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m4

 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 



 「夜食ですよ~」


まただ。


 「甘いものは脳を活性化させるんだよ。と言う訳で甘みとサッパリ感を追求した、パパ特製の杏仁豆腐、お待たせしましたぁ~」


満面の笑顔がむかつく。


ヒラヒラのエプロンがむかつく。


杏仁豆腐が菱形じゃなく、星とかハートとかの形をしているのがむかつく。


ガラスの器を載せた飾り皿に、わざわざレースみたいな紙ナプキンが敷いてあるのもむかつくし、銀のスプーンは毒物に反応するから、毒見代わりになるんだよというプチトリビアもむかつく。


金髪がむかつく。


蒼い目もむかつく。


マジックがむかつく。


むか。


むかむかむか。



 「シーンちゃん、休憩しよう」


 


むかむかむかむかむかむかむかむかむか…ぷちっ。


 


 「てっめぇは!そうやって三十分おきに邪魔しやがって!」


 「邪魔してないよ。受験を明日に控えた息子を思うパパの心遣いだよ!」


 「ぬっわぁ~にが心遣いだ!この前はそんなことしなかっただろっ」


 「えー、だから今回反省してサービスしてるんじゃないか」


 「どの口が言うんだ、えっ、どの口がそんな嘘を言うんだ!これかっこの無駄口ばかり叩く口が悪いのかっ」


 「いひゃいよ、ひんひゃん」


むぎぎぎ、と唇の端を摘み上げてやったのに、ものすごく嬉しそうなのがまたむかつく。


叱られているなどとは毛頭思いもしない。シンタローに構ってもらえたと純粋に喜んでいるのだから始末に終えないが、今夜はここで負けるわけにはいかないのだ。


 「あと一時間もしたら俺も寝るんだから、頼むからあんたももう寝てくれっ」


 「パパ」


 「寝てくれ、マジック」


 「パ、パ」


 「くっ、」


 「パ、パ」


脳内の天秤に、恥と現状を載せてみる。


常ならば迷うことなく現状に重きを置くシンタローだが、今日ばかりはそうも言っていられない。煮ても焼いても食えないプライドはカラリと揚げて食べてやる!が信条だけれど、捨てどころを誤る訳にもいかず深呼吸を三回と、心の中で呪いの言葉を吐きかけてからゆっくりと唇を開く。


 「俺は、ちゃんと、勉強したいんだ。それから、しっかり、睡眠も取りたいんだ。だから、寝てくれ。頼むから。寝ろ。ぱ、」


 「ぱ?」


 「ぱ」


 「ぱぁ~?」


右手を右耳にあてたマジックが体をシンタローに向けて倒す。


 「ぱー、なに?」


 「ぱ……………………………ぱ」


 「えー、なによくわかんなーい」


 「てめぇ…」


時計は深夜を過ぎたばかり。


“受験対策、都立編”と印字されたプリントは、教師によれば三回繰り返せば完璧なのだそうだ。一時には就寝したいシンタローは、二度目の半分に辿り着こうというところで躓いていて、このままでは二時になっても終わらない気がする。


いや気だけではない。確実にそうなるだろう。


 「寝ろ。頼む。――――パパ」


 「きゃ――――――――――――――っ!」


汽笛かと思うような奇声を発し、マジックがシンタローを抱き上げる。


 「うわぁうわぁ、すごいよ、シンタローが私のことパパって呼んだよ、初めてだよ、受験ってすごいよっ」


 「おっ、おろせ!」


 「ああー、受験。素晴らしいよ受験。こうなったらシンちゃん、一生受験しなさい。毎日だって受験してっ」


 「あ、あほ、かっ、わっ、こらっ、おろっせっ」


抱き上げたままクルクルと回りだす。マジックが暴れたところで被害が出るような狭い部屋ではないけれど、それでも机上には大切なプリントや教科書、筆記類などがあるし、なにより杏仁豆腐をこぼされればその下に掛けた受験票入りの鞄が被害に遭う。


あれもそれもこれも、本当は全部分かっていてやっているんじゃないかと思い、忌々しく唇を噛みたいところだが口を開けばその前に舌を噛んでしまいそうだ。


バカみたいにはしゃいで、抱えたシンタローをぎゅうぎゅうと抱き締めながらまんまと寝室の方に進んでいく。その間も回るから、シンタローは本気で目が回りだした。


ぽん、とベッドの上に降ろされる。


体格差を恨んだところで今更どうにもならないが、度々こうしてあしらわれるのは納得できるはずもなく、クラクラしたままそれでもマジックを睨み付けるとまたその仕草に射抜かれたとでも言うように大袈裟な溜め息を吐くとすかさず両腕の中に抱き込んでくる。


 「ああ~、シンちゃんはなんでこんなに可愛いんだろう」


 「あんた、は、なんでこんな、に、バカなんだろう、なっ」


 「うわぁ~目が回ってるシンちゃんもキュート!」


顔中に唇が当てられる。


恥ずかしくて、けれど喜んでいる彼を見て嬉しいと思うのも事実で、そんな自分に赤くなったり青くなったりするのもそろそろ慣れてはきたのだが、それにしたって日本中の親子にアンケートをとったところでこんな関係にある父子は自分たちだけだろうと断言できる。情けない話だが。


