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      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


 「学校に…行きたいから」


漸く絞り出した声で呟くと、怪訝そうに眉を潜め首を傾げる。


 「中学生って義務教育だよね?ご両親は?」


 「死んだ」


 「そう…ごめんね」


 「別に、謝られることじゃない」


大きな掌で包まれた肩を優しく叩かれている。そのリズムがとても優しくて、懐かしくて、つい聞かれるままに答えてしまったことを後悔しながら、それでも振り払うことも出来ず俯いたまま。


外は夕暮れから、そろそろ夜へと移っていく。


 「いまはどこにいるの?施設?」


 「親戚の家だけど…娘がいて、大学受験で金が掛かるから俺を高校に行かせるのは無理だって言われた。だから自分で稼いで、せめて高校には行こうと思ったんだよ」


 「遊ぶためじゃなかったんだ。まあ、そんな子には見えなかったから声をかけたんだけどね」


 「…分かんないぜ。こんなの、嘘かも知れない」


 「嘘を言っている目じゃないよ。きみの目は思ってることが全部見えてしまいそうなほど澄んでいるから」


 「外人って、ホント、臭い」


 「あれ、入浴は欠かさないんだけどなぁ」


冗談なのか本気なのか、よく分からない真面目くさった顔で自分の腕辺りの匂いを嗅いでいる。変なやつ。自分のことを良く解釈してくれようとしているのは分かるけれど、初対面だし、あんなところで出逢ったのだから信用するには早すぎるだろう。


シンタローとしては、まだまだこの“変な外人”に心を許すことなど出来なかった。


 「あんたさ、」


 「ダメ。あんたも外人も禁止。ちゃんと名前で呼んで」


 「知らないもんは呼べねぇ」


 「さっき名乗ったよ」


 「その面で“麻鬼水去”なんて名前だったら、俺なんかトム・クルーズで通すぞ」


 「うーん、ちょっと違和感があるね」


ちょっとで済むか。


口に出すと必ず何事か返されるので、突っ込みは口の中へ閉じ込めた。


落ち着いてくると、隣に座られて、肩まで抱かれている状況が気恥ずかしくなってきて、シンタローはモジモジと体を揺らしさりげなく離れようとした。とにかく体格差が激しくて、無理に動けば捕まえられそうで怖かった。


 「じゃあこうしよう。私のことはマジックと呼んでくれればいい」


 「…マジック?」


 「そう。きみはシンちゃんね」


 「勝手に略すな。っていうか馴れ馴れしくすんな」


 「なんでさ。ここで逢ったのもなにかの縁だよ、よければきみの話をもっと聞きたいんだけど」


 「赤の他人のあんたに、なんでそんなことしなきゃならないんだ」


 「あんたじゃなくて、マジック」


笑うと、なんだか可愛い。いままでこんなに近くで異国人を見たことがないし、大人に笑いかけられるなどという経験もなかったシンタローは、少し、少しだけれど警戒心が弛んでいた。優しくされることに不慣れだから、疑いつつも傾いてしまう。


 「シンちゃんは、なんとなく私に似ている気がする。それが理由じゃダメかな」


 「そんな…ヘラヘラして、俺から色々聞き出して、なんかしようとか考えてるんだろ」


 「考えてないけど…うーん、考えて欲しいなら考えないこともない。かな」


 「フザケンナ。とにかく、なんかとんでもないことになりそうだったのを助けてくれたのには礼を言う。でもあんたの所為でバイトもダメになったし、それでチャラな。あ、あとコーヒー。これはそっちが誘ってきたからあんたの奢りだ」


 「コーヒーは奢るし礼は受けるけど、あんな仕事、もうしちゃダメだよ」


 「関係ないって言ったろ」


 「ある。これからもあの事務所の仕事を受けるつもりなら、私が全部止めてしまうからそのつもりで」


 「だから勝手なことすんなよ!」


 「未成年の、しかもほんの子供のきみにさせられることじゃないよ」


 「なーっにが、エラそうに。あんただって同じ穴の狢じゃねぇか」


 「百パーセントの否定は出来ないけど、同じじゃない」


 「同じだろ。俺のこと、演技だろうがなんだろうがあんたがやるはずだったんだろ!」


 「…は?」


は?


