(ちょっと女性向け?)
久しぶりに見た空は曇っていた。
彼は仕事の合間の息抜きに、久しぶりに屋上に出て空を眺めた。青い空は懐かしい南国の島での出来事を彼に思い出させ、それは彼に寂寥と郷愁をもたらすのだが、今日のような曇った灰色の空はまったく別の事柄を喚起させた。いくら南国の島だからとは言え、晴れの日ばかりではなく、曇りの日も雨の日もあったはずだ。それでも彼の記憶に残っているのは目眩がするほどの青空で、晴天と島の記憶は彼の頭の中で直結していると言って良かった。
だからもし、今日彼が屋上に出て仰いだ空が青く晴れ渡っていたら、彼は懐かしむ視線でどこか遠くを眺め、少しばかりの感慨に浸り、あの暑い島へ後ろ髪を引かれる思いを味わいながらも、まっすぐ前を向いて静かに笑ったことだろう。
だが曇り空の下で彼は、何かが複雑に絡み合った、自らの内部を眺めて自嘲するような、見る人が見れば奇妙に思える笑みを一瞬だけ浮かべ、すぐにかき消した。
彼は処分しようとポケットにねじ込んで忘れたままの、くしゃくしゃになった煙草を取り出した。封を開けて大分経った煙草は、すっかり湿気て、火をつけて一口吸うと寝ぼけたような味がする。
曇天と煙草で思い出すのは、忌々しいことに叔父のことだった。
そもそも彼が叔父を思い出したのは、特戦部隊が出て行った日が、今にも泣き出しそうな曇り空だったことに起因しているのかもしれない。喧嘩別れのようなものなのだから、当然見送ることはしなかったが、叔父の離脱に対して何がしかの感情の揺れがあったことは確かなようで、彼はその日はずっと窓の外を見ていた。
仕事が立て込んでいた時期だったので、窓の外を見ていたのが仕事中だったのか、それとも今のように休憩中だったのか、はたまた遠征に向かう艦の中からだったのか、わずか一ヶ月前のことなのにすでに記憶は定かではない。それでも降り出しそうで降らなかった陰鬱な空の色だけは妙に覚えていた。
網膜に映った降るとも降らないとも曖昧な色が、彼が名前を付けずに誤魔化したままで放置した感情と、重なる部分があったせいかもしれない。
「くそっ、晴れとけよ」
天気に八つ当たりしても虚しいだけで、彼は空を眺めるのを諦めて大人しく手元の煙草に集中した。
叔父が愛煙していたものと銘柄は違ったが、煙草独自の紙の焼ける匂いや渦巻く煙は、一人の男を鮮明に思い起こさせるのには十分で、その逆効果に苦笑が漏れる。
扱いに手を焼いていた特戦部隊が離脱したからといって、組織として特に困ったことはなく、元からそんな部隊は無かったかのように日々はただ過ぎていく。団員達の間で口の端に上ることあったが、それとて特にどうと言うことのない根拠のない噂ばかりで、気にかけるほどの物ではなかった。
今ごろ自棄酒でも飲んでいるであろう叔父対する彼の感情は、結局宙に浮いたままで、今になっても解答は出てこない。
答えを出すことはとうの昔に諦めたはずだったのに、今ごろになって気になるのは、曇り空と煙草のせいだと彼は自らに言い分けする。休憩に屋上へ向かったのも、煙草を取り出したのも、どちらも自業自得な面がある辺り、言い訳しても仕方ないとは分かっていたが、認めるようとしないのは、叔父との関係においての対処法かもしれなかった。
「禁煙すっかなー」
どうせたまにしか吸ってなかったし、と呟いて残る本数を数えて彼は煙草をポケットに戻し、代わりに携帯用灰皿を取り出した。白い灰は軽々と落ちていき、むき出しになった穂先は赤々と燃えていた。ふっと頭を掠めた記憶を、掘り起こすことなくどうにかやり過ごし、彼は半分ほどの長さになった煙草を口に咥える。
彼と叔父の関係は、叔父と甥と言う親戚関係における親愛や情愛などの、そんな感情ではなかったことは確かだった。そして好きや嫌いといった、単純に二分出来るようなものでもない。
既存の言葉のどれを選んでも違和感は残り、それゆえにお互いに中途半端な関係を望んだ。結局仕事面での意見の食い違いの末に、それは終結したが、結末を迎えてもなお残るはっきりしない感情に、逆らう術はないのかもしれない。
「いてもいなくても厄介なオッサンだぜ、ほんと」
酒の飲みすぎてくたばっちまえ、といない叔父に悪態をつく。憎まれ口に本音を隠し、プライベートでは仕事の話を出さないのが二人の暗黙の了解になっていたが、それが不透明な関係に拍車をかけていたのだろう。
仕事のことで言い争いをしたその夜に、お互いに酒を酌み交わしていた時さえあり、いがみ合っていたのが本当だったのか、気安く酒を飲んでいたのが本当だったのか、思い起こせば混乱を招く。
感情ばかりか行動までも矛盾しており、どうにも身動きがとれなくなっての、離脱だったのかもしれない。そう考えた彼は、煙草の火を灰皿に押し付けて、その可能性を打ち消した。
「あー、くそっ」
まとまらない考えも、心に澱む感情も、全てはこの天気のせいにして、彼は二本目の煙草を取り出す。どれだけ誤魔化そうと、どれだけ気付かない振りをしても、叔父一人分の空白は彼の内部に確かに存在していた。
