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ぐきゅると腹の虫が鳴った。
「…腹減った」
簡潔かつ正直な一言と共に、腹を押さえてシンタローがぐったりと項垂れた。
隣でグンマも力無くぼやく。
「お昼ご飯、食べ損ねちゃったねー…」
現在時刻は既にお昼どころか、そろそろおやつの時間が近い時分である。
年甲斐もなくお昼寝などしてみたら、見事にうっかり寝過ぎた次第。
食いっぱぐれた理由が理由だけに少々情けなくもこっ恥ずかしいが、昼食抜きでこの時間というのはさすがに堪える。
寝過ぎたのと空腹とで、何だかぼうっと視線が浮いている二人だ。
廊下を歩く足取りがいささか覚束ない。
「とりあえず何か食うもの…」
回らない頭で、それでも食堂になら何かしら残っているだろうと当たりをつけて、ふらふら足を向け掛けたところで、
「おー、ここにおったんか」
聞き覚えのある声に足を止めた。
「…コージ?」
くるりと辺りを見回すと廊下の先に、すぐ目に付く大男が手を振っているのが見えた。
その隣には童顔の黒髪と金髪の美青年の二人連れ。
同時にこちらに気付いて笑顔になる。
「シンタロー!」
「ミヤギに、トットリも…?」
首を傾げたシンタローの元へ、ベストフレンドコンビが仲良く駆け寄った。
一瞬、それがゴールデンレトリバーと黒のラブラドールに見えたのはシンタローの目の錯覚だろう。
たっぷり昼寝した後だったので、きっとまだ寝惚けていたに違いない。
…などと、呑気に思いきや、
「まったく探したっちゃよー」
「主役がいないんじゃ締まらねぇだ」
駆け寄った二人に、問答無用で両脇をそれぞれ掴まえられた。
一見はかるーく腕を引っ掛けているだけのようだが、そこは腐っても軍人、何げにがっちりホールドが決まっている。
ちなみに隣では、グンマがコージに担ぎ上げられていた。いくら体格差があるとは言え、横抱きに姫抱っこされても違和感のない成人男子というのも如何なものだろう。
…ていうか、一体、何事?
もしかして、自分はまだ寝ているんだろうか、などとぼんやり考えている間に、
「来ればわかるべ」
「いくっちゃよー」
両脇を固めた二人にずるずると引き摺られて、シンタローはあっという間に連行されていった。
『 Engagement 』
.
―― 第四話。 宴の支度編 ――
「おらぁ、こんなもんじゃ酒足らねぇぞ!ボトルで何本なんて、まだるっこしいこと言ってねぇで樽で追加しろや!」
「………ハーレム?」
部屋の入り口で、シンタローはぽかんと呟いた。
問答無用で連れてこられた先、普段は会議室として使われる大部屋は、一体何が始まったのか大層賑やかだった。
中央の大テーブルの他にも幾つかのテーブルを出し、イスを部屋の端に寄せ、皿とグラスと酒瓶が部屋のそこここを行ったり来たり。
物と人が移動するたびに、声と音も賑やかに行き交う。
その中で、いつの間に生還したものやら、今朝方どこぞに吹っ飛ばした双子の叔父の片割れが、広い部屋の中央に立って威勢良く(ついでに中身も景気よく)、忙しく立ち回る周囲に向けて怒鳴っていた。
思わず名を呼んだ姪の声に、ハーレムが気付いて振り返った。
すぐに大股に部屋を横切って歩み寄ってくる。
「お、やっと見つかったか」
「何事だ、これ…」
訊くと、彼はどことなく照れ臭そうに頬を掻いた。
「…まぁ何だ。一応、祝い事だろ」
言われて、改めて部屋を見まわす。
どこからどうみても…宴会の準備?
「えっと…?」
祝い事で宴会…ということは、もしかしなくても自分たちの祝宴だろうか。
「………ぇ」
そこまで思い至って、シンタローはにわかに焦った。
予想外の事態に、意味もなく視線が宙に浮く。
…この叔父は。いつもはどうしようもないダメ人間のくせに。
こういうのは、困る。
こんな風に不意打ちで、しかも改めて、素直に礼を言うには日頃の関係が微妙な相手から、こういう真似などされてしまうと、どう反応を返せば良いものやらわからないではないか。
これでも自覚しているが、相当に天の邪鬼な性質である。グンマなどと違って素直に礼など出てくるわけがなく、
「…あんた、飲めれば何でも良いんだろうが」
結局、憎まれ口が飛び出す始末。
だが、いつものように怒るかと思った叔父は、ふんと鼻で笑っただけだった。お見通しらしい。
「キンタローに礼を言っておけよ」
「…へ?」
「先に周りを固めておくんだと。周囲に認知させて、兄貴を後に引けなくさせるつもりなんだろ。ありゃ、ちっと仕込めば良い参謀になれるぜ」
周囲に聞こえないように耳打ちし、間近に寄せた顔がにやりとする。
「…出来た相棒じゃねえか」
からかうように腹を小突かれて、シンタローが噎せた。
瞬きでやり過ごし、ゆるゆると理解が追いついてくる。
キンタローが?
それこそ予想だにしていなかった。
本当に、何て期待する以上をいってくれる奴なんだか。
そう思うのはいささか身贔屓だろうか。
思わず緩む口元を誤魔化すように、シンタローは、べぇと舌を出した。
「誉めたって特戦にゃ、やんねぇからな」
「ちっ、アイツを引き込めば予算ぶん取れると思ったのに…」
「…ふふん」
残念そうに唇を尖らせたハーレムに、得意げに勝ち誇ってやる。
あれは自分のジョーカーだ。そう簡単にくれてやれる手札ではない。
「残念だったな。まー今年の予算も諦め――」
「シンタロー!」
「うっ!!?」
いきなり力任せに背後へ引きずられて、勢いよく仰け反った首が、ぐきと鳴った。
「~~ッがぁ!」
「全く、主も相変わらず水臭いのう」
首を押さえて呻くシンタローに、頭上高くからのし掛かる阿呆は全く頓着なく話し掛けてくる。
わざとじゃないが、絶対に気付いてもいないだろう。文句を言っても無駄。こいつはいつでも大雑把な奴だ。
無言でこきこきと首を回し、左右に軽く振って見て、異常なしと確かめる。
「コージ、テメェ…」
「折角のめでたい話じゃけぇ、わしらにも言うてくれれば良いものをのう」
軽口のような口調に紛れた声音に、シンタローは頭上の顔を見上げた。
図らずも生活と命運とを共にすることになった、…あの島の記憶を分かつ、ひとり。
「…悪かったな。先に一族の方で話通してから、ちゃんと言うつもりだったんだけどよ」
溜息をつき、ちらりと情報源だろうハーレムを見やる。
万年アル中の叔父は既に始める気満々の様子で片手に酒瓶を握りしめている。
あえてこちらの視線は無視しているらしい、何食わぬ顔でそらとぼける。
「正式なのはそのうち兄貴がやんだろうから、ま、今日は内輪でな」
「おい、おっさん…」
文句を言いかけたところで、今度は、がばっと何かが抱き付いた。
「シンタロー様~v」
「ぎゃーーーッ!?」
暑苦しいハグをかまされて思わず絶叫する。
顔なんぞ見なくても判る、上半身裸の筋肉兄貴のダイレクトになま暖かい体温は力一杯セクハラだ。
「離さんか、このイタリア人ーーーーーッ!!」
「女性ってわかった途端に、婚約なんて聞いてないっすよ~。どうっすか、結婚前の最後のバカンスを俺と――っ」
こっちの言葉なぞ聞いちゃいない。
目一杯くっついていた大柄な図体が、見た目を裏切る素早さで飛び退いた。
その位置の床に、団内備品のナイフとフォークが数本ざっくりと突き刺さる。
全てかわしたそれらを見て、彼はにやりと唇をつり上げた。
「っとぉ…危ねぇ。何すんですか、キンタロー様」
「…え、キンタロー?」
探すまでもなく、シンタローの眼前にずいと金髪が割り込んだ。
「煩い。こいつに近寄るな、イタリア人」
威嚇するような声が低く唸った。
殺気を剥き出しにした青い瞳に、近頃ではすっかりなりを潜めていた獰猛さで睨み付けられて、ロッドが軽く片眉を上げた。
「あン?おっかねぇなぁ…、そんなに大事なら、他の男にくれてやって良いんスかぁ?」
「…ロッド、余計なこと言うんじゃねーよ」
容赦ない殺気を無視して、ふざけた態度でにやにやと笑う。
挑発的な態度は、余裕と言うよりは性分だろう。
仕様のない部下に、ハーレムが面倒を起こすなと言いたげな渋面を作る。
キンタローが眉を寄せて睨み付けた。
「ケッコンをすればシンタローはずっと此処にいるし、そうしたら皆、嬉しいだろう?何か問題があるか?」
「………は?」
ロッドが呆気にとられたように瞬いた。
「…取られるの、悔しくないんですか?」
「何をだ?」
「シンタロー様をですよ。結婚するってことはそう言うことでしょ」
首を傾げたのはキンタローだった。
「ケッコンして、それで何故、シンタローが取られることになるんだ?シンタローはどこにも行かないと言ったぞ」
無表情に見詰められ、ロッドは返答に窮したようにこめかみを掻いた。
「…あー…つまりっすね、シンタロー様の傍に、自分以外の男が自分より近い所にいて気に入らないとか思わないんですか」
キンタローはきっぱりと言い切った。
「グンマなら、いても構わん。それに、シンタローと一番近いのは俺だ」
「……はぁ」
真剣に大真面目な顔だ。本気らしい。
開いた口の塞がらないまま、ロッドが思わずグンマを探して振り返る。
「あんなこと言ってますけど」
それまで周囲と一緒になって事態を眺めていたグンマは、ほやほやと呑気に笑った。
「キンちゃんはシンちゃんの片割れだもんね。僕、無事にお墨付き貰えて良かったぁv」
嬉しそうに言う。
こちらも至って本気らしい。
実際、あの島で最初に刷り込まれたためか、キンタローはグンマに対しとても懐いている。
あの過保護な保護者を除けば、グンマを最も高く評価しているのは恐らくキンタローだろう。
「親父もお前くらい簡単に話がわかれば良いのによー…」
シンタローがしみじみとぼやいた。
「…違うと思うたい、シンタロー様…」
宴会準備の手伝いに駆り出されていたどん太が、それを聞き咎めて遠い目をした。
恐らく花婿候補がグンマ以外の誰でも、キンタローはこう物わかり良くはいかなかったに違いなかった。
それだけキンタローのシンタローに対する執着は並大抵ではない。むしろグンマの扱いが異例なのである。
…その辺、いまいち当人達に自覚がないのだが。
「それより、シンタロー。コタローに報告がまだだろう、お前らしくもない」
「ああ、連れてきてくれたんだな。サンキュ」
「あ、おと…叔父様の写真も」
「グンマにとっても父親に違いないからな」
「ありがと、キンちゃん」
嬉しそうに笑ったグンマが写真にキスを送り、写真を抱く従兄弟に抱き付く。
シンタローは、車いすに乗せられて静かに眠るコタローの頭を撫でながら優しく話し掛けた。
「コタロー、目が覚めたらきっとビックリするよな。でも、これからもずっと傍にいるからな?」
「僕、ヤキモチ妬かれちゃうかなー。コタローちゃんもシンちゃん大好きだもんね」
「…………(この一族は…)」
何だか全員で無節操にいちゃついているよーな親戚一同に、周囲が思わず遠巻きになる。
「あ~あ、グンマ博士、両手に花じゃないっすか。羨まし~」
ロッドが深々と息を吐いた。
「…シンタローが、じゃないんだか?」
「むしろキンタロー様が、だべ?」
同じく遠巻きにしているトットリとミヤギがツッコミを入れた。
生物学的には前者だろうが、絵的には何となく後者が正しそうである。
「いやぁ、…けど、あの二人ってワンセットだろ?」
ロッドが黒髪の女丈夫と背後に寄り添う金髪の偉丈夫を指さした。
外見はどこもかしこも似ていないのだが、確かに対に見えるのは、諸々の事情を知っているせいだろうか。最も…、
「花は花でも食虫植物っぽいがのう…」
「肉食獣の間違いだべ」
再度すかさず、容赦のないツッコミ。既に条件反射として刷り込まれているらしい、伊達に愉快な島暮らしを共にしていない。
ボロクソな言われようだったが、確かにどちらを見ても花なんて似合うような可愛らしげなナマモノではないのは事実である。
的確な指摘に、しかしロッドは肩を竦めただけだった。
「美人なら何だって良いって」
「本気で節操ないイタリア人っちゃね…、…?」
トットリがふと怪訝そうに耳に手を当てた。
遠くから、ばたばたと近づいてくる喧噪を拾ったのだ。
「シンちゃん!!」
「マジック様!?」
「あ。おとーさま」
「…煩せーぞ、親父…」
どうやら、今朝からの石化がやっと今頃解けたものらしい。
必死な大声に、娘が嫌そうに顔を顰めたが、泡を食って飛び込んできたバカ親は聞いちゃいない。
「シンちゃん!お嫁にいくなんてパパはやっぱり反対だよ!!早まらないで、ちょっと考え直して…」
言い終わるより早く、眼魔砲が飛んだ。
「ぐはっ!!」
「うっせぇつってんだろ!とっくに既成事実があんのに今さら考え直すもへったくれもあるか!」
「げふっ…!」
直撃を食らってマジックが倒れ伏した。最もクリティカルヒットしたのは眼魔砲よりも絶大な言葉の攻撃力だろう。
「いや~、見事な迎撃っしたね~」
「それよりも、何か今、あらぬこと口走ってなかったか…?」
ロッドが面白そうに口笛を吹き、隣でハーレムが耳をかっぽじいた。
と、そこへ更に
「…グ、グンマ様ぁ~~…」
第二陣が到来した。
呻きながら、ずりずりと床を這ってくる白衣のドクターに、運悪く近くに居合わせてしまった数人が思わず悲鳴を上げて逃げる。
鼻血の流し過ぎで血でも足りないのか、幽鬼の如き青い顔が更に不気味さを醸し出しているのが、ことさらである。
先程の総帥のよりは地味な登場だが、ある意味インパクトでは負けていない。
いっそトラウマになりそうなホラーな光景だが、当のグンマは何も気にならないらしい。これも慣れだろうか。
父娘の物騒なコミュニケーションを眺めながら平然と話し掛けた。
「あ、高松?やっぱ手強そうだねぇ、お父様…。いっそのこと子供でも作っちゃえば、話が早いかなー」
…ぱたり。
「…うわぁ、トドメ刺されたべ」
「成仏するっちゃ、ドクター」
滂沱と涙を流す生ける屍を、ミヤギとトットリが気の毒そうに拝んだ。
「さてと、それよりも、みんな集まった所でそろそろ始めんかのう!」
気を取り直すように場を仕切りなおしたのは、何につけ大雑把なコージだった。
倒れている屍二つを外に摘み出して、大声で全員を呼び集める。
「当然、乾杯の音頭はぬしが取れ、シンタロー!」
グラスをひとつ取り、適当に傍にあったビールを並々と注いで押しつける。
「…え。…」
グラスを受け取ってしまって、シンタローは周囲を見まわした。
従兄弟達に叔父、未だ目覚めぬ弟。特戦部隊に伊達衆の面々。
ひとりひとりと、目を見交わす。
その誰もがシンタローを見詰めている。
今この瞬間、この場の誰もに自分が受け止められていることの証に、ひとつとして逸らされない瞳。
一度目を伏せ、しっかりとその目を上げる。
これからもきっと共に歩むだろう者たちを見回して、シンタローは笑った。
「ま、何だ。総帥継ごうが、所帯持とうが、俺は俺だ。これからもひとつ宜しく頼むぜ!乾杯!」
『乾杯!』
掛け声を口々に、高々と掲げたグラスがぶつかり合う音が賑やかに鳴り響いた。
「あれ、そういやマーカーは?」
ワインを抱えてロッドは周囲を見まわした。グラスに注ぐなんてことは面倒らしく、瓶のままだ。
今更ながらに姿の見あたらない同僚を捜す。
ずっと無言ながらそこにいたGが、さあとばかりに首を捻った。
周辺にいた面々も、てんでに首を横に振る。
ああ、と声を上げたのは、浴びるようにジョッキの生ビールを煽る上司だった。とてもとても上機嫌である。
「アイツなら、何かキノコでも生えそうに鬱々とした弟子ぶら下げて、ヤキ入れ直しにいったぜ~?」
その言葉が終わらぬうちに、どおんと、遠くで火柱が上がった。
「噂をすれば、相当こんがり焼いてるべ」
「あの人、弟子なんかいたっちゃねぇ」
「あー、いたっけ?そんなの」
しみじみ感心するミヤギに無邪気に首を傾げるトットリ。
シンタローが気のない相槌を打つ。
「昼間の花火も良いよねぇ」
「昼間から酒を飲むのは初めてだ」
楽しそうなグンマの隣で、キンタローがじっと手元のグラスを見詰める。
明るい内から酒を飲むということに違和感があるらしい。
「お前ら程々にしろよ。さーて、どうせ足らなくなんだろうから、今のうちにツマミでも作りに行ってくるか」
従兄弟達に声を掛けて、シンタローが席を立った。
すかさずグンマが手を挙げる。
「僕、もちチーズとカボチャのコロッケ食べたい!」
「…作ってやるから、お前はジュース飲んでろよ」
「はーいv」
「……」
良い子の返事で従兄弟が持ったカンパリオレンジを、シンタローは無言でその近くにあった100%オレンジジュースと取り替えた。
…当分、こいつに酒は飲ますまい。
キンタローが口を付けずに眺めていたグラスを、テーブルに戻した。
「俺も手伝おう。主賓が最初から席を外しっぱなしと言うのも何だからな」
「お、悪いな」
「構わん。ところで俺は揚げ出し豆腐と出汁巻き卵が良いんだが」
「…お前ね」
シンタローは思わず呆れた顔になった。
全くこの従兄弟は要領がいい。
「ああ、はいはい。どうせだから、みんなのリクエスト纏めて訊いて持ってこい。奥のキッチンにいるから」
「わかった」
キンタローを追い立てて、このフロア備え付けの給湯室…と言う名の調理場へ向かう。
ひと揃い、道具や冷蔵庫の中身を確認し、内線で足りない食材を運び込むよう指示を回して。
「さて」
シンタローは宴会場の方を窺った。
ざわめく喧噪がここまで伝わってくる。
元々賑やかなお祭り騒ぎは好きだし、しかも一応は自分たちのお祝いだ。
久々に腕が鳴る。
気合いを入れるように、シンタローは服の袖を捲り上げた。
「んじゃ、たまには出血大サービスと行きますかv」
宴は、まだ始まったばかりである。
NEXT
ぐきゅると腹の虫が鳴った。
「…腹減った」
簡潔かつ正直な一言と共に、腹を押さえてシンタローがぐったりと項垂れた。
隣でグンマも力無くぼやく。
「お昼ご飯、食べ損ねちゃったねー…」
現在時刻は既にお昼どころか、そろそろおやつの時間が近い時分である。
年甲斐もなくお昼寝などしてみたら、見事にうっかり寝過ぎた次第。
食いっぱぐれた理由が理由だけに少々情けなくもこっ恥ずかしいが、昼食抜きでこの時間というのはさすがに堪える。
寝過ぎたのと空腹とで、何だかぼうっと視線が浮いている二人だ。
廊下を歩く足取りがいささか覚束ない。
「とりあえず何か食うもの…」
回らない頭で、それでも食堂になら何かしら残っているだろうと当たりをつけて、ふらふら足を向け掛けたところで、
「おー、ここにおったんか」
聞き覚えのある声に足を止めた。
「…コージ?」
くるりと辺りを見回すと廊下の先に、すぐ目に付く大男が手を振っているのが見えた。
その隣には童顔の黒髪と金髪の美青年の二人連れ。
同時にこちらに気付いて笑顔になる。
「シンタロー!」
「ミヤギに、トットリも…?」
首を傾げたシンタローの元へ、ベストフレンドコンビが仲良く駆け寄った。
一瞬、それがゴールデンレトリバーと黒のラブラドールに見えたのはシンタローの目の錯覚だろう。
たっぷり昼寝した後だったので、きっとまだ寝惚けていたに違いない。
…などと、呑気に思いきや、
「まったく探したっちゃよー」
「主役がいないんじゃ締まらねぇだ」
駆け寄った二人に、問答無用で両脇をそれぞれ掴まえられた。
一見はかるーく腕を引っ掛けているだけのようだが、そこは腐っても軍人、何げにがっちりホールドが決まっている。
ちなみに隣では、グンマがコージに担ぎ上げられていた。いくら体格差があるとは言え、横抱きに姫抱っこされても違和感のない成人男子というのも如何なものだろう。
…ていうか、一体、何事?