 「は、じゃねえよ。そうなんだろ」


 「え、私?」


私、と自分を指さす。骨の太さがよく分かる、大人の造作をしたそれ。


けれど顔は不似合いにきょとん、としていて、思わずシンタローも見詰めてしまった。


 「あんたが、その…相手だった、んだろ」


 「…ああ、そういうこと」


なんだそうか、そういうことね。


うんうんと頷きつつ、一人で何事かを納得している。仕草が一々子供染みて、そういうところには苛つかされた。大人には、とことん大人であって欲しい。特に父親というものに飢えているシンタローとしては、落ち着きのない男など色々と対象外なのだ。


 「えーっと、まあそう…かな」


 「なんだよその言い方。そうなんだろ」


 「はい、そうです」


 「ほらみろ、やっぱりそうなんじゃねぇか」


威張ることではないが、言い負かしたのが嬉しくてつい笑顔になる。


 「あっ!」


 「えっ、なっ、なに?」


大声を出して至近距離に近付いてきた彼に驚き、逃げ遅れたシンタローは両肩を掴まれ動けなくなる。やっぱりこの位置はまずかったと、後悔したところでもう遅い。


大きな手がしっかりと抱えてくる、その力に不快感はなかった。


だって彼は笑っていたから。とても、とても嬉しそうに。


自分を見て、笑ってくれる相手など久しくいないことには気付いていたから。


だから動けなくなった。その笑顔を、もっと間近で見たかった。


 「思った通りだよ。きみは、笑うととても可愛いね。笑っている方がずっとずっと素敵だよ」


 「っ、ばば、バカじゃねぇの」


慌てて憎まれ口を叩いたけれど、頬が赤く染まっている自覚がある。


嬉しいという気持ちを隠せない自分に、どうにも恥ずかしく体が熱くなる。


 「ねえ、きみはもっと笑った方がいいよ」


 「笑って腹が膨れて、笑って学校行けて、笑ってるだけで毎日済むんなら俺だってぜひともそうしたいねっ」


 「じゃあそうしよう」


 「はあ?」


 「そうすればいいよ。笑って済ませよう。全部」


 「えーぶいだんゆうってのは、そんなにおバカさんだったんでちゅかねぇー」


 「彼等がバカかどうかなんて知らないけど、シンちゃんがバカだって言うなら私はバカでもいいよ」


 「侮辱されてるの、ちゃんと理解してますか」


 「シンちゃんなら構いません」


ダメだ。頭が沸いている。


未だに掴まれた両肩を外すため、彼の手の甲に指をかけ力を入れる。爪が、少し刺さっている。


 「猫みたい」


 「バカな上に変態な“マジックさん”、そろそろ子供は家に帰る時間なんで離して下さい」


 「どこに帰るの?」


 「どこって、―――」


急に、現実の世界に投げ込まれても、困る。


非日常の時間が過ぎて、思い知らされる本当の自分。こんなところで、愉快な外人相手に無駄話をしている余裕などあるはずのない状況。


普通の子供のように。


授業が終われば友人と町へ遊びに出たり、親に急かされ塾に通ったり、形は様々でもみんな自分の時間を生きている。自分のために、生きている。


我が儘を言ってみたいとか、今更そんな甘えたことを思ったりはしないけれど、それでもこうして下らない話に興じて無為に過ごす時間というものをもっと味わいたいのは事実だ。なんの心配もなく自分を生きてみたい。


したいことを、したいと言いたい。


安心して眠れる場所に、帰りたい。


 「親戚のおうちは、きみに優しくはないんだね」


優しくはない。


なにもかも。


当たり前に愛される時間など、なくしてしまってから久しすぎて。


 「優しい、とか…そんなん、もう、忘れた」


忘れてしまった。それは本当のこと。でも。


傷付き続ける心は進行形で、その痛みに慣れることはない。壊れてしまえばいいのかと、そう思い詰めるほどに繰り返す。それだけ。それだけの毎日。


 「お友達は?」


 「…付き合い悪いやつは、ノリが悪いって嫌がられるんだよ」


 「ノリかぁ。シンちゃんみたいな子なら、お友達も沢山いそうなのにね」


 「ガキだって、付き合いは学校の中だけじゃねぇんだってことだよ」


離せ。


言って、爪を立てていた彼の手を叩く。


非現実から現実に戻って。戻った以上はまた生きなきゃならない。次のことを考えなければならない。彼にとっては丁度いい暇潰しの相手だったのだろうけれど、自分に待っているのは昨日と同じ今日なのだ。


