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カタン…。
 小さな音を立てて襖を少し開く。酷くゆっくりとだ。力が上手くはいらないのである。カタカタと腕が震えている。
 シンタローは、ごくり、と何度目かの生唾を飲んだ。それなのに、口の中はカラカラに乾いている気がする。極度の緊張がそうさせていた。
 十センチほど開いただけで、かなりの時間を経ていた。
 情けなさで涙が出そうである。それでも初めての時以上に、自分が緊張しているのがわかった。
 この間と違う。
 最初に座敷にあがることになったのは、偶然と誤解で生まれた結果だったが、それでも、相手がどんな人なのか、前もって知っていた。それだけで、気持ちは楽だった。
 けれど、今晩の相手は、声も交わしたことのない相手だ。それなりの欲情をもって、この妓楼に訪れ―――興味本位であろうが―――自分が選ばれただけ。
 そんな見ず知らずの人間に、自分は身をまかせねばならないのである。
 もともと遊女などなるつもりなどなかったシンタローである。たった一度の経験だけで、慣れるはずがなかった。
 カタカタン…。
 築何十年の建物は、歪みがあるのか、軽く跳ねるようにしてようやく襖は人が通れるほどに開く。
(あっ…)
 声には出さず、シンタローは、息を呑んだ。
 そこには人がいた。当たり前だ。客はすでに座敷についている。
 部屋の中には中央よりも少しそれた場所に行灯が置かれており、辺りを照らしていたが、男の姿はその傍になく、部屋奥の窓近くに座っていた。
 仄かな明りの中でキラキラと光が零れている。それは男の髪だった。
(金髪…)
 この地では珍しい髪の色に、シンタローは、そっと息を呑んだ。
「んっ? ああ、やっときたか。おせぇぞ」
 こちらの気配に気づいたのか、その金髪の男がこちらを振り返った。同時に真っ青の瞳が、自分を見据える。不思議な青がそこにあった。空の青とも海の青とも違う色。では、何の青なのだと言われれば形容しがたかった。ガラス玉の青に近い気がするけれど、そんな安っぽいものでもない気がした。
 男は、三十そこそこだろうか。よく見れば、整った顔立ちをしているが、その風貌は、優しそうなとは、とうてい言えぬ厳つい、野性味溢れたものだった。
(これが今晩の俺の相手…)
 シンタローは、いまだに、カタカタと震えている手を隠すように、着物の合わせ目を左手で、きつく掴んだ。
「ま、またせたな」
 ようやく声が絞り出せた。
 言葉遣いはぶっきらぼうなものだ。客商売に、これはないだろと自分でも思うが、それで機嫌をそこねるぐらいならば、自分を選んでいないだろう。客は、事前にここの楼主から、聞いているはずだ。自分が何も知らない無知な娼妓であるかことを。
 自分は、他の娼妓のように客接待用の言葉遣い、接客方法などほとんど学んでいない。付け焼刃の知識など、この緊張からでは、出てくるはずがなかった。
「なるほどな」
 相手は、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに納得したように頷いた。やはり、事前にちゃんと自分のことを聞いていたのだ。
 男は、それ以上は何も言わずに、こちらを凝視した。じろじろと品定めをするように見られる。それは嫌悪感を抱くもので、けれど、それも仕方がないことだった。事実自分は品物のようなものなのである。自分は自身の身体を売る娼妓で、これから、あの男に抱かれるのだ。
 男は、軽く手をふって、手招きをした。こっちへ来いという合図だ。
 フルフル揺れる身体で、けれどこくりと縦に大きく首を振ると、シンタローは、前へと身体を進ませようとした。
 しかし、それと同時に気づいた。
(あっ……動かねぇ)
 じわりと冷や汗が額に浮かぶ。情けないことに、シンタローは、震えのために、足を動かすことができなかった。
 前に進もうと気持ちは焦るが、身体は言うことを聞いてはくれない。
「何だ?」
 その様子に気づいたのか、男の方が立ち上がり、近づいてきた。
 何も出来ずに立ち尽くしていれば、手が伸びてくる。逃げることもできずに、その手にあっさりと捕まった。
「震えてんのか?」
 軽く抱きすくめるように、身体が引き寄せられた。
 脈打つ鼓動が先ほどよりもさらに早く大きく打ち、体中に血が駆け巡る。震えはますます激しくなった。
 唇を噛み締めなければ、歯の根もカチカチと音を立てていただろう。
 情けないだのなんだの思う余裕はない。
 今からの起こる行動を想像するだけで、純粋に怖かった。
 この間の客はただ話をするだけで終わった。けれど、今回は――――。
「…………」
 顔をあげて相手を見るが、声がでなかった。自分の仕事は、客接待だ。ちゃんと挨拶をしなければいけないのだと、それからは、主からきつく言われていた。なのに、カラカラに乾いた唇から出るのは、ヒューと声にならない息のみ。
 ふっ、と相手の瞳が和らげられた。その口元がにっと笑みをつくる。
 その行動に、シンタローは、驚いたように目を見張った。こちらを気遣ってくれるとは思ってみなかったからだ。
 いつも世話をしている娼妓達は、客の態度の冷たさと酷さを毎日のように愚痴っていた。
 それを想像していたシンタローにとって、その笑顔は以外だった。
 相手は、宥めるように、シンタローの背中をさすった。
「安心しろ、優しくするからよ」
 その声とともに、すっと顎が救われ、持ち上げられる。
 視線が交じり合う。
 不思議な色合いの青い瞳。けれど、それがすっと細められた。
 それにならうように、シンタローも瞳を閉ざす。
 完璧な闇。
 すぐ傍に感じた気配に、息を呑んだ刹那、唇に何かが触れた。
 柔らかなそれは、震える唇を止めるように優しく落とされる。
 一つ、二つ、三つ……。
 そっと離れては、再び戻って触れていく。
 戯れむように、繰り返される。
 それは、確かに言葉通りの優しさを含んだ口付けだった。
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