ひゅっ。
氷の刃物を押し当てられたような冷気が背後から、髪をかき上げ、首筋を通っていった。
「っ! さびぃ~」
身体を震わせ、コートの襟を手で握りしめるようにして締め付けると、シンタローは、背後を振り返ってぼやいた。
しんと冬の冷たい空気が辺りに沈殿している。それゆえに少しの風でも、身を切られるぐらいの鋭い冷気を感じてしまう。空を見上げれば、星一つ見せぬ漆黒が重たげに澱んでいた。誰かが、今晩は雪だと言っていたが、その予報は、はずれていないかもしれない。
首筋が寒かった。コートの襟を立てても、僅かな温もりを得られるだけで、風が吹けば、それすらも奪い去られてしまう。
(マフラーが欲しいな)
その寒さに触れた時から、それは思っていたのだけれど、自分の首にはそれが存在していなかった。もちろん、最初はマフラーをして行くつもりだったのだ。だが、出かけに差し出されたそれを、自分が、拒絶してしまったのである。
寒くないからと、突っぱねたわけではない。そんな理由ではなく―――――。
「あいつが、まともなマフラーをくれれば……」
いまさら言っても無駄なのだが、思い返すたびに苛立ちと怒りはこみ上げてくる。
それは、つい半時ばかりの出来ごとだった。
『出かけるなら、このマフラーをしていってね♪』と言って、玄関で差し出されたのは、真っ白なマフラー。初お目見えのそれは、手編みであることは間違いないのだが、差し出された人物の腕が、かなり達者なために、売り物だといわれても納得できる出来栄えである。ならば、それを首に巻いたところでさしたる問題はないように思えた。ただ―――――その白いマフラーに丁寧に入れられていた文字がいかんともし難いものだった。
真っ赤な毛糸によってデカデカと綴られた言葉は『マジック命』。
どこの誰が、そんなマフラーをして出かけられるだろうが。もちろん、首にぐるぐると巻けば見えないようにすることもできるが、うっかり落として、見知らぬ誰かにそれを見られた日には、真冬のドーバー海峡の中を泳いでも足りにないほどの、居たたまれない熱にうなされるだろう。
そんなことは真っ平ごめんである。
結果、そのマフラーをその場で、地に叩き付け、真冬の外出にもかかわらず、マフラーなしで出かけるはめになったのだった。
もっとも、その寒さももうすぐの辛抱だ。
「さてと、何買おうかな」
もう少し歩けば、目当てのデパートにたどり着ける。久しぶりの外出で、少し気分が浮き立っているのか、口元には笑みが作られている。
道行く人達の足は、通りを吹き荒ぶ北風のせいか皆一様に忙しなく、店や街路樹に飾られたイルミネーションの光の中を進んでいた。シンタローも、どちらかと言えば足早に、肩を丸めるようにして歩いている。それでも、通りに面した店から覗けるディスプレーには、目が惹かれていた。
華やかに彩られ飾り立てられた品々と、店の奥から流れる明るい曲は、今の時期特有のもので、目や耳に触れるたびに、小さな子供の頃に戻ったように心をはずませる。
「もう明日がクリスマス・イブだもんな」
今日は、十二月二十三日。クリスマス前夜のさらに前夜である。店が両脇に並ぶこの通りでは、すでにクリスマス一色に染め上がっていた。
「グンマとキンタロー。それから………まだ、寝てるけど、コタローにあげる物は目星をつけているんだけどなぁ」
兄弟や従兄弟に買う予定の品を頭の中でリフレインさせ、シンタローは、よしっ、と小さく頷いた。
ガンマ団総帥がここにいる理由。それは、家族や従兄弟にあげるクリスマスプレゼントを買うためであった。
おかしなことだと思うだろうが、庶民的なシンタローには、それが普通のことだった。クリスマス前、家族のプレゼントを調達するため、一人で出かけ、買いに行くのは、すでに毎年の恒例となっているのである。
もっともガンマ団総帥になってからは、さすがに部下達に止められた。一人で街中に出歩くには、危険だと言うのだ。
確かにそうだろう。
