1.ケンカ
真実を押し潰してでも
護りたいものはなんですか――?
「眼魔砲ーーーーッ」
怒声と共に起こる爆発音に、人々は「またか」と思う。
ガンマ団内では既に黙認となっている、前総帥と現総帥の『親子喧嘩』は、現総帥が遠征から帰ってくる度に繰り返されていた。
ただのケンカなら可愛いものだが、世界でも名を馳せるガンマ団のトップと元トップのケンカは一般レベルではない。その度に本部内のあちこちが破壊されてしまうのだから、それの修理に当たる団員達はたまったものではない。
しかしながら、そのトップレベルの争いを止められるものなどいる筈もなく、今日も今日とて破壊された部屋の修理に団員達は涙するのであった。
+++++
「また壊したの?」
あ~あ、と呆れたように室内を見回したのはグンマだった。
すっかりと風通しの良くなった総帥室の真ん中には、怒りを抑えきれないまま仏頂面でソファーに座るシンタローの姿。
「悪ィ」
口ではそう言うものの、責められる筋合いはないと主張するその瞳に、グンマは肩を竦めた。
「この前ティラミスが『予算が…』とか言って青い顔してたよ?」
「う…」
グンマのその言葉に、シンタローの表情が一瞬固まった。
「確かに懲りないおとーさまも悪いけど、シンちゃんだっていい加減パターンなんだから、少しは落ち着いて対処したら?」
初っ端から眼魔砲を撃つんじゃなくてさ――グンマにそう責められて、シンタローは思わず反論した。
「あのなー、俺は必死に働いて疲れて帰って来るんだヨ!それこそもう、くたっくたになってな!!それなのに突然『シンちゃ~~ん♪おっかえりなさ~~いッvvvさぁ!!パパと熱い抱擁を!!』なんて言って飛び掛られたら、冷静な対処もクソもねぇだろ!?身体が勝手に動いちまうんだぜ!?」
悪いのはどう見てもあの馬鹿親父じゃねーかと、主張したシンタローにグンマは「確かにそうなんだけど…」と困った顔をした。
「でもおとーさまのアレってもう治らないじゃない?だったら、やっぱりシンちゃんの方で何とかする方が、団の皆にも団の予算にも優しいんじゃない?」
ね?と可愛らしく小首を傾げられてしまい、シンタローは深々と溜息を付いた。
「…確かにあの馬鹿は死んでも治らねーだろうな…」
否定出来ないことが哀しいが、こればかりは事実である。
どんなにヤメロと言っても聞いてくれたためしがないのだから。
「困ったおとーさまだね」
「お前な…所詮他人事だろう?自分がされたら気色悪ィって思わねーのかよ」
「あははー、じゃあシンちゃんには高松をあげようか?」
「……俺が悪かった」
笑顔でドクターの名を出されて、シンタローの脳裏に浮かんだのは血塗れのその姿。
それと父親とを見比べて――どちらも大差はないと瞬時に悟ったシンタローは、グンマはグンマで大変なのだと素直に認め、謝罪の言葉を口にした。
「ほんとに困った大人達ばっかりだね」
「全くだ」
うんうんと頷きあう二人の間には、必要以上の親近感が湧いていた。
「…いっそのこと本気の喧嘩になっちまえばラクなのにな」
不意にシンタローが、眼魔砲の衝撃でなくなってしまった壁の外を見つめながらそう呟いた。
「シンちゃん?」
急に真面目な顔になったシンタローの顔を、グンマは訝しげに覗き込んだ。
「アイツのふざけた態度の中に本気が隠されてることぐらいは知ってる」
「シンちゃん…」
「だったらふざけたりなんかしねーで、真面目に『お帰り』って言ってくれりゃーそれですむ話じゃねーか。それだったら俺だって何も…」
――眼魔砲なんてぶっ放したりしないんだ――
シンタローの声が何処か悔しそうに聞こえるのは気のせいじゃないだろう。
「おとーさま…シンちゃんのこと好きだから」
シンタローの思いを汲んで、グンマはただそれだけを口にした。
「アイツは――親父の中ではいつまでたっても俺は『シンちゃん』のままなんだろーな」
