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m6


 

 

 
      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


魔の会談は、魔の会食にまで発展し、シンタローが開放されたのは午後九時を回ってからのことだった。


明日も通常通り授業があるので、予習復習を怠りなくしておきたいというのに、予定は完全に狂わされた。いや、それだけであれば本来怒るほどのことはない。


シンタローにとって教科書は二手ほど先んじるものだし、一週間休むことになったとしてもそれで後れを取ることはない。生来の負けず嫌いと、マジックに報いたいという気持ちを常に優先させる彼にとって、だからその程度のことであれば機嫌を悪くすることはないのだ。


本来であれば。


親バカの会とシンタローが勝手に名付けたおかしな集団と別れ車に乗ると、シンタローはそれ以前よりも口を閉ざし頑なに彼の方を見なかった。


マジックにとって、拷問ともいえるべき密室空間は恐ろしい沈黙に包まれ、いたたまれなさを倍増させた。機嫌よく『昨今の父親事情』を語っていられたうちはよかったが、二人きりになると冷戦状態にあった現状を嫌でも思い返させる。さすがの彼もその絶対的な無言の応酬には敵わぬらしく、ちらちらとシンタローの気配を窺いながらなにかきっかけは掴めないかと間合いを計っているようだった。


信号を越えて。


角を曲がって。


コンビニの前を通り過ぎるとき、なにか欲しいものがあるかと尋ねたがあっさり首を振られ撃沈する。


散歩中の犬を見付け、可愛いねと言ってみたが完璧なまでに無視された。


再度信号を越えて。


角を曲がって。


そうして自宅マンションの地下駐車場に到着すると、無言のまま車を降りたシンタローはさっさとエレベーターホールへと歩いていってしまった。


さすがにひとりで乗り込むことはしなかったが、俯いたまま“話しかけるな”というオーラを身に纏うことは忘れない。重力のかかるその小箱の中で、マジックは情けなく眉尻を下げたまま頑なな息子を見下ろしていた。


 


玄関を抜けると、さっと小走りに自室に向かう。


呼び止める暇もなかった。


出逢った頃より幾分伸びた髪は肩の辺りで柔らかく跳ね、その軌跡を見せ付けるかのように翻した後姿はあっさり扉の中に消える。見送るマジックは手を伸ばし、その細い背中を捕まえてしまいたかったが諦めた。無理強いをすればもっと頑なにさせてしまうだろう。それはよろしくない。


シンタローは難しいところのある子供だと分かっている。


マジックに対しては恐らく他の誰より心を許してはいるが、それだってつい最近までは他人だった自分にどう接していいのか計りかねる部分はまだまだあるだろう。寂しい時間を生きてきただけに、人の心を思いやることには長けている。だからこそ自分を見せることに躊躇いを感じるのだろうし、恐怖を抱くこともあるのだ。


それは、分かる。


マジックには。


痛いほどに分かってしまう彼には、だからこそ無理やり振り向かせることなど出来なかったのだ。触れられたくないところは誰しも持っていて、自分にも、正直伝えていない部分がいくつかあるのだから。


湿った、重たい溜め息をつきながら自室に向かう彼の背中は寂しげで、それはシンタローの姿によく似ていた。


同じ思いを抱えているのが分かるほどに、それはよく似た気配だった。


 


 


部屋に戻ったシンタローは、捻じ曲がった自分の臍を宥めるのに必死だった。


怒っているのは入学式当日のことであり、今日のことは腹を立てることではないという自覚は十分あるので、感情の軌道修正を図らなければならないのだ。


新入生と、式に出席した生徒会役員、教職員が居並ぶ晴れやかな舞台でかかされた恥は如何に世話になっている身とはいえ堪えがたいものであり、その点についてはまだまだ反省させたいところなのだ。だから口を利かないのはあの日のことが原因であり、それ以外には特に理由らしきものはない。


けれど疼く胸の中にある奇妙な感覚は明らかに今日の出来事に対して沸き起こったもので、その正体が自分でもよく分からないことがもどかしいのだ。


制服を脱ぎ、教えられた通りきちんとブラシを掛けてからベッドに座る。


アラシヤマの父親は、呉服界…というものがあるのかどうか知らないが、とにかく京都ではその名を知らぬもののない重鎮であり政治家にすら顔の利く大人物であるらしい。その実とんでもない親バカで、マジックと同等に渡り合える息子バカであることも分かったが、自分たちとははっきり違う点があることに気付かされた。


彼らは実の親子なのだ。


血の繋がりのある本物の父と息子であり、自分たちのような“作り上げようとしている”関係ではない。


だからなのか、アラシヤマは父親の言うこと、することをすべて無条件に、無意識に受け入れなんのてらいも抵抗もなかった。すべてにおいて自然だった。いっそ憎まれ口に近いような言葉であっても、彼が父に与えるそれは一欠けらの他意もなく、また父親もそれを正しく真っ直ぐに受け止めていた。


それに引き換え、自分たちはどうだろう。


冷戦中なのは確かだとして、話す言葉はギクシャクとぎこちなく、どこか噛み合わないことが幾度もあった。普段気にも留めなかったけれど、“完璧な親子”を前にすればその不自然さは嫌でも感じられそれを自覚することがどうにも我慢ならなかった。


マジックは優しい。


シンタローの拙い話でもきちんと耳を傾け、からかいながらも尊重してくれる。対等に扱ってくれる。


それは互いを認め合う行為であり、複雑な環境に育ったシンタローからすればとても有り難いことだったが、ふと、その根本にあるのは遠慮なのではないかと思い至ってしまった。


突如沸き起こったその考えは、あっという間に広まりいまやシンタローの思考を埋め尽くしている。


シンタローにとってマジックは唯一絶対の理解者だ。喧嘩はしていてもそれは変わらない。


けれど彼にとっての自分はどうだろう?