だが、そんなことで、あっさりといつもの習慣をやめるほど聞き分けのいい人間ではない。説得というよりは、単なる我侭を押し通し、シンタローは、こうしていつもどおり一人で出かけてきていた。
それが前日ギリギリになったのは、年末の忙しさのあまり、この日の夜しか、空かなかったせいである。明日になれば、クリスマス・イブ。今年も、お祭り騒ぎ大好き、イベント大好き親父の呼び出しをくらい、一族総出でクリスマスパーティが行われるだろう。その後に、めいめいプレゼント交換がいつもの流れだった。
兄弟や従兄弟のプレゼントはいい。
グンマの奴は、実用性皆無でも、ちょっと変わった―――どこがかは自分には理解できないが―――魅力がいっぱいなキャラクターのくっだらないオモチャをあげれば喜んでくれるだろう。
反対にキンタローは、実用性一点にかかっている。しかも自分の気に入っているメーカーでなければ使わないという融通の聞かない頑固者だが、プレゼントはしやすい。いつもキンタローの傍にいれば、自ずと今年のプレゼントは決まってくる。
コタローには――クリスマス・イブが誕生日だということもあるから、毎年恒例の手作りケーキと、そしていつ起きても大丈夫なように身体にぴったりと合った服をあげている。半分以上、自分の望みが混じってしまっているが、それを着て一緒に出歩けるように願いを込めて服を贈る。
こんな風に、あげるプレゼントは決まっているのに、一人だけ、頭を悩ませる存在がいた。
「あいつのはどうすっかなあ」
毎年のことだけれど、いつも考え込んでしまう。
北風にさらわれた黒髪を押さえるように、後頭部に手をあて、ガリガリとかきむしり、悩む頭を刺激する。自然顔は、しかめっ面に変わっていた。
脳裏にちらつくのは、いつも余裕綽々の笑みを浮かべる元ガンマ団総帥の男であり、シンタローの父親であるマジックの姿。
「親父の奴、気に入らないもんをあげると使わねぇからな」
自分がくれたものだからと、その場では、物凄く喜んでくれるのだが、それがマジックの趣味にあわないものだったりすると、使わずにただ飾っておくだけなのである。
幼い頃は、それに気づかなかったが、ある日そのことに気づいてしまった時のショックはかなり大きかった。
それ以後、シンタローはそんな屈辱を受けないためにも、不本意ながら、マジックに贈る品だけは、かなり吟味するようになったのである。
贈ったからには、使ってもらいたいのは当然の心理だろう。
だが、難しいことに、ただ使えるものを贈ればいいというわけでもなかった。
「マジックが使うもので、こっちの被害にならないものっと……」
それが最重要である。
以前高性能なデジタルカメラを贈った時には、その機能を駆使され、信じられない場所での写真撮影がされていた。知った時には、その場で眼魔砲を放ち、ぶち壊してやったが、風の噂では、さらにその後にでた、それ以上の機能をもつ新機種を自腹で買ったらしい。しかし、また壊されることを用心しているのか、それはまだ見たことなかった。
とにかく、善意で贈ったものでこちらに被害があってはたまったもんではないのである。
そうなると、なかなか品物を決めかねる。
認めたくないが、ガンマ団総帥を退いたあの父親は、今ではすっかり愛息のシンタロー中心に回っているのである。もちろん、以前もそうだったが、あの頃は、自分の他に世界征服という野望もあったために、こちらに目が向けられないこともあった。だが、今は違う。
大人しく隠居爺になっておけばいいのに、下手をすれば四六時中付きまとわれる。
『趣味は?』と問えば、『手芸』。しかも、その趣味で作られるのは、シンちゃん人形と呼ばれる、愛息シンタローそっくりの人形である。もちろんそれ以外にも色々作っているようだが、実態がどうなっているのか、確認したくはない。噂では、かなりの力作が多々あるようだが、自分を模って作られた品など見たくなかった。下手につつけば、手痛いしっぺ返しも食らうし、こういうのは、無視を貫くのが一番である。
とにもかくにも、彼のプレゼントは未定のままだ。
「まあいいや。中に入れば、いいやつも見つかるだろう」
