「チョコ? んなの、用意してねぇよ」
キシッと軋むほど、椅子の背もたれに身体を預けたシンタローは、身体をほぐすために、万歳をするようにして両腕を伸ばしながら、そう答えた。ようやく仕事もきりがつき、本日の業務は終了までこぎつける。後は、全て目を通しサインをし終わった書類の束を、目の前にいる自分の補佐に、手渡すだけだ。
もっともすでに時刻は11時半を回っていた。日付が変わる前に仕事が終えたのも久しぶりのことである。
「お前は用意しているのかよ」
先ほどの質問のお返しとばかりにそう尋ねれば、相手は、こちらからの書類を受け取りながら、当然とばかりに頷いた。
「もちろん、当たり前だろう。日頃お世話になっている相手に渡すために、ちゃんと用意している。お前の分もあるぞ、シンタロー」
「それはどうも」
まだもらっていないが、一応礼は言っておく。
そう言えば、数日前に、グンマと一緒に買い物に出かけていたようだが、たぶんそれが、明日のために買ってきた品なのだろう。
ガンマ団には、当然ながら女性はいない。だから、女性から男性へ、チョコを送るという日本の風習は根付くはずもなく、空しいかな、男性同士のチョコレート交換というのが、ずっと昔から密やかにあった。
もっとも、外国では、親しい者同士が贈り物を交換することもあるのだから、一概におかしなこととは決め付けられないし、日頃の感謝の気持ちを込めて、というのならば、お中元やお歳暮よりもお手軽でいいことだろう。だが、その半分は、本気交じりの告白が入っているという状況であるが、それはとりあえず今は関係ない。
「俺も、なんか用意しねぇと悪ぃな」
ここのところ、ずっと忙しくてそういう準備も出来なかった。誰かに頼めば調達してくれるが、こういう贈り物ならば、やはり手ずからというものがいい。
今から用意しても間に合いそうにないから、来月のホワイトデーに、頂いた分だけ返した方が楽かもしれない。そう思っていれば、先ほど自分が処理した書類のチェックをしていたキンタローの手が止まり、意外そうな顔を向けられた。
「そうなのか? それじゃあ、叔父貴達の誕生日プレゼントも?」
自分がバレンタインデー用に、何も用意してないことに驚いたようである。
けれど、それとは別に、2月14日は、もうひとつ意味がある。自分達の叔父にあたる、サービスとハーレムの誕生日でもあるのだ。
しかし、バレンタインデーのチョコと叔父の誕生日プレゼントは、まったく違うことだ。
「いや、サービス叔父さんの誕生日は、準備したぜ。っていうか、昨日あった時に、もう渡しちまった」
大好きな美貌の叔父へのプレゼントを、もちろん自分が忘れるはずがなかった。以前から目をつけていたアクセサリーを購入し、それを渡したのだ。叔父も、喜んでくれていたし、渡したこちらとしては大満足である。
「随分と早いな」
「ん~~。当日会えないかもしれないからな」
本当ならば、誕生日当日にあげるのが一番いいのは分かっている。けれど、その当日に、手渡せるかといえば、今の予定では難しいこともあり、早めにプレゼントを渡したのだ。
「そうなのか? だが、お前の方は、明日は休みだろ? いつでも渡せるではないか」
すでに半年以上前から、2月14日は、休みを取ると宣言していたのである。キンタローは、てっきり、このイベントに参加するためのものかと思っていた。
去年も午前中で仕事を止め、午後からは甘ったるい匂いを調理場からさせていたのだ。いくつ作ったかしらないが、そのおこぼれをキンタローももらっていたのである。
「うッ……いや、それは…あれだ……」
しかし、それを指摘したとたん、なぜかシンタローは、歯切れの悪い口調になった。しかも、見る見るうちに、顔が火照るように、真っ赤に染まっていく。
「どうしたんだ? 行き成り顔が赤くなったが、もしや、何か病気にでも……」
熱でも出たのではないかと不審に思い、その額に手を伸ばしてみるが、それはあっさりと拒否された。
「な、なんでもない。気にするな」
こちらの手を逃れ、ぶんぶんと大きく首を振り、平素を装うとしているが、明らかに挙動不審である。
いったい何が原因なのだろうか。見当もつかず眉根を寄せていれば、後方から、バンッ! と大きな音が響いた。
それに振り向くよりも先に、豪快な声が響き渡った。
「よぉ! もうすぐ日付変わるけど、準備は出来てるだろうな」
「ハーレム叔父貴」