(2006.11.8)
(2007.6.22)再up
戻る
久しぶりに見た空は曇っていた。
彼は仕事の合間の息抜きに、久しぶりに屋上に出て空を眺めた。青い空は懐かしい南国の島での出来事を彼に思い出させ、それは彼に寂寥と郷愁をもたらすのだが、今日のような曇った灰色の空はまったく別の事柄を喚起させた。いくら南国の島だからとは言え、晴れの日ばかりではなく、曇りの日も雨の日もあったはずだ。それでも彼の記憶に残っているのは目眩がするほどの青空で、晴天と島の記憶は彼の頭の中で直結していると言って良かった。
だからもし、今日彼が屋上に出て仰いだ空が青く晴れ渡っていたら、彼は懐かしむ視線でどこか遠くを眺め、少しばかりの感慨に浸り、あの暑い島へ後ろ髪を引かれる思いを味わいながらも、まっすぐ前を向いて静かに笑ったことだろう。
だが曇り空の下で彼は、何かが複雑に絡み合った、自らの内部を眺めて自嘲するような、見る人が見れば奇妙に思える笑みを一瞬だけ浮かべ、すぐにかき消した。
彼は処分しようとポケットにねじ込んで忘れたままの、くしゃくしゃになった煙草を取り出した。封を開けて大分経った煙草は、すっかり湿気て、火をつけて一口吸うと寝ぼけたような味がする。
曇天と煙草で思い出すのは、忌々しいことに叔父のことだった。
そもそも彼が叔父を思い出したのは、特戦部隊が出て行った日が、今にも泣き出しそうな曇り空だったことに起因しているのかもしれない。喧嘩別れのようなものなのだから、当然見送ることはしなかったが、叔父の離脱に対して何がしかの感情の揺れがあったことは確かなようで、彼はその日はずっと窓の外を見ていた。
仕事が立て込んでいた時期だったので、窓の外を見ていたのが仕事中だったのか、それとも今のように休憩中だったのか、はたまた遠征に向かう艦の中からだったのか、わずか一ヶ月前のことなのにすでに記憶は定かではない。それでも降り出しそうで降らなかった陰鬱な空の色だけは妙に覚えていた。
網膜に映った降るとも降らないとも曖昧な色が、彼が名前を付けずに誤魔化したままで放置した感情と、重なる部分があったせいかもしれない。
「くそっ、晴れとけよ」
天気に八つ当たりしても虚しいだけで、彼は空を眺めるのを諦めて大人しく手元の煙草に集中した。
叔父が愛煙していたものと銘柄は違ったが、煙草独自の紙の焼ける匂いや渦巻く煙は、一人の男を鮮明に思い起こさせるのには十分で、その逆効果に苦笑が漏れる。
扱いに手を焼いていた特戦部隊が離脱したからといって、組織として特に困ったことはなく、元からそんな部隊は無かったかのように日々はただ過ぎていく。団員達の間で口の端に上ることあったが、それとて特にどうと言うことのない根拠のない噂ばかりで、気にかけるほどの物ではなかった。
今ごろ自棄酒でも飲んでいるであろう叔父対する彼の感情は、結局宙に浮いたままで、今になっても解答は出てこない。
答えを出すことはとうの昔に諦めたはずだったのに、今ごろになって気になるのは、曇り空と煙草のせいだと彼は自らに言い分けする。休憩に屋上へ向かったのも、煙草を取り出したのも、どちらも自業自得な面がある辺り、言い訳しても仕方ないとは分かっていたが、認めるようとしないのは、叔父との関係においての対処法かもしれなかった。
「禁煙すっかなー」
どうせたまにしか吸ってなかったし、と呟いて残る本数を数えて彼は煙草をポケットに戻し、代わりに携帯用灰皿を取り出した。白い灰は軽々と落ちていき、むき出しになった穂先は赤々と燃えていた。ふっと頭を掠めた記憶を、掘り起こすことなくどうにかやり過ごし、彼は半分ほどの長さになった煙草を口に咥える。
彼と叔父の関係は、叔父と甥と言う親戚関係における親愛や情愛などの、そんな感情ではなかったことは確かだった。そして好きや嫌いといった、単純に二分出来るようなものでもない。
既存の言葉のどれを選んでも違和感は残り、それゆえにお互いに中途半端な関係を望んだ。結局仕事面での意見の食い違いの末に、それは終結したが、結末を迎えてもなお残るはっきりしない感情に、逆らう術はないのかもしれない。
「いてもいなくても厄介なオッサンだぜ、ほんと」
酒の飲みすぎてくたばっちまえ、といない叔父に悪態をつく。憎まれ口に本音を隠し、プライベートでは仕事の話を出さないのが二人の暗黙の了解になっていたが、それが不透明な関係に拍車をかけていたのだろう。
仕事のことで言い争いをしたその夜に、お互いに酒を酌み交わしていた時さえあり、いがみ合っていたのが本当だったのか、気安く酒を飲んでいたのが本当だったのか、思い起こせば混乱を招く。
感情ばかりか行動までも矛盾しており、どうにも身動きがとれなくなっての、離脱だったのかもしれない。そう考えた彼は、煙草の火を灰皿に押し付けて、その可能性を打ち消した。
「あー、くそっ」
