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m5

 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 



マジックという男を一言で表すなら、“風林火山”。


 


 


入学式当日の朝、ウキウキと背広にブラシをかけている彼を横目に見ながらパンを齧る。


もう三度目のことだから、どんなに小さな埃だって付いていないだろうにしつこくかけ続けているのには訳がある。


アピールだ。


絶対に行くからね、という、アピール。


高校の入学式だから親が出席するのは珍しいことではないけれど、彼を父親と言って紹介するのはかなりの勇気を要することで、まだまだ不慣れなシンタローにとっては出来れば容赦して欲しいところだった。


けれど、来るな、とも言えない。


言えるはずがない。


だからここ数日無言で“来るのか”と視線を送っていたのだが、気づいた途端にあらゆるパフォーマンスが始まったのである。


靴を磨く。


スーツを選ぶ。


ネクタイかスカーフかで一日中悩む。


デジタルカメラとビデオカメラを購入する。


数台ある車のうち、どれを使うか相談してくる。


役員に立候補すべきかと、あれこれ調べ始める。


式のあとに寄り込むレストランをどこにするかで頭痛を起こす。


すべてに対し冷たい目で見てくるシンタローに涙目で返す。


よくもまあ、次から次へ思いつくものだと感心しつつ、あんまり浮かれているから釘を刺すことも躊躇われそのままにしてきたけれど、出発を目前にやはり一言だけでも言い聞かせておかなければならないと溜め息を吐いたシンタローは、あからさまに肩の跳ねたマジックの背後に立ちはだかると厳かに口を開いた。


 「言っておくけどな」


 「………」


 「こら、返事をしろ」


 「…パパ、一緒に行くからね」


 「それは分かった。もういい。来るなとは言わない」


 「ホントッ?」


何事か言われると身構えていたマジックが勢いよく振り向く。


パアッ、と輝く顔。


ああ、この人は自分よりずっと子供なんだ。だからこちらが大人になって、社会や人の道を説いてやらなければならない。それが自分の務めなのだ。


そう思わなければ彼と生活していくことは出来ないと、早々に気づいたシンタローは最近、声を上げて叱ることは極力控えるようにした。


本当に、どちらが大人なのか分からない。


 「一緒に来るのは構わないし、一緒に帰るのも構わない。でもな、式の間は離れて座るんだし、呼んだって返事なんか出来ないんだからな」


 「分かってるよ。おとなしくしてる。それに私だってシンちゃんの晴れ姿を撮影するのに忙しいからね、ほかのことを考えている余裕はないよ」


 「…その行動自体が注意されてるんだってことになぜ気付かない」


デジカメとビデオを手に入れてから、練習だの試し撮りだのと言いつつシンタローのあとをついて周り、既にアルバムだけでも五冊目に突入しているのだ。しかも、黙って撮影するならともかく『笑って』だの『手を振って』だのいちいち注文を付け、エスカレートしてくるとポーズ指導まで始めるのだから始末に終えない。


この勢いならば式の間にも駆けつけてくることは十分考えられる。


三年間がその一瞬で決まる大切な入学式に、ただでさえ目立つであろう自分が失態を犯すことなど許されないのだ。


 「あんたはいるだけで目立つんだからな。一度座ったら、次に席を立っていいのは式が終わったときだけだ」


 「ええっ!ダメだよ、シンちゃんの“新入生代表挨拶”は、なにがなんでも近くで撮影するんだから!」


 「バカみたいにズームが効くカメラなんだから、座ったままで十分撮れる。つーか、そんなビデオいらないっての」


 「シンちゃんが要らなくてもパパはいる」


 「ビデオなんて録画したら満足して、あとで見ないもんだろ」


 「見るよ。パパは穴の開くほど見るねっ」


鼻息荒く宣言されても困る。


この、手のかかる大人を納得させるだけの言葉を持ち合わせない自分がもどかしいが、こうなったら泣き落とすしかなさそうだ。


部活動に参加するつもりはないけれど、もしどこかに入るなら演劇部だな。真剣にそう思いながら全身の力を抜く。頼りなさげに見える表情を作り、マジックを見上げる。


 「学校って、大人が思うほど楽しいものじゃないよ」


 「え、」


 「俺、家庭の事情とかさ、色々あったから…いままで友達も殆どいなかったし、学校自体、好きじゃなかった」


寂しそうに言うと、ブラシを放り出したマジックはあっという間にシンタローを抱き締める。髪を撫でる。


 「人と違うことをしたり、目立つことをしたり、わざとやるやつもいるけど俺の場合はそうじゃない。珍しいって、面白がられるうちはまだいいけどそのうち浮いて、馬鹿にされて…好きでそうなった訳じゃないのに。俺だって普通の子供でいたいのに…」


 「シンちゃんは普通の子だよ。そして、とても幸せな子になるんだ」


たくさんのキスが降ってくる。


 「どんなことでも目を付けられるのはいやだ。入学式で挨拶するのだって、本当は嫌なのに」


 「どうして?主席入学だよ?名誉なことでしょ」


首を振る。


 「一番は嬉しかった。でも、それを知ってるのは…パパだけで、いい」


 


シンタローは伝家の宝刀を抜いた。


 


 「し、し、し、シンちゃ、」


マジックの体が小刻みに震える。ああ、まだ着替えないでいてよかったと心底安堵する。


 「シンちゃあぁぁぁぁぁぁぁんっ」


ぐわばーっ、と、音がするほどの勢いで抱き締められ目の前がチカチカする。一瞬で酸欠状態になったようなものだ。


 「パパはっパパはシンちゃんが大好きだよ!いつだってシンタローの一番でいるよ!なにもかも私だけが分かってる。シンちゃんのことは私だけが分かってあげられるんだよぉ~!」


