「役立たず」
冷ややかな眼差しで、それを数秒じっと眺め。相変わらず、沈黙を保ったままのそれを、シンタローは、勢い良く放り投げた。
ボスッ。
滞空時間は、ほんの5秒程度。それでも天井すれすれを飛行したそれは、柔らかなベッドの上に着地した。別に、狙ったわけではなかったけれど、背後で、その音を耳にしたとたん、ほっとしてしまった自分に、シンタローは素直にムカついた。
壊れちまえ! と思って放り投げたはずなのに、未だにそれに未練を持っていることを気付かせてくれたせいだ。
役立たずのくせに―――ちっとも鳴らないくせに………声を聞きたい人からの言葉を伝えてくれないくせに…。
「鳴らない携帯なんて、意味ねぇだろ」
ぽとりと零れた言葉は、自分が思った以上に、拗ねたような、泣き出す寸前の子供のような響きだった。
あの携帯を手にしたのは、もう半年も前のこと。すでに自分の携帯電話は持っていたが、それとは別に手渡された携帯電話。
相手も同じ物を握っていて、それを意味することがわからずに、自分に手渡されたそれを弄繰り回していれば、「壊すなよ」と釘を刺された。その後に、告げられたのは、「そいつが、俺を繋ぐ唯一の奴だからな」という言葉。
それで、ぴたりと動作を止めて、そろりと相手に目線だけ向ければ、ご機嫌な笑みを浮かべる相手が、そこにいた。
「そいつにしか、俺は電話しねぇし、メールもしねぇ。だから、大事に持っとけよ」
「……なんで?」
至極当然の返しである。
「俺が、その存在を嫌ってるから」
「はあ?」
「うざってぇだろうが、携帯電話なんて。しかも、コイツと来れば、持っていれば、四六時中どこにいてもかかってくると来てやがる。んな面倒臭いもんを、俺が持てるわけねぇだろ」
「まあな」
縛られることが大嫌いな相手にとっては、確かに鬱陶しいという以外ない代物だろう。
しかし、未だに、それとこれとの繋がりがもてない。
「んで、これの意味は?」
「わかんねぇのかよ」
こちらの察しの悪さに、機嫌が下降気味になるのがわかる。しかし、自分にこれを与えた意味がさっぱりわからない。むしろ、このおっさんから、物をもらうなど初めてで、何か裏があるのではないか、手元にあるこれは、実は携帯電話以上の妙な機能がついているのではないだろうかと、勘繰ってしまいたくなる。
じっと相手を見つめ、説明を促せば、先ほどのご機嫌な顔はなりを潜め、むすっとした獅子舞面で、告げてくれた。
「俺は、誰にも、こいつで見張られたくもないし、縛られたくもねぇ。けどな、こいつがあれば―――お前と話したい時に話せるだろうが」
「なるほど……って、それだけのためにか!?」
ビックリ仰天の事実である。普通なら、確かにそう思うが、まさか、このおっさんがこんなことを思うとは思わなかったのだ。
「それだけのためにだ。悪いか?」
開き直りというものだろうか、ふんぞり返って言い放つ相手を、茫然と見つめてしまう。
「悪いって―――」
基本料金とか、どうなってるんだろうか、と金銭的な問題に思考がいってしまうのを慌ててストップさせて、もっと大事なことにシンタローは、思考を向けた。だが、向けたとたんに、カッと頬が赤くなる。
(……何考えてんだよ)
もちろん、ハーレムの考えは、先ほど自分の口から言ってくれた。だが、それははっきり言って、羞恥心を沸き起こすものでしかない。
「そいつは、俺専用だ。間違っても、他の奴にはかけるなよ?」
「あ、ああ」
「んじゃ、俺はもう行くぜ。じゃあな!」
まだ、事態を上手く把握しきれないこちらに向かって、言いたいことだけ言うと、携帯電話ひとつだけ残して、遠征に出かけていった相手。
その後交わしたメール・電話は、片手に余るほど。もちろん、これを持ってなかった頃の、連絡ゼロ状態に比べれば、ましなのかもしれないけれど。
「あーーーーーもうッ!」
そんなにイライラするならば、自分から電話をかけるなり、メールを送るなりすればいいと思う。思うのだが、いざ、それを手に取ると硬直してしまった。なんと書いていいかわからない。なにを話せばいいかわからない。「元気か?」「何してる?」。そんな他愛無い言葉から、発展させればいいのだろうけれど、それはもう、すでに使った手で、何度も使用するのも、なんとなく躊躇われた。
気にすることはないといえば、それまでだが、気にしてしまうのだから、仕方がない。
一体、今、どこにいるのだろうか。
そろそろ予定の帰還日である。状況は、逐一報告書が届いているのだけれど、ここまで回ってくるのは、週に一度。計画通り、何事もなく順調であれば、まとめて報告される。それは、効率の上からみえれば、シンタローにも助かることだが―――いちいち細かな報告書を見ている暇は、シンタローにはない―――まとめられる報告書の中で、彼の無事を確認するたびに、安堵する自分に、溜息が零れる。
こんな無機質な報告で、なぜ、自分は満足しているのだろう、と。
もっと確実に、何よりも本人に直接、状況を確かめられる方法があるにもかかわらず、自分はそれをしようとしないのだ。
意地を張っているわけではない。そうではなくて、ただひたすら―――怖いのだ。
縛られるのが嫌いだと、豪語する相手に、頻繁に電話をかけるという行為は、相手を束縛してしまう気がして……怖くて電話をかけれなかった。
「なんのための携帯電話だよ……」
八つ当たりのように、鳴らない携帯を睨みつける。その時だった。
ピロリロリン♪
軽快な電子音。
「えッ!?」
驚いてベッドの方へ視線を走らせれば、先ほどまで、沈黙していた携帯電話が、受信を報せてくる。しかし、シンタローは、それに手を伸ばせなかった。
そして、唐突の沈黙。それで、ようやくシンタローは、恐る恐るといった様子で、それに手を伸ばした。
「ハーレム……」
もちろん、相手は彼しかおらず、留守電に伝言が入っていた。もどかしげに指を動かし、伝言を聞く操作をする。
『――元気か? 俺の方は元気でやってる。……お前に会いたい』
久しぶりの言葉は、他愛のない言葉とストレートな思いを綴られていて、
「……元気だよ。俺もあんたに会いたい」
繋がってないからこそ、素直に言える言葉が口から零れた。
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