世界最強といわれる戦闘集団ガンマ団。
数年前まで世界を手中に収めんとその勢力を急速に拡大してきたが、突然の世代交代を機にその体質が90度ほど転換し、世界中を驚かせた。世界を屈服しえるほどの力を、当時の総帥はあっさり放棄し、若い世代に未来を譲り渡したのだ。
前総帥の退任直後はいろいろな憶測が飛び交い、団内も周囲もかなりの混乱に陥ったが、今現在はかなり安定した状態になっている。
だが。ガンマ団の脅威が薄れたわけではない。力による『世界最強』の文字は相変わらすであるし、最近は産業界においてもその頭角を表し始めている。IC関連はもとより、農産分野、機械工学、エネルギー事業など、特に医療分野においては世界の最先端を行っているといってもいい。
そのガンマ団総本部内の中央エリアにある一室に。電話の呼出音が鳴り響いた。
ぷるる、ぷるる。ぷるる、ぷるる。
マジックの自室にあるアンティーク調の電話機が、団員からの内戦呼び出しを告げる。
「こんな朝早くから一体誰なんだ?」
お手製の純日本式の朝ご飯を椅子掛けのテーブルで食べ終わり、英字新聞を半分まで目を通した時だった。
電話本体に控えめに取り付けられた小さなディスプレイが、総帥秘書室のナンバーを示している。ついでに時刻は午前8時半をを少し過ぎた頃。
めずらしい、とマジックは思った。秘書室からということは現総帥に関わる事か、もしくは前総帥の自分に関わる事。しかし、昔に関わる事柄はほとんどカタをつけたので、今更自分に組織に関わるなんとやらとかはないだろうと思いながら受話器を取る。
「私だ」
『秘書室です。朝早くから申し訳ごさいません』
若い男の声。総帥の秘書の一人からだった。
「いや。かまわないよ。起きてたし」
長年の習慣と言うものは恐ろしい。隠居はしたが、生活サイクルがまるで変わっていないのだ。現役時代、遅くても朝9時には執務に就いていたせいか、この時間にはしっかり目が覚めてしまっている。
「で、どうしだんだい?」
『はい、あの、その・・・』
?
『・・・シンタロー総帥が、まだお見えにならないんです』
「マジック様!」
総帥の自室前に2.3人の若者が立っていた。皆、『は、速いっ!』と、驚いた顔を見せて慌てて会釈する。
電話の内容は『時間を過ぎても姿を見せない総帥と連絡が取れない』だった。
自室への電話連絡はもちろんのこと、携帯、総本部の監視カメラまでチェックしたが、彼の姿を捉えることが出来なかったらしい。この建物のすべての出入り口もチェックしたがダメだった。
結果、総帥は自室にいるということだが、電話に出ないということは倒れているんではないかとマジックに連絡を入れたのだ。
それからわずか30秒後にマジックは目的地に到着していた。自分の部屋が地上11階で総帥の部屋が10階。彼はエレベーターも使わずにダッシュでここまで来たのだ。しかしそれでも息切れしていないところが恐ろしい。
マジックはとりあえず扉の横にあるベルを押す。ついでにマイクに向かって呼びかける。
「シンちゃん?いるのかな?朝だよ?」
返答なし。
「しかたない」
小さくため息をついて、手にしていたカードキーを扉の暗証番号入力スキャン式のセキュリティに差し込む。
「はいるよ。シンちゃん」
この言葉が声紋パターン確認とキーワード。次に10桁に及ぶ暗証番号を入力し、指紋照合、網膜パターンをスキャンさせる。部屋の主なら指紋照合と網膜パターンのチェックだけだが、それ以外の人物はこんな複雑な手順を踏まなくてはならない。しかしそれすらもほんの少しの人物のみ。
カチリ、と施錠が解除される。
マジックが見た目はウッド調の防護扉を少し開けてから、背後の人物たちに告げる。
「私が中を見てくるから。君達は入ってきちゃダメたよ?まあ、中からカギ掛けるケド」
音もなく開いたドアが、マジックを中に招き入れ、パタリと閉じられた。
部屋のリビングは薄暗かった。照明が動いていない。カーテン越しの薄い光で、ここに誰もいないことを確認する。洗面所も人の気配がない。
まずリビングの明かりを灯し、部屋の中を一つずつ確認しながら意外に冷静な自分に苦笑するマジック。本来なら『シンちゃん、シンちゃん!どうしたんだい!?体がどこかおかしいのかい!!』とここに駆け込んでいるはずなのだ。