まとまらない考えも、心に澱む感情も、全てはこの天気のせいにして、彼は二本目の煙草を取り出す。どれだけ誤魔化そうと、どれだけ気付かない振りをしても、叔父一人分の空白は彼の内部に確かに存在していた。
(2006.11.8)
(2007.6.22)再up
戻る
PR
(「Call」の叔父さん視点。)
二つ折りの携帯電話を開けたり閉じたりした挙句、通話ボタンを押すことなくカウンターの上に置いた。
カウンターの中の馴染みの店主が何か言いたげに、ちらっと視線を寄越したがあえて気にすることもせず、グラスを手にとって中身を流し込む。
空になったグラスを音を立てて置くと、呆れたような顔で店主が近寄ってきてグラスを交換した。言いたいことがあるようだったが、不機嫌な表情でそっぽを向いていると、小さなため息をついて再びカウンターの中でワイングラスを磨き始めた。
一気に半分ほど飲んで、再度携帯電話を手に取る。
サブディスプレイの表示を見ると、11時半を少し過ぎたところだった。まだまだ宵の口、と言いたいところだが、日付が変わる前に連絡を取らないと意味がないので、そろそろ覚悟を決めて電話をしなければいけない。
そのやり方に反発してこっちから団を出て行った身と言うこともあり、いくら親戚だからと言ってわざわざ電話をしなければいけないことはない。そう開き直って携帯を手に届かない位置にわざと放置したりもしたが、そわそわしながら酒を飲んでいると、気を利かしたのか厭味なのか判然しない店主がしらっとした顔でいつのまにか手元に戻して来たりもして、結局片手に握ったまま開いたり閉じたりを繰り返している。
何事もはっきりしないのは好きではないので、電話するならする、しないならしない、と決めたいところだがそれすら決心がつかない。
メモリダイヤルから目的の番号を選び、通話ボタンを押す。相手が出たら一言言うだけで済むのに、それだけのことが中々出来ずにこうして馴染みの店で腐っている自分が滑稽で笑えた。
これだから甥のことが嫌いだった。
甥を相手にしたときの感情は、いつもはっきりしない。どう思っているのか、どうしたいのか、何もかもが不透明だ。悩む己が嫌になってカウンターに突っ伏していると、まだ半分残っていたグラスに更になみなみと酒が注がれた。訝しげに店主を見ると、グラス磨きで手を忙しく動かしながらも、口の端で笑いを堪えていた。
癪に障ったので、ぎりぎりまで注がれた酒を零さないように注意しながら一気に飲み干す。強いアルコールが喉を焼いて、頭の芯が微かにぼうっとした。
携帯電話が教える時刻は11時50分で、5月24日は後10分しかない。いい加減、パーティーもお開きになったころだろう。恐らく自室に戻った甥は、今頃何をしているのか。
今の機会を逃したら後10分を絶対に無為に過ごす、と思ったのかどうか半分無意識に携帯電話を掴みボタンを操作していた。急に摂取したアルコールのせいだ、と誰にでもなく言い訳をする。
いっそ出るなと念じながらコール音を10回聞いて、20回鳴らしても出なかったら切ろうと決心した矢先、馴染んできたコール音が途切れたと思うと、不機嫌な声が耳に飛び込んできた。
「何か用か」
数ヶ月ぶりの、平素と変わりない偉そうな声が懐かしい。着信表示を見てるにも関わらず電話に出たのが意外で、軽く息を吸い込む。こちらから電話をしておいて驚くのも変だ気が付き、慌てて体勢を立て直した。
「よお、甥っ子。生きてやがったか」
「そりゃこっちの台詞だな、オッサン」
電話の向こうの空間は静かで、雑音すらない。予想通り自室にいるようなので安心すると、団にいたころと変わり無い軽口がすんなりと出てきた。
「相変わらず可愛くねぇな、クソ餓鬼」
「うっせぇな、アル中」
そう言えば、悪口を言えば悪口で、皮肉を言えば皮肉で返してくるのが甥だった。相変わらずの態度に苦笑を漏らしていると、気を利かしてどこかに姿を消した店主の物の腕時計が、カウンターの上で時を刻んでいた。12時55分を指す文字盤は、こちらの事情などお構いなしに秒針を動かしている。
「そっちはどうしてんだ」
言うことを言わなければ電話した意味が無いのに、口から出てきたのはそんな言葉で、甥や団の近況などすでに知っているのに、つい無意味な質問をして時間を潰してしまった。
「見境無く壊す誰かさんがいなくなったおかげで、経費が浮いて助かってるぜ」
「けっ。そりゃ良かったな」
「まぁな。それで用はなんだよ、オッサン」
用を訊かれてとっさに誤魔化そうとしたが良い誤魔化し案もなかったので口ごもっていると、奥からひょいと顔を覗かせた店主がまだ通話中なのを見て、またすぐに引っ込んだ。その後姿の肩口が堪え切れないと言った風にくつくつと小刻みに震えていたので、電話を離して「うるせぇな」と文句を言ったが、姿を消した店主にその声が聞こえるはずもなく、BGMがかすかに流れる店内に、秒針の音がやけに大きく聞こえた。嫌な予感がしてグラスの横の腕時計を見ると、日付が変わるまであと3分もない。
