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 夜四つ、濃い藍色の中天に据えられた月が堀の水面を明るく銀色に光らせていた。時折、魚が跳ねているのかささやかな水音が聞こえる以外、寂寂としている。
 よしず張りの居酒屋を出たシンタローとアラシヤマは一石橋を渡り、御堀沿いを南に向かって歩いていた。
 「あんさん、今屋敷に帰ってはるんどすか?」
 「野暮用で2、3日な。でも、親父がうるせーから出てきた」
 「……なんや、えらい愁嘆場やったんちゃいますの?」
 シンタローはひどく嫌そうにアラシヤマを見たが、何も言わなかった。どうやら、図星であったらしい。
 つづけて、アラシヤマは真面目な顔つきのまま、
 「……シンタローはん、わてらさっきからつけられてますえ?えっらい下手な尾行どすけど、心当たりは?」
 と、言った。


 シンタローは、歩を止め、ため息をついた。
 「――また、アンタだろ?出て来い!」
 と、路わきに積まれていた木材の山に向かって声をかけると、いきなり声をかけられ驚いたものか、足をもつれさせるように人影が道にまろびでた。
 中肉中背で、四角い頭の若い武士である。
 「シンタロー殿ッ!」
 そう言って近づいてくる武士を不審そうに見て、アラシヤマは隣のシンタローに
 「なんどすの、このお人??あんさん、『また』ってさっき言わはったけど…」
 と聞いた。
 「いいか、テメェはぜってー、黙ってろよ?何があっても口出しすんじゃねーぞ!」
 シンタローはアラシヤマを一顧だにせず、近づいてくる男を不機嫌そうな表情で睨みつけた。
 「どうか、早苗どのとの御縁談、何とぞご承知下さるわけにはまいりませぬか?先日、拙者が無頼浪人に刀を奪われそうになりました際にも助けてくださったシンタロー殿のお優しさ、この弥之助、これまで以上に貴殿に感服の至りでございます!!」
 「――別にアンタを助けるつもりはなかったんだけど、あれはアンタがあまりにも情けなかったからだ。侍が刀をとられてどうすんだヨ?」
 「面目ない……。ですが、拙者、早苗どのを幸せにできるのは貴公以外ござらぬといよいよ心に決めもうした!」
 「だからっ、何度も言ってんダロ?俺はその早苗どのとやらと見合いをする気はこれっぽっちもねぇ。幾度俺をつけまわそーが、無駄だ。毎度つけてこられてもウザイし、いい加減あきらめてくれッ!!」
 語気荒く言い切ったシンタローであったが、
 「何故ですかッツ!?早苗どのは素晴らしい女性でございます!会えばきっと貴公のお気持ちも変わるはずです!!心に決めた女性はいらっしゃらないと云われたではござらぬか!?それならば、拙者はこの縁談の成就をあきらめきれませぬッツ!!」
 弥之助は、一向にひく気配を見せない。
 (殴っても脅しても駄目だし、何度断っても聞く耳もたねぇし……。一体どうすりゃいいんだ?)
 この先も弥之助に執念深くつきまとわれることを考えると、隣の男とは違ってそれほど実害はなさそうなものの、到底よい心持はしなかった。
 (どうやったらこの野郎、あきらめやがんだ??)
 何度も考えてはみたことだが、うまい回答がみつからない。悩むシンタローに、
 「なんや、えらい修羅場みたいどすな」
 と、傍らからアラシヤマが声を掛けた。
 のんきそうにいうアラシヤマを見て、シンタローは内心ひどく腹が立ったが、ふと、あることを思いついた。
 (アレだったら、いくらなんでもあきらめやがるか?でもなぁ、アラシヤマを相手にすんのもやっぱ気がすすまねーよナ……)
 辺りを見回しても、自分とアラシヤマと弥之助以外の人間がいるわけでもなく、例えいたとしても窮状には変わりは無かった。
 「シンタロー殿ッ!!」
 弥之助が必死な形相で詰め寄ってくる中、シンタローは覚悟を決めた。
 アラシヤマの着物を引っつかんで思い切りよく引き寄せ、
 「オマエ、猿芝居につき合えヨ?」
 と、不測の事態にぼんやりとしているらしいアラシヤマに小声で言うと、アラシヤマに口づけた。


