お祝い
アオザワシンたろー
「うう~ん、うまく泡立たないよー」
「ハンドミキサーを使うにはコツがいるんだよ。貸してごらん」
「ねぇ父さん。これで本当にお兄ちゃん…シンタロー兄さんは喜んでくれるかな」
生クリームの入ったボウルを手渡しながら、キッチンでコタローが見上げるのはガンマ団元総帥で彼の実の父でもあるマジックだった。
ふたつの碧眼で見上げる少年に、マジックは笑顔で返した。
「もちろんだとも!シンタローはね、ああ見えて美味しいものが大好きなんだから」
一緒にケーキを作ってバースデープレゼントにしようと言い出したのはマジックだ。
コタローにとって、ケーキというのは食べるものであって作るものではない。ましてやシンタローときたらパティシエ並みの腕前なので、その人相手にケーキのプレゼントだなんてちょっと勇気がいるではないか。
『パパと一緒なら絶対大丈夫!』
悔しいけれど、マジックの言い分は一理あった。
クッキングに関しては彼がシンタローの師匠だったから、慣れないコタローの腕を補うには十分だったし、シンタローの口に入るものを作る情熱は傍からみても間違いようがない。
グンマとキンタローが二人でなにやら計画しているので、コタローとしても父とタッグを組むのはやぶさかではなかった。
どんなプレゼントでも、きっとあの兄は喜ぶだろう。
それが手作りだったら、興奮してちょっとスゴイことになってしまうかもしれない。
そう考えると、ケーキ作りは素敵なアイデアだと思った。
今日、どうしてもはずせない会談で外出しているシンタローが戻ってきたら、ケーキを囲んで家族でパーティをするのだ。
「ほら、こうしてミキサーの刃を回すようにするんだよ」
今さっき、コタローが悪戦苦闘していたボウルの中身が、にわかに形を変えてゆく。
まるで魔法のようだ。
「うわぁ、さっきまでミルクみたいだったのに、どんどんクリームになっていくよ!」
「さぁ、そこのバニラエッセンスを数滴入れてくれるかい」
「うん!…バニラ?ブランデーじゃないの?」
香り付けなら洋酒の方が大人っぽい気がする。けれどマジックは、バニラと繰り返した。
嫌いかい?と問われて首を振る。
むしろ大好きだ。
ブラウンの雫は、あっというまにクリームに混ざって見えなくなる。
「いい匂い。美味しそう」
スポンジなら、とうにスライスして冷ましてある。ちょっと硬くなったのは愛嬌で許してもらおうと思う。
「コタロー、ケーキ台に乗せて」
業務用オーブンで焼いたスポンジは、直径が十五インチもある特大円型だ。
パーティの時は四角いケーキを用意するほうが切り分けるときに楽だけれど、丸いほうがシンタローの好みなのだという。
そんな、細かな趣味までいちいち知っていることに少し嫉妬しないでもないけれど。
「さぁ、間にフルーツを挟もう」
クリームを塗った下生地にあらかじめ切り分けたベリー類を並べてゆくのはコタローの仕事だ。
「うーんと載せてもいい?」
「コタローの好きなだけ!」
あれもこれもと選んだフルーツはぎっしりと敷き詰められる。更にクリームを塗ってスポンジを重ねる。
マジックが手際よく整える全体は滑らかで、いささかの凹凸もない。
「うわぁ、上手」
「さぁ、ここからはもっと張り切って」
絞り袋に入れられた、固めに練られたクリーム。口金は星型で、搾り出すと溝が綺麗な線をつくる、デコレートの基本タイプだった。
「うわ!、っとと、うう」
力を入れすぎてクリームが一箇所に固まってとぐろを巻きそうになったり、手を動かすのが早すぎて、ラインが切れてしまったりした。
なかなか頭の中で思い描いたような美しい仕上がりにならない。
「う~…」
「やり直すかい?」
「やり直せるの?」
こうやってね、とマジックがへらのようなものでケーキの表面をさっと撫で付けると、無骨なクリームの塊が切り取られ、再び絞り袋へ戻された。そして歪になった表面を滑らかに整える。
「すごーい」
「ほら、もう一回」
「うん!」
粘土細工だってこんなに難しくないと思う。
コタローは四苦八苦して丸くケーキを縁取ると、イチゴを乗せるためのクリームの土台を搾り出した。結局その台はイチゴに潰されすぎて台なのかクリームの搾り出しミスなのかわからなくなってしまったが、コタローは満足だった。
口金の種類を細口に変えて、中央の広いスペースにメッセージを書いたら完成だ。
「早く帰ってこないかな」
これを見て、ありがとうといってくれる笑顔が見たい。
パーティ会場というのは、マジックの部屋である。
広いということと、続きにキッチンが備え付けられているというのがその理由だ。
コタローとマジックがキッチンで戦っているあいだ、グンマとキンタローは部屋になにやら冷蔵庫のような装置を持ち込み、いくつものコードを繋いでいた。
コタローが部屋へ出てきたときには、室内はSFとファンタジーとミリタリーが混ざったような装飾に彩られ、ライトアップされていた。
グンマの手元にはリモコンがあって、それを操作すると部屋を這うコードが繋ぐ機械同士がいろいろ動くらしい。
「こっちはこっちで、なんともいいようのないプレゼントだね…」
思わず呟いてしまった言葉を、キンタローが拾った。
「いいかコタロー。この発明の真価はパーティではっきりする。この真価は…」
「わかった、わかったってば!楽しみだね!」
