「おまっ………」
ぱっくりと開いた口を閉じられぬまま、ハーレムはそれを指差していた。真っ青な瞳は、ただ一点だけを見つめている。ソファーにもたれていた背は、その衝撃を表すように、浮き上がっていた。
わずかな沈黙。
先にそれを破ったのは、不本意ながらも指を指された方だった。
「なんだよ、その反応は。俺がここにいたら、いけねぇって言うのかよ」
その驚愕に満ちた表情がすこぶる気に入りませんと言わんばかりの、不貞腐れたような顔がこちらに向けられる。
それでようやく開いたままの口が閉じられ深呼吸を何度か繰り返せば、ハーレムは、再び言葉を取り戻せた。
「つーか、お前。こんなとこに来れるはずがねぇだろ?」
つい最近、ガンマ団総帥という地位についた甥っ子。その多忙さは、兄の背中を見て育った自分がよく知っている。それなのにガンマ団本部から遠く離れた辺境の地に、彼が存在していることが信じられなかった。忙しくて全然ヒマがないと、通信機越しに愚痴っていたのは、確か一昨日のはずである。
「……来れただろ」
ぶすっとした表情のまま呟かれた言葉。
確かにそれに偽りは無い。ここにいることが紛れもなく事実だ。
けれど、問題にすべきことは、なぜここに来れたかなのだが―――ハーレムは、獅子の鬣のような自分の髪をくしゃくしゃに掻き混ぜた。その後に、はぁと大仰な溜息ひとつが零れ出る。
(なんでここにいるかって?)
喉の奥からでかかったその疑問を、ハーレムは飲み込んだ。
聞かずとも想像できる。
(どうせ、キンタロー辺りが時間を作ってやったんだろう。でなければ、こんなところに来れるはずがない)
視察だと、ここへ来て開口一番に告げてくれた。だが、それにあっさりと納得できるほど、自分もバカではない。それは単なる名目にしか過ぎない。大体総帥ひとり、供もなくこの艦に乗り込んでいる時点で、それがただの口実であることは確定しているのだ。
ちらりと視線を向ければ、相変わらず唇を軽く尖らせ視線を落としたまま。不貞腐れていると思ったが、どちらかといえば、バツが悪いといった表情なのかもしれない。
どうやらシンタロー自身もここに自分がいることに、居心地の悪さを感じているのだろう。正直な理由も言えずにここに来たのなら当然だ。
(しかし、どうすっかな)
最初に一瞥した時から気付いていた。
目の周りの隈。時折見せる疲れた表情。ここへ来るために、無理をしたのがよくわかる。それでも仕事が残っているのだろう。ちらりと時計に何度も視線を向けていた。
早めに返すのが、やはり正解というところだろうが――。
(って、それで返せりゃ世話はねぇってか?)
帰れといったところで、素直に帰るとは思えない。どれほど時間を得ているのかは分からないが、帰る気があるならそのまま回れ右をしているはずである。
第一まだ―――触れてもいない。
こんなに近くにいるにも関わらず、まだ相手の肌に触れられもしない。
(チッ…うざってぇな)
誰もいないならば、遠慮なくベタベタと触っていたかもしれないが、背後には部下3名が控えている。こっちは全然気にしないのだが、あっちは多いに気にするのだ。
むやみに手を出さないのは、一度経験済みのためである。
部下のいる前でそれをやった後、互いにガンマ団本部内にいるにもかかわらず、一週間もおさわり禁止は、さすがにかなりの肉体的&精神的ダメージを与えてくれたのだ。
「ハーレム隊長」
「あん?」
背後からの声。その声は、マーカーのものだった。大人しく後ろに控えていたのだが、一歩前に足を出し、こちらへと声をかける。なんだと、首だけそちらへ回してみせれば、マーカーは口を開いた。
「私たちは、そろそろ食料調達に出かけてもよろしいでしょうか。ここには、そのために立ち寄ったのですが、早く行かなければ、朝市が終わってしまいます。新鮮な食材確保のためにも、行かせてもらいたいのですが、どうでしょうか?」
こちらの思いを見越したように、伺いを立ててきたマーカーに、ハーレムは言われて思い出したことを示すように、ポンと右の拳で左の手のひらを叩いた。