悩むのは、暖房のきいた暖かな場所がいい。こんな寒いところで考えても脳に血が巡りにくく、いい考えも浮ばない。
風になびくコートをさばき、足を進めたシンタローだが、不意にその足を止めた。
「んっ?」
通り過ぎようとしたビルとビルに少しばかり隙間がある。大人一人が入れるぐらいの幅しかないその奥に、周りの暗闇よりもさらに真っ黒な塊が見えた。シンタローは、それに視線を凝らした。四角いシルエットは、ダンボール箱のようだが、口が開かれたそこから、何かが動いているのが見えたのだ。
「猫…か?」
鳴き声は聞こえてこないが、もしかしたら心無い者が捨てた子猫かもしれない。そう思うと、そのまま見なかったふりも出来ずに、シンタローはそれに近寄った。
(捨て猫なら拾って帰ってやろう。そうしたら団員の中で飼ってくれる奴がいるだろうし)
意外に思うかもしれないが、団内では、猫など愛玩動物を飼うものは多い。殺伐とした職場に身を置いているためか、心のよりどころにしている者も数多くいるのだ。
癒しを求めるその行為をシンタローは、否定していない。
だから、ダンボールの中のものが動物だった場合は、拾って持ち帰っても差し障りは無かった。飼い主募集の張り紙をすれば、すぐに見つかるだろう。それに、持ち帰ったのが総帥となれば、無下に扱う者は、名乗りでないはずだった。
「何がいるんだ?」
そう言いつつも猫だと信じきっていたシンタローは、その中を見たとたん、しばし硬直した。
自分の目が信じられず、まじまじとその中を凝視する。
「…………嘘だろ?」
思わず自分自身で問いかけてみるが、誰もそれを否定してくれるものはいないし、肯定してくれるものもいない。
自分で結論を出さなければいけないのだが、結論も何も、その目に映っているのは、紛れのない事実であった。
どこぞの宅急便の会社名が入ったダンボール箱の中、真っ白な毛布に包まれて、そこにいるのは確かに動物で、しかし猫や犬などいうペットになりえるものではなかった。
そこにいたのは―――――。
「なんで、こんなところに赤ん坊が寝てるんだよっ!」
柔らかなホッペに、小さな手。どうみても、人間の形をしたその小さな生き物は、寒風吹き込むビルの谷間の中、スヤスヤと安らかな寝顔を見せていた。
「信じらんねぇ…誰だよ、こんなところに赤ん坊を捨てやがったのは!」
ベビーカーや揺り篭ならともかく―――それでも、こんなところで一人置き去りにされていれば変だが―――段ボール箱に入れられている赤ん坊というのは、どう見ても誰かが故意に捨てたものであろうことを容易に予想がつく。
(冗談じゃねぇ! 誰が、んなところに、赤ん坊を捨ててんだよ)
憤慨しつつ、シンタローは、辺りを見回してみる。だが、それは無駄なことだった。もちろん近辺に人影などなく、それらしい人物を見つけることはできなかった。
この赤ん坊に関することで何か手がかりになりそうなものはないかと、中を覗き込んで見てみるが、夜で視界が悪い上に、ここには常に風が吹いてきている。ぱっと見では、何も見つからなかった。
もしも、手紙が置かれていたとしても、赤ん坊の身体の下などに置かれてなければ、吹き飛ばされていてもおかしくない。
「どうするかなぁ」
顔をくしゃりと曲げて、シンタローは、その前にしゃがみこんだ。赤ん坊は、以前としてぐっすりと眠っている。気温はたぶん零度以下だというのに、たいしたものである。
けれど、そのままにしておくことも出来なかった。
「泣くなよ~?」
そう断りを入れて、シンタローは、そっとその中に手を差し込むと、その赤ん坊を抱き上げた。
「うわぁ」
柔らかな弾力に、冷え切った指先に伝わる温もり、腕にかかる確かな重み。
夢や幻ではなく、現実の感覚だ。
(赤ん坊を抱くなんて久しぶりだな…)
恐る恐るというのがぴったりな感じで、それを自分の胸に寄せた。
懐かしい感覚だった。弟のコタローが生まれた時には、自分が亡くなった母親の代わりに常に抱いてあげていたが、それもかなりの昔のことになってしまった。