もしかして、自分はまだ寝ているんだろうか、などとぼんやり考えている間に、
「来ればわかるべ」
「いくっちゃよー」
両脇を固めた二人にずるずると引き摺られて、シンタローはあっという間に連行されていった。
『 Engagement 』
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―― 第四話。 宴の支度編 ――
「おらぁ、こんなもんじゃ酒足らねぇぞ!ボトルで何本なんて、まだるっこしいこと言ってねぇで樽で追加しろや!」
「………ハーレム?」
部屋の入り口で、シンタローはぽかんと呟いた。
問答無用で連れてこられた先、普段は会議室として使われる大部屋は、一体何が始まったのか大層賑やかだった。
中央の大テーブルの他にも幾つかのテーブルを出し、イスを部屋の端に寄せ、皿とグラスと酒瓶が部屋のそこここを行ったり来たり。
物と人が移動するたびに、声と音も賑やかに行き交う。
その中で、いつの間に生還したものやら、今朝方どこぞに吹っ飛ばした双子の叔父の片割れが、広い部屋の中央に立って威勢良く(ついでに中身も景気よく)、忙しく立ち回る周囲に向けて怒鳴っていた。
思わず名を呼んだ姪の声に、ハーレムが気付いて振り返った。
すぐに大股に部屋を横切って歩み寄ってくる。
「お、やっと見つかったか」
「何事だ、これ…」
訊くと、彼はどことなく照れ臭そうに頬を掻いた。
「…まぁ何だ。一応、祝い事だろ」
言われて、改めて部屋を見まわす。
どこからどうみても…宴会の準備?
「えっと…?」
祝い事で宴会…ということは、もしかしなくても自分たちの祝宴だろうか。
「………ぇ」
そこまで思い至って、シンタローはにわかに焦った。
予想外の事態に、意味もなく視線が宙に浮く。
…この叔父は。いつもはどうしようもないダメ人間のくせに。
こういうのは、困る。
こんな風に不意打ちで、しかも改めて、素直に礼を言うには日頃の関係が微妙な相手から、こういう真似などされてしまうと、どう反応を返せば良いものやらわからないではないか。
これでも自覚しているが、相当に天の邪鬼な性質である。グンマなどと違って素直に礼など出てくるわけがなく、
「…あんた、飲めれば何でも良いんだろうが」
結局、憎まれ口が飛び出す始末。
だが、いつものように怒るかと思った叔父は、ふんと鼻で笑っただけだった。お見通しらしい。
「キンタローに礼を言っておけよ」
「…へ?」
「先に周りを固めておくんだと。周囲に認知させて、兄貴を後に引けなくさせるつもりなんだろ。ありゃ、ちっと仕込めば良い参謀になれるぜ」
周囲に聞こえないように耳打ちし、間近に寄せた顔がにやりとする。
「…出来た相棒じゃねえか」
からかうように腹を小突かれて、シンタローが噎せた。
瞬きでやり過ごし、ゆるゆると理解が追いついてくる。
キンタローが?
それこそ予想だにしていなかった。
本当に、何て期待する以上をいってくれる奴なんだか。
そう思うのはいささか身贔屓だろうか。
思わず緩む口元を誤魔化すように、シンタローは、べぇと舌を出した。
「誉めたって特戦にゃ、やんねぇからな」
「ちっ、アイツを引き込めば予算ぶん取れると思ったのに…」
「…ふふん」
残念そうに唇を尖らせたハーレムに、得意げに勝ち誇ってやる。
あれは自分のジョーカーだ。そう簡単にくれてやれる手札ではない。
「残念だったな。まー今年の予算も諦め――」
「シンタロー!」
「うっ!!?」
いきなり力任せに背後へ引きずられて、勢いよく仰け反った首が、ぐきと鳴った。
「~~ッがぁ!」
「全く、主も相変わらず水臭いのう」
首を押さえて呻くシンタローに、頭上高くからのし掛かる阿呆は全く頓着なく話し掛けてくる。
わざとじゃないが、絶対に気付いてもいないだろう。文句を言っても無駄。こいつはいつでも大雑把な奴だ。
無言でこきこきと首を回し、左右に軽く振って見て、異常なしと確かめる。
「コージ、テメェ…」
「折角のめでたい話じゃけぇ、わしらにも言うてくれれば良いものをのう」
軽口のような口調に紛れた声音に、シンタローは頭上の顔を見上げた。
図らずも生活と命運とを共にすることになった、…あの島の記憶を分かつ、ひとり。
「…悪かったな。先に一族の方で話通してから、ちゃんと言うつもりだったんだけどよ」
溜息をつき、ちらりと情報源だろうハーレムを見やる。
万年アル中の叔父は既に始める気満々の様子で片手に酒瓶を握りしめている。
あえてこちらの視線は無視しているらしい、何食わぬ顔でそらとぼける。
「正式なのはそのうち兄貴がやんだろうから、ま、今日は内輪でな」
「おい、おっさん…」
文句を言いかけたところで、今度は、がばっと何かが抱き付いた。
「シンタロー様~v」
「ぎゃーーーッ!?」
暑苦しいハグをかまされて思わず絶叫する。
顔なんぞ見なくても判る、上半身裸の筋肉兄貴のダイレクトになま暖かい体温は力一杯セクハラだ。
「離さんか、このイタリア人ーーーーーッ!!」
「女性ってわかった途端に、婚約なんて聞いてないっすよ~。どうっすか、結婚前の最後のバカンスを俺と――っ」
こっちの言葉なぞ聞いちゃいない。
目一杯くっついていた大柄な図体が、見た目を裏切る素早さで飛び退いた。
その位置の床に、団内備品のナイフとフォークが数本ざっくりと突き刺さる。
全てかわしたそれらを見て、彼はにやりと唇をつり上げた。
「っとぉ…危ねぇ。何すんですか、キンタロー様」
「…え、キンタロー?」
探すまでもなく、シンタローの眼前にずいと金髪が割り込んだ。
「煩い。こいつに近寄るな、イタリア人」
威嚇するような声が低く唸った。
殺気を剥き出しにした青い瞳に、近頃ではすっかりなりを潜めていた獰猛さで睨み付けられて、ロッドが軽く片眉を上げた。
「あン?おっかねぇなぁ…、そんなに大事なら、他の男にくれてやって良いんスかぁ?」
「…ロッド、余計なこと言うんじゃねーよ」
容赦ない殺気を無視して、ふざけた態度でにやにやと笑う。
挑発的な態度は、余裕と言うよりは性分だろう。
仕様のない部下に、ハーレムが面倒を起こすなと言いたげな渋面を作る。
キンタローが眉を寄せて睨み付けた。
「ケッコンをすればシンタローはずっと此処にいるし、そうしたら皆、嬉しいだろう?何か問題があるか?」
「………は?」
ロッドが呆気にとられたように瞬いた。
「…取られるの、悔しくないんですか?」
「何をだ?」
「シンタロー様をですよ。結婚するってことはそう言うことでしょ」
首を傾げたのはキンタローだった。
「ケッコンして、それで何故、シンタローが取られることになるんだ?シンタローはどこにも行かないと言ったぞ」
無表情に見詰められ、ロッドは返答に窮したようにこめかみを掻いた。
「…あー…つまりっすね、シンタロー様の傍に、自分以外の男が自分より近い所にいて気に入らないとか思わないんですか」
キンタローはきっぱりと言い切った。
「グンマなら、いても構わん。それに、シンタローと一番近いのは俺だ」
「……はぁ」
真剣に大真面目な顔だ。本気らしい。
開いた口の塞がらないまま、ロッドが思わずグンマを探して振り返る。
「あんなこと言ってますけど」
それまで周囲と一緒になって事態を眺めていたグンマは、ほやほやと呑気に笑った。
「キンちゃんはシンちゃんの片割れだもんね。僕、無事にお墨付き貰えて良かったぁv」
嬉しそうに言う。
こちらも至って本気らしい。
実際、あの島で最初に刷り込まれたためか、キンタローはグンマに対しとても懐いている。
あの過保護な保護者を除けば、グンマを最も高く評価しているのは恐らくキンタローだろう。
「親父もお前くらい簡単に話がわかれば良いのによー…」
シンタローがしみじみとぼやいた。
「…違うと思うたい、シンタロー様…」
宴会準備の手伝いに駆り出されていたどん太が、それを聞き咎めて遠い目をした。
恐らく花婿候補がグンマ以外の誰でも、キンタローはこう物わかり良くはいかなかったに違いなかった。
それだけキンタローのシンタローに対する執着は並大抵ではない。むしろグンマの扱いが異例なのである。
…その辺、いまいち当人達に自覚がないのだが。
「それより、シンタロー。コタローに報告がまだだろう、お前らしくもない」
「ああ、連れてきてくれたんだな。サンキュ」
「あ、おと…叔父様の写真も」
「グンマにとっても父親に違いないからな」
「ありがと、キンちゃん」
嬉しそうに笑ったグンマが写真にキスを送り、写真を抱く従兄弟に抱き付く。
シンタローは、車いすに乗せられて静かに眠るコタローの頭を撫でながら優しく話し掛けた。
「コタロー、目が覚めたらきっとビックリするよな。でも、これからもずっと傍にいるからな?」
「僕、ヤキモチ妬かれちゃうかなー。コタローちゃんもシンちゃん大好きだもんね」
「…………(この一族は…)」
何だか全員で無節操にいちゃついているよーな親戚一同に、周囲が思わず遠巻きになる。
「あ~あ、グンマ博士、両手に花じゃないっすか。羨まし~」
ロッドが深々と息を吐いた。
「…シンタローが、じゃないんだか?」
「むしろキンタロー様が、だべ?」
同じく遠巻きにしているトットリとミヤギがツッコミを入れた。
生物学的には前者だろうが、絵的には何となく後者が正しそうである。
「いやぁ、…けど、あの二人ってワンセットだろ?」
ロッドが黒髪の女丈夫と背後に寄り添う金髪の偉丈夫を指さした。
外見はどこもかしこも似ていないのだが、確かに対に見えるのは、諸々の事情を知っているせいだろうか。最も…、
「花は花でも食虫植物っぽいがのう…」
「肉食獣の間違いだべ」
再度すかさず、容赦のないツッコミ。既に条件反射として刷り込まれているらしい、伊達に愉快な島暮らしを共にしていない。
ボロクソな言われようだったが、確かにどちらを見ても花なんて似合うような可愛らしげなナマモノではないのは事実である。
的確な指摘に、しかしロッドは肩を竦めただけだった。
「美人なら何だって良いって」
「本気で節操ないイタリア人っちゃね…、…?」
トットリがふと怪訝そうに耳に手を当てた。
遠くから、ばたばたと近づいてくる喧噪を拾ったのだ。
「シンちゃん!!」
「マジック様!?」
「あ。おとーさま」
「…煩せーぞ、親父…」
どうやら、今朝からの石化がやっと今頃解けたものらしい。
必死な大声に、娘が嫌そうに顔を顰めたが、泡を食って飛び込んできたバカ親は聞いちゃいない。
「シンちゃん!お嫁にいくなんてパパはやっぱり反対だよ!!早まらないで、ちょっと考え直して…」
言い終わるより早く、眼魔砲が飛んだ。
「ぐはっ!!」
「うっせぇつってんだろ!とっくに既成事実があんのに今さら考え直すもへったくれもあるか!」
「げふっ…!」
直撃を食らってマジックが倒れ伏した。最もクリティカルヒットしたのは眼魔砲よりも絶大な言葉の攻撃力だろう。
「いや~、見事な迎撃っしたね~」
「それよりも、何か今、あらぬこと口走ってなかったか…?」
ロッドが面白そうに口笛を吹き、隣でハーレムが耳をかっぽじいた。
と、そこへ更に
「…グ、グンマ様ぁ~~…」
第二陣が到来した。
呻きながら、ずりずりと床を這ってくる白衣のドクターに、運悪く近くに居合わせてしまった数人が思わず悲鳴を上げて逃げる。
鼻血の流し過ぎで血でも足りないのか、幽鬼の如き青い顔が更に不気味さを醸し出しているのが、ことさらである。
先程の総帥のよりは地味な登場だが、ある意味インパクトでは負けていない。
いっそトラウマになりそうなホラーな光景だが、当のグンマは何も気にならないらしい。これも慣れだろうか。
父娘の物騒なコミュニケーションを眺めながら平然と話し掛けた。
「あ、高松?やっぱ手強そうだねぇ、お父様…。いっそのこと子供でも作っちゃえば、話が早いかなー」
…ぱたり。
「…うわぁ、トドメ刺されたべ」
「成仏するっちゃ、ドクター」
滂沱と涙を流す生ける屍を、ミヤギとトットリが気の毒そうに拝んだ。
「さてと、それよりも、みんな集まった所でそろそろ始めんかのう!」
気を取り直すように場を仕切りなおしたのは、何につけ大雑把なコージだった。
倒れている屍二つを外に摘み出して、大声で全員を呼び集める。
「当然、乾杯の音頭はぬしが取れ、シンタロー!」
グラスをひとつ取り、適当に傍にあったビールを並々と注いで押しつける。
「…え。…」
グラスを受け取ってしまって、シンタローは周囲を見まわした。
従兄弟達に叔父、未だ目覚めぬ弟。特戦部隊に伊達衆の面々。
ひとりひとりと、目を見交わす。
その誰もがシンタローを見詰めている。
今この瞬間、この場の誰もに自分が受け止められていることの証に、ひとつとして逸らされない瞳。
一度目を伏せ、しっかりとその目を上げる。
これからもきっと共に歩むだろう者たちを見回して、シンタローは笑った。
「ま、何だ。総帥継ごうが、所帯持とうが、俺は俺だ。これからもひとつ宜しく頼むぜ!乾杯!」
『乾杯!』
掛け声を口々に、高々と掲げたグラスがぶつかり合う音が賑やかに鳴り響いた。
「あれ、そういやマーカーは?」
ワインを抱えてロッドは周囲を見まわした。グラスに注ぐなんてことは面倒らしく、瓶のままだ。
今更ながらに姿の見あたらない同僚を捜す。
ずっと無言ながらそこにいたGが、さあとばかりに首を捻った。
周辺にいた面々も、てんでに首を横に振る。
ああ、と声を上げたのは、浴びるようにジョッキの生ビールを煽る上司だった。とてもとても上機嫌である。
「アイツなら、何かキノコでも生えそうに鬱々とした弟子ぶら下げて、ヤキ入れ直しにいったぜ~?」
その言葉が終わらぬうちに、どおんと、遠くで火柱が上がった。
「噂をすれば、相当こんがり焼いてるべ」
「あの人、弟子なんかいたっちゃねぇ」
「あー、いたっけ?そんなの」
しみじみ感心するミヤギに無邪気に首を傾げるトットリ。
シンタローが気のない相槌を打つ。
「昼間の花火も良いよねぇ」
「昼間から酒を飲むのは初めてだ」
楽しそうなグンマの隣で、キンタローがじっと手元のグラスを見詰める。
明るい内から酒を飲むということに違和感があるらしい。
「お前ら程々にしろよ。さーて、どうせ足らなくなんだろうから、今のうちにツマミでも作りに行ってくるか」
従兄弟達に声を掛けて、シンタローが席を立った。
すかさずグンマが手を挙げる。
「僕、もちチーズとカボチャのコロッケ食べたい!」
「…作ってやるから、お前はジュース飲んでろよ」
「はーいv」
「……」
良い子の返事で従兄弟が持ったカンパリオレンジを、シンタローは無言でその近くにあった100%オレンジジュースと取り替えた。
…当分、こいつに酒は飲ますまい。
キンタローが口を付けずに眺めていたグラスを、テーブルに戻した。
「俺も手伝おう。主賓が最初から席を外しっぱなしと言うのも何だからな」
「お、悪いな」
「構わん。ところで俺は揚げ出し豆腐と出汁巻き卵が良いんだが」
「…お前ね」
シンタローは思わず呆れた顔になった。
全くこの従兄弟は要領がいい。
「ああ、はいはい。どうせだから、みんなのリクエスト纏めて訊いて持ってこい。奥のキッチンにいるから」
「わかった」
キンタローを追い立てて、このフロア備え付けの給湯室…と言う名の調理場へ向かう。
ひと揃い、道具や冷蔵庫の中身を確認し、内線で足りない食材を運び込むよう指示を回して。
「さて」
シンタローは宴会場の方を窺った。
ざわめく喧噪がここまで伝わってくる。
元々賑やかなお祭り騒ぎは好きだし、しかも一応は自分たちのお祝いだ。
久々に腕が鳴る。
気合いを入れるように、シンタローは服の袖を捲り上げた。
「んじゃ、たまには出血大サービスと行きますかv」
宴は、まだ始まったばかりである。
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「いないねぇ」
「うーん」
疲れたような声を上げるグンマと連れだって歩きながら、シンタローは首を捻った。
探し人が一向に見つからないのである。
既に殆どの心当たりの場所は当たったのだが、どこにもいない。
ひょっとしたら外出でもしているのだろうか。
「まだ本部には滞在してる筈なんだけどなぁ」
ただ、本部のスケジュール記録があまりあてにはならないのも確かなので、シンタローの声もやや覚束ない。
気紛れな性質の彼の人は、組織に縛られることをあまり好まず、思い立ったら何処なりとふらりと姿を消してしまう。
困ったように考え込むシンタローの背後で、クスリと笑う声がした。
「そろそろ鬼は見つかったかい?二人とも」
慌てて振り返ると、今まで探していた当の相手が悪戯っぽく笑っていた。
シンタローが思わず声を上げる。
「叔父さん!」
「…と、ジャンさん」
一拍遅れて、グンマが付け加えた。
「……どうせ、ついでだよ」
黄昏れる声を綺麗さっぱり無視して、シンタローは嬉しそうに叔父の元へと駆け寄った。
「びっくりした!探してたんだ、叔父さん」
「おや、そうなのかい?ところで」
何食わぬ顔で、美貌の叔父は企むような楽しげな笑みを浮かべた。
こういう時の叔父の笑顔は、文句なしに美しいが何かある。
経験則から思わず身構えた所に
「結婚するんだってね?おめでとう」
真正面から思わぬ直球を食らって、二人揃って目を丸くする。
子供たちの期待通りの反応に、叔父は満足そうに微笑んだ。
『 Engagement 』
.