まして今夜は、本当に帰る家を持たない身の上。どこか泊まれるところを探さなければならないから。


 「コーヒー、マジで奢られとく」


 「うん」


 「あと、…ありがとな。俺に出来ることじゃないってのは初めから分かってたんだけど、それぐらいしかなくてさ」


 「当たり前だよ、まだ子供なんだから」


 「子供でぜーんぶ済むならいいんだけどな。まあ、生きてくってのが簡単じゃないってこと知ってる分、そこらのガキよかマシかもよ」


 「簡単じゃないけど…難しくもない。きみはまだ子供だから、だから難しくてはいけないんだ」


 「バカの割にいいこと言うじゃねぇか」


顔を上げて。


笑ってみせる。


子供だと言われるのはいい気分じゃない。けれど子供の自分を子供だと認めてくれた彼に、笑った方がいいと言ってくれた彼に。


おかしなやつだけど、この時間は嫌じゃなかった。少しだけれど楽しかった。


現実を、忘れられる瞬間だった。


だから。


 「バカだけど、恩人だから。だから笑ってやる。スマイル四百二十円」


テーブルの端に置かれた伝票を指先で叩き、席を立つ。


振り返らないで歩き出した店内のざわめきが遠くなって、自動ドアを抜けるとそれすらも消えてしまう。夜道を行き交うのは大人ばかりで、しかも向かう先があるから誰もシンタローを見たりしない。


一人は嫌いじゃない。


夜も、別に、苦手じゃない。


明るくて、星の見えない空を見上げ溜息を吐く。夜なんだから真っ暗になればいいのに。そうしたら自分の、きっと情けない顔を誰にも見られなくて済む。


見られてすらいないことは知っているけど、それでも、強がりくらいは言わせて欲しい。


 「せっかく手に入れた貴重な一万円だし…大体ホテルに泊まるたって俺一人で泊めてくれるとこなんかあんのかな」


 「あるよ」


 「っ、」


高い位置からかけられる声。


低くて、深くて、静かなそれ。


 「しかも格安、シンタローくん特別パック。一泊二食付きで四百二十円」


蒼い目は、一等星よりもっと強く輝いて。


 「コーヒーは奢るって言ったのに、スマイル売りつけられちゃったからね。だから宿泊の押し売りを仕返すよ」


 


おいで。


 


 


星なんか見えない。


真昼の太陽ですら感じられない。


誰も信じない。


信じてなんか、やらない。


だけど。


 


 


差し伸べられた手の温もりを知ってしまったいま、拒むには心が揺れすぎている。


もう、いい加減、疲れすぎて。


泣きたくて。


どこかに隠れて、泣きたくて。


誰かに。


 


 


 


愛されたい。



 

 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


連れてこられた建物は、シンタローの知っているレベルとはかけ離れた、優雅で、上品で豪奢な造りのマンションだった。


世の中間違ってる。


こんなに大きな扉が自動で開くのも間違いなら、マンションなのに受付があって制服を着た男が“お帰りなさいませ”と言うのも間違っている。ここからもう部屋ですかと言いたくなる様な応接間があるのもおかしいし、人工的な川が流れているのも理解の範疇を超えている。


静かな音楽が流れる中、いくつかの自動ドアが開くたびマジックはシンタローを促し奥へ奥へと入っていく。


ドアはオートロックが掛かっているようだが、なぜだか彼は鍵らしきものなど一つも使っていない。不思議に思い、次のドア手前に取り付けられた操作盤らしきものを眺めると、彼の疑問を解くべくマジックが微笑んだ。


 「指紋と声門と顔認識。住人はこの前に立てば鍵がなくても開くように出来てるんだよ」


 「あんた立ち止まってないし。声も出してなかったし」


 「それはほら、コンセルジュがいたでしょ。住人だと分かっているから彼が操作してるんだよ」


 「こん、」


 「コンセルジュ」


なんだその、こんせるじゅって。


そう思ったが曖昧に頷いておいた。金持ちは受付のことをそう呼ぶものなのだろう。


分厚いガラスで出来た自動ドアを抜け右手に折れると、漸くエレベーターホールに到着した。どう見ても高級ホテルのような造りは健在で、毛足の長いふかふかの絨毯に足を取られそうになりながら一番奥のエレベーターまで歩いていった。