子供で、頼りなく、なにをおいても守るべき存在。その責任の所在を自ら求め、保護者という立場で自分を支配している。支配、といえば聞こえは悪いが、大人が子供に与える義務と責任を言い換えればそれこそ当然の関係だと思う。


シンタローが独り立ちするには時間が掛かる。


だからマジックには自分を庇護下に置く当然の権利がある。


対等に見てくれるのは、だからマジックの誠実さの現れであるだろうし、彼が日本人ではないということも関係しているのかもしれない。


負けず嫌いで一方的に世話になることをよしとしないシンタローを慮った上での態度なのだろうということも薄々ながら分かっている。


けれど。


それでも。


やはり本物ではないと、本物にはなれないと、まるで彼から突きつけられたようで。被害妄想でしかないその思いを、けれどゼロには出来なくて、辛い。苦しい。


悲しい。


シンタローが理事長室に到着したときには既に打ち解け合っていた息子バカ二人は、始終機嫌よく語らっていた。その中に時折、マジックのことを褒め称える言葉もあったがなにを差してそう言ったのかは理解できない。


アラシヤマの父は立派で、地位も名誉もある。マジックのように得体の知れない、日陰の仕事をしている人間とは違うのだ。それを知った上であのようなことを言うなら嫌味の限度を越えているし、知らずにいるなら気恥ずかしく、情けない気持ちになってくる。


複雑な感情に苛々している自分に気付きもせず、ヘラヘラと笑っているマジックが信じられなかった。結局第三者の前ではいい顔しかしていないのか、実などないのかとはらわたが煮える思いがこみ上げる。


誰に対して湧き上がる怒りか分からないけれど、とにかく腹が立って悲しくてやりきれないのだ。


どうしようもなく寂しくなる。


 


これではいけない、冷静になろうと深呼吸をしてみる。


自分の思考にはまりなにを考えているのかすら分からなくなりそうで、もう一度、きちんと順序だてて解釈すべきだと自分自身に言い聞かせた。


そして、指折り数える。


 「入学式のことでむかついてるのが、大前提。俺はこれで腹を立ててる。うん、間違いない」


次は、自分の知らないうちに呼び出しを受けていたこと。


登校時の車中ではなにも言わなかったのに、実は前日の午前中には理事長から連絡を受けていたという。アラシヤマの父親が急遽上京することとなり、その際、愛息の友人とその両親にぜひ会っておきたいという申し出があったからだと聞かされた。


お前は何様だ、と言ってやりたかったがそれは抑えた。確かに、名門に生まれたお坊ちゃまのご学友ともなれば氏素性は把握しておくに越したことはないだろう。事実、シンタローの生まれはごくありふれた家庭であったし、育った環境はかなり粗悪なものだった。


なんだか馬鹿にされたような話であり、シンタローとしては尊大な態度に腹が立つ。マジックにしても、自分の息子の調査をされるような扱いに憤るべきではないかと思うのだが、その辺は彼も自分の素性を卑しいと思っているのか気にした風は一切なく、それにはムカムカと胸の奥が疼くことを止められない。


シンタローはいつ、誰に過去を知られたところで構わなかった。いまの暮らしを妬まれたり、嘲笑われても構わなかった。隠し通そうとするより潔く曝したかった。曇りはないから。


その思いをマジックに裏切られた。そう感じて腹が立った。悲しかった。


自分のことを本当は持て余しているのかと、そんな風に思えて辛かった。


 「そうか、じゃあ結局、今日のことでも腹が立つんだ」


それから感情の両極端さに思い至る。


苛々して、むかついて、けれど寂しくて悲しい。


一目見て血縁であるとは思えない自分を息子を紹介するのはありがたい。けれどそれも度を越せば嫌味になる。常々話しても構わないと言ってきたシンタローにとって頑なに“我が子”と通されるのはまるで養子であることを恥じているかのような気にさせられ情けない気持ちになるのだ。


聞かれもしないのに話すことはないと思う。けれどそれではもやもやとした不快感が残るのだ。シンタローの我が侭でしかないのだろうが、その思いに冷たく胸を刺された。


合流する前に話していた可能性を考える。


なさぬ仲ではあることを、彼らが承知していたなら敢えて話題に出さないのも当然だろう。シンタローを前に『きみは実子じゃないのか』と話題を振るなどありえない。


だから、やはりこの苛々や寂しさは被害妄想の部類に入る。取り越し苦労だし、早合点だ。


曲がっていた臍が定位置に戻りつつある状態で、もう一度考える。


マジックは悪くない。


彼は自分を愛してくれる。悪いことなどひとつも言わず、自慢の息子だと胸を張って答えていた。相手からどう思われようが一切お構いなしに、いままで通りシンタローの方が恐縮しいたたまれなくなる賞賛と大きすぎる愛情を声高に言い切った。


だから、彼らが承知していようがいまいが、マジックにとってはなんら意味のないことなのだ。自分は愛されている。守られている。疑う余地はまるでない。シンタローが悲しむことなど、なにもない。


