朝になれば葉の上に小さな雫が生まれるように、これは自然の営みで、止められるものではなくて。
それがただの言い訳だと分かっていても、生まれるこの雫を受け止めて欲しい。
これは、決して涙ではないのだから。
「そうか」
部下からの報告を受け、シンタローは一言そう告げると、手を振り上げジェスチャーで彼を下がらせた。
パタン。
ドアが閉められると広い部屋の中、一人きりになる。シンタローは、椅子から立ち上がった。身体を捻り、背後にある窓に身体をよせ、透明なガラスに手のひらを押し付ける。高層に建てられた本部の一室にある総帥室は、最上階に近い部分に置かれているために見晴らしがいい。
遠く高い空。
青くどこまでも澄み渡る空。
全ての地を包み込む空。
けれど、ここにいれば、そんな空に近づけた気がして、そこに向かって手をのばせば、触れられるような、そんな思いに駆られる。実際に、空をつかめたことなど一度たりともないけれど。
シンタローは、ガラスに押し付けていた手を握りしめた。
その手に空はない。
その手の中は空(から)だ。
「――悪かったな」
呟く声。
思い浮かぶのは、先ほど報告を受けた書類の中にいた人物。けれど、この手の中のもののように、存在していなかった。少なくてもこの世には、もういない。あの世に旅立ってしまっている。
先日、任務先で亡くなったのだ。
「……ご苦労様」
彼の死は、望んだものではなかったが、それでも任務は滞りなく予定通りにすんだという。そう報告を受けた。亡くなった団員については、いつもどおり事務的に処理されるだろう。
そう。こんなことは初めてではない。
それでも、報告を受けるたびに湧き上がる感情は変わらない。
「ふっ………くっ」
ぼろっ、と目から零れ落ちる雫。
声を押し殺し、ただ涙という名の露が生まれては落ちる。
ただ、それだけは今は許して欲しかった。
「それでも、俺は………」
自分の部下が任務でなくなったことに負い目を感じるな、とキンタローには言われた。
泣くことなど許さない、と。
確かにそうだ。その任務を命じたのは自分なのだから、おためこぼしの涙など必要ない。自分が泣くのはおかしい。
それでも――それでも、目から雫は生まれ、勝手に零れ落ちるのだから仕方ないだろ。
止められない。
自然の営みから生まれてくるこの雫を。
自分は、ただ零し続けていくだけだ。
いつかは、この雫も枯れはて、零れ落ちることを忘れるだろう。
人には、慣れというものがある。
だが、それまで――生まれるそれを否定したくはなかった。
パサリ。
不意に頭の上から何かが降ってきた。
「あっ?」
振り返れば、意外な人物がそこにいた。
「アラ…シヤマ…?」
いつ部屋に入ってきたのだろうか。気付かなかった。
顔をあげれば、投げつけられたものがずるりと顔にかかるように下がった。よく見れば、それはガンマ団が支給している制服の上着で、たぶんそれはアラシヤマのものだった。
「泣くのはかまいまへんが、泣き顔だけは、他の部下にはみせんといてくだはれ。あんさんは、これでも総帥でっしゃろ」
「俺……泣いてるのか?」
泣いているに決まっている。
けれど、泣くつもりはなかった。泣きたいと思って泣いているわけではなかった。
ただ、自然にこみ上げてきた感情の発露が涙という形になって現れたわけで―――それは、単なる言い訳ではないのだけれど、それでもそんな馬鹿なことを尋ねてみれば、呆れたような溜息を大仰に漏らされた。
「はあ。ま、わてはどうでもええんどすが。泣いてないと思うなら、その目から零れ落ちてるもんをさっさと拭って、この書類に目を通しなされ。けど―――」
アラシヤマの手が伸びた。
それは、こちらの隙をついた素早いもので、あっさりと引き寄せられて、相手の肩に顔を押し付けるような格好になってしまった。
「まだ泣きたらんのやったら、わての肩を貸ますえ」
唐突なそれに、驚いてしまったが、自分の目から零れるものは、勢いよくアラシヤマの服を濡らし始めていた。突き放すことは出来なかった。それは、あまりにもそこが居心地よかったため。背中に回るぬくもりが、余計に露を零させるのだけれど、同時に胸を塞ぐ思いもまた外へ逃げていくのを感じた。
「泣いてねぇよ」
それでも、肩に目を押し付けたまま言い張ってみせた。
それだけは、認めるわけにはいかない。
いくら肩を借りている状態だとはいえ、事実でないことは否定しなければならない。
「そうどすか?」
それに対する、相手の怪訝な声なのだけれど、そこだけは譲らない。
「そうだ。これは、ただの目から生まれる露だ」
涙などではない。
自分はこんなことでは泣かない。泣いてはいけないのだから。
ただこれは、自然に生まれ零れ落ちる露である。
「そうどすか」
「だから――ちょっと止まるまで、そこにいろ」
傲慢な命令に、相手がどう思ったか知らない。ただ、一言だけ、
「了解どすわ」
そうして、身体を小さく身じろぎさせ、頷いたのがわかった。
肩を貸し続けるアラシヤマが、何を感じているかわからない。それでも、離れることのないその肩に、シンタローは、目を押し続ける。
いつか、それが乾くまで。
―――――それでもこれは涙じゃないと分かってるか?