「あー…何だ」
「何だよ」
歯切れの悪い言い方は、甥の不信感を益々強めたようだった。電話を切ってやろうかと思ったが思い直し、もうどうにでもなれと覚悟を決めた。
「年食ってめでてぇな、シンタロー」
驚いたように息を呑む気配が伝わってきて、してやったりと言う気分になったのは一瞬で、あっちもそろそろ良い歳なのだから誕生日の祝いなどもういらないと分かっているのに、それでも一応と前置きしても誕生日にかこつけて連絡をとった挙句、素直におめでとうの言葉も言えない自分にどうも呆れる。
本当に、これだから嫌だ。
「…そりゃどうも。アンタ俺が四歳のころからボキャブラリーが増えてねぇのな」
「うっせぇよ。素直に『ありがとう叔父様』くらい言っとけ」
「はっ。酒の飲みすぎで脳みそ溶けたか?」
素直にやりとり出来ないのはお互いさまのようで、目的を果たした気楽さで先ほどよりもずっと気安くやり取りが続く。
「で、アンタ今どこにいるんだ?」
甥にしては珍しくこちらを窺うような声音だった。少し嗄らした声はどこか戸惑いに満ちていて、本人も不本意そうだ。自分が追い出したわけでもないのに行方を気にしているのは、甥らしいと言えば甥らしい。
「さぁな」
そっけなくはぐらかして、少し笑う。出て行ったきり音沙汰のなかった己を、甥が気にしていたと分かっただけで儲け物だった。思わぬ収穫に気をよくしたが、だからと言ってそう簡単に教えるわけにもいかない。
そろそろ潮時だ、とお互いに暗黙の了解のような空気が流れたので、あっさり切り上げることにする。
「じゃぁな、ヒヨッコ」
「三億円、さっさと返せよナマハゲ」
今度はいつ連絡が取れるのか分からないのに、最後の最後まで悪態の応酬で、とことんこの甥は可愛くない。
どっと疲れが襲ってきてカウンターに突っ伏して、さっさと切った携帯を片手で弄ぶ。出て行ったことを後悔していないはずなのに、こういう時は妙にやりきれない。かつては近く感じていた甥が遠く感じられる。それが、どうも気に食わないのは一体どう言うことだろう。
考え続けていると嫌な結論に達しそうで、世の中にははっきりさせない方が良い事もある、と頭の隅に追いやり、いつのまにか交換されていたグラスの中身を空けた。
(2006.6.1)
(2006.12.13)再up
戻る
(誕生日話 シンタロー側)
誕生日とは言えこの歳になるとさしたる感慨も無く、親しい者達と食事をして酒を飲みデザートをつまむ程度で満足する。
子供の頃は、ひとつ歳をとる度に一歩大人に近づいた、と誇らしいようなわくわくするような特別な気分になったものだけれど、二十歳を越えるとこだわっていたのが嘘のように一気にどうでも良くなった。それでも十の位が変わるときは、溜息を吐きたくなる程度の感慨はあるが、だからと言って大したものでもない。
そう特別な日だと感じなくなったからこそ、顔も良く知らない各国の要人に祝われるよりも、家族や友人とそろって食事をする方が楽しい。プレゼントをあける瞬間だけは、子供の頃に戻ったかのように胸が高鳴る。思い悩みながら選んでくれたプレゼントは、それが例えどんな品物でも嬉しいし、大切にしたいと思う。
主賓なんだから、と諌められたが折角なので大いに料理の腕をふるった。この日のために準備していた料理を出して、適当につまんで貰う。どこにそんなにあったのか不思議なほど、次から次へとワインやらブランデーやら焼酎やら日本酒やら世界各国の酒が出てきたりもして、大いに今日と言う日を満喫する。
食べ物が少なくなってきたところで、ホールケーキを出すと、甘いものが好きな従兄弟から歓声が上がったりもして少し嬉しい。トッピングがそっけない、と文句が聞こえた気がするが、自分の誕生日をおめでとうとケーキに描くことにはさすがに抵抗があったので、あえて無視することにする。
気付けば床には何本もの酒瓶が散乱しており、ついでに酔いつぶれた友人達がその辺りに転がっている。家族はさすがに雑魚寝はしないようで、ふらふらしていた従兄弟達を父親が送り届けていた。
片付けは後日にすることにして、こちらも寝ようと腰を上げ自室に向かう。酔い覚ましついでに散歩でもしようかと思ったが、酒のせいで必要以上に軽くなった足取りを自覚して、まっすぐ自室に戻ってすぐベッドに倒れこんだ。寝ようと思えば寝てしまえるが、あっさりと寝てしまうには惜しい気分だったので、ベッドの上でごろごろする。
何となく、煙草が吸いたくなった。
アルコールがはいると無性に吸いたくなるのは何故だろうと考えながら、どこかに買い置きが無かったかと部屋の中を漁ってみたけれど生憎と見つからない。さっき誰かに貰えば良かったと後悔し、ちょくちょく煙草をたかっていた人物の顔をぼんやりと思い出した。煙草と言えば直結しているかのように思い出す自分の脳を疑う。軽い自己嫌悪に陥っていると、置きっぱなしにしていた携帯電話が着信を知らせた。
