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まどろむ真昼
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泡立て器がカシカシと、ボウルと擦れる音を半ば意識を沈ませたままで聞いていた。
いつものように天気は良好。湿気がなければ暑さも慣れたもの。
壁を背に、膝を抱えて丸まった格好は多少窮屈だったが、たいした問題ではない。
微睡みから抜け出せぬまま、かろうじて機能している聴覚が拾ってくる音は決してうるさくはないし、むしろ一定のリズムが心地よく、子守歌のようにさえ聴こえはじめた。
家事も一段落はしているし、このまま寝入ってしまおうかと思い始めた時になって、ようやく違和感に気付く。
……家人は今自分一人ではなかっただろうか。
他は皆外に出ているはずだ。
今日の家事当番は自分なのだから、台所の使用者がいるのはおかしい。
ならばこの音を奏でるのは誰だ?
浮上しきらない意識で辿り着いたのは、最も苦手とする人物。
この島唯一の同種の女性の存在である。
なるべくならば至りたくなかった結果に、一気に頭がクリアになっていく。
途端に背中を流れだしたいやな汗を、否定するかのように懸命に考えを振り払って、相手に聞こえないよう息を吐き出す。
可能性はそれだけではないはずだ。
すっかり覚醒した意識に対し、体は硬直させたまま、全神経を使って、いないはずの人物の様子をうかがった。
相変わらず音は絶えない。
かすかに聞こえる機嫌良く口づさまれる鼻歌だけでは判断しきれず、不安は大きくなる。
仮定が当たっていたとしても、待っているのは当選おめでとう地獄へご招待ツアーだ。
全く嬉しくない。
そんな様子を知ってか知らずか、音の主はようやく声を発した。
「ん……こんなもんか」
一瞬、それが誰のものなのか分かりかねた。
それほどまでに頭からはすっかり抜け出た人物。
即座に否定がよぎるが、彼の人の声を聞き違うはずもない。
同居人で、俺様で、お姑様で、今は外出しているはずの、その人。
同時に強ばっていた体から力が抜けていく。
いくら彼女でも家人の許可もなく台所に立つことなどしないだろう。
心中でこっそりと謝罪をし、また新たな疑問にぶつかる。
彼の人は確かに子供と犬とともに出掛けたはずだ。
帰りの時間まで聞いていたわけではないが、一人での帰宅とはどういうことなのか腑に落ちない。
更に言えばいったい何を作っているというのか。
甘い匂いから、菓子類だということは分かる。ただ理由が思い当たらない。
いや、一つだけある。
あるが、しかし……。
しかし期待はするだけ裏切られる方が多い。
自分の生まれた日にケーキといえば、普通は誕生日ケーキなのだろうが……。
果たして子供らより先に帰宅し、その支度を始めるほど気にかけられているのだろうかと問えば、イエスとは言いづらい。
気にかけているのはこちらばかりだ。
未だ楽しそうに菓子作りを続ける人物には、届いていないだろう。
自分が寝ている(正確には意識はあるが)というだけで、ここまで態度が違うのだから。
今ならば、自分の前ではほとんどとれることのない眉間の皺 (そうさせてしまっている原因は自分な訳だが)も、消えているのかもしれない。
気づかれないよう見ることも、今なら可能だ。
実際警戒するようなことは何もないのだから、普通に起きればいいだけだが、自分は何かと彼の機嫌を損ねるし、今更起きづらい。
それでも。
少しでいい。
そう思いながらゆっくりと目蓋を開こうとして、上に影が落ちてきたのを感じた。
するりと指先が髪を梳いて、余韻を残して離れていく。
「寝たふり、いい加減にしとけよ」
気づかれていたのかと、思うより先に、なら何故と疑問の方が早かった。
「様子窺いなんかしなくても、お前んだから安心しとけ」
子供に言って聞かせるような、けれども意外な言葉に考える。
一人での帰宅も、作りかけのケーキも、自分の為なのだとしたら……。
それはどこまで本気で、どこまで照れ隠しだったのか。
どっちにしても、喜んでいいことなのだろう。
戻っていく人の後姿だけを見て、幸せな気持ちを抱いたまま今度こそ眠りについた。
END
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リキ誕おめ文。(略しすぎ)
ゆるやかなかんじに。リキの台詞なしで書きたいなと。
寝ぼけています。
でなければ最後にそのまま眠るはずない。
2006(May)
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