5.コタロー
(気に入らない・・・よりにもよって何で家政夫なわけ!?)
足取りも荒く、コタローは歩を進めていた。向かうのは姉の部屋――小さい頃の家とも言えるような場所だ。
彼は、姉であるシンタローが大好きだ。今でこそ父親とも仲がよく、友人もたくさんできたが、父に疎まれていた時代は小さかったせいもあるが、外部とは関わらず、姉とばかり遊んでいた。
姉は、自分の母親代わりをしているつもりだったのだろう。惜しみない愛情を注いでくれたが、よく叱られもした。最も大抵泣いて謝れば、鼻血をたらしながら許してくれたが――。
それはともかく。
コタローにとってシンタローは、最愛の姉であり母でありあこがれの女性であり目標であり、幸せになるべき人でもあった。そんな人が、不釣合いな男に恋し(しかも本人は片思いだと思い込んでいる)思い悩んでいるとなれば、黙ってはいられない。一言口を挟むくらいはしないと、気はすみそうもない。
「もう! 悪い男がつかないと思ったら、見る目ないなんてさ! ホントもったいないよ、お姉ちゃんは。あんな優しくて美人でお金もあるんだから、もっとふさわしい人がいるはずなのに!」
口に出しながら歩くコタローの言葉は、幸い誰にも聞かれていないようだった。誰にも会わないように、そう考えて道を選んでいたのだが、彼が曲がろうとする分かれ道の先に、人影を見つけてしまう。そしてその人物に言葉を聞かれてしまっていたようだった。
「ずいぶんでっけぇ独り言だな、コタロー」
「叔父さん・・・! と、その愉快な仲間達」
現れた大柄な男を睨みあげるように言うと、大人達の大半は苦い顔を見せた。
「愉快・・・・・・ですか」
「まま、マーカー。不景気って言われるよりいいじゃなーい」
「・・・・・・・」
叔父の部下であるマーカー、ロッド、Gはそんな反応を見せたが、ハーレムのほうは、いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「へ、アホみたいにシスコンぶりを発揮している奴に、何言われたって痛かないね」
見下すような口調に(実際体格は見下されている)コタローはむっとしたが、残る三人は互いに同じ突っ込みを心中で上司に入れていたのだった。
(あんたはいつ、誰に何を言われても痛くないだろ!)
そんな彼らの内心を知ってか知らずか、叔父と甥は話を続ける。
「シスコンなんかじゃないよ! 僕はただ、お姉ちゃんを心配して・・・・・・・!」
「心配、ねぇ。しちゃ悪いってことはねぇけど、時と場合によるぜ。どさくさにまぎれて一緒に風呂はいるってのは、いくらシンタローが気にせずとも、そろそろやめた方がいいんじゃねぇの?」
「あれは・・・! 事故だよ、入ってるって知らなくて・・・・・! それに、一回だけじゃないか!」
「へぇぇ~。真っ赤になっちゃってまぁ・・・」
「叔父さん!」
怒るよ! とこぶしを振り上げたコタローに、大人げのない叔父はようやく攻撃の矛先を収めた。いまだに顔に笑みはあるものの、話を聞く態勢に放っている。
「うっせーなー・・・・・・・。へいへいわかったよ、お子様。ところでさっきから何叫んでたんだ? “ふさわしい人がいる”とか何とか言ってたけど」
「そう! そうだよ叔父さん、家政夫は!?」
はっと気付いたように顔色を変え、ハーレムを見上げる。当初の彼は姉の部屋に行こうと思っていたのだが、ここに来て気を変えたのだ。
(お姉ちゃんに聞くより、こっちをはっきりさせないと! ――何かしてたら承知しないよ!)