「そういやぁ、そうだったな」
大概は空の上を漂っているこの艦だが、永遠にそこにいられるわけではない。時折栄養補給をしなければ、こちらも飢え死にである。4人とも食事の量は半端ではないのだ。
ガンマ団もきちんと食料支給はしてくれるのだが、もちろん保存食ばかりである。そんなもので我慢できるはずがなかった。それゆえに、自給できるものはやるのが、特戦部隊の慣わしとなっていた。ちなみに、余った保存食は別の場所で売っぱらって、金に換えているのは内緒である。
肉は、山に入って獣を狩れば手に入る。だが、それだけでは偏る栄養を補充するため、安い朝市などの情報を集めては、野菜や魚などを大量に買ってくるのである。
ここに着陸したのも、それが目当てだった。
「シンタロー総帥。そう言うことなので、退出をお許し願いますでしょうか」
この場でもっとも地位が上であるシンタローにも、丁寧に許可を伺うマーカーに、シンタローは慌てたように頷いて見せた。
「あ、ああ。悪い。そんな事情知らなくて。行ってくれ」
その言葉に、ハーレムも乗る。
「ということだ。お前ら、とっとと行ってこい。んでもって……そうだな、2時間は絶対に帰ってくるなよ」
「分かりました」
その言葉に、マーカーは、表情ひとつ変えることなくハーレムに向かって、頷いて見せた。その前方で、「ぶッ!?」となにやら吹きだした者がいたが、それを追求するような愚かな真似はしない。マーカーは、ガンマ団総帥と直属の上司の許しを得、再び一歩下がると、その後ろにいた同僚たちへと振り返った。
「行くぞ、G。ロッド」
「……うむ」
「え~、俺は残って総帥の接待を――できればこの後のことにも混ざり…」
ゴスッ。
だが、ロッドはその言葉を最後まで言えなかった。
鳩尾に見事に決まったマーカーの拳。強烈なそれに思わずよろけたロッドの身体は、Gがしっかりと小脇に抱え、引きずるようにし、マーカーの後へ続く形となり、3人は退出していった。
これで部屋に残ったのは、シンタローとハーレムの二人となった。
「ハーレム…てめぇ~、なに言ってんだよ」
3人の気配が遠のくと、とたんにシンタローは、真っ赤な顔を向けてきた。先ほど思わず吹き出してしまったのも、シンタローである。
「なにがだ?」
怒鳴られる意味がわからないと言う表情のハーレムに、他に人がいなくなったためか、さらにハーレムの前に近づいたシンタローが至近距離で見上げた。
「二時間ってなんだよッ、二時間は帰ってくるなって!!」
「それ以上は、お前を拘束できねぇだろ。まだ仕事がたんまり残ってるだろうし」
なるほど怒る理由はそれか。だが、二時間という時間に不満を持っているのはこっちである。できれば、最低半日ぐらいはこの状況でいて欲しかったのだが、そうもいかないだろう。
「そうじゃなくてッ!!」
わざわざ時間指定をされれば、その間、何かあるのだろうかと勘ぐられるのが嫌だと言っているのである。
もっともそんなことは今更だった。部下達も心得ているからこそ、何も言わずに――いいかけた奴が一名いたが――退出してくれたのである。それが分からないはずではないのだが、故意に見ない振りをしているのか、本当にわからないのかは難しいところである。
「ああ。わーってるって。けど、あいつらもお前がここに来た時点で、それぐらい察してるんだし、今更ぎゃーぎゃーと小娘のように騒ぐな」
もう気にする相手はいないことだし――気にしていたのはシンタローだけだが――躊躇うことなくハーレムは、手を伸ばし、その身体に触れると、腕を巻くようにして抱き込んだ。すっぽりと入り込む甥っ子の身体。そのまま見下ろしたハーレムは、怒りで頬を染めたシンタローに向かって口を開いた。
「大体それが嫌なら、ひとりで来るんじゃねぇよ」
そうでなかったらもう少し上手い嘘を考えてくればいい。こっちが何も言わずとも、二時間ぐらい二人っきりになれる方法を。もっとも、そんなことをすぐに考え付くような器用な頭はしてないことは分かっているが。
