それはとても寒い日でした。
とてもとても寒く、そして今年最後の日でもありました。
朝から雪がちらつき積もり、石畳の通りには、忙しなく道行く人たちの足跡がうっすらと形作っています。
そんな中に、一人の少女――いえ、少年が通りの隅に立っていました。
頭には何もかぶらず、服装といえば、薄いチャイナ服一枚。足には素足にサンダルを履いていました。
こんな冷たく凍えるような日に、少年がそこにいたのは、マッチを売るためでした。
少年は、ズボンのポケットにたくさんのマッチを詰め込んでいました。そのマッチは師匠から渡されたものです。パンパンに詰め込まれたマッチのひと束を少年は、手にとりながら、通りに歩く人達に向かって、差出ながら、言いました。
「マッチを…マッチを買うてくれはりまへんか。マッチはいりまへんか?」
少年――アラシヤマは、何度も何度もその言葉を言いました。なぜなら、ポケットの中にマッチが全部売れないことには、師匠の家に帰れないからです。
朝、アラシヤマはこのマッチを全部売って来いと師匠に命じられたのです。師匠は、怖い人です。あっさりと無慈悲に、弟子へ必殺技をかますような人です。消し炭にされたくないアラシヤマは、しぶしぶながらも師匠の言いつけどおりマッチを売ろうとしました。
「……ああ、ぎょうさん人がいらはりますわ。きっと誰ぞ親切なお方が、このマッチを買うてくだはるやろなぁ」
灰色の重たげな空の彼方を見上げながら、夢見がちに呟くアラシヤマの目の前を、何人もの人たちが、アウト・オブ・眼中で通り過ぎていました。
「はぁ~あ。どなたか、マッチを買うてくだはりまへんかぁ?」
どんより重苦しい雰囲気と、ねっとした視線を向けられた人達は、スッと綺麗に視線をそらし、その場から立ち去っていきました。当たり前ですが、誰も立ち止まって、アラシヤマのマッチを買ってくれる人はいません。
日はどんどん暮れていきました。
寒さはどんどん厳しくなっていきます。
吐く息は白さを増し、道行く人は、早く暖かな我が家に帰りたく、足早に歩いていきます。
道の真ん中で、マッチを売る少年など、誰も見向きはしませんでした。
「ふふっ…やっぱり人なんて、所詮冷たい生き物なんどす。わてには、このあったかな友達……マッチのヤマモトくんらがいてくれはりましたら十分どすえ。なあ、ヤマモトくん、ヤマギシくん、ヤマナカくん、ヤマカワくん、ヤマシタくん……わては、あんさんらがいれば十分どすえ」
道にしゃがみこみ、マッチ一本一本に向かって語りかけていくアラシヤマに、すでに道行く人たちは、一メートル以上の間隔をあけて、通り過ぎていました。
「せやけど、どないしましょ。このままだと、わては師匠のとこに戻れまへんわ」
マッチが売れないことには、お家には帰れません。ですが、その時でした。
「うわッ! そこの奴どけッッ。邪魔―――ああッ!」
勢いよく真正面から走ってきた少年に、思い切りぶつかられました。
「イテテテッ…」
声をあげたのは、衝突してきた方でした。地面にしゃがみこんでいたアラシヤマの方は、背中を少し蹴られたぐらいですみんだのです。ですが、走ってきた 少年の方は、アラシヤマを避けきれず、その背中に思い切り足を引っ掛けてしまい、そのまま前に転びました。石畳にスライディング土下座をするように豪勢にこけてくれたその少年は、痛そうに顔を顰めながら起き上がりました。
「だ、大丈夫でっか?」
アラシヤマは、すぐにその少年に駆け寄ると、自分のせいで転げさせたその少年の前に立ちました。その少年は、自分ぐらいの年齢で同じく真っ黒な 髪をしていました。その膝には、痛々しげな擦り傷がありました
「大丈夫なわけがねぇだろ! なんだってそんなところに座ってるんだよ。俺の道を塞ぐんじゃねぇ」
「はあ…えろうすんまへん」
なにやらとっても偉そうにまくしたてる少年に、アラシヤマは、唖然としつつもぺこりと頭を下げました。それでも、相手の怒りは収まらないのか、腰に両手をあてて、ふんぞり返るような格好でアラシヤマを睨みます。ですが、アラシヤマは、ちっとも怖いとは思えませんでした。
(そない怒られてもあんまし気分悪ぅ思わんのは、その顔のせいやろか)
その少年はとても可愛らしい姿をしていたのです。暖かそうな赤いコートに、ふわふわの真っ白なマフラ ーと手袋をしたその少年に――付け加えるなら、その姿だけをみていると少女かと間違えたぐらいである ――よく似合ってました。だから、頬を真っ赤にしていてもそんなに怖くありませんでした。それに、それも長くは続きませんでした。 アラシヤマが、おとなしく頷いていれば、ふっと心配げに表情を変え、