―― 第三話。 幸福のススメ。編 ――
巨大な研究棟の最上階、南向きの日当たりの良いフロアが、グンマに与えられたラボである。
フロア内は彼の研究内容にあわせて、四方に特殊な壁を巡らせた実験室や、精密機械を置いてある計測室、資料部屋、在庫置き場、レポートを書いたり設計図を組み立てたりと一日の多くを過ごす作業室などが詰め込まれている。
その中に応接室と休憩室を兼ねた一室があり、ここではそのスペースが不要なほど広い間取りで取ってあった。他の研究者のラボと比べても、桁外れに広い。せめて休憩の時くらいはゆっくりしたい、という責任者たるグンマの意向によるものだった。
室内は天井を高く取り、壁の一面全面に窓を設けて外の光を一杯に取り入れるようになっている。理系の研究職というのは何かと外光を締め出した生活が中心になりがちなので、という理由である。無粋なパーティションの代わりに背の高い観葉植物を置き、ゆったりとした曲線のソファが点在し、更に紅茶の品揃えは店でも開けそうなほど豊富に揃い、甘いものは常に抜かりなく常備されている。何げにへたな喫茶店よりくつろげるスペースとして、ある意味、団内の隠れた穴場スポットでもあった。
一行は、とりあえず場所を移して、そこに落ち着くことにした。
テーブルに紅茶とクッキーが並べられ簡単にお茶の支度が整うと、待ちかねていたようにシンタローがうずうずと口を開いた。
「それで叔父さん、俺らの話、誰から訊いたの?」
「ホント。僕ら、これから報告に行こうと思ってたのに」
早速クッキーを頬張りながら、グンマも頷く。
「今朝方、ジャンがキンタローから聞いたのを又聞きしてね」
優雅にティーカップを口元に運ぶ叔父の言葉に、隣のシンタローとうり二つの容貌に白衣を羽織った青年が肩を竦めた。最も、かつて親友と過ごした時の姿を好んで用いているだけで、本当はシンタローよりもまだ若い女性の姿の持ち主である。
「ふーん…」
シンタローが心なし冷たい目をそちらへ向けた。
別に睨む必要などないのだが、一種の条件反射のようなものだ。
それも一瞬のことで、すぐに視線を返し、でも、と笑顔に戻る。
「動じないね、叔父さん」
「いや、驚いたよ。お前たちが結婚なんてね…。まだまだ子供だと思っていたのにな」
最も親戚らしい叔父の言葉に、しかしシンタローが不満げに唇を尖らせた。
「だから、俺もう24だよ」
「僕もだよ~」
隣でグンマも目一杯手を挙げて主張する。
「いくつでも変わらないよ」
サービスが目を細めた。
その光景こそが子供の時から変わらないとは、あえて言わない。
最年長の元赤の番人もにやりと笑い、口元をこっそり手で隠す。
素知らぬ振りでサービスは姪に向けて微笑み、そうして次の瞬間、爆弾を投下した。
「もしかしたら、ずっと男の振りで通すのかと思っていたから、花嫁姿が見れると思うと嬉しいよ、…ねぇ?」
本日最大の不意打ちにシンタローが思い切りお茶に噎せた。
ある種、姑から嫁への「孫の顔はまだかしら?」発言にも似た精神攻撃であった。
最後にちらりと視線を振られた親友も、
「…あ、う、うん。それもめでたいよな。まぁ、お幸せにナ、お二人さん」
変な汗を流しつつぎくしゃくと頷く。
ひとり分かっていないグンマが首を傾げた。
「そーいえば、叔父様はジャンさん…モガッ」
前方と横合いから伸びたふたつの手が、グンマの口を同時に塞いだ。
「な、何か言いかけたかなー?気のせいだよな~?」
「ああ、何も言ってない。断じて言ってないよな!?グンマ!」
最近、たまに親友がちょっぴり怖いジャンと、美貌の叔父が所帯を持つなど考えたくもないシンタローである。流石は同じ身体、ぴったり息が合ってる。
その横で、甥の一瞬の失言をスルーした叔父が、更に笑顔で畳み掛けた。
「式を挙げるなら、それまでは留まっているよ」
まだ、そこから離れないか。
シンタローはちょっとばかり怯んだ。
にっこりと微笑む叔父は確かに麗しいが、どうやら思考が常よりもやや暴走気味だ。よほど可愛い姪の花嫁姿が見たいらしい。
「あー…あははは…」
「僕も見たいなー、シンちゃんのウェディングドレスv」
嬉しそうなグンマだけが呑気に、にこにこ笑う。
マイペースな従兄弟が場を読まないのはいつものことだが、頼むから今はこの叔父を煽らないで欲しい。
シンタローは切に祈った。
一種、崇拝していると言っても過言ではない、美しい叔父にだけは壊れて欲しくない。
「あ、白無垢でも良いよ、シンちゃん着物似合うもん」
「黙ってろ」
色々切羽詰まった本気の目で睨み付けて、今度こそ強引に従兄弟の口を塞ぐ。
「叔父さん、それより先に色々やらなきゃいけないことがあるから…」
言い訳するように口にしながら、シンタローは顔を顰め、躊躇いがちにその先を口ごもった。
その指す所に気が付いたサービスが、そうだったね、と呟いた。
「兄さんの跡を、総帥を継ぐんだね」
シンタローは息を吸った。
「…うん」
声は小さく短かったが、はっきりと頷く。
サービスが満足そうに頷いた。それから首を傾げる。
「結婚するつもりなら、性別のことも公表するんだろう?」
「そのつもりだけど」
シンタローは思わず苦笑し、それはすぐに自嘲へと形を変えた。
「騒ぎになるよな…これまでの混乱もあるし、うちは野郎所帯だし、前例だってねぇし」
もし認められなかったら、という思いは未だにある。
24年間、ずっと抱いてきた鬱屈はそう簡単には消えない。
サービスとジャンが目を見合わせた。
「そんな心配することないと思うぜ」
「そうだな、お前なら大丈夫だろう」
「うん…」
笑う顔は己に言い聞かせるようで、いつもの精彩がない。
その顔を見詰め、サービスがその目を伏せた。
「シンタロー」
呼ばれてシンタローが顔を上げる。
上げた視線の先には、光に満ちた明るい室内が広がっていた。
麗らかな日差しは、まるで包まれているように暖かく心地よい。
そう思い、シンタローは違和感に目を瞬いた。
いや、確かに暖かいのだが。
そういう比喩的な暖かさではなくて、何かこうもっと物理的な。
背中まで回った、しっかりした温度とか。
というか、正面に見えている部屋の風景に何か疑問はないか。
この頬を擽る、さらりと柔らかな感触は何だろう。
ぎこちなく視線を落とすと、視界に入るのは細い金色の…
そこでやっと向かいから乗り出すようにした叔父にテーブル越しに抱き締められている事実に気が付き、コンマ一秒で頭の中が吹っ飛んだ。
「おっ、おじさんっ!?」
「ちょ…サービス!」
シンタローとジャンから同時に素っ頓狂な叫び声が上がり、
「あー!ずるーい!!」
黙っていろと言われてずっと大人しく黙っていたグンマも、思わず抗議の声を上げる。
「あああ、あの…!?」
あわあわとシンタローが視線を彷徨わせた。
この叔父を眼魔砲で吹っ飛ばすわけにもいかない。
混乱したまま、その場に固まっていると、すぐ耳元で微かな声が聞こえた。
「これも」
「…叔父さん?」
痛みのようなものの混じる声に、シンタローが怪訝そうに問い掛ける。
背中に回された腕から力が消え、サービスがゆっくりと身を離した。
あまりにも間近に、叔父の整った繊細な顔立ちを見詰める。
愁いを帯びた青い隻眼。酷く穏やかで澄んだ微笑み。
いつも美しい人だけれど、今はその中にいつになく儚く危ういものさえ感じて、シンタローは息を顰める。
そっと伸ばされた掌が、壊れやすい物を包むように、頬に触れた。
「これも、元を辿れば私のしたことの、…ひとつの結果と言えるのだろうけれど」
サービスは複雑そうに微笑む。それしか出来ないというように。
まさか縺れた糸がこんな結末に収まるとは、夢にも思わなかったけれど。
始まりが何であれ、ずっと慈しんできた姪を見詰め、同じように隣の甥を見詰める。
「でも、私の「せい」か、とは言わないでおくよ。他でもないお前達だから、この先に何が起こっても、これが決して不幸や後悔となる選択ではないと信じている」
「叔父さん…」
繊細な指先が、昔はよくそうしてくれたように髪を撫で、離れていった。
その後を追い掛けるように、シンタローが口を開いた。
「何が原因とか、そんなの、もう昔の話すぎて関係ないよ。そんなこと言ってたら、きりがない」
なぁ、とせっつくようにグンマを見る。
グンマが澄まして肩を竦めた。
「そうだよ、叔父様。そのおかげでシンちゃんをお嫁さんに出来るんだったら、むしろ結果オーライv」
最後にはVサインを作って、ちゃっかりと笑う。
「タフだよなぁ、お前ら…」
呆れた風にしながらも、どこか羨むようにジャンが目を細めた。
比べて段違いに神経の細い傍らの友人に、茶化すような目を向ける。
「…だってさ。どう、親友殿?」
「ここは彼らを見習うべきなのかな」
「良いんじゃないの。脳天気な所とか、少しくらい」
サービスがため息をつき、それから困ったように笑った。
それはかつて、まだ何の憂いも背負う以前の無邪気な頃の面影にも似て、ジャンもまた嬉しそうに微笑んだ。
さて、その蚊帳の外で
「脳天気って誰のことさー」
グンマがジト目でむくれていた。
「いつか、ぜってー、ぶっ殺ーーす…」
隣ではシンタローが元番人に向けて、射殺しそうな殺意を放つ。
一瞬の沈黙の後、そんな互いの視線がふと交わり、
「シンちゃん、紅茶お代わりは?」
「あ、悪いな」
何事もなかったかのように、お茶会が再開した。
グンマがいそいそと紅茶のお代わりを注ぎ、シンタローがティーカップに手を伸ばす。
「クッキー開けちまったから、今度なんか持ってきてやるよ」
「わーい、やったーv」
パウンドケーキが良いな~、と即座にリクエストがあがるのに、シンタローが鷹揚に頷く。
具体的なリクエストがある、というのは作り手としては、なかなか満足感があるものなのである。
グンマも差し入れを約束してもらい、上機嫌で自分にも紅茶のお代わりをついだ。
ミルクと砂糖を入れた、甘いミルクティーのカップを抱えて首を傾げる。
「ところでシンちゃん、今度、演習場使えるかな?広い所で計測がしたいんだけど」
ははあ、とシンタローが頷いた。
戦闘団員と研究員では命令系統が異なるので、相互間の申請にやたらと手間が掛かるのだ。
「ああ、日時さえ決まってれば、俺の名前で申請しとくぜ」
軽く請け負い、但し、と交換条件を付け加える。
「そん代わり、その間は研究棟の強化シェルター、トレーニング場所として提供しろよ」
「了解、遠慮無く使ってよ!」
グンマがお安いご用とばかりにOKサインを寄越す。
さっそく都合の良い日時を確認して、手帳に書き込みながら、ついでのように呟いた。
「トレーニング中に眼魔砲の暴発が何処に飛んでっても、僕何にも知らないや」
「実験中のガンボットの暴走で少々の被害者が出るくらい、まぁ大目に見てやるか」
シンタローがこちらも独り言のように洩らす。
そうして、同時に互いににっこりと笑った。
「二人とも」
会話のタイミングを見計らったように、向かいから声が掛かった。
「「何、叔父様v」」
声を揃えて、にこやかに振り返る。
顔を寄せ小声で談笑する姿は、端から見れば仲睦まじい恋人同士の語らいに見えたろう。
微笑ましげに見詰めるサービスの瞳は、既に叔父のそれに戻っていた。
隣の親友は、あてられたような顔で気まずげにそっぽを向いている。
「これを言うには、まだ少し早いけどね。別に何度言っても構わないだろうから」
サービスの目が、二人を順番に見詰めた。
「月並みだけど、幸せになりなさい」
改まって告げられた言祝ぎに、
「あー…そのォ…」
シンタローは、にわかに照れたように視線を逸らし、
「うん、もっちろん!」
グンマがとびきりの笑顔で頷いた。
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「それで、兄さんや高松にはもう報告したのかい」
思い出したようにサービスが訊ねたのは、2度目の紅茶のお代わりが無くなった頃だった。
お茶請けのクッキーも、ほとんど残り少なくなっている。
すぐに気付いてティーポットに手を伸ばした姪に、片手で次のお代わりを辞する意を伝え、彼は微かに首を傾げた。
順番としては、やはり叔父より親への報告が真っ先だろう。
そう簡単に説得できる相手とも思わないが、こうしてこちらにも報告に来たということは…もしかするともしかしたということだろうか。
些かの好奇心も含めて二人を見ると。
「うーん。したんだ、ケド…」
それまでにこにことしていたグンマが口籠もり、困ったような顔で視線を下げた。
その隣で、シンタローの視線も斜めに流れて黄昏れる。
俄にどんより曇った空気に、ジャンが引きつった顔になった。
「や…やっぱ一悶着あったのか?」
声を潜めて問い掛ける。
シンタローが否定するようにひらひらと手を振った。
「ナンも」
「何にも?あのバカ親総帥が?まさか納得したってのか!?」
ジャンの驚愕を打ち消すように、これにもやはり首が振られた。
「イヤ…、何てゆーか…もう、それ以前で」
思い返すシンタローの口端に空笑いが浮かんだ。
報告を…確かにすることはした。
したのだが。
朝一番、寝起きの頭に挨拶よりも早く、
『娘サンをキズモノにしちゃったんで責任とって結婚しますv』
などという、グンマのあんまりにもぶっちゃけた『報告』を不意打ちでくらった父は、未だ意識を飛ばして真っ白に燃え尽きており、
片やもう一人の親代わりの科学者はといえば、鼻血と涙を止めどなく流しながら寝込んでしまっている。
ある意味、ラスボスを禁じ手の裏技で一撃KOしてしまったような、釈然としないあっけなさであった。
「お前、もうちょっと言いようってもんがあったろが」
今さらながらにシンタローがグンマに文句を付けた。
呆れたような視線を受けて、グンマが拗ねたような顔でむくれる。
「だって、どう言ったって中身は同じじゃない」
心底、心外そうに言い切った。
およそデリカシーの欠片もない。
此処まで来ると、もはやアバウトを通り越して杜撰である。
「だから中身が同じでも容れ物が違えば印象だって違うだろーが…」
おおよそ理解したジャンが、口の中だけで小さくぼやいた。
言ってもムダなのは、この一族との長い付き合いで嫌と言うほど良く分かっている。
そう言えば、あの総帥も悪気なく振る舞う時ほど、何故か人の精神に壊滅的な打撃をくれたものだった。そして全く自覚がないとくる。
嗚呼そうか…これが血か。
ジャンは諦観の眼差しで遠くを見詰めた。
…ちなみに高松の元には双子の叔父の片割れも丁度良く居合わせたのだが、やはり報告を聞いてぽかんと口を開け、錯乱の余りかどっちが嫁だ、などと口走って姪の眼魔砲に吹っ飛ばされたきり、こちらも未だ帰らぬ人である。
何とも仕様のない状況に、サービスが苦笑した。
「まぁ、しばらく放っておきなさい」
「そうするよ」
シンタローが、やはりそれによく似た苦笑を返す。
お互い、このままで終わるはずがないことはわかっているのだ。
面倒なのは、むしろこの後だろう。
げんなりする姪に、くすりと笑ってサービスはちらりと時計を見、頃合いを見計らったように立ち上がった。
立ち上がった高い目線から、静かに二人を見下ろして微笑む。
その隣に、気付けば何の違和感もなくジャンも立っている。
「後で私からも話してみるよ。まぁ大騒ぎにはなるだろうけどね」
そう言い残して席を離れようとしたその腕を、勢いよく伸ばされた手が掴んだ。
「…叔父さんッ」
思いがけなく強い力で引き留められて、サービスが驚いたように振り返る。
「シンタロー?」
「……あ」
シンタロー自身、驚いたように自分の手を見下す。
緩まない力と、裏腹な戸惑い顔に、サービスが連れに目配せを送った。
肩を竦めたジャンがグンマを促し、先に部屋を出ていくのを見送る。
音と気配の減った部屋で、サービスは腕を掴む姪の手をそっと外した。
「どうしたんだい、シンタロー」
抵抗もなく外れた手を宥めるように叩く。
穏やかに訊ねる叔父の顔を、シンタローはぼんやりと見上げた。
シンタローには幼い頃から見慣れた、優しい叔父の。
「叔父さん…、俺さ…少なくとも今の自分が不幸だとは思ってないよ」
姪のいつになく静かな言葉に、サービスが目を見開いた。
シンタローが迷うように俯く。
この優しい人に告げるのは、かえって痛い思いをさせるだけかも知れない。
それでも、…だからこそ、言わなくてはいけない。
「だから…その、おじさんも…」
口籠もり、シンタローは迷いを振り払うように、勢いを付けて顔を上げた。
「おじさんこそ、幸せになって欲しい。昔のこととか全部知ったって、やっぱり俺はおじさんが好きだし、恨めない」
サービスが息を飲んだ。
嘘のない強い瞳に射抜かれて、凍り付く。
身じろぎ一つない叔父を、シンタローは真っ直ぐに見詰めた。
微笑んでいるのに、時折、酷く痛々しい。
自らの業を抱え、何も語らず耐える痛みすらも見せず、彼はずっとひとりで痛んでいた。
そんな姿を見てきたのだ。
「それに…もう、うちの一族の誰も彼もが繋がりすぎてて、誰か一人でも止まってしまったら駄目なんだ。だから、本当に幸せになってよ。そうしたら、もう全部、本当に過去に出来る。全部にケリを付けて、ここから先はみんなで、前だけ見て進めると思うんだ。
…ルーザー叔父さんの、願い通りに」
前に進め、と。
姪の声に重なって、亡き兄の遺した最期の祈りが耳に甦り、サービスは瞑目した。
堅く閉ざした瞼の奥に浮かぶのは、己の愚かしさで運命を狂わせた小さな赤子。
笑っていてくれることにどれほど救われたろう。
それ故に、どれほど慚愧は深く心を抉ったろう。
その信頼も笑顔も永遠に失うことを、報いと覚悟していた。
流されるだろう涙と、向けられるだろう憎悪を恐れながら。
瞼を開けば、視界に映るかつての赤子は、もう赤子ではなく。
短くはない流れた時間、止まることなく成長した娘は、全てを知ってなお誰よりも強く晴れやかに笑っていた。
立ち止まるな。
前に進め。
…幸せになるために。
遙かに前だけを見詰める瞳が、言葉よりも確かに、心の奥深く響き渡る。
「…そうだね、シンタロー…本当にそうだ」
幸せに、と願う。
それなら、幸せになれと言う。
誰一人欠けることなく、皆、と。
いとも簡単に口にする、それは『あの島』を思い出すような、単純で、最大級に我が儘な望み。
それがこの子の願いなら。
永遠に消せはしないだろう憐れみも罪悪感も、それでもこれが最後と決めて。
万感を込めて抱き締めた。
「ありがとう」
「まーた、研究の話か。飽きねぇな、お前ら」
通路に響いた呆れ声に、グンマはぱっとそちらを向いた。
やっと中での話が終わったらしい、部屋の扉に背を預ける従姉妹の姿を見付けて、嬉しそうに走り寄る。
今まで話していた相手は、すっかり忘却の彼方だ。
「だって、ジャンさんと話すことなんて他にないじゃない」
本人を前に、さらりと暴言である。
「微妙に苛めかよ…」
そこでまともに傷つく、妙なところで素直な番人に、シンタローが冷たく指をさした。
「おじさん、先に行ってるぞ」
「あー!ちょっと待ってくれよ、サービス!」
一言もなく横を擦り抜けて、さっさと歩き去る親友の後を、ジャンが慌てて追い掛ける。
二人が去っていく姿を半ば呆れ顔で見送っていると、グンマが興味津々に顔を覗き込んできた。
「ねぇねぇ、叔父様と何話してたの?」
問われたシンタローが、考えるように宙を見上げる。
「んー…、…幸福のススメについて?」
疑問系で答えられて、グンマが眉を寄せた。
「何それ??」
「人間、とりあえず幸せに向かってススメってことだろ」
シンタローが澄まし顔で空惚ける。
「え、え?えー…と??」
首を捻っていたグンマだったが、結局、自分的に解釈することにしたらしい。
「んー?うん。じゃぁ、とりあえず僕らも無事に結婚目指して頑張ろーねv」
張り切ったように、にっこり笑う。
そこが彼にとっての幸せポイントらしい。
「ああ、そう…」
シンタローは斜めに視線を逃がした。
「…ま、程々にな」
「何で、そこでやる気ナイのー!?」
不満そうなグンマの抗議を、はいはい、と流し、シンタローは踵を返す。
室内に戻ると、廊下よりも暖かい空気が身体を包んだ。
窓からいっぱいに差す日差しが目に眩しい。
差し込む陽の分、室温は暖められて心地良かった。
「あー、ちょっと寝ようかな…」
欠伸が洩れて、気が抜けたように呟くと、後から続いて入ってきたグンマがそれを聞き咎めた。
「寝るなら後で起こすよ?お昼寝は30分くらいが良いんだって」
「ダメ。俺が起きるまで、断固として起こすな」
昨夜はアレやコレやで寝不足だわ、今朝からこっちはあちこちかけずり回っててんやわんやで疲れているのだ。
跳ね返るように、ぴしゃりと言い返して、シンタローは手近なソファに乗り上げた。
リクライニングを操作して、完全に背を倒す。
これが従兄弟の改造品で、仮眠用としては上等なベッドになるのを知っているのだ。
「え、ちょっと、ここで寝るの!?」
堂々と昼寝の体勢に入った従姉妹に、グンマが焦った声を上げた。
この部屋を含むラボは確かにグンマが責任者であるが、ここは一族のプライベートエリアではない。他の研究者たちも多く出入りするのである。
「あー?寝てるだけなら邪魔にゃなんねぇだろ。後で何か掛けるモンの配給よろしく」
しかし当の本人は頓着なく言うと、余程眠かったのか、さっさと寝入ってしまう。
程なく呑気な寝息が聞こえてきて、呆気にとられていたグンマは溜息をついた。
「…あーもー、これじゃ僕も今日はおシゴトお休みじゃない…」
本当は午後からだけでもラボを開けるつもりだったのだが。
いくら本人はそう言っても、無防備に昼寝する従姉妹なぞ他の研究員の目に晒すわけにはいかない。
まして、騒がしくして従姉妹の眠りを妨げるわけにもいかない。
必然的に、人が来ないようにしようと思えば部屋を締め切るしかないわけで。
「もー…僕もお昼寝しようかな」
憮然と呟く。
疲れているのはこちらも同じことだ。
ソファをもう一つ引っ張ってきて、隣に同じように背を倒す。
頼まれたとおり、仮眠用の毛布のふかふかに干されたのを二枚取ってきて、一枚を従姉妹に、もう一枚を頭から被って従姉妹の傍に丸まった。
布越しに届く、窓から燦々と降り注ぐ陽光が暖かい。
隣の従姉妹も気持ちよさそうに寝息を立てている。
その寝顔を眺めて、懐かしい感覚にグンマは笑った。
幼稚園の頃の、お昼寝の時間みたい。
こんなのは、本当に久し振り。
「わざわざ幸せなんて目指さなくても、こういうの、充分幸せだと思うんだけどな…」
むずむずと込み上げるくすぐったさに、思わず緩む頬。
ひとりくすくすと笑いながら、すぐ傍にある寝顔にこつりと額をくっつけて目を閉じた。
「…おやすみなさい」
余談ながら、
後に襲名したての新総帥に研究員の一人から以下の苦情が申し立てられたらしい。
『お前、あいつにナニ言ったーーーーッ!!?』
…何があったかは当人と神のみぞ知ることである。
NEXT
「いないねぇ」
「うーん」
疲れたような声を上げるグンマと連れだって歩きながら、シンタローは首を捻った。
探し人が一向に見つからないのである。
既に殆どの心当たりの場所は当たったのだが、どこにもいない。
ひょっとしたら外出でもしているのだろうか。
「まだ本部には滞在してる筈なんだけどなぁ」
ただ、本部のスケジュール記録があまりあてにはならないのも確かなので、シンタローの声もやや覚束ない。
気紛れな性質の彼の人は、組織に縛られることをあまり好まず、思い立ったら何処なりとふらりと姿を消してしまう。
困ったように考え込むシンタローの背後で、クスリと笑う声がした。
「そろそろ鬼は見つかったかい?二人とも」
慌てて振り返ると、今まで探していた当の相手が悪戯っぽく笑っていた。
シンタローが思わず声を上げる。
「叔父さん!」
「…と、ジャンさん」
一拍遅れて、グンマが付け加えた。
「……どうせ、ついでだよ」
黄昏れる声を綺麗さっぱり無視して、シンタローは嬉しそうに叔父の元へと駆け寄った。
「びっくりした!探してたんだ、叔父さん」
「おや、そうなのかい?ところで」
何食わぬ顔で、美貌の叔父は企むような楽しげな笑みを浮かべた。
こういう時の叔父の笑顔は、文句なしに美しいが何かある。
経験則から思わず身構えた所に
「結婚するんだってね?おめでとう」
真正面から思わぬ直球を食らって、二人揃って目を丸くする。
子供たちの期待通りの反応に、叔父は満足そうに微笑んだ。
『 Engagement 』
.