コタローは先日の、グンマとキンタローの共同誕生日会を思い出した。シンタローはキンタローに、得意なもので勝負だと言って大量の手料理を振舞った。キンタローはそれに対抗して、得意分野の発明に力を注いだらしい。
彼の誕生日は隔年毎にグンマとシンタローの日程を渡り歩くことになっている。それでいいのかとも思うが、本人が気に入っているのだからしかたがない。
今年のように、シンタローと日程がずれる年は、毎回張り切って発明をするのだとマジックに聞いた。
「いけない、お仕事しなくっちゃ」
コタローはマジックが作る料理の数々を盛り付けたり運んだりという作業に戻るため、キッチンへ戻った。
もうすぐ日も落ちる。
早くしないとシンタローが帰ってきてしまうからだ。
連絡は、同行秘書からだった。
エンジントラブルで軍艦が立ち往生しているという。
修理は可能だか、帰港は深夜になる見込みだというのだ。
「ええ~~~」
イヤだイヤだとごねても仕方がない。
シンタローは帰ってこないのだ。
それでも思わずコタローの頬は膨れた。
せっかくのケーキ、見てもらいたかったのに。
「みんな、おなかがすいたろう?席につきなさい」
「おとーさま」
「プレゼントは明日渡せるだろう。それより、せっかくの料理に手をつけなかったなんて知ったら、それこそシンタローは悲しむよ」
現場で先頭になって修理に取り組んでいるという若総帥の姿が眼に浮かんだ。
「小型機とか積んでなかったの?」
シンタローだけでも、先に帰ってくれればいいのに。
不平をもらすコタローの肩をマジックが慰めるように抱いた。
「お前の兄は、航行不能状態の船に部下だけ残して出てくるような男ではないよ」
帰ってきたいのだ、シンタローだって。
けれど、我慢している。
だから。
「…うん」
少しだけ、我慢して待っていよう。
「じゃあケーキは明日ね?」
「そうだね」
話がまとまると、グンマがワインサーバーのサバ君四号のスイッチを入れた。
バスケットボールほどの大きさのロボットは、器用にワインを抱えてグラスに注いだ。
シンタローはいないけれど、シンタローへの乾杯で、ちょっとリッチなディナーが始まった。
ガンマ団の飛行場は、二十四時間三百六十五日営業中だ。
無論、夜間の飛行は極端に減るけれど、敵が多い団においては常にスクランブルをかけられる態勢は整っている。
シンタローを乗せた飛空艦の帰還を、夜勤部隊が敬礼して出迎えた。
日中と比べると、建物は静かだ。
一歩踏み入れれば防音壁の効果もあって、基地が稼動していることすら忘れてしまいそうな静寂。 本部棟から続く一族専用の居住スペースは、更にしんと静まりかえっていた。
足音を忍ばせる必要は無いのだが、シンタローはつい、踵を気にしながら歩いた。
キンタローとグンマの部屋を過ぎ、奥まったところにあるマジックの部屋へたどり着く。
すると、音もなく扉が開いた。
「…親父…」
扉の内側で、マジックが人差し指を縦にして唇に当てていた。
その手を返し、シンタローを招き入れる。
室内はいつも怪しげなぬいぐるみでいっぱいだが、今日は装置でいっぱいだった。それが間接照明だけに絞られた室内でいっそう怪しさを増している。
「お帰り、シンタロー」
ささやく様に声量を絞った言葉に、シンタローは安堵する。
きっとこちらのことは、マジックはうまくやりおおせてくれたのだろう。
見れば、テーブルには見たことの無いクロスがかけられていて、コーヒーカップが出したままだ。中央には花も飾ってあって、ここで皆が食事をしたことが窺えた。
「悪いな、遅くなった」
「仕方がないよ。そういうこともある。お腹は空いてないかい?」
「平気。艦で摂った」
それを聞くと、マジックはシンタローを手招きして、隣室へ誘導する。
「?」
「静かに、そっとね」
マジックの声は、小さくて内緒話をするかのようだ。
そこは、寝室だった。
あけた扉のふちに立って、中を指し示す。
シンタローが覗けば。
「コ…コタロー?」
マジックのベッドで弟が夢の中だった。思わず父に視線をやれば、弟を思いやってか、黙ったままだ。
それから再びそっと扉を閉めると、今度は居間を挟んで続くキッチンへ脚を運んだ。
スライド式の扉を閉めれば、話し声や明かりが寝室まで届くことはない。
「疲れただろう、座りなさい」
いたわるように、マジックが島テーブルの簡易椅子を勧めた。
シンタローは遠慮なく腰掛けると、入れてくれる紅茶を待った。
「お前が帰ってくるまで待つと言って聞かなくてね。キンタローたちが説得に当たってくれたんだが、逆に説得されてしまって引き上げたよ」
まさかいつまでもソファに寝かせておくわけにもいかないと、ベッドを譲ったのだという。
「そっか、待っててくれたのか…」
シンタローは扉の向こうに見た弟の寝顔に、思わず笑みが零れる。
「仕切りなおして、明日はケーキが待ってるからね。パパ&コタローの最高傑作だよ」
「…へ?」
アンド、コタロー…と言ったのか。
「コタローが作ったのか!」
思わず立ち上がるシンタローに、マジックはもう一度人差し指を立てた。
「あ、とと…」
反射的に口をつぐみ耳をすませたが、眠る子供には影響ないようだった。
「…コタローが…ケーキ…」
眼が自然に冷蔵庫にゆく。
「まだ見ちゃ駄目だよ?」
「わーってるよ」
そういいつつも、冷蔵庫を凝視してしまうシンタローだ。
あの中に、眼の中に入れても痛くない最愛の弟が作ったケーキが入っているのだ!
