進化における絶対の法則
きらきらとまぶしい太陽が見える。
晴れ渡っていて、雲ひとつ見当たらないというのに。
何が頬を伝っているのだろう?
その場を支配しているのは静謐。
否、時折紙を擦る音や控えめな電子音が響いていた。
だからこそだろうか、静けさが一際目立つ。
しかし、部屋に異なる電子音が響く。
本当にかすかな音はあるが、解除、そして起動音と連続して起きたその音を彼は聞き逃すことなく、顔を上げた。
そしてこの部屋と外界を繋ぐ唯一のドアが開いた。
途端、色素の薄い、異なる金色が二つ飛び込んできた。
「シンちゃーん、ちょっといーい?」
肩よりも長い髪を揺らし、足早に近づいてきたグンマは、何が楽しいのかにこやかに笑いながら、机の前に陣取る。
邪気の無い笑顔なのだろうが、何かいやな予感がして仕方が無い。
心持ち、シンタローが引いているのを感じながらも、グンマは逃がすつもりは無い。
「あのね、お願いなんだけれども…」
「却下」
厄介事はごめんだと顔に貼り付けて、きっちりとドアのロックをしてグンマの後ろに控えるように立っていたキンタローに視線を移した。
話を遮られたことで、頬を膨らませているが、そんなことにいちいち付き合っていたら、巻き込まれることはわかっている。
「で、お前はどうしたんだ?」
視線を受け、面食らっいながらみ、口を二三度動かすと、ちらり、とグンマを見る。
「…俺は、こいつに連れてこられただけだ」
大した情報どころか、益々自分の不利な方向に振ってしまった気がして、仕方がなく視線を戻せば、いつの間にやら、シンタローの机の上をチェックしているグンマがいた。
「って、眼を放した隙に何してんだよ!」
「ふ~ん、このペースならお昼に少し位抜けても平気だね」
一体何を根拠にそんな発言をしたのかは知らないが、確かにグンマの言うとおり、昼を過ぎた頃くらいには一息つくことは出来るだろう。
しかし、グンマは自分の読みが当たったことに満足して、にこにこと笑うのみ。
「…なんなんだよ」
「ん~、さっきね、温室に行ってきたんだ」
グンマの視線の先を見れば、そこには晴れた空が広がっている。
あらゆる衝撃に耐えうる素材で出来た窓からは、太陽の暖かさも奪われてしまったような感覚を覚えるが、そこに輝いている事実だけは防ぐことは出来なかったらしい。
「それでね、キンちゃんがその中のひとつを任されてるんだよね」
それは、知っている。
元々、叔父のルーザーが管理していたものを高松が引き継ぎ、そしてつい最近、キンタローに移ったのだ。
本人の意思に関係なく、グンマが機械工学を、高松が生物化学を教えているため、シンタローは実際、キンタローが何をしているのかを詳しくは知らない。
これで全く関係の無い、心理学とかを学ぼうとしていたらかなり笑えると思っていたのだが、そうでもないらしい。
窓からキンタローに視線を移せば、居心地が悪いらしく、視線を外された。
「…別に、たいしたことはしていない」
「確かにそうだけどさぁ。けど、ちゃんと世話をしているじゃない」
そのあたりの話をシンタローは聞いたことが無い。
引き継がなければならないものが膨大な中、名乗りをあげた従兄弟に一抹の不安を感じながらも、開発部門を任せていた。
今のところ、大きな問題も起きておらず、それどころか立派に機能しているところから、どうやらうまくいっているようだ。
そのため、古参の研究員達の動向はある程度掴んでいる位で、他はグンマに任せきりだった。
さらに時間がかみ合わないせいか、直接会うことも少ないため話をする機会も無い。
なので、今キンタローが何をしているかということまでは知らないし、知る必要も無かった。
「…で?」
いい加減、痺れを切らして問いかけると、今までキンタローを見上げていた視線が再度シンタローへと向けられた。
「今日、僕も久し振りに行ってきて、思い出したの」