もっとも問題の馬の骨とは、友人が同居しているので、めったのことはないと思う。思いつつも勢い込んだコタローは、叔父の返答を待つ。彼は目を瞬きつつも、困ったよう返してくる。
「リキッドか? 家にいるだろ、この時間は。つか俺の言ったことに答えろよ。あのアメリカ坊やが、その“ふさわしい人”なのか?」
「――っ、んなことあってたまるか!!」
これまでにない激しい口調に、大の大人が4人、思わず飛び上がってしまった。激しい気性を持つ一族の血を、もっとも色濃く受け継いだものの一括だ。いくら子供とはいえ甘く見られない。以前も一度かんしゃくを起こしたこの子供に、ひどい目に合わされたことも、彼らにはあったのだ。
もちろん今は落ち着いて、自分の感情をコントロールしようという気持ちはあるが・・・。
「な、何だよ。怒鳴らなくても・・・・・・・・」
「あいつが、家政夫が、お姉ちゃんにふさわしい男であるはずがない!」
「へ・・・・・・・」
一瞬呆然としたハーレムだったが、荒い息をつく甥っ子の様子に、だんだんと納得がいってきたようだった。しばし間が置かれてから、小さな肩に手が添えられる。
「まあまあ、落ち着けって。気持ちは解らんでもないが、こればっかりは本人の問題なわけでなぁ・・・」
「解ってるよそんなこと! だけど、だけど、だけど・・・・・・・・」
興奮に体を震わせながらどもるコタローは、それでもどうにか言葉をつむごうとする。唇を湿らせると、いつの間にかうつむけていた顔を、すっと上げた。
「だからって、納得できないよ。お姉ちゃん、総帥になるので大変なのに、あんなちゃらんぽらんな奴のどこが・・・、何だってあんな奴のために、あんなに悩まなきゃなんないのさ!」
「って、言われてもな――・・・・・・」
ハーレムは困って泳がせた視線の先で、部下と顔を見合わせた。その様子を不満とともに見上げていた子供は、彼らのさらに向こうに見知った人影を見る。それは、彼の捜し求めていた男で――
「――リキッド!!」
呼びかける、というには強い語調で言うと、彼は驚いたようにこちらを見返し、おびえたような動作で近付いてきた。
「な、何だよコタロー、いきなりそんな声出して――」
「何でお前なんだよ! しゃきっとしろよ! お前がそんなんじゃなければ・・・・・・もっとしっかりしてたら・・・・・・・!」
「まぁまぁ、落ち着いてください、コタロー様」
訳がわからずあせるリキッドと憤るコタローの間に入り、二人をなだめる様子を見せたのは、マーカーだった。怒りの勢いのまま痩身の中国人を見上げると、彼はおかしそうな笑みを浮かべながら、コタローの頭を軽く叩く。
「その言い方ではまるで、このものがしっかりとさえしていれば、シンタロー様に沿わせてもいい、とおっしゃっているようですよ?」
「へ・・・!? え・・・?」
目を瞬くリキッドには目もくれず、渋い表情でコタローはマーカーを見上げる。他の面々もニヤニヤ笑を浮かべているところを見ると、誰がどう見ても彼の言い分は、そういうように思えるものだったのだろう。
「・・・・・・しょうがないじゃないか。お姉ちゃんはこいつが好きなんだから。でも、納得いかない! こんなのと一緒になっても苦労するだけだもん!」
「ま、そりゃそうだろ。総帥になんなら、旦那はそれなりの男じゃねぇとな」
コタローの言葉を受けた彼の叔父がちらりとリキッドに目をやると、男の方が少しだけびくりと揺れたのが目に留まる、同じくコタローもそれに気づくが、叔父の言葉はなおも続いた。
「就任すりゃあ、いつまでも独り身ってわけにゃいかねぇだろうし」
「けど、高い地位につくんなら、金目当てのやからなんかも寄ってくるっしょーね」
わざとらしいまじめ顔(と、コタローには見えた)で、もっともらしい事をロッドが言う。それは彼自身も心配していることなのだ。人付き合いは多いが、人の好意には慣れていない姉である。経験豊富な者の手管にかかれば、あっという間に落ちていってしまうかもしれない。
だからこそ、今の思い人であるリキッドがしっかりしていれば・・・・・・と、思ったわけなのだが。
「シンタロー様、けっこう純情ですからね。案外ころっとだまされちゃったりして」
「そうでなくとも」
真剣さを保ちきれずに笑い出したロッドをたしなめ、打ち切るようにマーカーが割って入る。
「評判を落とそうと、スキャンダルをかぎまわりに来るやからなどもいるでしょうしね」
「・・・・・・」
Gは無言だったが、同僚の言葉に一つ一つうなずくと、仕上げとばかりにリキッドの肩に手を置いた。大人達の意識は最年少の同僚に向けられているようだったが、話しかけるのはコタローにばかり。そんな彼らのささやかなたくらみに気付いた子供は、同じくリキッドに一言いいたいがために、あえて乗ってみることにした。
「そう、だから僕これからお姉ちゃんのところに行ってこようと思ってさ。望みがないなら早くいい人見つけた方がいいし」
僕が言えば、真剣に考えてくれるだろうしねー。と何気なく見上げると、男の顔は歪んでいた。加えて、少し青ざめているのが意外に思える。
(へ・・・実は案外真剣だったのか・・・・・・それなら大丈夫かなぁ・・・・・・つーかここに来てそんな顔するぐらいだったら、とっととまとまってくれてればよかったのに)
姉の伴侶は姉を愛し、守り、迷惑をかけず、頼れる男であってほしい。姉の苦労を、目にしているから。だからこそ姉の選んだ相手には、厳しく対応していたのだ。本当の苦労は、この程度ではないのだから。
今のリキッドには、その苦労を受け取るほどの力量があるとは到底思えない。が、もともとまっすぐなたちの男だ。思いが真剣ならば、コタローの理想の婿となってくれるかもしれない。
(さあ、ここまで言われてどうする、家政夫?)
好奇心と期待のこもった視線の中でリキッドは、しばらくうなだれていたが、やがてさっと顔を上げると、一言こういった。
「俺、用事出来たんで、これで失礼します!」
一礼すると、風のようにその場を去ってゆく。それを見送ったコタローは、呆れたように叔父を見上げた。
「どうなると思う?」
「さあねぇ。なるようになるんじゃねぇ?」
いい加減な・・・と、ますます強く見据えた先で、ハーレムは面白そうに口にくわえていたタバコに火をつけた。
6 リキッドとシンタロー へ