 「パ、パ…くるし、」


 「ああっごめんねっ」


背中に回した拳でドンドンと叩くと、まだまだ華奢な体が悲鳴を上げていることに漸く気付いたらしい。慌てて力を緩め、いつものように抱き上げた。


身長差を思えば仕方ないが、この姿勢に慣れるのは非常に難しい。恥ずかしいし、子供扱いされるのはやっぱりかなり、腹が立つ。


それでも黙っているのは抵抗が虚しいことだと知っているからで、余計な体力を使い神経を磨り減らせるより、誰も見ていないのだからと自分を慰めた方が早いしマシだ。


これさえなければいいのに。


いや、これと、あれと、それと…自分に対する執着が、もう少し軽ければ完璧なのに。


こっそりと溜め息を吐くシンタローは気付いていない。


“完璧”と言い切ってしまえる信頼に。彼からマジックに与える執着の強さに。


新米パパと新米息子では仕方のないことだろうが、第三者がこの状況を見れば確実に呟くであろう言葉がある。


 『ごちそうさま』


 


すっかり上機嫌になったマジックはシンタローを抱き上げたままソファに移動し、向かい合うように膝の上に座らせた。


 「じゃあこうしよう。パパは父母席の一番前に座ってビデオを撮る。だからシンちゃん、壇上に上がって挨拶をするとき、ちゃんとカメラに視線を合わせてね」


 「…えー」


 「一度でいいから。ね?」


 「どこに座ってるか、…や、いい。分かった」


新入生とその家族と。全員が着席した中でただ一人を見つけることは困難なはずだが、相手がこのマジックであればそのような心配は無用だ。座っていても頭一つ抜き出るだろうし、なにより漂うオーラが只者ではない。


 「じゃあちゃんと見るから。だから大人しくしててくれ」


 「約束する?」


 「いい」


遠慮する。


以前、半年も先に公開予定だと告知している映画のポスターを見たとき、ぜひ一緒に行こうと言ったシンタローに“じゃあ約束”と返してきたからてっきり指きりだと思ったのに、正面から唇にチュッと可愛らしい音を立ててキスをされひっくり返るほど動転したのだ。


ファーストキスだったのに。


シンタローにとって記念すべき、人生初の、キスなのに。


三日ほどは本気で落ち込んだ彼の気持ちを理解することもなく、『シンちゃんと映画』と半年も先の約束をウキウキと語るマジックを呪ったとしても罪はあるまい。


以来、何事かの約束を交わすときには口頭のみ、または先に指を差し出すことにしているシンタローであった。


 「ああ、でも今日から高校生なんだね」


 「分かってるなら、こういう風にひょいひょい抱えるなよ」


 「それは無理。だって可愛いから」


 「世間一般では、高校生にもなった息子とは会話すらないのが当たり前なんだぞ」


 「シンちゃんと口を利かずに過ごすなんて考えられないね。こんなに大事なのに。こんなに好きなのに。いやだよ、私はずっと、ずーっとシンタローのこと抱っこするしキスも贈るよ。なんだってしてあげたいし、実際するから。私にして欲しいことがあるなら、それがどんなことでも言って。願う前に伝えて」


 「また…そういうこと…」


言い返したい。


よくもまあそんなことを真顔で言い募れるものだと呆れてやりたい。けれどマジックの蒼い目が、その言葉に嘘のないことを証明しているようでなにも言えなくなる。


胸が熱くて、苦しくなって、泣きたくなって。


 「本当の…息子でもないのに」


 「実とか義理とか、そんなこと私にとってはなんら意味のない分け方さ」


宥めるように、胸の中に抱き込まれる。こうされると小さな子供に返った気がして、沁みる安堵に恥ずかしさすら薄れていく。彼への信頼が、愛情が募る。


 「シンタローは私の元に来るために生まれたんだよ。悲しい別れも辛い時間も、耐えて頑張ってこられたのは、すべて私に逢うためだった。出逢うまでは辛くても、これからは幸せになる。いままでに感じた痛みの何倍も、何百倍も幸せになる。シンちゃんはそれを信じられない?」


 「信じ…たい、けど…」


 「信じて。私はお前を裏切らない。なにがあってもシンタローの幸せだけを優先させる。愛してる」


ふざけたことを言って、子供のようなことをして、けれど彼の言葉はいつだって真摯で真っ直ぐだ。疑うことは無意味だと、そんなことは疾うに知れている。分かっている。


幾度も繰り返し確かめるのは、それは自分に自信がない所為だ。


彼に愛してもらえるような、そんな自分であると胸を張って言えないからだ。


ちゃんと勉強して、きちんと仕事を持って、それで彼に恩返しが出来るようになりたい。生きていることを、生きていけることを。あなたのお陰でそう出来ているということを、身をもって示したい。見て欲しい。


寄りかかって、ぎこちなく彼の胸元に頭を預けると嬉しそうに抱き締めてくれる。なかなか素直になれない自分でも、こうして黙っているときくらい甘えた仕草で彼に依存する気持ちを表したいと思う。


もう、マジックのいない毎日など考えられない。


とても大切でとても大好きなひと。


シンタローに唯一許された宝物。胸元で煌く宝石よりももっと、ずっと。


 「…学校に行ってる間は、外しとかなきゃな」


 「なにを?…ああ、指輪?」


 「盗まれたら困るし」


 「そんな子がいるところじゃないと信じたいけど」


 「まあね」


 「出来ればパパは、つけたままでいて欲しいなぁと思うけど」


 「なくしたら…いやだし」


 「大丈夫、それ、私の分身だから。だからシンちゃんがその指輪をなくすことは絶対にないよ。保証する」


 「保証って」


得意げに言うからおかしくなる。彼が自信ありげに言うことは確かに真実味があるけれど、まるで子供の自慢のような声音に、きっとその表情もキラキラ輝いているのだろうと予想できる。


マジックのすべてを知っているわけではないけれど、出逢ってからいままでの時間で見てきた彼は全部がシンタローのものだ。彼の時間は自分を中心に回っていると言い切る自信は既にある。


