ふと見上げた空は、とても高く遠くにあって、浮かぶ雲は流れが速かった。思わず、目の前を行く相手の肩を掴もうとしたが、目測を誤ってしまい、長い黒髪を掴んでしまった。
「あ、すまん」
痛いと声をあげた相手に、慌てて謝罪の言葉を吐くが、けれど掴んだ髪は放さぬまま、握り締めた。おかげで、当初の思惑とは少しずれたものの、相手はそこに立ち止まり、自分の方へと近寄ってくれた。
それを感謝しながらも、髪を握り締めたままだから、相手の表情が訝しげなものになる。『どうしたんだ?』と訊ねられて、改めてどう答えようかと迷った。
(お前が遠くにいってしまいそうで、置いていかれるのが怖くて、その身体をここへ止めた)
といえば、彼は怒り出すような気がする。それとも自分の杞憂を笑い飛ばしてくれるだろうか。どちらにしろ、それは自分の求めるものではなかった。
互いの身体が別ってから、数年の時を経て、痛感することが数多くある。その中の最たるものは、シンタローが遠くなったということだろう。いつでも傍にいた相手が、目を放せば遠くへといってしまう。それを実感したとたん恐怖に駆られてしまった。
離れることを望んだ事もあったのに、今は、彼が自分の傍から離れることが恐ろしくてたまらないのだ。
だから、こうやって繋ぎとめたくなる―――――自分の元へ。
それは、彼の自由を束縛することであり、かつて自分が施されていたことにも似通っているにもかかわらず、それでも、そうしたくなる自分の心の醜さに嫌気がさす。
だが、それほどまでに、彼が好きなのだ。
愛している―――――そういう感情があることを教えられた。この想いに形をつけ、認識できた時点で、もう後戻りはできなくなっていた。
ここにいる相手を手放せなくなったのである。自分を置いて行こうとすれば、それを引き止める。
「お前は、俺のものか?」
思わずそう告げれば、きょとんとした表情を浮かべられた。当たり前だろう。自分の言葉は唐突過ぎる。それでも、その答えが今欲しかった。
初めてではない、問いかけ。
決まった答えが返ってくることを信じて、その唇から告げられる言葉を求める。
「俺は、お前の全てが欲しい」
もしもそれを与えられるなら、自分のもの全てをお前に捧げることを再度誓うように、掴んだ髪へ、頭を下げて、口付けを落とした。
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