マジックは、シンタローの年を知ってはいても理解はしていないと思われる。十五歳というその微妙な年齢と付き合う現代日本の“親父”というものは、まず受験生だからと言って夜食を作ったりはしないだろうし、第一こんな風にベタベタ触れたりしないだろう。


スキンシップは、まあ、構わない。


これまで誰かと馴れ合うことは勿論、親しみを籠めて触れられた記憶も殆どないシンタローにとって、誰かと指先が重なったり、親愛の情で抱き締められたりするのはとても気持ちのいいものだった。特にマジックは自分より圧倒的に大きな体で、包むように抱えてくれるからひどく安心できるし、“大好き”と繰り返す言葉も素直に信じられる。


だから、それ自体はいいのだ。誰も見ていなければ。


けれど言えばまた大袈裟に感動し、今度は徹底的にむぎゅむぎゅと抱き締められた上に、へとへとになるまで遊ばれるから困るのだ。そういうことは、時と場合を選んで欲しい。


それも、言わないけれど。


 「どうしよう、今日もまたさらに、昨日より確実にシンちゃんが好きになっちゃったよ」


 「そーですか」


 「この幸せな気分のまま眠ったら、さぞいい夢が見られるだろうなぁ。」


 「じゃあそうしろ。オヤスミ」


 「ダメダメ。ここで、シンちゃんと一緒に寝るからご利益があるんだよ」


 「俺は神社じゃねぇ」


 「シンちゃんを祀ってある神社なら、私は迷わず神道に進む」


そんなことを、真剣な目を輝かせて断言されたくない。


離す気がないのは十分に分かったので、半分諦めつつ特大の溜め息を吐いてやった。


 「なんで明日が受験当日だってのに、俺はこんな目に遭ってるんだ」


 「受けなくていいのに、なにがなんでもって意地を張るシンちゃんが悪いんだよ」


 「第一志望を受けないでどうするってんだ」


 「違うよ、第五万志望くらいだよ。シンタローが素直にうんって言ってくれないから、制服の注文だって出来ないんだからね?少しは反省して」


 「あのな、…いや、も、いい」


ぐてっ、と力を抜くと、待ってましたとばかり抱き締めた体をさっさと布団の中に引きずり込む。


 「わーい、シンちゃんとラブラブおやすみなさい~」


 「うざっ、語呂悪るっ」


 「なんとでも言って~。あ、目覚まし止めちゃっていい?」


 「いい訳あるかっ」


 「しつこいなぁ、諦めたんじゃないの?」


 「そう易々と、自分の人生棒に振ってたまるか」


 「そんなこと言って、将来なにになりたいか具体的な希望は固まってないじゃない。高校はね、専門的な希望が明確にない限り取り敢えずちゃんとした大学に進むために選んでおけばいいんだよ」


 「どこでそんな教育パパの知識を仕入れて来るんだか」


 「っ、シ、シン、ちゃ、」


 


しまった。


と、思っても、後の祭り。


 


 「シンちゃんがっ!またパパって言った―――――――――っ!」


 「うるせえ!離せバカ!」


 「いやだねっ!」


 「イヤダね、って、おまっ、」


がっしりホールド。


布団の中というのが分の悪さを増している。


 「あー幸せだよぉ~、シンちゃんがパパのことパパって呼んだよ~、私がなにも言ってないのに自分から呼んだよ~」


 「呼んでない!呼んではいないって!」


 「嬉しいよぉ~」


 「だから人の話を聞けーっ!」


 


 


 


プリントは二回と半分。


杏仁豆腐は出したまま。


歯を磨くから夜食はもういらないと、杏仁豆腐の前、一品目の鍋焼きうどんから数えれば三品目を根性で食べきってから歯磨きは済ませておいたので、辛うじて寝る準備は出来ていたのは不幸中の幸いだろう。


私立の受験日は都立高校の十日前で、担任にも学年主任にも合格確実と言われていたから万一都立を落ちても中学浪人は免れる。


それでも最後の望みを捨てきれず、マジックに隠れて都立高への願書を出したことがあっという間にばれてしまい、以来毎日ネチネチ虐められそれだけでも受験勉強どころではなくなっていたのだ。


マジック熱烈お勧めの私立校受験の前日などは、『私の方が緊張で吐き気がする』と言い出すほど神経を張り詰めさせていたというのにこの違い。


 


確かに、合格したらその手続きも入学金も授業料もなにもかも、マジックが負担してくれるのだから文句を言える立場にないのは事実だけれど、それでも。


 


せめて合格したい。


通えなくても、その所為で誰かが落ちることになっても、それでも。


意地だけは通したいのだ。


言いなりになった訳ではないと、いつかマジックが後悔することがないように。


“自分が選んだ”と言って、彼が進めるままに生きている訳ではないと言えるように。


互いに納得できるように。


 