だから、シンタローも嘘や誤魔化しだけはしないと心に誓っていた。


彼の傍にい続けるため、どんなときも真っ直ぐにいよう。なにもかも見せて、欲しいというものなら差し出そう。決して卑しい考えの下ではなく、そうすることが当たり前だから。二人で生きていくと決めたのだから、常に信頼を傾け合おう。


まだ恥ずかしくて、口にするには自信がなくて。


言葉には出来ないけれど伝わるように。


ちゃんと、真っ直ぐ、伝わるように。


 


ぎゅうっと抱き締められて、なんだか眠くなってくる。


彼の腕の中にいるとき、シンタローは驚くほど子供に返ってしまい実際自分の年齢を忘れそうになってしまう。それもこれもマジックの過度な子供扱いによるものだが、甘えたい盛りに頼る相手のいなかったことを突きつけられているようで、その覚束なさが助長させるのだろう。


まあいいか。


誰も見てないし。


眠いし。


 


幸せだし。


 


 


 「…シンちゃん」


 「………んー」


 「いいの?」


 「…なにが」


 「遅刻しちゃうよ?」 


 「遅刻?」


はて?


半分寝ていた意識の中で考える。


いまは春休みでずっと家にいるけど、マジックも“シンちゃんを残して働きになんか行かないよ~”と言って本当に仕事に出ないで、朝から晩まで二人きりで過ごしている。


で。


今日はいつもよりちょっと早起きをして。


朝食をとって。


出掛ける準備をして。


出掛ける。


準備を。


 


 「――――――っあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 


入学式!!


 


 「ばばば、バカヤロウ!なんでもっと早く言わないんだっ」


 「えー、パパの所為なの?」


慌てて飛び起き自室に向かって走る。こういうとき、家が広いのは考え物だ。


 「あんたも早く着替えろ!」


 「アンタじゃないよぉ、パパだよ~」


情けなさそうな声を背中に聞きつつ、シンタローは自分の部屋に飛び込んだ。


 「俺の幸せと苦難は、いつでも表裏一体だ」


 


 


まだまだ硬いワイシャツのボタンホールと戦いつつシンタローがこぼした言葉こそ、これからの彼の人生を如実に表す真理だった。

 



 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 



 「シンタローはん、学食行きまひょ」


 


ああ。


 


 「シンタローはん、今日はなににします?わて、シンタローはんとおんなしもんをいただきますえ」


 


ああ。


 


 「昨日はカレーでしたやろ。その前は、あの、ちょっとおかしいシンタローはんのお父はん手製のお弁当やったし。うどんなんてどうやろ。こっちのうどんは、わての口にはよう合わしまへんけど、シンタローはんがどうしてもて言うんやったら我慢しますえ」


 「…我慢、しなくて、いい」


 「なんどす?なんや言わはりました?」


 「なんも言ってない」


 「そうどすか?シンタローはん、浮かない顔してはりますなぁ。おつむでも痛みますのん?」


 


ああ。


ああ、ああ、ああ!


 


浮かない顔にもなるだろう。


入学式で、新入生代表挨拶の呼び出しを受け立ち上がったシンタローのことを、穴の開くほど見詰めた隣席の生徒は名をアラシヤマといった。


式典後に教室に戻ったときも隣に座ったので一応愛想よく“一年間、よろしく”と挨拶をしたのだが、そのときも気味の悪いほど真剣な目で凝視されちょっと、いや大分怖い思いをした。


なにせ“おとなしくしていろ”と言い聞かせたマジックが、案の定これ以上はないというほどの悪目立ちをした直後だったので、憂鬱になるのも仕方のないこと。抵抗力の弱まっていたシンタローはその奇妙なクラスメイトにも出来る限り丁寧な態度を取ってしまったのが不運の始まりだった。


 「お父はん、今日も迎えに来はりますの?」


 「…来るんじゃねぇの」


 「わても迎えはありますけど、シンタローはんのところはお父はんですやろ。朝も昼も息子の送り迎えて、随分時間に余裕のあるおひとやなぁ思てましてん。仕事、なにしてはるんどすか?」


 「…さあ」


 「さあて。父親の職業、知らんのん?どこかの社長はんとかやあらしまへんの?」


 「知らないっつの」


いえるか。こんなお金持ち学校に息子を通わせたがるバカが“えーぶい男優”だなんて事実、口が裂けても公表できない。


 


呼び出されたシンタローが席を立ったとき、列席者全員が今年の主席入学者である自分を興味と羨望の眼差しで見詰めたその瞬間。


 『シーンちゃぁぁぁぁぁぁんっ!こっち向いてっ!!』


という絶叫が講堂中に響き渡った。


…多くは語るまい。


思い出すたび全身に震えの来るシンタローは、いま、共に暮らしているにもかかわらずマジックと口を利かないこと十日目を迎え、なおも記録更新中である。


 


びくびくオドオドしながら自分の周りをうろつくマジックに苛々し通しのシンタローは、せめて学校では息を抜きたいと思っていた。


彼の突飛で奇抜で呆れ果てその上救いがたい所業を受け、入学式当日から“只者じゃない”というお墨付きを貼り付けられた新入生に気の休まる暇もあまりないが、それでも“上流”と言われる家庭に育った生徒の多くはシンタローの一睨みで黙ってしまい、あの一件をからかう勇気のあるつわものは存在しないからまだ助かっているのだけれど。


どこにでもいるのだ。


変わり者というやつは。


 「どう考えても家業を知らんことはないやろ。跡を継ぐとか、そういう話もしてはらへんの?」


 「あんな仕事のなにを継げっつーんだ」


 「なに?いまなにを言いましたん?シンタローはん、声が小そうてよう聞こえまへんわ」


聞こえないように言ったのだ。


行過ぎる生徒はみな、シンタローの顔を見るとあからさまに目を伏せ歩み去る。からかわれるよりずっといいが、“平穏無事”を学生生活のテーマに据えようとしていたシンタローにとって初っ端から挫かれた痛手は大きい。


基本的におとなしい生徒ばかりの校内だが虐めがないとは言いがたいし、陰口を叩かれることは予測しておかなければならないだろう。


 『だったら、そっちがその気なら、俺にも考えがある』


そっち、が誰を指すものなのかシンタローにだって分かりはしないが、それでもなめられるより虚勢を張って、いっそ“あいつは怒らせちゃいかん”と思われた方がいいだろうという気持ちになりつつあった。


新生活が始まったばかりなのに。


なにもかもうまくやっていくつもりだったのに。


それもこれも全部マジックが悪い。マジックが台無しにした。言い聞かせたのに、約束したのに、絶対しないって誓ったのにアイツ!