「…………」
思ったように押し黙った相手に、ハーレムは止めとばかりに告げた。
「けど、お前がここに来たのは、俺に抱かれに来るため―――それに間違いねぇだろうが」
その言葉に、すでに桜色に染まっていた頬がさらに朱を帯びていく。
図星なのだ。
その表情に、ハーレムは満足そうに笑った。これで自惚れた発言ではないと証明されたからである。
「でも……ハーレムは、そうじゃないんだろ?」
恨みがましさを含んだ目が、じぃっと向けられたかと思うと、ふいっと反らされた。唇が軽く尖ったかと思うと、頭が下がり、そこからぶつぶつと声が漏れる。こつんと肩に触れた額のせいで、それ以上の表情は見えなかった。
「会いに来たのは、結局俺だし…俺だけ会いたいと思ってたみたいだし……」
最後に肌を合わせてから二ヶ月もたった。自分が決めたこととはいえ、特戦に与えた任務は過酷なもので、三ヶ月は最低限必要とする日数だった。しかもそれは、辺境の地。簡単に会える距離ではなかった。
会話は時折、特別回路でつなげられた通信機でのみ。しかも会話は数分だけで、交わす言葉も他愛のないものばかりだ。一番言いたい、『会いたい』という言葉は、喉から出そうになるたびに飲み込んでいた。
相手も同じ気持ちならいいと思っていた。けれど、たった二ヶ月で耐え切れずに従兄弟に無理をいって時間を作ってもらい、ここまで来たのは、自分なのだ。
けれど、シンタローのそんな思いを否定するように、ハーレムは、自分の肩に乗っていた頭を引き離すように、相手との距離を開いた。空けられた距離から、相手の顔がよく見える。覗き込むようにその顔を見つめ、ハーレムは言い含めるようい言い放った。
「あのなぁ。言っておくが、俺の与えられた任務は明日で終わりなんだよ」
前髪にかかっていた髪をうざったげにかき上げ、ハーレムは苛立たしげな表情を浮かべた。
わかっていないのは、そっちの方である。
「えっ?」
「………誰のためにこんなに早くやりあげたと思ってるんだ」
明日で、自分達の役目は終わりだった。後の細かい処理は他の団員達に任せ、自分らは、一足先に本部へと帰還する予定だったのだ。
「んなの聞いてない」
ハーレムに腕をつかまれた状態でいるシンタローは、小さく頭を横へと振った。そこには一番最初に、シンタローを見たハーレムのように、ぽかんとした表情が浮んでいた。
「昨日連絡したんだがな。行き違いだろ」
途中経過は、面倒くさがって詳しくしなかったせいで、どれほど早まっていたのかも知らなかったのだろう。その上で、今日のために時間を工面していれば、それを聞き漏らした可能性も高い。
「そっか―――じゃあ、俺帰る」
そう言うと、行き成りくるりとシンタローの身体が回転した。
「はッ?」
なんでそうなるんだ?
その声を漏らすよりも先に、シンタローの腕が手から外れる。
油断した。
シンタローを掴んでいたのは片手だけだ。しかも、あまり力を込めて握っていなかったために、その手からなんなく温もりが遠ざかる。
「マテッ! なんで帰るんだ」
これからがお楽しみのはずである。
出口へと向かうその体をつなぎとめようと手を伸ばすが、それはさらりと交わされた。その代わりに、向けられたのは笑顔。
「ハーレムが明後日帰ってくるなら、それぐらいなら待てるから」
今日、こうして触れたし、言葉を交わしたし、後二日ぐらいなら我慢できる。
(今から帰って仕事して、明後日はオフになるようにキンタローに調整してもらって……)
ここでの二時間を我慢すれば、明後日は一日中傍にいられるかもしれない。
その予定はかなり魅力的だった。
そうと決まれば、グズグズ出来ない。来た時の躊躇うような足取りとは違い、跳ねるように地面から足が浮く。
「んじゃな。明後日会おうぜ!」
弾むような声と共にこちらに向かって振られる手。そうして相手はドアへとたどり着く。
「お前ッ!! ―――それは生殺しだろ?」
その疑問を投げかけようにも、すでに相手は視界から消えていた。
(そんなのアリか?)