 数秒のち、シンタローは弥之助を振り返り、
 「って、実はこーいうワケだから。つーことで、心に決めた女がいるわけじゃねーけどアンタの見合い話には乗れねぇんだ」
 と言った。
 いつしか弥之助の顔は青黛をべったりと塗ったような色となり、口では何か言おうとしていたが金魚のように開いたり閉じたりするのみで、どうやら声にはならない様子である。
 (……ちょっと気の毒だけど、まぁ、効果はあったみてーだナ)
 シンタローはアラシヤマから離れようとしたが、どうしたことか体が動かない。手を突っ張ってアラシヤマの体を押しのけようとしたが、一瞬力をゆるめた隙に腰を抱き寄せられ、ますます密着する形となった。
 「テメェ、一体どういうつもりだッ!?」
 と、シンタローがアラシヤマを睨みつけながら弥之助に聞こえないよう声を低めて問うと、
 「芝居なんですやろ?ほな、わても協力しますえ?」
 いうなり、シンタローの頭を引き寄せ、獣じみた勢いで貪るように接吻した。
 歯列を割って入ってきた舌に自分の舌を絡めとられたシンタローは、思わず身をよじって逃れようとした。
 アラシヤマは不承不承いったん口付けを解き、シンタローの下唇を名残惜しげに舐めると
 「あんさん、ここで逃げはると、芝居やてバレるんやおまへんか?」
 と低く笑いを含んだ声で云った。
 腕の中、怒りのためか震えているシンタローの腰の下あたりを撫で、
 「これでもまだ信用ならへんのやったら、この先、見はります?」
 と、アラシヤマは弥之助の方に向きなおったが、当の弥之助は既に気絶していたらしく地面に伸びていた。
 「……これぐらいで、なんとも根性おまへんなぁ。それでも武士どすの?いや、このお人、武士というより豆腐どすな。二本差しの田楽豆腐どす」
 と、呆れたような口調でアラシヤマが言った瞬間、彼の体は数間先まで吹き飛んだ。
 「なっ、なにしはりますのんッツ!?」
 地面にぶつかったアラシヤマが咳き込みながら身を起こすと、鬼のような形相のシンタローが目の前に立っていた。
 「……テメー、芝居とはいえ、あそこまでする必要は、まったくなかったよなぁ?」
 シンタローはアラシヤマの胸倉を掴んで引っ張りあげた。
 「中途半端やと逆に疑われますやん!?わては芝居を完璧にしたげようと思うてのことどす!それにあんさんから接吻してくれはった時、わて、失神するのと鼻血こらえるのにえらい苦労したんどすえー!」
 シンタローは着物を掴んでいた手を離した瞬間、アラシヤマの頬を思いっきり殴った上で蹴り飛ばし、
 「間違ってもテメェに礼なんざいいたかねーし、マジムカつくけど、一応これぐらいで勘弁しといてやる」
 と地面に座り込むアラシヤマを冷たい表情で見下ろして言った。
 (シンタローはん、えらい照れてはって、可愛おす…!さっき鯉口を切ってはったんも、かっ、完全に!照れ隠しどすなvvv)
 アラシヤマは殴られた頬を押さえてしばらくにんまりとしていたが、シンタローが弥之助の様子をみるため戻ったことに気づくと、慌てて立ち上がった。


 「シンタローはーんッ!もう、わてを置き去りにせんといておくれやすぅvvv」
 アラシヤマが傍まで来ると、弥之助のそばに屈みこんでいたシンタローは立ち上がった。
 「こいつ、一応気絶してるだけみたいだけど寒空の下放置してたら死ぬかな?」
 「そうどすなぁ……。あの、それもちょっとだけ困りますけど、もしケンカしたまま屋敷にあんさんが帰らんかったらあの親馬鹿親父は捜索隊を出すんとちがいますの?」
 「テメェ、不吉なこと言ってんじゃねーよ!」
 と、シンタローは思いっきり顔をしかめたが、思い当たる節があるのか否定はしなかった。
 アラシヤマは少し考え、
 「わて、この豆腐とちょっと話したいことがあるんで介抱しときます。シンタローはんは先に帰っておくんなはれ」
 といった。
 「まさかオマエ、こいつを始末するつもりじゃねェだろーな?」
 いかにも疑わしげにシンタローがアラシヤマを見やると、
 「心優しいわてが、そんなことするわけおまへんやん!大丈夫どすってv」
 と、アラシヤマは笑顔を返した。



