瞼を開き、視界に入る白いタイルの天井の意味が分からなかった。
夜ベッドへ入り朝目が覚めるのとはわけが違うのだ。
なぜ、目が覚めたんだろうか。
あの日の続き
全身が酷く重い。左手を上げ、寝惚けた瞼を擦るのすら億劫だ。肌に触れる腕の感触がどこかおかしく、よく見てみれば真白の包帯がよれてしまっていた。
体を起こさず辺りを見回せばそれと同じ白、白。完璧な清潔感が嘘くさく、夢の中にいるようだった。
「失敗して…してもうたんかな」
今こうして生きているということは、つまりそういうことでしかない。命を、しかも自分以外の仲間の命まで賭したあの戦いに負けてしまったのだろう。
「最後にほんのちぃとだけ、また笑た顔がみたいとか思うてしもたからあかんかったんやろか」
自分では声を発しているつもりだが、きちんとそれが音になっているかも怪しい。
喉はからからに渇き、呼吸が痛い。
「そんで失敗してもうたらなんの意味もあらへんのに」
指先に力を篭め、軽く握ってみた。小さな震えが走る。そんなことはお構いなしに手を突き腰を曲げ上体を起こした。ここはどこで、結局どうなって──あの人は、どうなったのだろう。
「は」
吐いた溜息と共に、声が漏れた。それに、ははは、と掠れた笑い声が続き、重い右手で俯いた額を押さえた。
──しもた。ああクソ、人生最大の失敗や。
今度の言葉はもう完全に発されておらず、どこか壊れたように繰り返される笑いに掻き消され、さして広くもない部屋に響くことなく消えた。
両目で見える部屋中の白が眩しい。右目を覆うように伸ばしていた前髪の気配がなく、指先に短く揃えられた毛先が触れる。誰に切られたのだろう、やはり師だろうか? 見ていてうっとおしいだの視界を狭めるなだのと散々言われた記憶をなぞって見て、それを言った〝師〟であったマーカーの表情を思い出してみれば、最後にみた顔と違わないものに思えた。
人の気配を感じぷつりと「は」の連続音が途切れ、再び静寂が辺りを包む。振り向いてみると見覚えの無い白衣の男が──いや、見覚えはあった。その顔でなく服装は、あまり利用することもないガンマ団の医療練にいた──それが、こちらを見て驚愕を浮かべ、慌てて立ち去る。
「……失礼な奴どすな」
ふん、とまた前を見る。閉ざされた白いカーテンが、風になびいて、ふわりと揺れた。
静寂と孤独、白い病室、これだけでは何も理解が出来ない。どうなったのだろう、あの人は。ただそれだけが気がかりで、幾つもの最悪のパターンを頭に描いているうちに、それはばたばたとした足音であろう騒音に掻き消される。
「うわ、ほんとにアラシヤマさ生き返ってっべ」
「じゃけぇ言うたじゃろう。寝とけば治る」
「そげなんはコージくらいだっちゃ」
あの島で、嫌と言うほど聞いた同僚達の声──自爆に巻き込んだはずの、三人の声。あの炎の中心に居た自分が無事なのだから、彼らが無事なのは道理だ。振り向かずともベッドを取り囲まれ、見慣れぬデザインの新しい軍服に身を包んだ三人の誰にともなく、ぽつりと囁く。
「……シンタローはん、は」
「ああ、アイツんことじゃけどものう…」
コージが頬を人差し指で掻きながら、言い難そうにそう零す。
「シンタローはんは生きてはるん? シンタローはんは怪我はしてへん? シンタローはんは」
シンタローはんシンタローはんと連呼しながら、真正面に陣取っていたコージへ詰め寄ろうとすれば、点滴のチューブや何やら分からない機械に繋がったコードと、残りの二人に取り押さえられる。
「おめ、今無茶さしっだら傷が開くべ」
「開口一番それなんだらぁな…」
呆れたような両脇の二人の言葉と、返ってこない答えが苛立ちを煽り、内から上がりそうな炎を何とか鎮める。
「シンタローはんは」
「…俺がどーしたって?」
興奮のせいだろうか、気配に気が付かず、かけられた声に振り返れば、真紅の軍服に下ろした黒い髪の、その人の姿があった。
「いや、連絡しちょーてもなかなか繋がらんかったけぇ、来んの遅うなりそうじゃて説明しちょーところで…」
「あんさん、それ…」
デザインは多少違うが、それはマジック総帥が身を包んでいた軍服と酷似した、団の頂点を指す赤。振り返った姿勢のままのアラシヤマを気遣ってか、隣へとゆっくり歩む。コツコツと、総帥と同じ硬い軍靴の音。