静かな夜に似つかわしくない電子音がやけに響いて聞こえる。こんな時間に誰だろうと訝しく思いながら表示画面を見ると、半年前に喧嘩別れをして出て行った叔父の名前が表示されていた。相変わらずタイミングが良いのか悪いのか、微妙なところで存在を知らせる叔父だ。
放っておこうかどうしようかしばらく迷い、放心したようにじっと液晶画面を見つめる。画面の淡い光は正常な判断力を奪ったようで、十五回目のコール音を聞いてから通話ボタンを押した。
「何か用か」
軽く息を呑む気配が伝わってきた。自分で電話をしておきながら何を今更、と苦笑が漏れる。すぐに立ち直ったかのように、耳に馴染んだ傲岸不遜で偉そうな声が聞こえた。
「よお、甥っ子。生きてやがったか」
「そりゃこっちの台詞だな、オッサン」
携帯電話越しに繋がった空間は、こちらとは打って変った雑然とした空気が流れていた。叔父の声の背後で、人の話し声やBGMの音が微かに聞こえる。時にガチャガチャとグラスのぶつかる音が混じる辺り、どうせどこかの飲み屋だろう。
「相変わらず可愛くねぇな、クソ餓鬼」
「うっせぇな、アル中」
そこそこ疎遠になっていたとは嘘のように、団にいたころと変わらない憎まれ口を叩きあう。そう言えば顔を会わせる度に喧嘩か皮肉か悪態の応酬だったなと思い出し、無意識の内に口が歪んだ。嫌な思い出として残っていないのが、不思議なところだ。
「そっちはどうしてんだ」
会話の継穂に困って発せられたような問いは、こちらの近状を気にしてのことでは無いだろう。団のことを探ろうとすればいくらでも探れるだけの立場や能力はあるはずだ。父親やもう一人の叔父あたりとは案外連絡を取り合っているかも知れない。この叔父はこう見えて家族思いであることは承知していた。
「見境無く壊す誰かさんがいなくなったおかげで、経費が浮いて助かってるぜ」
「けっ。そりゃ良かったな」
「まぁな。それで用はなんだよ、オッサン」
多分このまま会話していてはロクなことにならないような気がして、さっさと切り上げにかかる。叔父が率いる部隊が抜けて困っているどころか助かっていることは事実だったが、いない方が良かったと言い切れないところもまた悔しい。
口ごもってしまった叔父の沈黙の後ろで、誰かが促す発言をしたのか、うっせぇな、と若干遠い叔父の声が雑音と共に耳にはいった。
「あー…何だ」
「何だよ」
歯切れの悪い口ぶりに、言いたいことがあるならはっきり言えと、きつい口調で返事をした。久しぶりの連絡が決して不快なものでもないくせに、どうもこの叔父に素直に対応するのは癪だった。
「年食ってめでてぇな、シンタロー」
思いがけない発言に、思わずこっちが口ごもってしまった。覚えていたのが意外なら、日付が変わる前に連絡してきたのも意外で、変なところで家族思いで律儀だとほとほと呆れる。
「…そりゃどうも。アンタ俺が四歳のころからボキャブラリーが増えてねぇのな」
「うっせぇよ。素直に『ありがとう叔父様』くらい言っとけ」
「はっ。酒の飲みすぎで脳みそ溶けたか?」
くつくつと咽喉の奥で笑いながらしばらく悪態を吐き合う。思いがけない誕生日プレゼントは嬉しいのか嬉しくないのか微妙なところだったが、一応ありがたく受け取っておくことにした。
「で、アンタ今どこにいるんだ?」
「さぁな」
少し声を嗄らして発言した問いは、そうして欲しかったのを見透かされたように、はぐらかされた。いつだってこの叔父は遠くて近い。不愉快なのは、それが嫌じゃないところだ。
「じゃぁな、ヒヨッコ」
「三億円、さっさと返せよナマハゲ」
別れの挨拶まで悪口の応酬で、とことんこの叔父とは仲良くできない。通話を終えた携帯電話をベッドの上に放り投げ、ついでに軽く伸びをした。煙草を吸いたいと言う欲求は幾分薄れたとは言え、どこか物足りない気分のままクッションに顔を押し付ける。
突然の電話を迷惑だと思わなかった自分が更に不快でよく分からない。こうなったら酒で誤魔化してしまおうと、冷蔵庫の中を漁るために再び身体を起こした。
(2006.5.25)
(2006.12.14)再up
戻る
誕生日とは言えこの歳になるとさしたる感慨も無く、親しい者達と食事をして酒を飲みデザートをつまむ程度で満足する。
子供の頃は、ひとつ歳をとる度に一歩大人に近づいた、と誇らしいようなわくわくするような特別な気分になったものだけれど、二十歳を越えるとこだわっていたのが嘘のように一気にどうでも良くなった。それでも十の位が変わるときは、溜息を吐きたくなる程度の感慨はあるが、だからと言って大したものでもない。
そう特別な日だと感じなくなったからこそ、顔も良く知らない各国の要人に祝われるよりも、家族や友人とそろって食事をする方が楽しい。プレゼントをあける瞬間だけは、子供の頃に戻ったかのように胸が高鳴る。思い悩みながら選んでくれたプレゼントは、それが例えどんな品物でも嬉しいし、大切にしたいと思う。
