作・斯波
テレビの画面には、まだ元気に動いているカニが映っている。
炬燵に入って蜜柑の皮を剥きながら、ぼんやりとヤンキーが言ったのだ。
「うわあ・・・美味そうなカニ。―――」
君がハートに火をつけた。
それは独り言に近い呟きだった。
俺はヤンキーが剥いた蜜柑を食べながら、テレビに釘付けになっているヤンキーを眺めた。
「おまえ・・・カニ、好きなの?」
「えっ?」
俺に訊かれて、ヤンキーはハッと我に返ったようだった。
「俺、今何か言いました!?」
「や、あの・・カニが美味そうだなって」
「あ、ああ・・・カニですね・・」
実はカニ、大好きなんすよ。
冬になると一度は食いたくなるんすよね。
ヤンキーははにかんだようにそう言った。
―――そんなこと、初めて聞いた。
考えてみれば、外食の時はともかく、家でヤンキーがコレを食べたいとかアレを食べたいとか言ったのを聞いたことはなかったと思う。
(シンタローさん、今晩何が食いたいっすか?)
(シンタローさんの好きなものって何ですか?)
あいつが作るのは俺の好きなものばかりだ。
もしくは俺の健康にいいとあいつが思ってるものばかり。
家事は何だって俺の方が上手いけど、最近は掃除も料理も前よりは随分マシになってきていて、たまにそう言ってやると、あいつはまるででっかい犬が尻尾振るみたいに喜んでた。
「・・・何で言わねえんだよ?」
「えっ?」
「これが好きですとか、あれが食いたいです、とか。言わなきゃ分かんねェだろ?」
「あの・・・でも俺」
ヤンキーは口籠もった。
「何」
「シンタローさんと居ると、別に食いたいものなんてなくなっちまうから」
「―――はあ?」
シンタローさんといると、シンタローさんそのものが目的になるんです。
他の、食事とか、酒とか、場所とか、どうでもよくなっちまう。
シンタローさんの存在やシンタローさんと居る事だけが大きな意味を持ってしまって、ベッドの中の事でさえシンタローさんと一緒に居るっていう事には勝てないんだ。
俺は蜜柑を口に運ぶ手を止めて、ヤンキーを凝視めていた。
自分でも何だか狼狽えちまうくらい、胸の奥が熱かった。
「だから、シンタローさんと居る時には俺、贅沢しても意味が無いんすよ」
ヤンキーはうつむいたまま蜜柑を剥き続けている。
「そんなの、贅沢の二乗っていうか・・・シンタローさんがここに居る事自体が物凄く俺には贅沢なことだから、そのつまり」
剥き終わった蜜柑を俺の前に置いて、ヤンキーは初めて俺が食べるのをやめていたことに気がついたようだった。
「あれっシンタローさん、もう食わないんすか?」
不思議そうに言った次の瞬間ぎょっとする。
俺の前には、綺麗に筋まで取られた蜜柑が山のように積まれていた。
「え・・・うわっ! 何この大量の蜜柑!」
「おまえが剥いたんだよ」
「えええええ! マジすかっ!?」
「こんなに食ったら手が黄色くなるわ! おまえ俺にどんだけビタミン摂らせる気!」
「蜜柑は身体にいいんすよ、風邪予防にもなるしお肌にも」
「あーん? オメー俺の肌年齢に文句でもある訳?」
「そっ・・・そんなこと言ってないじゃないですかアァ!」
「うるさい、もう喋んな馬鹿」
「うわああんシンタローさんが馬鹿って言った~!」
拳骨を食らって半ベソをかくヤンキーを無視して、目の前に積まれた蜜柑を口に放り込む。
(―――ったくこのヤンキーは)
「ねえシンタローさん、それ全部食うんすか?」
「うっせ」
「無理に食わなくていいですよ、冷凍蜜柑にしますから」
「俺の勝手だろ」
「てゆーか、俺にもちょっと分けて欲しいんすけど・・・」
(どこまで可愛いことを言い出すんだっつの)
明日になったら、朝一番で電話をしよう。
産地直送の最高級のカニを、食べきれないほど取り寄せてやろう。
(冬の花火みたいな笑顔が目の前で咲いたら)
たまには俺の方からキスしてやってもいいかなって、そう思うんだ。
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先日カニを食べに行ったので、記念にアップです。
休みをくれた上司よありがとう。
最高級ではありませんが、ほんと食べきれなくて今でも悔しい。
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