そこでいったん区切ると、意味ありげに笑って見せた。
「シンちゃん、一度も来てないでしょ?」
なぜが、その言葉を聴いた瞬間、逃げ道が無いような気がした。
空が、青い。
流されるかのようにこの場につれてこられたシンタローは、深く溜息をつく。
グンマの襲撃の後、とんとん拍子にことは進められた。
どのような交渉があったのかは知らないが、鉄壁の壁である秘書達を丸め込み、無理やり、時間をもぎ取ると、すぐさま、ここへと連れてこられた。
もしかしたら、あらかじめグンマは内緒で物事を進めていたのではないだろうか。
そんな思いが胸中によぎる。
事実、嬉々としてテーブルセッティングしている姿を見ていると、どうしても疑心暗鬼に駆られてしまう。
温室の中にある、小さな広場。
何のためのスペースか、シンタローにはわからないが、今は数脚の椅子とテーブルが用意されていた。
その隣にはアルミ製だろう、小さなワゴンに料理等が載っていた。
手際のよさに、呆れるしかできなかったが、総帥室を出る時のティラミス達の顔が忘れられない。
気のせいでなければ、かすかに笑っていたような気がする。
彼らは、休めということは出来ない。
スケジュール管理をしている手前、シンタロー以上に仕事の量を把握している。
そして、自己申告である大丈夫だという言葉にも踏み込むことが出来ない手前、もしかしたらグンマの提案をあっさり呑んでしまったのかもしれない。
「…シンちゃん?」
いつの間にか近づいてきたグンマが袖口を引っ張った。
「終わったのかよ」
「うん。それよりも、シンちゃん、やっぱり疲れているんだね」
今にも泣きそうなその顔に、思わず眉を顰めた。
否定は出来ない。
確かに最近、自分の顔を見て疲れが溜まっているという自覚はある。
とっさにうまく言葉を出せないシンタローに、グンマはしかし何も言わなかった。
俯いて何かを言ったかと思えば、袖口を引っ張ったまま、テーブルへと向かった。
必然的に少しの距離ではあるがそのまま誘導されていると、料理を並べているキンタローが不思議な顔をして、二人を迎えた。
「…何だよ」
思わず、反射的に出た言葉だったが、キンタローは首をかしげながら思ったことを口にした。
「お前がグンマのペースに付き合っているのを、久し振りにみた」
「るせぃ」
思わず赤面してしまったが、確かにそうかもしれない。
元々、我の強い一族だ。
自分の好きなことは強引にでも通すのだが、近年グンマはそういった傾向は見られなかった分、一体いつ振りになるのやら。
多分、それこそ幼年期くらいまでさかのぼりそうだ。
「そんなことより、ご飯にしようよ」
話のネタになっているはずのグンマは、さっさと椅子に座る。
料理といっても、数種類のサンドイッチにサラダ位で、後はから揚げなど食堂から貰ってきたものなので大したものではない。
それでもシンタローにしてみれば、久し振りに人と一緒に食べる食事だ。割り切ってしまえば、なかなか悪いものではない。
「そーだな」
気分を変えるために、大きく息を吐いて席に着いた。
一方的にグンマがしゃべるだけの昼食だったが、それはそれで悪いものではなかった。
引きこもり一歩手前のシンタローや、知り合いの少ないキンタローに比べ、他の研究室に顔を出すグンマはいろんな話を知っていた。
他愛の無いものばかりではあったが、報告書にはかかれない些細な話に、突っ込みを入れたり、青ざめてみたり、わけのわからない顔をしているキンタローに説明したりと、時間は瞬く間に過ぎていった。
そして、ようやく最後にお茶を飲み干した後。
「じゃあ、お皿は僕が持っていくね」
軽やかに立ち上がったグンマは、さっさとテーブルの上のものをワゴンに移した。
「おい」
テーブルクロスも取り除かれ、無機質なテーブルが見えた瞬間、ようやく言われた言葉に反応することが出来た。
