「はぁ」
リキッドは洗濯をしながら今日何度目かも知れぬため息をついた。
「…はぁ……」
「どーした、リキッド」
後ろから声をかけられリキッドは飛び上がって振り向いたが、そこにいるのがパプワだと知ってあからさまに安堵の息をついた。
「なんだ、パプワかよ~」
「さっきからナニを辛気臭くため息ばっかりついているんだ。うっとうしい」
「わう」
チャッピーもパプワに同意とばかりに眉間にシワを寄せる。
「だぁってよ~」
パプワの腰ミノを洗濯板でゴシゴシ洗いながらリキッドはぼやく。
「今日からシンタローさんと一緒の生活だろ。プレッシャーよ、俺」
「なぜだ? リキッドはシンタローがキライなのか?」
「そーじゃなくてよ。なんてーの、ダンナの親と突然同居することになった嫁の心境っての?」
「お前なぞ嫁にもらったおぼえはないわ!」
「はい、スミマセン……」
洗濯板で頭をかち割られ血を垂らしながら謝罪する。
自分で止血をしながらリキッドはため息混じりにポツリと呟いた。
「不安なわけよ、要するに。俺、シンタローさんにあんま好かれてねーみたいだし。気詰まりっつーかさ」
「心配するな」
あっさり言い放つパプワの顔を見てリキッドは首を傾げた。
「シンタローはリキッドのことキライじゃないぞ」
「あんなにイビられててか?」
「シンタローはどーでもいいヤツはテキトーにあしらうし、キライなヤツには見向きもしないぞ。それに…」
「それに?」
「リキッドは今以上にシンタローの事を好きになるだろうからな」
たぶん、と付け加えつつ確信的な口調にリキッドはポカンとしてパプワを見ていたが、やがておかしくてたまらないとばかりに笑い出した。
「どうして笑うんだ?」
爆笑しているリキッドを見てパプワは不思議そうな顔をするので、リキッドは何とか笑いをおさめようと必死になって息を整えていた。
「わりーわりー。パプワがあんまり突飛な言い回しをするからよ。そりゃ長く一緒にいりゃあ今よりずっと好きになるだろうな!」
「そういう意味じゃないぞ」
「へ?」
意味深なパプワのセリフにリキッドは反射的に聞き返した。
「そういう意味じゃない。別に、信じなくてもいいけどナ」
そう言ってパプワは首をすくめるとチャッピーに跨った。チャッピーはパプワを乗せて陽気な足取りで歩き出す。
「おい、パプワ。怒ったのか?」
「怒ってない。散歩に行くだけだ」
「パプワ!?」
パプワはリキッドを振り返らずにチャッピーに揺られながら手だけを振った。
「なんなんだ、パプワのヤツ…」
ゆっくりと遠ざかっていくチャッピーの尻尾を、リキッドは訳がわからないままボーゼンと見送った。
* * *
シンタローとの共同生活が始まってはや数日。初日から続くシンタローのステキな嫁イビリにリキッドは少々疲れ気味だった。次は何を注意されるのかと思うと一緒に台所に立つだけで戦々恐々としてしまう。
――て、いうか。黙って並んでいるだけで気詰まりなんですけど。こんなんで俺がシンタローさんを好きに? ありえねーよな…
「おい」
「はいぃぃぃぃぃぃ!」
気を抜いた瞬間に突然声をかけられ驚きのあまり手元が狂ってしまい、リキッドは左手の指先を包丁で切ってしまった。
「痛ッ」
「馬鹿! 振り回すな!」
反射的に切った指を振り回そうとした手首をシンタローがしっかりと掴まえて、あろうことか切った指をそのまま咥えられてしまった。
「シっシンタローさん!?」
「動くな! ついでにちょっと黙ってろ」
「……ハイ」
思いがけないアクシデントにリキッドは真っ赤になってうろたえたが、つかまれた手を振り解くのも失礼だと気付きいて大人しく
されるがままにすることにした。
落ち着いてみると、ずいぶん不思議な感じだった。いつもは見上げているシンタローの顔を、今は見下ろしているのだ。
――睫、なげー…
伏し目がちにしているせいか、睫が際立って長く見える。
――シンタローさんって、きれいなカオしてんだな…
もともと整った目鼻立ちをしているのは知っていたが、リキッドが知るシンタローは戦いを前にした厳しい顔か、もしくは不機嫌そうに眉を寄せて自分を見る顔だけだった。笑った顔も知ってはいるが、その笑顔を向けられたことはない。
まさかこんなふうに間近でシンタローを見ることになろうとは思いもよらない事だったので、リキッドはついまじまじと見つめてしまう。そんな視線に気付いたシンタローが上目遣いにリキッドを睨みつけた。
「ナニ見てんだ」
「あ、ハイ。スンマセン」
いつもなら萎縮しまくるリキッドなのだが、どうしたわけかこの時のシンタローからは威圧感が感じられなかった。心臓が跳ねるかと思うほど驚いたが、怖いとは感じなかったし、鼓動が早まることが意外にも不快ではなかった。
「もうそろそろ血も止まっただろ。来い。手当てしてやる」
「いーッスよ、シンタローさん。そんな…」
「よくねーよ。口ン中なんて雑菌だらけなんだからちゃんと消毒しとかねーと」
「はぁ」
救急箱を抱えたシンタローに手招きされてリキッドは言われるままに座り込んで切った指をおずおずと差し出した。シンタローはまた少し出血し始めた指に手際よく消毒を施すとガーゼを当てて手早く包帯を巻き始める。あまりに鮮やかな手並みにリキッドは思わず感嘆の声を漏らした。
「はー。上手いッスねー、シンタローさん」
「まがりなりにも軍隊にいたんだ。下っ端だった時にイヤでもおぼえる。オマエもそーだろーが」
ジロリとにらまれてリキッドはばつが悪そうに頭を掻いた。