だから制服の注文に行ってもよかったのだ。


本当は、マジックがそこに通って欲しいと言い出したそのときから。 




 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 



合格発表には死んだってついていく。


その言葉の意図するところは、ひとりで行かせて万一そのまま入学手続きをしてしまったら大変だからだということだが、当日は資料を渡され、後日必要なものを揃えた上でなければ出来るはずがないと幾度繰り返しても頑として聞き入れようとしなかった。


結果、シンタローは金髪の大男を従え都立高の合格発表を見に行く羽目になり、周囲の注目を集めることとなってしまった。


容姿で目立つのは勿論だが、貼り出された合格者の受験番号が記されたボードを前にシクシクと泣き出したのだから始末が悪い。彼にとってこの学校に合格することは死刑宣告にも匹敵するそうで、やめろと言ったところで涙も鼻水も止まらなかった。恥ずかしさを超え怒りがこみ上げるのをなんとか飲み込み、マジックの腕を掴んだシンタローはそのまま受付まで行くと高らかに宣言した。


 


その瞬間の彼の顔は、多分、一生忘れない。


 


ぐしゃぐしゃになった汚い顔。ぽかんと開けた口が彼らしくなく、それには噴出しそうになったがどうにかこらえ神妙な態度を装うと、簡単な説明を受けその場を去った。勿論、茫然自失状態のマジックは腕を掴んで引っ張っていかなければならなかったけれど。


 


 『合格しましたが、入学は辞退します』


 


決めていたから言葉はすんなり喉を通った。落ちていたらとは微塵も考えないところがシンタローらしいが、それでも絶対に合格しなければならなかった。受かった上で、選ばねばならなかった。


自分を拾って、受け入れて、そして育ててくれる。


赤の他人のマジックが、シンタローのために学資を出し、生活すべてを保障してくれる。それらを恩に着せたり、まして口に出すことはなかったけれどそれでもシンタローは感謝の意をなにかの形で伝えなければならないから。


だからマジックが望む学校に進学することが、自分にとっても一番だと思ったのだ。


意地の張り合いなら負ける気はしない。けれどシンタローは物事を柔軟に考えることが出来る方だったし、なにより彼の喜ぶ顔を見たいから。


だから、本来進もうと思った道もきちんと進めると示した上で別の方向を望んだのだ。自分自身の意志で。


言うつもりはなかったけれど、あんまりしつこいからつい話してしまった。


車に戻ってもなかなか発進させないマジックは、彼には珍しく落ち着きのない目であちこちに視線を飛ばし、それから思い切ったように“書類をもらってきなさい”と言った。


切羽詰って、目をぎゅっと閉じて、怖いものから逃れるような仕草で言うからついおかしくなって大笑いしていると、今度はいきなり怒り出した。


人の気も知らないで。


そう言って目を吊り上げる。ああ、この人は可愛い。大人なのに真っ直ぐで、けれどそれを見せるのはきっと自分にだけで、甘えていて。


なんて可愛い人だろう。


愛しいのだろう。


自分より随分年上なのに、そう感じさせるなにかがある。それが寂しさだということは薄々分かっていたけれど、二人でいるのだからもう、なにも怖いものはない。


 


合格したかった。ここを受けて、受かって、それでも向こうの学校に通うって、そういう風にしたかったんだよ。そうじゃなきゃ俺もあんたも、ダメなんだよ。


 


いまどき“えーん”とか“ひーん”とか言って泣く者がいるという事実に大笑いしつつ、それでもシンタローの胸の中も大層熱くなっていて、本当は涙をこらえるのに必死だった。


倒れこんできた頭を抱え、よしよしと言いながら撫でてやると、少し悔しそうにしながらもすぐにヘラヘラと笑い調子を取り戻したのか早速ベタベタとまとわりつき始めた。


目立つ車の中でじゃれあっている訳にも行かず、どうにか引き離すと冷たいとかなんとか文句を付けたが、来るときとは正反対の上機嫌になったマジックはその足で買い物に行こうと言い出した。


それは予想通りだし、確かに必要なものを揃えなければならないので了承すると、何事に付けても大袈裟なマジックはそのまま銀座に向かう。


いちいち逆らうのは面倒だから暫く静観していると、車は案の定高級と呼ばれる店の前に横付けされた。すぐに店員が駆けつけ応対するのも、彼に対してならば納得出来てしまう。出来はするが、それが自分に向けられるとなれば話は別だ。


大体、この店に“シンタローが高校に入学するに当たって必要なもの”などありはしないのだから。


 


 


 「ペンケースと、筆記具と、財布と…紙幣とコインパースは分けて。それから勿論、鞄も必要だね。指定の鞄はあるけれど、それ以外の持ち物を入れるバックが二つ三つはいるだろう。それからハンカチ…タイピン、は行き過ぎかな。ああ、靴も一応見ておこうか」