―― 第三話。 幸福のススメ。編 ――
巨大な研究棟の最上階、南向きの日当たりの良いフロアが、グンマに与えられたラボである。
フロア内は彼の研究内容にあわせて、四方に特殊な壁を巡らせた実験室や、精密機械を置いてある計測室、資料部屋、在庫置き場、レポートを書いたり設計図を組み立てたりと一日の多くを過ごす作業室などが詰め込まれている。
その中に応接室と休憩室を兼ねた一室があり、ここではそのスペースが不要なほど広い間取りで取ってあった。他の研究者のラボと比べても、桁外れに広い。せめて休憩の時くらいはゆっくりしたい、という責任者たるグンマの意向によるものだった。
室内は天井を高く取り、壁の一面全面に窓を設けて外の光を一杯に取り入れるようになっている。理系の研究職というのは何かと外光を締め出した生活が中心になりがちなので、という理由である。無粋なパーティションの代わりに背の高い観葉植物を置き、ゆったりとした曲線のソファが点在し、更に紅茶の品揃えは店でも開けそうなほど豊富に揃い、甘いものは常に抜かりなく常備されている。何げにへたな喫茶店よりくつろげるスペースとして、ある意味、団内の隠れた穴場スポットでもあった。
一行は、とりあえず場所を移して、そこに落ち着くことにした。
テーブルに紅茶とクッキーが並べられ簡単にお茶の支度が整うと、待ちかねていたようにシンタローがうずうずと口を開いた。
「それで叔父さん、俺らの話、誰から訊いたの?」
「ホント。僕ら、これから報告に行こうと思ってたのに」
早速クッキーを頬張りながら、グンマも頷く。
「今朝方、ジャンがキンタローから聞いたのを又聞きしてね」
優雅にティーカップを口元に運ぶ叔父の言葉に、隣のシンタローとうり二つの容貌に白衣を羽織った青年が肩を竦めた。最も、かつて親友と過ごした時の姿を好んで用いているだけで、本当はシンタローよりもまだ若い女性の姿の持ち主である。
「ふーん…」
シンタローが心なし冷たい目をそちらへ向けた。
別に睨む必要などないのだが、一種の条件反射のようなものだ。
それも一瞬のことで、すぐに視線を返し、でも、と笑顔に戻る。
「動じないね、叔父さん」
「いや、驚いたよ。お前たちが結婚なんてね…。まだまだ子供だと思っていたのにな」
最も親戚らしい叔父の言葉に、しかしシンタローが不満げに唇を尖らせた。
「だから、俺もう24だよ」
「僕もだよ~」
隣でグンマも目一杯手を挙げて主張する。
「いくつでも変わらないよ」
サービスが目を細めた。
その光景こそが子供の時から変わらないとは、あえて言わない。
最年長の元赤の番人もにやりと笑い、口元をこっそり手で隠す。
素知らぬ振りでサービスは姪に向けて微笑み、そうして次の瞬間、爆弾を投下した。
「もしかしたら、ずっと男の振りで通すのかと思っていたから、花嫁姿が見れると思うと嬉しいよ、…ねぇ?」
本日最大の不意打ちにシンタローが思い切りお茶に噎せた。
ある種、姑から嫁への「孫の顔はまだかしら?」発言にも似た精神攻撃であった。
最後にちらりと視線を振られた親友も、
「…あ、う、うん。それもめでたいよな。まぁ、お幸せにナ、お二人さん」
変な汗を流しつつぎくしゃくと頷く。
ひとり分かっていないグンマが首を傾げた。
「そーいえば、叔父様はジャンさん…モガッ」
前方と横合いから伸びたふたつの手が、グンマの口を同時に塞いだ。
「な、何か言いかけたかなー?気のせいだよな~?」
「ああ、何も言ってない。断じて言ってないよな!?グンマ!」
最近、たまに親友がちょっぴり怖いジャンと、美貌の叔父が所帯を持つなど考えたくもないシンタローである。流石は同じ身体、ぴったり息が合ってる。
その横で、甥の一瞬の失言をスルーした叔父が、更に笑顔で畳み掛けた。
「式を挙げるなら、それまでは留まっているよ」
まだ、そこから離れないか。
シンタローはちょっとばかり怯んだ。
にっこりと微笑む叔父は確かに麗しいが、どうやら思考が常よりもやや暴走気味だ。よほど可愛い姪の花嫁姿が見たいらしい。
「あー…あははは…」
「僕も見たいなー、シンちゃんのウェディングドレスv」
嬉しそうなグンマだけが呑気に、にこにこ笑う。
マイペースな従兄弟が場を読まないのはいつものことだが、頼むから今はこの叔父を煽らないで欲しい。
シンタローは切に祈った。
一種、崇拝していると言っても過言ではない、美しい叔父にだけは壊れて欲しくない。
「あ、白無垢でも良いよ、シンちゃん着物似合うもん」
「黙ってろ」
色々切羽詰まった本気の目で睨み付けて、今度こそ強引に従兄弟の口を塞ぐ。
「叔父さん、それより先に色々やらなきゃいけないことがあるから…」
言い訳するように口にしながら、シンタローは顔を顰め、躊躇いがちにその先を口ごもった。
その指す所に気が付いたサービスが、そうだったね、と呟いた。
「兄さんの跡を、総帥を継ぐんだね」
シンタローは息を吸った。
「…うん」
声は小さく短かったが、はっきりと頷く。
サービスが満足そうに頷いた。それから首を傾げる。
「結婚するつもりなら、性別のことも公表するんだろう?」
「そのつもりだけど」
シンタローは思わず苦笑し、それはすぐに自嘲へと形を変えた。
「騒ぎになるよな…これまでの混乱もあるし、うちは野郎所帯だし、前例だってねぇし」
もし認められなかったら、という思いは未だにある。
24年間、ずっと抱いてきた鬱屈はそう簡単には消えない。
サービスとジャンが目を見合わせた。
「そんな心配することないと思うぜ」
「そうだな、お前なら大丈夫だろう」
「うん…」
笑う顔は己に言い聞かせるようで、いつもの精彩がない。
その顔を見詰め、サービスがその目を伏せた。
「シンタロー」
呼ばれてシンタローが顔を上げる。
上げた視線の先には、光に満ちた明るい室内が広がっていた。
麗らかな日差しは、まるで包まれているように暖かく心地よい。
そう思い、シンタローは違和感に目を瞬いた。
いや、確かに暖かいのだが。
そういう比喩的な暖かさではなくて、何かこうもっと物理的な。
背中まで回った、しっかりした温度とか。
というか、正面に見えている部屋の風景に何か疑問はないか。
この頬を擽る、さらりと柔らかな感触は何だろう。
ぎこちなく視線を落とすと、視界に入るのは細い金色の…
そこでやっと向かいから乗り出すようにした叔父にテーブル越しに抱き締められている事実に気が付き、コンマ一秒で頭の中が吹っ飛んだ。
「おっ、おじさんっ!?」
「ちょ…サービス!」
シンタローとジャンから同時に素っ頓狂な叫び声が上がり、
「あー!ずるーい!!」
黙っていろと言われてずっと大人しく黙っていたグンマも、思わず抗議の声を上げる。
「あああ、あの…!?」
あわあわとシンタローが視線を彷徨わせた。
この叔父を眼魔砲で吹っ飛ばすわけにもいかない。
混乱したまま、その場に固まっていると、すぐ耳元で微かな声が聞こえた。
「これも」
「…叔父さん?」
痛みのようなものの混じる声に、シンタローが怪訝そうに問い掛ける。
背中に回された腕から力が消え、サービスがゆっくりと身を離した。
あまりにも間近に、叔父の整った繊細な顔立ちを見詰める。
愁いを帯びた青い隻眼。酷く穏やかで澄んだ微笑み。
いつも美しい人だけれど、今はその中にいつになく儚く危ういものさえ感じて、シンタローは息を顰める。
そっと伸ばされた掌が、壊れやすい物を包むように、頬に触れた。
「これも、元を辿れば私のしたことの、…ひとつの結果と言えるのだろうけれど」
サービスは複雑そうに微笑む。それしか出来ないというように。
まさか縺れた糸がこんな結末に収まるとは、夢にも思わなかったけれど。
始まりが何であれ、ずっと慈しんできた姪を見詰め、同じように隣の甥を見詰める。
「でも、私の「せい」か、とは言わないでおくよ。他でもないお前達だから、この先に何が起こっても、これが決して不幸や後悔となる選択ではないと信じている」
「叔父さん…」
繊細な指先が、昔はよくそうしてくれたように髪を撫で、離れていった。
その後を追い掛けるように、シンタローが口を開いた。
「何が原因とか、そんなの、もう昔の話すぎて関係ないよ。そんなこと言ってたら、きりがない」
なぁ、とせっつくようにグンマを見る。
グンマが澄まして肩を竦めた。
「そうだよ、叔父様。そのおかげでシンちゃんをお嫁さんに出来るんだったら、むしろ結果オーライv」
最後にはVサインを作って、ちゃっかりと笑う。
「タフだよなぁ、お前ら…」
呆れた風にしながらも、どこか羨むようにジャンが目を細めた。
比べて段違いに神経の細い傍らの友人に、茶化すような目を向ける。
「…だってさ。どう、親友殿?」
「ここは彼らを見習うべきなのかな」
「良いんじゃないの。脳天気な所とか、少しくらい」
サービスがため息をつき、それから困ったように笑った。
それはかつて、まだ何の憂いも背負う以前の無邪気な頃の面影にも似て、ジャンもまた嬉しそうに微笑んだ。
さて、その蚊帳の外で
「脳天気って誰のことさー」
グンマがジト目でむくれていた。
「いつか、ぜってー、ぶっ殺ーーす…」
隣ではシンタローが元番人に向けて、射殺しそうな殺意を放つ。
一瞬の沈黙の後、そんな互いの視線がふと交わり、
「シンちゃん、紅茶お代わりは?」
「あ、悪いな」
何事もなかったかのように、お茶会が再開した。
グンマがいそいそと紅茶のお代わりを注ぎ、シンタローがティーカップに手を伸ばす。
「クッキー開けちまったから、今度なんか持ってきてやるよ」
「わーい、やったーv」
パウンドケーキが良いな~、と即座にリクエストがあがるのに、シンタローが鷹揚に頷く。
具体的なリクエストがある、というのは作り手としては、なかなか満足感があるものなのである。
グンマも差し入れを約束してもらい、上機嫌で自分にも紅茶のお代わりをついだ。
ミルクと砂糖を入れた、甘いミルクティーのカップを抱えて首を傾げる。
「ところでシンちゃん、今度、演習場使えるかな?広い所で計測がしたいんだけど」
ははあ、とシンタローが頷いた。
戦闘団員と研究員では命令系統が異なるので、相互間の申請にやたらと手間が掛かるのだ。
「ああ、日時さえ決まってれば、俺の名前で申請しとくぜ」
軽く請け負い、但し、と交換条件を付け加える。
「そん代わり、その間は研究棟の強化シェルター、トレーニング場所として提供しろよ」
「了解、遠慮無く使ってよ!」
グンマがお安いご用とばかりにOKサインを寄越す。
さっそく都合の良い日時を確認して、手帳に書き込みながら、ついでのように呟いた。
「トレーニング中に眼魔砲の暴発が何処に飛んでっても、僕何にも知らないや」
「実験中のガンボットの暴走で少々の被害者が出るくらい、まぁ大目に見てやるか」
シンタローがこちらも独り言のように洩らす。
そうして、同時に互いににっこりと笑った。
「二人とも」
会話のタイミングを見計らったように、向かいから声が掛かった。
「「何、叔父様v」」
声を揃えて、にこやかに振り返る。
顔を寄せ小声で談笑する姿は、端から見れば仲睦まじい恋人同士の語らいに見えたろう。
微笑ましげに見詰めるサービスの瞳は、既に叔父のそれに戻っていた。
隣の親友は、あてられたような顔で気まずげにそっぽを向いている。
「これを言うには、まだ少し早いけどね。別に何度言っても構わないだろうから」
サービスの目が、二人を順番に見詰めた。
「月並みだけど、幸せになりなさい」
改まって告げられた言祝ぎに、
「あー…そのォ…」
シンタローは、にわかに照れたように視線を逸らし、
「うん、もっちろん!」
グンマがとびきりの笑顔で頷いた。
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「それで、兄さんや高松にはもう報告したのかい」
思い出したようにサービスが訊ねたのは、2度目の紅茶のお代わりが無くなった頃だった。
お茶請けのクッキーも、ほとんど残り少なくなっている。
すぐに気付いてティーポットに手を伸ばした姪に、片手で次のお代わりを辞する意を伝え、彼は微かに首を傾げた。
順番としては、やはり叔父より親への報告が真っ先だろう。
そう簡単に説得できる相手とも思わないが、こうしてこちらにも報告に来たということは…もしかするともしかしたということだろうか。
些かの好奇心も含めて二人を見ると。
「うーん。したんだ、ケド…」
それまでにこにことしていたグンマが口籠もり、困ったような顔で視線を下げた。
その隣で、シンタローの視線も斜めに流れて黄昏れる。
俄にどんより曇った空気に、ジャンが引きつった顔になった。
「や…やっぱ一悶着あったのか?」
声を潜めて問い掛ける。
シンタローが否定するようにひらひらと手を振った。
「ナンも」
「何にも?あのバカ親総帥が?まさか納得したってのか!?」
ジャンの驚愕を打ち消すように、これにもやはり首が振られた。
「イヤ…、何てゆーか…もう、それ以前で」
思い返すシンタローの口端に空笑いが浮かんだ。
報告を…確かにすることはした。
したのだが。
朝一番、寝起きの頭に挨拶よりも早く、
『娘サンをキズモノにしちゃったんで責任とって結婚しますv』
などという、グンマのあんまりにもぶっちゃけた『報告』を不意打ちでくらった父は、未だ意識を飛ばして真っ白に燃え尽きており、
片やもう一人の親代わりの科学者はといえば、鼻血と涙を止めどなく流しながら寝込んでしまっている。
ある意味、ラスボスを禁じ手の裏技で一撃KOしてしまったような、釈然としないあっけなさであった。
「お前、もうちょっと言いようってもんがあったろが」
今さらながらにシンタローがグンマに文句を付けた。
呆れたような視線を受けて、グンマが拗ねたような顔でむくれる。
「だって、どう言ったって中身は同じじゃない」
心底、心外そうに言い切った。
およそデリカシーの欠片もない。
此処まで来ると、もはやアバウトを通り越して杜撰である。
「だから中身が同じでも容れ物が違えば印象だって違うだろーが…」
おおよそ理解したジャンが、口の中だけで小さくぼやいた。
言ってもムダなのは、この一族との長い付き合いで嫌と言うほど良く分かっている。
そう言えば、あの総帥も悪気なく振る舞う時ほど、何故か人の精神に壊滅的な打撃をくれたものだった。そして全く自覚がないとくる。
嗚呼そうか…これが血か。
ジャンは諦観の眼差しで遠くを見詰めた。
…ちなみに高松の元には双子の叔父の片割れも丁度良く居合わせたのだが、やはり報告を聞いてぽかんと口を開け、錯乱の余りかどっちが嫁だ、などと口走って姪の眼魔砲に吹っ飛ばされたきり、こちらも未だ帰らぬ人である。
何とも仕様のない状況に、サービスが苦笑した。
「まぁ、しばらく放っておきなさい」
「そうするよ」
シンタローが、やはりそれによく似た苦笑を返す。
お互い、このままで終わるはずがないことはわかっているのだ。
面倒なのは、むしろこの後だろう。
げんなりする姪に、くすりと笑ってサービスはちらりと時計を見、頃合いを見計らったように立ち上がった。
立ち上がった高い目線から、静かに二人を見下ろして微笑む。
その隣に、気付けば何の違和感もなくジャンも立っている。
「後で私からも話してみるよ。まぁ大騒ぎにはなるだろうけどね」
そう言い残して席を離れようとしたその腕を、勢いよく伸ばされた手が掴んだ。
「…叔父さんッ」
思いがけなく強い力で引き留められて、サービスが驚いたように振り返る。
「シンタロー?」
「……あ」
シンタロー自身、驚いたように自分の手を見下す。
緩まない力と、裏腹な戸惑い顔に、サービスが連れに目配せを送った。
肩を竦めたジャンがグンマを促し、先に部屋を出ていくのを見送る。
音と気配の減った部屋で、サービスは腕を掴む姪の手をそっと外した。
「どうしたんだい、シンタロー」
抵抗もなく外れた手を宥めるように叩く。
穏やかに訊ねる叔父の顔を、シンタローはぼんやりと見上げた。
シンタローには幼い頃から見慣れた、優しい叔父の。
「叔父さん…、俺さ…少なくとも今の自分が不幸だとは思ってないよ」
姪のいつになく静かな言葉に、サービスが目を見開いた。
シンタローが迷うように俯く。
この優しい人に告げるのは、かえって痛い思いをさせるだけかも知れない。
それでも、…だからこそ、言わなくてはいけない。
「だから…その、おじさんも…」
口籠もり、シンタローは迷いを振り払うように、勢いを付けて顔を上げた。
「おじさんこそ、幸せになって欲しい。昔のこととか全部知ったって、やっぱり俺はおじさんが好きだし、恨めない」
サービスが息を飲んだ。
嘘のない強い瞳に射抜かれて、凍り付く。