「不思議と切羽詰った感じがしないんだよねぇ・・・」
切羽詰った危機を感じない。
この部屋にいるであろう人物に関して、この手の勘が外れたことがないのだ。何かあったにしろ、命に関わるほどの事が起こっているとは思えないのだ。
多分、相当に疲れているのだろう。この部屋の主は。電話の音にすら、反応できないほどに。
そう、マジックは思っていた。
加えてマジックにも過去、このような経験があったから落ちついていられるのかもしれない。ピークに達した疲労が一昼夜にも及ぶ深遠の眠りへと自分を誘い、弟たちを心配させてしまった遠い昔の出来事。
時期も似ている。組織を引き継ぎ、統治が安定し始めた、しかし最もその力量が問われる厳しい時。
ただ、普通『極度の疲労』は十分命に関わる事態だが、つい先日の定期検診が『疲労ぐらいではくだばらない丈夫な体』という、いつもどおりの結果だったと聞いている。ちなみにマジックも似たり寄ったりの検診結果だったりする。
「しかも組織改革なんて荒業しちゃったからきついよねぇ・・・」
朝食を取った形跡のないキッチンを後にして。
最後に残るは寝室のみ。最初からココにいるであろうことは想像がついていたが、念の為と一番最後にしておいた。
コンコン。
「シンちゃん?起きてる?パパだよ」
返事がない。しかし。
「中にいるから、パパ入るよ」
扉の向こうに『人』の気配。馴染み深い、彼の。
静かに扉が開かれる。
そしてこれが、運命の悪戯が見せた、夢の、始まり。
寝室入り口のドアから線状に伸びるリビングの光。厚手地のカーテンから透ける薄い太陽光。広い寝室を照らすには頼りない、わずかな明かり。
マジックは静かに扉を閉めて、部屋の中央に設えたキングサイズのベッドに足を進める。扉を閉めた時点でこの部屋は真っ暗こ限りなく近いのだが、この暗がりの中彼は危なげなく歩いている。新月の闇の中でも不自由しない彼にとって、ここは昼間の屋外に近い感覚なのだろう。
足音を立てないようにベッドに近づいて、布団にもぐりこんだまま微動だにしない息子に優しく囁く。
「シンちゃん?起きてる?」
返事は、ない。しかし。
布団の塊が僅かに動く。どうやら起きていたらしいし、苦しそうな様子もない。
「どうしたんだい?めずらしい。こんな時間まで狸寝入りなんて、初めてじゃないかい?」
そう言いながら布団越しにポンポンと息子を軽くなでる。
その途端に大きな反応。まるで怯えているような。
・・・あれ?
唐突に違和感を憶えるマジック。
・ ・・私のシンちゃんは、こんなに小さかったかな?
今更ながら寝室を明るくしなければとサイドテーブルを見る。水差しにコップ、プラスティックのケース、開きっぱなしのファイルとホールペン。探し物のリモコンが一番ベッドに近い位置に置いてあった。ボタンを押して照明を点ける。最初は暗いが徐々に明るさを増す特殊な照明だが、完全に点けは普通の照明と全く変わらない明るさになる。
完全に明るくなってから改めて布団の塊を見る。・・・丸まっているにしても、一回りほど小さい気がする。いや、実際小さいかも。
「シンちゃん?」
相変わらずだんまりのままで。
仕方がないので・・・実力行使。
マジックが布団をめくりあげようと手を掛けた時、そこから声が上がった。
「いやだっ!開けんな!」
涼やかなバリトンと思いきや、耳に入ってきたのはソプラノに近い柔らかなアルトの声。
マジックの動作が一時停止する。どう聞いても女性の声。それも年若い、20歳代前後の。
マジックが思わず手を離してしまったのを幸いと、その声の主は更にきつく布団を身に寄せる。
その拍子に頭髪のみが掛け布団から顔を出してしまった。
艶のある、長い黒髪。不思議と重い印象を受けない、マジックに馴染み深い黒檀の・・・。
たっぷり10秒は石化していたマジックだが、それでもなんとか復活し、再度その黒髪に視線を移す。そして一つの確信を持って再びマジックが布団に手を伸ばし、抵抗を軽くあしらってその人物をさらけ出す。
「やっ・・・!」
そこに現れたのは消え入りそうなほどの小さな抗議の声と。