 「おい」


 「そうだ、スーツを仕立てよう。お揃いで。お祝いにどこか食事に…ああ、旅行にしよう。じゃあスーツと、シャツも何枚かいるね。ああ困った、急すぎてなにも思いつかない」


 「それだけ瞬時に思いつけば十分だ。つかコラ、呼んでるだろ」


 「時計!そうだよ、肝心なものを忘れるところだった。どうしよう、時計はどこがいい?ここ?それともこれもパパとお揃いにしようか」


 「どこの世界にそんなキンキラな時計を付けて学校に行く高校生がいるんだっ」


 「ん?ここに」


 「アホ!」


黙っていればエスカレートするばかりなので、仕方なくマジックの腕を取ると店の隅に引っ張っていく。


 「筆記用具も鞄も靴も、いまあるもので十分だ!」


 「だめ。心機一転、新しい生活をするんだからね。なにもかも新調して、気分も新たにやっていかなきゃ」


 「それにしたって限度があるだろ」


 「シンちゃん、パパが見たところあの学校に通う子はみーんなこのくらいのことしてるよ?シンちゃんの使ってる物って、もう随分くたびれてるじゃない。パパはいやだよ、シンタローだけ仲間外れみたいなこと、堪えられない」


 「堪えるのは俺だし。ってゆーか、別に困ってないし!」


 「私が困る」


 「困るのは俺だ!」


 「ほら、困ってるじゃないか」


 「は?」


 「困ってるのは俺だ、って言ったよ」


 「え、は?あれ?」


 「ね、困るでしょ。ああ、そのトランクはいいね。いずれは修学旅行もあるし、それももらおう」


 「え?あれ?」


 「自転車もあるの?じゃあそれも」


 「えーっと、ちょっと待てって。あれ?俺は困ってるのか?困ってないのか?」


 「傘!傘だよ、傘。まあ移動は出来る限り私が付き添うけど、相合傘というのも風情があっていいだろう。うん」


 「あれ?」


 


シンタローの弱点は、意地っ張りの割りに単純なところ。


意外と素直なところ。


そして。


 


人のテンポに、巻き込まれやすいこと。


 


 


 


 


その後、自分自身で広げた深みにはまりきったシンタローは、それまで使っていた一番狭い部屋から、マジックの隣室に当たるこれまでの倍ほどもある部屋に引っ越すこととなった。


因みに、一番狭いといっても以前暮らした部屋の数倍はあったのだから、これから過ごす部屋など品物を置いていなければ落ち着かないだけの空間に成り果てていただろう。


あれから毎日のように買い物に行こうと言ってくるのをどうにか抑え、学校指定品一覧とにらめっこしながら最低限のものだけを買うように教育した。


いちいち“有名デザイナーが手がけた”、という枕詞がつくので指定品だけでもかなりの額面になるのだ。入学金も授業料も、子供の数が減ったいまとなっては取れるところから取ろうという算段なのかと、清貧が身についたシンタローなどは自分が子供だということを忘れつい考えてしまうほどの高額だ。


勿論、提案をことごとく却下されるマジックは不満を溜め込む一方で膨れた頬は“おたふく風邪”ですかと言ってやりたいほどになっている。


シンタローとしても、必要なもの、欲しいもの、あったら便利なものと、許容範囲を広げてやってはいるのだがそれも一つ許せばまたこれもと際限なく提案してくるのできりがない。


いずれは返すつもりなのだ。


返さなければならないのだ。


そうしろと言われた訳ではないし、ましてマジックが返せと言った訳でもない。それでもシンタローにもプライドはあるし意地もある。心に受けた恩恵だけでもこんなに大きくありがたいのに、実際にかけてもらう金銭は既に数年かけても返せないほどに膨らんでいる。


それを望んでいるとは、まして喜ぶとは思わないけれど、それでも奨学金はいずれ返金されるものだし、生きるためには絶対的に必要な金銭に関わることだからそのことだけはきちんとしておきたかった。


だから、自分がそう考えていることを告げておかなければなるまいと意を決し、夕食の席でまた膨れっ面になり閉じこもってしまったしまったマジックの部屋のドアをノックした。


鍵は掛かっていない。


シンタローならばいつ何時入室されても構わないと言っていた言葉に嘘はないが、その逆も求められるので少々困ることもある。別に突如入ってこられても怒ることはないが、自分がいない間にあちこち見られるというのはやはり気持ちもいいものではない。


けれどそれはまた別の機会に話せばいいことなので、返事がないまま三度目のノックをしたところで漸く室内で人の動く気配を感じた。


 「入るぞ」


溜め息を吐いてからドアを開ける。彼と付き合い始めてから溜め息が多くなったと思うのは、最早気のせいなどではない。


冷静に。


大人になって。


自分に言い聞かせつつドアノブを回し、彼のテリトリーへと踏み込んだ。


 


 「…いい加減、諦めろよ」


 「………」


 「必要なものならちゃんと言うから。どう考えてもいらないものまで買われたら困るんだよ」


 「私が好きで買ってるんだよ」


 「そうかもしれないけど、それにしたってもう限度を超えてるだろ」


 「なんで?どうして?シンちゃんはただ持って歩くだけでいいんだよ?私は使ってくれているところを見たいだけなのに、なぜダメだなんて言うの?」


 「学校にダイヤなんか付けてくバカがどこにいる」


 「指輪はいや、ネックレスもいやって言うから、それならキーチェーンで手を打とうと言ってるのに。パパはちゃんと譲歩しているのにうんって言ってくれないシンちゃんの方が酷いじゃないか」