過剰な愛情表現は恐らくその命が尽き果てるまで続くのであろう。
「シンちゃんはおとーさまのこと、好きなんだね」
「気色悪ィこと言うんじゃねー」
グンマの言葉に隙を入れずにシンタローは返したが、その言葉を否定はしなかった。
「アイツが真面目に俺に向き合うなんざ、そうそうねーからな」
いつだって『本気』と言いながらはぐらかされてばかりいる。
「シンちゃんはおとーさまと喧嘩したいの?」
「したいもなにも――喧嘩になんかなんねーだろ」
「どうして?」
つまらなさそうに返答するシンタローに、グンマはまた首を傾げた。
「親父が俺に本気なんて出すかよ。…どんなに本気にさせようとしたって――アイツはすぐに逃げるんだから…」
「シンちゃん…」
そう言ったシンタローの顔がやけに哀しそうに映って見えて、グンマはまるで自分の事のように胸が痛むのを感じた。
マジックの前ではいつまでたっても子供だと――大人として認められていない歯痒さをシンタローは感じているのだろう。
それはグンマ自身も高松に対して感じている事だった。
「…困った大人達だよね」
「ああ――」
静かに先程と同じ言葉をもう一度呟いたグンマに、シンタローは小さな声で返事をした。
それっきり黙りこんでしまったシンタローに、グンマは声をかけることなく寄り添うように座って――ただ黙って外の景色を見ていた。
あと数時間もすれば、いつもどおりこの部屋を修理する為に団員がやってくるだろう。
そうして元通りになった壁と同じように、シンタローの心にもまた壁が貼られる。
『グンマ様からも何とか言ってもらえませんか?』
先日団員の一人から懇願されて、軽い気持ちで引き受けた事をグンマは後悔していた。
父との遣り取りの後――毎回彼はこんなに辛そうな顔をしていたのだろうか――。
今までその事に気付いていなかった自分に腹が立った。
もっと早くに気付いていたら、いつでもシンタローが帰ってきた時に傍にいるようにしたのにと。
「…ごめんねシンちゃん」
「…なんでお前が謝るんだヨ」
意識するでもなく、勝手に出てしまった謝罪の言葉にシンタローはムッとした表情になった。
「うん、なんとなく」
「なんだよそりゃ」
ふふ、と笑って見せたグンマに、シンタローは呆れた顔をした。
その顔からは、先程見せた哀しげな色を読み取る事は出来なかった。
やがて何人かの足音が近付いてきた。
間違いなく、ボロボロになったこの総帥室を修理する為にやってきた団員達だろう。
「此処にいたら邪魔だな」
あいつらには特別ボーナスでもやらねーと駄目だなと、シンタローが苦笑した。
「そうだね」
立ち上がったシンタローに続いてグンマも立ち上がる。
「さーてと、部屋に戻るか」
総帥室ではない、自分の部屋へ。
「僕は研究室に戻らないと~」
「今度は何作ってんだヨ?」
「へへ~v秘密。出来上がったら一番にシンちゃんに見せてあげるから楽しみにしててね」
「…変なもん作んなよ」
若干引き気味のシンタローに不満げな顔をしながらも、グンマは「じゃあね」と明るく手を振った。
「ああ。…サンキュな」
ほんの少しだけばつの悪そうな顔をしているシンタローに「どういたしまして」と付け加えてから、グンマはシンタローよりも先に総帥室を後にした。
+++++
「ありがとうグンちゃん」
「あれ、おとーさま」
ぱたぱたと通路を歩いていると、何処から現れたのか――父、マジックが立っていた。
「『ありがとう』って何が?」
何となく分かるような気がしたが、あえてそれを聞いてみる。
「聞かなくてもわかってるでしょ」
ネ?と優しく微笑まれて、グンマは渋々頷いた。
「おや、グンちゃんは少しご機嫌ナナメかな?」
おちゃらけた様子で尋ねてくるマジックに、グンマはぷぅと頬を膨らませた。
「シンちゃんのこと、気付いてるんでしょう?おとーさま」