マジックは、今度は右手の人差し指を操作盤らしきところに乗せる。すると音もなく扉が開き、シンタローに先に乗るよう促した。


 「これ、最上階直通なんだよ」


後から乗ってきたマジックはそう言うと、なにがおかしいのか小さく噴出しシンタローの肩を叩いた。


 「シンちゃん、目が点になってる」


 「なっ、」


格好をつけたところでなにもならないけれど、それでも貧乏人が別世界に紛れ込んだ違和感を実感していたため恥ずかしさに顔が熱くなる。


 「ここ、一番上は三世帯入るらしいんだけど、いまは私が借り切ってるから誰もいないよ」


 「…今更だけど、あんた一人暮らし…な訳ないよな」


 「ひとりだよ」


 「こんなとこにひとりって…え、えーぶい男優ってそんなにギャラいいのか」


 「さあ?」


ウィンクをされた。


大した年数を生きた訳ではないけれど、日本に生まれ育ったシンタローにとってそんなものを自分に向けられるのは初めてだし、間近に見ることすら初めてだ。


リアクションが取れず、ばかじゃねぇの、と口の中で呟いたところで軽い重力に体が縮む感覚に身を竦める。


上昇を感じられないほど静かだったエレベーターが止まると、これまた静かに扉が開いた。濃紺の絨毯が敷き詰められたフロアは広く、その先にある両開きの扉はばかげて大きかった。どうやらそれが玄関らしく、先に立ったマジックが真っ直ぐ歩いていった。


 「はーい、かわいいお客様一名、ごあんなーい」


ふざけた口調で言いながらドアを開ける。今度は指を使った様子がなく不思議に思い見上げていると、操作盤の上部に小さなセンサーらしきものを視線で示された。


 「目でね、感知するんだよ」


 「ふーん」


操作盤自体ありえない高さに付いている。二メートルはあるだろう彼の身長からすればその位置は当然だろうが、これでは大抵の日本人はこの家に泥棒に入ることは出来ないだろう。


 「お客様なんて初めてだなぁ」


 「嘘つけ」


 「なんで嘘だと思うの?」


 「初めて逢った俺だって、こんなに簡単に連れてきたじゃねぇか」


 「だってシンちゃんは特別だから」


 「は?特別?」


 「うん」


なにが嬉しいのか、本当に楽しそうに笑ってそれから。


 「シンちゃんのことが大好きだから」


 「好き、って、…」


好きって。


 「はい、どうぞ」


開かれたドア。恭しく招かれる。


好きって。


 「あ、と、お邪魔…します」


くすぐったいな。


そこだけでシンタローに与えられた部屋ほどの広さがある玄関へと入りながら、なにか、胸の中がほんわりと温かなものに満たされるのを感じる。


もし、彼が本当は良くない人間で、このあと手ひどく裏切られることになったとしてもいまこの瞬間があるなら構わないとすら思えた。非現実の世界に引き摺られているだけかもしれないけれど、それでも彼が傍にいることを嬉しく思った。


信じられた。


 


 


広いというのは分かっていた。


けれど通されたリビングは象が団体で寛げるほどの空間だし、トイレなど却ってゆとりがありすぎて落ち着ける場所という定説には程遠いものになっていた。


外で食べるのは嫌だしデリバリーも趣味じゃないと言った彼は、シンタローを残しキッチンに向かってしまったので仕方なくテレビのリモコンをいじっていたが、これもまた映画館並みの巨大スクリーンで見ているような映像に慣れず早々に消す羽目に陥った。


室内は華美ではないものの明らかに質がいいと知れる装飾で統一され、花瓶一つ、置物一つに至るまでシンタローでは想像も付かない値段が付いていると思われた。


結局なにもしていないのに一万円もくれる世界だから、きっと相当羽振りがいいのだろう。得心したように頷いていると、彼の体に合わせた大きな扉が勢いよく開いた。


 「はーい、ご飯ですよー」


 「……なんだそのナリは」


 「ん?これ?エプロンだけど…知らない?」


 「俺が知ってるエプロンはそんな色も、ビラビラもしてねぇ」


愛らしいピンク色のそれは、可憐なフリルのあしらわれたどう見ても女物のデザインだった。誰かにもらったのならともかく自分で買ったのだとしたらとんでもないことだし、それ以前にこの長身に合うサイズであることがなによりの問題と言えるだろう。


 「かわいいでしょ。私が自分で作ったんだよ」


 「あんた、そういう趣味なのか」


 「うん」


カミサマッ!


