PAPUWA~道標~
白く輝く月は あなたを照らす
薄いカーテンを通して、柔らかな月の光がベッドに横たわる彼らの姿を照らし出す。
「――」
照明を消した部屋の中、シンタローはゆっくりと息をひそめるように、音を立てる事を恐れるように、静かな動きで身体を起こした。
だが酷使されたベッドは、彼のそんな動きにもスプリングを軋ませて不満げな鳴き声を上げる。
僅かに汗ばんだ素肌の上を、白いシーツが滑り落ちた。
暗い部屋の中で、微かな月光を浴びる彼の肌は白く浮かび上がる。
逞しい腕、しかし不思議と無骨な印象は与えない。しなやかに伸びた身体のあちこちに散った紅い痕は、彼の隣でいまだ夢の縁に沈んでいるマジックに付けられたものだ。
シンタローはちらりと彼に視線を向ける。
日の光の下では眩い輝きを放つ金糸の髪も、今は夜の闇にたゆたっていた。閉じられた目蓋の裏で、あの青い瞳は何を見ているのだろう。
「――……」
シンタローは無意識に口を開いて何か言葉を紡ごうとしたが――それは音になって彼の中から滑り落ちる前に、虚しく宙に消えていった。
無意識に起こしかけた行動でさえも、躊躇いの中に消えていく。
俺はいつからこんなに臆病になったんだろうと、シンタローは自嘲気味に口元を歪ませた。
俯くと、肩にかかっていた髪がさらりと胸に落ちる。
月の光の下で、シンタローの身体を覆う長い黒髪は烏の濡れ羽のような光沢を見せていた。
視界に入るそれは、否が応でも彼に真実を突き付け続ける。
シンタローはきつく目を閉じた。
噛み締めた唇から微かに血が滲んだが、そんな事どうでもよかった。
「…………父さん……ッ」
堪え切れずに零れ落ちた声は、情けないくらいに震えて。みっともなくかすれている。それは情事の名残からではなかった。
いっそ、彼に啼かされたせいであればよかったのに。
そうであれば、こんなにも胸は苦しくはならなかった。
全てをマジックのせいにして、自分は違うんだと言い訳を続けられた。
鏡を見る度に思い出す。
彼の瞳を見る度に思い知らされる。
血の繋がりさえ無かったのだと。
どんなに苦しくても、どんなに窮屈でも、自分は彼の息子で彼は自分の父だからと思えば、全てが許される気がした。
どうしようもない苛立ちと絶望的なまでの無力感に苛まれながら、あんたみたいにはなれないと叫んだあの時も。
泣きたくなるような想いで、それでも必死にマジックを睨みつけていたあの時も。
彼は自分の父親だからと、血の繋がりがあるのだからと、まるで免罪符のように。
それだけの事にすがり付いて、そんな軽い安心感で自分は――マジックに甘えてもいいのだと無意識の内に、自分自身に許していた。
それに気付いたのは、真実を知らされて――繋がりを否定された時だった。
「……馬鹿みてぇ、俺」
くっくっ、と喉をならしてひきつるように笑う。
歪んだ視界の中に映るマジックに身を寄せて、その乾いた頬にそっと掌を押し当てる。
マジックはそれでも目覚めなかった。仮初めの父の顔を見つめるシンタローの頬、睫を震わせて涙が一筋、伝い落ちた。
――歳を取ったな、と思う。
記憶の中のマジックは、いつでも自分を子ども扱いして……そのくせ自分の方が子どもみたいに、シンちゃんシンちゃんと鬱陶しく纏わりついてくる。
いつでも楽しそうに。いつでも幸せそうに……シンタローを慈しんでくれた。
はっとシンタローは短く息を吐き出す。
似合わない皮肉げな笑みを浮かべてマジックから手を離し、自分の髪をかき上げる。
そして、一瞬だけの。触れるだけの、幼い口付けをマジックの唇に落とした。
先刻強く噛み締めたせいで微かに滲んでいた血が、マジックの唇に色を残す。
それに気付いて指先で拭おうとしたが……シンタローは結局、そのままにしておく事にした。
マジックの髪を優しく梳く。
指の間を通り抜けていく金の糸に、シンタローは目を細める。
静かなその時間を刻み込むように。切ない別れの言葉は、口には出さず。
シンタローはベッドから降りた。
床に着いた足から寒気が伝わって、ぶるりと身を震わす。
身体のあちこちに鈍い痛みがあった。だるい腰を軽く拳で叩いて、シンタローはくっと笑う。
愛された証に何が欲しいかと問われれば、今のシンタローなら迷わず痛みと答える。酷ければ酷いほど、醜ければ醜いほど、それはいつまでも消えずに残るだろう。
だがマジックが自分に残した痛みは、あまりにも深くて。
あまりにも綺麗で。
余計残酷じゃねーか、とシンタローはぼやくように呟く。
窓に近づいてカーテンをシャッ……と開ける。
白く輝く月が、静かに彼を見下ろした。
「――……俺は、あんたの跡を継ぐよ。マジック。今日から俺が、ガンマ団総帥だ」
本当はとっくに目覚めていたくせに。
最後まで目を開けずにいてくれたマジックに、シンタローは笑った。
ほんの少しの物哀しさと、自分の足で立つんだという決意を持って。
その笑顔は、泣き笑いのようにも喜びの笑みのようにも見えた。
白く輝く月になって あなたの夜を照らしたい
END
PR