なにもない。


なにもない。


胸の中で反芻する。


マジックは絶対の愛情で接してくれる。それは嘘ではない。嘘などではない。


体裁ではない。


悲しむ必要はない。


あの、笑顔。


抱き締めてくれる力と温もり。


疑うことは裏切りだ。いくら腹を立てていたとはいえ、根本にあるものを疑うのは行きすきだろう。だってマジックは言ったではないか。大切だと。愛していると。


二人でいようと。


幸せになろうと。


そこまで考えて、今度はじわじわと押し寄せる自己嫌悪に囚われた。


 「結局…信じてないのは、俺か…」


実だとか義理だとか、生まれがどうだ環境がどうしたと気にしていたのはシンタローだけのことで、アラシヤマも、彼の父も、そんなことは微塵も考えてはいなかった。いや、思い至ることもないのだろう。


我が身を恥じたのはシンタロー自信であり、マジックにしても、たとえどんな仕事であろうがそれで生活を成り立たせているのなら卑下することはあるまい。得意げに話して聞かせることではないが、その恩恵を受け暮らしているシンタローが恥ずかしさを覚えるのは思い上がりもいいところだ。


公立の数倍もする学費を掛けてもらい、使いはしないが法外な小遣いを与えられ、有り余る物資の揃った環境に甘えるうち驕り高ぶった気持ちに浸りきっていたのだろうか。自覚はないが、そんな愚か者に成り下がってしまったのか。


がっくりと肩を落とし、更に自己分析を進めてみる。


 


考えるまでもなく高校に通えるのはマジックのお陰だ。


赤の他人の自分を育ててくれる、彼の大きな愛情があるから生きている。


自分のどこにそれほどの魅力があるのかサッパリ分かりはしないものの、マジックがいいと言うのだから彼にとって必要な存在となり得ているのだろう。それは最早疑う余地もない。


そのマジックが。


シンタローの入学を喜んで、あんなにバカみたいに感激して、その瞬間を残したいと願ってくれた。熱望してくれた。


行き過ぎだ、とはいまも思う。けれどそれを怒る権利が、果たして自分にあるのだろうか。


恥ずかしいのはシンタローの勝手だし、随分奢った考え方なのかもしれない。


いまの暮らしのすべてはマジックがいて初めて成り立つものだ。自分という存在は、頭の先から爪先まで、すべてが彼のものであるといっても過言ではない。意志はあっても逆らうことは出来ない。すべきでない、と言った方がいいだろうか。マジックとて操り人形を欲した訳ではないだろうから、その言い方は彼を傷付けるだろう。


この数時間で起きたことと、思ったことを理路整然と並べてみて、シンタローは漸く結論に辿り着いた。


つまり。


 「俺の…………我が侭、ってこと、…だよな」


その一言で片付けるのはなかなか承知し難いが、それでもマジックに非はないように思われる。思う、ではなくそうなのだろう。彼はなにもしなかった。言わなかった。


言わないことに対する疑念は残るものの、それでもこれまで過ごした時間を疑うことが出来ない以上、あとは彼に確かめて、真実を知るまで自分勝手に判断することは誤りであると思われる。


理屈より、動くことを優先させる自分が随分長いこと思案に暮れたがその結果には満足できた。自己弁護をしようと思ったわけではなく、ちゃんと、自分自身を分析できたことが嬉しかった。


そうか、と思い至ってしまえば納得できた。


要するに会話が必要なのだ。問いかけて、答えをもらう。気になることは聞けばいいし、聞いてもらえば答えられる。胸の中に抱えていても解決は出来ないし、不必要な疑念ばかり飼いならしたところでなんの特にもならないのだ。


帰宅したときとはまったく違う感情に自分でも呆れるがとにかくすっきりした。


人間は考える葦である、という言葉があるがまさにこれだと思った。意味はよく分からないけれど、恐らくこんなことなのだろうと決めてみる。


 「や、ちゃんと調べなきゃダメか」


辞書、辞書、と呟きながら立ち上がろうとしたところで、微かな物音に気が付く。


 


ドアを、叩く音だとすぐに分かった。


そして、それが誰の手によるものなのかということも。


 



 

 

 
      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


 


ノックの音に若干たじろぎながら、返事をするかしないかを迷ったのはほんの一瞬だった。


二人暮らしの家の中でこの時間に訪ねて来るなどマジック以外考えられないし、口を利かなくなっても就寝時には必ず“おやすみ”の挨拶をしに来ていた。


寝るにはまだ早いが、今夜はシンタローの機嫌が更に悪くなったと踏んでなにかデザートでも作ったのかもしれない。これまで食べたことのない、手の込んだ甘い菓子類を喜ぶ自分に対し籠絡を迫るときの常套手段となりつつあるそれも、外食から帰宅したあとでは効果が半減するということまでは考えが至らないのか。


だとしたら気の毒なことだ。


そういうところが、マジックに対して感じるイライラの原因でもあるのかもしれない。


微妙にずれている感覚は、これから先、埋まることなどあるのだろうか。


不安になって、でもだからこそいま、歩み寄らなければならないと思い返す。立ち上がりドアの前まで進むその僅かな時間で、シンタローは腹をくくった。


一緒にいたい。


その気持ちに変わりはない。


深呼吸をして、それから扉を、ゆっくりと開け放った。


 


 