 (――なんだ?頭の後ろが痛い上に、顔中がちくちくするな……)
 ぼんやりとそう思った弥之助はひとまず目を開け、訳がわからないなりに体を起こした。
 月明かりの中、どうやら場所は夜の道であるという事はわかったが、何故自分が道の真ん中に寝ていたのかはすぐには思い出せなかった。
 おそるおそる頭の後ろに手をやってみると、どうやら少しこぶができているらしい。顔や指先が軽く痛むのは、冬の夜気にさらされていたためであろうというところまでは了解できた頃、
 「気ぃ、つかはりました?」
 と、声がした。
 弥之助は、まさか自分以外に人がいるとは思ってもいなかったので肩を揺らして驚いた。振り向くと、前髪が鬱陶しく片目に被さった男がしゃがんでおり、先ほどの声はどうやらこの男が発したもののようであった。
 その男を見た瞬間、先ほどまでの記憶がよみがえり、
 「だっ、男色ッツ!!」
 と、弥之助は思わず叫んだ。すると男は、
 「いきなり人を男色呼ばわりどすか?アンタ、えらい失礼どすな」
 幾分、機嫌を損ねたようである。どうやら武士ではあるらしいものの得体の知れない男が身にまとう雰囲気は、辺りの夜気と同様身を切るように冷たかった。
 弥之助は辺りを見渡したが、目の前の男と自分以外、誰もいない。
 「し、シンタロー殿はッ?」
 状況が把握できず焦る弥之助に男は呆れたようにため息をつき、
 「まぁ、落ち着きなはれ」
 といった。
 「男色なんてそう珍しいもんでもおまへんやろ?あれぐらいで気絶するやなんて、あんさんだらしのうおますえ?」
 薄気味悪そうに男を見た弥之助は、地面に座り込んだまま後ずさった。シンタローが男色であるとは決して信じたくはなかったが、先ほど自ら目の前の男と接吻したうえ、男にから激しく口付けられていたシンタローの表情には、普段の彼からは想像もできないような色香が感じられた。
 「……本当に、シンタロー殿は貴殿と男色関係にあられるのか?」
 「さっきから、その男色いう言い方やめてくれはります?」
 と、男は云った。
 「わては、男が好きというわけやおまへん。ただ、わてにはシンタローはんだけなんどす」
 そう言い切った男に対して、弥之助は悔しさや嫉妬が入り混じったような憎しみに近い思いを抱いた。気がつけば、
 「俺は、男色だけは断じて嫌だッ!! 世の中には早苗どののような愛らしい女性がいるのに、男色なんぞにうつつを抜かすやつらの気が知れんッツ!!」
 と叫んでいた。
 男は弥之助を見て目を細め、
 「おや、あんたはん、縁談相手のいとはんに岡惚れしてはったんどすか?」
 面白がるような口調であった。
 「ほ、惚れているなんてとんでもない!早苗どのに失礼だッツ!!俺は婦女子に好かれるような性格でも面相でもないし、第一、家格が違う…」
 弥之助の声は段々しぼんでいき、最後の方になるとほとんど聞こえなかった。どうやら、自分自身の言った言葉に傷ついたらしい。
 「……アンタも、救いようのない阿呆どすナ」
 「なっ、何をッツ!?」
 男の言葉に気色ばんだ弥之助は、思わず刀の柄に手を掛けた。しかし、思うようには抜けなかった。
 抜けない刀に焦る彼に、男は
 「やめときなはれ。刀を差して腰がふらついてはるようどしたら、剣術は全然できへんのやろ?むやみに抜くと自分が怪我しますえ」
 と、馬鹿にするような口ぶりでもなくそう云った。
 弥之助は、震える両こぶしを握りこんだ。
 「ところで、一つ訊いてもよろしおますか?あんたはんが惚れてるいとはんが、アンタがさっきから云う男色の男のところへ嫁入りしはったら、不幸になるだけとちがいますの?」
 「そ、それはッ……!」
 「あきらめや。縁談はとうの昔にご破算になったんでっしゃろ?アンタの余計なお節介は、単に自分に自信がない男の妄執なだけや」
 「うるさいッツ!!」
 地面にこぶしを叩きつけた弥之助を、男はしばらく黙って見ていたが、
 「なりふりかまわず、頑張ってみはったらどうどすか?ボンヤリしてはると、いとはんは他の男のところへ片付くだけどす。まぁ、その方がお互い幸せかもしれまへんけどナ」
 といった。
 「…………」
 言葉もなく弥之助は首をがっくりと落とし、項垂れた。