「…ホントにまだ生きてやがったんだな。ま、二回死んだ俺の方がよっぽどなんだけどよ」
言って笑う姿は、あの島で見ていたものと同じ。最後に見たいと思ったその笑顔。手を伸ばせば、やはり医療器具へ拘束されているようなコードに阻まれ、届かなかった。
「俺、団継ぐことにしたから。まだ正式に就任はしてねーんだけどヨ」
膝の上に置き直した、届かなかった手のように、また、届かない。昔から追いかけていたその背中、やっと並べたと思っていた肩、それがまた、一気に遠ざかった。
「シンタローはんが、総帥に?」
「そー。オメーが寝込んでる間に決めたことだ。団全体もそれに向けて動き出してる。」
もう、届かない場所へ行ってしまったのだ。どこかで違えた選択肢のせいで。
昔着ていた青い軍服に無造作に纏めた髪よりも、今の紅い軍服に広がる黒髪の方が、真新しい光景であるはずなのに何故かしっくりくるものがある。彼の決意は固いのだろう。そこに、もう届くことは叶わないほどに。
「だから早く回復しろよ、意識が戻ったんなら」
遠ざかっていた意識が引き戻される。話の前後が繋がらない。
「お前も──四人纏めて一気に昇格だ。俺の周りは信頼できる奴で固めとかなきゃなんねぇからな」
「それ、て」
「僕ら纏めて総帥直属だっちゃよ」
トットリの言葉に、何となく話が見えてきた。だから、今までと違う軍服に身を固めていたのか。
「わては、シンタローはんの直属の部下になるんどすか」
「…いつまで寝惚けてんだよ。そーいうことだそーいうこと」
「届かなくなったわけや、ないんや…」
下ろした視線の先の拳を、ぎゅ、と握り締めた。
「は?」
「せやったら、早ぉ体調整えて、いくらでもあんさんの下に居りますわ」
十分に届く位置に、彼はいるのだ。選択肢は、何一つ違えてはいなかった。
しっかりと、決意する。届くのなら、手を伸ばせばいい。肩を並べるのならば、追いつけばいい。視線を上げシンタローを見て、アラシヤマは薄く笑みを浮かべた。
「ガンマ団ナンバー2の呼び名は伊達やあらしまへんえ。しっかりと、こき使うとくれやす」
夜ベッドへ入り朝目が覚めるのとはわけが違うのだ。
なぜ、目が覚めたんだろうか。
あの日の続き
全身が酷く重い。左手を上げ、寝惚けた瞼を擦るのすら億劫だ。肌に触れる腕の感触がどこかおかしく、よく見てみれば真白の包帯がよれてしまっていた。
体を起こさず辺りを見回せばそれと同じ白、白。完璧な清潔感が嘘くさく、夢の中にいるようだった。
「失敗して…してもうたんかな」
今こうして生きているということは、つまりそういうことでしかない。命を、しかも自分以外の仲間の命まで賭したあの戦いに負けてしまったのだろう。
「最後にほんのちぃとだけ、また笑た顔がみたいとか思うてしもたからあかんかったんやろか」
自分では声を発しているつもりだが、きちんとそれが音になっているかも怪しい。
喉はからからに渇き、呼吸が痛い。
「そんで失敗してもうたらなんの意味もあらへんのに」
指先に力を篭め、軽く握ってみた。小さな震えが走る。そんなことはお構いなしに手を突き腰を曲げ上体を起こした。ここはどこで、結局どうなって──あの人は、どうなったのだろう。
「は」
吐いた溜息と共に、声が漏れた。それに、ははは、と掠れた笑い声が続き、重い右手で俯いた額を押さえた。
──しもた。ああクソ、人生最大の失敗や。
今度の言葉はもう完全に発されておらず、どこか壊れたように繰り返される笑いに掻き消され、さして広くもない部屋に響くことなく消えた。
両目で見える部屋中の白が眩しい。右目を覆うように伸ばしていた前髪の気配がなく、指先に短く揃えられた毛先が触れる。誰に切られたのだろう、やはり師だろうか? 見ていてうっとおしいだの視界を狭めるなだのと散々言われた記憶をなぞって見て、それを言った〝師〟であったマーカーの表情を思い出してみれば、最後にみた顔と違わないものに思えた。
人の気配を感じぷつりと「は」の連続音が途切れ、再び静寂が辺りを包む。振り向いてみると見覚えの無い白衣の男が──いや、見覚えはあった。その顔でなく服装は、あまり利用することもないガンマ団の医療練にいた──それが、こちらを見て驚愕を浮かべ、慌てて立ち去る。
「……失礼な奴どすな」