 「えーと、今日は急に外出の予定が入っちゃって、シンちゃんも疲れただろうなーと…」


だから、甘いもの、作ってみたんだけど。


大きな体を縮めつつ上目遣いに言うその手には花柄のトレーがあり、その上には大きめのカップに注がれた乳白色の液体が揺れている。


ミルクセーキだろう。柔らかな湯気とともにバニラの香りが漂ってくる。


 「いらない?もうおなかいっぱいだよね?はは、つい作っちゃったけどこの時間にこんな甘いの飲んだら眠れなくなっちゃうかな、あ、それコーヒーか、でもシンちゃんコーヒー好きだもんね、淹れ直そうか、それとも、」


 「ありがとう」


放っておけば限りなく言い訳を続けそうなマジックの手からトレーごと受け取り歩き出す。ドアは開けたまま、部屋のほぼ中央に置かれたローテーブルにそれを載せ回り込んで奥側の床に腰を下ろす。情けなさそうな顔のままこちらを見ているマジックは、無言でカップを取り上げたシンタローを確認するとオドオドした態度のままそれでも部屋に入ってきた。


傾けたカップから少しずつ、甘いそれを飲み込む。


無数に浮いているバニラの粒に、手の掛かったものであることを知らされ体も、心も温かくなる。


ご機嫌取りだとしても、それでも。


嫌われたくないと思っている、マジックの心が伝わり喉の下をくすぐられるような感覚に自然と口元が綻んだ。本当に、このひとは。


この愛らしい人は。


 「…甘い」


 「えっ、甘すぎた?ごめんね」


 「いちいち謝るな。っていうかビクビクすんな」


 「だって、ほら、シンちゃんまだ…怒ってるし…」


 「怒ってるよ」


やっぱり。


呟きは聞こえなかったけれど、下がった眉と肩が物語っている。もしマジックに耳と尻尾が付いていたなら、それは情けなく垂れ下がり『がっくりしてます』と全身で訴えかけてきたことだろう。


想像すると、かなりおかしい。


 「入学式で恥かかされて怒らない方がおかしい。未だに近付いてこないやつが山ほどいるんだからな。近付くかと思えば妙なやつしかいないし」


 「ごめんね。つい、ほんと、つい忘れちゃって、嬉しくて」


もじもじと指先をあわせ言い募る。子供のような仕草も微笑ましい。


自分の方が子供なのに、マジックの素直さというか、一途さにはなにを言ったところで敵わないと思う。


このひとのことが好きだと、改めて思い知る。


 「うるさく付きまとわれるのは嫌だけど、これから三年間毎日ずっと変な目で見られるのは俺なんだからな。そういうのが嫌だって、前に話したのを忘れたとは言わせないぞ」


 「うん、覚えてる。ちゃんと分かってるんだよ。でもあの時は、その…」


 「今日だって理事長に呼び出されたんだぞ。明らかに不審者扱いじゃねぇか」


 「あれはね、なんでもアラシヤマくんのお父さんが特に希望したからだって言ってたよ。でも溺愛しすぎだよね、どんな子供なのか、その家族まで見ておきたいなんてさ」


 「…あんたの口から“溺愛しすぎ”とか聞くと結構本気でぞっとする」


無自覚ほど恐ろしいものはない。


あんた、という呼び方に不服を唱えたいのだろう、少し唇が尖ったものの言えばせっかくの会話が途絶えるとでも思っているのか黙っている。


大の大人が自分の態度に一喜一憂、右往左往する様はかなり笑えるが、それを実行に移すほど驕っている訳ではない。


ミルクセーキを、また一口飲み込む。


 「なんか、言われた?」


 「なにかって?」


 「だから、…なんか、さ。馬鹿にされるようなこととか、そういうの」


 「え、シンちゃんが?」


 「違う。俺のことはどうでもいいんだ。俺じゃなくて、」


じっと見詰める。


 「私が?理事長に?」


不思議そうな顔で見詰め返され、言葉に出来ないもどかしさを感じる。けれど口に出して言えるほど表立った話ではないし、やはり、承知しているシンタローですら言いにくいことだ。


職業に貴賎はないというし、それで暮らしている身となれば文句の付けようもない。それでもこういうときには嫌というほど思い知らされることをしているのだ、彼は。しようとしていたのだ、自分は。