それがただの言い訳だと分かっていても、生まれるこの雫を受け止めて欲しい。
これは、決して涙ではないのだから。
「そうか」
部下からの報告を受け、シンタローは一言そう告げると、手を振り上げジェスチャーで彼を下がらせた。
パタン。
ドアが閉められると広い部屋の中、一人きりになる。シンタローは、椅子から立ち上がった。身体を捻り、背後にある窓に身体をよせ、透明なガラスに手のひらを押し付ける。高層に建てられた本部の一室にある総帥室は、最上階に近い部分に置かれているために見晴らしがいい。
遠く高い空。
青くどこまでも澄み渡る空。
全ての地を包み込む空。
けれど、ここにいれば、そんな空に近づけた気がして、そこに向かって手をのばせば、触れられるような、そんな思いに駆られる。実際に、空をつかめたことなど一度たりともないけれど。
シンタローは、ガラスに押し付けていた手を握りしめた。
その手に空はない。
その手の中は空(から)だ。
「――悪かったな」
呟く声。
思い浮かぶのは、先ほど報告を受けた書類の中にいた人物。けれど、この手の中のもののように、存在していなかった。少なくてもこの世には、もういない。あの世に旅立ってしまっている。
先日、任務先で亡くなったのだ。
「……ご苦労様」
彼の死は、望んだものではなかったが、それでも任務は滞りなく予定通りにすんだという。そう報告を受けた。亡くなった団員については、いつもどおり事務的に処理されるだろう。
そう。こんなことは初めてではない。
それでも、報告を受けるたびに湧き上がる感情は変わらない。
「ふっ………くっ」
ぼろっ、と目から零れ落ちる雫。
声を押し殺し、ただ涙という名の露が生まれては落ちる。
ただ、それだけは今は許して欲しかった。
「それでも、俺は………」
自分の部下が任務でなくなったことに負い目を感じるな、とキンタローには言われた。
泣くことなど許さない、と。
確かにそうだ。その任務を命じたのは自分なのだから、おためこぼしの涙など必要ない。自分が泣くのはおかしい。
それでも――それでも、目から雫は生まれ、勝手に零れ落ちるのだから仕方ないだろ。
止められない。
自然の営みから生まれてくるこの雫を。
自分は、ただ零し続けていくだけだ。
いつかは、この雫も枯れはて、零れ落ちることを忘れるだろう。
人には、慣れというものがある。
だが、それまで――生まれるそれを否定したくはなかった。
パサリ。
不意に頭の上から何かが降ってきた。
「あっ?」
振り返れば、意外な人物がそこにいた。
「アラ…シヤマ…?」
いつ部屋に入ってきたのだろうか。気付かなかった。
顔をあげれば、投げつけられたものがずるりと顔にかかるように下がった。よく見れば、それはガンマ団が支給している制服の上着で、たぶんそれはアラシヤマのものだった。
「泣くのはかまいまへんが、泣き顔だけは、他の部下にはみせんといてくだはれ。あんさんは、これでも総帥でっしゃろ」
「俺……泣いてるのか?」
泣いているに決まっている。
けれど、泣くつもりはなかった。泣きたいと思って泣いているわけではなかった。
ただ、自然にこみ上げてきた感情の発露が涙という形になって現れたわけで―――それは、単なる言い訳ではないのだけれど、それでもそんな馬鹿なことを尋ねてみれば、呆れたような溜息を大仰に漏らされた。
「はあ。ま、わてはどうでもええんどすが。泣いてないと思うなら、その目から零れ落ちてるもんをさっさと拭って、この書類に目を通しなされ。けど―――」
アラシヤマの手が伸びた。
それは、こちらの隙をついた素早いもので、あっさりと引き寄せられて、相手の肩に顔を押し付けるような格好になってしまった。
「まだ泣きたらんのやったら、わての肩を貸ますえ」
唐突なそれに、驚いてしまったが、自分の目から零れるものは、勢いよくアラシヤマの服を濡らし始めていた。突き放すことは出来なかった。それは、あまりにもそこが居心地よかったため。背中に回るぬくもりが、余計に露を零させるのだけれど、同時に胸を塞ぐ思いもまた外へ逃げていくのを感じた。
「泣いてねぇよ」
それでも、肩に目を押し付けたまま言い張ってみせた。
それだけは、認めるわけにはいかない。
いくら肩を借りている状態だとはいえ、事実でないことは否定しなければならない。
「そうどすか?」
それに対する、相手の怪訝な声なのだけれど、そこだけは譲らない。
「そうだ。これは、ただの目から生まれる露だ」
涙などではない。
自分はこんなことでは泣かない。泣いてはいけないのだから。
ただこれは、自然に生まれ零れ落ちる露である。
「そうどすか」
「だから――ちょっと止まるまで、そこにいろ」
傲慢な命令に、相手がどう思ったか知らない。ただ、一言だけ、
「了解どすわ」
そうして、身体を小さく身じろぎさせ、頷いたのがわかった。
肩を貸し続けるアラシヤマが、何を感じているかわからない。それでも、離れることのないその肩に、シンタローは、目を押し続ける。
いつか、それが乾くまで。
―――――それでもこれは涙じゃないと分かってるか?
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