自分自身を抱きしめている、艶やかな長い黒髪と黒曜石の瞳を持つ、大輪の花の蕾を連想させる女性。
黒絹の髪が真っ白なシーツに映えていて。やや切れ長の、しかし丸みのある瞳とそれを縁取る長い睫。鼻梁はやわらかく曲線を描いて通っていて。弾力感のある唇はまるでプリンセスローズの花弁の様で。
大き目のパジャマから零れるように晒された手足はやや筋肉がついているが、それでも女性的な丸みをおびていて、健康的な瑞々しさに満ちていた。
まるで開花直前の朝露を纏ったクィーンローズ。
数秒間の沈黙。
耐え切れないように女性が両腕で顔を覆う。パジャマの胸元に二つの、大きすぎない丸みが現れて。
それでも、最初に言葉を発したのは山あり谷ありの豊富な人生経験を持つマジックだった。
「・・・わたしのシンちゃんは、自室に女性を連れこむような趣味はなかったハズなんだけど・・・」
「誰が『わたし』のだっ!それに俺はココにオンナ連れこむことはしねえよっ!」
すぐさま反論が返ってきた。丸く寝転がっていた体を瞬時に起こして上目遣いに睨み付ける、シンタローと言われた女性。・・・その容姿に不釣合いな乱暴な言葉遣い付きで。
「あ、やっぱり私のシンちゃんだ♪」
そう言いながらにっこりと微笑んで、なぜか女性になってしまった息子を抱きしめるマジック。自分を睨み付ける真っ直ぐな視線とその反応が、大切な息子のシンタローにしか見えなかった。どこからどう見ても女性にしか見えなくても、声が全く違っても。
驚いたのはシンタローの方だ。
「おい・・・。アンタ、俺が『シンタロー』だと、何で確信できるんだ?」
いつもなら即効ぶっ飛ばしている状況だが、そのいつもと変わらない父親の腕に安堵を憶えるシンタロー。すがりつきたくなるその温もりに身を任せてしまいそうになる。
昨日とは違う容姿。声。自分でもいまだ認めたくない現実を、なぜこの父親はあっさりと受け入れられるのか?
「だって、シンちゃんはシンちゃんだし。見た目が変わったって、性別が変わったって、大事な息子・・・この場合は娘か。どっちにして大事な子供には変わりないんだし。それに」
「それに?」
「普通じゃないのはお互い様だし♪」
がっくりと肩を落とすシンタロー。
「ふ、フツーじゃねえって・・・。今の俺はともかく自分のことをそう言うか?」
たしかにこの父親はいろんな意味で普通ではない。それは事実だ。長年息子をやっている自分がよく知っているとシンタローは思う。
そしてマジックはあっけらかんと『普通ではない父親』ぶりを発揮する。
「え?だってパパ、男のシンちゃんもいいけど、女の子のシンちゃんもいいなあって思っちゃってるし」
言いながら腕の中に収まったままの息子(?)の額に唇を落とす。
直後、鈍い音が寝室に響き渡る。
「なにすんだ、てめえっ!」
至近距離からのアッパーカットがマジックの顎に炸裂した。女性の(?)力とはいえ、これは痛い。
見事に後頭部と床のランデブーを果たしたマジックは、それでもすぐに復活する。
「痛いよシンちゃん。暴力はいけないよ、暴力は」
「だったら俺が、んなコトせんような行動を取れ!」
「え?パパなんかした?」
誰かこいつをどうにかしてくれとシンタローは心底思った。肩が怒りとあきれで震えている。
「・・・いつも言っていることだが、もういいかげん諦めはいっちまいそうだが、大の大人の息子にいきなりキスなんぞすんなっ!」
「でも今のシンちゃん、女の子だから問題・・・」
「却下。」
冷たくシンタローが言い放つ。おまけに目が据わっている。しかしそれでも可愛いなぁと思ってしまうマジックである。もちろん口にはしないが。(殴られるから)
そして唐突にマジックが小さく笑う。
「なんだよ。その笑いは」
「いや。シンちゃんいつもの調子に戻ったなあって」
ハッとするシンタロー。ひた、と赤くなった顎をさすっている父親を見る。
マジックは自分を見上げる愛しい息子(?)の頭を数回撫でて言う。
「まあ、とりあえず、原因究明といこうか」
やっぱりこの人にはかなわないとシンタローは心の中で降参する。もちろん言葉になんかしてやらないが。
「そうだな」
シンタローが不適に微笑んだ。