アイツアイツアイツ!!


 「シンタローはん」


 「なんだよ!」


 「食堂、通り過ぎてますえ」


 「え、…あ」


広々とした明るいテラスは学生たちで溢れている。


定食や丼もの、麺類、軽食と喫茶コーナーが揃っていて、味も悪くはない。値段も市場価格の半額以下だし、申し分のない設備といえるだろう。


 「ほな、うどんでよろしおすか?」


 「勝手に決めるな!」


 「ひっ」


怒鳴られて、アラシヤマが立ち竦んだ。了承を求めてきたのだから“決めて”などいないのに、とんだとばっちりで叱られた彼はそれでもシンタローのことをおろおろと見上げるだけで逃げていくことはない。


輝かしき学生生活の幕開けに際して、シンタローの出鼻を挫く相手はもう一人、存在した。


 


入学式で隣に座った彼が、後に次席入学を果たした生徒だということを知り少なからず驚いた。


真っ黒な髪はさらりと肩の辺りで切り揃えられている。右目を隠すように長く伸びた前髪は彼でなければ鬱陶しいと感じるだろうが、なぜだかよく似合っていると思わせる雰囲気があった。


見かけは実におとなしそうで、というよりなんだか暗いイメージでシンタローとは正反対の人種に思えた。穴の開くほど自分を凝視していた彼は、漸く口を開いたかと思えばあろうことか“お友達になってもええどす”と言い放ったのだ。


友達は欲しい。


高校生活を快適に、有意義に過ごすための友人は確かに欲しい。これまでそういう存在に恵まれずに来たシンタローは、授業中にメモを回したり昼休みをともに過ごしたり、放課後は学校に内緒で映画を見に行ったりとそんな些細で楽しげな時間を夢見ていたのだ。


だから、変なやつ、という印象はあったものの初対面のクラスメイトに対してぞんざいな態度を取ることは得策ではないと思い、出来る限りにこやかに、優しげに微笑んでおいた。


一月もすれば友人関係は特定のグループに固まり始め、そのとき同じ輪の中に彼がいればよし、いなければそれもまたよし。


その時はそんな気持ちだったのだ。決めるのは感情というより流れだと思っていた。


それなのに彼は、アラシヤマは、微笑んだシンタローのことをまるで神でも見るような眩しげな目で見詰め、それからぶつぶつと何事かを呟き始めた。


そのときなにを言っていたのか未だに分からないが、彼の中では“シンタロー=友人”という図式が完全に形成され、そして二度と抜けない楔として心の一番奥深くに打ち込まれていたらしい。


シンタローのなにをもって、そこまでの執着に結びついたのかはよく分からないが、彼が自分より成績がよかったということと、気安く微笑みかけてきたということが起因しているのは確かなようだ。


この学校には、マジックが言った通り裕福な家庭に育った子供ばかりが在籍している。


人間、金じゃないと口にするのは大抵金銭に縁のない者で、苦労を知らない人々はもとよりそんなものに左右されることなく自分自身の時間を生きている。シンタローのように、“落し物の財布は額面に関わらず届けるが、現金であれば一万円までは天からの授かりもの”と思っているレベルではこの独特の空気に馴染むまでは時間が掛かるだろうと思われた。


まして入学式に起きた恐怖体験のせいで、周囲からは完全に浮き上がってしまっている。また繰り返すのかと泣きたい気持ちになった彼がマジックに辛く当たるのも、だから仕方のないことだった。


遠巻きに自分を見るクラスメートたちの気配に心を痛めるシンタローは、けれどその視線の中にある、これまでとは質の異なる視線に気付いてはいない。


確かに彼のことを毛色の違う生徒と思い目を合わせることすらしない生徒もいるが、それは他のクラスや上級生に限られ、級友たちはみな何事か起こるのではないかという期待感に満ちた眼差しで彼を見ていた。


なにせシンタローは理系、文系を問わず成績がよかったし加えて運動神経もいい。初めての体育の授業は百メートルダッシュとハードル、ハンドボール投げ、懸垂といった基礎体力を測るためのものだったが、そのすべてにおいてそつなくこなしてしまった上、転んだり泣き言を言ったりする生徒を言葉少なに励ましたりという如才ない一面も見せていたのだ。


異分子であることは間違いない。けれどそれは悪いものではなさそうだ。


思い切って声を掛けてみたいがそれもまだ怖いというような空気が教室中に流れていて、長年この学校に勤める担任教師も実はひそかに観察していた。


チャンスがあれば話しかけたいと思われていることなど知らぬシンタローは、今日もアラシヤマと連れ立ち食堂へとやってきた。


勿論、連れ立つつもりはないのだが、離れないのだから仕方ない。


嬉しそうに『うどんはあっちどす』と百も承知のことを言ってよこす彼に大袈裟な溜め息を吐いてやるが、そんなものは聞いてもいない。さっさと歩き出すとシンタローの分のトレーも抱え、うどん専用カウンターの最後尾へと走っていった。