面白外人でえーぶい男優でオカマ!三重苦!


 「洋裁は子供の頃から好きだったけど、日本に来てから覚えた和裁の方がずっと楽しいね。基本が直線というのが少し飽きるけど。そうだ、今度シンちゃんに浴衣を縫ってあげる」


 「ああ、そっちの趣味か」


 「?ほら、冷めちゃうから早く」


おいでおいでーと手招く彼の傍に行くと、当たり前のように背中に手を当てられる。


こういうのをエスコートって言うんだ。


負担にならない力で押されながら歩くのは、不慣れだが悪い気分ではない。触れられたところが温かくて、なんだかとても、気持ちいい。


案内されたのはダイニングで、ここもばかげた広さがある。テーブルセットは八脚だったが、そこは綺麗に片付いたまま使われた形跡すらない。


シンタローの視界に気付いたのか、マジックの視線もそれを捉えたけれどなにも言わず、キッチン前のカウンターへと連れて行った。大理石で作られているらしいそれの上を見て、思わず息を呑む。


 「これ…あんたが作ったの?」


 「そうだよ。ねえ、あんたじゃなくて、名前で呼んでよ」


拗ねた口調で言いながら手では着席を促す。足の長いスツールはこれも彼に合わせたものなのだろう、シンタローには高すぎて仕方なくカウンターに手をつき勢いよく飛び上がった。


 「わー、かーわいいー」


 「…変態め」


いちいち言い返すのも面倒になってきたが、彼が本気で自分のことを“かわいい”と思っているのは確かなようだった。


一体自分のどこがかわいいのか。


環境がそうさせたのだ、自身の責任ではないがひねているし、物事を悲観的に考える癖も付いている。素直になれずまた口に出さないだけで自己主張は人一倍強くしたい方だし、利にならないものは徹底的に排除する。


そうしなければ生きられなかった、だから子供らしさなどというものは無縁に過ごしてきたし今更取り繕ったところで手遅れだろう。見た目だって、そろそろ幼さが抜け生意気な部分だけが際立つ年頃に入っている。


だからシンタローとしては、彼の言う“かわいい”は社交辞令か嫌がらせか変態か、その辺りのどれかだろうと結論付けることにした。ところが。


 「そう言われても仕方ないかもね。でもシンちゃんが可愛いのは事実だから、別に私の責任じゃないよ」


 「は?」


 「こんなに可愛い子、見たことないから」


 「…目が悪すぎるのか、頭が徹底的にいかれてるのか、どっちだ」


 「目が悪いって、視力のこと?」


メガネもコンタクトも必要ないよ。ご機嫌に言って、カウンターの中へと入ったマジックは手元での作業を始めた。


シンタローの前には和食器が並んでいて、彼の日本贔屓度の高さを示している。いくつかの小鉢には佃煮や煮物が入っていて、定食屋というより料亭のような演出が施されていた。尤もシンタローは、料亭などという別世界に存在する店に入ったことはないから想像に過ぎないけれど。


 「はい、温かいうちに食べてね」


言いながら出されたのは大皿に盛り付けられた煮魚だった。赤っぽい色をしていて、分厚い身がとても美味しそうな匂いを発している。


それから青菜の炒め物、豚の角煮、ほうれん草の胡麻和えと次々に並べられ、そのどれもが家庭料理と思えない見事な出来映えでただ驚かされる。因みに茶碗では艶々の白米が湯気を立て、汁碗にはシジミがかわいい口を開けていた。


 「材料があればチラシ寿司が良かったんだけど…好き嫌いを聞いていなかったし、取り敢えず一通り揃えてみたよ。食べられないものがあったら除けておいて」


 「好き嫌いなんて…ねぇよ」


 「それはよかった」


食べられるならそれだけでありがたい。贅沢など言っている余裕がなかったから、出されたものはなんでも口に入れる習慣が付いている。だからこれらの立派過ぎる食事は、見ているだけで妙な緊張と申し訳なさを生じさせ、箸を取り上げることを躊躇わせた。


 「…食べたくないの?おかしなものなんて入ってないよ」


 「ちがう…そうじゃなくて…」


座っているだけで食事が用意される。


温かで、心尽くしで、自分のために作られた席。


忘れていたその優しさを突如目の前に差し出され戸惑うのは当然だけれど、それがどんどん悲しくなって、胸が苦しくて、辛い。考えないようにしてきた境遇、…惨め、という言葉を自分に対して使いたくはなかったから、いつでも意地を張り虚勢を張り堪えてきた痛みが堰を切ったように溢れ出して止まらない。


