穏やかな午後の―ひととき。
「たいくつだ」
大あくびの後にもらしたその言葉に、部屋の主は、軽く額を押さえながら振り返った。先ほどからその声は何度も聞こえてきていた。一応無視していたのだが、何度も何度も繰り返されれば、振り返らずにはいられない。
ピンと張られた背筋を折り曲げ、腰を捻るようにして後ろをみれば、そこには、怠惰な姿で転がっている声の主がいた。思わず視線を遠くへ翳すように目が細くなってしまう。現実逃避がわずかにあった。
「そないいうなら、他のところへ行った方がええと違いまっか? 総帥。わてはお相手できまへん、言うとりましたやろ?」
そう言うアラシヤマの手には、ペンが握られているし、利き手と反対の手は、まだ書きかけの書類の上にある。
完璧に仕事中であった。
ただ、普段と違うのは、ここがガンマ団本部ないある自分のデスクではなく、アラシヤマ自身の自室であるという点だろう。だが、それさえ覗けば、仕事の最中であることは間違いなかった。
和に統一されたアラシヤマの部屋の床は、当然畳敷きだった。そこへ、総帥服を着用したままのシンタローが、服が皺になるのも関わらず、無造作に転がっている。幹部連中あたりなら驚きもしないだろうが、これが一般団員ならば、羨望の眼差しと溜息が送られるのは、間違いなしの状況である。
東側に置かれている文机にて、正座をし、書類作成をしていたアラシヤマとしては、いまだに彼が何しにここへ来たのかがわからなかった。
たぶん、本当に単なる暇つぶしで、息抜きなのだと思うのだが、生憎こちらは仕事中である。とりあえず、今かかりきりになっているものをとっとと仕上げなければ、彼の話し相手にもなれなかった。
もっとも、彼が自分を話し相手として認めてくれるかは疑問ではあるが。
哀しいことだが、長年彼の傍にいれば、そういうことに関して必要とされているかされていないかは、わかってくるものなのである。
「他ってどこだよ。キンタローはグンマとともに学会でいねぇし。ミヤギ、トットリ、コージは、外勤だ。ここに残っているのは、お前ぐらいなもんなんだよ」
「そうでしたなぁ…」
つまらなそうに、それでもきっぱりと言われたその言葉に、アラシヤマはわずかに肩を落とした。
確か自分と彼とは恋人同士だったはずである。
それも一年は確実に立っている間柄にもかかわらず、自分に対する接し方は、昔とちっとも変わらない気がする。
いつもの照れ隠しだと言うのは、さすがに何年も傍にいればわかってくるのだが、やはりそういわれてしまえば少し切ない気分を味わってしまうのである。
「いいから、とっとと仕事をしろよ」
「へえ」
畳の上に膝を立て横たわった姿での横柄な態度、どちらが部屋の主かわからない。
最初に『たいくつだ』と喚いて、こちらの邪魔をしたのはあちらの方だが、もちろんそんなことを口に出していうほど、命知らずではなかった。
そうして、時間は確実に過ぎていく。
それ以後口を開くことなく、畳の上でごろごろしてくれていた方がいた御かげで、仕事もあっさりと終わりとなった。
「はぁ、やれやれ。終わったですわ」
握りすぎて筋張ってきそうだった手をペンから解放する。ぺンはそのまま文机の上を転がっていった。
脳みそ筋肉のコージや顔だけ阿呆のミヤギなどよりは、こういう手合いの仕事をこなすことを苦にすることはないが、それでも慣れないことに肩がこった。コキコキっと左右交互に肩を持ち上げ、凝りを解すように腕を回したりしてみれば、むくっと寝ていた相手が起き上がった。
「仕事、それで終わったか?」
「終わりましたえ」
今度は、相手に笑みを見せられる。全ての仕事が終わったわけではなく、まだ他にもやることはあったが、けれど急ぎの書類はこれで終わりだ。シンタローの話相手ぐらいをする時間はできた。
それならば、まずはお茶でも入れてこようかと、立ち上がりかければ、それを制する様に、シンタローが言葉を発した。
「よし、んじゃ―――ここに、寝ろ」
「……………はっ?」
その光景に、アラシヤマは目を丸くした。