身じろぎ一つない叔父を、シンタローは真っ直ぐに見詰めた。
微笑んでいるのに、時折、酷く痛々しい。
自らの業を抱え、何も語らず耐える痛みすらも見せず、彼はずっとひとりで痛んでいた。
そんな姿を見てきたのだ。
「それに…もう、うちの一族の誰も彼もが繋がりすぎてて、誰か一人でも止まってしまったら駄目なんだ。だから、本当に幸せになってよ。そうしたら、もう全部、本当に過去に出来る。全部にケリを付けて、ここから先はみんなで、前だけ見て進めると思うんだ。
…ルーザー叔父さんの、願い通りに」
前に進め、と。
姪の声に重なって、亡き兄の遺した最期の祈りが耳に甦り、サービスは瞑目した。
堅く閉ざした瞼の奥に浮かぶのは、己の愚かしさで運命を狂わせた小さな赤子。
笑っていてくれることにどれほど救われたろう。
それ故に、どれほど慚愧は深く心を抉ったろう。
その信頼も笑顔も永遠に失うことを、報いと覚悟していた。
流されるだろう涙と、向けられるだろう憎悪を恐れながら。
瞼を開けば、視界に映るかつての赤子は、もう赤子ではなく。
短くはない流れた時間、止まることなく成長した娘は、全てを知ってなお誰よりも強く晴れやかに笑っていた。
立ち止まるな。
前に進め。
…幸せになるために。
遙かに前だけを見詰める瞳が、言葉よりも確かに、心の奥深く響き渡る。
「…そうだね、シンタロー…本当にそうだ」
幸せに、と願う。
それなら、幸せになれと言う。
誰一人欠けることなく、皆、と。
いとも簡単に口にする、それは『あの島』を思い出すような、単純で、最大級に我が儘な望み。
それがこの子の願いなら。
永遠に消せはしないだろう憐れみも罪悪感も、それでもこれが最後と決めて。
万感を込めて抱き締めた。
「ありがとう」
「まーた、研究の話か。飽きねぇな、お前ら」
通路に響いた呆れ声に、グンマはぱっとそちらを向いた。
やっと中での話が終わったらしい、部屋の扉に背を預ける従姉妹の姿を見付けて、嬉しそうに走り寄る。
今まで話していた相手は、すっかり忘却の彼方だ。
「だって、ジャンさんと話すことなんて他にないじゃない」
本人を前に、さらりと暴言である。
「微妙に苛めかよ…」
そこでまともに傷つく、妙なところで素直な番人に、シンタローが冷たく指をさした。
「おじさん、先に行ってるぞ」
「あー!ちょっと待ってくれよ、サービス!」
一言もなく横を擦り抜けて、さっさと歩き去る親友の後を、ジャンが慌てて追い掛ける。
二人が去っていく姿を半ば呆れ顔で見送っていると、グンマが興味津々に顔を覗き込んできた。
「ねぇねぇ、叔父様と何話してたの?」
問われたシンタローが、考えるように宙を見上げる。
「んー…、…幸福のススメについて?」
疑問系で答えられて、グンマが眉を寄せた。
「何それ??」
「人間、とりあえず幸せに向かってススメってことだろ」
シンタローが澄まし顔で空惚ける。
「え、え?えー…と??」
首を捻っていたグンマだったが、結局、自分的に解釈することにしたらしい。
「んー?うん。じゃぁ、とりあえず僕らも無事に結婚目指して頑張ろーねv」
張り切ったように、にっこり笑う。
そこが彼にとっての幸せポイントらしい。
「ああ、そう…」
シンタローは斜めに視線を逃がした。
「…ま、程々にな」
「何で、そこでやる気ナイのー!?」
不満そうなグンマの抗議を、はいはい、と流し、シンタローは踵を返す。
室内に戻ると、廊下よりも暖かい空気が身体を包んだ。
窓からいっぱいに差す日差しが目に眩しい。
差し込む陽の分、室温は暖められて心地良かった。
「あー、ちょっと寝ようかな…」
欠伸が洩れて、気が抜けたように呟くと、後から続いて入ってきたグンマがそれを聞き咎めた。
「寝るなら後で起こすよ?お昼寝は30分くらいが良いんだって」
「ダメ。俺が起きるまで、断固として起こすな」
昨夜はアレやコレやで寝不足だわ、今朝からこっちはあちこちかけずり回っててんやわんやで疲れているのだ。
跳ね返るように、ぴしゃりと言い返して、シンタローは手近なソファに乗り上げた。
リクライニングを操作して、完全に背を倒す。
これが従兄弟の改造品で、仮眠用としては上等なベッドになるのを知っているのだ。
「え、ちょっと、ここで寝るの!?」
堂々と昼寝の体勢に入った従姉妹に、グンマが焦った声を上げた。
この部屋を含むラボは確かにグンマが責任者であるが、ここは一族のプライベートエリアではない。他の研究者たちも多く出入りするのである。
「あー?寝てるだけなら邪魔にゃなんねぇだろ。後で何か掛けるモンの配給よろしく」
しかし当の本人は頓着なく言うと、余程眠かったのか、さっさと寝入ってしまう。
程なく呑気な寝息が聞こえてきて、呆気にとられていたグンマは溜息をついた。
「…あーもー、これじゃ僕も今日はおシゴトお休みじゃない…」
本当は午後からだけでもラボを開けるつもりだったのだが。
いくら本人はそう言っても、無防備に昼寝する従姉妹なぞ他の研究員の目に晒すわけにはいかない。
まして、騒がしくして従姉妹の眠りを妨げるわけにもいかない。
必然的に、人が来ないようにしようと思えば部屋を締め切るしかないわけで。
「もー…僕もお昼寝しようかな」
憮然と呟く。
疲れているのはこちらも同じことだ。
ソファをもう一つ引っ張ってきて、隣に同じように背を倒す。
頼まれたとおり、仮眠用の毛布のふかふかに干されたのを二枚取ってきて、一枚を従姉妹に、もう一枚を頭から被って従姉妹の傍に丸まった。
布越しに届く、窓から燦々と降り注ぐ陽光が暖かい。
隣の従姉妹も気持ちよさそうに寝息を立てている。
その寝顔を眺めて、懐かしい感覚にグンマは笑った。
幼稚園の頃の、お昼寝の時間みたい。
こんなのは、本当に久し振り。
「わざわざ幸せなんて目指さなくても、こういうの、充分幸せだと思うんだけどな…」
むずむずと込み上げるくすぐったさに、思わず緩む頬。
ひとりくすくすと笑いながら、すぐ傍にある寝顔にこつりと額をくっつけて目を閉じた。
「…おやすみなさい」
余談ながら、
後に襲名したての新総帥に研究員の一人から以下の苦情が申し立てられたらしい。
『お前、あいつにナニ言ったーーーーッ!!?』
…何があったかは当人と神のみぞ知ることである。
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「あー、しっかし…アタマ痛ぇナ」
憮然と洩らされた呟きに、グンマはきょとんと隣を見た。
「え?シンちゃんも二日酔い?」
そんなに飲んだの?と見開いた瞳を瞬きする。
そういえば今朝の従姉妹は、心なし顔色が優れない気がした。
「違ぇよ…」
「じゃぁ、風邪?」
重ねて心配そうに訊ねると、従姉妹は脱力したように突っ伏した。
「……呑気で良いね、お前」
『 Engagement 』
.
―― 第二話。 engage-約束-編 ――
『責任取って、嫁にしろ』
と、きっぱり言い切ったのは紛れもなく、今ここで頭を抱えている当人、シンタローその人だった。
たとえ名前が男名であろうとも生物学的にれっきとした女性であり、言われた相手もいかに女顔だろうが紛れもない成人男性である。
何がまかり間違った結果と言えども、一線越えてしまった(笑)男女間における台詞としては、その意図は明確すぎるほど明確だろう。
上の台詞が世間一般的に言うところの、正しくプロポーズと呼んで良いものであるかと言えば些かの疑問が残るが、双方がこれで納得しているのなら、そこはまぁ良しとすべきである。
しかし、そうとなれば、やはり次にすべきことも決まりきっているわけで。
つまり…
「やっぱ叔父…お父様に報告しなきゃねー」
「それだよ」
ふと思い至ったように言ったグンマに、シンタローは心底、憂鬱そうにため息をついた。
「だからアタマ痛ぇんだって。親父は絶対ぇ、反対するだろ」
「するよねぇ」
当たり前のように頷くグンマは、のほほんと緊張感の欠片もない。
「あの手この手で阻止しようとするに決まってる。で…どうするか、だ」
「それはー…」
そう言われると~、と、やっと考えるような顔になる。
あの島から帰ってきてこっち、グンマとマジックの新たな父子関係は至って円満だ。
根が素直なグンマはマジックの直球ストレートな愛情に反発することもないし、むしろ同じだけストレートに返してくるので、マジックもそれが嬉しいらしい。二人でにこにこと会話をしているところなど、確かによく似た親子だとは周囲の言である。
しかし、シンタローが絡めば話は別だ。
グンマやコタローに関しては、まぁそれなりに真っ当な父の顔も見せるのに、シンタローに対しては相変わらずのイき過ぎた溺愛っぷりを発揮しているマジックである。娘と息子という違いもあるかもしれないが、諸事情によりずっと息子として育てていたのだから、やはりシンタローに対してのみ、どっかの回路が狂っているのだろう。
アレさえなければ、まず文句のない良き父であり、尊敬すべき一家一族の長であるのだが。
ともかく、万一あの父と対立となったら、シンタローはともかくグンマは力では叶わない。それに結婚という一応の慶事にそういう殺伐とした事態を持ちたくないのが本音だ。
出来るなら穏便に説得したいが、聞く耳を持ってくれるかどうか。
「聞くわけねーだろ、あの親父が」
「でも、一応やるしかないよ。後は…、なるべく頼りになる味方をつけておくとか」
「味方って…」
呆れたようなシンタローの声を、インターホンの音が遮った。
続いて、機械越しの微かなノイズ混じりの声。
『起きているか、シンタロー?グンマが戻ってきていないと高松が騒いでいるんだが、知らないか』
「…あぁ」
首を巡らすと壁際に付けられた小さなモニタに、短い金髪頭が映っていた。
反射的にシンタローが腕を伸ばし、モニタの隣の通話ボタンを押す。
普通に返事をしようとし、
「ちょ、ちょっと待て!!」
慌てて手を離して、飛び起きた。
「どしたの、シンちゃん」
「どしたの、じゃねぇだろっ!!」
怒鳴りながらバスルームに飛び込むなり頭から水を浴び、続けて入れ替わりに従兄弟を押し込む。
昨日の服とシーツは丸めて洗濯機に突っ込み、適当に着替えを出して、散らかったテーブルの上の酒瓶と皿をそっくりキッチンへ運ぶ。片づけは後回しだ。
最後に窓とカーテンを全開に開け放てば、やっと、それなりにいつもの朝らしくなった。
この間、所要時間は10分ほど。
朝食を摂りそびれたせいで腹が減っていたが、これ以上待たせるわけにも行かないだろう。
ぶつぶつと文句を言いながら頭からバスタオルを被って出てきた従兄弟に向かって、ソファの方へ顎をしゃくり、座っていろと促す。
最後にベッドルームのドアを閉め念入りに鍵を掛けた上で、やっと入り口のロックを外した。
「おそい」
自動でドアが開くなり、すかさず不機嫌な第一声が飛んできた。
もう一人の従兄弟となったキンタローの、些か表情に乏しい白皙が正面で待ち構えていた。
既に隙なくスーツを着込み、上から白衣を羽織っている。切ったばかりの金髪にも一部の乱れもない。
「悪ぃ、起きたばっかだったんだ」
謝るシンタローのまだ濡れている黒髪を見て、キンタローは仕方なさそうに肩を竦めた。
「いい、朝早く訪ねたこっちも悪かった。それで--」
「お探しのグンマなら此処にいるゼ」
キンタローの台詞を先取って、シンタローが言う。
「ああ、一緒だったのか」
頷いて、キンタローはちょっと考えるように首を傾げた。
「酒か?」
「…まぁナ」
軽く肯定すると彼は眉を寄せた。
自分だけ仲間はずれにされたのが気に入らないらしい。
分かりやすい子供じみた従兄弟の態度にシンタローは苦笑した。
「お前とは、そのうちな」
まだ早い、と言外に告げると彼は微かに不満そうな色を見せた。
「それで飲み過ぎか?お前が寝坊なんて珍しいな」
「…まぁ、それもあるだろうがな…」
唐突に歯切れの悪くなった返事にキンタローが怪訝な顔をした。
「シンタロー?」
呼びかけに、シンタローはすぐには答えなかった。
逡巡するような間があいた後、
「…どうせ、お前はすぐ気付くだろうから」
ため息をついて、身体をずらし部屋の中を示す。
「キンタロー、ちょっと入れ。…時間良いか?」
「何だ?居場所さえわかれば、高松には俺が言っておく…」
「話があんだよ」
そう言った顔は酷く真剣で、キンタローは続く言葉を呑み込んだ。
部屋に入るとすぐ、探していた従兄弟の姿が目に入った。
バスタオルを頭から被ったまま、ソファの上で呑気に欠伸をかみ殺している。
「グンマ」
「あ、おはよー、キンちゃん」
先程の従姉妹に引き替え、にこにこしている従兄弟の方は別段いつもと変わりない様子だ。
「グンマ、高松が心配していた」
「あ、ごめん。後で謝りにいくよ」
「それで話とは?」
キンタローは背後に問い掛けた。
「ちょっと待て」
シンタローはキンタローの隣を素通りしてキッチンへ向かった。お茶を入れるつもりだろう。
簡単に終わる話ではない、ということか。
グンマと向かい合うようにして、空いているソファに腰を下ろす。
程なくして、シンタローがマグカップを三つ、盆も使わず器用に運んできた。中はブラックコーヒーと日本茶とミルクティー、どれが誰のものか一目瞭然な辺りが個性というモノだろうか。
飲み物をそれぞれの前に置き、グンマに詰めろと手を振ってソファに腰を下ろす。
真っ先に飲み物に手を伸ばし、二人がマグに口を付けるのを待ってから、シンタローはやっと口を開いた。
キンタロー、と静かに名を呼ばれて、キンタローは、何だ、と問い返す。
「俺らはこれから親父のトコに行ってくる」
「珍しいな」
素直に感想を述べると、何故かシンタローは気まずそうな顔になった。
「あー…ちょっと真面目な話があってナ」
もごもごと口ごもるように言葉を濁しかけ、
「そーじゃないでしょ、シンちゃん」
横合いからグンマが突っついた。
「っせーな、わぁってるよ…」
乱暴に頭を掻き回し、覚悟を決めるように咳払いを一つして。
「つーか…その、つまり、これから結婚の許可をぶん取りに、行くんだけど…」
「ケッコン…」
耳慣れない単語をキンタローが無表情に繰り返した。
「というと、男女の継続的な性的結合と経済的協力を伴う同棲関係が、両者の合意に基づいて婚姻の届け出をすることにより、社会的に承認されるというアレか?」
見事に辞書丸飲みの知識にシンタローが脱力した。
「…まぁ、ソレかな…多分」
「そうか…ケッコン………」
もう一度呟いて、キンタローは口を噤んだ。
蒼い瞳が瞬く。
「…誰が?」
目の前に並んだ従兄弟たちが、揃って自分自身を指差した。
「誰と?」
指が動いて、今度は互いを差す。
お互いを指差した二人を、キンタローは困惑したように見比べた。
「……、…つまりそれは、どーゆーことだ?」
真剣に訊かれて、困ったのはシンタローである。
どうって、何をどう言えとゆーのだ。この世間知らずな中身お子さまめ。
「ど~…どうって…その、これはだな…イロイロと深いオトナの諸事情ってゆーか、のっぴきならない緊急事態による、ライフラインも使えないガケっぷちファイナルアンサーッつーヤツがだな…」
「さっぱり判らんぞ。…グンマ?」
しどろもどろなシンタローの答えを、キンタローがすっぱり切って捨てた。
そのままグンマに問いを振る。
いつもと変わらぬにこにこ笑顔で、グンマはあっさりひと言で片付けた。
「つまりね、シンちゃんが『嫁に取れ』って言って、僕が『うん』って言ったから、ちゃんと合意成立なんだよー。後はおとー様にOK貰うだけ」
成る程、と、それでキンタローは納得したらしい。
シンタローも、とりあえず比較的まともな(無難な)返答に、ほっと胸をなで下ろしたが、
「それで、ケッコンすると何なんだ?」
(な、何って…)
知りたい盛りのキンタローから、間髪入れずに、またしても微妙に難しい質問が飛んでくる。
これにもグンマは動じる様子はなかった。
ますます嬉しそうににっこりと笑い、
「そーするとね、シンちゃんがこれからもずーーーっと一緒にいてくれるんだよv」
…幼稚園児並みの結論である。
が、その(根拠のない)確信に満ちた堂々とした答えに、キンタローはますます感心したように頷いた。
「そうか」
「……そうか?」
「え、そうでしょ?」
半眼で遠くを見るシンタローに、グンマがきょとんと首を捻った。
キンタローも不思議そうにこちらを見ている。
二対の青い瞳を向けられて、思わずシンタローは怯みかけた。
ダブルでその目はやめてくれ、自分が間違っているような気がしてくる。
いや、確かにグンマは別に嘘をついているわけではない、しかし…
そんなんで納得させてしまって良いのか?
