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時折水音にかき消されつつも、隣から調子はずれの鼻唄が聞こえてくる。
うるさい音を遮断すべく、彼は絶え間なくなく降り注ぐシャワーに顔を上げ、きつく目を閉じた。栓を全開にしたため水圧は強く、勢い良く降り注ぐ生ぬるい水は、規則的に彼の皮膚を跳ねて排水溝に流れていく。
弟のことで頭が一杯の今の状態で、習慣の用に半分無意識的に行った自主訓練は、身体を痛めつけることを目的にしたような厳しいもので、気が付くとぐっしょりと汗で濡れていた。不快な汗を流すために共同のシャワールームで水に打たれつつ、彼はこれからのことを考えていた。

弟が幽閉されて、1ヶ月になる。弟と引き離されたときの光景は彼の脳裏に焼き付いて、それから片時も忘れたことはない。
弟の泣き顔、必死で兄である自分を呼ぶ声。父の冷酷な顔、弟を危険だと言い切った冷たい声。
思い出すたび、見ていることしか出来なかった己の無力さに、やり場の無い後悔と怒りが湧いてくる。
ずっと伸ばし続けている髪が水を含んで重さを増した。目の前に垂れてくる黒色が鬱陶しくて彼は髪をかき上げたが、頭から浴びているシャワーのせいですぐに真っ黒な髪が視界に入った。一族の誰とも異なる髪色は、嫌でも異端児だと意識させられてしまう。弟のこともあいまって、そのまま思考がどこまでも沈んで行きそうになり、彼は強く下唇を噛んだ。
口の中に錆びた鉄の味が広がって、排水溝に向かって吐き出した。わずかに赤色が混じった唾液はシャワーによって流れて消えたが、マイナスの思考は消えることはなく、彼はいつまでも繰り返し己の無力を責めていた。
弟の行方を尋ねたとき父に殴られた頬の傷はとうに癒えていたが、あれからずっと彼の心は鋭い爪で引っ掻かれ続けている。
家族全員で一緒にいることが当たり前だと思っていたのは自分だけだったのか。父親と自分と弟で、三人で仲良く暮らすと言うのはもう不可能な夢なんだろうか。
それともそれは、異端児である己には過ぎた願いなのだろうか。
弟が連れ去られてから、父とはずっと口を利いていない。父と自分との間にあった絆のようなものは、あの出来事で決定的に壊れてしまった。もう何もかもが手遅れのような気がする。
強くなりたかった。
弟を取り戻せるほど、父親を止められるほど、強くなりたかった。
こんなにも何かを切実に望んだことの無いくらい、彼は強さを求めていた。
いつの間にか隣の鼻唄は止んでいる。栓を閉めて外に出ると、すでに誰もおらず、広いシャワールームで彼は一人ぽつんと濡れた髪のまま立ちすくんでいた。



偶然か意図的か、ドクターから与えられた情報は、彼を走り出させるには十分なものだった。
弟が、日本にいる。
真っ暗な闇の中に差し込んだ一すじの光は、周囲が見えなくなるほど明るくて、彼は逸る気持ちを抑えつつ、周到に計画を練り始めた。
父親の大切にしている石を勝手に持ち出し、弟の元へ向かう。単純な目的を果たすのは難しく、父や側近の目を盗んで石を手に入れなければ始まらない。
いずれお前の物になる、と父親が言った石を今持ち出しても悪いとは思わなかった。
悪いのは弟を閉じ込めた父と、それを止められなかった自分。
石を盗んだことで、何かが変わるとは思えなかったが、父に思い知らせてやりたかった。せめて、後悔させたかった。
逃げ出したいのではない。あるべき家族の形に戻したいだけだ。
計画は決まった。後は実行するのみだった。

「逃げたぞ!」「追え!」
慌てふためく団員の声を背中で聞きながら、彼は走っている。手にした石がやけに重く、必死で走っているにも関わらず前へ進んでいる気がしない。海までの逃走経路が永遠に続くかと思われた。
追っ手と応戦しながら走り続けていると不意に視界が開け、潮の匂いが鼻についた。彼は前もって準備していたボートに飛び乗ると、青い海に漕ぎ出した。
その日は航海を祝福するように晴れた日で、波に太陽の光が乱反射してやけに眩しく、父と弟の瞳と同じ色をした海面を、彼はまともに見ることが出来なかった。


(2006.4.14)

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