「いやー。特戦はテメーのことはテメーでしろ、が基本だったもんで…。おまけにあのメンツで怪我するよーなマヌケは俺ひとりだったし…。テメーの手当てをしたことはあっても人にしてやったことも、してもらったこともねーッス」
何しろバケモンみたいな連中ですから、と付け加えながらリキッドは笑ったが、シンタローは興味なさげに相槌を打っただけで包帯をきつめに結んだ。
「よし、これでいいだろ」
「じゃ、晩飯の支度の続きを…」
「いい。怪我した奴は座ってろ」
「え? いやでもシンタローさんに全部やってもらうわけには…」
「バカヤロ。片手に包帯巻いてて何が出来る。洗い物も満足にできねーんなら邪魔なだけだ」
「けど…」
「シンタローの言うとおりだぞ、リキッド」
いつのまにか帰ってきたパプワが食事前のシットロト踊りの準備をしながらリキッドに言う。
「第一リキッドの血が隠し味の料理なんか断固拒否する!」
パプワの一言によってリキッドはためらいながらもシンタローに台所を任せることにして自分はテーブルの支度をすることに決めた。
実に居心地の悪い時間を経て、ほぼシンタローによる夕飯が机に並んだ。
パプワは口にこそ出さないがすごく嬉しそうだし、チャッピーは「いただきます」が待ちきれない様子で目をキラキラさせている。
「うし! んじゃあ食うか!」
「うむ。いただきます」
「わう!」
待っていましたとばかりに箸を持ってさっそく料理に取り掛かる。無邪気に喜ぶパプワとチャッピーを見て、リキッドはため息をつきそうになった。それというのもパプワとチャッピーがいつもよりずっと美味しそうに食べているように見えるからだ。
――見た目はそんなに変わらねーのになぁ…
そんなことを思いながら料理に手をつけずにいるとシンタローがリキッドを睨む。
「なんだよ、食わねーのか?」
「え? あ、いえ。いただきます」
慌てて箸を取ってみそ汁を一口。そして目が点になる。目の前にある皿、その次にある器。気がつけばそ誰よりもすごい勢いで次々料理に手をつけていく。
「味はどーよ?」
「美味いッス! マジ美味いッス!! 特にこの魚の煮付けなんかサイコー!」
「あったりめーだ。マズイなんていったらぶっ飛ばすぞ!」
乱暴に言いながらシンタローは満面に笑みをこぼす。
初めて自分に向けられた笑顔にリキッドは思わず呆けてかじっていた人参をポロリと口から零れ落ちた。
「テメ、なにやってんだ」
「あ、スンマセン」
慌てて人参を拾って口に放りこむリキッドを見てパプワが顔をしかめる。
「落ちたものを拾って食うな、リキッド」
「なに言ってんだ、パプワ。3秒ルールでOKよ」
シンタローがパプワの頭をガシガシかき回しながらリキッドに、なぁ、と笑いかけた。それだけでリキッドの胸が高鳴る。
――な、なんだよ。俺、なんか変だぞ…。
そう思っただけで動悸が早くなり、顔が赤くなってくるのがはっきりとわかる。
パプワに笑いながらベトベトに汚したチャッピーの口元をナプキンで拭ってやる。いつも見ているその光景をぼんやりと見ているとシンタローがまたリキッドを見て笑う。
「いっぱい食えよ。おかわりあるからな」
「ハ、ハイ!」
シンタローがただ笑いかけてくれる。それだけでリキッドはたまらなく嬉しい。もっとシンタローが笑ってくれればいい。自分がシンタローを喜ばせてみたい。そんな気持ちが後から後から芽生えてくる。
「シンタローさん、この小鉢美味いッすね。どうやって作るか教えてくださいよ」
「おう、そいつはな…」
嬉々として料理の作り方を説明するシンタローと頬を薄く染めながら楽しそうなリキッド。二人の顔を見ながらパプワは浅いため息をつく。
「ほらな、チャッピー。僕のいったとおりだろう」
「わう」
「どうせ遅かれ早かれ、リキッドも陥落すると思っていたんだ」
呆れたようなパプワの口調に同調するかのようにチャッピーは何度も深く頷いた。
「シンタローは魔性の男だからな。リキッドみたいなヤツがひっかからないほうがおかしいんだ。それにしても…」
パプワは肩をすくめて首を振った。コタローがやってきてからおぼえたお気に入りの仕草なのだが、まさに今の心境にふさわしい。
「シンタローにもちょっとは自覚してもらわんと困る」
普段は無愛想なくせにふとした時に無防備に笑顔を振り撒いて、それで何人落としてきたことか。本人は無自覚なところがまた始末が悪い。
ありえない、とか言っていたくせに夢中のリキッドと無邪気に魔性の笑みをこぼすシンタローを眺めながら、パプワはシンタローを中心にいろんな意味で賑やかになるであろう島を思って軽くため息を漏らす。
「でも、仕方ないかな?」
「わう」
苦笑するパプワに、同意とも同情とも諦めとも取れる返事をチャッピーは返すのであった。
パプワとチャッピーの視線の先にいるリキッドはすでにひとりで夢の国へと旅立ってしまっているようだった。
END。。。。。
『Do fancy yankee dream of playing with him in the flower garden?』
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リキッドにとって予想外の出来事であってもパプワくんにとっては想定の範囲内の出来事(笑)
パプワくんとチャッピーは書いていてたのしーなーと思うわけです。
前半書いててすっごく楽しかったです。しかーし!
恋に落ちる瞬間の描写って難しいですね。まだまだ修行が足りんですたい。
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