 しばらくの間、堀の水音だけが辺りに満ちていた。
 「――それに、シンタローはんは、アンタの自己満足を叶えるために在るわけやないんどすえ?」
 男の声音が、先ほどまでとは一変した。声からは何の感情も読み取れず、白々と温度がない。
 「今後、アンタがシンタローはんにつきまとうのは、わてが許しまへん。あの人を利用するつもりやったら、斬る」
 男が立ち上がりざま、月明かりの中、鈍い光が一閃した。
 弥之助はいったい何が起こったのか了解できなかったが、ふと、下を向くと羽織の紐のみが鋭く断ち切られている。それ以外、どこにも怪我もなく、特に変わったこともない。
 慌てて顔を上げたところ、すでに男の姿はあたりに見あたらなかった。
 弥之助の体は、おこりに罹ったかのように震えはじめた。



 春の彼岸も過ぎた頃、そろそろ彼岸桜が他の桜に先駆けてつぼみを開き始めていた。
 その日は、ここ数日の小春日和がうそのように、冬のような寒さであった。
 シンタローは神田からの帰り道、久しぶりに田楽居酒屋に立ち寄ってみようかと思い立った。
 竜閑橋を過ぎ、堀沿いを歩くうち一石橋に近づくと、風が吹けば倒れそうなほど簡素なよしず張りの店は以前と変わらずたたずんでいた。
 「あっ、シンタローはんv」
 「……何で、下戸のテメーがここにいんだよ?」
 相変わらず客のいない店に一歩入ると、田楽を食べているアラシヤマが座っていた。シンタローを見て嬉しそうなアラシヤマとは対照的に、彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。
 「いや、道場の方に訪ねていってもあんさん中々会うてくれまへんし、ここやったら会えるかなと思いまして。相変わらず豆腐と蒟蒻しかおまへんけど、味噌は白味噌に変わってますナ。わて、こっちの味の方が好きどす」
 アラシヤマは床机に置いた田楽の皿をずらし隣を空けたが、シンタローは斜め向かいに座った。
 「そういや、オマエ、吉原の花魁に振られたんだってな」
 豆腐田楽を口に入れようとしていたアラシヤマの表情が凍りついた。
 「ああああああのっ、ソレ、一体誰から何を聞かはったんどすか?まったくの事実無根どすえー!?」
 田楽を皿に戻し、シンタローの手をとらんばかりに詰め寄ったが、足を払われ再び床机に座り込むはめとなった。
 「落ち着け」
 というと、シンタローは一口茶を飲み、湯飲みを置いた。
 「ミヤギから聞いた。『あの根暗、顔はらして超不細工だったっぺ!あれって、絶対野暮なことして花魁に振られたに決まってるべー!!いい気味だべ!』って、大笑いしてたゾ」
 「――あんの顔だけ阿呆、殺してやりまひょか……!」
 「何?言いたいことがあんなら、はっきりしゃべれヨ!聞こえねーだろ?」
 「いえ、今のは単なる独り言どすvいやどすなぁ、シンタローはん。それってこの前あんさんがわてを殴らはった翌日のことどすえ?たまたま朝にあの顔だけ阿呆と奉行所で会うたんやけど、それをあの超頭の悪い粗忽な阿呆が勘違いしただけでっしゃろ?わては吉原へ通うてもおまへんし、無実どすえー!!」
 「ふーん。あ、親爺、熱燗一本頼むわ」
 素っ気ないシンタローの様子を見て、アラシヤマは少し声を大きくした。
 「あの、まったくの誤解どすから!」
 「うるせぇ、酒が不味くなる」
 「シンタローはーん……」
 熱燗を飲み始めたシンタローを見て、アラシヤマは所在無げに田楽の串をいじっていた。
 しかし、シンタローはアラシヤマに話しかけるはずもなく、黙々と猪口を口にしていた。
 「……この前見廻りの途中あの豆腐男を見かけたんどすが、あんさんの元縁談相手のいとはんと祝言をあげたみたいどすえ?」
 と、アラシヤマが小さい声で言うと、
 「へぇ、根性見せやがったな。やるじゃん」
 シンタローは少し口元をあげて笑った。それを見たアラシヤマの表情が、先ほどまでとはうってかわって明るくなった。
 「二人で買いもんしてはったけど、あの御新造さん、なかなか器量良しでかしこうおますわ。豆腐は気づかんうちに上手う料理されてましたな」
 「ふーん、よかったナ」
 「どうなんやろか。わてが見たかぎり、完全に首に縄つけてひっぱられている状態どした……。まぁ、ニヤニヤやにさがってはおりましたけどナ」
 「幸せだったら、いいんじゃねーの?」
 そう言ってシンタローはアラシヤマの皿から蒟蒻田楽を一串とった。
 「――あのぶんやと、一生浮気はできへんのやろなぁ……。少々気の毒な気もしましたえ?」
 「あ、確かに木の芽が入っててうめーな。でも俺はやっぱ赤味噌の方が好きだけど。……別にいいじゃねーかヨ。惚れた相手がいながら浮気するヤツの気が俺にはわかんねーし」
 「あっ、シンタローはん!違うんどすッツ!!わてが浮気したいわけやのうて、例えばの話どすからっ!!そこんところ誤解せんといておくれやすー!!」
 「何慌ててんのオマエ?そもそも、浮気以前にテメーに恋人なんざいねぇだろ?それにテメェが浮気しようがどうしようが、俺には全然関係のねぇ話だし」
 「あ、あのっ、強がりはらんでもええんどすえ?わては誠実な男どすさかい、浮気は絶対しまへんからっ!」
 「さっきから意味わかんねぇ。テメー、もう田楽を食い終わったんだろ?酒飲まねーんならとっとと帰ったら?」
 「……ほな、いただきますけど」
 「言っとくけど、これは俺んだからナ!自分で頼めヨ」
 「ひどうおます~……」