 「なにが言いたいのか…分からないんだけど」


降参、と言いつつ両手を少し、挙げてみせる。


少し迷って、けれど確認しなければならないことだと覚悟を決めシンタローは口を開いた。


 「向こうは人間国宝だぞ。わざわざ親まで呼び出して素性を知ろうとするってのは気に食わないけど、そんならしょうがねえかと思っちゃうようなやつだ」


 「そうだね。でもパパはシンちゃんのお友達とその父親に会えてよかったと思ってるよ。私としても親しく付き合うお友達がいるなら紹介してほしかったからね」


 「寂しそうに言うな、親友だと思ってるのあっちだけなんだから」


 「え、あんなに仲良さそうだったのに?」


 「…どこを見たらそう思えるんだ」


内心、というか全面的にすごくイヤ。


顔を顰めると面白そうに笑う。この部屋に来て、いや、入学式以来十日ぶりに見るマジックの笑顔になんだか少し、ほっとする。


 「嫌なこと…言われなかったか?その、仕事の、こととか」


 「仕事?…………………あー…」


首を傾け、心当たりを探っていたらしいマジックの目が漸く答えに行き当たったのか軽く細められた。小さく、二度ほど頷いている。


 「ああ、それね。はいはい」


 「言われたのか」


 「言われないよ。いや、言われたか」


 「言われたんじゃねぇかっ」


 「言われてないって。言われたけど」


 「言われたんだろ!」


 「言われてない。けど言われた」


 「だから言われたんだろーが!」


 「だから言われてないって。言われたけど」


 「遊んでるんじゃねえんだぞ!言われたんだろ!」


 「遊んでなんかないし言われてない。言われはしたけど」


 「あ――――っ!!」


どんっとカップをテーブルに戻し立ち上がる。マジックを見下ろす数少ない機会は、大抵このように言い合いをしているときに訪れるありがたくないポジションだ。


 「だあーからっ!言われたんだなっ!」


 「これこれ、ちょっと落ち着きなさい、説明するから」


上半身を乗り出し腕を伸ばされると、小さなローテーブルくらい簡単に越え腕を掴むことが出来る。体格の違いは僅かにコンプレックスを感じるが、大人と子供のことだから仕方がないと諦める。


無抵抗で捕まえられる。


 「もしかして、今日のご機嫌斜めはそのせいだったのかな」


言いながら腕の中に抱き込んで、いつものように膝の上に座らせる。いい加減慣れたものだが、それでも素直に従うのは悔しくて睨み付ける目だけは緩めない。


 「シンちゃんは優しいね」


 「なにがっ」


 「私のしてる仕事について、陰口を叩かれたり、蔑まれたりするのが嫌なんでしょう?」


 「そんなの、あ、当たり前だろ」


恩義ある人を中傷されれば誰でも腹が立つ。それにこれまではマジック自身の生き方だったそれも、今では“シンタローのため”という言葉が付き纏うのだ。生きるためには仕事というものを失う訳にはいかない。


 「俺、贅沢がしたいんじゃない。こんな広いところに住まなくてもいい。旨いものを食いたいなら自分で作った方が口に合うし、学校だってどこでもいい。だからあんたが嫌なら、本当は嫌だと思ってるならあんなことしないでいいし、俺は、」


 「俺、は?」


言葉を途切れさせたシンタローを視線で促す。


 「俺は、出来れば…俺の勝手だけど、出来ればあんな、ああいう仕事は、あんなのは、」


じっと見詰める蒼い瞳。


少し笑って、シンタローを見ている。


 「本当は…………辞めて、欲しい」


ずっと言いたかった。


辞めて欲しい。同じ道に進もうとした自分を止めてくれたその事実がなによりの証で、彼自身あの仕事を“よいこと”だとは思っていないはずなのだ。それを続けているのはそれなりの理由があってのことだろうが、もし、その中にたとえ僅かでもシンタローの身の保障が含まれているのなら堪えられない。申し訳が立たない。


それに。


 「他人になにを言われようと構わない。そんなことならなんとも思わない。だけどからかわれたり、嫌味を言われたり、そういうのは嫌だ。我慢できない」


 「誹謗でなければいいの?」


 「それ、だけじゃ…」


 「なに?聞かせて。どうして嫌なの?」


 「だって、…だって、さ」


初めの勢いは弱まり、見詰めていた視線も逸らしてしまう。この瞳はなにもかも見透かしてしまうのだ。隠したいことをすべて見通してしまう。不思議な蒼。


マジックの蒼。


綺麗で、少し悲しくて、怖い。


 「だって…」


 「言って」


 


蒼すぎて。


 


 「言って」


 


 


灼かれる。


 



 

 

 
      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


 



そっと顎に当てられた指が、強引ではない力で向き直るよう促してくる。


暫し躊躇い、瞬きをして、それでも外れないそれに観念したように肩の力を抜くと恐る恐る視線を戻す。正面から。


見詰める。


 「やっぱり、ああいうのは…よくないと思う。自分だって、って言うだろうけど、俺のことは止めてくれた。だめだって言った。なのに、なのにさ、言ったあんたが続けてるのって俺のためでもあるだろ?だからさ、だから、」


 「シンちゃん、それはもう分かったから。私が聞きたいのは、どうしてお前がそこまで嫌だと思うのか。シンタロー自身の気持ちを聞かせて欲しいんだよ」


逃げることは許さないと言っている。目が。指が。纏う気配が。


真実を告げてくれと訴えている。


本当の思いを伝えて欲しいと言っている。


くるくると目の回るような感覚は不思議で、熱くて、少し痛い。


甘すぎる何かが喉に絡んで声が出ない。


 「私がその仕事をしているのが嫌な本当の理由って、なに?」


静か過ぎる瞳の奥に、けれど間違いようのない温もりを見つけた。蒼の中にある柔らかなそれは赤にも、紅にも、オレンジにも見えシンタローの気持ちを落ち着かせる。


 「…本当は」


 「うん」


 「本当は…金のために、そういうこと…してほしく、ないから…」


 「うん」


 「人前でそういうの…見せたり…あんたの、そういうの…観られたり、知られたり、そんなの、やだ…嫌だ…」


 「私の下世話な部分がいや?」


 「違う。あんたが、じゃなく…俺が…」


 「シンタローが、私の本来秘すべき部分を明かしていることが、嫌なんだ」


 「……ん」


こくり、と頷く。


途端にマジックの目が輝いて、悪戯っぽく細められた。


 「やきもち?」


 「は?」


 「パパの体が他人のものになるのはイヤーって、それってやきもち?」


 「ちっ、」


 「違うの?」


 「ちが、」


 「違う?そうじゃない?」


 「う、」


顎に掛かった指が外れ、両腕を腰に回される。


抱き締められる。


 「シーンちゃん」


 「ちが……………」


わ、ない。


 