ハンカチを噛んでいる。


いつも思うことだが、この人の仕草は妙にクネクネしているところがあり、見るたびムカムカと腹が立つ。シンタローは生粋の硬派、俺様気質の塊なので余計にそう感じるのかもしれないが、そういう態度をされると馬鹿にしていると判断するように出来ているのだ。


だからさっきも、つい声を荒げて『いらねぇったらいらねえ、バカ!』と怒鳴ってしまったのである。


拗ねて膨れたマジックは涙目のまま自室に駆け込んだので、暫し時間を置いて“冷静になれ”と自分に言い聞かせたシンタローの苦労も知らず未だに恨みがましい目で見てくる彼には正直腹が立つし勝手にしろと言いたいが、それでは話が進まない。


だから決心して訪ねてきたのだ。


もっとさりげない場面で告げたかった決意を。


ウロウロと歩き回るマジックの腕を掴み、ソファへと座らせる。彼の体格に合わせた特別製のそれはシンタローには随分大きく、座ると体が沈みこむので少し、苦手だった。


それでも隣に腰掛け、掴んだ腕はそのままに蒼い目の奥を覗き込むと、そうされることが落ち着かないのかキョロキョロと視線を彷徨わせどこか逃げ込める先を探すような顔つきになった。


そういうところは可愛いと思う。とても、とても可愛いと思う。


虐めたい悪戯心も確かにあるが、それを越え余りある慈しみが湧いてきてしまう。血の繋がりなどなくても傍にいられるというのはこういうことなのかもしれない。


シンタローは、マジックがどう思っていようと離れるつもりはなかった。もし、この手を離すときが来るとしたらそれは自分からではない。彼がいなくなるということは、もう一度あの時間に戻るということと同義で即ち死にも等しい意味を持つものだった。


光の差す場所から暗闇へと帰ることは、この眩しさを知ったいまとなっては堪えられるはずもないことだから。


 「あんたにしてもらってること全部、本当にありがたいと思ってる。感謝してる」


 「アンタじゃないよ」


 「…と、うさん」


慣れない呼びかけにつかえてしまうのは仕方のないことだ。それでもそう呼ぶとマジックが喜ぶから、ぎこちなく上目遣いになりつつ呟くと漸く機嫌を直したのか掴んでいた腕がそっと外され、代わりに指を絡めるように手を繋いでくる。


恥ずかしい。でも。


嬉しい。


 「私はシンタローのためならなんでもするよ。でもなにをすれば喜んでくれるのか、まだ分からないことがたくさんある。遠慮じゃなく照れているんだってことは少し、分かってきたけど。それでもまだまだ、互いに伝わってない気持ちがあるよね」


 「うん」


 「だから私はひとつひとつ確かめているんだ。シンちゃんがなにをすると嬉しいか、自分の目で見極めているんだよ。そのために、思いついたことは全部実行してみているのさ」


 「気持ちは、分かった。俺だってあ、…父さんが、喜ぶことなら、いちいち怒ったりしたくないと…思う。でも、駄目なことも、ある」


 「ダメなこと?」


破顔して、けれど続く言葉にきょとりと目をむく。


 「なにがダメなの?」


 「嬉しいから、ありがたいから、だからちゃんと決めておきたい。知っていて欲しい」


 「なにを?」


 「すぐにって訳にはいかないし、どれほどかかるか分からないけど…かけてもらった学資は、ちゃんと、返す」


 「…どうして?」


 「生活費は、俺のこと引き取って、育ててくれるって決めたのがあんただから、だからそれは、甘えてもいいのかもしれない。でも学校に行きたいのは俺の勝手だし、そこまでは駄目だと思う」


 「なぜ駄目なの?」


マジックの顔から砕けた雰囲気が抜け、まるで表情をなくした人形のような眼差しになる。ある程度は予想していたシンタローも、あまりの変貌に戸惑い、言葉が続かない。


 「なぜそんなことを言うの?私の世話になるのはいや?」


 「ち、がう」


 「じゃあどうしてそんなことを言うの?」


 「なにもかも世話になって、本当の子供みたいにしてくれるのはありがたいよ。でもやっぱり違うから、だから金のかかることでは出来るだけ寄りかかりたくない。生意気なのは分かってるけど、だけどそれだけはしたくない。いつか、そのことで気まずくなるようなことには…なってほしく、ないから」


マジックの目を見詰めながら、一生懸命言葉を繋いだ。


 「私はシンタローのすべてを引き取ったと思っていたけれど、違うの?」


 「違うとか、そういうことじゃなくて…」


 「お前はいつか私が、かけてやった分を返せと言うと思っていたの?」


 「思ってない、そうじゃない!」


 「じゃあどうしてそんなことを言うの?たとえどんな思惑があろうと、そう言われた私がどれほど傷付くか分からなかったの?考えてもくれなかったの?」


 「そんなこと、」


ない、と。言い切ることは、出来なかった。


けれどそれはマジックが傷付くかどうかということではなくそれ以前の問題で、シンタローに他意があった訳ではなくまして傷付けようと思い口にした言葉ではないのだ。


まるで初めて見るもののように、色を失った瞳で見下ろされる。繋いでいた指先から力が抜けていく。このままで離されてしまう。消えてしまう。


どうしよう。


 