主賓なんだから、と諌められたが折角なので大いに料理の腕をふるった。この日のために準備していた料理を出して、適当につまんで貰う。どこにそんなにあったのか不思議なほど、次から次へとワインやらブランデーやら焼酎やら日本酒やら世界各国の酒が出てきたりもして、大いに今日と言う日を満喫する。
食べ物が少なくなってきたところで、ホールケーキを出すと、甘いものが好きな従兄弟から歓声が上がったりもして少し嬉しい。トッピングがそっけない、と文句が聞こえた気がするが、自分の誕生日をおめでとうとケーキに描くことにはさすがに抵抗があったので、あえて無視することにする。
気付けば床には何本もの酒瓶が散乱しており、ついでに酔いつぶれた友人達がその辺りに転がっている。家族はさすがに雑魚寝はしないようで、ふらふらしていた従兄弟達を父親が送り届けていた。
片付けは後日にすることにして、こちらも寝ようと腰を上げ自室に向かう。酔い覚ましついでに散歩でもしようかと思ったが、酒のせいで必要以上に軽くなった足取りを自覚して、まっすぐ自室に戻ってすぐベッドに倒れこんだ。寝ようと思えば寝てしまえるが、あっさりと寝てしまうには惜しい気分だったので、ベッドの上でごろごろする。
何となく、煙草が吸いたくなった。
アルコールがはいると無性に吸いたくなるのは何故だろうと考えながら、どこかに買い置きが無かったかと部屋の中を漁ってみたけれど生憎と見つからない。さっき誰かに貰えば良かったと後悔し、ちょくちょく煙草をたかっていた人物の顔をぼんやりと思い出した。煙草と言えば直結しているかのように思い出す自分の脳を疑う。軽い自己嫌悪に陥っていると、置きっぱなしにしていた携帯電話が着信を知らせた。
静かな夜に似つかわしくない電子音がやけに響いて聞こえる。こんな時間に誰だろうと訝しく思いながら表示画面を見ると、半年前に喧嘩別れをして出て行った叔父の名前が表示されていた。相変わらずタイミングが良いのか悪いのか、微妙なところで存在を知らせる叔父だ。
放っておこうかどうしようかしばらく迷い、放心したようにじっと液晶画面を見つめる。画面の淡い光は正常な判断力を奪ったようで、十五回目のコール音を聞いてから通話ボタンを押した。
「何か用か」
軽く息を呑む気配が伝わってきた。自分で電話をしておきながら何を今更、と苦笑が漏れる。すぐに立ち直ったかのように、耳に馴染んだ傲岸不遜で偉そうな声が聞こえた。
「よお、甥っ子。生きてやがったか」
「そりゃこっちの台詞だな、オッサン」
携帯電話越しに繋がった空間は、こちらとは打って変った雑然とした空気が流れていた。叔父の声の背後で、人の話し声やBGMの音が微かに聞こえる。時にガチャガチャとグラスのぶつかる音が混じる辺り、どうせどこかの飲み屋だろう。
「相変わらず可愛くねぇな、クソ餓鬼」
「うっせぇな、アル中」
そこそこ疎遠になっていたとは嘘のように、団にいたころと変わらない憎まれ口を叩きあう。そう言えば顔を会わせる度に喧嘩か皮肉か悪態の応酬だったなと思い出し、無意識の内に口が歪んだ。嫌な思い出として残っていないのが、不思議なところだ。
「そっちはどうしてんだ」
会話の継穂に困って発せられたような問いは、こちらの近状を気にしてのことでは無いだろう。団のことを探ろうとすればいくらでも探れるだけの立場や能力はあるはずだ。父親やもう一人の叔父あたりとは案外連絡を取り合っているかも知れない。この叔父はこう見えて家族思いであることは承知していた。
「見境無く壊す誰かさんがいなくなったおかげで、経費が浮いて助かってるぜ」
「けっ。そりゃ良かったな」
「まぁな。それで用はなんだよ、オッサン」
多分このまま会話していてはロクなことにならないような気がして、さっさと切り上げにかかる。叔父が率いる部隊が抜けて困っているどころか助かっていることは事実だったが、いない方が良かったと言い切れないところもまた悔しい。
口ごもってしまった叔父の沈黙の後ろで、誰かが促す発言をしたのか、うっせぇな、と若干遠い叔父の声が雑音と共に耳にはいった。
「あー…何だ」
「何だよ」
歯切れの悪い口ぶりに、言いたいことがあるならはっきり言えと、きつい口調で返事をした。久しぶりの連絡が決して不快なものでもないくせに、どうもこの叔父に素直に対応するのは癪だった。
「年食ってめでてぇな、シンタロー」
思いがけない発言に、思わずこっちが口ごもってしまった。覚えていたのが意外なら、日付が変わる前に連絡してきたのも意外で、変なところで家族思いで律儀だとほとほと呆れる。
「…そりゃどうも。アンタ俺が四歳のころからボキャブラリーが増えてねぇのな」
「うっせぇよ。素直に『ありがとう叔父様』くらい言っとけ」
「はっ。酒の飲みすぎで脳みそ溶けたか?」
くつくつと咽喉の奥で笑いながらしばらく悪態を吐き合う。思いがけない誕生日プレゼントは嬉しいのか嬉しくないのか微妙なところだったが、一応ありがたく受け取っておくことにした。