恥ずかしさで死ぬことがあるなら、それはいまだ。


 


 「あーもうかわいい~、なんでこんなに可愛いの~」


両手で締め付けるように抱き締められ、いつもなら苦しいと文句を言って暴れるところなのに今日は出来ない。あまりの恥ずかしさに顔を上げることもできないのだ。


 「シンちゃんってば、パパのこと大好きで独り占めしたいんだ。好きでもない相手とキスしたり、セックスしたりするのが嫌なんだ~」


 「当たり前だろ!つか、はっきり言うなっ!」


抱えられているのを幸いに、マジックの胸に顔を伏せながら続ける。


 「親がえーぶいなんかに出演することを喜ぶ子供がどこにいるってんだ」


 「まあ、いないだろうねぇ」


 「だったら!だったら辞めろよ。辞めてくれよ。俺も働くから。学校だって転校すりゃいいんだから、な?」


 「シンちゃんを働かせるなんてとんでもないよ。ダメ。無理。大学か、院までだって行かせるつもりなんだからね」


 「それなら奨学金だってあるし、」


 「私が引き取ったのになんでそんなことさせなきゃならないの」


 「贅沢は敵だろ。俺が買ってもらったものはみんな売ってさ、足しにしろよ」


 「平気だって」


 「平気じゃないから言ってるんだ!」


恥ずかしいなどと言っていられない。慌てて顔を上げるとマジックの腕を指先で掴み、必死になって訴える。


 「生きるために必要なものって、本当は結構少ないんだ。俺なんかなにもないままここまで来たから、ゼロに戻っても全然困らない」


 「私は色々ないと困るよ」


 「あんたのものは取っておけばいい。俺も働くし、それはきっと大丈夫だよ」


 「その前にシンちゃん、あんた、じゃないよ」


 「そんなこと言ってる場合か!」


 「私にとっては最重要事項だ。はい、ちゃんと呼んで」


 「呼んだら辞めるな?辞めてくれるんだな」


 「うーん」


 「辞めるんだろ?な?」


 「まずは呼んでみてよ」


 「何度だって呼ぶから、ずっとそうするから。だから辞めるって言え。約束しろ」


 「だから、呼んでみてって」


 「父さん!辞めてくれ。頼むから辞めて!」


 「あー…いい響き」


うっとりと微笑んで、それから額にキスをひとつ。


 「呼んだからな。これで辞めるよな」


 「うん。…と、言いたいところだけど」


 「辞めないって言うのかっ」


 「うーん」


 「ずるいぞ!騙したのかっ」


 「騙してなんかないよ。でも、辞められないなぁ」


 「なんでだよ、どうしてだめなんだ?」


 「ダメなものはダメなんだよね。辞められない」


 「なんで…なんで…」


眦に滲んだ涙がたちまち盛り上がり、雫となって頬を伝う。こんなに頼んでいるのにどうして、と喉の震えとともに訴えかけても、マジックは嬉しそうにシンタローを見詰め、涙の痕にキスを送ったりしている。


 「だって、辞めようがないよ」


 「な、っんで?」


 「やってもいない仕事なら、辞めようもないでしょ」


ひっくひっくって、シンちゃん、赤ちゃんみたい。


笑いながら言われた言葉が理解できず、きょとん、と目を見開き彼を見詰める。


 「…え?」


 「もしかしてずーっとそう思ってたの?私がアダルトビデオ男優をしてるって?」


 「だ、って、だって、そうなん、だ、ろ?」


 「違うよ」


 「え、え、だって、だってさ、最初のときあんた、」


 「父さん。第一希望は、パ、パ」


 「や、だってあのとき、あのあともさ、仕事に行ってただろ?俺が学校に行ってる間に仕事してるって言ったじゃねえか」


 「そうだよ。シンちゃんが学校でお勉強している間が私の仕事時間。自宅にいるときは全部二人の時間にしたいでしょ、だからパパは頑張ってるんです」


 「ほらっ、ほらみろ、そんな時間で出来る仕事なんて限られてるだろ」


 「あとはシンちゃんがベッドに入って、可愛~くねんねしてるうちにやってますよ~」


 「えっ!夜中に出掛けてたのかっ」


 「出掛けてない」


 「は?だって仕事してるって、」


 「成績いいのに、意外と頭が固いね」


苦笑しつつ、でもそんなところも可愛い~と言いながら、また頬にキス。


 「でもこれで益々好きになったよ」


 「は?」


 「シンちゃんが、私のことを外見や身分で判断しているんじゃないってことが分かって、嬉しい。幸せ」


 「なにを言ってるのか、サッパリわかんねぇ」


言葉通り幸せそうに笑っているマジックを途方に暮れたように見上げる。


でも。


 「とにかく…違うんだな。違ったんだよな。俺の思い込みなだけで、そうじゃなかったってことだよな」


 「うん」


 「じゃあ…いい。うん。よかった」


 「いいの?本当はなにをしてるか聞かなくていいの?」


 「なにをしててもあんたが、…父さんが、なにをしてたところで変わりないだろ。危ないこととか、法律に触れることとか、悪口言われるようなことをしてるんだったらいまみたいに止めたくなるだろうけど、そうじゃないなら構わない。自分のやりたいことを仕事にしてるなら、それでいい。…それが、いい」