どうしよう。



 

 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 



どうしよう。


そう思ったのは一瞬だった。躊躇う間はなかった。


失うことが、ただ怖かった。


 


伸び上がり、マジックの首に回した腕でしっかりとしがみつく。


容易に引き離されないよう力を籠めたから、さすがに苦しいのか小さな声で抵抗してきたけれど構うことなく抱き締めた。強く、心に届くよう。


 「苦しいよ」


 「いつも俺が言っても聞かないくせに」


 「だって、好きだから」


 「………」


 「シンタローのことが、大好きだから。だから、離したくないと思うんだよ。そう思っているんだよ」


 「そんなの…そんなの俺だって同じだ!」


傷付けたくない。


傷付けられたくない。


不器用な自分では、気付かぬうちに与えてしまっている痛みがあるのは確かだと思うがそれをそのままにしておこうとは思わないし、また出来るはずもない。


聞いたことはないけれど、彼はなにかに傷付いている。まだ話してくれないけれど、シンタローに接することで救われたがっているのが分かる。愛することで許されたいと、人でありたいと願っているのは分かっている。伝わっている。


 「大事だから…借りは作りたくないんだ」


ゆっくり、ひとつずつ言葉を綴る。言いたいことが真っ直ぐ伝わるよう、自分の中でも響くように。


 「いろんなもの買ってもらって、食わせてもらって、感謝しなきゃならないのにそのうちそれが当たり前みたいになったら困るんだ。迷惑だって、図々しいって思われたくない。そんなこと思われるようになったら俺、傍にいられない。一緒にいてもらえない」


 「私が好きでしているんだよ。もう何度もそう言ったよ」


 「そうだけど…それは、そうなんだけど…」


 「貸しているだけならそう言うよ?返して欲しいものなら初めからそう言っておく。だけど親子には貸し借りなんてないでしょう?シンタローとはそういうことをすべてなくしたいから、なくせると思ったから言ったんだよ。親子になろうって、言ったんだよ」


気持ちは分かる。シンタローとしても、ほかのことに関しては既に遠慮の気持ちなど薄れていたから、彼の言う通り“親子”になれると思っていた。それでもいままでの暮らしの中で、常に、絶対的に自分を縛り付けていた“生きるために最も必要な糧”と言える金銭に関わることを有耶無耶にすることは出来なかった。それが原因で諍うことになるのが人間だから、だからこそマジックとの間にそれを生じさせたくはなかったのだ。


未熟で拙い言葉だけでは伝わらない。それがもどかしく唇を噛み、高ぶる感情のままそれでも懸命に言い募る。


大切だから。


信頼しているから。


ずっと傍にいたいから。


好きだから。


愛されたいから。


 「嫌われるかもしれないことは、ひとつも残らないようにしたいんだ」


 「嫌いに思うことなんて、いままでもこれからも、なに一つないよ」


抱き締められるといつだって、小さな子供に返ってしまう。


苦しくて、切なくて、漠然とした不安に囚われ震える心を持て余す、寂しい自分に戻ってしまう。慰めてほしくて、愛してほしくて、ただ、彼しか見えなくて。


 「シンタローは、自分で思うよりずっと子供だよ」


優しく背を擦りながら囁かれる。その声がとても、心地よくて。


 「無理に冷めた考えをするよう、自分を作ってしまったから。だからいま、とても不安定なんだと分かってる。でもね、甘えていいんだよ。私はお前を甘やかしたくて仕方ないんだ。なにもかも与えて、なにもかもしてあげて、どんなにわがままなことでも聞き入れてあげる。一から百まで許してあげる。だからシンタローは、そうしたい私のわがままを許して。お前を丸ごと、愛させて」


 「なんで…そんなに、俺のこと…す、好きなんだよ」


 「私は利己的でね。だからかな」


 「どういう意味?」


 「シンちゃんが可愛いってこと」


瞼に、口付け。


 「ごまかすな」


 「ごまかしてないよ。大好きだよ」


確かに、彼に比べれば随分小さな体だけれど、軽々と膝に抱えられると恥ずかしくて仕方ない。しかも仕方ないとはいえかなり赤面ものの台詞を語らされたシンタローとしては、出来ればこの場から逃げ去りたいのだけれどいつも通りしっかりと抱き締められては逃げようがない。


仕方なく、本当に仕方なくこうしているのだ。


自分に対する言い訳を、自分の中で繰り返しそのくせ指先はしっかりマジックの胸元を掴んでいる。所詮はそういうことなのだ。


 


暫くの間、無言でシンタローを抱き締めていたマジックが低い声で言った。


 「お願いだから、私を拒絶するようなことは言わないで」


 「別に、拒絶とかそういう意味で言ったんじゃない」


 「それでも、言わないで。逃げないで。疑わないで。私をひとりに、しないで」


胸を締め付けられる切ない声。


なにかを隠している。彼は、自分のなにもかもを欲しがるのに、自身のことについては語らない。そう思う瞬間が幾度かあって、その度に寂しい思いをするのに聞き出すこともまた出来ない。


