月に照らされた湖
彼はひとり、月明かりの下で佇んでいた。
「は~、凄いっすね~」
見違えたようにぴかぴかになったシンクに感嘆の声を上げた。
料理をするところだから、毎日綺麗に掃除をしているつもりだったが、本当に同じものかと思ってしまうくらいに汚れが落ちている。
びっくりしてまじまじと顔を近づけて、じっくり見ていたらふいに頭を殴られた。
「あったり前のことを言ってんじゃねぇよ」
いつものように自信満々で、しかしその顔は自慢げに笑っていた。
「や、でもどうやったんですか?俺も毎日きちんと掃除してたんですけど、ここまで綺麗に出来ませんでしたよ」
少し、興奮しすぎて子供っぽかったかもしれない。
そんなリキッドにシンタローも悪い気はしないらしく、めんどくさそうにしながらも、得意満面に教えてくれた。
リキッドの知っているシンタローの情報はとても少なく、その人物像まで到達するものではなかった。
特選部隊にいたこともあり、年は近くとも同じ戦場に立ったこともないし、士官学校に通っていたほかのものと違い会うことは皆無。
それでも隊長の甥であり、総帥の息子であること位は知っていた。
ほかにもガンマ団屈指の戦士であることや、人望が厚いことを噂でちらほら聞いたくらいだろうか。
反面、やっかみも少なくはなかったが、今を生き抜くことで精一杯であったリキッドにはあまり関係のないことと、気に留めることはなかった。
事実4年前にこの島に来るまで、目を合わせたこともなければ話したこともない。
それにあの時も話したことなぞ皆無で、だからどんな性格なのかすら知らずにいた。
自分と少ししか違わない、けれども団内に知らぬものはいないとされていた、総帥の息子。
けれども、実力は常に実践に身をおいている自分のほうが上だと信じていた。
そしてガンマ団を抜けてからは、一度も思い出したことはなかった。
コタローがこの島に来るまでは。
「シンタロー、メーシメシ」
「あ~、ちょっと待ってろって」
鍋を持った彼の足元にパプワとチャッピーがまとわりつくようにぐるぐると囲んでいる。
その間を縫いながら足を運びながら、テーブルまでたどり着くさまは危なげがない。
まるでそれが当たり前だというかのように彼の横に陣取り皿に料理が取り分けられるのを待っている。
「何つったってんだよ」
いきなり声をかけられて、自分がぼけっと彼らを見つめていることに気がついた。
慌ててテーブルに着くと、煮物が盛られた椀を渡される。
「あ、すみません」
ほこほこしている煮物からはおいしそうな匂いが漂っている。
一口口に運べば、決して濃くないのにしっかりと出汁の染みたジャガイモが口いっぱいに広がる。
他人に作ってもらう食事というのは久し振りで、特にこんなにおいしいものを食べられるなんてラッキーだ。
それでも昔と違うのは、作り方が気になること。
煮物はパプワの要望でよく作るが、ここまで違うと全く別の料理のようだ。
「あの、後で作り方教えてください」
今まで子供たちの世話を焼いていて、リキッドには全くの注意を向けていなかったシンタローは一瞬何を言われたのかと首をかしげていたが、すぐに破顔した。
「ま、そのうちな」
シンタローという人物に対するイメージははっきりいってよくなかった。
それは、昔のコタローを知っていたから。
全てを嫌っていた子供は、ずっと閉じ込められていたという。
あの時はこれだけ力が強く、そして爆発させていた姿を見ていたからそれも仕方がないことかもしれないくらいにしか思っていなかった。
けれども、ロタローとして一緒にいる間に少しずつ、確実に変わった。
見るもの全てに目を輝かせていた子供を見るたびに、この子供を閉じ込めていた者やそばにいてやるべきだった人達に言いようのない嫌悪感を抱いていた。
だからこそ、迎えに来たというシンタローが怖くもあり、渡したくもなかった。
ところが今、一緒に暮らせば暮らすほど思い描いていた人物像と違っていた。
ブラコンであるということは知っていたが、規格以上に耽溺していて、別の意味で心配になったが、その思いは本物で。
面倒見がいいのか、それとも環境がそうだったのか、世話を焼くのがすきなのだろう。
パプワたちに接しているときもそうだが、リキッドに対しても時には馬鹿にしながらだが、いろいろと教えてくれた。
島での人気も上々で、まるでずっとここで暮らしているかのようで、すっかり忘れていた。
彼が、何者であるかということを。
そのとき、珍しいことに一人きりだった。
朧月が空に架かり、地上を照らしていた。
いつもならばパプワやナマモノ達に囲まれているのに、誰の姿もなくただ、空を眺めているようだった。
そこには自信に満ち溢れ堂々とした姿ではない。
あまりのことに、声を書けることをためらい戸惑っていると、振り返った彼と目が合った。
途端に寄る眉根の皺にいつものシンタローだとほっとしつつも、今しがた目にした様子が頭から離れない。
「…いたんなら声くらいかけろ」
不機嫌な声に、理不尽さを感じながらも、おずおずと隣へと足を進めた。
そんなリキッドには歯牙にもかけぬという様に視線をまた空へと向けるが、見かけたときのような様子は微塵もない。
見間違いだったかと思わせるほどに。
「この島で暮らすようになってから、お日様とかはよく見るんですけどね。月はあまりなかったっす」
なんとなく、気まずい気がして口を動かす。
どうしても、朝日とともに起きて、日が沈むとともに家に戻るという生活パターンのせいか、夜空を見上げることはなかった。
星見や十五夜のように月や星を眺めるというイベントはあったが、こんな薄曇りの日の夜空は久し振りだ。
「――そうだな」
気のない返事はいつものことだが、彼の心がここにないことくらい、リキッドにすら読み取れた。
そして彼のその代わり様に驚きを隠せずにいた。
唐突に思い出した、彼の肩書き。
「…コタロー、元気ですよね」
「でなけりゃ、ただじゃおかねぇよ」
即答された答えに、静かに笑った。
今、彼の頭の中を占めているのは、きっとあちらの世界のこと。
彼が纏め上げている、リキッドの知らない世界だ。
だから、ここにいるのはリキッドの知っているシンタローではない。
一番最初に会ったときの、総帥のシンタローだ。
当人が言うように、いつかはこの島から出て行ってしまうのだということを認識し、困惑してしまう。
口癖のように帰るといっていたが、どこか本当だと思っていなかった。
この島によく馴染み、住民たちからも慕われているその姿は、ここで生きていくことが当然のようにリキッドの目には映っていたから。
けれども、彼は自分の目標を片時も忘れることはなく、未来へとその目を向けているのだ。
改めて知った心の強さ。
けれども、それは一抹の寂しさをも感じさせて。
「やっぱり、シンタローさんって凄いんですね」
笑顔でそういうだけで精一杯だったのだが、気がつかないシンタローは、ただ不思議に思うだけだった。
<後書き>
久し振りのリキ→シン。
永遠に叶う事のない恋がこの組み合わせかと。
リキッドにはとりあえず、シンタローさんは強い人だとだけ認識していてほしいです。
イメージだけで突き進むくらいの勢いで(笑)
シンタローさんはなんだかんだ言って、リキッドのことを可愛い弟分くらいには思っていことでしょう。
決してそれ以上ではないかと。
…ひどい話だ。
大好きなサイトの管理人、ショウ様に捧げます。
今まで素敵な作品をありがとうございました。
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