聞いてもいないのに知ってしまった情報によると、アラシヤマは京都の老舗呉服店の三男らしい。長兄は既に専務だが常務だかを勤めていて、次男も着物デザイナーとしてその世界では知られた存在であるという。父親自体も国から“なんたら勲章”をいくつも受けているし、それどころか重要無形文化財――人間国宝だというのだから驚きだ。


兄たちの母は早くに亡くなり、父はその後暫くたってから秘書を勤めていたアラシヤマの母と再婚をした。二周りも年の差のある夫婦なので世間では祖父だと思われることが殆どだが、その可愛がり方も相当なものらしい。


母親に似たアラシヤマはほっそりとした美少女全とした佇まいを持っていることもあり、幼い頃彼は自分が本当に女の子なのだと思い込んでいたという。着せられるもの、持たされるもの、与えられた部屋すらも、すべてが女の子の好みそうな色やデザインで揃えられていたし、七五三のときに設えられたのは紋付袴ではなく色艶やかな振袖だったそうだ。


二人の兄も年の離れた弟を猫かわいがりして、文字通り彼は“箸より重いものを持ったことのない”人生を歩んできてしまったのだという。


どんな我が儘も通る状況であり、またそれを苦に思うものもない環境にあったにもかかわらず、アラシヤマは“金持ち喧嘩せず”の法則(?)を地で行く性格をしていたため、日々のんびりと、ぼんやりと過ごしていた。


けれど、中学に入学した辺りからその性格に拍車がかかり、マイペース過ぎる彼は団体行動に付いていけないようになった。本人に言わせれば『あほなお人とは付き合いきれまへん』ということだが、所詮気心の通わない他人に自分を理解できるはずもないのに、わざわざこちらから歩み寄る必要はないと言い切ったところ、母は、彼の記憶にある限り初めて声を上げて泣いたと言う。


何事にも優しく、慎み深い母があんまり泣くので慰めていると、『そのずれきったところが心配なのよ』と余計に泣かれ、意味が分からない彼は仕方なく自分も泣くことにした。


二人で泣き続けているところに帰宅した父と兄は、泣きじゃくる母からなんとか真相を聞き出したが、その原因の殆どを担っていた彼らは罰の悪い顔をしてともに泣いているアラシヤマを見守った。


母は、このままではアラシヤマにいいはずがないと主張した。


父としては、可愛い息子を手放すつもりは毛頭ないし、頃合を見て自分の決めた娘と結婚させ敷地内に居を構えさせると決めてすらいた。どんなに可愛くても娘じゃないんですよ!と叱られるので滅多なことでは口にはしないけれど、それだけは譲れないとも思っていた。


なにせ自分は老い先短い。可愛い息子を取り上げられてたまるか。


恐らく、彼はマジックと大変気が合うと思われる。


母の心配も分かるが、かといってどうすればいいのか。この家で母以外に唯一建設的な話の出来る長男が問いかけたところ、母は“東京で一人暮らしをさせたい”と爆弾発言を炸裂させた。


ビジネスの拠点として、いまの日本はやはり東京に進出するのが上策といえる。随分前から京都には本店、東京には本社という形で展開していたため自社ビルや借り上げ社宅などの環境も整っていたので独り暮らしをすることも無理ではないような気はした。気はしたがやはり父と兄は猛反対し、泣くことに飽きたアラシヤマは自室に本を読みに戻ってしまった。


だからその間、どのような会話がなされたのかは分からない。


けれど翌日、父の部屋に呼ばれたアラシヤマは、高校は東京にある父の知人が理事長を勤める私立校に通うよう言い渡された。さらに住居は長期滞在時に兄が使うマンションと定められ、通常は独りで暮らすようとも言われた。


月に一度、数日は必ず長兄が宿泊するし、母もまめに上京する。日常の雑務は専門の人材派遣サービスを利用するし、父も、出来る限り様子を見に来るという。


大変そうだな、とは思ったが、反論はしなかった。父に対し言い返すなどということは思いも付かない彼であったし、どこに行こうと自分が変わる訳ではないのだからどうでもよかった。


高校の三年間だけ。大学は京都に戻り、兄たちも卒業した国立へ行くようにと念を押される。『へえ、分かりました』と答えたアラシヤマに対し父の方が涙ぐむのだから始末が悪い。


 


そうしてアラシヤマはこの学校に通うこととなったのだ。


 


 「けど、入学早々シンタローはんとお友達になれるやなんて、わて、心配されることなんもおまへんでしたわ」


堂々と“友達”扱いをされるシンタローにとっては我が身の行く末が不安で仕方ない。


受け取ったきつねうどんのどんぶりをトレーに乗せながら、アラシヤマは少し、眉を寄せる。大方“真っ黒”な汁に対し不満を感じているのだろうが、口に出すような品のないまねはしなかった。郷に入っては郷に従えという言葉はシンタローにとっても身に沁みたものだし、日本人として残る数少ない美徳だとも思う。


まあ生まれ育った土地から遠く離れたことがないのでそれがどれほど浸透したことなのかは知らないが、育ちだけはいいらしきアラシヤマのそのような態度は好ましいと思える。


なにを言っても付いてくるから、カレーうどんを乗せたトレーを持ったシンタローは手近なテーブルへそれを置くとさっさと座ってしまう。


いつも通り、いそいそと向かいに席を定めたアラシヤマがシンタローの分の箸や水を用意し丁寧に食卓を整えてくれた。


そういう仕草は驚くほど繊細で、指先ひとつにまで神経を行き届かせているようにさえ見えた。シンタローとしても人目につく限りは極力体裁よく、また行儀よく振舞っているつもりではあるが彼の立ち居振る舞いを見るとがっくりすることがある。


マジックに連れられ高級という部類の店に行く機会が頻繁になったいま、これは見習うべきなのだろうかと真剣に悩んだりもするのだが、勿論そんなことはアラシヤマに言えるはずもない。


