閉めると、それにもたれかかる。そのままずるずると滑り落ちていった。
よく見ずとも顔が赤い。頭をぐしゃぐしゃにかき回して呼吸を整えているのが、なにやら若々しくて微笑ましかった。
「参ったな・・・」
呟きが暗い部屋に響く。何に対して参っているのか、非常に興味がもたれるところだ。酔っ払いに居座られてなのか、女性と一つ屋根の下に二人きりな事なのか、それとも・・・
「どーすっかなー・・・」
リキッドの視線の先には電話。おそらくシンタローの家に連絡するべきかどうか迷っているのだろう。
「こんな時間に電話かけんの、非常識だよな・・・。でも、いくら二十歳こえてるとはいえ、一人娘が無断外泊しちゃあ、心配するだろうし・・・」
一般論をつぶやく。
「・・・・・・でも、俺がかけたら・・・つーか今、ここにいる時点で俺の身って危うい? いやいやでもこれは不可抗力だし事故だよ事故うんただ・・・それを解ってもらえるか・・・・・・?」
と、本音が続く。彼女の父親であるマジックや叔父で上司のハーレムが電話に出れば、からかわれたりいじめられたり、下手すれば問答無用の眼魔砲で容赦なく撃墜され、果ては退学になってしまうかもしれない。それは彼の(いろいろな意味で)今後の人生を左右する事態だった。
同じ身内でも従兄弟のグンマやキンタローならば命には関わらないだろうが・・・。彼らもシンタローを大切にしていることには変わりない。先ほどから嫌な予感が離れなかった。何か、長期的で精神的な負担がかかりそうな予感がする。
「ああ・・・どっちにしろ電話の相手が選べないんなら、どうしよもねぇじゃねえか!」
頭を抱えてのた打ち回るリキッドだったが、きっとはっきり言ってどうしようもない。誰に知らせようとシンタローのことだ、彼が想像した全ての人に、連絡は行くだろう。
「・・・やっぱ、これっきゃないか・・・」
しばらく考えていた男は、やがてそう言うとゆっくりと上体を起こす。
「明日、黙っておいてもらえるように頼もう・・・」
情けのない結論に達した。若輩とはいえ男が、自ら連れ込んだ女性に頼るとは。下心は皆無にせよ。
実際リキッドはシンタローをどう思っているのだろう。先輩として慕ってはいるのだろうが、生来人懐っこい彼のことである、基本的に誰に対しても親しげだ。まあ、そのせいでよくからかわれたりもしているが、シンタローは比較的その度数が弱い。そのためか、彼らはシンタローが卒業してからも、個人的な付き合いを続けている。
しかしそれは2人の間のみではない。やはり基本的にリキッドの体質によるものなのだろう。彼を知る年長者は、からかったりしつつも放っておけないという感情を抱いているようで、本人もそういう者達になついているのだろう。
その本人は、ようやく女性の眠る部屋のドアから離れると、自分の部屋へと入っていく。
「明日は大変そうだなぁ・・・」
彼もシンタローほどではないにしろ酒を飲んでいる。いろいろな意味でそうだろう。
部屋の明かりが消え、その日二人は別々の部屋で眠りについたのだった。
「っ!?」
目を覚ましたシンタローはまず、自分の状況に驚き、ついで頭痛とともに記憶が戻ってきてから落ち着きを取り戻した。
(そっか・・・夕べ・・・)
ブラウスと下着しか身につけていない姿に、一瞬ひやりとしたようだが、自分で脱いだ記憶がおぼろげながらもよみがえり、安心する。近くにたたまれた服が置いてあるが、たたんだ覚えはない。
「悪ぃこと、しちまったなぁ・・・」
酔っ払っていたとはいえ、ほぼ全体重を預けながらここまで連れてこられ、一泊し、一言もなく帰るというのは気分が(シンタロー的には)よろしくない。ここは一発心意気を見せないとな、と立ち上がる。
かすかにふらついたものの、その後は二日酔いなど感じさせない足取りで、服を身に着け外の様子をうかがう。
「おーい・・・起きてるかー?」
扉越しに声をかけても返事はない。時計を見ると朝食にはやや早いかな、という時間。
「・・・・・・・よし」