「で、アンタ今どこにいるんだ?」
「さぁな」
少し声を嗄らして発言した問いは、そうして欲しかったのを見透かされたように、はぐらかされた。いつだってこの叔父は遠くて近い。不愉快なのは、それが嫌じゃないところだ。
「じゃぁな、ヒヨッコ」
「三億円、さっさと返せよナマハゲ」
別れの挨拶まで悪口の応酬で、とことんこの叔父とは仲良くできない。通話を終えた携帯電話をベッドの上に放り投げ、ついでに軽く伸びをした。煙草を吸いたいと言う欲求は幾分薄れたとは言え、どこか物足りない気分のままクッションに顔を押し付ける。
突然の電話を迷惑だと思わなかった自分が更に不快でよく分からない。こうなったら酒で誤魔化してしまおうと、冷蔵庫の中を漁るために再び身体を起こした。
(2006.5.25)
(2006.12.14)再up
戻る
(双子誕。とちょっと甥っこ)
「せっかくの誕生日なんだから、帰って来なさい」
思いもよらない言葉を発した通信機を信じられないような目で見つめたが、回線越しに対応する兄の声は真面目すぎるほど真面目だった。
驚いて口ごもった男に対し、長兄はどこか面白がっているかのような口振りで「良いから帰って来なさい」ともう一度繰り返し、一方的に通信を絶った。
この年齢になって、誕生日を祝われるとは思ってもみなかった男は多少嫌がりつつも、本部に向かうよう部下に指示を出した。
毎年戦場で年齢を重ね、それで満足していたのに、どうしていまさら、と首をひねったが、家族の関係が修復されつつある今、さして断る理由もなかったので、男は大人しく兄の言うことに従うことにした。
表面上はいかにも面倒臭そうに文句を言っていたが、悪い気はしなかったのだろう。そんな男に、部下は背後で苦笑を漏らしていた。本部に到着し飛行船から出る際に、男は照れ隠しと言わんばかりに身近にいた部下の頭をはたいて行った。
ポートから続く長い廊下を歩き、やっと建物内に入ると、前方から双子の弟が歩いてやってくるのが見えた。
双子なので当然誕生日は一緒なのだから、当たり前と言っては当たり前すぎる弟の登場に、男は意外な感覚を覚えつつ、二人そろって誕生日を祝われるなど何年ぶりかと、その長い年月を思い出し、よくここまで修復できたものだと感慨に浸る。
きっかけは島での出来事であらゆることが明白になった結果、家族の絆は急速に修復されていった。元々家族思いの男だったので、当然それは嬉しく喜ぶべきことだったが、同時に少しくすぐったくもあった。
「よぉ」
「やぁ」
短く気安い挨拶を返し、二人は並んで歩き出す。
ぽつぽつとお互いの近状を報告しつつ男が「あの男」のことを不機嫌そうに訊くと、弟は苦笑を交えて勉強していると答えた。
男にとって憎い相手が弟の近くにいると言う状況は決して好ましくないが、相手が目の前に現れない限り、わざわざ出向いてどうこうしようとは思わない程度には許容している。
弟が幸せならばとりあえずそれで良かった。
次兄が死亡した一連の出来事の後、弟の精神の不安定さは目も当てられず、男は仕事を口実に極力見ない振りをしてやりすごしていた。
何十年も、男は弟とまともに顔も合わせなかったが、たまに会う長兄の口振りでは、甥の存在で多少は救われている部分があったようだ。甥を修行したのも弟だと聞いて、何を思って例の男にそっくりな甥を鍛えているのか不可解であったが、自分のように面影を重ねているのではないかと危惧し、何を心配しているのだろうと自嘲したものである。
それも過ぎ去った過去のことで、失ったはずの親友を再び近くに得た今、現在の弟は安定しているように見えた。
「オメェも兄貴から連絡があったのか?」
「いや、シンタローから連絡があってね、誕生日のお祝いするから帰ってきてって」
「へぇ」
兄からではなく、甥から呼ばれたと聞いて何となくむっとした男の気配に気づいたのか、弟は遠慮の無いからかいの笑みを浮かべた。
「シンタローは自分が呼んだんじゃ、ハーレムは素直に来ないと思ったんだよ」
「はっ。可愛い甥っ子なこって」
それから甥達についての話になった。新しく補佐官という立場を任された甥は随分張り切っているらしく、その報告はお互いに何度か聞いていたようだ。しばしその話題で盛り上がる。
「あの子達は、大人だね」
「はぁ?図体はでけぇが、中身はどいつも餓鬼じゃねぇか」
「私達が思っているより、よっぽど大人だよ」
会話の隙間にぽつりと呟いた弟を横目で確認し、男は苦いものでも飲み込んだかのような表情になった。
甥達の関係は未だによく理解出来ない複雑なもので、その根本に関わっているのは横にいる弟だった。取替え事件が発覚した時は正直驚愕したが、その後の展開もあり責任の追及はあやふやなまま終った。
取り替えられた当人達が、いともあっさりと新しい関係に順応したせいもある。かつては「伯父」と呼んでいた長兄を、現在は能天気に「父親」と呼んでいる甥の顔が、男の脳裏に浮かんだ。
「誰にも責められないのは、辛いね」