ドアを蹴破るようにして入って来たのは、もう間もなく誕生日を迎える叔父のひとりである。いったいいくつになるのか、と疑ってしまうほど、礼儀も遠慮もなく、ずかずかと執務室に乗り込んできた相手は、当たり前のような顔をして、シンタローの前を陣取っている机の上に腰を下ろした。
「ハ、ハーレム。なんでここに…」
なぜか、叔父の登場に、シンタローの顔は、とたんに蒼ざめたものに変わっている。しかし、それを慨さないように、ハーレムは、ねめつけるように、シンタローに視線を向けた。
「お前が、まだここにいるって聞いたからに決まってるだろうが。ったく、いつまで仕事やってんだよ」
机の上から、シンタローの顔を覗き込む。そこで、なにやらこそり、と互いにしか聞き取れないような言葉を告げると、蒼ざめていたシンタローの顔が、再び赤く染まりだした。
いったい何を言われたのか、明らかに焦った表情をして、こちらへ視線を走らせていた。たぶん、今の会話が聞こえたのではないかと危惧しているのだろう。あいにく、何の言葉も聞き取れなかったために、素直に、首を横へと振って見せれば、安心したように小さく溜息をつき、それから、顔を思い切り顰めて、手を上げた。
「いいから、てめぇは部屋に戻っておけよ。こっちは、もうすぐ終わるから」
シッシッと犬猫を追い出すような手つきをすれば、それが気に食わなかったのか、ハーレムは机から降り、立ち上がった。
「んだとぉ? 俺がわざわざ迎えに来てやった、つーのに、なんだ、その言い草は」
「んな、余計なことするなッ!」
怒鳴る相手に、シンタローも怒鳴り返す。
「迎え?」
しかし、キンタローとしては、その一言が気になるものだった。『迎え』というのは、どういう意味を持つのだろうか。
だが、その疑問に答えてくれる気は、シンタローにはないらしく、手のひらが、こちらに向かって突き出された。
「ああ、もうッ! キンタロー。お前は、もういいから帰れ」
「行き成り何を言うんだ?」
仕事は、あと少しだが残っているのである。ハーレム叔父のおかげで中断しているが、手早く終わらせたいところだ。それに、このくらいなら、残して帰るほどでもない。
「いいから、後は俺がする」
「ふざけんなッ! お前はこれから俺と――」
「あああああああああ~~。何も言うなてめぇは!」
行き成り大声を上げ、ハーレムの言葉を遮る。いつにない狼狽ぶりをシンタローは披露していた。
(いったいなんだろうか?)
その意味がまったく分からず、キンタローは、どう対処すべきかと思案していれば、不意に時計が目にはいった。
チッチッチッチッ…。
騒いでいるうちにも時は過ぎていく。そして、時計の針は、長針、短針ともに真っ直ぐに上を貫いた。
「12時か。何があるか知らんが、こちらを早く終わらせよう」
二人の間に何があるのかわからない、もう0時を過ぎたとなれば、いつまでもぐずぐずしてないで、寝るべきであろう。残った仕事を片付けるぞ、とシンタローに声をかけたつもりだが、その言葉に、まってましたと言わんばかりに動いたのは、ハーレムの方だった。
「14日になったってことだな。んじゃ、約束どおりもらうぜ」
そう言うと、行き成りひょいっとシンタローの身体を抱き上げた。先ほどから口での応酬ばかりで、油断していたのか、あっさりとハーレムの肩に担がれたシンタローは、慌てて、手足をばたつかせる。
「なっ、テメッ、何しやがるッ。キンタローの前で」
「うるせぇ! 約束だろうが」
それを黙らせようと、ハーレムが怒鳴りつけるが、逆効果である。さらにシンタローは、肩の上で暴れだし、それを押さえ込もうとハーレムも四苦八苦していた。
「約束とはなんだ?」
どうやら、先ほどの応酬は、この『約束』が元になったようである。その質問に、シンタローは口を閉ざしたが、ハーレムの方が教えてくれた。
「ああ。俺の誕生日の14日に、自分の一日をプレゼントすると、去年約束したからな。それをもらいに来たんだよ」
約束したのは、ちょうど一年前。自分の誕生日にだ。しっかりチョコレートとプレゼントを渡しに来てくれたのは嬉しかったが、それも日付が変わる直前だった。それまで、夕方まで作っていたチョコの配達に追われていて、一番最後と決めていたハーレムの元までたどりつくのに、思った以上の時間がかかったのである。
蔑ろにされて、ご立腹したハーレムを宥めるために取り決められたのが、今年の約束だった。