自分に優しくして、甘やかして、そうすることでごまかそうとしているのは彼の方だ。


不実さを責めたいけれど、口に出すことは怖くて出来ずにいる。いつか話してくれると信じ、今日もまた思いを閉じ込め目を伏せる。


波立つ心を、静める。


 


それから長いこと彼の腕の中にいて、いつの間にかうとうとしていたシンタローが気付くと、マジックは彼の手を取り何事かをしているようだった。


薄目を開け様子を伺うと、どうやら指に、なにかをしているらしい。


 「…なにやってる」


 「あら、起きちゃった」


へらへらと笑いつつも手は止めず、それどころか素早く完了した自分の企みにうんうんと頷きながら納得している。ちょっと気を抜くと妙なことをしている彼だから、眠い目を懸命に見開き我が身に起きたことを探ってみた。


 「…なんだこれは」


 「買うのがダメなら、こうするしかないでしょ」


 「そういう問題じゃない」


 「なんで?これ、私の持ち物だから。それを預けるだけだから問題ないよ」


 「だから、そういうことじゃなくて」


 「もーっ!シンちゃんってばうるさい!」


 「逆切れするなっ!」


彼は都合が悪くなると、わーわー言いつつ自室へ逃げ込むか、理不尽なことを喚きながら逆切れをするという性質の悪さを発揮する。そういうところは絶対に自分よりガキだと思うのだけれど、そう突っ込むと今度は拗ねて泣くのだから始末に終えない。


 「外せよ!」


 「いやだね!」


 「威張るな」


 「威張ってないよ。シンちゃんのわからずや!」


 「わからずやはどっちだ!」


 「シンちゃん」


 「えーい、ああいえばこういうっ!ガキか!」


 「赤ちゃんみたいなシンちゃんに言われたくないですぅ」


 「ぐっ、」


おーよちよち。


言いながら、抱えたままのシンタローを赤ん坊をあやすように揺すってくる。目が覚めたときに逃げておくべきだったと後悔しても後の祭りで、歯を食いしばりつつ腕を突っ張り抱え込まれないようにするのが精一杯の抵抗だった。


 「よく似合ってる」


 「似合うわけないだろっ」


 「ブルーサファイアだよ。私の目みたいでしょ」


 「自分で付けてりゃいいじゃねぇか!」


 「シンちゃんに付けていてほしいんだってば」


 「でかすぎ!緩い!ってゆーか、こんなもの学校に付けて行けるわけないだろ」


 「えー、いまどき珍しくもないでしょ」


 「珍しいかどうかを言ってるんじゃない!俺のキャラクターにはこんなのないのっ!」


 「でも似合ってるってば」


 「指輪なんか似合っても嬉しくない!つかいつの間に!!隠し持ってたのかっ」


しかも左手の薬指に付けるなんて。


有り得ない。


シンタローの常識の中では金輪際絶対的に有り得ない。


 「信用してもらえないのは辛いから、不安になったらこれを見て“ああ、パパはシンちゃんのこと大好きなんだなぁ”って浸ってくれればいいなと思って」


 「誰が浸るか!」


 「だって次にあんなひどいこと言われたら、私はもう本気で立ち直れないよ?」


いいの?


パパ、泣いちゃうだけじゃすまないよ?


真顔で言うから性質が悪い。


 「それは…本当に、そういう意味で言ったんじゃないけど…まあ、悪かったかなって…」


 「反省したら、これからは私のすることに文句ばかり言わないでね」


 「うっ、それとこれとは、」


 「恩を感じろなんて言ってない。私がそうしたいんだから、好きにさせて」


 「だからそれは、」


 「ね、お願い、シンタロー」


じっ、と。


蒼くて、深くて、真っ直ぐで。


指に光る宝石よりも煌いて。真摯で。


 


卑怯だ。


マジックは卑怯だ。


逆らえないその真っ直ぐすぎる思いに圧し掛かられ身動きが出来ない。縛られる。


どうしてこんな目で見るのだろう。


なにを、隠しているのだろう。


もどかしい気持ちを伝えられれば楽なのかもしれないけれど、いまはまだシンタローの心も揺れるばかりで問い質すことは出来なかった。信じて欲しいと、拒まないでほしいと言いつつ本質を見せていないのは彼の方で、その思いを告げれば拒絶されるのではないかという気配が恐ろしくて、言えない。


聞けない。


 


見詰めたまま呟く。


 「なんで俺…こんな厄介なやつに捕まったんだろう」


 「いや?私が嫌い?」


 「だから、………いい。も、分かった」


いまは、いい。


聞けないのならいまはいい。触れないでおく。


意気地のなさに情けなさを感じはするが、それでも手に入れたばかりの温もりを自ら失うようなことは出来ないから、だからシンタローはなにも言わず首を振った。諦めた風を装って、抱き締める彼の腕に爪を立てた。ほんの、意趣返し。