いただきます、と手を合わせ、箸を取り上げる仕草ひとつが美しい。


陰気で、なにを考えているのかサッパリ分からなくて、思い込みが激しく自分とは違う意味で浮きまくっている彼の唯一尊敬すべき点をさりげなく盗み見ながらシンタローもそっと箸に手をつけた。


 


 


 


午後の授業は眠気との戦いだった。


春の日差しは暴力的なまでの強引さで睡眠欲を叩きつけてくる。加えて彼の席は窓際、後ろから二つ目の絶好のポジションにあり、成績がいいことから教師の監視の目も甘い。


さらにシンタローのしている予習部分よりまだ大分手前にある内容は退屈だし、満腹のところに聞かされる漢詩は最早拷問に等しい。


文系の授業は嫌いではないが退屈なのは否めない。また数字はあくまで数字であり美しいと言われてもトンと理解できないシンタローははっきり理系とも言いがたい。


進路のことはこの先まだいくらも考える時間があるからとマジックに言われ、とりあえずいまは二年生の進級時に行われる選択授業の教科を決めるのが命題となっている。


眠い目をこすりながら、『とりあえずこの先生が担当なら文系はやばいかも』と思っていると、後ろのアラシヤマがとん、と背中をつついてきた。


 「なんだよ」


 「あれ、シンタローはんのお父はんやないの?」


 「あ?」


門のとこ、と囁かれ窓外に視線をやる。


正門から伸びた道は中央の噴水を囲むように分かれているが、その向かって右側を歩いている男が見える。


 「…あ、ほんとだ」


見間違いようのない、立派過ぎる体格をしたマジックがこれまた嫌味なほどに堂々と歩いてくる。瀟洒な造りの庭園を進むその姿はさながら映画俳優のようでもあり、洋画の撮影だといわれれば信じてしまう程度には美しかった。


あれが、自分の父親なのだ。


そう思うと言い知れぬ優越感が沸き起こるが、同時に先日の醜態をも思い返しシンタローのこめかみはキリキリと痛み始めた。


 「迎えにしては早すぎどすなぁ。シンタローはん、親が呼び出されるほどのことなんやしましたん?」


 「それをお前が言うか?毎日いやってほど、ホンットーに嫌ってほど俺にまとわり付いてるじゃねぇか」


身を乗り出し、背中に張り付かんばかりのアラシヤマを押しやり、校舎に近付くマジックを目で追う。


 「ほんとに…なにしに来たんだよ…」


いつになく真剣な表情のマジックが校舎の影に入り視界から消えても、シンタローはそこから目が離せなくなっていた。


 


 

 
      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


父親が呼び出されたのだから、授業が終わればなんらかの知らせが入るだろうと思っていたシンタローだが無常にも六時間目の始まりを知らせるチャイムが高らかに響き渡り、結局訳のわからない焦燥感を抱いたまま生物の授業が始まってしまった。


国語や数学はいいとして、この生物だけはいただけない。


生き物が嫌いなわけではなく、犬猫を見れば必ず寄っていってしまう性質のシンタローだが“ミトコンドリアが~”とか、“デオキシリボ核酸は~”などといった話はサッパリ理解できないし、どこが面白いのかもよく分からない。


大体、ナマモノは嫌いなのだ。


自慢じゃないが虫も苦手で、夏にはセミの飛び交う姿を見ただけで逃げ出したことも一度や二度ではなかったし、生態系に影響がないならいまこの瞬間に消えてなくなってもいいと本気で思うほど嫌だった。


そして今日は、胸の中に広がる得体の知れない不安がその思いを増長する。


途中指名されたものの、質問そのものを聞いていなかったので不快な気持ちのまま“分かりません”と即答してやると、普段は出来すぎるほどに出来るシンタローのその意外すぎる対応に教室中がざわめきに包まれ、担当教師に至っては『保健室に行きましょう!』と額に手を当てながら叫ぶという有様だった。


 


結局保健室には行かなかったものの、終礼までの間は奇妙な緊張感をクラス全員に植え付けるという迷惑を掛け通したシンタローは、最後の挨拶が終わると早々に鞄を掴み教室を飛び出す。


職員室か、生徒指導室。進路指導はいくらなんでも早すぎるから、考えられるのはその二箇所だ。どちらにしても、最大限の注意を払っている自分には縁がないと思っていたのによもや父親が呼び出されるなどありえない事態だ。入学式の、あの恐ろしい光景が脳裏をよぎりちょっと泣きそうになってくる。


呼び出しは、もしかしたら自分ではなくマジックを対象としたものなのだろうか。あのバカがバカだから、厳重注意でも受けているのだろうか。


バカなのは百も承知だし、それが原因で口を聞かずに過ごすこと十日を数えているのだ。恥をかかされた報復は現在進行形で継続中だが、学校からの注意があるとすればもっと早い時期に呼び出されていたはずだろう。


それではなにか。


自分の知らないところでマジックがなにかしたのかもしれない。


学校に、教師に、生徒に。シンタローの知らないうち、妙なことでも言ったのだろうか。迷惑を掛け、それを隠していたりしたのだろうか。


それとも。


 


彼の仕事が、ばれたのだろうか。


 


人に話せることではないと、シンタローでさえ思っている。その仕事のお陰で、いままでからは想像も付かない生活を送れているのは確かだが、それがいいこと、正しいことだとは思えない。恩義を感じている自分ですら、それを日陰のことと捉えている。


この学校の生徒はみな裕福な家庭に生まれ、なに不自由なく育つ子供たちでその純粋培養振りは否応なく達観したシンタローにとって受け入れ難い面もあった。マジックのしていることに対し恐らく嫌悪しか抱かないような彼らとは、根本的に違うのだ。


世話になっているからだけではない。


自分もまた、その世界に足を踏み入れようとした経緯があるからこそ怖いのだし、それだけでマジックが卑下されるのは嫌だった。


途中、擦れ違った教師から『走らないで』と注意を受けたが、構わず走り通し職員室の前に着く。上がった息を整えながら、その扉を開こうとしたところでそっと、後ろから手を取られた。