それでも、自分の手はまだ、赤ん坊の抱き方というのを覚えてくれていたようで、たいして危なげなく、それは腕の中に納まってくれた。
パチッ。
同時に、赤ん坊の瞳が開く。
「あっ…」
そこにあったのは、髪と同じ漆黒色の瞳だった。
赤ん坊のくせに釣りあがり気味の瞳が、真っ向からシンタローを見上げた。後頭部に置かれた髪は、どちらかというと固めで突っ立っている。
なんとなく、どこかの誰かを彷彿させてくれるような赤ん坊だった。
そう思うと、こんな状況でマイペースに睡眠をとっていた、ふてぶてしいとも言える姿に納得してしまう。
今も、見知らぬ自分が抱いているというのに、泣きもせずに大きな瞳でじっとこちらを見ていた。
(パプワの赤ん坊の頃もこんなんだったのかな)
昔、彼の育て親のカムイに聞いた時は、パプワ島についたとたんその赤ん坊は、アナコンダで縄跳びした、と言っていたが、まさかこの子は、そんなことはしないだろう。
「あーあー」
初めて赤ん坊がしゃべった。それと同時に、小さな手が自分に向かって伸びてくる。どうやらあの寒さの中でも十分元気を残していたようである。
ばたばたと手が動き、シンタローの髪に手が触れると、行き成りそれを引っ張った。
「あてっ」
たいした痛みはなかったのだが、思わずそう呟くと、赤ん坊は一瞬ビックリしたような顔になり、それから、また二、三度引っ張ってくれた。
「ちょ、ちょっとまて。痛いって。なんだよ、てめぇは」
赤ん坊にしては愛想のない顔で、しきりに髪を引っ張る赤ん坊に、その手から髪を取り戻そうとすれば、偶然だろうが、空いていたもう一方の手が、シンタローの顎にヒットした。
「っ! ……てめぇは、マジにパプワか?」
そう疑いたくなるようなタイミングである。赤ん坊の手から、髪を奪い返す隙を失ったシンタローは、それから得心がいったように頷いた。
「ああ、わかった。お前、メシが欲しいんだろ? パプワの奴もメシ時になると凶暴性がアップしてたもんな」
それに目が覚めた後は、必ずメシだ。
そうだと言わんばかりに、赤ん坊は、「あー」と声を出して主張した。
とはいえ、男の自分に当然赤ん坊のメシになる乳など出るはずもない。ミルクを作ってあげるのが、妥当なところだが、ここにそんな設備も道具もなかった。
(どうすっかなあ)
さすがに人間の赤ん坊が捨てられているとは思ってもみなかったものだから、自分も少し動転しているのか、考えがまとまらない。
「いてっ」
考え込んでいれば、再び握られたままの髪が引っ張られる。やはり催促しているとしか思えない行動である。
「はーいはいはい、ちょっとまってなさいって」
しょうがねぇな。
腹をくくるしかなかった。シンタローは、赤ん坊を抱き上げると立ち上がる。ここにいつまでもいても仕方ないからだ。
片手に、赤ん坊が寝ていたダンボールを持ち、そのままネオンに照らされている大通りに近づいた。けれど、まだ通りには出ない。その前にやることがあった。さきほどいたビルの奥よりも、光が差し込む場所まで来ると、シンタローは、段ボール箱の中を探り始めた。
何か、赤ん坊の身元がわかるものはないかと調べるためだ。けれど、それらしき物は、残念ながら見当たらなかった。
中に入っているのは、真っ白な毛布と隅に転がっていたおしゃぶりだけだった。とりあえず、メシを催促するその子をゴマかすために、それを口に押し付け、シンタローは、入っていた毛布で赤ん坊の体にしっかりとくるんだ。
一応冬物の白いベビー服を着ていたが、もちろんそれだけではこの寒さは防げない。しっかりと防寒完備すると、
「よしっ。んじゃ、とりあえずまずは交番だな」
もう少辛抱してくれな。
赤ん坊の体を軽く揺すり、とんとんと背中を優しく叩くと、シンタローは、立ち上がった。
早く腹を満たしてやりたいが、そのまま団につれて帰るわけにはいかないだろ。こういう時は、早めの報告をした方が、親が見つかり易いはずだ。
シンタローは、赤ん坊を抱き、まだ必要になるかもしれないと、ダンボールをもって最寄りの交番に向かった。
氷の刃物を押し当てられたような冷気が背後から、髪をかき上げ、首筋を通っていった。