どこかピントのズレたグンマの言葉をあんまりにも素直に鵜呑みにするキンタローに、何かものすごく詐欺を働いているような罪悪感が涌いてくる。
「いや、あのな、キンタロ…」
「つまり、グンマとシンタローがケッコンとやらをすれば、シンタローはどこにも行かないで、ずっと此処にいるんだな?」
「うん、そーだよv」
「…じゃねぇダロ!」
思わずシンタローがツッコミを入れた。
この二人だけで話をさせておくと、とんでもないことになりそうだ。
「何だ、違うのか?」
従兄弟の真顔の切り返しに、どう説明したモノかシンタローは悩む。
「いや、何つーかだな…」
違ってはいないのだが、何か違う。
そんな微妙なニュアンスは、生まれたて同然の従兄弟には理解できなかったらしい。
キンタローが苛立ったように眉を寄せた。
「はっきりしないぞ、シンタロー。…それとも、お前はいずれ何処かに行くつもりか?また日本か?それとも、『あの島』…」
「ストップ」
鋭く遮って、シンタローは額を押さえた。
一応、この従兄弟にも報告しておこうと思っただけなのに、何故か面倒くさい方向へ話が転がってしまった気がする。一時期の喧嘩腰の緊張感が消えてからというもの、キンタローはこの話題に関して、どうにもしつこい。
「何でそうなるんだよ。行かねぇって、馬鹿」
呆れたようにキンタローに向かって言う。
「俺は此処で生きるんだって決めたんだ。どこにも行かねぇよ」
ここ最近、この話題が出るたびに何度も繰り返してきた言葉だ。全く、自分にしては珍しいほど辛抱強く相手をしているものだと思う。
それなのに相手も強情なもので、
「本当か?」
胡乱げなキンタローの視線が、言葉より正直に疑いを示している。
「信用ねぇなぁ…。万が一、どこか行ったって、ちゃんと帰ってくるさ」
少々むっとするのを堪えて言うが、そのいかにも聞き分けのない子供に対するような、仕方なさげな態度が彼は余計に気にくわなかったらしい。
不機嫌そうな顔になり、ふて腐れたように横を向いてしまった。
困ったのはシンタローだ。
「グンマ…」
隣を振り仰ぎ、持て余し気味の目の前のお子さまを、こいつ、どうにかならないか?と目で訴える。
特に緊張感を覚える様子もなく、にこにこと微笑ましげにふたりの遣り取りを見ていたグンマが首を傾げた。
二人を見比べ、
「ね、キンちゃん。シンちゃんは帰ってくるって言ってるよ?」
キンタローの顔を覗き込むが、それでも彼は頑固に否定するように首を振った。
完全に拗ねたような態度に、グンマも少しばかり困ったような顔をしたが、
「キンちゃん、ちょっと耳貸して」
おもむろに相手の耳に手を翳し、口を寄せた。
『大丈夫だよ。キンちゃん』
「グンマ?」
訝しげな声を上げたキンタローを、グンマは唇の前に人差し指をたてて黙らせ、もう一度耳元に口を寄せた。
『大丈夫だよ、…シンちゃんはどこにも行かない。必ず、僕らの、一族の所に帰ってくるんだ。…たとえ、またあの島が呼んだって。約束がある限り、どこにもやらない』
「約束…?」
不思議そうに聞き返したキンタローに、グンマは元の位置まで離れて、にこりと笑った。
「あのね、結婚を誓うことをengageって言うんだ。約束する、って意味だよ。シンちゃんは絶対、約束は破らないって、キンちゃんが一番よく知ってるでしょ」
「…知ってる」
声は小さいがはっきりとした断言に、グンマは満足げに頷いた。
「必ずココに帰ってくるよって約束、ね?」
確認するようにシンタローを振り返って、笑う。
「あ?ああ…」
いきなり振られたシンタローが、驚いたように返事をした。
少し考え込み、
「そうだな。此処が俺の帰る場所だ」
自分にも言い聞かせるように、宣言するように口にする。
そして、納得したように顔を上げ、キンタローの頭にぽんと手を置いた。
「そんなに不安がるなよ。俺は消えたりしねぇから」
約束だ、と笑うと、手の下で金髪の頭がやっと、こくりと頷いた。
「…それで、叔父貴の許可というのはすぐにでも貰えるものなのか?」
とりあえず、それで何とか落ち着いたキンタローだったが、今度は急に生真面目な顔で訊いてきた。
それに、シンタローが思い出したように苦い顔をした。
「難しいだろうナ…」
「うん、まぁ、これもシレンってやつだねー」
「お前、試練の意味わかってる?」
相変わらず、いともお気楽に言うグンマを、シンタローが睨み付ける。
「試練というものは…」
「ああ、良いイイ。言わんでイイ。」
その横で始まりかけた蘊蓄を邪険に遮ると、従兄弟は珍しく素直に口を噤んだ。
代わりに、
「何か、俺が出来ることはあるか?」
その台詞に、グンマがぱっと顔を上げた。
「協力してくれるの?キンちゃん」
「いいのか?」
躊躇いがちにシンタローが訊く。
「ああ」
キンタローは迷いなく頷いた。
「それが、シンタローが此処に居るための条件なんだろう。伯父貴と言えど遠慮する必要はあるまい。むしろ伯父貴が相手なら尚更、万全の備えをし、全力で掛からねば。手が要るなら、俺も加勢してやるぞ」
グンマが勢いよくキンタローに抱き付いた。
「ありがとう、キンちゃん!…やったv強力な味方をゲットだね、シンちゃん!」
そのまま、嬉しそうにシンタローを振り返る。さりげなく物騒な台詞はスルーらしい。
「………そーだなぁ」
何だか妙に殺る気満々のキンタローに、やはり根本が激しく間違って伝わっている気がしたが、そのナニかの違いを正しく認識して貰うのは、きっと何となく永遠に無理なことなのだろう。そこは彼も青の一族である以上、もぅどうしようもない。
シンタローは遠く明後日の方角を見ながら、頬を掻いた。
「……ン、ま。死にゃぁしねぇダロ」
NEXT
「あー、しっかし…アタマ痛ぇナ」
憮然と洩らされた呟きに、グンマはきょとんと隣を見た。
「え?シンちゃんも二日酔い?」
そんなに飲んだの?と見開いた瞳を瞬きする。
そういえば今朝の従姉妹は、心なし顔色が優れない気がした。
「違ぇよ…」
「じゃぁ、風邪?」
重ねて心配そうに訊ねると、従姉妹は脱力したように突っ伏した。
「……呑気で良いね、お前」
『 Engagement 』
.
―― 第二話。 engage-約束-編 ――
『責任取って、嫁にしろ』
と、きっぱり言い切ったのは紛れもなく、今ここで頭を抱えている当人、シンタローその人だった。
たとえ名前が男名であろうとも生物学的にれっきとした女性であり、言われた相手もいかに女顔だろうが紛れもない成人男性である。
何がまかり間違った結果と言えども、一線越えてしまった(笑)男女間における台詞としては、その意図は明確すぎるほど明確だろう。
上の台詞が世間一般的に言うところの、正しくプロポーズと呼んで良いものであるかと言えば些かの疑問が残るが、双方がこれで納得しているのなら、そこはまぁ良しとすべきである。
しかし、そうとなれば、やはり次にすべきことも決まりきっているわけで。
つまり…
「やっぱ叔父…お父様に報告しなきゃねー」
「それだよ」
ふと思い至ったように言ったグンマに、シンタローは心底、憂鬱そうにため息をついた。
「だからアタマ痛ぇんだって。親父は絶対ぇ、反対するだろ」
「するよねぇ」
当たり前のように頷くグンマは、のほほんと緊張感の欠片もない。
「あの手この手で阻止しようとするに決まってる。で…どうするか、だ」
「それはー…」
そう言われると~、と、やっと考えるような顔になる。
あの島から帰ってきてこっち、グンマとマジックの新たな父子関係は至って円満だ。
根が素直なグンマはマジックの直球ストレートな愛情に反発することもないし、むしろ同じだけストレートに返してくるので、マジックもそれが嬉しいらしい。二人でにこにこと会話をしているところなど、確かによく似た親子だとは周囲の言である。
しかし、シンタローが絡めば話は別だ。
グンマやコタローに関しては、まぁそれなりに真っ当な父の顔も見せるのに、シンタローに対しては相変わらずのイき過ぎた溺愛っぷりを発揮しているマジックである。娘と息子という違いもあるかもしれないが、諸事情によりずっと息子として育てていたのだから、やはりシンタローに対してのみ、どっかの回路が狂っているのだろう。
アレさえなければ、まず文句のない良き父であり、尊敬すべき一家一族の長であるのだが。
ともかく、万一あの父と対立となったら、シンタローはともかくグンマは力では叶わない。それに結婚という一応の慶事にそういう殺伐とした事態を持ちたくないのが本音だ。
出来るなら穏便に説得したいが、聞く耳を持ってくれるかどうか。
「聞くわけねーだろ、あの親父が」
「でも、一応やるしかないよ。後は…、なるべく頼りになる味方をつけておくとか」
「味方って…」
呆れたようなシンタローの声を、インターホンの音が遮った。
続いて、機械越しの微かなノイズ混じりの声。
『起きているか、シンタロー?グンマが戻ってきていないと高松が騒いでいるんだが、知らないか』
「…あぁ」
首を巡らすと壁際に付けられた小さなモニタに、短い金髪頭が映っていた。
反射的にシンタローが腕を伸ばし、モニタの隣の通話ボタンを押す。
普通に返事をしようとし、
「ちょ、ちょっと待て!!」
慌てて手を離して、飛び起きた。
「どしたの、シンちゃん」
「どしたの、じゃねぇだろっ!!」
怒鳴りながらバスルームに飛び込むなり頭から水を浴び、続けて入れ替わりに従兄弟を押し込む。
昨日の服とシーツは丸めて洗濯機に突っ込み、適当に着替えを出して、散らかったテーブルの上の酒瓶と皿をそっくりキッチンへ運ぶ。片づけは後回しだ。
最後に窓とカーテンを全開に開け放てば、やっと、それなりにいつもの朝らしくなった。
この間、所要時間は10分ほど。
朝食を摂りそびれたせいで腹が減っていたが、これ以上待たせるわけにも行かないだろう。
ぶつぶつと文句を言いながら頭からバスタオルを被って出てきた従兄弟に向かって、ソファの方へ顎をしゃくり、座っていろと促す。
最後にベッドルームのドアを閉め念入りに鍵を掛けた上で、やっと入り口のロックを外した。
「おそい」
自動でドアが開くなり、すかさず不機嫌な第一声が飛んできた。
もう一人の従兄弟となったキンタローの、些か表情に乏しい白皙が正面で待ち構えていた。
既に隙なくスーツを着込み、上から白衣を羽織っている。切ったばかりの金髪にも一部の乱れもない。
「悪ぃ、起きたばっかだったんだ」
謝るシンタローのまだ濡れている黒髪を見て、キンタローは仕方なさそうに肩を竦めた。
「いい、朝早く訪ねたこっちも悪かった。それで--」
「お探しのグンマなら此処にいるゼ」
キンタローの台詞を先取って、シンタローが言う。
「ああ、一緒だったのか」
頷いて、キンタローはちょっと考えるように首を傾げた。
「酒か?」
「…まぁナ」
軽く肯定すると彼は眉を寄せた。
自分だけ仲間はずれにされたのが気に入らないらしい。
分かりやすい子供じみた従兄弟の態度にシンタローは苦笑した。
「お前とは、そのうちな」
まだ早い、と言外に告げると彼は微かに不満そうな色を見せた。
「それで飲み過ぎか?お前が寝坊なんて珍しいな」
「…まぁ、それもあるだろうがな…」
唐突に歯切れの悪くなった返事にキンタローが怪訝な顔をした。
「シンタロー?」
呼びかけに、シンタローはすぐには答えなかった。
逡巡するような間があいた後、
「…どうせ、お前はすぐ気付くだろうから」
ため息をついて、身体をずらし部屋の中を示す。
「キンタロー、ちょっと入れ。…時間良いか?」
「何だ?居場所さえわかれば、高松には俺が言っておく…」
「話があんだよ」
そう言った顔は酷く真剣で、キンタローは続く言葉を呑み込んだ。
部屋に入るとすぐ、探していた従兄弟の姿が目に入った。
バスタオルを頭から被ったまま、ソファの上で呑気に欠伸をかみ殺している。
「グンマ」
「あ、おはよー、キンちゃん」
先程の従姉妹に引き替え、にこにこしている従兄弟の方は別段いつもと変わりない様子だ。
「グンマ、高松が心配していた」
「あ、ごめん。後で謝りにいくよ」
「それで話とは?」
キンタローは背後に問い掛けた。
「ちょっと待て」
シンタローはキンタローの隣を素通りしてキッチンへ向かった。お茶を入れるつもりだろう。
簡単に終わる話ではない、ということか。
グンマと向かい合うようにして、空いているソファに腰を下ろす。
程なくして、シンタローがマグカップを三つ、盆も使わず器用に運んできた。中はブラックコーヒーと日本茶とミルクティー、どれが誰のものか一目瞭然な辺りが個性というモノだろうか。
飲み物をそれぞれの前に置き、グンマに詰めろと手を振ってソファに腰を下ろす。
真っ先に飲み物に手を伸ばし、二人がマグに口を付けるのを待ってから、シンタローはやっと口を開いた。
キンタロー、と静かに名を呼ばれて、キンタローは、何だ、と問い返す。
「俺らはこれから親父のトコに行ってくる」
「珍しいな」
素直に感想を述べると、何故かシンタローは気まずそうな顔になった。
「あー…ちょっと真面目な話があってナ」
もごもごと口ごもるように言葉を濁しかけ、
「そーじゃないでしょ、シンちゃん」
横合いからグンマが突っついた。
「っせーな、わぁってるよ…」
乱暴に頭を掻き回し、覚悟を決めるように咳払いを一つして。
「つーか…その、つまり、これから結婚の許可をぶん取りに、行くんだけど…」
「ケッコン…」
耳慣れない単語をキンタローが無表情に繰り返した。
「というと、男女の継続的な性的結合と経済的協力を伴う同棲関係が、両者の合意に基づいて婚姻の届け出をすることにより、社会的に承認されるというアレか?」
見事に辞書丸飲みの知識にシンタローが脱力した。
「…まぁ、ソレかな…多分」
「そうか…ケッコン………」
もう一度呟いて、キンタローは口を噤んだ。
蒼い瞳が瞬く。
「…誰が?」
目の前に並んだ従兄弟たちが、揃って自分自身を指差した。
「誰と?」
指が動いて、今度は互いを差す。
お互いを指差した二人を、キンタローは困惑したように見比べた。
「……、…つまりそれは、どーゆーことだ?」
真剣に訊かれて、困ったのはシンタローである。
どうって、何をどう言えとゆーのだ。この世間知らずな中身お子さまめ。
「ど~…どうって…その、これはだな…イロイロと深いオトナの諸事情ってゆーか、のっぴきならない緊急事態による、ライフラインも使えないガケっぷちファイナルアンサーッつーヤツがだな…」
「さっぱり判らんぞ。…グンマ?」
しどろもどろなシンタローの答えを、キンタローがすっぱり切って捨てた。
そのままグンマに問いを振る。
いつもと変わらぬにこにこ笑顔で、グンマはあっさりひと言で片付けた。
「つまりね、シンちゃんが『嫁に取れ』って言って、僕が『うん』って言ったから、ちゃんと合意成立なんだよー。後はおとー様にOK貰うだけ」
成る程、と、それでキンタローは納得したらしい。
シンタローも、とりあえず比較的まともな(無難な)返答に、ほっと胸をなで下ろしたが、
「それで、ケッコンすると何なんだ?」
(な、何って…)
知りたい盛りのキンタローから、間髪入れずに、またしても微妙に難しい質問が飛んでくる。
これにもグンマは動じる様子はなかった。
ますます嬉しそうににっこりと笑い、
「そーするとね、シンちゃんがこれからもずーーーっと一緒にいてくれるんだよv」
…幼稚園児並みの結論である。
が、その(根拠のない)確信に満ちた堂々とした答えに、キンタローはますます感心したように頷いた。
「そうか」
「……そうか?」
「え、そうでしょ?」
半眼で遠くを見るシンタローに、グンマがきょとんと首を捻った。
キンタローも不思議そうにこちらを見ている。
二対の青い瞳を向けられて、思わずシンタローは怯みかけた。
ダブルでその目はやめてくれ、自分が間違っているような気がしてくる。
いや、確かにグンマは別に嘘をついているわけではない、しかし…
そんなんで納得させてしまって良いのか?