ぽんぽんと叩いて指し示す場所――それは、シンタローの……膝の上であった。
畳の上に、斜めに傾くように座り込んだシンタローは、その太ももの上を叩いている。それを間近で見たアラシヤマは、その場で硬直するしかなかった。
「なんだよ、イヤなのかよ」
「そ、そないなこと……」
あるわけがない。
むしろ、嬉しすぎて二の句が告げないほどである。もしやこれは夢幻だろうか、と頬をつねりたい気分でもあった。
もちろんこれが現実であることは、しっかりと分かっていた。第一、叩いている本人の顔が――かなり真っ赤なのである。少し俯き加減のまま、先ほどからこちらと視線はまったくあわせてくれない。自分がなかなか動かないことに、不機嫌そうな雰囲気は伝わってくるが、多分に羞恥のせいもあるだろう。
恥かしいのならば、そんなことをしなければいいのに、と思ってしまうのだが……たぶん、これは――。
(わてが睡眠不足やてわかっとったみたいどすなぁ)
自分のために違いなかった。
最近ずっと内勤であったが、面倒なことに士官学校生の講師なども引き受けたために、色々と細かいことまでやることが増え、睡眠時間を削っていた。戦闘中なら、睡眠の不足は任務に支障をきたすために、きちんととることが義務付けられているが、内勤ならば、多少の不足は、こちらの気力しだいでどうにかなる。そう思っていれば、ついつい睡眠は不足しがちになっていた。
きっとそれを知っていたのだろう。だから、唐突すぎるものの、こんなことを言い出したのだ。
(それなら、素直に『寝ろ』といってくだはればええのに)
そう言えないのが、彼というべきか。あまりにも愛しすぎる行動である。いっそ、そのまま「愛してますえ、シンタローはんVvv」と抱きつきたいところなのだが、おそらくそれをやれば、眼魔砲を間違いなく食らわされるに違いなかった。
ここは、彼の言うとおりにするべきだろう。
確かにこれは美味しいシチュエーションだった。
だが、アラシヤマには、それを手放しで喜べなかった。このまま自分が寝てしまえば、確実にあることが起きる。それを懸念したのだが、ふっと目の前が暗くなった。
目隠しをされたのだ。彼の手が、自分の眼に覆いかぶさった。
「いいから、寝ろよ…」
ぐいっっと額を下へと押されれば、それにつられるようにして身体が傾けられる。けれど、畳の固い感触よりも先に、弾力性のあるものに後頭部が触れた。
それは、たぶんシンタローの膝。
「そうどすな」
ここまでされれば、もう抵抗は無駄である。その後のことは、その時に考えればいい。
アラシヤマは、全てを委ねるように目を閉じた。
それから数時間後。
「っ…あっ……くっ……アラシヤマ。も、もう…やめぇ…手…放せ…」
「けど、シンタローはんこれがええんでっせ」
自分の下でシンタローは、身体を捩らせ身悶えしている。けれど、アラシヤマはその手を休めることはしなかった。その言葉に反発するように、さらに手の力を込める。とたんに、大きく背をそるようにして、シンタローが跳ねた。
「あっ…う、動くな…そんなに力を込めたら……やぁあッ…」
「気持ちええでっしゃろ?」
そう言って、ニィと笑みを浮かべたとたん、シンタローの拳が顔めがけて飛んできた。
「なわけあるかぁぁああ!! ―――――足ッ! 足に触るなッッ!」
それでも中途半端な姿勢のおかげで、向かってきた拳はなんなくよけられたアラシヤマは、自分に膝枕をしたせいで、すっかり痺れてしまった両足を、むんずと掴んで見せた。
とたんに「ぎゃぁあ!」と悲鳴があがる。
心配したとおりだ。
(あんなふうに眠られたら、足が痺れるのは当たり前でっしゃろうに)
アラシヤマは、完全に血の気を失い痺れたシンタローの足のマッサージを再び開始する。
「くっそぉ~~…あとで覚えてやがれ」
恨みがましげにもらされる言葉。自業自得というべきか…。
―――――せやけど、痺れたら足を揉むのが効果的なんどすえ?
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