「っ! さびぃ~」
身体を震わせ、コートの襟を手で握りしめるようにして締め付けると、シンタローは、背後を振り返ってぼやいた。
しんと冬の冷たい空気が辺りに沈殿している。それゆえに少しの風でも、身を切られるぐらいの鋭い冷気を感じてしまう。空を見上げれば、星一つ見せぬ漆黒が重たげに澱んでいた。誰かが、今晩は雪だと言っていたが、その予報は、はずれていないかもしれない。
首筋が寒かった。コートの襟を立てても、僅かな温もりを得られるだけで、風が吹けば、それすらも奪い去られてしまう。
(マフラーが欲しいな)
その寒さに触れた時から、それは思っていたのだけれど、自分の首にはそれが存在していなかった。もちろん、最初はマフラーをして行くつもりだったのだ。だが、出かけに差し出されたそれを、自分が、拒絶してしまったのである。
寒くないからと、突っぱねたわけではない。そんな理由ではなく―――――。
「あいつが、まともなマフラーをくれれば……」
いまさら言っても無駄なのだが、思い返すたびに苛立ちと怒りはこみ上げてくる。
それは、つい半時ばかりの出来ごとだった。
『出かけるなら、このマフラーをしていってね♪』と言って、玄関で差し出されたのは、真っ白なマフラー。初お目見えのそれは、手編みであることは間違いないのだが、差し出された人物の腕が、かなり達者なために、売り物だといわれても納得できる出来栄えである。ならば、それを首に巻いたところでさしたる問題はないように思えた。ただ―――――その白いマフラーに丁寧に入れられていた文字がいかんともし難いものだった。
真っ赤な毛糸によってデカデカと綴られた言葉は『マジック命』。
どこの誰が、そんなマフラーをして出かけられるだろうが。もちろん、首にぐるぐると巻けば見えないようにすることもできるが、うっかり落として、見知らぬ誰かにそれを見られた日には、真冬のドーバー海峡の中を泳いでも足りにないほどの、居たたまれない熱にうなされるだろう。
そんなことは真っ平ごめんである。
結果、そのマフラーをその場で、地に叩き付け、真冬の外出にもかかわらず、マフラーなしで出かけるはめになったのだった。
もっとも、その寒さももうすぐの辛抱だ。
「さてと、何買おうかな」
もう少し歩けば、目当てのデパートにたどり着ける。久しぶりの外出で、少し気分が浮き立っているのか、口元には笑みが作られている。
道行く人達の足は、通りを吹き荒ぶ北風のせいか皆一様に忙しなく、店や街路樹に飾られたイルミネーションの光の中を進んでいた。シンタローも、どちらかと言えば足早に、肩を丸めるようにして歩いている。それでも、通りに面した店から覗けるディスプレーには、目が惹かれていた。
華やかに彩られ飾り立てられた品々と、店の奥から流れる明るい曲は、今の時期特有のもので、目や耳に触れるたびに、小さな子供の頃に戻ったように心をはずませる。
「もう明日がクリスマス・イブだもんな」
今日は、十二月二十三日。クリスマス前夜のさらに前夜である。店が両脇に並ぶこの通りでは、すでにクリスマス一色に染め上がっていた。
「グンマとキンタロー。それから………まだ、寝てるけど、コタローにあげる物は目星をつけているんだけどなぁ」
兄弟や従兄弟に買う予定の品を頭の中でリフレインさせ、シンタローは、よしっ、と小さく頷いた。
ガンマ団総帥がここにいる理由。それは、家族や従兄弟にあげるクリスマスプレゼントを買うためであった。
おかしなことだと思うだろうが、庶民的なシンタローには、それが普通のことだった。クリスマス前、家族のプレゼントを調達するため、一人で出かけ、買いに行くのは、すでに毎年の恒例となっているのである。
もっともガンマ団総帥になってからは、さすがに部下達に止められた。一人で街中に出歩くには、危険だと言うのだ。
確かにそうだろう。
だが、そんなことで、あっさりといつもの習慣をやめるほど聞き分けのいい人間ではない。説得というよりは、単なる我侭を押し通し、シンタローは、こうしていつもどおり一人で出かけてきていた。