その場に、ハーレムは座り込んだ。幸いそこにはソファーがある。どっかりと腰が落ち着けられ、そのまま身体が崩れそうになるのだけは、どうにか耐えた。それでも、肩は落ち込んだままである。
(おいおい…どうするんだ)
あっちは納得できたかもしれないが、こっちは納得できてはいない。
やる気満々だったこの気持ちをどう消化しろというのだろうか。二時間は帰ってくるなと指定してしまった以上、ここには八つ当たりする部下はいないし、自棄酒しようにも、その酒も昨晩呑みつくしてしまっている。
この悶々とした思いは、もしかして明後日までお預けということだろうか。
ハーレムは、獅子のように髪を逆立てるほど高ぶる気持ちとともに、凶悪な笑みをひとつ浮かべた。
「……帰ったら覚悟しとけよ」
―――――この恨み晴らさずにおくべきかってやつだろ? なあ。
ぱっくりと開いた口を閉じられぬまま、ハーレムはそれを指差していた。真っ青な瞳は、ただ一点だけを見つめている。ソファーにもたれていた背は、その衝撃を表すように、浮き上がっていた。
わずかな沈黙。
先にそれを破ったのは、不本意ながらも指を指された方だった。
「なんだよ、その反応は。俺がここにいたら、いけねぇって言うのかよ」
その驚愕に満ちた表情がすこぶる気に入りませんと言わんばかりの、不貞腐れたような顔がこちらに向けられる。
それでようやく開いたままの口が閉じられ深呼吸を何度か繰り返せば、ハーレムは、再び言葉を取り戻せた。
「つーか、お前。こんなとこに来れるはずがねぇだろ?」
つい最近、ガンマ団総帥という地位についた甥っ子。その多忙さは、兄の背中を見て育った自分がよく知っている。それなのにガンマ団本部から遠く離れた辺境の地に、彼が存在していることが信じられなかった。忙しくて全然ヒマがないと、通信機越しに愚痴っていたのは、確か一昨日のはずである。
「……来れただろ」
ぶすっとした表情のまま呟かれた言葉。
確かにそれに偽りは無い。ここにいることが紛れもなく事実だ。
けれど、問題にすべきことは、なぜここに来れたかなのだが―――ハーレムは、獅子の鬣のような自分の髪をくしゃくしゃに掻き混ぜた。その後に、はぁと大仰な溜息ひとつが零れ出る。
(なんでここにいるかって?)
喉の奥からでかかったその疑問を、ハーレムは飲み込んだ。
聞かずとも想像できる。
(どうせ、キンタロー辺りが時間を作ってやったんだろう。でなければ、こんなところに来れるはずがない)
視察だと、ここへ来て開口一番に告げてくれた。だが、それにあっさりと納得できるほど、自分もバカではない。それは単なる名目にしか過ぎない。大体総帥ひとり、供もなくこの艦に乗り込んでいる時点で、それがただの口実であることは確定しているのだ。
ちらりと視線を向ければ、相変わらず唇を軽く尖らせ視線を落としたまま。不貞腐れていると思ったが、どちらかといえば、バツが悪いといった表情なのかもしれない。
どうやらシンタロー自身もここに自分がいることに、居心地の悪さを感じているのだろう。正直な理由も言えずにここに来たのなら当然だ。
(しかし、どうすっかな)
最初に一瞥した時から気付いていた。
目の周りの隈。時折見せる疲れた表情。ここへ来るために、無理をしたのがよくわかる。それでも仕事が残っているのだろう。ちらりと時計に何度も視線を向けていた。
早めに返すのが、やはり正解というところだろうが――。
(って、それで返せりゃ世話はねぇってか?)
帰れといったところで、素直に帰るとは思えない。どれほど時間を得ているのかは分からないが、帰る気があるならそのまま回れ右をしているはずである。
第一まだ―――触れてもいない。
こんなに近くにいるにも関わらず、まだ相手の肌に触れられもしない。
(チッ…うざってぇな)
誰もいないならば、遠慮なくベタベタと触っていたかもしれないが、背後には部下3名が控えている。こっちは全然気にしないのだが、あっちは多いに気にするのだ。
むやみに手を出さないのは、一度経験済みのためである。
部下のいる前でそれをやった後、互いにガンマ団本部内にいるにもかかわらず、一週間もおさわり禁止は、さすがにかなりの肉体的&精神的ダメージを与えてくれたのだ。
「ハーレム隊長」
「あん?」
背後からの声。その声は、マーカーのものだった。大人しく後ろに控えていたのだが、一歩前に足を出し、こちらへと声をかける。なんだと、首だけそちらへ回してみせれば、マーカーは口を開いた。
「私たちは、そろそろ食料調達に出かけてもよろしいでしょうか。ここには、そのために立ち寄ったのですが、早く行かなければ、朝市が終わってしまいます。新鮮な食材確保のためにも、行かせてもらいたいのですが、どうでしょうか?」