――なのにあんなに哀しそうな顔をさせるなんて。
「おや、グンちゃんはシンちゃんの味方かい?」
淋しいなぁと、ちっともそう思っていない表情の父親に、グンマは聞こえるように溜息を零した。
「おとーさまはシンちゃんのことキライ?」
「まさか!」
グンマの質問に即答するマジック。
「だったらどうして――」
「グンちゃん」
言い募ろうとしたグンマの唇に、マジックが人差し指をそっと当てた。
まるでその続きを言うなと言わんばかりに。
「…おとーさま」
「あのねグンちゃん、それ以上は言ったら駄目だよ。私が本気になってしまうから」
「おとーさま…?」
にっこりと微笑んでいるはずのマジックだが、妙に威圧感を感じてグンマは一歩だけ後ずさった。
「私が『本気』になってしまったら、あの子を傷付けてしまう」
「でもシンちゃんは本気の喧嘩を…ッ」
『したい』と望んでいるのに――。
グンマはそう言いたかったが、何故かそれを言ってはいけない気がして――ギュッと口を引き結んだ。
「そう、それでいいんだよグンちゃん」
そんなグンマにマジックは優しく笑いかける。
その笑顔からは先程の威圧感は感じられない。
「おとーさま…どうして…?」
「パパはシンちゃんが大好きだからね。シンちゃんと喧嘩なんかしてシンちゃんが怪我でもしたら大変だろう?」
グンちゃんだって、シンちゃんが怪我するのは嫌だろう?――そう言われて、グンマは腑に落ちない様子のまま小さく頷いた。
恐らくというか絶対、今のマジックの言葉は本音ではない。
勿論シンタローに傷を付けたくないというのは本音だろうが、軽い言葉のその奥にもっと重要なものが隠されているような気がした。
だがグンマは本能的にこれ以上踏み込んではいけないと、悟った。
「おとーさま…僕、研究の途中だったからもう行くね」
「おや、そうだったかい?ごめんね足を止めちゃって」
にっこりと笑うマジックは普段のままだ。
それでも『何か』が違うとグンマは思った。
「グンちゃん」
立ち去ろうとしたグンマの背に、マジックが声をかけた。
「なぁに、おと-さま?」
くるりと振り返ったグンマに、マジックはもう一度「ありがとう」と告げた。
それは何に対しての「ありがとう」なのか――。
「これからもシンちゃんをよろしくね」
「え?あ、う、うん!」
突然の予想外の言葉に戸惑いながらもグンマは頷いた。
「研究が上手くいったらパパにも見せてネ」
それから――いつもの口調で、思い出したように明るくそう付け加えたマジックに、グンマは肩の力を抜いた。
「勿論見せるから見てね。あ、でも一番はシンちゃんだから!」
「はいはい。お仕事頑張ってね」
「は~~い」
グンマはいつものように明るく笑い返した後、ぱたぱたと音を立てながらその場を後にした。
――だから聞いていなかった。
マジックの小さな呟きを――。
『本気』になるなど容易いこと。
それはギリギリのラインを保ってなんとか踏み止まっているけれど、いつでも踏み越えることは出来るもの。
一度踏み越えてしまったら、押さえが効かない感情。
大切で大切で仕方ないから護りたいと思う心。
愛しくて愛しくて仕方がないから手に入れたいと思う衝動。
二つの心は相反していて、後者の想いはいつでもどす黒い渦を巻きながらマジックの心を支配している。
それを抑えているのは失う事への恐怖。
ただの喧嘩ですむのならどれだけでもしていい。
それがただの喧嘩ですまないから、マジックはひたすら道化を演じる。
本音など言うことなど出来ない。
何故なら――。
「シンタローは私に『父親』を望んでいるから…ね」
誰に聞かせるでもなくそう呟いたマジックの顔が、先程のシンタローの表情と同じであったなどと、知る者は誰もいなかった――…。
END
2006.04.28
2008.08.24サイトUP
真実を押し潰してでも
護りたいものはなんですか――?
