「くそッ!」
意味無く吐き捨てられる言葉。それだけでは苛立ちが収まらずに、髪に指先を突っ込み、くしゃくしゃに掻き混ぜた。
気分が悪い。むかつきが収まらなかった。
とはいえ、身体の具合が悪いわけではない。これは精神的なものだ。
(だって、アイツがッ!)
その瞬間脳裏に浮かぶのは、つい一時間ほど前に対峙していたマジックの顔だった。しかし、今はその顔など見たくはない。
思い出しただけで、むかつきがさらに増した。
喧嘩をしたのだ。
きっかけは、些細なことだったと思う。どちらが悪かったのかさえ憶えてなかった。気がつけば、お互いに譲れないところまできていて、結局、盛大に怒鳴りあい――眼魔砲もちょっとばかり打ち合って――その後、悪態をつきながら部屋を出てきた。
「あいつが悪いッ!」
そう言い張ることで、自分の中の荒れ狂う感情を収めようとする。けれど、それは上手くはいかなかった。
イライライライラ…。
じっとしていることさえ出来ない苛立ちに、シンタローは落ち着けずうろうろと歩き回る。部屋に戻ろうとしたが、部屋でじっとしていることもできないことはわかっていたから、意味も無くその辺りを歩き回っていた。
「あ、シンちゃん。みーっけ!」
苛立ちを収められずにうろついていたシンタローに、能天気な声が響き渡る。長い廊下をあてどなく歩いていたシンタローだったが、とりあえずその声に応える様に振り返った。
「グンマ……何の用だよ」
不機嫌さは最骨頂のままだから、自然と目付きも鋭く、声も低めの凄むようなもとなっていたが、さすがに長年傍にいた従兄弟――後、兄弟――である。そんなことは気にも止めずに、いつもの調子で話しかけてきた。
「うん。あのね、ちょっと僕と一緒に来てよ♪」
そう言うと、こちらの有無も聞かずにこちらの腕をとり、ぐいぐいと引っ張り出した。
相変わらずマイペースな兄弟である。しかし、シンタローはそれに反発するように力を加え、足を止めた。
「ちょっとまて、グンマ!」
「なぁに?」
きょとんとした顔で、こちらを見上げるグンマに、シンタローはじとりと視線を投げつける。
「どこへ行くんだよ」
それをまだ聞いていなかった。
しかし、グンマはその言葉に、にぱっと嬉しそうな表情を浮かべて言い放った。
「内緒だよv」
三十路が近いくせに、そんなことはちっとも感じさせない無邪気な笑顔。屈託もなく、自然な笑みを簡単に見せれる兄弟が、少しばかり羨ましかった。
あんな風に素直に自分の感情を出せれば、先ほどみたいな喧嘩もせずにすんだだろう。
(って、何考えているんだよ、俺は)
別に、喧嘩をしたことには後悔していない。悪いのはあちらなのだ。自分は全然悪くない……と思う。たぶん。
それなのに、あちらも引かなかったものだから――というか、自分が興奮しすぎて――だんだんとエスカレートしてきて、あんな風な結果になったのだ。
仲直りなどしないままに、部屋を飛び出したのである。
(でも、ぜってーに、俺は謝らないからなッ!)