こちらの思いを見越したように、伺いを立ててきたマーカーに、ハーレムは言われて思い出したことを示すように、ポンと右の拳で左の手のひらを叩いた。
「そういやぁ、そうだったな」
大概は空の上を漂っているこの艦だが、永遠にそこにいられるわけではない。時折栄養補給をしなければ、こちらも飢え死にである。4人とも食事の量は半端ではないのだ。
ガンマ団もきちんと食料支給はしてくれるのだが、もちろん保存食ばかりである。そんなもので我慢できるはずがなかった。それゆえに、自給できるものはやるのが、特戦部隊の慣わしとなっていた。ちなみに、余った保存食は別の場所で売っぱらって、金に換えているのは内緒である。
肉は、山に入って獣を狩れば手に入る。だが、それだけでは偏る栄養を補充するため、安い朝市などの情報を集めては、野菜や魚などを大量に買ってくるのである。
ここに着陸したのも、それが目当てだった。
「シンタロー総帥。そう言うことなので、退出をお許し願いますでしょうか」
この場でもっとも地位が上であるシンタローにも、丁寧に許可を伺うマーカーに、シンタローは慌てたように頷いて見せた。
「あ、ああ。悪い。そんな事情知らなくて。行ってくれ」
その言葉に、ハーレムも乗る。
「ということだ。お前ら、とっとと行ってこい。んでもって……そうだな、2時間は絶対に帰ってくるなよ」
「分かりました」
その言葉に、マーカーは、表情ひとつ変えることなくハーレムに向かって、頷いて見せた。その前方で、「ぶッ!?」となにやら吹きだした者がいたが、それを追求するような愚かな真似はしない。マーカーは、ガンマ団総帥と直属の上司の許しを得、再び一歩下がると、その後ろにいた同僚たちへと振り返った。
「行くぞ、G。ロッド」
「……うむ」
「え~、俺は残って総帥の接待を――できればこの後のことにも混ざり…」
ゴスッ。
だが、ロッドはその言葉を最後まで言えなかった。
鳩尾に見事に決まったマーカーの拳。強烈なそれに思わずよろけたロッドの身体は、Gがしっかりと小脇に抱え、引きずるようにし、マーカーの後へ続く形となり、3人は退出していった。
これで部屋に残ったのは、シンタローとハーレムの二人となった。
「ハーレム…てめぇ~、なに言ってんだよ」
3人の気配が遠のくと、とたんにシンタローは、真っ赤な顔を向けてきた。先ほど思わず吹き出してしまったのも、シンタローである。
「なにがだ?」
怒鳴られる意味がわからないと言う表情のハーレムに、他に人がいなくなったためか、さらにハーレムの前に近づいたシンタローが至近距離で見上げた。
「二時間ってなんだよッ、二時間は帰ってくるなって!!」
「それ以上は、お前を拘束できねぇだろ。まだ仕事がたんまり残ってるだろうし」
なるほど怒る理由はそれか。だが、二時間という時間に不満を持っているのはこっちである。できれば、最低半日ぐらいはこの状況でいて欲しかったのだが、そうもいかないだろう。
「そうじゃなくてッ!!」
わざわざ時間指定をされれば、その間、何かあるのだろうかと勘ぐられるのが嫌だと言っているのである。
もっともそんなことは今更だった。部下達も心得ているからこそ、何も言わずに――いいかけた奴が一名いたが――退出してくれたのである。それが分からないはずではないのだが、故意に見ない振りをしているのか、本当にわからないのかは難しいところである。
「ああ。わーってるって。けど、あいつらもお前がここに来た時点で、それぐらい察してるんだし、今更ぎゃーぎゃーと小娘のように騒ぐな」
もう気にする相手はいないことだし――気にしていたのはシンタローだけだが――躊躇うことなくハーレムは、手を伸ばし、その身体に触れると、腕を巻くようにして抱き込んだ。すっぽりと入り込む甥っ子の身体。そのまま見下ろしたハーレムは、怒りで頬を染めたシンタローに向かって口を開いた。
「大体それが嫌なら、ひとりで来るんじゃねぇよ」
そうでなかったらもう少し上手い嘘を考えてくればいい。こっちが何も言わずとも、二時間ぐらい二人っきりになれる方法を。もっとも、そんなことをすぐに考え付くような器用な頭はしてないことは分かっているが。
「…………」
思ったように押し黙った相手に、ハーレムは止めとばかりに告げた。
「けど、お前がここに来たのは、俺に抱かれに来るため―――それに間違いねぇだろうが」
その言葉に、すでに桜色に染まっていた頬がさらに朱を帯びていく。
図星なのだ。
その表情に、ハーレムは満足そうに笑った。これで自惚れた発言ではないと証明されたからである。
