ある事象との因果関係
物音ひとつしないその部屋では、時間の感覚が狂ってしまいそうだった。
誰の指示かは知らないが、気を散らさないようにと時計はおろか空調の音すら完璧までに締め出されていた。
お陰で机にかじりついてから数時間、どうもシンタローは調子がおかしいくなってしまう。
最近、形式ばった業務しかこなしていなかったことを考えれば、それも当然である。
遅々としか進まない仕事に、莫大なデータ。
溜息と共に参考資料に目を通そうとしたのだが、そこで手が止まってしまった。
ある資料が手元にないのだ。
データはディスクに収められたものと、紙に綴じられたものとそれぞれ渡されたのだが、どちらの山にも見当たらない。
軽く舌打ちしたが、それで目の前に現れるわけではない。
今まで気がつかなかったのも間抜けだが、兎にも角にもそれがなければ進められないという事実。
内線で連絡すれば向こうも忙しいらしく、暫くしてから応答があった。
手早く事情を説明すると、確認するため折り返すとのことだった。
次の連絡が来る前にもう一度、探してみたが影も形も見当たらない。
やきもきして待っていると、軽やかなコール音が部屋に鳴り響いた。
シンタローがこの部屋に入ってから鳴った、初めての電子音だが、それによってもたらされた情報は芳しいものではなかった。
資料自体は見つかったそうだが、ある部分から大幅に間違っているため、現在製作中であり、30分ほどかかるらしい。
とりあえず、現在の進行状況を手短に話すと、休むようにと強く言われてしまった。
言われて気がついたが、思った以上の時間が経っていた。
資料を届けるまでの間、約1時間程の休憩を言い渡されたが、どうしたものかと考え込む。
パソコンから目を離したものの、他にすることもなくぐるりと部屋の中を見回す。
当然何かあるわけでなく、大きく伸びをして体の凝りをほぐす。
何度か改装を繰り返された部屋はその回数分、セキュリティと強固を増していった。
内装も落ち着いた色で統一され、シンタローの好みにより出来るだけシンプルなものになっている。
また、仮眠室、小さなキッチン、バスルームも用意されており、ここで生活できるくらいの設備は整っていた。
その中の一室、キッチンにシンタローは足を踏み入れたが、別段腹が空いているわけではない。
ケトルに水を注ぐと、コンロに火をつけている間にポットとカップを取り出す。
茶葉は缶に入ったままのものがあったのでそれを手に取り、もう片方の手にティースプーンを持つ。
まだ沸く気配のないケトルを見ていると、ふと聞き覚えのある音が耳に届いた。
それは無意識のうちに手に持っていた缶にスプーンを打ち付けていた音であり、それが誰の癖であるかは明快であった。
久方ぶりに大勢の来訪者に些か辟易してしまう。
しかもそれが、仕事に関係しているものではないということがさらに拍車を掛ける原因だ。
「お前ら、ここがどこだかわかってねーみてぇだな」
「だって、久し振りにシンちゃんが帰ってきたから会いに来たんだもん」
キンタローが学会のついでに買ってきたという土産を眺めつつ答えるグンマは、シンタローとは正反対に朗らかに笑っていた。
グンマ自身が学会に行くことがなくなったせいか、キンタローにお土産リストなるものを作って渡しているのだが、それを律儀にも買ってくるキンタローもキンタローである。
最近では自ら土産を選んで買ってくるのだが、グンマがそれを見て喜ぶものだから得意げに色々買ってくるようになっている。
そんな騒ぎを横目で見つつ、しかしちゃっかり欲しいものを手に入れているコタローは確かにシンタローに同情しているようだが、それがさらに情けなく感じてしまうのだ。
「大体、土産の配分なんぞよそでやれよ」
もっともな意見なのに、なぜかコタローも含め、全員の目が痛い。
「ここのところ、向こうに帰ってこないのは誰だ」
「そーだよ、遠征から戻ってきたばかりなのにさ」
「お父さんを連れてこなかっただけましだと思って欲しいよ」
三者三様、見事なまでの攻撃が胸に突き刺さる。
言葉の内容よりもその息の合ったコンビネーションが、疎外感を一層強くさせられた気がする。
「って、まだ学校は休みじゃないだろ?」
コタローがいるということですっかり舞い上がっていたが、考えてみれば今の時期は宿舎のほうで暮らしているはずである。