どこかピントのズレたグンマの言葉をあんまりにも素直に鵜呑みにするキンタローに、何かものすごく詐欺を働いているような罪悪感が涌いてくる。
「いや、あのな、キンタロ…」
「つまり、グンマとシンタローがケッコンとやらをすれば、シンタローはどこにも行かないで、ずっと此処にいるんだな?」
「うん、そーだよv」
「…じゃねぇダロ!」
思わずシンタローがツッコミを入れた。
この二人だけで話をさせておくと、とんでもないことになりそうだ。
「何だ、違うのか?」
従兄弟の真顔の切り返しに、どう説明したモノかシンタローは悩む。
「いや、何つーかだな…」
違ってはいないのだが、何か違う。
そんな微妙なニュアンスは、生まれたて同然の従兄弟には理解できなかったらしい。
キンタローが苛立ったように眉を寄せた。
「はっきりしないぞ、シンタロー。…それとも、お前はいずれ何処かに行くつもりか?また日本か?それとも、『あの島』…」
「ストップ」
鋭く遮って、シンタローは額を押さえた。
一応、この従兄弟にも報告しておこうと思っただけなのに、何故か面倒くさい方向へ話が転がってしまった気がする。一時期の喧嘩腰の緊張感が消えてからというもの、キンタローはこの話題に関して、どうにもしつこい。
「何でそうなるんだよ。行かねぇって、馬鹿」
呆れたようにキンタローに向かって言う。
「俺は此処で生きるんだって決めたんだ。どこにも行かねぇよ」
ここ最近、この話題が出るたびに何度も繰り返してきた言葉だ。全く、自分にしては珍しいほど辛抱強く相手をしているものだと思う。
それなのに相手も強情なもので、
「本当か?」
胡乱げなキンタローの視線が、言葉より正直に疑いを示している。
「信用ねぇなぁ…。万が一、どこか行ったって、ちゃんと帰ってくるさ」
少々むっとするのを堪えて言うが、そのいかにも聞き分けのない子供に対するような、仕方なさげな態度が彼は余計に気にくわなかったらしい。
不機嫌そうな顔になり、ふて腐れたように横を向いてしまった。
困ったのはシンタローだ。
「グンマ…」
隣を振り仰ぎ、持て余し気味の目の前のお子さまを、こいつ、どうにかならないか?と目で訴える。
特に緊張感を覚える様子もなく、にこにこと微笑ましげにふたりの遣り取りを見ていたグンマが首を傾げた。
二人を見比べ、
「ね、キンちゃん。シンちゃんは帰ってくるって言ってるよ?」
キンタローの顔を覗き込むが、それでも彼は頑固に否定するように首を振った。
完全に拗ねたような態度に、グンマも少しばかり困ったような顔をしたが、
「キンちゃん、ちょっと耳貸して」
おもむろに相手の耳に手を翳し、口を寄せた。
『大丈夫だよ。キンちゃん』
「グンマ?」
訝しげな声を上げたキンタローを、グンマは唇の前に人差し指をたてて黙らせ、もう一度耳元に口を寄せた。
『大丈夫だよ、…シンちゃんはどこにも行かない。必ず、僕らの、一族の所に帰ってくるんだ。…たとえ、またあの島が呼んだって。約束がある限り、どこにもやらない』
「約束…?」
不思議そうに聞き返したキンタローに、グンマは元の位置まで離れて、にこりと笑った。
「あのね、結婚を誓うことをengageって言うんだ。約束する、って意味だよ。シンちゃんは絶対、約束は破らないって、キンちゃんが一番よく知ってるでしょ」
「…知ってる」
声は小さいがはっきりとした断言に、グンマは満足げに頷いた。
「必ずココに帰ってくるよって約束、ね?」
確認するようにシンタローを振り返って、笑う。
「あ?ああ…」
いきなり振られたシンタローが、驚いたように返事をした。
少し考え込み、
「そうだな。此処が俺の帰る場所だ」
自分にも言い聞かせるように、宣言するように口にする。
そして、納得したように顔を上げ、キンタローの頭にぽんと手を置いた。
「そんなに不安がるなよ。俺は消えたりしねぇから」
約束だ、と笑うと、手の下で金髪の頭がやっと、こくりと頷いた。
「…それで、叔父貴の許可というのはすぐにでも貰えるものなのか?」
とりあえず、それで何とか落ち着いたキンタローだったが、今度は急に生真面目な顔で訊いてきた。
それに、シンタローが思い出したように苦い顔をした。
「難しいだろうナ…」
「うん、まぁ、これもシレンってやつだねー」
「お前、試練の意味わかってる?」
相変わらず、いともお気楽に言うグンマを、シンタローが睨み付ける。
「試練というものは…」
「ああ、良いイイ。言わんでイイ。」
その横で始まりかけた蘊蓄を邪険に遮ると、従兄弟は珍しく素直に口を噤んだ。
代わりに、
「何か、俺が出来ることはあるか?」
その台詞に、グンマがぱっと顔を上げた。
「協力してくれるの?キンちゃん」
「いいのか?」
躊躇いがちにシンタローが訊く。
「ああ」
キンタローは迷いなく頷いた。
「それが、シンタローが此処に居るための条件なんだろう。伯父貴と言えど遠慮する必要はあるまい。むしろ伯父貴が相手なら尚更、万全の備えをし、全力で掛からねば。手が要るなら、俺も加勢してやるぞ」
グンマが勢いよくキンタローに抱き付いた。
「ありがとう、キンちゃん!…やったv強力な味方をゲットだね、シンちゃん!」
そのまま、嬉しそうにシンタローを振り返る。さりげなく物騒な台詞はスルーらしい。
「………そーだなぁ」
何だか妙に殺る気満々のキンタローに、やはり根本が激しく間違って伝わっている気がしたが、そのナニかの違いを正しく認識して貰うのは、きっと何となく永遠に無理なことなのだろう。そこは彼も青の一族である以上、もぅどうしようもない。
シンタローは遠く明後日の方角を見ながら、頬を掻いた。
「……ン、ま。死にゃぁしねぇダロ」
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「う…」
唐突に意識が戻り、彼は苦しげに呻いた。
どうやら深く眠っていたらしい、その間、窮屈な体勢で寝返りも打たなかったのか、妙に力の入ったまま身体が強張っているのをゆっくりと動かして、無意識に体勢を楽なものへ入れ替える。
途切れていた感覚が次第に戻ってきて、その途端に脳が身体の異常を訴えた。
「あ…、頭、痛ぁ…」
まず、ほんの少しの動きでも、頭の奥に突き刺すような痛みが走る。
ぐらぐらと辺りが揺れているような目眩もする。
喉ががらがらに渇いていて、そこにも鈍い痛みがあった。
原因を探るまでもなく、この状態には覚えがあった。
飲み過ぎた特有の、まぁ…典型的な二日酔いの症状だ。
うっかり瞼を開いた途端に、朝の眩しい光が眼球に痛いほど突き刺さり、グンマは逃れるようにシーツに顔を押しつけた。
「…目ぇ覚めたか、グンマ」
もっと深くベッドに潜り込もうと、もぞもぞ身じろぎしていると、唐突に傍らから声が掛かった。
少しぶっきらぼうな、ややもするとグンマよりも低めのその声は、彼と同い年の従姉妹のものだ。
こちらも酒焼けか、今朝は幾分掠れ気味だった。
「あ…シンちゃん…?おはよ…」
寝惚けた声を返しながら、条件反射で眩しい瞳をこじ開け、従姉妹の姿を探す。
見慣れたはずのその姿が目に入り、途端にグンマは今にもくっつきそうだった両の瞼をぱちりと見開いた。
一瞬にして二日酔いも何処かに吹っ飛ぶ。
「……あの、シンちゃん」
「あぁん?」
至って無愛想な従姉妹の返答は、朝からいやにドスが利いていた。
お世辞にも機嫌が良いとは言えない状態のようだったが、そうそう怯んではいられない。
グンマは焦ったようにがばりと起きあがり、空回りするように何度か口を開閉させ、
「…これって、どういう状況…?」
何とも間抜けに問い掛けた。
「…見てわかれよ」
ため息をついた従姉妹が投げ遣り気味にそう言った。
『 Engagement 』
.
―― 第一話。 後の祭りの始まり編 ――
彼女の様子は一見したところ至極、冷静そうだった。
慌ても取り乱しもせず、何事もないかのように普段と変わりなく平然としている。
だからこそグンマはまず彼女に把握しきれない現状の説明を求めたのだったが。
「……で、シンちゃん…これ」
「………」
「………シンちゃん??」
「…………」
先程のひと言の後から、いっかな返事が返らない。
首を傾げ、まじまじと相手の顔を覗き込んで、自分の認識が誤りであったことに彼はようやく気がついた。
いつもは怯まぬ毅い黒瞳があからさまに視線を逸らしたまま、すぐ傍にいるグンマをすら見ることもなく宙に浮いていた。
ぴくりとも動かない表情筋と背筋は、明らかに不自然に力が入って強張っている。
なるべく周囲の一切を見ないように務めているようだった。
どうやら持ち前の強固な意地とプライドで、冷静なフリをしているだけらしい。
「…だめだ、こりゃ…」
自分を抑えるのに必死な従姉妹からでは、まともな返事は返ってこなそうだ。
他から説明を求めることを諦め、グンマはやっと恐る恐る周囲の惨状を見渡した。
自室や研究室ほどではないが、飽きるほど見慣れた従姉妹の部屋だ。
相変わらず飾り気一つ無い場所が、今朝は見事なまでに激しく荒れていた。
(…………何があったんだっけ…)
彼はとりあえず記憶を探り、そもそもの原因だろう昨夜のことを思い出した。
確か、珍しく従姉妹に酒を誘われて飲んだのである。
『あの島』から帰ってきて未だ日は浅い。混乱の続く状況の中、これまでのことやこれからのこと、話したいことや話すべきことも色々あったし、流石にそれら全てを素面では話しにくくもあった。
テーブルには昨日の名残だろう、食べ散らかした酒肴と酒瓶が何本も空いていた。
自分の酒量はさして多くはないから、ほとんどは従姉妹が空けたに違いなかった。それにしても些か多すぎる気はしたが、それはまぁこの際どうでも良い。
視線を己のいる場所へ戻す。
従姉妹とふたりしてベッドの上だ。それも良い。
酒豪の彼女と酒を呑めば強くはない自分が先に酔い潰れるのは当然で、そうなればそのまま朝まで泊まり込むのもよくあることで、いちいちその度にどちらかがソファを使ったりするような気遣いを今さらするような相手でもない。どうせムダにベッドも広いので、大概は合宿宜しく雑魚寝というか同衾してしまう。
だから、
(それ自体は別に良いんだけ、ど…)
唯一、問題があるのは、現在の自分たちの姿であった。
要するに、ぶっちゃけ何でベッドが乱れていて、二人とも服を着てないのかという辺りである。
昨夜は確かにラフな格好をしていたが、それも見事に脱ぎ散らかされてベッドの下に転がっていた。
シーツの乱れたベッドの周囲に二人分の服が乱雑に蟠る様に、なかなか目の毒な光景だなぁ…と、ぐらぐらする頭で現実逃避気味に考える。何処か頭の奥の方で鐘でも突いているように、ぐわんぐわん大音量の耳鳴りがした。
動揺を抑えるように視界に掛かる金髪を片手で押さえれば、自分のコンプレックスでもある一族にしては華奢な腕だとか、従姉妹のアジア系の黄色がかった肌とは明らかに色味の異なる白人特有の肌色だとかが目に入る。まあ裸なのだから当然だ。
ぼんやりと隣の従姉妹に目をやれば、色々と屈折した状況のお陰で常に男の格好をしている彼女もやはり、同様に持って生まれた姿を晒していた。
明らかに、女性の。
日頃鍛えられた身体は無駄な肉ひとつ付いておらず、柔らかさよりも引き締まったしなやかさの目立つものではあったが、それでも女性らしい線を損なってはいなかった。一糸纏わぬ姿でありながら、それは性的な生々しさよりもむしろ野生の獣さながらの強い生命力を感じさせる。ただ一つその身を飾る長い豊かな黒髪が、島暮らしで日に焼けた肌にも鮮やかに映えていた。
ある程度の年を数えてからは殆ど初めて見ると言って良い従姉妹の本来の姿に、グンマは内心で素直な称賛を送った。
グンマとしては従姉妹がどんな格好をしていようが一向に構わないのだが、これだけ綺麗なものを無理に歪めて隠しておくのはいかにも勿体ない。
そんなやや脱線気味の呑気な感想を抱きつつ、同時にぬけぬけと目の保養に預かりつつも、一応何とか、自称天才博士の頭は現状を把握していた。
かつて無いことだが、この状況はどうやら、…どう考えても。
「つまり、…そういうこと?」
この手の話題の苦手な従姉妹に遠慮して、直接的に口にするのを躊躇えば、どうしたって他に言いようがない。
従姉妹が憮然とした顔で横を向いた。
「まぁ、そうだろ」
否定したくとも、あまりにもここまでお膳立てが揃いすぎていては、流石に己の誤魔化しようがなかったのだろう。
がしがしと気まずそうに頭を掻くのに、乱れ掛かる長い黒髪が揺れた。
乱暴な腕の動きに釣られて肩口に掛かった髪が滑り落ちる。
ふと見ればその二の腕の内側に既に淡く消えかかるほの赤い跡が浮いていた。
よく見れば首すじや肩口にも同様のものがちらほらと散っている。当人からは見えないだろうから、恐らく気付いてはいまい。
当然ながら自分では付けようのない位置である。
…ということは他にそんな真似が出来た者はいないわけで。
(うわぁ…、これって…)
これ以上ないほど、見事な決定打だった。
急に現実味が迫ってきて、思わず耳まで赤くなる。
今さら慌てて、グンマは視線を逸らせた。
まともに視線を戻せないまま、ぐるぐる考えを巡らせる。
酔って起きたら隣に裸の誰ぞがいたとかいう、話としては良く聞くシチュエーションだ。
だが、しかし。
なにせ相手はガサツなくせに、何げに今時珍しいほど奥手で貞操観念も堅い従姉妹である。
加えて半端なく腕は立つ。
どう間違っても彼女とだけはそういうことになるとは思わなかったというのが本音だ。
それなのに、この状況は一体。
(ほ、本当に何があったんだろう昨日…)
何がどーしてこうなったのか、自分自身でさえわからない。
酒のせいだろうが、すっぽりと記憶が飛んでいる。
いくら自問しても答えは出てこず、グンマは激しく落ち込んだ。
全く…
…何てもったいない。
せっかくなら一部始終きっちり覚えていればいいものを、記憶のない己が恨めしい。
隣で何やら居たたまれないやっちまった感を漂わせている従姉妹を余所に、グンマの脳裏にあるのはそれだけであっった。
現状に対する後悔とか焦りとか相手への罪悪感とかは微塵も思い当たらないらしい。
彼も所詮は青の一族だった。
(だって、とりあえず無理強いした心配だけはないし…)
今や彼女は一族最強の実力者である。
確かに、そんなことをしていたら、とてもじゃないが自分が無傷で済むはずがない。
…となれば
(…ちょっとは期待しても良いのかなぁ…)
あ、いかん、嬉しくなってきた。
不謹慎にも思わず口元が緩みかけて、グンマは慌ててそれを両手で覆い隠した。
従姉妹に知れれば本気で殴られること必至のそんな思考を引き戻したのは、こちらも何事か考え込んでいた当の従姉妹の妙に改まった咳払いだった。
「おい…グンマ」
いつになく静かに名を呼んで、従姉妹は恐ろしく真面目な顔をグンマに向けた。
その迫力に圧されて、グンマは僅かばかりのけ反った。
意志の強い黒い瞳が心なし据わっている気がする。
「えと、シンちゃ…?「とりあえず、これから考えるべきことは色々あるだろうが、まず、こうなった以上はあれだ」
「…う、うん」
あれ、では、どれだかさっぱり通じないが、ここは神妙にグンマも頷いた。
重々しいがどことなく緊張した声音に、何となく続く言葉を予想するが、よもやこの従姉妹の口からこの類の台詞を聞ける日が来ようとは。
ドキドキしながら頬を抓って夢じゃないか確かめたい衝動をぐっと堪えて、グンマも一応、居住まいなど正してみる。
これだけ散々乱れた状態で居住まいも何もないが、そこは気分の問題である。
ベッドの上で背筋を伸ばして向かい合い、黒髪の従姉妹は覚悟を決めたように深く息を吸った。
きっ、と強い視線を真っ直ぐに据えて、
ヤケクソのように紡がれた宣告は、きっぱりとひと言。
「責任取って、嫁にしろ。」
この後のありとあらゆる騒動の発端となる、波乱の幕開けの宣誓宣言であった。
NEXT
「う…」
唐突に意識が戻り、彼は苦しげに呻いた。
どうやら深く眠っていたらしい、その間、窮屈な体勢で寝返りも打たなかったのか、妙に力の入ったまま身体が強張っているのをゆっくりと動かして、無意識に体勢を楽なものへ入れ替える。
途切れていた感覚が次第に戻ってきて、その途端に脳が身体の異常を訴えた。
「あ…、頭、痛ぁ…」
まず、ほんの少しの動きでも、頭の奥に突き刺すような痛みが走る。
ぐらぐらと辺りが揺れているような目眩もする。
喉ががらがらに渇いていて、そこにも鈍い痛みがあった。
原因を探るまでもなく、この状態には覚えがあった。
飲み過ぎた特有の、まぁ…典型的な二日酔いの症状だ。
うっかり瞼を開いた途端に、朝の眩しい光が眼球に痛いほど突き刺さり、グンマは逃れるようにシーツに顔を押しつけた。
「…目ぇ覚めたか、グンマ」
もっと深くベッドに潜り込もうと、もぞもぞ身じろぎしていると、唐突に傍らから声が掛かった。
少しぶっきらぼうな、ややもするとグンマよりも低めのその声は、彼と同い年の従姉妹のものだ。
こちらも酒焼けか、今朝は幾分掠れ気味だった。
「あ…シンちゃん…?おはよ…」
寝惚けた声を返しながら、条件反射で眩しい瞳をこじ開け、従姉妹の姿を探す。
見慣れたはずのその姿が目に入り、途端にグンマは今にもくっつきそうだった両の瞼をぱちりと見開いた。
一瞬にして二日酔いも何処かに吹っ飛ぶ。
「……あの、シンちゃん」
「あぁん?」
至って無愛想な従姉妹の返答は、朝からいやにドスが利いていた。
お世辞にも機嫌が良いとは言えない状態のようだったが、そうそう怯んではいられない。
グンマは焦ったようにがばりと起きあがり、空回りするように何度か口を開閉させ、
「…これって、どういう状況…?」
何とも間抜けに問い掛けた。
「…見てわかれよ」
ため息をついた従姉妹が投げ遣り気味にそう言った。
『 Engagement 』
.