 シンタローとアラシヤマが店を出ると、先ほどよりもさらに辺りの夜気が冷え込んでいた。
 アラシヤマは少し酔いが回ったのか、
 「……シンタローはーん、こんど芝居でも一緒に見に行きまへん?」
 と、シンタローに向かってうれしげに声をかけた。
 「行かねぇ」
 「そ、そない即答しはらんでも。酔い、一気に冷めましたえ!?」
 「……てめぇとの大根芝居の後、俺は大の芝居嫌いになったんだヨ!」
 「いや、あれは芝居ということやのうても、わてはいっこうにかまへんのやけど……」
 「何か言ったか?」
 険のある目つきで睨みつけられ、
 「いえ、何も言うてまへん……」
 と、アラシヤマは肩を落として言った。
 しばらく、ことばもなく二人は歩いていたが、つと、アラシヤマが足を止めたのでシンタローは振り返った。アラシヤマはしばらく何か言いたげなそぶりでありながら、中々言い出せないもようであったが、心を決めたのか、やっと口を開いた。
 「……あの、ちょっと今から行きたいところがあるんどすが、付き合うてもろてもよろしおますか?」
 「どこへだよ?」
 「本所の回向院どす」
 いつのまにか、暗い空からは大きな牡丹雪がほたほたと舞い落ちていた。


 見世物小屋や食べ物屋などがひしめきあう繁華な西広小路を抜け、両国橋を渡るとほどなく回向院に着いた。広い境内までは両国の喧騒は届かず、静閑としていた。
 「つい先にここに入った、不細工で一途な阿呆がおるんどす」
 と、アラシヤマはいった。
 罪人たちの墓が立ち並ぶ一角、真新しい墓の上にもうっすらと雪が積もっていた。
 彼岸に供えられたものなのか、いくつかの墓石の前には花が供えられていたがその上にも雪が綿帽子のようにかぶさっている。
 アラシヤマは真新しい墓石の前まで来ると足を止めた。
 花立には新しい花がたくさん活けられており、アラシヤマはその脇に風呂敷包みから取り出した樒を一本さした。そして、墓の前で手を合わせ目を閉じた。
 シンタローは立ったまま、アラシヤマの後姿を見ていた。
 二人の肩や背には、次々と雪が降り落ちてはくっつき、ゆっくりと溶けてゆく。
 「ほな、行きまひょか」
 ほどなく、アラシヤマは立ち上がった。
 「どうでもいいが、寒い。何かおごれ」
 「桜湯の屋台が、来しなにおましたナ」
 「こーいう場合、フツー酒だろ?ったく、オマエ、気がきかねぇな」
 そういうと、シンタローはさっさと歩き出した。
 しばらくアラシヤマはその場に立ち尽くしていたが、
 「……おおきに、シンタローはん」
 シンタローの姿が雪に煙って見えなくなる前、もういちど墓石を一瞥し、アラシヤマもその場を後にした。

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