「なに?」
引き止めなければ、そのままこの場を去っただろうグンマが振り返る。
無邪気なその顔に、湧き上がった怒気を何とか鎮めながら、こめかみを押さえた。
「あのなぁ」
「あ、そうか。忘れるとこだった」
手をたたき、うなずくグンマは怒っているシンタローを無視し、未だに座って状況のわかっていないキンタローに顔を向けた。
「僕が戻ってくるまで、ここを案内してあげてね」
「――わかった」
「俺の意思は無視かい」
どっちに怒りをぶつけていいものかわからず、思わず拳を握り締める。
その拳を見ないようにして、グンマはシンタローの目の前に人差し指を突きつけた。
「何言ってるの?だってこれから、この温室の視察をするんだから、キンちゃんに案内してもらわなきゃ」
「は?」
二つの声が重なる。
シンタローが恐る恐る後ろを振り返ると、口をあけたまま固まっているキンタローの姿があった。
「待て待て待て!それなら終わっただろ?」
思わず、大声で叫んでしまったが、グンマは口をへの字に曲げて、人差し指を左右に振った。
「あのね、まだ一部分しかシンちゃんは見てないんだよ。せっかくなんだからちゃんと見てかなきゃ駄目だよ」
「そんな時間は――」
「大丈夫、とティラミス達には言ってあるから」
決定打だった。
思わず、力が抜けてしまったその隙を突いて、あっという間にワゴンを押して出て行くグンマに言葉もなく。
「…で、どうすればいいんだ?」
声を掛けてきたのは、キンタローだった。
「…とりあえず、案内してくれ」
投げやりな答えに、それでも律儀に頷くキンタローがなぜか哀れに思えた。
査定という言葉に最初は緊張気味だったキンタローだが、どうにか自分のペースを思い出したらしい。
元々、グンマの思いつきにつき合わされていたため、何を説明するのかいささか混乱していたようだが、それさえ過ぎてしまえばいつものように淡々とシンタローを案内していた。
「…人に説明するのは始めてだ」
一通り見終わった後、元いた場所に戻るとポツリと言葉を漏らす。
とはいえ、専門的なことはわからないから大雑把でいいというシンタローの言葉に救われたというのもあるだろう。
視察という言葉に戸惑っていたようだが、詳しいことのわからないシンタローにしてみれば、この温室の植物がきちんと育っているのがわかればそれでよかった。
第一、キンタローが正式にここを引き継いだとはいえ、まだ少ししか経っていないのだから、それだけで評価が出来るわけではないのだ。
だからこそ、二人ともグンマの言う視察を冗談だと受け止めていたというのに、いきなり任されればこういったことに不慣れなキンタローが慌てるのは当たり前である。
「お疲れさん」
一方、シンタローはそれなりに満足そうな顔をしていた。
久し振りに土の感触を存分に楽しめたというのもあるが、キンタローがどれだけこの温室について理解しているかを知ることが出来たのは大きな収穫であった。
確かにシンタローに理解の出来ない話が多かったが、説明している姿を見れば少なくともどれだけ会得できているかくらいはわかるつもりだ。
それに、シンタローにしても植物の知識はある程度ある。
士官学校にいたときに詰め込まされた知識だ。
高松により、趣味に走ったものも多数会ったが、戦場に出て必要なものも確かにあり、必要であったものは刷り込まれているといっていい。
そういったものから判断するに、少なくともキンタローに対する点はかなり高得点といってもいい。
「て、どこに行くんだよ」
どかり、と椅子に腰掛けたシンタローとは違い、出口に向かおうとするキンタローに慌てて立ち上がろうとした。
「――本を」
「本?」
「ああ、グンマから借りた本だ。あそこにおいてあるから取りに行こうと思ったんだ」
指差す先には、小さな部屋があった。