「でも……ハーレムは、そうじゃないんだろ?」
恨みがましさを含んだ目が、じぃっと向けられたかと思うと、ふいっと反らされた。唇が軽く尖ったかと思うと、頭が下がり、そこからぶつぶつと声が漏れる。こつんと肩に触れた額のせいで、それ以上の表情は見えなかった。
「会いに来たのは、結局俺だし…俺だけ会いたいと思ってたみたいだし……」
最後に肌を合わせてから二ヶ月もたった。自分が決めたこととはいえ、特戦に与えた任務は過酷なもので、三ヶ月は最低限必要とする日数だった。しかもそれは、辺境の地。簡単に会える距離ではなかった。
会話は時折、特別回路でつなげられた通信機でのみ。しかも会話は数分だけで、交わす言葉も他愛のないものばかりだ。一番言いたい、『会いたい』という言葉は、喉から出そうになるたびに飲み込んでいた。
相手も同じ気持ちならいいと思っていた。けれど、たった二ヶ月で耐え切れずに従兄弟に無理をいって時間を作ってもらい、ここまで来たのは、自分なのだ。
けれど、シンタローのそんな思いを否定するように、ハーレムは、自分の肩に乗っていた頭を引き離すように、相手との距離を開いた。空けられた距離から、相手の顔がよく見える。覗き込むようにその顔を見つめ、ハーレムは言い含めるようい言い放った。
「あのなぁ。言っておくが、俺の与えられた任務は明日で終わりなんだよ」
前髪にかかっていた髪をうざったげにかき上げ、ハーレムは苛立たしげな表情を浮かべた。
わかっていないのは、そっちの方である。
「えっ?」
「………誰のためにこんなに早くやりあげたと思ってるんだ」
明日で、自分達の役目は終わりだった。後の細かい処理は他の団員達に任せ、自分らは、一足先に本部へと帰還する予定だったのだ。
「んなの聞いてない」
ハーレムに腕をつかまれた状態でいるシンタローは、小さく頭を横へと振った。そこには一番最初に、シンタローを見たハーレムのように、ぽかんとした表情が浮んでいた。
「昨日連絡したんだがな。行き違いだろ」
途中経過は、面倒くさがって詳しくしなかったせいで、どれほど早まっていたのかも知らなかったのだろう。その上で、今日のために時間を工面していれば、それを聞き漏らした可能性も高い。
「そっか―――じゃあ、俺帰る」
そう言うと、行き成りくるりとシンタローの身体が回転した。
「はッ?」
なんでそうなるんだ?
その声を漏らすよりも先に、シンタローの腕が手から外れる。
油断した。
シンタローを掴んでいたのは片手だけだ。しかも、あまり力を込めて握っていなかったために、その手からなんなく温もりが遠ざかる。
「マテッ! なんで帰るんだ」
これからがお楽しみのはずである。
出口へと向かうその体をつなぎとめようと手を伸ばすが、それはさらりと交わされた。その代わりに、向けられたのは笑顔。
「ハーレムが明後日帰ってくるなら、それぐらいなら待てるから」
今日、こうして触れたし、言葉を交わしたし、後二日ぐらいなら我慢できる。
(今から帰って仕事して、明後日はオフになるようにキンタローに調整してもらって……)
ここでの二時間を我慢すれば、明後日は一日中傍にいられるかもしれない。
その予定はかなり魅力的だった。
そうと決まれば、グズグズ出来ない。来た時の躊躇うような足取りとは違い、跳ねるように地面から足が浮く。
「んじゃな。明後日会おうぜ!」
弾むような声と共にこちらに向かって振られる手。そうして相手はドアへとたどり着く。
「お前ッ!! ―――それは生殺しだろ?」
その疑問を投げかけようにも、すでに相手は視界から消えていた。
(そんなのアリか?)
その場に、ハーレムは座り込んだ。幸いそこにはソファーがある。どっかりと腰が落ち着けられ、そのまま身体が崩れそうになるのだけは、どうにか耐えた。それでも、肩は落ち込んだままである。
(おいおい…どうするんだ)
あっちは納得できたかもしれないが、こっちは納得できてはいない。
やる気満々だったこの気持ちをどう消化しろというのだろうか。二時間は帰ってくるなと指定してしまった以上、ここには八つ当たりする部下はいないし、自棄酒しようにも、その酒も昨晩呑みつくしてしまっている。
この悶々とした思いは、もしかして明後日までお預けということだろうか。
ハーレムは、獅子のように髪を逆立てるほど高ぶる気持ちとともに、凶悪な笑みをひとつ浮かべた。
「……帰ったら覚悟しとけよ」
―――――この恨み晴らさずにおくべきかってやつだろ? なあ。
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