うん。


安心した所為か肩から力が抜け、抱えられているのをいいことにマジックの胸に凭れ掛かった。そこは広くて、温かで、いつでもシンタローのために開かれている。包んでくれる。


 「きみは…すごいね」


 「なにが」


 「言葉にするのは嫌だけど、私たちには血の繋がりはなく、まだまだ出逢ったばかりで分からないことがたくさんある。いまのような誤解もあって、もっと時間を掛け深く知っていく必要があるはずだと誰もが思う関係だろうに…そうじゃない」


両腕の力が増す。抱き締められる。けれどそれは苦しさを伴うものではなく、心を抱え込まれるような優しさで。


 「私は私だと言ってくれる。なにをしていても変わらないと言ってくれる。どんなことをしてきたか、いまなにをしているか、きみのいない時間になにを思ってなにを見て、どこで、誰と、なにをしても、それは知らなくてもいいという。興味がないからではなく、それが私たちの関係とは別のところにあることだから。気持ちは変わらないから。そう、言ってくれている。…そうだろう?」


 「べつに、そこまで考えた訳じゃないけど…でも、そうかな。…うん、そうだ」


 「すごいね」


 「すごい?」


 「こんなに小さいのに。幼いのに。きみは、なんて大きな存在だろう」


 「自分と比べるから小さいんだろ」


子供なのは確かだが、小さいとか、幼いと言われることには抵抗がある。少し膨れて言い返すと、静かな、低い笑い声がした。振動が胸から伝わる。


 「いままでも大好きだったけれど、もっと、もっと好きになった」


 「ふーん」


 「大好きだよ。愛してる。私のすべてで愛してる。生きている時間のなにもかも、きみのために使いたい。傍にいる」


 「なな、なに言ってんだ」


恥ずかしい。


恥ずかしいやつ。


ひとりで納得してひとりで感心して、ひとりで感動してひとりで結論付けて。


どんなロマンチストだよ。


どんなナルシストですか。


なんだこれなんだこれなんだこれ。


 


ドキドキと胸が高鳴り苦しくなる。


言われなくても好きだし、信じてるし、傍にいるし。


泣きたいほど幸せだし叫びたいほどくすぐったいし抱き締めたいほど求めてる。


 


マジックのことが、そのなにもかもが、愛おしい。


 


髪に額に口付けられ、鼓動はどんどん早くなる。


どうしよう、という自分でも意味の分からない感情がこみ上げてきて、思わず掴んでいたマジックの襟元を更にきつく握り締める。


なにがなんだか分からないけれど、とにかくひとつだけはっきりしていることがある。


マジックが自分を好きだと言ったこと。


自分が彼を、好きだということ。


このままでは壊れてしまいそうなほどの高鳴りをどうすれば沈められるのか。昂ぶった思考を冷ますにはなにか難しいことを考えればいいのだ。別の考えで紛らせてしまえばいい。


そう思い、試してみようとするがうまくいかず、抱き締められた体がどんどん熱くなっていくのを自覚するばかりで益々焦る。


泣けてくる。


赤面している自覚があるから、顔を上げることもままならない。


ぎゅっと抱き締められているから逃げることも叶わない。第一ここがシンタローの部屋で、逃げ込む先など他にないのだ。家を出るなどということは微塵も考えられない以上、ここで、こうしてなにやら甘い痛みに堪えることしか出来そうにない。


 「私はね、ずっとひとりで生きてきた。シンタローに逢うまでずっと。ずっとひとりきりだった。それを悲しいとは思ったけれど、寂しいとは思わなかった。なぜだと思う?」


 「…なんで?」 


 「いらないから。欲しいと思わないから。寂しいと思うのはなにかを求めたり期待したりするから生まれる感情で、私にはそう思う心すらなくなっていた。いらないんだよ。私には、自分のためになにかして欲しいと求めるような相手は要らない。時間や心を傾けろと言われれば、嫌悪は出来ても愛情を覚えることなどありえない。そんな関係ならない方がいいし、ひとりがいい。悲しいけれど、なにもなければ揺れ動くこともない。煩わされることもない」


 「そんなの…そんなの、幸せじゃない」


 「そうだね。そうだったのかも。でも幸せになりたいと思ったことはないからそれでよかった。シンタローに出逢うまでは、本当にそれでよかったんだ」


 「なにか…誰かに、いやな目に遭わされたのか」


 「さあ」


訥々と話す声に落ち着きを取り戻す。


暴れていた鼓動も徐々に静かになっていき、寄せた胸から聞こえるマジックの心音と同化する。


 「私はね、面倒なことが嫌いだよ。人も、物も、時間も。私になにかを求めてくるものは鬱陶しいとしか思えない。邪魔だとしか思えない。精神的に偏っているし、そんな風に思う方がおかしいということを分かってもいる。けれどそれでもひとりでいる方が楽だった。なにもなければ身軽だし、気楽だろう?動かなければ誰も私に気付かない。なにも求めてはこない。徹底的に排除して、すべてをなくせばそこで終わる。あとはゼロのまま」


髪に、頬が寄せられる。


 「死ぬことを選ぶのは自分に執着しているようでそれすらしなかった。そんな価値すらないものだったよ。きみに出逢うまでの、私は」


 