「パパも一緒に作ったんだけど」
シンタローの考えなどお見通しといわんばかりのタイミングでマジックが主張した。
そういいながら、差し出す薔薇茶。
シンタローはいそいそと、でもたいそう嬉しそうにカップを手にした。
「そっかぁ、コタローがケーキを…」
マジックの言葉が耳に入らないのか、シンタローはうっとりときらめくようなカップの表を眺め、口をつけた。
美味しい。
温かくて、ほっとする。
しかもコタローがケーキを作ってくれたのだ。気分は最高だった。
「まったく、お前というコは…」
マジックは咄嗟に鼻をつまんだ。
わが子ながら、どうしてこういくつになっても可愛いのだろう。
こんなふうに無防備に、にこにこしながらお茶を飲む子が総帥だなんて、世界が知ったら天地がひっくり返るのではないかとさえ思う。
「…んだよ」
マジックが見つめているのに気がついて、シンタローは慌てて口をへの字に曲げた。睨んだつもりだが、逆効果だったようで、マジックが飛びついてきた。
「お誕生日おめでとうシンちゃん!」
「でけぇ声だすな!コタローが起きるッ」
「ああもうどうしてこんなに可愛いんだい」
「抱きつくな、グリグリすんな、零れるだろッ」
小さい声で反論しつつ、シンタローが肘でマジックをけん制する。
「今のシンちゃんを見られただけでも、パパ頑張ったかいがあったよ」
お茶を零さないように、マジックの手がシンタローの手に添えられる。
「お代わりあげるね」
そっとカップをはずしてテーブルに置くと、ポットからまだ湯気のたつ茶を追加した。
あっさりと手をひいたマジックに、シンタローとしてはこれ以上怒鳴りつける理由がなくて、口をつぐんだまま注がれる茶を見つめた。
コタローと、ケーキを作ったというマジック。
その光景を想像すると、どうにも顔がしまりなくなってしまう。
「シンちゃん?」
どんな顔をして作ったのだろう。正しく親子な彼らが二人してキッチンに立つなんて、まるで夢のような光景だ。
しかも、それはシンタローのためなのだ。
嬉しすぎてどうにかなりそうだった。
思わず手で顔を半分隠した。どうしても笑ってしまうのだ。
「…お前が喜んでくれてよかった」
「…」
「誤解するんじゃないよ。コタローと一緒にクッキングしたかったのも本当さ。でも、それをお前が喜んでくれることも、わかっていたからね」
コタローからのプレゼントは、マジックからのプレゼントでもある。
そのダイナマイト級の、けれど単純な仕掛けに、シンタローはぐうの音も出ない。
嬉しくて心臓が踊っているみたいだった。
あまりにも見透かされて、負け惜しみのようにシンタローは睨みつけた。
「…その姿をビデオにとってあんだろうな…ッ」
「もちろんだよ…でも」
「でも?」
「だってパパ、まだシンちゃんにお礼言ってもらってないもん」
「お…礼って…」
見つめる青い瞳は、宝石より美しい。
「ほーら、パパありがとうは?」
美しいくせに、意地悪なのだ。
「な…」
テープはお礼と引き換えだと笑う。
「ううう…」
感謝はしている。礼だって、言うつもりはあった。
けれどこんなふうに迫られると言えなくなってしまうのがシンタローだった。
結果として見事に顔が『カ~ッ』と赤くなった。
「シンちゃん可愛い~~!」
「ぎゃ、だから抱きつくな!グリグリすんな!ちゅーすんなぁ!」
この騒ぎでコタローが眼を覚ましていたかどうかは、また別のお話。
おわるん…。
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