「眼魔砲ーーーーッ」
怒声と共に起こる爆発音に、人々は「またか」と思う。
ガンマ団内では既に黙認となっている、前総帥と現総帥の『親子喧嘩』は、現総帥が遠征から帰ってくる度に繰り返されていた。
ただのケンカなら可愛いものだが、世界でも名を馳せるガンマ団のトップと元トップのケンカは一般レベルではない。その度に本部内のあちこちが破壊されてしまうのだから、それの修理に当たる団員達はたまったものではない。
しかしながら、そのトップレベルの争いを止められるものなどいる筈もなく、今日も今日とて破壊された部屋の修理に団員達は涙するのであった。
+++++
「また壊したの?」
あ~あ、と呆れたように室内を見回したのはグンマだった。
すっかりと風通しの良くなった総帥室の真ん中には、怒りを抑えきれないまま仏頂面でソファーに座るシンタローの姿。
「悪ィ」
口ではそう言うものの、責められる筋合いはないと主張するその瞳に、グンマは肩を竦めた。
「この前ティラミスが『予算が…』とか言って青い顔してたよ?」
「う…」
グンマのその言葉に、シンタローの表情が一瞬固まった。
「確かに懲りないおとーさまも悪いけど、シンちゃんだっていい加減パターンなんだから、少しは落ち着いて対処したら?」
初っ端から眼魔砲を撃つんじゃなくてさ――グンマにそう責められて、シンタローは思わず反論した。
「あのなー、俺は必死に働いて疲れて帰って来るんだヨ!それこそもう、くたっくたになってな!!それなのに突然『シンちゃ~~ん♪おっかえりなさ~~いッvvvさぁ!!パパと熱い抱擁を!!』なんて言って飛び掛られたら、冷静な対処もクソもねぇだろ!?身体が勝手に動いちまうんだぜ!?」
悪いのはどう見てもあの馬鹿親父じゃねーかと、主張したシンタローにグンマは「確かにそうなんだけど…」と困った顔をした。
「でもおとーさまのアレってもう治らないじゃない?だったら、やっぱりシンちゃんの方で何とかする方が、団の皆にも団の予算にも優しいんじゃない?」
ね?と可愛らしく小首を傾げられてしまい、シンタローは深々と溜息を付いた。
「…確かにあの馬鹿は死んでも治らねーだろうな…」
否定出来ないことが哀しいが、こればかりは事実である。
どんなにヤメロと言っても聞いてくれたためしがないのだから。
「困ったおとーさまだね」
「お前な…所詮他人事だろう?自分がされたら気色悪ィって思わねーのかよ」
「あははー、じゃあシンちゃんには高松をあげようか?」
「……俺が悪かった」
笑顔でドクターの名を出されて、シンタローの脳裏に浮かんだのは血塗れのその姿。
それと父親とを見比べて――どちらも大差はないと瞬時に悟ったシンタローは、グンマはグンマで大変なのだと素直に認め、謝罪の言葉を口にした。
「ほんとに困った大人達ばっかりだね」
「全くだ」
うんうんと頷きあう二人の間には、必要以上の親近感が湧いていた。
「…いっそのこと本気の喧嘩になっちまえばラクなのにな」
不意にシンタローが、眼魔砲の衝撃でなくなってしまった壁の外を見つめながらそう呟いた。
「シンちゃん?」
急に真面目な顔になったシンタローの顔を、グンマは訝しげに覗き込んだ。
「アイツのふざけた態度の中に本気が隠されてることぐらいは知ってる」
「シンちゃん…」
「だったらふざけたりなんかしねーで、真面目に『お帰り』って言ってくれりゃーそれですむ話じゃねーか。それだったら俺だって何も…」
――眼魔砲なんてぶっ放したりしないんだ――
シンタローの声が何処か悔しそうに聞こえるのは気のせいじゃないだろう。
「おとーさま…シンちゃんのこと好きだから」
シンタローの思いを汲んで、グンマはただそれだけを口にした。
「アイツは――親父の中ではいつまでたっても俺は『シンちゃん』のままなんだろーな」