なにも言えず。


シンタローはなにも言えず、ただ彼にしがみつく指先に力をこめた。


無力な自分に嫌気は差したが、きっと、いまの彼に言葉は不要なのだと思う。ただここに、ただひたすらに彼の元にあればいい。身を寄せ合い、告げられる言葉を聴いていればいい。


マジックの求めるものはそれだから。


それこそが必要なものだから。


このひとは、きっと、本当はものすごく寂しくて、本当はものすごく人恋しくて、本当はものすごく傷付いて、惨めで、哀しい。


遣る瀬無い。


それから暫く、マジックは腕の中に抱えたシンタローのことをただ抱き締め、黙っていた。雛鳥をその翼の下で守るような温もりを感じたが、では、雛鳥はどちらかといえばシンタローにも分かりはしない。


ただ、その穏やかな空気を感じるだけでよかった。


 


 


ふ、と。


空気を吸い込む気配。


 


 「私は卑怯だよ。お前を手元におきたいのは、だから結局、自分のためだったんだ」


眠りすら誘われる、穏やかな声の中に含まれた痛みを感じ取る。


 「ひとりぽっちで、寂しくて、けれど強がって棘を纏って自分自身をも欺こうとしている。そんな姿を見て哀れだと思った。子供なのに、この子は私と似た思いを味わっているのじゃないかと。もしかしたら私より辛いかもしれない。悲しいかもしれない。可哀想に、可哀想に、かわいそうに…」


背中を撫でる大きな掌から流れ込む、思い。


 「なんて驕りたかぶった感情だろうね。この子に救いの手を差し伸べてやろう、私なら出来る、そう思ったんだよ。お前を助けることで自分の惨めさを紛らそうとした。もっと不幸なものはいくらもいる。…欺瞞だ」


きっとこれは独り言。


聞かなくてもいい。知らなくていい。


目を閉じて。


 「なんて卑怯で図々しい考えだろうね。初めて声を掛けたとき、あの日、私はそんなことを思っていたんだ。シンちゃんはなにも知らず、気付くことなく私を頼ってくれたのに。私を信じてくれたのに」


マジックの独白は続く。


 「引き取って、一緒に暮らすようになってからはまた別の考えが生まれた。似たもの同士のシンタローを愛することで自分を慰めようとした。私たちはとても似ていて、だから二人でいても寂しさは増えるだけだけど、ひとりきりでいるよりはましなんじゃないかと思うようになった。冷たい部屋に閉じこもるより、辛い時間でも重ねるうちには温まるような気がして…」


腕の中の体を抱きなおす。艶やかな髪に触れる頬の感触にうっとりと溜め息をつく。


 「でもね、そんな考えはすぐに消えていった。自分の卑怯さと図々しさに気付かされた。だってシンタローは一途に、本当に一途に私を見てくれたから。信じて、知ろうとしてくれた。私がなにをしても、言っても、いつだって真っ直ぐに見て、考えて、応えてくれた。私を心の中に迎えてくれた。愛してくれた。どれほど嬉しかったか、分かるかい?」


力の抜けた体は、決して弱くはないが強くもない。


守られるべきもの。


マジックが。


守るべき、唯一のもの。


 「お前のためにあるという思いは、だから、嘘ではないよ。卑怯な私はもういない。シンタローのためだけには、そんな薄汚い自分ではいられない。他のなにを捨てても、裏切っても、そんなことは問題にならない。なにもいらない。なにひとついらない。これから先、すべてのことはお前に続く。私という存在がある場所はお前の中で、そこでしか生きない。生きられない。ありたくない」


赤ん坊をあやすような仕草で背を叩く。腕の中の愛すべきものを確かめる。


見詰める。


 「…眠ってしまったの?どうりで静かだと思った。シンちゃんはいい子だけど、パパに対するつっこみがきついからね。でもそのときの顔が可愛くて、必死になってる様が愛おしくて、ついついからかいすぎてしまうよ」


かくり、と仰のいた首を支え、眠るシンタローを抱き締めなおす。


薄く開いた唇からは、穏やかな、穏やかな甘い息。


なにもかもを預ける心からの安堵を伝える。


 「私たちが似ているのは本当だよ。でも、相憐れむために出逢った訳じゃない。寂しさを埋めるためでもない。私たちは、ともにあることで幸せになるんだ。重ねるのではなくそれぞれの思いで見付けていくんだよ」


囁きかける。


眠る子供に。


いとし子に。


 


シンタローに。


  


 「いま、わかった。私が生まれてきたわけが。私が生きて、きたわけが」


  


柔らかな呼吸を繰り返す唇に、そっと、小さな口付けを落とす。


目覚めていたら、一体どんな顔をしただろう。


なんと言ってよこすだろう。


真っ赤になって。


きっと、真っ赤になって怒るのだ。


マジックのことを見詰め、真っ直ぐに見据えて怒るのだ。


瞳の中に、蒼を映して。


それ以外なにも入り込むことのない、あの、気高いまでに清らかな、一点の曇りもない漆黒の瞳で。


 


 


 「生まれの後先など問題じゃない」


 


 


そう。


時間にすら流されない。


 


 


 「私は、お前に逢うために生まれた」


 


 


シンタローが、ではなく、マジックが。


 


 


 


 「お前のために、生まれたんだよ」


 


 


 


 


 


愛してる。


 


 


 


 


 


 


第三章 了 NEXT


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