作・渡井
リキシン好きに20のお題05「髪」
酒蒸し
朝食の後で海岸に散歩に行ったシンタローが戻ってきたのは、すでに太陽が真上を越えた頃だった。パプワとチャッピーは昼食を終え、クボタくんに乗りに行っている。
「遅かったっすね」
出迎えたリキッドは何気なく声をかけてぎょっとした。
シンタローの表情はあからさまに険しく、額には青筋が立っている。そして両手には何故かアサリを抱えていた。
「ちきしょう、うっかり洞窟の方に行ったらウミギシに会っちまった」
「ああ、イカ男の。シンタローさん、面識ありましたっけ」
「4年前にちょっとな」
そのアサリは何だろうとまじまじ見ていたら、シンタローが忌々しげに言った。
「投げられた」
「ぶっ」
リキッドは慌てて笑いを噛み殺した。
この俺様なお姑が、顔だけはいい10本足のナマモノに貝を投げつけられている光景は、想像だけで笑える。
そして文句を言いながらもおかずになりそうなアサリをしっかり拾ってくるのはさらに笑える。
しかし本当に笑ったら殺される。案の定、青筋が増えるシンタローに慌てて会話を逸らした。
「どうしましょう、味噌汁にでも入れますか?」
「味噌汁なあ……俺は酒蒸しの方が好きだけどな」
「酒蒸し?」
「知らねェのか?」
アサリに酒を振って火にかける料理と聞いて、リキッドは大いに興味を持った。
パプワ島は四方を海に囲まれている。魚や貝の料理は一つでもバリエーションを広げたい。和食が得意なお姑のお料理教室は、絶好のチャンスと言えた。
それもこれも食卓を賑わせ、パプワたちの食事を工夫したいがためと分かっているので、シンタローもわりに(普段の扱いを考えれば格段に)協力的だ。
「日本酒だったらありますよ、獅子舞の寄越したのが」
コタローが男児祭りを無事にクリアしたとき、祝いだと貰ったものだ。呑みかけだったが、一升瓶の半分近くは残っているだろう。
「へえ、コタローがそんなことしてたのか」
「鼻血拭けよブラコン兄さん」
正直に突っ込んだ見返りに、満遍なく顔面を猫に引っかかれた。
あれ、と声を上げたのは、家に入り床に胡坐を組んだシンタローの後ろ姿を見てからだった。
「シンタローさん、頭の後ろに砂ついてますよ」
「あんのイカ男……!」
アサリをぶつけられたのは後頭部らしい。リキッドはとりあえずアサリを置き、ブラシを取りに走った。
「シャコ貝の次はアサリかよ」
「駄目っすよ、そんな乱暴にはたき落としたら」
苛々とかき回したせいで、髪は乱れ紐が緩んでいる。リキッドは背中に向かって正座し、失礼しますと紐の一方を引っ張って抜いた。
するりと櫛目を通る長い黒髪に、心臓が跳ね上がった。
「し、シンタローさん、髪キレイっすね」
「そうでもねえよ。ここに来てからは潮風でバシバシだし」
しかし色も抜けていないし、手触りもいい――と考えてリキッドは耳まで赤くなる。
俺いま触ってんだよな、シンタローさんの髪に。
「酒蒸しって、パプワとチャッピー食えます?」
「アルコールは飛ぶと思うけど……そうか、考えなかったな。出来ればあいつらには一滴の酒も与えたくねえな。1パーセントでもアルコールが入ったら手に負えなそうだ」
「あんたの叔父さんほどじゃないっすけどね」
まったくだ、とシンタローが笑った。
砂を丁寧に取り、ブラシで梳いた髪をうなじでまとめる。
「こんなもんすか?」
「おお。昼メシ食ってねえし、さっさと作ってパプワたちが帰る前に食っちまおうかな」
「バレたらシメられますよ」
「お前が黙ってりゃバレねえよ」
思わず口元が緩んだ。
二人だけの秘密。その言葉の響きは、たかが熱で飛ぶほどのアルコールよりもリキッドを酔わせる。
「俺にも食わせてくれるなら黙ってますよ」
「ちっ、しょーがねえな」
きゅっと髪を結んだ。シンタローが手で確かめて頷く。
「じゃあヤンキー手伝えよ」
はい、と元気良く返事して立ち上がり、皿を取ろうとしたら背中を蹴られた。
「手ェ洗え。砂やら髪の毛やら触っただろうが」
「うっす……」
ああ、もったいないな。
心の中で自然にそう呟いてシンタローを見ると、彼は既に料理の準備に取り掛かっている。てきぱきとした動作に、尻尾のように背中に垂らした髪が揺れる。
もう一度あの感触を確かめたいと思った自分に戸惑いながら、リキッドは入念に手を洗い、大きく振って水気を切った。
水滴と共に、指先から黒髪の感触がこぼれて消えていった。
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5個目にもなって今更ですが、「料理」で統一してます。
タイトル考えなくていいから楽だなぁ…。
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