それが前日ギリギリになったのは、年末の忙しさのあまり、この日の夜しか、空かなかったせいである。明日になれば、クリスマス・イブ。今年も、お祭り騒ぎ大好き、イベント大好き親父の呼び出しをくらい、一族総出でクリスマスパーティが行われるだろう。その後に、めいめいプレゼント交換がいつもの流れだった。
兄弟や従兄弟のプレゼントはいい。
グンマの奴は、実用性皆無でも、ちょっと変わった―――どこがかは自分には理解できないが―――魅力がいっぱいなキャラクターのくっだらないオモチャをあげれば喜んでくれるだろう。
反対にキンタローは、実用性一点にかかっている。しかも自分の気に入っているメーカーでなければ使わないという融通の聞かない頑固者だが、プレゼントはしやすい。いつもキンタローの傍にいれば、自ずと今年のプレゼントは決まってくる。
コタローには――クリスマス・イブが誕生日だということもあるから、毎年恒例の手作りケーキと、そしていつ起きても大丈夫なように身体にぴったりと合った服をあげている。半分以上、自分の望みが混じってしまっているが、それを着て一緒に出歩けるように願いを込めて服を贈る。
こんな風に、あげるプレゼントは決まっているのに、一人だけ、頭を悩ませる存在がいた。
「あいつのはどうすっかなあ」
毎年のことだけれど、いつも考え込んでしまう。
北風にさらわれた黒髪を押さえるように、後頭部に手をあて、ガリガリとかきむしり、悩む頭を刺激する。自然顔は、しかめっ面に変わっていた。
脳裏にちらつくのは、いつも余裕綽々の笑みを浮かべる元ガンマ団総帥の男であり、シンタローの父親であるマジックの姿。
「親父の奴、気に入らないもんをあげると使わねぇからな」
自分がくれたものだからと、その場では、物凄く喜んでくれるのだが、それがマジックの趣味にあわないものだったりすると、使わずにただ飾っておくだけなのである。
幼い頃は、それに気づかなかったが、ある日そのことに気づいてしまった時のショックはかなり大きかった。
それ以後、シンタローはそんな屈辱を受けないためにも、不本意ながら、マジックに贈る品だけは、かなり吟味するようになったのである。
贈ったからには、使ってもらいたいのは当然の心理だろう。
だが、難しいことに、ただ使えるものを贈ればいいというわけでもなかった。
「マジックが使うもので、こっちの被害にならないものっと……」
それが最重要である。
以前高性能なデジタルカメラを贈った時には、その機能を駆使され、信じられない場所での写真撮影がされていた。知った時には、その場で眼魔砲を放ち、ぶち壊してやったが、風の噂では、さらにその後にでた、それ以上の機能をもつ新機種を自腹で買ったらしい。しかし、また壊されることを用心しているのか、それはまだ見たことなかった。
とにかく、善意で贈ったものでこちらに被害があってはたまったもんではないのである。
そうなると、なかなか品物を決めかねる。
認めたくないが、ガンマ団総帥を退いたあの父親は、今ではすっかり愛息のシンタロー中心に回っているのである。もちろん、以前もそうだったが、あの頃は、自分の他に世界征服という野望もあったために、こちらに目が向けられないこともあった。だが、今は違う。
大人しく隠居爺になっておけばいいのに、下手をすれば四六時中付きまとわれる。
『趣味は?』と問えば、『手芸』。しかも、その趣味で作られるのは、シンちゃん人形と呼ばれる、愛息シンタローそっくりの人形である。もちろんそれ以外にも色々作っているようだが、実態がどうなっているのか、確認したくはない。噂では、かなりの力作が多々あるようだが、自分を模って作られた品など見たくなかった。下手につつけば、手痛いしっぺ返しも食らうし、こういうのは、無視を貫くのが一番である。
とにもかくにも、彼のプレゼントは未定のままだ。
「まあいいや。中に入れば、いいやつも見つかるだろう」
悩むのは、暖房のきいた暖かな場所がいい。こんな寒いところで考えても脳に血が巡りにくく、いい考えも浮ばない。