数年前まで世界を手中に収めんとその勢力を急速に拡大してきたが、突然の世代交代を機にその体質が90度ほど転換し、世界中を驚かせた。世界を屈服しえるほどの力を、当時の総帥はあっさり放棄し、若い世代に未来を譲り渡したのだ。
前総帥の退任直後はいろいろな憶測が飛び交い、団内も周囲もかなりの混乱に陥ったが、今現在はかなり安定した状態になっている。
だが。ガンマ団の脅威が薄れたわけではない。力による『世界最強』の文字は相変わらすであるし、最近は産業界においてもその頭角を表し始めている。IC関連はもとより、農産分野、機械工学、エネルギー事業など、特に医療分野においては世界の最先端を行っているといってもいい。
そのガンマ団総本部内の中央エリアにある一室に。電話の呼出音が鳴り響いた。
ぷるる、ぷるる。ぷるる、ぷるる。
マジックの自室にあるアンティーク調の電話機が、団員からの内戦呼び出しを告げる。
「こんな朝早くから一体誰なんだ?」
お手製の純日本式の朝ご飯を椅子掛けのテーブルで食べ終わり、英字新聞を半分まで目を通した時だった。
電話本体に控えめに取り付けられた小さなディスプレイが、総帥秘書室のナンバーを示している。ついでに時刻は午前8時半をを少し過ぎた頃。
めずらしい、とマジックは思った。秘書室からということは現総帥に関わる事か、もしくは前総帥の自分に関わる事。しかし、昔に関わる事柄はほとんどカタをつけたので、今更自分に組織に関わるなんとやらとかはないだろうと思いながら受話器を取る。
「私だ」
『秘書室です。朝早くから申し訳ごさいません』
若い男の声。総帥の秘書の一人からだった。
「いや。かまわないよ。起きてたし」
長年の習慣と言うものは恐ろしい。隠居はしたが、生活サイクルがまるで変わっていないのだ。現役時代、遅くても朝9時には執務に就いていたせいか、この時間にはしっかり目が覚めてしまっている。
「で、どうしだんだい?」
『はい、あの、その・・・』
?
『・・・シンタロー総帥が、まだお見えにならないんです』
「マジック様!」
総帥の自室前に2.3人の若者が立っていた。皆、『は、速いっ!』と、驚いた顔を見せて慌てて会釈する。
電話の内容は『時間を過ぎても姿を見せない総帥と連絡が取れない』だった。
自室への電話連絡はもちろんのこと、携帯、総本部の監視カメラまでチェックしたが、彼の姿を捉えることが出来なかったらしい。この建物のすべての出入り口もチェックしたがダメだった。
結果、総帥は自室にいるということだが、電話に出ないということは倒れているんではないかとマジックに連絡を入れたのだ。
それからわずか30秒後にマジックは目的地に到着していた。自分の部屋が地上11階で総帥の部屋が10階。彼はエレベーターも使わずにダッシュでここまで来たのだ。しかしそれでも息切れしていないところが恐ろしい。
マジックはとりあえず扉の横にあるベルを押す。ついでにマイクに向かって呼びかける。
「シンちゃん?いるのかな?朝だよ?」
返答なし。
「しかたない」
小さくため息をついて、手にしていたカードキーを扉の暗証番号入力スキャン式のセキュリティに差し込む。
「はいるよ。シンちゃん」
この言葉が声紋パターン確認とキーワード。次に10桁に及ぶ暗証番号を入力し、指紋照合、網膜パターンをスキャンさせる。部屋の主なら指紋照合と網膜パターンのチェックだけだが、それ以外の人物はこんな複雑な手順を踏まなくてはならない。しかしそれすらもほんの少しの人物のみ。
カチリ、と施錠が解除される。
マジックが見た目はウッド調の防護扉を少し開けてから、背後の人物たちに告げる。
「私が中を見てくるから。君達は入ってきちゃダメたよ?まあ、中からカギ掛けるケド」
音もなく開いたドアが、マジックを中に招き入れ、パタリと閉じられた。
部屋のリビングは薄暗かった。照明が動いていない。カーテン越しの薄い光で、ここに誰もいないことを確認する。洗面所も人の気配がない。
まずリビングの明かりを灯し、部屋の中を一つずつ確認しながら意外に冷静な自分に苦笑するマジック。本来なら『シンちゃん、シンちゃん!どうしたんだい!?体がどこかおかしいのかい!!』とここに駆け込んでいるはずなのだ。