士官学校に通ってからここ――総帥室――に来ることがめっきり減ったこともあり、舞い上がっていたが、おかしな話だ。
「テスト休みだって」
「お父様が作ったやつだね。シンちゃんに会いたいがために作ったやつ」
思わず全力でなくしてしまいたかったが、流そんなことしてしまえば色々と不満が上がるだろうし、何よりコタローと会える機会が増えたのだ。
文句は言うまい。
嬉々としてお土産を分けているが、大半がお菓子であるためグンマの手に渡ってしまうことは明白だ。
いつの間にかキンタローが書類の仕分けをしていた。
「お前だけは止めてくれると思ってたんだがな」
ぼそぼそと向こうに聞こえないような声で言ったのだが、小さな溜息が返ってきた。
「あのグンマとコタローを止められると思うのか?」
キンタローにしてみればいい迷惑である。
帰ってきて早々、グンマに手を引かれ、コタローに急かされてここに来たのだ。
この後、秘書達に何を言われるかと思うと気が重くなるばかりだ。
けれども、この話を持ちかけてきたグンマの言い分もわかるつもりだし、何より最終的には自分の意思で来たのだから仕方がない。
諦めて彼らの作戦に乗るだけだ。
「あ、じゃあこれはここで食べちゃおうか?」
配分も佳境に差し掛かったところで、意見が分かれたらしく、グンマのそんな声が聞こえた。
その声に顔を見合わせ、同時に振り向けば、そこにはコタローがテーブルの上にお菓子を広げているところだった。
滅多に使わない応接用のテーブルの上にはいつの間にか皿が用意されていて、焼き菓子とチョコレートが並べられていた。
そして、キッチンからもシンタローたちのところまで物音が響いてきた。
「くぉら!グンマ!」
シンタローが乗り込んでみれば、予想通りの光景。
ケトルが火に掛けられ、その横にはティポットが二つ。
そして、不快にならないくらいの小さな金属音が断続的に鳴っている。
その音はグンマから、正確にはグンマの手から聞こえていた。
壁にもたれながら、スプーンと金属製の容器を打ち合わせていたのだ。
「お前な、何してんだよ!」
「お湯って、中々沸かないよね」
特に4人分となれば、ケトルに相当の量の水が必要になるだろう。
沸かすための時間もその分長くなっている。
ここでよく、シンタローの意思とは裏腹に茶を入れることがあるが、この4人が集まるのは初めてかもしれない。
しかし、グンマの答えはシンタローの求めていたものとは違う。
こん、こんとスプーンをたたき続けることを止めぬまま、グンマは言葉を続けた。
「皆、心配してたんだからね」
なんでもないかのような口調が、返って心に響く。
思わず反論も出来ず、黙っているとケトルから湯気が立ち上り始めた。
「あ、いっけな~い!」
慌てて容器のふたを開け、手早くポットに葉を入れる。
同時にケトルも大量の湯気を放ち、沸騰したことを知らせていた。
すぐにティポットにケトルからお湯を注ぎ、ティコージを掛けたところで、グンマはほっと溜息をついた。
「手際悪いな」
「違うもん、シンちゃんが話しかけてきたからだよ」
らしいといえばらしい、グンマの手際に笑ったがグンマにも言い分はある。
「何言ってんだよ。俺が来たときにはスプーンで遊んでただけじゃねぇかよ」
「だって、お湯が沸くのはもっと先だと思ったんだもん」
そんな言い合いをしている間に、今度は正確に時間を計っていたグンマがトレイを持ち上げ、運ぼうとする。
結構な重さになるそれをしっかりと持つが、動こうとはせず、シンタローの顔を覗き込んだ。
「僕達がいること、忘れないでね」
そのときの笑顔を、いまでも忘れることはない。
諭すわけでもなく、軽やかな笑み。
信じろとは言わず、その後もただお茶を楽しんでいた。
一人分の湯はすぐに沸いて。
ケトルから洩れるシュンシュン、という蒸気の音が聞こえても。
手を止めることは出来なくて。
あの部屋での風景が、こんなにも簡単に思い出された。
<後書き>
久々に書いた、シンタローさん不死話です。
なんでもないことで昔の思い出を思い出したりする、というのがテーマだったんですけど、なんか底が知れている感じが全体的に漂ってますね(笑)
最近、キンシンよりもグンシンのほうが気になるお年頃…
こういうのも浮気って言うのかな?
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