つまり『誕生日プレゼントもバレンタインチョコレートももらわない代わりに、シンタローの一日を貰い受ける』ということなのである。
にやにやと笑いを零しながら、ハーレムは、抱えているシンタローに視線を向けた。そこには、暴れたせいではなく、真っ赤な顔してこちらから顔をそらしているシンタローの姿がある。
「なるほど。それで、シンタローは休みをもらっていたのだな」
律儀にも、その約束を果たそうとしていたのだ。
(それで、今日はいつも以上に仕事をこなしていたのだな)
12時前には、全ての仕事を終わらせるために、シンタローは朝から張り切っていたのだ。てっきり、明日の休みをゆっくり取るために頑張っていたと思ったが、頑張る目的は、どうやら違っていたようだった。
「……約束だからな」
シンタローは、ぼそぼそと呟いて、同意を示す。
キンタローにも、ようやくこの騒ぎの全貌が見えてきた。
「つーわけで、じゃあな」
甥っ子に向かって、ハーレムは、そう言うと、よいしょっと掛け声とともに、シンタローを再度しっかりと担ぎあげた。それから、蹴り飛ばし開いたままのドアへと向かう。
約束どおり、これから24時間、ハーレムはシンタローを自由にさせてもらうつもりなのだ。
「こらッ、離せおっさん! まだ仕事が―――」
その肩の上で、再びシンタローは抵抗を続けていたものの、もちろんそれは先ほどまでと同様効果などまったくないものだった。
バタン。
ハーレムは、出て行く時に、ちゃんとドアを閉めてくれた。
おかげで部屋の中は、先ほどの騒動が嘘のように、シンと静まりかえってしまった。ひとり取り残されたキンタローは、その場で、小さく肩を竦めた。
「……なるほど。だからチョコもプレゼントも用意の必要はなかったわけか」
好きな人への贈り物が自分とは、随分奮発したものである。どういう手を使ったかわからぬが、羨ましいことである。
「―――俺の誕生日にも、それをしてもらえないだろうか」
なかなかのいい案である。
明日戻って来た時に、交渉してみよう。
そう考えつつ、キンタローは、残りの仕事の片付けにかかった。
キシッと軋むほど、椅子の背もたれに身体を預けたシンタローは、身体をほぐすために、万歳をするようにして両腕を伸ばしながら、そう答えた。ようやく仕事もきりがつき、本日の業務は終了までこぎつける。後は、全て目を通しサインをし終わった書類の束を、目の前にいる自分の補佐に、手渡すだけだ。
もっともすでに時刻は11時半を回っていた。日付が変わる前に仕事が終えたのも久しぶりのことである。
「お前は用意しているのかよ」
先ほどの質問のお返しとばかりにそう尋ねれば、相手は、こちらからの書類を受け取りながら、当然とばかりに頷いた。
「もちろん、当たり前だろう。日頃お世話になっている相手に渡すために、ちゃんと用意している。お前の分もあるぞ、シンタロー」
「それはどうも」
まだもらっていないが、一応礼は言っておく。
そう言えば、数日前に、グンマと一緒に買い物に出かけていたようだが、たぶんそれが、明日のために買ってきた品なのだろう。
ガンマ団には、当然ながら女性はいない。だから、女性から男性へ、チョコを送るという日本の風習は根付くはずもなく、空しいかな、男性同士のチョコレート交換というのが、ずっと昔から密やかにあった。
もっとも、外国では、親しい者同士が贈り物を交換することもあるのだから、一概におかしなこととは決め付けられないし、日頃の感謝の気持ちを込めて、というのならば、お中元やお歳暮よりもお手軽でいいことだろう。だが、その半分は、本気交じりの告白が入っているという状況であるが、それはとりあえず今は関係ない。
「俺も、なんか用意しねぇと悪ぃな」
ここのところ、ずっと忙しくてそういう準備も出来なかった。誰かに頼めば調達してくれるが、こういう贈り物ならば、やはり手ずからというものがいい。
今から用意しても間に合いそうにないから、来月のホワイトデーに、頂いた分だけ返した方が楽かもしれない。そう思っていれば、先ほど自分が処理した書類のチェックをしていたキンタローの手が止まり、意外そうな顔を向けられた。
「そうなのか? それじゃあ、叔父貴達の誕生日プレゼントも?」
自分がバレンタインデー用に、何も用意してないことに驚いたようである。
けれど、それとは別に、2月14日は、もうひとつ意味がある。自分達の叔父にあたる、サービスとハーレムの誕生日でもあるのだ。