「恨んでねぇだろ、あいつらは」
「だから大人なんだよ。信頼を裏切ったはずの私を、あの子達は慕ってくれる。過去の責任を問わずに、前を見ている。過去を振りかえってばかりいた私とは大違いだ」
「餓鬼じゃねぇか、やっぱり」
時には落ち着いて振りかえるのも大事だ、と言おうとしたが、それは見当違いな意見だと思い、止めておいた。
「違うよ。ハーレムも解ってるんだろう?」
「さぁな」
肩を竦めて不機嫌な顔をする男に、弟は穏やかな顔で宣言した。
「私は、あの子達を全力で援助するよ。せめてもの償いとは別に、純粋に力になりたいと思うからね」
自分はどうだろう、と男は思ったが、現在も隊の戦い方について意見の対立している身としては、弟のように断言することは出来なかったので、返事を返すことも無く黙々と歩き続けた。
指定された部屋の前で二人は立ち止まった。料理の良い匂いが扉の外にまで漂っている。
「楽しみだな。シンタローの手料理は久しぶりなんだ」
「あいつに本格的な料理なんて出来るのかよ」
甥の料理の腕については長兄から聞き及んでいたが、高級嗜好な弟が楽しみだと言う程とは知らなかったので、怪訝そうに発せられた男の問いに、弟は得意げに答えた。
「愚問だね、料理は私が仕込んだんだよ」
「ま、酒が飲めれば何でも良いけどな」
大した叔父馬鹿だと呆れながら、男は部屋へと足を踏み入れる。
扉の向こうでは、彼らの家族が待っていた。
(2006.2.11)
(2006.5.30)
戻る
己が属する部隊としては、少々手間取った任務を終え、ようやく本部に戻ると報告すべき長兄の姿は執務室に無かった。
秘書に訊くと正月休みだと言われ、そう言えば年が明けていたと初めて気付く。
今年も戦場で新しい年を向かえることになった。
一年の門出としてはまずますだと一人で悦に入りながらプライベートエリアへ足を運ぶ。到着したとたん、何やらいつもと違うエリアの雰囲気にたじろぎながら声のする部屋に入ってみると、ますます辟易することになった。
すっかり日本贔屓になりやがって。
思わず内心独り言ちる。
日本人と結婚して一男もうけた兄は、驚くほど日本の風習を好むようになっていた。
新年だからなのか呆れるほどに日本風の飾りつけが施され、何やらエキゾチックなしめやかな音楽が流れている。
英国出身のはずなのに妙に似合う紋付き袴を着た長兄は、最近の定番であるビデオカメラで愛息子の姿を映していた。
「獅子舞だー」
子供特有の舌足らずで甲高い声で、きゃぁきゃぁ言いながら近づいてきたのは、被写体である子供で、以前見た時よりも随分大きくなっていた。
この前見たのはいつだったかな、と計算してみると一年近く経っているようで、子供の成長は速いものだと不思議な気分だった。
「お年玉ちょうだい」
差し出された小さな手を邪険に叩き「そんなもんあるか」と言ってやると、甥はむっと脹れ面になった。
「獅子舞は縁起物なんだよ。てめぇこそ何かよこせ」
ひらひらと手を振りながらからかってやると、ますます機嫌を損ね、そのまま父親の元へ駆けていく。
「お正月から子供にたかるんじゃありません。この愚弟が」
相変わらず親馬鹿は健在のようで、息子のことになると冗談も通じない。
「鼻血は拭けよ兄貴。ところで今回の任務だけどな…」
とりあえず目的は果たそうと報告を始めると、瞬時に総帥の顔になった。こういうところはさすがと言うべきだろう。
「ああ、お前達にしては手間取ったな」
そのまま口頭で状況を説明しようとしたのだけれど、兄に止められてしまった。
「後で聞こう。今はシンタローがいるから」
「甘ぇんだな」
本当に自分の子供には甘いものだ。まだ小さいからと甥には何も教えてないらしい。いつまで隠すのか知らないが、いずれ自分達の稼業については話さないといけない。避けて通れるものではない。その時の甥の顔を見てみたいものだ。
わずかな憐憫も混じった嗜虐的な思考に陥りながら、兄に皮肉めいた視線を向けてみたが、一顧だにされなかった。
シュッとドアの空く音がして、双子の弟が入室してきた。
自分の時とは打って変わった嬉しそうな声を上げながら、甥は弟に駆け寄って行く。
新年だから挨拶に来たのだろう。弟はそういうところはそつが無かった。双子の癖に顔も似てなければ性格も似ていない。良く言われることだが当人である自分達が一番承知している。
兄弟が集まることは珍しかったが、顔を付き合わせているとロクなことが無いと自覚していたので、さっさと出て行くことにする。
本当は、弟と、弟に懐いている甥を見るのが嫌だったのかもしれない。
甥の、その色がどうしても許せない。
どうして兄も弟もあんなに可愛がれるのか。
そして、弟の、甥に向ける目が何かを懐かしんでいるような色を見せるのは気のせいか。
どっちにしても面白くない。
子供の歓声を背後に聞きながら、新年早々嫌な気分になってしまった。
(2006.1.3)
(2006.2.22)再up
戻る