シンタローは一言つぶやくと寝室の扉に背を向け、台所へと足を向けた。そこへ向かうとしたら、することはひとつだ。
一方リキッドはいまだにベッドの中だった。まだ目覚めてはいないようだが、そのほうが幸福だろう。けれどもカーテンも引いていない部屋には、朝日が容赦なく差し込み、ベッドを照らす。その光にやがて部屋の主も目を覚まさざるを得なくなった。
「う・・・つ・・・くぅ・・・って・・・? あぁ・・・」
こちらもしばらくうめいてから状況を思い出したらしい。シンタローよりも長い時間をかけ、とにかくどうにか起き上がろうとしている。
「あ・・・れ・・・?」
気付いたようだ。不思議そうに空気のにおいをかいでいる。布団をかぶったままのぼんやりとした頭ながらの、漂う匂いのもとくらいはわかったらしく、大慌てで身を起こす。その拍子にどすん、ばたんと大きな音が響いた。
隣から壁を叩く音がした。リキッドは瞬時にそちらを凝視する。
「おい、起きたのか? だったらさっさと着替えてこっち来いよ」
声の主が壁際から去る気配がしても、硬直してしまったりキッドはしばらく動けないでいた。信じられない、という感情をその表情は表している。だが状況は、彼にそんな表情で固まっていることを許してはくれなかった。
「おい! さっさとしろよ! 二度寝してんじゃねぇだろうな!!」
「は、はい・・・!」
先ほどよりも大きく壁を叩かれ、ようやく我に返ったようだ。早くしないとあの年長者は気分屋だ。自分の願いを聞いてくれなくなってしまうかもしれない。
身支度を終えたリキッドが居間に出ると、予想通りそこには、朝食が用意されていた。純和風のちゃぶ台に似合いそうな、暖かな景色。
「やっと来たか。おはよーさん。勝手に使わせてもらってるぜ。お前も二日酔いなら和食がいいだろうと思ってな。みそ汁はいいんだぜ? ・・・つーか食えるか? 気分悪いっつーんなら、もっと食い易いおかゆとかにするけど・・・」
「・・・・・・い、いえいえいえいえ! いただきます! ・・・っていうかすいません! こんなことしてもらっちゃって・・・・・・!」
平然とした風なシンタローに、リキッドは大慌てで答えるが、本当は彼女も緊張しているはずなのだ。何せ好きな男の部屋に一泊したのだから。そんなことは微塵も感じさせない鉄面皮は、本当に見上げた自意識だ。・・・・・・本人も嫌気がさしているらしく、苦い表情が見え隠れしているが。
「・・・・・・こっちのせりふだ、そりゃ。昨夜は迷惑かけたみてぇだな。だからこれはその礼だ。これで互いに相殺って事で、手を打とうぜ」
我ながらかわいげのない物言いだ、とでも思っているのだろう。ますます苦い顔でシンタローは席に着く。しかしリキッドのほうはそんな態度には慣れているようで、内容を理解するとぱっと顔を輝かせた。
「そうですか? そうしていただけると、ありがたいっす!」
「いいからとっとと席、着けよ」
「はい!」
ぶっきらぼうな言葉にも笑みを向けてくるのに、知らず知らずシンタローは赤面している。はっと肩を震わせると、それを振り払うかのように頭を振った。
「・・・どうかしましたか?」
「・・・・・・なんでもない。それよりお前ん家、意外と食材そろってんな」
「そりゃ、育ち盛りがいますからね」
「・・・・・・そういや、パプワは?」
「子ども会の旅行っすよ。コタローも行ってませんでしたっけ?」
「ああ・・・・・・」
なんてことのない会話の続く朝の風景。このようなことが日常的に続けばと、ひそかに願ったのは果たしでどちらだったのだろうか。
ちょっとだけ違った感じのリキシン学園。
三人称が変わっただけなんすけどね。誰かの視点。
ちょみっと進展。ちなみにリキッド君はもう大学生です。シンタローはもう社会人。結局企業に残ってます。
ぶっちゃけ総帥になるんでね。
次でとりあえず一区切りですこの話。
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