―― 第一話。 後の祭りの始まり編 ――
彼女の様子は一見したところ至極、冷静そうだった。
慌ても取り乱しもせず、何事もないかのように普段と変わりなく平然としている。
だからこそグンマはまず彼女に把握しきれない現状の説明を求めたのだったが。
「……で、シンちゃん…これ」
「………」
「………シンちゃん??」
「…………」
先程のひと言の後から、いっかな返事が返らない。
首を傾げ、まじまじと相手の顔を覗き込んで、自分の認識が誤りであったことに彼はようやく気がついた。
いつもは怯まぬ毅い黒瞳があからさまに視線を逸らしたまま、すぐ傍にいるグンマをすら見ることもなく宙に浮いていた。
ぴくりとも動かない表情筋と背筋は、明らかに不自然に力が入って強張っている。
なるべく周囲の一切を見ないように務めているようだった。
どうやら持ち前の強固な意地とプライドで、冷静なフリをしているだけらしい。
「…だめだ、こりゃ…」
自分を抑えるのに必死な従姉妹からでは、まともな返事は返ってこなそうだ。
他から説明を求めることを諦め、グンマはやっと恐る恐る周囲の惨状を見渡した。
自室や研究室ほどではないが、飽きるほど見慣れた従姉妹の部屋だ。
相変わらず飾り気一つ無い場所が、今朝は見事なまでに激しく荒れていた。
(…………何があったんだっけ…)
彼はとりあえず記憶を探り、そもそもの原因だろう昨夜のことを思い出した。
確か、珍しく従姉妹に酒を誘われて飲んだのである。
『あの島』から帰ってきて未だ日は浅い。混乱の続く状況の中、これまでのことやこれからのこと、話したいことや話すべきことも色々あったし、流石にそれら全てを素面では話しにくくもあった。
テーブルには昨日の名残だろう、食べ散らかした酒肴と酒瓶が何本も空いていた。
自分の酒量はさして多くはないから、ほとんどは従姉妹が空けたに違いなかった。それにしても些か多すぎる気はしたが、それはまぁこの際どうでも良い。
視線を己のいる場所へ戻す。
従姉妹とふたりしてベッドの上だ。それも良い。
酒豪の彼女と酒を呑めば強くはない自分が先に酔い潰れるのは当然で、そうなればそのまま朝まで泊まり込むのもよくあることで、いちいちその度にどちらかがソファを使ったりするような気遣いを今さらするような相手でもない。どうせムダにベッドも広いので、大概は合宿宜しく雑魚寝というか同衾してしまう。
だから、
(それ自体は別に良いんだけ、ど…)
唯一、問題があるのは、現在の自分たちの姿であった。
要するに、ぶっちゃけ何でベッドが乱れていて、二人とも服を着てないのかという辺りである。
昨夜は確かにラフな格好をしていたが、それも見事に脱ぎ散らかされてベッドの下に転がっていた。
シーツの乱れたベッドの周囲に二人分の服が乱雑に蟠る様に、なかなか目の毒な光景だなぁ…と、ぐらぐらする頭で現実逃避気味に考える。何処か頭の奥の方で鐘でも突いているように、ぐわんぐわん大音量の耳鳴りがした。
動揺を抑えるように視界に掛かる金髪を片手で押さえれば、自分のコンプレックスでもある一族にしては華奢な腕だとか、従姉妹のアジア系の黄色がかった肌とは明らかに色味の異なる白人特有の肌色だとかが目に入る。まあ裸なのだから当然だ。
ぼんやりと隣の従姉妹に目をやれば、色々と屈折した状況のお陰で常に男の格好をしている彼女もやはり、同様に持って生まれた姿を晒していた。
明らかに、女性の。
日頃鍛えられた身体は無駄な肉ひとつ付いておらず、柔らかさよりも引き締まったしなやかさの目立つものではあったが、それでも女性らしい線を損なってはいなかった。一糸纏わぬ姿でありながら、それは性的な生々しさよりもむしろ野生の獣さながらの強い生命力を感じさせる。ただ一つその身を飾る長い豊かな黒髪が、島暮らしで日に焼けた肌にも鮮やかに映えていた。
ある程度の年を数えてからは殆ど初めて見ると言って良い従姉妹の本来の姿に、グンマは内心で素直な称賛を送った。
グンマとしては従姉妹がどんな格好をしていようが一向に構わないのだが、これだけ綺麗なものを無理に歪めて隠しておくのはいかにも勿体ない。
そんなやや脱線気味の呑気な感想を抱きつつ、同時にぬけぬけと目の保養に預かりつつも、一応何とか、自称天才博士の頭は現状を把握していた。
かつて無いことだが、この状況はどうやら、…どう考えても。
「つまり、…そういうこと?」
この手の話題の苦手な従姉妹に遠慮して、直接的に口にするのを躊躇えば、どうしたって他に言いようがない。
従姉妹が憮然とした顔で横を向いた。
「まぁ、そうだろ」
否定したくとも、あまりにもここまでお膳立てが揃いすぎていては、流石に己の誤魔化しようがなかったのだろう。
がしがしと気まずそうに頭を掻くのに、乱れ掛かる長い黒髪が揺れた。
乱暴な腕の動きに釣られて肩口に掛かった髪が滑り落ちる。
ふと見ればその二の腕の内側に既に淡く消えかかるほの赤い跡が浮いていた。
よく見れば首すじや肩口にも同様のものがちらほらと散っている。当人からは見えないだろうから、恐らく気付いてはいまい。
当然ながら自分では付けようのない位置である。
…ということは他にそんな真似が出来た者はいないわけで。
(うわぁ…、これって…)
これ以上ないほど、見事な決定打だった。
急に現実味が迫ってきて、思わず耳まで赤くなる。
今さら慌てて、グンマは視線を逸らせた。
まともに視線を戻せないまま、ぐるぐる考えを巡らせる。
酔って起きたら隣に裸の誰ぞがいたとかいう、話としては良く聞くシチュエーションだ。
だが、しかし。
なにせ相手はガサツなくせに、何げに今時珍しいほど奥手で貞操観念も堅い従姉妹である。
加えて半端なく腕は立つ。
どう間違っても彼女とだけはそういうことになるとは思わなかったというのが本音だ。
それなのに、この状況は一体。
(ほ、本当に何があったんだろう昨日…)
何がどーしてこうなったのか、自分自身でさえわからない。
酒のせいだろうが、すっぽりと記憶が飛んでいる。
いくら自問しても答えは出てこず、グンマは激しく落ち込んだ。
全く…
…何てもったいない。
せっかくなら一部始終きっちり覚えていればいいものを、記憶のない己が恨めしい。
隣で何やら居たたまれないやっちまった感を漂わせている従姉妹を余所に、グンマの脳裏にあるのはそれだけであっった。
現状に対する後悔とか焦りとか相手への罪悪感とかは微塵も思い当たらないらしい。
彼も所詮は青の一族だった。
(だって、とりあえず無理強いした心配だけはないし…)
今や彼女は一族最強の実力者である。
確かに、そんなことをしていたら、とてもじゃないが自分が無傷で済むはずがない。
…となれば
(…ちょっとは期待しても良いのかなぁ…)
あ、いかん、嬉しくなってきた。
不謹慎にも思わず口元が緩みかけて、グンマは慌ててそれを両手で覆い隠した。
従姉妹に知れれば本気で殴られること必至のそんな思考を引き戻したのは、こちらも何事か考え込んでいた当の従姉妹の妙に改まった咳払いだった。
「おい…グンマ」
いつになく静かに名を呼んで、従姉妹は恐ろしく真面目な顔をグンマに向けた。
その迫力に圧されて、グンマは僅かばかりのけ反った。
意志の強い黒い瞳が心なし据わっている気がする。
「えと、シンちゃ…?「とりあえず、これから考えるべきことは色々あるだろうが、まず、こうなった以上はあれだ」
「…う、うん」
あれ、では、どれだかさっぱり通じないが、ここは神妙にグンマも頷いた。
重々しいがどことなく緊張した声音に、何となく続く言葉を予想するが、よもやこの従姉妹の口からこの類の台詞を聞ける日が来ようとは。
ドキドキしながら頬を抓って夢じゃないか確かめたい衝動をぐっと堪えて、グンマも一応、居住まいなど正してみる。
これだけ散々乱れた状態で居住まいも何もないが、そこは気分の問題である。
ベッドの上で背筋を伸ばして向かい合い、黒髪の従姉妹は覚悟を決めたように深く息を吸った。
きっ、と強い視線を真っ直ぐに据えて、
ヤケクソのように紡がれた宣告は、きっぱりとひと言。
「責任取って、嫁にしろ。」
この後のありとあらゆる騒動の発端となる、波乱の幕開けの宣誓宣言であった。
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|単発| |女体化| |リキシンお題| |シン受けお題| |キンシンお題|
--------------------------------------------------------------------------------
何処の家庭でもあるなんでもない夕食の風景。だがコタローにとってはそれが当たり前のことではなかった。
総帥に就任した今では不規則な生活になることが多い。
だから従兄弟達と協力してコタローが独りでご飯を摂る事が無い様に努めている。
今日はシンタローが早く仕事を収めることが出来たので、シンタローが夕食を作った。
「おねーちゃん、本当に料理上手だよねー」
コタローはカレーをほお張りながらそれを作った兄、ならぬ姉に言う。
「そうか?」
シンタローは別に普通かなと思いながら応じる。自分で料理を作るとその味が当たり前になってしまい、一般的に旨いか不味いかというのが分からなくなる。さらにはたぶん、あの父親と書いて変態と読むマジックは料理が上手だったのだろう、
その味と比べるとどうしても何かが物足りなく感じる。
「うん」
弟がおいしいと破顔しているのだ。きっとおいしいのだろう。マジックと比較して勝手にムッとしていたシンタローだったが、コタローの笑顔を見て気分が浮上する。
「コタローに喜んでもらえておねーちゃんは嬉しいぞ。……でも料理なんて殆どしたことなかったんだよなぁ。
キッカケはパプワ島だっなー」
流れ着いた当初は理不尽な扱いに怒鳴ってばかりだったが今となっては、懐かしい。
まだ思い出にはしたくなかったが、徐々にそうなりつつある。
「パプワ君は厳しいからね」
カレーに視線を落とし、コタローも懐かしむように友を思い浮かべる。
彼らは元気だろうか?と頭の端にチラッとそんな考えが浮かんだが、そんな心配せずとも元気に決まっているだろう。
今日もパプワはチャッピーとおなじみの扇子を両手にシットロ節を踊り、リキッドに家事を命じ、
リキッドもすっかり板についた主夫ぶりを発揮しつつ、料理の感想を求め腕を上げる努力をしているのだろう。
コタローは今になって思う。
パプワ君のあの厳しさはきっと甘えだったんだ。
チャッピーと島の大勢の友達とずっと暮らしていたと話してくれた。
そしてシンタロー達と出会い、今はリキッドと暮らしている。彼らと会うまではパプワがあの島を守るべき存在だった。
友達はいても家族はいなかった。リキッドは友達というより家族なんだろう。だからこそ我侭も言える。
自ら甘えるまでも無く、過剰に甘やかしてくれる姉をチラっと見ると、文字通り蕩ける様な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
そんなに幸せそうな表情でじっと見られ、気恥ずかしくなって再び俯く。
遠い昔の記憶ではカッコいいお兄ちゃんだった。その強さは今も変わらぬ、いやそれ以上になったがお姉ちゃんになった。
お姉ちゃんといえども綺麗でカッコいい女性だ。コタローが出会う団員は男ばかり。
というか、ガンマ団内に女性がいるとは聞いたことが無い。だからますますどう対応したらいいのか分からなくて照れる。
ただ、どう言えば姉が喜んでくれるかはコタローは知っている。
「これかもずっと僕の傍にいてね?」
上目遣いに、少し伺うように小さな声で言う。
ピタッとシンタローの動きが止まる。
「…コタロー、もう一度言ってくれ」
黒い瞳が異様な輝きを放っていた。
「え?えっと、僕の傍にいてね?」
コタローの想像では優しい笑みを浮かべながらあったりまえだろ、と言うはずだった。
それが突然真顔になり問い詰められるように厳しい口調だ。必然的に少し戸惑いながらになってしまった。
『ぶっ。』
そんな擬音が聞えるような勢いでシンタローの鼻から赤いものが飛び出す。
整った鼻梁からは不釣合いなあれだ。
「お、おねーちゃん!」
食事を中断しテーブルの上に置いてあるティッシュを勢いよく数枚引っつかみ慌ててシンタローの元に向う。
「それ、治らないねぇ」
シンタローの不治の病。
いつ見てもその凄まじい血の勢いに慣れる事が出来ない。
よくあれだけ血を流して失血死しないものだと思うほど、尋常な量ではない。
一度コタローがシンタローを膝枕して、出血が止まるのを待ったことがあった。が、血の勢いは増すばかりで止まることが
無いという恐怖に近い体験をして以来、この時は不必要にシンタローに接触しない事にしていた。
だから最初座っているシンタローのティッシュをあてると後は彼女に任せる。ティッシュの箱も忘れずにそっと姉の傍に寄せる。
確実にあれ一箱は使い切るだろう。
シンタローの血が止まるまでは食事を再開する気にはなれない。だからそのままじっと見守る。
沈黙が落ちるがそれは重苦しいものではなく、近しいもの同士の、言葉がなくとも気持ちが穏やかでいられるものだった。
コタローは食卓に頬杖をつきながらシンタローの様子を見守りながら、これが家族の雰囲気なんだろうな、と思った。
そんなゆったりとした沈黙が続いていたが、やや上を向きながらシンタローが、
「これは治らなくてもいいんだぞ。大好きって証だからな。この好きって気持ちが胸に収まりきらなくなったら鼻血が出るんだ俺は。
だからコタローが好きでたまらないから毎日出血するんだ」
コタローには理解出来ないことをどこか誇らしげに言い始めた。
「でも僕は治して欲しいかも」
「………………………。」
朗らかに、ブラコンを発揮していたシンタローが急に黙り込む。コタローがしまったと思った時にはもう遅かった。
「……コタローはこんなおにい、じゃなかった、お姉ちゃん嫌いか?嫌いなのか?鼻血はダメか?
鼻血なんて出すお姉ちゃん嫌いってもう口もきいてくれないのか?……年頃になった娘が親父を唾棄の如く嫌うあれか?
もう俺もそうなのか……?」
先ほどまでの明るさは何処へやら、コタローの一言であっという間に海溝へと沈む。
「そ、そんなことないよっ、その……ただ」
ここで下手なことを言おうものなら腹でも切りそうな勢いだ。コタローは慎重に言葉を選ぶ。
「そのっ、おねーちゃんが毎回そんなに出血していたら心配だよ。その内失血しすぎて倒れちゃうんじゃないかって……
おねーちゃんがもし倒れちゃったら僕悲しいし、それに今のままだと普通に甘えることも出来なくなっちゃうよ?」
単に手を繋ぐというその行為すら危険を伴うのだ。
この異常なまでのブラコンを発揮する姉をコタローは嫌ってはいない。寧ろそれだけ好き、とう言うことを毎日のように
嫌でも確認できて以前のような事には絶対にならないととても安心するが、それでも鼻血だけは治して欲しかった。
もっと普通に姉弟がするように手を繋いで散歩や抱擁もしてもらいたい。
『甘える』という何でもない、だがシンタローにしてみたら最重要事項にビンっと反応した。
「それは困るぞ!ひっじょーに困る!」
コタローに向き直り、真顔で歳の離れた弟に訴える。
「ね?困るでしょ?僕ももっと普通におねーちゃんに接したいし」
シンタローの真剣な表情に、これを機会に治してもらおうと更に押す。
「決めた。俺は決めた!」
並々ならぬ闘志を瞳に宿し、宣言した。
「鼻血を出さないぞっ!」
「ほんと、おねーちゃんっ?」
期待に満ちた目で姉を見つめる。
その純粋な瞳はシンタローにはまぶし過ぎだ。ぶぼっと鈍い音と共に再び例のアレが飛び出る。
その内おねーちゃんの事を殺してしまうんじゃないだろうか、一緒に住まない方が、とコタローはどくどくと血を流し続ける姉を介抱しながら幼い弟は葛藤を続けた。
H18.6.22
|単発| |女体化| |リキシンお題| |シン受けお題| |キンシンお題|
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何処の家庭でもあるなんでもない夕食の風景。だがコタローにとってはそれが当たり前のことではなかった。
総帥に就任した今では不規則な生活になることが多い。
だから従兄弟達と協力してコタローが独りでご飯を摂る事が無い様に努めている。
今日はシンタローが早く仕事を収めることが出来たので、シンタローが夕食を作った。
「おねーちゃん、本当に料理上手だよねー」
コタローはカレーをほお張りながらそれを作った兄、ならぬ姉に言う。
「そうか?」
シンタローは別に普通かなと思いながら応じる。自分で料理を作るとその味が当たり前になってしまい、一般的に旨いか不味いかというのが分からなくなる。さらにはたぶん、あの父親と書いて変態と読むマジックは料理が上手だったのだろう、
その味と比べるとどうしても何かが物足りなく感じる。
「うん」
弟がおいしいと破顔しているのだ。きっとおいしいのだろう。マジックと比較して勝手にムッとしていたシンタローだったが、コタローの笑顔を見て気分が浮上する。
「コタローに喜んでもらえておねーちゃんは嬉しいぞ。……でも料理なんて殆どしたことなかったんだよなぁ。
キッカケはパプワ島だっなー」
流れ着いた当初は理不尽な扱いに怒鳴ってばかりだったが今となっては、懐かしい。
まだ思い出にはしたくなかったが、徐々にそうなりつつある。
「パプワ君は厳しいからね」
カレーに視線を落とし、コタローも懐かしむように友を思い浮かべる。
彼らは元気だろうか?と頭の端にチラッとそんな考えが浮かんだが、そんな心配せずとも元気に決まっているだろう。
今日もパプワはチャッピーとおなじみの扇子を両手にシットロ節を踊り、リキッドに家事を命じ、
リキッドもすっかり板についた主夫ぶりを発揮しつつ、料理の感想を求め腕を上げる努力をしているのだろう。
コタローは今になって思う。
パプワ君のあの厳しさはきっと甘えだったんだ。
チャッピーと島の大勢の友達とずっと暮らしていたと話してくれた。
そしてシンタロー達と出会い、今はリキッドと暮らしている。彼らと会うまではパプワがあの島を守るべき存在だった。
友達はいても家族はいなかった。リキッドは友達というより家族なんだろう。だからこそ我侭も言える。
自ら甘えるまでも無く、過剰に甘やかしてくれる姉をチラっと見ると、文字通り蕩ける様な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
そんなに幸せそうな表情でじっと見られ、気恥ずかしくなって再び俯く。
遠い昔の記憶ではカッコいいお兄ちゃんだった。その強さは今も変わらぬ、いやそれ以上になったがお姉ちゃんになった。
お姉ちゃんといえども綺麗でカッコいい女性だ。コタローが出会う団員は男ばかり。
というか、ガンマ団内に女性がいるとは聞いたことが無い。だからますますどう対応したらいいのか分からなくて照れる。
ただ、どう言えば姉が喜んでくれるかはコタローは知っている。
「これかもずっと僕の傍にいてね?」
上目遣いに、少し伺うように小さな声で言う。
ピタッとシンタローの動きが止まる。
「…コタロー、もう一度言ってくれ」
黒い瞳が異様な輝きを放っていた。
「え?えっと、僕の傍にいてね?」
コタローの想像では優しい笑みを浮かべながらあったりまえだろ、と言うはずだった。
それが突然真顔になり問い詰められるように厳しい口調だ。必然的に少し戸惑いながらになってしまった。
『ぶっ。』
そんな擬音が聞えるような勢いでシンタローの鼻から赤いものが飛び出す。
整った鼻梁からは不釣合いなあれだ。
「お、おねーちゃん!」
食事を中断しテーブルの上に置いてあるティッシュを勢いよく数枚引っつかみ慌ててシンタローの元に向う。
「それ、治らないねぇ」
シンタローの不治の病。
いつ見てもその凄まじい血の勢いに慣れる事が出来ない。
よくあれだけ血を流して失血死しないものだと思うほど、尋常な量ではない。
一度コタローがシンタローを膝枕して、出血が止まるのを待ったことがあった。が、血の勢いは増すばかりで止まることが
無いという恐怖に近い体験をして以来、この時は不必要にシンタローに接触しない事にしていた。
だから最初座っているシンタローのティッシュをあてると後は彼女に任せる。ティッシュの箱も忘れずにそっと姉の傍に寄せる。
確実にあれ一箱は使い切るだろう。
シンタローの血が止まるまでは食事を再開する気にはなれない。だからそのままじっと見守る。
沈黙が落ちるがそれは重苦しいものではなく、近しいもの同士の、言葉がなくとも気持ちが穏やかでいられるものだった。
コタローは食卓に頬杖をつきながらシンタローの様子を見守りながら、これが家族の雰囲気なんだろうな、と思った。
そんなゆったりとした沈黙が続いていたが、やや上を向きながらシンタローが、
「これは治らなくてもいいんだぞ。大好きって証だからな。この好きって気持ちが胸に収まりきらなくなったら鼻血が出るんだ俺は。
だからコタローが好きでたまらないから毎日出血するんだ」
コタローには理解出来ないことをどこか誇らしげに言い始めた。
「でも僕は治して欲しいかも」
「………………………。」
朗らかに、ブラコンを発揮していたシンタローが急に黙り込む。コタローがしまったと思った時にはもう遅かった。
「……コタローはこんなおにい、じゃなかった、お姉ちゃん嫌いか?嫌いなのか?鼻血はダメか?
鼻血なんて出すお姉ちゃん嫌いってもう口もきいてくれないのか?……年頃になった娘が親父を唾棄の如く嫌うあれか?
もう俺もそうなのか……?」
先ほどまでの明るさは何処へやら、コタローの一言であっという間に海溝へと沈む。
「そ、そんなことないよっ、その……ただ」
ここで下手なことを言おうものなら腹でも切りそうな勢いだ。コタローは慎重に言葉を選ぶ。
「そのっ、おねーちゃんが毎回そんなに出血していたら心配だよ。その内失血しすぎて倒れちゃうんじゃないかって……
おねーちゃんがもし倒れちゃったら僕悲しいし、それに今のままだと普通に甘えることも出来なくなっちゃうよ?」
単に手を繋ぐというその行為すら危険を伴うのだ。
この異常なまでのブラコンを発揮する姉をコタローは嫌ってはいない。寧ろそれだけ好き、とう言うことを毎日のように
嫌でも確認できて以前のような事には絶対にならないととても安心するが、それでも鼻血だけは治して欲しかった。
もっと普通に姉弟がするように手を繋いで散歩や抱擁もしてもらいたい。
『甘える』という何でもない、だがシンタローにしてみたら最重要事項にビンっと反応した。
「それは困るぞ!ひっじょーに困る!」
コタローに向き直り、真顔で歳の離れた弟に訴える。
「ね?困るでしょ?僕ももっと普通におねーちゃんに接したいし」
シンタローの真剣な表情に、これを機会に治してもらおうと更に押す。
「決めた。俺は決めた!」
並々ならぬ闘志を瞳に宿し、宣言した。
「鼻血を出さないぞっ!」
「ほんと、おねーちゃんっ?」
期待に満ちた目で姉を見つめる。
その純粋な瞳はシンタローにはまぶし過ぎだ。ぶぼっと鈍い音と共に再び例のアレが飛び出る。
その内おねーちゃんの事を殺してしまうんじゃないだろうか、一緒に住まない方が、とコタローはどくどくと血を流し続ける姉を介抱しながら幼い弟は葛藤を続けた。
H18.6.22