そんな決意までしてしまう。
しかし、こちらの心中など分かるはずもなく、グンマの方はといえば、再びシンタローの腕を引っ張り出した。
「とにかく一緒に来てよね、シンちゃん!」
連れてこられた先は、ダイニングルームだった。ぐるりと見渡せるほどの広いそれは、けれど青の一族専用の場所で、それ以外の人は立ち入り禁止である。そのために人気は無かったが、そのダイニングルームに一歩足を踏み入れると嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔をくすぐった。
「………カレー?」
その言葉に反応するように、ダイニングルームの奥にあったキッチンから、見たくもないと言い放った顔がひょっこりと現れた。
「あ、シンちゃん! 来てくれたんだね」
お玉片手に、嬉しそうにそういわれた。
「親父……」
数時間前に盛大に喧嘩別れした相手の顔に、シンタローは少しばかりばつが悪げに視線を向けた。相手は真っ直ぐにこちらを見てくれるが、シンタローの方は居心地悪げに視線をそらしてしまう。
それに何を勘違いしたのか、マジックは、しゅんと落ち込んだような、しおらしい表情を浮かべた。
「――ごめんね、シンちゃん。さっきはパパが悪かったよ。許してくれる?」
「許すって…」
あの喧嘩では、どちらが悪いというわけではなかったのだ。それなのに、マジックの方からあっさりと謝られてしまっては、こちらとしてはなす術が無い。
居た堪れなくなって、自分をここまで連れてきたグンマに助けを求めようとしたが、すでにその姿はなかった。どうやらグンマの役目は、自分をここまで連れてくることだったようである。
(くそッ…どうしろっていうんだよ)
そのまま逃げることも出来ずに、立ち往生していれば、マジックがキッチンから出てきた。
「お詫びにシンちゃんが大好きなカレー作ったんだけど、食べてくれるかな?」
「カレー…?」
そう言えば、今ここに立ち込めている匂いは、紛れもなくカレーだった。
「そう。仲直りのカレーだよ」
マジックのその言葉に、シンタローは思わず口元にかすかな笑みを浮かべてしまった。
(仲直りのカレーか――)
それはたぶん、自分と父親にしか分からない言葉だ。
幼い頃は父親にべったりの自分だったが、その父と喧嘩をしたことがないわけではない。大概、自分が癇癪を起こして、父親に喧嘩を吹っかけて、そうして怒ったまま、部屋を飛び出すのも自分だった。だけど、そうしてしまうと後が気まずくて、自分が悪いとわかっていても、父親のところにいけなかったのである。
しかし、そんな時には決まって父親は、カレーを作るのだ。そして――。
「一緒に食べよう、シンちゃん」
そう言って、自分を誘うのである。
今回も同じだった。
お玉を片手に、こちらにそう訊ねる。
じっと様子を伺う姿は、なんとなく飼い主の顔色を伺う大型犬のようで、こちらの行動ひとつで、拗ねて背中を向けたり、喜んでシッポを振ったりしそうである。
「仕方ねぇな。食べてやるよ」
その瞬間、マジックの顔に、パッと笑みが灯った。
「ありがとう! シンちゃんv パパ、シンちゃんのことが大好きだよッ!」
「うわッ!」
やはり大型犬のように大きくシッポを振りながら、その巨体で自分に乗りかかってきそうな父親を、両手で制した。
「親父……」
目の前には、父親特製のカレー。すでに半分ほど減ってしまっていた。やっぱり美味い。もう二十年以上食べ続けているのに、ちっとも飽きさせないのが不思議である。
「ん? なんだい」
顔を向けるあちらの前にも同じようにカレーがあり減っていた。
共に同じテーブルについて、カレーを食べていたのだ。
それでも、仲良く団欒しながら――というわけではなかった。一応仲直りをしたような結果になっていたが、それでもシンタローの中にはまだ気まずい思いがあった。
まだ、言いたい言葉を言ってないせいだ。
そのせいで、気分がもやもやしたままで、胸が苦しくて、折角美味しいはずのカレーも、十分に味わえない。
「その………悪かったな」
ようやく言えた、謝罪の言葉。
「うん。いいよv」
その言葉に、にっこり笑うマジックの笑みは、やはりグンマの父親というべきか、屈託のないもので、こちらは思わず溜息をついてしまう。
分かっていても、やはりちょっとばかり悔しかった。
父親の思惑通りに事が運んでしまったようなものなのだ。
結局元通り。
いつまでたっても、父親には敵わない―――父親手作りのカレーを食べながら、そう実感してしまう、シンタローであった。
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