風になびくコートをさばき、足を進めたシンタローだが、不意にその足を止めた。
「んっ?」
通り過ぎようとしたビルとビルに少しばかり隙間がある。大人一人が入れるぐらいの幅しかないその奥に、周りの暗闇よりもさらに真っ黒な塊が見えた。シンタローは、それに視線を凝らした。四角いシルエットは、ダンボール箱のようだが、口が開かれたそこから、何かが動いているのが見えたのだ。
「猫…か?」
鳴き声は聞こえてこないが、もしかしたら心無い者が捨てた子猫かもしれない。そう思うと、そのまま見なかったふりも出来ずに、シンタローはそれに近寄った。
(捨て猫なら拾って帰ってやろう。そうしたら団員の中で飼ってくれる奴がいるだろうし)
意外に思うかもしれないが、団内では、猫など愛玩動物を飼うものは多い。殺伐とした職場に身を置いているためか、心のよりどころにしている者も数多くいるのだ。
癒しを求めるその行為をシンタローは、否定していない。
だから、ダンボールの中のものが動物だった場合は、拾って持ち帰っても差し障りは無かった。飼い主募集の張り紙をすれば、すぐに見つかるだろう。それに、持ち帰ったのが総帥となれば、無下に扱う者は、名乗りでないはずだった。
「何がいるんだ?」
そう言いつつも猫だと信じきっていたシンタローは、その中を見たとたん、しばし硬直した。
自分の目が信じられず、まじまじとその中を凝視する。
「…………嘘だろ?」
思わず自分自身で問いかけてみるが、誰もそれを否定してくれるものはいないし、肯定してくれるものもいない。
自分で結論を出さなければいけないのだが、結論も何も、その目に映っているのは、紛れのない事実であった。
どこぞの宅急便の会社名が入ったダンボール箱の中、真っ白な毛布に包まれて、そこにいるのは確かに動物で、しかし猫や犬などいうペットになりえるものではなかった。
そこにいたのは―――――。
「なんで、こんなところに赤ん坊が寝てるんだよっ!」
柔らかなホッペに、小さな手。どうみても、人間の形をしたその小さな生き物は、寒風吹き込むビルの谷間の中、スヤスヤと安らかな寝顔を見せていた。
「信じらんねぇ…誰だよ、こんなところに赤ん坊を捨てやがったのは!」
ベビーカーや揺り篭ならともかく―――それでも、こんなところで一人置き去りにされていれば変だが―――段ボール箱に入れられている赤ん坊というのは、どう見ても誰かが故意に捨てたものであろうことを容易に予想がつく。
(冗談じゃねぇ! 誰が、んなところに、赤ん坊を捨ててんだよ)
憤慨しつつ、シンタローは、辺りを見回してみる。だが、それは無駄なことだった。もちろん近辺に人影などなく、それらしい人物を見つけることはできなかった。
この赤ん坊に関することで何か手がかりになりそうなものはないかと、中を覗き込んで見てみるが、夜で視界が悪い上に、ここには常に風が吹いてきている。ぱっと見では、何も見つからなかった。
もしも、手紙が置かれていたとしても、赤ん坊の身体の下などに置かれてなければ、吹き飛ばされていてもおかしくない。
「どうするかなぁ」
顔をくしゃりと曲げて、シンタローは、その前にしゃがみこんだ。赤ん坊は、以前としてぐっすりと眠っている。気温はたぶん零度以下だというのに、たいしたものである。
けれど、そのままにしておくことも出来なかった。
「泣くなよ~?」
そう断りを入れて、シンタローは、そっとその中に手を差し込むと、その赤ん坊を抱き上げた。
「うわぁ」
柔らかな弾力に、冷え切った指先に伝わる温もり、腕にかかる確かな重み。
夢や幻ではなく、現実の感覚だ。
(赤ん坊を抱くなんて久しぶりだな…)
恐る恐るというのがぴったりな感じで、それを自分の胸に寄せた。
懐かしい感覚だった。弟のコタローが生まれた時には、自分が亡くなった母親の代わりに常に抱いてあげていたが、それもかなりの昔のことになってしまった。
それでも、自分の手はまだ、赤ん坊の抱き方というのを覚えてくれていたようで、たいして危なげなく、それは腕の中に納まってくれた。