「不思議と切羽詰った感じがしないんだよねぇ・・・」
切羽詰った危機を感じない。
この部屋にいるであろう人物に関して、この手の勘が外れたことがないのだ。何かあったにしろ、命に関わるほどの事が起こっているとは思えないのだ。
多分、相当に疲れているのだろう。この部屋の主は。電話の音にすら、反応できないほどに。
そう、マジックは思っていた。
加えてマジックにも過去、このような経験があったから落ちついていられるのかもしれない。ピークに達した疲労が一昼夜にも及ぶ深遠の眠りへと自分を誘い、弟たちを心配させてしまった遠い昔の出来事。
時期も似ている。組織を引き継ぎ、統治が安定し始めた、しかし最もその力量が問われる厳しい時。
ただ、普通『極度の疲労』は十分命に関わる事態だが、つい先日の定期検診が『疲労ぐらいではくだばらない丈夫な体』という、いつもどおりの結果だったと聞いている。ちなみにマジックも似たり寄ったりの検診結果だったりする。
「しかも組織改革なんて荒業しちゃったからきついよねぇ・・・」
朝食を取った形跡のないキッチンを後にして。
最後に残るは寝室のみ。最初からココにいるであろうことは想像がついていたが、念の為と一番最後にしておいた。
コンコン。
「シンちゃん?起きてる?パパだよ」
返事がない。しかし。
「中にいるから、パパ入るよ」
扉の向こうに『人』の気配。馴染み深い、彼の。
静かに扉が開かれる。
そしてこれが、運命の悪戯が見せた、夢の、始まり。
寝室入り口のドアから線状に伸びるリビングの光。厚手地のカーテンから透ける薄い太陽光。広い寝室を照らすには頼りない、わずかな明かり。
マジックは静かに扉を閉めて、部屋の中央に設えたキングサイズのベッドに足を進める。扉を閉めた時点でこの部屋は真っ暗こ限りなく近いのだが、この暗がりの中彼は危なげなく歩いている。新月の闇の中でも不自由しない彼にとって、ここは昼間の屋外に近い感覚なのだろう。
足音を立てないようにベッドに近づいて、布団にもぐりこんだまま微動だにしない息子に優しく囁く。
「シンちゃん?起きてる?」
返事は、ない。しかし。
布団の塊が僅かに動く。どうやら起きていたらしいし、苦しそうな様子もない。
「どうしたんだい?めずらしい。こんな時間まで狸寝入りなんて、初めてじゃないかい?」
そう言いながら布団越しにポンポンと息子を軽くなでる。
その途端に大きな反応。まるで怯えているような。
・・・あれ?
唐突に違和感を憶えるマジック。
・ ・・私のシンちゃんは、こんなに小さかったかな?
今更ながら寝室を明るくしなければとサイドテーブルを見る。水差しにコップ、プラスティックのケース、開きっぱなしのファイルとホールペン。探し物のリモコンが一番ベッドに近い位置に置いてあった。ボタンを押して照明を点ける。最初は暗いが徐々に明るさを増す特殊な照明だが、完全に点けは普通の照明と全く変わらない明るさになる。
完全に明るくなってから改めて布団の塊を見る。・・・丸まっているにしても、一回りほど小さい気がする。いや、実際小さいかも。
「シンちゃん?」
相変わらずだんまりのままで。
仕方がないので・・・実力行使。
マジックが布団をめくりあげようと手を掛けた時、そこから声が上がった。
「いやだっ!開けんな!」
涼やかなバリトンと思いきや、耳に入ってきたのはソプラノに近い柔らかなアルトの声。
マジックの動作が一時停止する。どう聞いても女性の声。それも年若い、20歳代前後の。
マジックが思わず手を離してしまったのを幸いと、その声の主は更にきつく布団を身に寄せる。
その拍子に頭髪のみが掛け布団から顔を出してしまった。
艶のある、長い黒髪。不思議と重い印象を受けない、マジックに馴染み深い黒檀の・・・。
たっぷり10秒は石化していたマジックだが、それでもなんとか復活し、再度その黒髪に視線を移す。そして一つの確信を持って再びマジックが布団に手を伸ばし、抵抗を軽くあしらってその人物をさらけ出す。
「やっ・・・!」
そこに現れたのは消え入りそうなほどの小さな抗議の声と。
自分自身を抱きしめている、艶やかな長い黒髪と黒曜石の瞳を持つ、大輪の花の蕾を連想させる女性。