過剰な愛情表現は恐らくその命が尽き果てるまで続くのであろう。
「シンちゃんはおとーさまのこと、好きなんだね」
「気色悪ィこと言うんじゃねー」
グンマの言葉に隙を入れずにシンタローは返したが、その言葉を否定はしなかった。
「アイツが真面目に俺に向き合うなんざ、そうそうねーからな」
いつだって『本気』と言いながらはぐらかされてばかりいる。
「シンちゃんはおとーさまと喧嘩したいの?」
「したいもなにも――喧嘩になんかなんねーだろ」
「どうして?」
つまらなさそうに返答するシンタローに、グンマはまた首を傾げた。
「親父が俺に本気なんて出すかよ。…どんなに本気にさせようとしたって――アイツはすぐに逃げるんだから…」
「シンちゃん…」
そう言ったシンタローの顔がやけに哀しそうに映って見えて、グンマはまるで自分の事のように胸が痛むのを感じた。
マジックの前ではいつまでたっても子供だと――大人として認められていない歯痒さをシンタローは感じているのだろう。
それはグンマ自身も高松に対して感じている事だった。
「…困った大人達だよね」
「ああ――」
静かに先程と同じ言葉をもう一度呟いたグンマに、シンタローは小さな声で返事をした。
それっきり黙りこんでしまったシンタローに、グンマは声をかけることなく寄り添うように座って――ただ黙って外の景色を見ていた。
あと数時間もすれば、いつもどおりこの部屋を修理する為に団員がやってくるだろう。
そうして元通りになった壁と同じように、シンタローの心にもまた壁が貼られる。
『グンマ様からも何とか言ってもらえませんか?』
先日団員の一人から懇願されて、軽い気持ちで引き受けた事をグンマは後悔していた。
父との遣り取りの後――毎回彼はこんなに辛そうな顔をしていたのだろうか――。
今までその事に気付いていなかった自分に腹が立った。
もっと早くに気付いていたら、いつでもシンタローが帰ってきた時に傍にいるようにしたのにと。
「…ごめんねシンちゃん」
「…なんでお前が謝るんだヨ」
意識するでもなく、勝手に出てしまった謝罪の言葉にシンタローはムッとした表情になった。
「うん、なんとなく」
「なんだよそりゃ」
ふふ、と笑って見せたグンマに、シンタローは呆れた顔をした。
その顔からは、先程見せた哀しげな色を読み取る事は出来なかった。
やがて何人かの足音が近付いてきた。
間違いなく、ボロボロになったこの総帥室を修理する為にやってきた団員達だろう。
「此処にいたら邪魔だな」
あいつらには特別ボーナスでもやらねーと駄目だなと、シンタローが苦笑した。
「そうだね」
立ち上がったシンタローに続いてグンマも立ち上がる。
「さーてと、部屋に戻るか」
総帥室ではない、自分の部屋へ。
「僕は研究室に戻らないと~」
「今度は何作ってんだヨ?」
「へへ~v秘密。出来上がったら一番にシンちゃんに見せてあげるから楽しみにしててね」
「…変なもん作んなよ」
若干引き気味のシンタローに不満げな顔をしながらも、グンマは「じゃあね」と明るく手を振った。
「ああ。…サンキュな」
ほんの少しだけばつの悪そうな顔をしているシンタローに「どういたしまして」と付け加えてから、グンマはシンタローよりも先に総帥室を後にした。
+++++
「ありがとうグンちゃん」
「あれ、おとーさま」
ぱたぱたと通路を歩いていると、何処から現れたのか――父、マジックが立っていた。
「『ありがとう』って何が?」
何となく分かるような気がしたが、あえてそれを聞いてみる。
「聞かなくてもわかってるでしょ」
ネ?と優しく微笑まれて、グンマは渋々頷いた。
「おや、グンちゃんは少しご機嫌ナナメかな?」
おちゃらけた様子で尋ねてくるマジックに、グンマはぷぅと頬を膨らませた。
「シンちゃんのこと、気付いてるんでしょう?おとーさま」
――なのにあんなに哀しそうな顔をさせるなんて。
