「ああ?」
なんでこんなところにいるのだろうか。気晴らしのつもりでガンマ団本部に作られた広大な公園内を歩いていれば、藤棚の下で小山のように盛り上がった物体を見つけた。
藤棚は、憩いの場として作られた本部の公園の中でも少し奥まった先にある。あまり人のこない場所なのだが、だからこそ、穴場としてちょくちょく訪れていたのだが、ここに自分以外の存在を見たのは初めてである。
大体、少し前まで、この藤棚は味気ないものだった。藤は、落葉してしまうために、ただ太い藤の蔓が棚に巻きついているだけで物寂しいというか、そっけない。冬の最中は、シンタロー自身、ここに訪れることはないが、春が来れば違った。5月に入る頃になれば、ここは劇的に変わるのである。
最初は、何かヒモのようなものがいくつもぶらさがっているだけのようなのだが、それが徐々にふっくらと膨らんできて濃紫色の花となり、さらに新しい若葉も芽吹き、数週間前とは見違えるほど鮮やかなものになるのだ。満開となる頃には、その華やかさを堪能するために、その下に設置されている背もたれのないベンチに寝転がって、眺めるのが楽しみだったのだが、今日は、残念なことに先着がいた。
しかし、それは意外な人物でもあった。
「………なんで、こんなとこにおっさんが?」
そう。そこにいたのは、叔父であり特戦部隊の隊長でもあるハーレムだった。確かに、今現在、特戦部隊には仕事を与えておらず、ヒマであることは間違いなかった。本部にいることも知っていた。しかし、こんなところで花を眺めるような風流さなど持ち合わせてはないはずである。
首を傾げつつ近寄れば、目を瞑ったまま、ベンチに転がっている姿を眺めることになった。いったい、いつからここにいるのか、見た目には気持ちよさそうに眠っている。
(あ~あ)
小さく溜息が漏れる。
これでは自分は寝られなかった。ベンチは幅広いが、それでも大の大人が寝転がればはみ出すぐらいで、他の者が座る余裕すらない。
蹴り飛ばしてどかすこともできるけれど、そんなことをすれば、報復されるのは間違いなかった。こんなところで争うほど、自分は馬鹿ではない。
傍まで近づいたのはいいものの、起こすことなど出来ずに、せめて花見でもしようと頭上の花を見上げれば、不意に右手首がつかまれ、下へと強く引っ張られた。
「うわっ!」
思わず声をあげた時には、すでに視界はぐるりと変わり、見上げなくても藤の姿があった。一瞬のうちにベンチの上に寝そべる格好となったのだ。だが、視界に映るのはそれだけではない。キラキラと金色に輝く眩しいもの。そして、さらに視界に割り込んできたのは、藤棚からかすかに見える空よりも青く深い瞳だった。
「………行き成りなにしやがる」
寝転がったままでは迫力がないとはわかっていても、相手を睨みつければ、そこには金髪に碧眼の叔父が、にやにやとした笑みで見下ろしてくれていた。
「お前こそ、こんなところで何してんだよ」
「俺は、ただの息抜きだ」
「俺も、息抜きだよ」
「こんなところで?」
「こんなところだからな」
あっさりと答えてくれた後に、ハーレムは、ふっと空を見上げるようにして藤へと視線を向ける。意外だが。本当に意外だが。ハーレムもまた、藤が咲いているのを知っていて、ここへ来たようである。
(似合わねぇ)
思わず本音が浮かんだが、口には出さない賢明さは持ち合わせている。
「で、お前も昼寝をしに来たのか?」
そう訊ねられれば、シンタローは首を振った。
「そこまでヒマじゃねぇよ」
実際のところ本当にただ、この藤を見に来たのだ。休憩は、一時間ほどしかなく、軽い昼寝ぐらいならできるかもしれないが、うっかり寝入ってしまえば、後々仕事に影響が出てしまうし、他の者にも迷惑がかかってしまう。だから、一休みするぐらいの気持ちでここに来たのである。
「あんたはヒマでいいな」
「お前が、仕事を回してくれないからな」
嫌味のつもりで言ったが、さらりと返され、さらに楽しげにニヤリと笑ってくれた顔に、ムカついてしまう。逆効果だ。腹立たしいことこの上ない。出来れば、ハーレムが率いる部隊も、使えるならば使いたい。人手が足りないほどではないが、それでも特戦部隊の戦力は惜しいのだ。けれど、使えない理由ははっきりしている。
「あんたが、やり過ぎなきゃ、いつでも使ってやるよ」
「そりゃ、無理だ。俺は俺の好きなようにしか力は使えねぇ」
「………役立たず」
「そうだな」
笑って肯定されるのが、また悔しい。
これ以上何を言っても苛立ちが増すばかりだと、口をつぐんでいれば、何を思ったのか、ハーレムの指先が動き、すっと目元に指先が触れた。びくっと震える自分を安心させるためなのか、小さな笑みを零し、やんわりと告げた。
「―――隈ができてるな」
その指摘は、言われなくてもわかっていることで、シンタローはうざったけに、その指を払うように叩いた。
「寝てないのか?」
「忙しいからな」
そっけなく返し、顔を横へと向ける。起き上がればいいのだが、一度そうしかけたら、肩を押さえつけられて妨害された。抵抗するのも疲れるから、寝転がったままでいるのだが、こちらの表情を全て見られてしまうのは、腹立たしい。
顔をそらしたところで、むくれた顔を見られている。隈もそうだ。最近、仕事が立て込んでいて、ろくに睡眠をとれない日が続いていたために、くっきりと目元に浮かんでいるのである。それはどうしようもない。
だが、その後に意外な言葉が続いた。
「ふぅん。じゃあ、寝ろ」