しかし、バレンタインデーのチョコと叔父の誕生日プレゼントは、まったく違うことだ。
「いや、サービス叔父さんの誕生日は、準備したぜ。っていうか、昨日あった時に、もう渡しちまった」
大好きな美貌の叔父へのプレゼントを、もちろん自分が忘れるはずがなかった。以前から目をつけていたアクセサリーを購入し、それを渡したのだ。叔父も、喜んでくれていたし、渡したこちらとしては大満足である。
「随分と早いな」
「ん~~。当日会えないかもしれないからな」
本当ならば、誕生日当日にあげるのが一番いいのは分かっている。けれど、その当日に、手渡せるかといえば、今の予定では難しいこともあり、早めにプレゼントを渡したのだ。
「そうなのか? だが、お前の方は、明日は休みだろ? いつでも渡せるではないか」
すでに半年以上前から、2月14日は、休みを取ると宣言していたのである。キンタローは、てっきり、このイベントに参加するためのものかと思っていた。
去年も午前中で仕事を止め、午後からは甘ったるい匂いを調理場からさせていたのだ。いくつ作ったかしらないが、そのおこぼれをキンタローももらっていたのである。
「うッ……いや、それは…あれだ……」
しかし、それを指摘したとたん、なぜかシンタローは、歯切れの悪い口調になった。しかも、見る見るうちに、顔が火照るように、真っ赤に染まっていく。
「どうしたんだ? 行き成り顔が赤くなったが、もしや、何か病気にでも……」
熱でも出たのではないかと不審に思い、その額に手を伸ばしてみるが、それはあっさりと拒否された。
「な、なんでもない。気にするな」
こちらの手を逃れ、ぶんぶんと大きく首を振り、平素を装うとしているが、明らかに挙動不審である。
いったい何が原因なのだろうか。見当もつかず眉根を寄せていれば、後方から、バンッ! と大きな音が響いた。
それに振り向くよりも先に、豪快な声が響き渡った。
「よぉ! もうすぐ日付変わるけど、準備は出来てるだろうな」
「ハーレム叔父貴」
ドアを蹴破るようにして入って来たのは、もう間もなく誕生日を迎える叔父のひとりである。いったいいくつになるのか、と疑ってしまうほど、礼儀も遠慮もなく、ずかずかと執務室に乗り込んできた相手は、当たり前のような顔をして、シンタローの前を陣取っている机の上に腰を下ろした。
「ハ、ハーレム。なんでここに…」
なぜか、叔父の登場に、シンタローの顔は、とたんに蒼ざめたものに変わっている。しかし、それを慨さないように、ハーレムは、ねめつけるように、シンタローに視線を向けた。
「お前が、まだここにいるって聞いたからに決まってるだろうが。ったく、いつまで仕事やってんだよ」
机の上から、シンタローの顔を覗き込む。そこで、なにやらこそり、と互いにしか聞き取れないような言葉を告げると、蒼ざめていたシンタローの顔が、再び赤く染まりだした。
いったい何を言われたのか、明らかに焦った表情をして、こちらへ視線を走らせていた。たぶん、今の会話が聞こえたのではないかと危惧しているのだろう。あいにく、何の言葉も聞き取れなかったために、素直に、首を横へと振って見せれば、安心したように小さく溜息をつき、それから、顔を思い切り顰めて、手を上げた。
「いいから、てめぇは部屋に戻っておけよ。こっちは、もうすぐ終わるから」
シッシッと犬猫を追い出すような手つきをすれば、それが気に食わなかったのか、ハーレムは机から降り、立ち上がった。
「んだとぉ? 俺がわざわざ迎えに来てやった、つーのに、なんだ、その言い草は」
「んな、余計なことするなッ!」
怒鳴る相手に、シンタローも怒鳴り返す。
「迎え?」
しかし、キンタローとしては、その一言が気になるものだった。『迎え』というのは、どういう意味を持つのだろうか。
だが、その疑問に答えてくれる気は、シンタローにはないらしく、手のひらが、こちらに向かって突き出された。
「ああ、もうッ! キンタロー。お前は、もういいから帰れ」
「行き成り何を言うんだ?」
仕事は、あと少しだが残っているのである。ハーレム叔父のおかげで中断しているが、手早く終わらせたいところだ。それに、このくらいなら、残して帰るほどでもない。
「いいから、後は俺がする」
「ふざけんなッ! お前はこれから俺と――」
「あああああああああ~~。何も言うなてめぇは!」
行き成り大声を上げ、ハーレムの言葉を遮る。いつにない狼狽ぶりをシンタローは披露していた。
(いったいなんだろうか?)