 「なんやの、シンタローはん。いきなり走って、わてまで叱られましたえ」


 「ななな、なんだよ着いてくんな!」


 「そう言われても、シンタローはん、先生が呼び止めはったのに、ちょっとも聞かず行ってまうから」


 「え、マジでかっ」


シンタロー同様、息を乱したアラシヤマがさも困ったという顔で言い募る。自分の考えに囚われ、追ってきた彼の気配にも気付かなかったことに驚き、ばつの悪い顔で腕を振る。放っておけば彼がいつまでも自分に触れていることは既に学習したことだった。


 「先生、なんだって?」


 「わてとシンタローはん二人で、理事長室に行くようにて言うてました」


 「りじちょうしつぅぅ~?」


 「へえ」


職員室も生徒指導室もすっ飛ばして理事長室!


目の前が暗くなるのを感じつつ、それでも自分がめげてはいられないと思い直したシンタローは拳に力を籠め、のほほんと立っているアラシヤマを睨み付けた。


 「なんで俺たちが呼び出されるんだ」


 「さあ。心当たりはあらしまへんけど、理事長室で待ってはるのは理事長以外ありまへんやろ。はよ行かな」


 「…アイツとは別の呼び出しか?」


 「あいつ?」


 「なんでもねえよ」


呟きを拾われ、シンタローは慌てて打ち消した。もし、自分の素行とは別の要件で呼び出されたならアラシヤマに知られるわけにはいかない。


学校内の噂がどれほど早く広まるか身を持って知っているけれど、それでも隠せるものなら隠し通したいのは当然だろう。


 「シンタローはんのお父はんも来てはるし、なんの話やろ」


 「ささささ、さあなっ」


そうだ、もし彼の仕事についてのことならアラシヤマまで呼び出すのはおかしいだろう。それなら違うことかもしれない。


不用意に取り乱し、自ら尻尾を出すことは出来ないと思い返し、ひとつ深呼吸をすると理事長室に向けて歩き出した。


出来れば他愛ない、なんでもない話でありますようにと祈りながら。


 


 


 「失礼しますぅ」


ノックをして、間延びした声でアラシヤマが言う。


とことんマイペースの彼は“新入生が理事長室に呼び出される”ということの緊張感などまったく感じた気配もなく、その重厚な扉に手を掛けた。


学内の殆どは横にスライドさせる引き戸だが、ここは大企業の重役室かというような豪奢な扉がついており、恐らく、内部もそのような造りであると思われた。


覗き込んだ先に想像通りの装飾を見て、シンタローはそっと、二度目の溜め息をつく。こんなところに呼び出されるのは、自分の立てた学校生活の中で想定した“なにかで表彰される”ということ以外あってはならないのに。


 「あれお父はん」


 「おお、あーちゃん!待っとったで」


 「なんやの、来るなんて聞いてまへんえ」


やっぱり気の抜けた、けれど幾分嬉しそうな声音でアラシヤマが言う。


扉を開けたその先の光景に、シンタローは呆然としながらその会話を聞いていた。


 「入学早々お友達が出来たて聞いて、お父はんようやっと安心できたわ」


ささ、こっちおいで。


ウキウキと手招きをする、やたらと気品に溢れた和服の老人を見て思う。


 『…こいつ、誰かに似てる』


 「シンちゃぁ~ん、パパもっパパも逢いたかったよ!逢いたかったんだよぉ~!」


意識して視界に入れないようにしていた、これまた見た目だけは恐ろしく紳士的な大男が目に涙を滲ませながら両手を開き呼び立ててくる。


帰ろう。


なんだか分からないことには関わらない方がいい。


身についた処世術を発揮し、“間違えました”と言いながら扉を閉じようとすると、いつの間にか近付いていたらしい入学式のときに見たきりの理事長が慈愛に満ちた笑顔でポンと肩に手を置いた。


 「さあ、シンタローくんもお父さんの隣に座って」


 「え、や、あの、」


 「シンちゃん!パパのところに来て!来てったら来て!来ないとパパ、死んじゃうかもっ」


死ね、とはさすがに言えなかった。


いい子でいたい訳ではないが、心象のよろしくないであろう自分が更に目を付けられては堪らない。渋々扉から手を放すと、露骨に嫌な顔をしながらマジックの隣へと腰掛けた。


校長は小柄で、程よく髪の薄いメガネ着用の壮年という生粋の日本人であるのに対し、理事長はどこからどう見ても外国籍、恐らくアメリカ人であると思われる。どういう経緯でこの学校の理事を務めているのかは分からないが、達者すぎる日本語を操るところから見て永住しているのかもしれなかった。


 「なんだかとても素晴らしい光景だね」


マジックとは同世代であろう、けれど若々しい理事長がそう言うと、二人の父親は揃ってうんうんと頷いた。それぞれ自分の息子を熱い視線で見詰めながら。


こんなことなら真っ直ぐ帰ればよかった。


シンタローの思いは、この場の誰にも届きはしなかったけれど。


 


 


 「だから、私としてもシンタローくんとアラシヤマくんが友人付き合いをしているというのはとても嬉しいことなんだよ」


理事長の熱弁は長かった。


アラシヤマがこの学校に入学する経緯は既に承知していたが、それ以降のことまでシンタローが関知するところではない。


まして彼と“友人”と言われればこちらとしては異議を申し立てたいほどで、いまだってやたらと笑顔の理事長、マジック、そしてアラシヤマの父に対して真実をぶちまけたい気持ちで一杯だった。


 「どうやろ、うちのあーちゃんはええ子にしてますか」


 「…はあ」


 「うちのあーちゃんは見たまんまおとなしゅうて、引っ込み思案なとこがありますさかい友達が出来るか心配やったし、出来たとしてもほんまにこの子のこと任せられるかどうか気になって気になって眠れんほどやったんですわ」