さらりと告げられた言葉に、シンタローは、目を見開いて見上げた。
「はっ? ……ここで?」
「ああ」
「………俺、あと30分したら、もどらねぇといけないんだけど」
「それじゃあ、それまで寝てろ。起こしてやるから」
そう言われたからといって、『はい、そうですか』と簡単には寝れない。じとりと相手を見上げれば、機嫌を損ねたのか、眉間にシワがよせられた。
「なんだ、その目は」
「いや……気持ちぐらい優しいな、と思って」
そう言うと、ぐいっと鼻をつまみあげられた。
「ばーか。甥っ子の心配ぐらいして当然だろうが」
ぐいぐいっと摘み上げるその手の甲を思い切りひっぱたく。
「あーもう、苦しいだろ!」
簡単に離してくれはしたが、結構強く摘んでくれたために、ひりひり痛む鼻を両手でこすっていれば、ギロリと相手から睨まれた。
「いいから寝ろよ」
「ヤダ」
そんな風に命令口調で言われては、従う気にはなれない。即行で拒否れば、鼻をさすっていた両手をつかまれ、頭上へと持ち上げられた。
「わがまま言うと―――――襲うぞ」
身動きとれない状況のまま、重なるように身体を倒してくるハーレム。抵抗するヒマもなく、それを受け入れるしかない。
「ッ!」
だが、触れたのは唇だけだった。
「ハーレムッ!」
それもすぐに離れてくれたものの、両手は不自由のままで怒鳴れば、相手はいまだ凄みをもった表情で、言い放った。
「これ以上されたくなかったら、大人しく眠れ」
何を考えているのか真剣な眼差し。そこに本気の色を見つけて、気勢を弱めさせられる。
なぜ、そこに固執するのかはわからないものの、間近に見下ろされた相手の瞳の中に、盛大に真っ赤にした顔の自分が映るのが見えた。ただのキスに、羞恥と怒りに染まる顔。それ以上それを見たくなく、シンタローは、ギュッと眼を閉じた。
「………おやすみッ!」
相手の言うことを聞くのはかなり癪だが、これ以上抵抗すれば、本気で襲われる気がする。とりあえず、目を閉じてじっとしていれば、ごそごそと服を探る音がする。かすかに紙がこすれる音の後、カチッと火を灯すライターの音。だが、すぐに盛大な舌打ちとともにそれをしまわれる音がした。
「……吸っていいぜ」
ぱちりと目を覚まし、自分の頭の上のわずかなスペースに腰掛けていたハーレムに告げれば、苦々しい顔をされた。その手には、しまいかけたタバコの箱がある。
「いい。吸う気がなくなった」
嘘だ。あそこまでして、タバコをやめる理由はない。無意識にタバコを取り出したのはいいが、近くで寝ている自分に気付いてやめてくれたのだ。
「なあ……」
「寝ろっていっただろ」
「そんなにすぐには寝れねぇよ―――――っていうか俺を眠らせたい理由でもある?」
なんとなくそんな気がした。自分の隈に触れた時のハーレムの顔が、どこか遠くを眺めるような目線だった。だが、それは過去を懐かしむというよりは、何か痛い記憶を思い出してしまったような顔だった。
目を開けたまま、じっと相手の顔を見つめていれば、観念したのか、困ったように髪をかきあげた後、藤の方へと視線を向け、口を開いた。
「兄貴が………親父が死んだ後、まだお前よりずっと早くに総帥になったマジック兄貴がよ。お前のように、隈を作ってた」
「親父が?」
驚いて、その反動で起き上がろうとしたが、すぐにハーレムの視線が自分に戻り、それを制せられた。
だが、ハーレムの言葉は初耳だった。自分の知っている父親は、無駄なほど元気な上に、いつ仕事をしているのかと思うほど自分の傍にいてくれていたのだ。だからこそ、今の自分の状況に不甲斐なさを覚えていた。自分は、まだまだだと、過去の父親の姿を思い出すたびに打ちのめされていた。けれど、親父も―――マジックも、自分のように目元に隈を作っていた時代があったのだ。
「―――俺はなんとかしてやりたいと思ったけど、その頃はまだ子供だった兄貴よりもずっと幼かったからな………ただ、見ていることしか出来なかった」
ハーレムの口から語られる父親の姿は、意外すぎて想像し難く、ただ後悔しているのか苦い表情を浮かべたままのハーレムに、ふと思い浮かんだ言葉を口に乗せ告げた。
「俺は、親父の変わりか?」
「ばーか」
とたんに大きな手の平が、瞼の上におかれる。戦うもの手特有のごつごつした無骨な、けれど温かな手が視界を覆う。
「それとこれとは別だ。あの時の兄貴がどれだけ大変だったかわかってるから、お前の苦労も知っているっていうだけだよ。………悪いな、こんくらいしか力になれんで」
視界を塞がれたために、彼がどんな顔をして言っているのかわからないが、きっと、照れ臭そうな顔をしているだろう。珍しいその表情を見れないことが残念だった。
自分もそれほど器用な人間ではないが、彼もまたかなり不器用な人間なのだ。
「いいや。十分役立ってるよ。時間がきたら……よろしくな」
理由がきけたせいだろうか、ハーレムの好意に甘えようと思えた。時間がくれば起こしてくれる。そう思えるから、素直にそれを受け入れる気になった。
「ああ―――お休み」
瞳は温かな闇に覆われたまま。めったに聞けない優しい声を耳にしつつ、すっと全身の力を抜けば、睡眠不足が祟ってすぐに睡魔が訪れる。だが、今はそれに抗うことなく受け入れた。
さわさわ、とかすかな音がする。優しい春風を受け、藤の花と花が互いに擦れ合う音。それを聞きながら、ゆっくりと深い眠りについていった。
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