最初に聞いた説明では、コントロールルームのようなもので、その他、実験に使うための器具等がおかれているらしい。
「グンマって――あいつの専門はバイオじゃないだろ?」
「ああ、今借りているのは材料工学と、プログラムに関する本だ」
至極まじめな顔で返され、何もいえなくなった。
何か不都合でもあったのかと首を傾げるが、生憎グンマを見てきたキンタローにしてみれば何がおかしいのかわかるはずもない。
グンマは自分の専門以外でも、興味の持ったものは片っ端から調べていく。
科学者というものは、否、専門家というものはそういうものではあるが、グンマはそれが広範囲に及んでいる。
純粋であるがゆえに貪欲に知識を得た結果ともいえよう。
そんなグンマから借りる本は多岐にわたるのだが、その渡し方がきちんとリンクされているために、疑問も持たず、黙々とキンタローは学んでゆく。
おそらくは、シンタローが認めるに至った勤勉さ故の成果なのだろうが、いまいち消化しきれない部分が残っているようだ。
本をとりにいった背中を見送りながら、おぼろげながらその正体を掴み、小さく溜息をついた。
硬い背もたれに体重を預け、腕時計を見る。
ここから食堂までの距離を考えれば、そろそろ帰ってくる頃だろう。
勝手に帰ったりしたならば、散々いやみを言われるだろうと容易に想像が出来る。
昔だったら、きっとそんなこと知るかと、否、その前にここには来ていなかっただろう。
余裕、とはまた少し違うなにかが、シンタローを引き止めた。
代わりにゆっくりと立ち上がって、緑の木々を眺る。
空調を整えるためにだろう、時折空気の流れを感じた。
ひんやりとしているが、冷房とはまた違った感じが体に心地よい。
広場からそう離れなければ、多少歩き回るのも良いだろう。
椅子に座ってるだけの生活に飽きた体を休めるために、ふらりと深い緑の中へと身を投じた。
頬を濡らすそれ。
知らないわけではない。
否、知っているからこそ、混乱していた。
前に一度、あの島で体験した。
けれどもなぜ、今なのかがわからずに、呆然としてしまった。
本を手に、広場に戻ろうとしたそのとき。
彼が木々の向こうに消えていった。
多分、手持ち無沙汰になり、散歩でもしようとしたのだろう。
唯それだけの光景を眼にした瞬間、前触れもなく頬に何かが伝った。
あのときのように心の底から湧き上がる衝動もなく、痛いと感じることもなく。
ようやく、手が動き、頬に伝うそれの源を辿る。
そして、それが予測どおりの場所からだと気がつき、慌てて力任せにぬぐった。
ようやく訪れた混乱に、けれども解決するわけでもなく。
原因を探そうにも、まるきり手がかりがないことに、焦りが増すばかり。
「なぜ…」
声に出すことにより、沈んでいた――あるいは浮かんでいた――思考が舞い戻ってきた。
連続的な小さな電子音。
時折聞こえる、木々のざわめき。
遠ざかっていく、足音。
いつの間に乾いている、涙。
いったん、混乱から醒めるとあの時、広がった何かがどうしようもなく気になった。
それは、じわりじわりと心の中に浸透していった。
けれどもいつから沸き起こったのかわからぬほど、小さなもの。
たとえることも、言葉に出すことも難しいそれを、理解することが出来ず、困惑した。
そして、思い出す。
消え行く瞬間に見た、優しく微笑む彼の顔を。
見知らぬ感情を、あまりにも幼すぎる彼はただ、持て余していた。
<後書き>
キン→シン?です。
風味から抜け出していることは間違いないのですが、→な分、糖度が薄い。
一応、南国終了直後です。
イメージとしては、初夏。若々しい緑色が素敵な季節。
しかし、気を抜くと、グンマさんについて語りたくなってしまいそうになり、慌てて削除してました。
従兄弟ズはやはり楽しいですね。
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