 「……はあ」


 「せやけど、うちのあーちゃんももう高校生や。自分のことは自分で出来る子にならなあかん。ここは心を鬼にして、我が子を千尋の谷に落とす獅子の気持ちになって、ほんまはまだ無理やて思うけど、うちのあーちゃんは親から見てもよう出来た子ぉやから、余計な心配するより自主性を大事に、信頼して、ほんまは心配やけどいつまでもお父はんお父はんて言うてる訳にいかんいうことを自分で気ぃついてほしいし、それに、」


 「お父はん、まだ長なるの?」


ナイス突っ込み。


出会って初めてアラシヤマの存在に感謝した。


だが考えるまでもなく、このマジックレベルの親バカはアラシヤマの父親なので、とどのつまりはこいつと関わりを持ったことで巻き込まれたいわば二次災害のようなものだ。騙されてたまるか、と思いつつシンタローは油断のない目つきで周囲を見回した。


こうなると全員敵に見えてくる。


 「いやぁ、私の方もね、大事な一人息子に悪い虫がつかないかと日夜心配でこのところ寝つきも悪くなる有様だったのですが、アラシヤマくんのように出自のしっかりした良家のご子息と親しくしているということなら一安心です」


マジックが眠れないのは、シンタローに無視され続けおやすみのキスがもらえないからというバカらしい理由からだというのは伏せておく。


 「我が校は生徒の自主性を第一に、自立と良識を育む教育を志していますが、やはり集う子供たち一人ひとりが社会の一員であるということを自覚していなければ前進はありえません」


理事長にも息子がいると聞いたし、確か同じ学年だとも聞いた覚えがある。ただ、なぜだかこの学校に入学することがなかったそうでどんな子供なのかは分からない。


けれど、少なくとも“この父親たち”とは違う理念、教育を受けたのだろうから、至ってまともな子供だという推察だけはついた。少なくとも理事長におかしな部分は見付けられなかったから。


 「アラシヤマくんのお父上と私は古くからの付き合いがあってね。その縁で入学した訳だが、…ああ、間違っても縁故入学ということではないよ。きちんと試験を受け、見事な成績で合格した。残念ながらシンタローくんを上回ることは出来なかったが、アラシヤマくんとその次点の生徒ではかなりの開きがあった。つまり二人の優秀さが際立ったということなんだがね」


 「いややわぁ。理事長先生、そないに褒めはっても、わての親友の席にはもうしっかりシンタローはんが座ってはるんどすえ」


座ってない。


いまどき、大手企業に就職して、三年だけ働いてその間にブランド品を買いあさり海外旅行に最低四回は出向き、少なくとも部長までは昇進しそうな二、三歳年上の男を捕まえ寿退社しようと考えているおねえさんより腰掛けてない。


胃と頭が痛くなるのを堪えつつ、シンタローは全神経を集中させ“俺はここにいるけどいない”という怪しげな忍法の完成を試みた。残念なことにこれまで忍者修行などしたことのない彼にとって、それは気休めにもならなかったけれど少なくとも自分は被害者という意識だけはしっかり持てた。


 「いや、こう言うとシンタローくんを信用していないようでいい気はしないだろうが、大切な友人の息子を預かる身としてはやはり友達付き合いというものに神経を使わないわけにはいかなかったのだよ。お父上もそのところをなにより気にされていた。それで、入学以来アラシヤマくんが口にした生徒の名前を調べたところきみに行き当たってね。本年度の主席にして、入学式でちょっとしたセンセーショナルを巻き起こした生徒といえば私自身個人的な興味もある」


失礼な言い方ではないが、つまり自分は“調査”されたのだ。


 「きみの父上ともぜひ話をしてみたいと思っていたところに、こちらも上京されると聞いてね。それなら全員で対面してはどうだろうと急遽来校を願ったというわけさ」


 「はあ、そうですか」


珍妙な父親を持つ、成績だけはいい生徒。


癖のありすぎるアラシヤマの友人というレッテルを貼られるシンタローの言い分は一切聞き入れられないのだろう。バカらしいやら悔しいやらだが、一番心配していた事態に陥ることはなさそうなので、そのことだけを感謝し、また安堵した。


 「正直なとこ、入学式での一件は私も驚かされましたわ。けどなぁ、シンタローくんのお父上がこの方やったと知ったら、もうなんも心配することあらへん。安心してうちのあーちゃん、預けられますわ」


 「あのー、預かりたくない場合はどうすれば、」


 「いややお父はん、気が早いわー。わてまだ高校生どすえ?将来の約束とか、そんなんもっとじっくり付き合うてからでええですやろぉ」


 「なんや、あーちゃん恥ずかしやからお父はんが代わりに言うたったんやで」


 「そんなん自分で言えます。もお、お父はんわてのこといつまで子供扱いしはるのん」


 「はっはっは。アラシヤマくん、父親というのはね、いくつになろうとも息子というものが心配で心配で堪らないし、一から百まで全部知ってもまだ不安になるものなんだよ」


 「へー、そうなん?」


 「そうや。それにあーちゃんはお父はんお父はんて、いつまでも親離れで出来へん子ぉやし、なにより初心いからなぁ」


 「わて、もう十六になりますんえ?いつまでも子供や思われたら迷惑や」


 「ああ、そんな意味で言うたんとちゃう。あーちゃんはお父はんに似ず、しっかりした子供やいうことは、お父はんちゃーんと承知してるで」


 「うちのシンタローもね、年に似合わぬしっかりもので父親としては少々寂しいくらいですよ」


 「気ぃ付いたら、いつの間に成長してるもんですなぁ」


 「まったく」


 「われわれ教育者も、この年頃の子供には驚かされることばかりです」


 


わあっはっはっはっは


 


 


 


全員、消えろ。


 


忍法より黒魔術を身に付けたい。


シンタローの願いは十中八九、人道的だと思われる。


 


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