どうせまたすぐなくすのに。


いなくなってしまうくせに。


ほんの気紛れで拾って、明日にはまた独りになる。少しの優しさを知って、その分だけ弱くなって、そんなことを繰り返していればいずれ自分は立つことも出来なくなる。張り続ける意地なんか、もう擦り切れてぼろぼろだから。


そんなに、強くないから。


 「やっぱり…いい」


 「なにがいいの?」


 「どっか探すから」


 「どこか、って、今夜泊まる場所に心当たりなんかないんでしょ」


 「なくても」


 「だめだよ」


 「いい」


 「シンちゃん」


呼ぶな。


 「いい」


 「シンちゃん」


呼ばないで。


 「シンタロー」


 


見ないで。


 


俯いて、泣いているのがばれないようにしていたけれど、そんなことは疾うに知られていたことくらい自分だって分かってる。


けれど止めようがなくて、こみ上げる感情も涙も、止められなくて。


なんでこんなに脆いんだろう。


昨日まではこうじゃなかった。こんなことくらいで泣いたりしなかった。強がっているのはいつものことでも、それでももっと我慢できた。なんでもない振りで自分自身を誤魔化せた。


それなのに。


 


 「きみは、私に似ているね」


 


小さな、笑いを含んだ声。


寂しそうな。


 


 「とても似てる。ひとりでいるのが、寂しいんだね」


 


 


座ったまま、抱き締められる体がこんなに小さいとは思わなかった。


自分が、こんなに頼りないとは思いたくなかった。


強く、強く回される腕の力に寄り添うことはもう止められなくて、そっと上げた掌を彼の背中に回してみた。


 


探していたものをやっと見つけた。


そんな気がした。



 
 

 


      きのう、みた、ゆめ


 


 


 


 


人生の中において、“抱き上げられる”などという記憶はほぼ持たないシンタローは、彼の行動が信じられず居心地の悪い思いもしていたが、正直、子供扱いという甘い経験のない我が身にとっては非常に恥ずかしいが嬉しくもある。


ほんの小さな子供をあやすような仕草で、抱き上げたシンタローの背を叩く掌は大きく温かい。欧米人は日本人と比べて体温が高いというが、安定感と安心できる温もりに気を抜けば眠気すら誘われることだろう。


身長は高い方だと自他共に認めるシンタローだが、マジックに並ばれるとかなり見上げなければならない。だからこうしていると近くで覗き込まれる瞳の蒼さに飲まれそうになり、それはひどく恐ろしい。


考えを見透かされる。


心の中を読まれる。


臆病に、卑屈に、いつでも身構えている不遇さを知られてしまう。持ったところで辛いだけのプライドを、それでも捨て切れない自分が馬鹿なのだと分かってはいるが、だからといって変われるほどに自分は身軽には出来ていない。


許されない。


使われた跡のないテーブルまで来ると、シンタローを抱えたまま椅子に掛ける。一連の動作があまりに自然で、自分が本当に小さな子供になったような気さえした。


マジックの首の辺りに頭を埋めるような姿勢で抱き込まれ、しくしくと痛んだ胸が速やかに落ち着いていくのが分かる。力が抜ける。


髪やこめかみに当てられるのは、恐らく彼の唇なのだろう。


そのように触れられたことのないシンタローにとって、それは不思議で、けれどとても安らぐ仕草だった。夢でも見ているような、そんな心地にさせられた。


 


それからどれほどの間そうしていただろう。


うつらうつらとした意識の隅に、小さく笑う彼の声を聞き慌てて閉じかけていた目を開くと間近に迫った蒼がまるで子供のような輝きで見詰めていた。


 「本当にシンちゃんは可愛いなぁ」


 「ばっ、お、おま、」


 「んー、どうしよう。取り敢えず抱き締めちゃえ」


えい。


言葉通り、シンタローの体を締め付けてくる彼をどうにか引き剥がそうとするが、力では当然の如く敵わない。とはいえとんでもない失態を犯したシンタローにとっては、まずこの腕から逃れることが先決なのだ。必死に身を捩り、彼の膝の上でバタバタと暴れた。