ふん、とまた前を見る。閉ざされた白いカーテンが、風になびいて、ふわりと揺れた。
静寂と孤独、白い病室、これだけでは何も理解が出来ない。どうなったのだろう、あの人は。ただそれだけが気がかりで、幾つもの最悪のパターンを頭に描いているうちに、それはばたばたとした足音であろう騒音に掻き消される。
「うわ、ほんとにアラシヤマさ生き返ってっべ」
「じゃけぇ言うたじゃろう。寝とけば治る」
「そげなんはコージくらいだっちゃ」
あの島で、嫌と言うほど聞いた同僚達の声──自爆に巻き込んだはずの、三人の声。あの炎の中心に居た自分が無事なのだから、彼らが無事なのは道理だ。振り向かずともベッドを取り囲まれ、見慣れぬデザインの新しい軍服に身を包んだ三人の誰にともなく、ぽつりと囁く。
「……シンタローはん、は」
「ああ、アイツんことじゃけどものう…」
コージが頬を人差し指で掻きながら、言い難そうにそう零す。
「シンタローはんは生きてはるん? シンタローはんは怪我はしてへん? シンタローはんは」
シンタローはんシンタローはんと連呼しながら、真正面に陣取っていたコージへ詰め寄ろうとすれば、点滴のチューブや何やら分からない機械に繋がったコードと、残りの二人に取り押さえられる。
「おめ、今無茶さしっだら傷が開くべ」
「開口一番それなんだらぁな…」
呆れたような両脇の二人の言葉と、返ってこない答えが苛立ちを煽り、内から上がりそうな炎を何とか鎮める。
「シンタローはんは」
「…俺がどーしたって?」
興奮のせいだろうか、気配に気が付かず、かけられた声に振り返れば、真紅の軍服に下ろした黒い髪の、その人の姿があった。
「いや、連絡しちょーてもなかなか繋がらんかったけぇ、来んの遅うなりそうじゃて説明しちょーところで…」
「あんさん、それ…」
デザインは多少違うが、それはマジック総帥が身を包んでいた軍服と酷似した、団の頂点を指す赤。振り返った姿勢のままのアラシヤマを気遣ってか、隣へとゆっくり歩む。コツコツと、総帥と同じ硬い軍靴の音。
「…ホントにまだ生きてやがったんだな。ま、二回死んだ俺の方がよっぽどなんだけどよ」
言って笑う姿は、あの島で見ていたものと同じ。最後に見たいと思ったその笑顔。手を伸ばせば、やはり医療器具へ拘束されているようなコードに阻まれ、届かなかった。
「俺、団継ぐことにしたから。まだ正式に就任はしてねーんだけどヨ」
膝の上に置き直した、届かなかった手のように、また、届かない。昔から追いかけていたその背中、やっと並べたと思っていた肩、それがまた、一気に遠ざかった。
「シンタローはんが、総帥に?」
「そー。オメーが寝込んでる間に決めたことだ。団全体もそれに向けて動き出してる。」
もう、届かない場所へ行ってしまったのだ。どこかで違えた選択肢のせいで。
昔着ていた青い軍服に無造作に纏めた髪よりも、今の紅い軍服に広がる黒髪の方が、真新しい光景であるはずなのに何故かしっくりくるものがある。彼の決意は固いのだろう。そこに、もう届くことは叶わないほどに。
「だから早く回復しろよ、意識が戻ったんなら」
遠ざかっていた意識が引き戻される。話の前後が繋がらない。
「お前も──四人纏めて一気に昇格だ。俺の周りは信頼できる奴で固めとかなきゃなんねぇからな」
「それ、て」
「僕ら纏めて総帥直属だっちゃよ」
トットリの言葉に、何となく話が見えてきた。だから、今までと違う軍服に身を固めていたのか。
「わては、シンタローはんの直属の部下になるんどすか」
「…いつまで寝惚けてんだよ。そーいうことだそーいうこと」
「届かなくなったわけや、ないんや…」
下ろした視線の先の拳を、ぎゅ、と握り締めた。
「は?」
「せやったら、早ぉ体調整えて、いくらでもあんさんの下に居りますわ」
十分に届く位置に、彼はいるのだ。選択肢は、何一つ違えてはいなかった。
しっかりと、決意する。届くのなら、手を伸ばせばいい。肩を並べるのならば、追いつけばいい。視線を上げシンタローを見て、アラシヤマは薄く笑みを浮かべた。
「ガンマ団ナンバー2の呼び名は伊達やあらしまへんえ。しっかりと、こき使うとくれやす」
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