黒絹の髪が真っ白なシーツに映えていて。やや切れ長の、しかし丸みのある瞳とそれを縁取る長い睫。鼻梁はやわらかく曲線を描いて通っていて。弾力感のある唇はまるでプリンセスローズの花弁の様で。
大き目のパジャマから零れるように晒された手足はやや筋肉がついているが、それでも女性的な丸みをおびていて、健康的な瑞々しさに満ちていた。
まるで開花直前の朝露を纏ったクィーンローズ。
数秒間の沈黙。
耐え切れないように女性が両腕で顔を覆う。パジャマの胸元に二つの、大きすぎない丸みが現れて。
それでも、最初に言葉を発したのは山あり谷ありの豊富な人生経験を持つマジックだった。
「・・・わたしのシンちゃんは、自室に女性を連れこむような趣味はなかったハズなんだけど・・・」
「誰が『わたし』のだっ!それに俺はココにオンナ連れこむことはしねえよっ!」
すぐさま反論が返ってきた。丸く寝転がっていた体を瞬時に起こして上目遣いに睨み付ける、シンタローと言われた女性。・・・その容姿に不釣合いな乱暴な言葉遣い付きで。
「あ、やっぱり私のシンちゃんだ♪」
そう言いながらにっこりと微笑んで、なぜか女性になってしまった息子を抱きしめるマジック。自分を睨み付ける真っ直ぐな視線とその反応が、大切な息子のシンタローにしか見えなかった。どこからどう見ても女性にしか見えなくても、声が全く違っても。
驚いたのはシンタローの方だ。
「おい・・・。アンタ、俺が『シンタロー』だと、何で確信できるんだ?」
いつもなら即効ぶっ飛ばしている状況だが、そのいつもと変わらない父親の腕に安堵を憶えるシンタロー。すがりつきたくなるその温もりに身を任せてしまいそうになる。
昨日とは違う容姿。声。自分でもいまだ認めたくない現実を、なぜこの父親はあっさりと受け入れられるのか?
「だって、シンちゃんはシンちゃんだし。見た目が変わったって、性別が変わったって、大事な息子・・・この場合は娘か。どっちにして大事な子供には変わりないんだし。それに」
「それに?」
「普通じゃないのはお互い様だし♪」
がっくりと肩を落とすシンタロー。
「ふ、フツーじゃねえって・・・。今の俺はともかく自分のことをそう言うか?」
たしかにこの父親はいろんな意味で普通ではない。それは事実だ。長年息子をやっている自分がよく知っているとシンタローは思う。
そしてマジックはあっけらかんと『普通ではない父親』ぶりを発揮する。
「え?だってパパ、男のシンちゃんもいいけど、女の子のシンちゃんもいいなあって思っちゃってるし」
言いながら腕の中に収まったままの息子(?)の額に唇を落とす。
直後、鈍い音が寝室に響き渡る。
「なにすんだ、てめえっ!」
至近距離からのアッパーカットがマジックの顎に炸裂した。女性の(?)力とはいえ、これは痛い。
見事に後頭部と床のランデブーを果たしたマジックは、それでもすぐに復活する。
「痛いよシンちゃん。暴力はいけないよ、暴力は」
「だったら俺が、んなコトせんような行動を取れ!」
「え?パパなんかした?」
誰かこいつをどうにかしてくれとシンタローは心底思った。肩が怒りとあきれで震えている。
「・・・いつも言っていることだが、もういいかげん諦めはいっちまいそうだが、大の大人の息子にいきなりキスなんぞすんなっ!」
「でも今のシンちゃん、女の子だから問題・・・」
「却下。」
冷たくシンタローが言い放つ。おまけに目が据わっている。しかしそれでも可愛いなぁと思ってしまうマジックである。もちろん口にはしないが。(殴られるから)
そして唐突にマジックが小さく笑う。
「なんだよ。その笑いは」
「いや。シンちゃんいつもの調子に戻ったなあって」
ハッとするシンタロー。ひた、と赤くなった顎をさすっている父親を見る。
マジックは自分を見上げる愛しい息子(?)の頭を数回撫でて言う。
「まあ、とりあえず、原因究明といこうか」
やっぱりこの人にはかなわないとシンタローは心の中で降参する。もちろん言葉になんかしてやらないが。
「そうだな」
シンタローが不適に微笑んだ。
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