その意味がまったく分からず、キンタローは、どう対処すべきかと思案していれば、不意に時計が目にはいった。
チッチッチッチッ…。
騒いでいるうちにも時は過ぎていく。そして、時計の針は、長針、短針ともに真っ直ぐに上を貫いた。
「12時か。何があるか知らんが、こちらを早く終わらせよう」
二人の間に何があるのかわからない、もう0時を過ぎたとなれば、いつまでもぐずぐずしてないで、寝るべきであろう。残った仕事を片付けるぞ、とシンタローに声をかけたつもりだが、その言葉に、まってましたと言わんばかりに動いたのは、ハーレムの方だった。
「14日になったってことだな。んじゃ、約束どおりもらうぜ」
そう言うと、行き成りひょいっとシンタローの身体を抱き上げた。先ほどから口での応酬ばかりで、油断していたのか、あっさりとハーレムの肩に担がれたシンタローは、慌てて、手足をばたつかせる。
「なっ、テメッ、何しやがるッ。キンタローの前で」
「うるせぇ! 約束だろうが」
それを黙らせようと、ハーレムが怒鳴りつけるが、逆効果である。さらにシンタローは、肩の上で暴れだし、それを押さえ込もうとハーレムも四苦八苦していた。
「約束とはなんだ?」
どうやら、先ほどの応酬は、この『約束』が元になったようである。その質問に、シンタローは口を閉ざしたが、ハーレムの方が教えてくれた。
「ああ。俺の誕生日の14日に、自分の一日をプレゼントすると、去年約束したからな。それをもらいに来たんだよ」
約束したのは、ちょうど一年前。自分の誕生日にだ。しっかりチョコレートとプレゼントを渡しに来てくれたのは嬉しかったが、それも日付が変わる直前だった。それまで、夕方まで作っていたチョコの配達に追われていて、一番最後と決めていたハーレムの元までたどりつくのに、思った以上の時間がかかったのである。
蔑ろにされて、ご立腹したハーレムを宥めるために取り決められたのが、今年の約束だった。
つまり『誕生日プレゼントもバレンタインチョコレートももらわない代わりに、シンタローの一日を貰い受ける』ということなのである。
にやにやと笑いを零しながら、ハーレムは、抱えているシンタローに視線を向けた。そこには、暴れたせいではなく、真っ赤な顔してこちらから顔をそらしているシンタローの姿がある。
「なるほど。それで、シンタローは休みをもらっていたのだな」
律儀にも、その約束を果たそうとしていたのだ。
(それで、今日はいつも以上に仕事をこなしていたのだな)
12時前には、全ての仕事を終わらせるために、シンタローは朝から張り切っていたのだ。てっきり、明日の休みをゆっくり取るために頑張っていたと思ったが、頑張る目的は、どうやら違っていたようだった。
「……約束だからな」
シンタローは、ぼそぼそと呟いて、同意を示す。
キンタローにも、ようやくこの騒ぎの全貌が見えてきた。
「つーわけで、じゃあな」
甥っ子に向かって、ハーレムは、そう言うと、よいしょっと掛け声とともに、シンタローを再度しっかりと担ぎあげた。それから、蹴り飛ばし開いたままのドアへと向かう。
約束どおり、これから24時間、ハーレムはシンタローを自由にさせてもらうつもりなのだ。
「こらッ、離せおっさん! まだ仕事が―――」
その肩の上で、再びシンタローは抵抗を続けていたものの、もちろんそれは先ほどまでと同様効果などまったくないものだった。
バタン。
ハーレムは、出て行く時に、ちゃんとドアを閉めてくれた。
おかげで部屋の中は、先ほどの騒動が嘘のように、シンと静まりかえってしまった。ひとり取り残されたキンタローは、その場で、小さく肩を竦めた。
「……なるほど。だからチョコもプレゼントも用意の必要はなかったわけか」
好きな人への贈り物が自分とは、随分奮発したものである。どういう手を使ったかわからぬが、羨ましいことである。
「―――俺の誕生日にも、それをしてもらえないだろうか」
なかなかのいい案である。
明日戻って来た時に、交渉してみよう。
そう考えつつ、キンタローは、残りの仕事の片付けにかかった。
PR