「おや、グンちゃんはシンちゃんの味方かい?」
淋しいなぁと、ちっともそう思っていない表情の父親に、グンマは聞こえるように溜息を零した。
「おとーさまはシンちゃんのことキライ?」
「まさか!」
グンマの質問に即答するマジック。
「だったらどうして――」
「グンちゃん」
言い募ろうとしたグンマの唇に、マジックが人差し指をそっと当てた。
まるでその続きを言うなと言わんばかりに。
「…おとーさま」
「あのねグンちゃん、それ以上は言ったら駄目だよ。私が本気になってしまうから」
「おとーさま…?」
にっこりと微笑んでいるはずのマジックだが、妙に威圧感を感じてグンマは一歩だけ後ずさった。
「私が『本気』になってしまったら、あの子を傷付けてしまう」
「でもシンちゃんは本気の喧嘩を…ッ」
『したい』と望んでいるのに――。
グンマはそう言いたかったが、何故かそれを言ってはいけない気がして――ギュッと口を引き結んだ。
「そう、それでいいんだよグンちゃん」
そんなグンマにマジックは優しく笑いかける。
その笑顔からは先程の威圧感は感じられない。
「おとーさま…どうして…?」
「パパはシンちゃんが大好きだからね。シンちゃんと喧嘩なんかしてシンちゃんが怪我でもしたら大変だろう?」
グンちゃんだって、シンちゃんが怪我するのは嫌だろう?――そう言われて、グンマは腑に落ちない様子のまま小さく頷いた。
恐らくというか絶対、今のマジックの言葉は本音ではない。
勿論シンタローに傷を付けたくないというのは本音だろうが、軽い言葉のその奥にもっと重要なものが隠されているような気がした。
だがグンマは本能的にこれ以上踏み込んではいけないと、悟った。
「おとーさま…僕、研究の途中だったからもう行くね」
「おや、そうだったかい?ごめんね足を止めちゃって」
にっこりと笑うマジックは普段のままだ。
それでも『何か』が違うとグンマは思った。
「グンちゃん」
立ち去ろうとしたグンマの背に、マジックが声をかけた。
「なぁに、おと-さま?」
くるりと振り返ったグンマに、マジックはもう一度「ありがとう」と告げた。
それは何に対しての「ありがとう」なのか――。
「これからもシンちゃんをよろしくね」
「え?あ、う、うん!」
突然の予想外の言葉に戸惑いながらもグンマは頷いた。
「研究が上手くいったらパパにも見せてネ」
それから――いつもの口調で、思い出したように明るくそう付け加えたマジックに、グンマは肩の力を抜いた。
「勿論見せるから見てね。あ、でも一番はシンちゃんだから!」
「はいはい。お仕事頑張ってね」
「は~~い」
グンマはいつものように明るく笑い返した後、ぱたぱたと音を立てながらその場を後にした。
――だから聞いていなかった。
マジックの小さな呟きを――。
『本気』になるなど容易いこと。
それはギリギリのラインを保ってなんとか踏み止まっているけれど、いつでも踏み越えることは出来るもの。
一度踏み越えてしまったら、押さえが効かない感情。
大切で大切で仕方ないから護りたいと思う心。
愛しくて愛しくて仕方がないから手に入れたいと思う衝動。
二つの心は相反していて、後者の想いはいつでもどす黒い渦を巻きながらマジックの心を支配している。
それを抑えているのは失う事への恐怖。
ただの喧嘩ですむのならどれだけでもしていい。
それがただの喧嘩ですまないから、マジックはひたすら道化を演じる。
本音など言うことなど出来ない。
何故なら――。
「シンタローは私に『父親』を望んでいるから…ね」
誰に聞かせるでもなくそう呟いたマジックの顔が、先程のシンタローの表情と同じであったなどと、知る者は誰もいなかった――…。
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