 「痛い」


 「痛いようにやったんだから、痛くなきゃ困る」


 「シンちゃんのいじめっ子」


 「あんたには負ける」


 「パ、パ」


ひくり、と全身を強張らせると、マジックが意地悪く耳元で笑った。


彼の、甘く低い声を直接耳に注がれれば反応しないはずがない。くすぐったくて、ざわざわと波打って、体も心も神経も、彼の操るままになる。


それが悔しいから睨み付けつつ指輪を外しなるべく遠くに放ってやると、なにがおかしいのか大笑いをしながらきつく抱き締めてきた。


 「ほんっとうにシンちゃんは可愛いなぁ」


 「バカじゃねぇの」


 「私?バカかな?」


 「大バカだよ!」


 「そう。シンちゃんが言うならそれでもいいよ」


 「あーあ、俺はこんな大人にだけはならないぞ!」


 「こんなって?」


 「バカで、常識がなくて、裁縫が趣味で、変な仕事してて、」


 「え、変な仕事?」


 「してるじゃねぇか」


出逢いを思い出せばいまでも恥ずかしさに震えが来るが、あの世界に彼がいたから救われたのだし、それで養われている身としては文句の付けようもない。


 「あー、そっか。そうだった」


 「なにが」


 「べつに」


 「なんだよ、別にって」


 「べつにだから、べつに」


 「だからなにが別なんだよ!」


 「べっつにー」


なにが嬉しいのか、ヘラヘラと笑いながら抱き締めてくる。そのまま立ち上がり投げた指輪のところまで来ると、『拾って』と言いながらしゃがみこむ。


 「シンちゃんがいない間に“お仕事してる”からねぇ」


 「…なんだ、その意味深な言い方は」


 「べ、つ、に」


素直に指輪を拾うと、抱き上げたまま器用に腕を捕らえまた指輪をはめてくる。抵抗したから、今度は人差し指にしか付けられなかったけれどどの道マジックとはサイズが違うのでどこにつけても緩かった。


 「持ってて。お願い、指には無理でも、持っていて」


蒼い目が真っ直ぐに見詰めてくる。石と同じ、それ以上に輝く瞳に見詰められると、魅入られたように動けなくなるのは自分だけなのだろうか。


 「なくしたら…困る」


 「チェーンにつければいいよ」


 「それなら…まあ、いいけど…」


 「ありがとう」


シンタローにとって彼が笑顔でいることが、なにより大切で尊いことになりつつあるいま、嬉しそうに笑ってくれればそれだけですべてが許せてしまう。


その思いの甘さには自分でも呆れるけれど、それでも構わない。逃げたりしない。


 「とか言って、俺以外にもばら撒いてたりして」


 「ばら撒く?」


悔し紛れにせめて憎まれ口を叩こうと、意味もなく呟いた言葉に自分で反応してしまう。


マジックのしている仕事が世間的には日陰の部分にあることなのは分かっていても、彼が、不特定多数の前でシンタローの知らない姿を晒しているという事実は、なんともむず痒く心の奥を波立たせる感覚を沸き起こした。


 「だれかれ構わず指輪を渡していたら、結婚詐欺で捕まっちゃうでしょ」


 「…ふーん」


 「あれ、やきもち?本当にシンちゃんはかわいいなぁ」


 「誰がやきもちなんか妬くか!」


頬を膨らませ、ぷいっと横を向くという態度を取っておいて“やきもちじゃない”と言ったところで説得力の欠片もない。それでも言い当てられたと認めることはプライドが許さないし、なによりそんな思考に囚われたと察知されるだけでも恥ずかしい。


悔しくて、それからいつまでも笑っているマジックに腹が立って、拳を握るとそれで頭をポカリと叩いてやる。


 「シンちゃん…」


蒼い目をキョロリと丸くし、シンタローを見詰めること五秒。


 「かわいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」


 「ふぎゃっ」


 


真正面から抱き込まれ逃げることも出来ず、どうにか動く手足をバタバタ振り回せばその仕草が可愛いとさらにぎゅうぎゅう締め付けられる。


 「あー、かわいいよぉ。食べちゃいたいくらいだよぉ~」


 「わわっ、スリスリするなっ!」


 


 


本当に、どちらが子供か分からない。


こんなバカは生涯自分が面倒を見てやらなければ、きっと、長生きなんか出来ないんだ。


呆れながら、溜め息を吐きながら、けれどそれがポーズでしかないのは自分が一番知っている。彼のことをどれほど好きか、誰より本人が自覚している。


摺り寄せた頬を指先で摘まみ、その緩みきった顔が少しでも引き締まるよう、引いたり、吊り上げてやったりしてみたけれど笑うばかりで一向に“大人の顔”には戻らなかった。


 


でも、いい。


子供だって構わない。


彼が彼であるならほかはなにもいらないし、望まない。


またひとつ増えた彼との“つながり”が指先で光るのを見て、とてもくすぐったく感じる。それこそが自分たち二人を包む幸せだと思った。


彼とシンタローの、ともにあるという、証。


 


 「チェーンを買いに行かなきゃね」


 「それだけだからな。他にはなにも買わないからな」


 「えー」


 「えーじゃない!」


 


 


 


作っていく。


作り上げていく。


大切な彼と、過ごすときを。


 


 


 


 


 


 


第二章 了 NEXT




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