パチッ。
同時に、赤ん坊の瞳が開く。
「あっ…」
そこにあったのは、髪と同じ漆黒色の瞳だった。
赤ん坊のくせに釣りあがり気味の瞳が、真っ向からシンタローを見上げた。後頭部に置かれた髪は、どちらかというと固めで突っ立っている。
なんとなく、どこかの誰かを彷彿させてくれるような赤ん坊だった。
そう思うと、こんな状況でマイペースに睡眠をとっていた、ふてぶてしいとも言える姿に納得してしまう。
今も、見知らぬ自分が抱いているというのに、泣きもせずに大きな瞳でじっとこちらを見ていた。
(パプワの赤ん坊の頃もこんなんだったのかな)
昔、彼の育て親のカムイに聞いた時は、パプワ島についたとたんその赤ん坊は、アナコンダで縄跳びした、と言っていたが、まさかこの子は、そんなことはしないだろう。
「あーあー」
初めて赤ん坊がしゃべった。それと同時に、小さな手が自分に向かって伸びてくる。どうやらあの寒さの中でも十分元気を残していたようである。
ばたばたと手が動き、シンタローの髪に手が触れると、行き成りそれを引っ張った。
「あてっ」
たいした痛みはなかったのだが、思わずそう呟くと、赤ん坊は一瞬ビックリしたような顔になり、それから、また二、三度引っ張ってくれた。
「ちょ、ちょっとまて。痛いって。なんだよ、てめぇは」
赤ん坊にしては愛想のない顔で、しきりに髪を引っ張る赤ん坊に、その手から髪を取り戻そうとすれば、偶然だろうが、空いていたもう一方の手が、シンタローの顎にヒットした。
「っ! ……てめぇは、マジにパプワか?」
そう疑いたくなるようなタイミングである。赤ん坊の手から、髪を奪い返す隙を失ったシンタローは、それから得心がいったように頷いた。
「ああ、わかった。お前、メシが欲しいんだろ? パプワの奴もメシ時になると凶暴性がアップしてたもんな」
それに目が覚めた後は、必ずメシだ。
そうだと言わんばかりに、赤ん坊は、「あー」と声を出して主張した。
とはいえ、男の自分に当然赤ん坊のメシになる乳など出るはずもない。ミルクを作ってあげるのが、妥当なところだが、ここにそんな設備も道具もなかった。
(どうすっかなあ)
さすがに人間の赤ん坊が捨てられているとは思ってもみなかったものだから、自分も少し動転しているのか、考えがまとまらない。
「いてっ」
考え込んでいれば、再び握られたままの髪が引っ張られる。やはり催促しているとしか思えない行動である。
「はーいはいはい、ちょっとまってなさいって」
しょうがねぇな。
腹をくくるしかなかった。シンタローは、赤ん坊を抱き上げると立ち上がる。ここにいつまでもいても仕方ないからだ。
片手に、赤ん坊が寝ていたダンボールを持ち、そのままネオンに照らされている大通りに近づいた。けれど、まだ通りには出ない。その前にやることがあった。さきほどいたビルの奥よりも、光が差し込む場所まで来ると、シンタローは、段ボール箱の中を探り始めた。
何か、赤ん坊の身元がわかるものはないかと調べるためだ。けれど、それらしき物は、残念ながら見当たらなかった。
中に入っているのは、真っ白な毛布と隅に転がっていたおしゃぶりだけだった。とりあえず、メシを催促するその子をゴマかすために、それを口に押し付け、シンタローは、入っていた毛布で赤ん坊の体にしっかりとくるんだ。
一応冬物の白いベビー服を着ていたが、もちろんそれだけではこの寒さは防げない。しっかりと防寒完備すると、
「よしっ。んじゃ、とりあえずまずは交番だな」
もう少辛抱してくれな。
赤ん坊の体を軽く揺すり、とんとんと背中を優しく叩くと、シンタローは、立ち上がった。
早く腹を満たしてやりたいが、そのまま団につれて帰るわけにはいかないだろ。こういう時は、早めの報告をした方が、親が見つかり易いはずだ。
シンタローは、赤ん坊を抱き、まだ必要になるかもしれないと、ダンボールをもって最寄りの交番に向かった。
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