「ったく、なんでこんなとこにしゃがみこんでるんだよ。腹でも痛いのか? それとも怪我してたとか? 」
と、気遣うような言葉をくれたのです。天然俺様な気質を見せた少年ですが、どうやら優しい一面もあるようでした。
そんな優しい気遣いをされたことのないアラシヤマは、ぽぉとしつつも、相手を心配させないために、すぐに首を横に振りました。
「そんなんやありまへん。わては、このマッチを売っているんどす。せやけど、なかなか売れへんで、こ こにいるんどす。これが売れへんとわては家に帰れないんどすえ」
正直にそのことを話すと、その少年は、思案するようにちょこっとだけ首を横に傾げ、それから手袋を とってポケットの中に手を突っ込みました。
「んじゃ、俺が買ってやる。でも、これぐらいしかお金を持ってないけど……いいか?」
ほんの少し表情を不安げなものにしつつ、そうして差し出したのは、数枚の硬貨である。確かに、マッチ全部の御代には足りないが、けれど、マ ッチを数本買うことは十分できるお金でした。
「まいどおおきに。そなら、これ…」
頂いた金額の分だけ、アラシヤマはマッチを差し上げました。
「ん。サンキュ」
少年は、にっこり笑ってそのマッチを受け取りました。その刹那、アラシヤマの胸に、ポッとマッチの火が灯ったような暖かい気持ちが生まれました。
「それにしても、お前偉いな。こんな寒い中で、働いているなんて。名前、なんていうんだよ。俺は、シ ンタローだ」
その言葉に、アラシヤマの胸はどきどきと高鳴りました。
実を言うと、同年代の子供に触れ合ったことが一度もなかったのです。師匠のもとで、厳しい修行を繰 り返してきたアラシヤマにとって、目の前の少年は、初めて声をかけてくれた子供なのです。
「あ……わ、わての名は、アラシヤマどす」
初めての自己紹介かもしれません。自然と高ぶる感情に、声が少し上ずっていました。けれど、相手はそんなことは気にした風には見えませんでした。
「そっか。よろしくな、アラシヤマ」
そう言うと、シンタロー少年は、右手をアラシヤマに向かって差し出しました。いったいこれは何の手だろう、と思ったアラシヤマでしたが、すぐにこれは、お友達同士の印であることを思い出しました。
(こ、このわてと、シンタローはんがお友達に!?)
その瞬間、カッと胸が熱くなりました。こんな気持ちは初めてです。
ドキドキと胸の高鳴りは最高潮に達しました。
(わ、わての初めてのお友達……いや、心の友どすな)
こんなにも素敵な笑顔をくれる人です。きっと自分とそうなりたいと思っているに違いありません。間違いないのです。
「シンタローはん…」
アラシヤマは、差し出された手にそっと触れました。けれど、その時です。アラシヤマの身体から炎があふれ出したのでした。
「あ゛ッぢ~~ッツ! 何すんだテメッ!!!」
「えっ」
「ヤケドしちまったじゃねーかッ。この変態野郎!!」
「あっ」
慌ててシンタローは手を離し、そして先ほどとは打って変わって、厳しい顔つきでギッとアラシヤマを睨んできました。
「てめぇ、こっちが優しくしてやれば、ふざけたことしやがって!」
ちょうどその時でした。道の向こう側から「シンちゃ~ん! パパだよ」という声が聞こえてきました 。その声に、シンタローは、こちらを見ずに走って行ってしまいました。
後には、ぽつんとアラシヤマが一人、冷たい雪の中に取り残されていました。
足元には、先ほどシンタローに売ったマッチが、やけどの衝撃で手放され、落ちていました。けれど、拾ってももう使えません。自分の炎で全て燃えきってしまっていました。生まれたばかりの暖かな光は、このマッチのようにすぐに消えてしまっていました。
「う…うう……と…友達や思うたのにィ~~~~~」
ですが、その友達と思った人は、自分に酷い言葉を投げつけ、別の男(パパですから)の元へ行ってしまったのです。
「わてをだましたんどすなぁ~~。恨んでやるぅシンタロー~~!!!」
その高ぶる感情により、アラシヤマの身体は再び燃え上がり、近所に通報された消防車に鎮火させられるまで燃え続けていました。
そうして、売り物のマッチはどうなったかといえば、ご想像通り、すっかり燃え尽きていたのでした。
その後。
「はぁ~あ。やっぱり岩牢の中は落ち着きますわ。なぁ、光苔のトガワくん」
帰ってきたアラシヤマは、師匠より消し炭を免れ、代わりに牢屋入りを命じられると、そこで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
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