 「落としちゃうよ」


 「落とせ!落としていい!」


 「ダメ。シンちゃんに怪我なんかさせられないからね」


膝から落ちたくらいで怪我などしない。そう叫びたかったがまず“膝の上にいる”自分というシチュエーションが恐ろしくてなにも言えなくなる。


ああ、なんということだろう。


あれもそれもこれもみな確かに自分が引き起こしたことだが、なんだかどんどん恐ろしい状況に突き進んでいるのではないか。よく考えれば出逢ったばかりの、しかも身元の怪しげなアダルトビデオ男優などの部屋に上がりこみ、あまつさえ膝の上で抱き締められているなんて。


助けられたのではなく、体よく“お持ち帰りされた”のではないか?


今更ながらの事実に行き当たり、意識した瞬間シンタローの体は竦みあがった。


 「…どうしたの?」


カタカタと震え始めた彼を訝しみ顔を覗く。大きな目を見開いたまま、マジックを見ないよう顔を背けようとしているらしいシンタローに首を傾げ、なにがあったのか聞こうと思った、そのとき。


ぎゅっ、と、マジックの襟首が掴まれた。


本人は意識していないのだろうが、抱き締めたときに伸ばした腕が胸元に伸び、まるでしがみつくようにマジックのことを受け入れていた。接触することに不慣れな子供が、それでも救いを求めるような仕草に初めは笑いを禁じえなかったけれど、それが変わっていることに気付く。


初めて逢ったときから気になった。


誰にも興味を持たなかった自分が、今更他人に心を動かすことなど有り得ない。関わることは煩わしいことだし、不用意に傷付けられることなど堪えられない。


誰も要らない。


ひとりでいい。


そう思っていた自分の目の前に、突如現れた少年がなぜこうも気になるのか。


気になって、触れたくなるのか。知りたくなるのか。


 「嫌なことならしないよ。離せというなら離すから。だから私を怖がらないで」


祈るような気持ちで囁く。心に届くよう静かに、そっと、囁きかける。


 「私のこと、見て」


びくり、と肩が跳ねて。


かなり長い間躊躇っていたけれど、やがてぎこちなく廻らされた首がマジックへと向き直る。黒曜の瞳が濡れていて、それを見ただけでいたたまれなくなることを自覚しながら優しく、出来る限り優しく微笑みかけた。


 「ごめんね。怖かったよね。でも嬉しかったんだよ。シンちゃんと出逢えて、私は本当に嬉しかったんだ」


 「今日…初めて、逢ったばかりなのに」


 「うん。でも本当だよ。言ったよね、似ているって。私たちは、とても似ている。だからきっと、その所為だ」


 「…よく、分からない」


 「うん」


分かるよ。


それは分からないのではなく、分かりたくないだけだ。


一度閉ざした心を開くのは簡単なことではない。けれど、だからこそマジックには分かったのだ。彼が怯えるのは初対面だからとか、なにも知らないからとか、そんなことではない。


知って欲しい。


本当は誰より強く願ってる。知って欲しい。知り合いたい。互いのことをなにもかも、一番深いところに隠した醜ささえも曝け出して、それでも繋がりあえる信頼がほしい。


傍にいて欲しい。


ひとりで生きることは、それは、この世に存在するすべての痛みの中で最も耐えがたいものだ。だから同じ痛みを抱えている彼を見て、出逢ってすぐに気付いてしまった。


本能が求めてしまった。


ふたりでいることが傷の舐め合いでしかないと嘲笑われたとしても構わない。捨てることは出来ない、悲しいかな人間の身の上である自分を嘆くことも今日を限りに出来るだろう。


この出逢いがすべてを変える。


なにもかもを変えてくれる。


そう信じる。


信じられる。


賢しい小動物のような目で見上げてくるシンタローを、今度は細心の注意を払い抱き締めた。壊れやすいものを扱うようにではなく、触れさせて欲しい心に直接届くように。なにもかもを見せるから、だから見せて欲しい。その思いが伝わるように。繋がるように。


 


 


 


シンタローの腕がマジックの首に回されたのはそれから随分あとのことだが、その温かさはマジックの中に消えない炎を灯した。


 


なくさない。


離さない。


奪われない。


裏切られない。


決して。


 


決して彼を、失わない。


 


 


この執着こそが人として生きる最後の砦になるだろう。


抱き締める体の確かさを胸に、深く、深く、刻み付けた。


 
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