ここに、一枚の写真がある。
私室らしきカーテンの揺れる窓辺の前で、4人の人物が並んでカメラに向かって微笑んでいる。黒髪の少年は嬉しさを隠しきれないような内側から溢れるような笑顔で、腕の中の赤子を愛おしそうに抱いている。金髪の少年はにっこりと慣れた笑顔で、隣の黒髪の少年の腕に軽く手を沿えて立っている。赤子は大きな青い目を開いて、きょとんとした表情で兄達と父親を見上げている。
子供達の横に並んで立つ父親の表情は、他の人物と比べて少々硬くぎこちないが、それでも緩やかな笑みを口元に浮かべている。
写真には、ひとつの家族が写っている。
彼がアルバムの整理をしている時に確認した写真群は、概ね自分の成長記録で、よくもまぁここまで写真ばかり撮っているものだと呆れる程の量だった。写真ばかりではなく、ビデオテープもいちいち年齢毎にラベルを張られてアルバムの隣の棚に保存されている。特別な行事の時はもちろん、泣いたり笑ったり怒ったり、些細な事でシャッターを切る父親の姿がアルバムをめくるたびに思い出され、子供としては少々その親馬鹿振りに閉口するが、こうしてささやかな思い出までもきちんと写真として残っているのはそう悪くない気分だった。
写真の中の子供時代の彼は、概ね幸せそうに笑っている。一人で映っている写真が大半だが、たまに同い年の従兄弟も混じって、二人で一緒に遊んでいる写真も綺麗に保存されていた。同じ写真を従兄弟の保護者が所有しているアルバムでも見たことがあるような気がして、自分達の身の上は特殊なものかもしれないが、馬鹿親二人に愛情をまぶされるようにして育った己たちは、決して不幸ではなかったと再確認できた。
子供の成長を写真として残したい、と言うのは親として当然のことかもしれないが、思えば彼の父親はそう言った記録を残しておくのが特に好きだった。自身の子供である彼の写真ばかりではなく、父の兄弟の写真も多く残されており、長男だからかも知れないが、幼少時に父親を亡くした父は、手元に残る形で思い出をとどめておくことに執着しているかのようにも彼には感じられた。
パタパタとアルバムをめくっていくと、誰かに頼んだのか、父親と彼と二人で映っている写真も数枚あった。彼を膝に乗せ総帥然と悠然としている写真や、親馬鹿丸出しで鼻血を垂らしている写真など、写真の撮り手によって父親の表情は様々だったが、そこに映っているのは確かに「父と子」だった。
――悪くねぇよな。
父親の前では決して言わないが、素直にそう思える写真がいくつもあった。
父親と二人で映っている写真をアルバムの中から一枚抜き出して、幸せそうに屈託なく笑う自分を彼は羨ましそうに指ではじく。しばらくその写真を手に考えていたが、彼はそっとそれをアルバムに戻した。
膨大な量に及ぶアルバム整理の本来の目的を思い出し、彼は自分の18歳以降のアルバムを抜き出した。いちいち懐かしがっていた先ほどまでとは違い、何かを確認するかのように事務的に、だが目は真剣に写真の貼られたページを追いながら、彼はアルバムをめくる。
――ない。
絶望とまでとは言わないが、重い失望感が浮かんできた。焦る指先でページをめくっていく。彼が探していたのは、父が撮った弟の写真、もしくは父と弟が一緒に写っている写真だった。
眠りの世界から出てこない、瞼を閉じたままの弟の写真は増えて行く一方で、それでも彼が撮った弟の写真は彼程とは言えないが手元に何冊も残っている。弟が生まれたときは嬉しくて、父親が自分の写真を撮っていた意味が分かったかのように、父のカメラを失敬しては、飽きることなく弟ばかり撮っていた。たまに従兄弟に頼んで、彼と弟の二人の写真を撮って貰ったこともある。逆に、従兄弟と弟の二人の写真を彼が撮ったこともあった。それらは弟専用のアルバムに大切に保存され、いつか弟が目覚めたとき見せてやろうと従兄弟達と計画している。それでも眠っているときの写真ばかりが増えていくのに彼は少々焦りを感じ、父が保存しているアルバムの中から弟の写真を探そうと思い立ち、そして、気が付いた。
南国の島での出来事を経た今でこそ、眠っている弟に対して一方的にならざるを得ないとは言え、父と弟は新たな関係を築いて行こうとしている。しかし弟が生まれた直後から弟の力に危機感を抱いていた父親は、決して彼のように溢れんばかりの愛情を弟に向けていたとは言えなかった。当時の彼はそれが自分がカメラを独占しているせいだと思っていたが、彼がカメラを返しても父親は弟に向けてシャッターを切ることは無かった。何かがおかしいと、弟を見る父の視線の根底にある冷たさに薄々感づいていたが、それを否定したかった彼に、それを決定的なこととして知らしめたのが弟の監禁だった。
それでも、それまでに父が弟を撮った写真、あるいは父と弟が写っている写真が一枚でもあるだろうと希望を抱いてアルバムをめくっていたが、彼の希望を嘲笑うかのように、それは一枚も見つからない。
いくらこれから、弟が目覚めてから取り戻せるかもしれないとは言え、過去の父親と弟の断絶がこんな小さな出来事にさえも表れているようで、彼は床一杯に広げられた写真達の群れの中で一人肩を落とした。
半ばやけになりながら、『シンタロー二十三歳』とラベルを貼られたアルバムをめくる。弟が監禁されたその年は、ほとんど家にも父の前にも姿を見せなかったせいか、空白ばかりが目立った。それでも律儀に一ページずつめくる指が、少し震えている事に彼は気が付かなかった。
そして、最後のページと背表紙の間に、有り余る余白に貼られることなく挟まっている写真を見つけた。
一体誰がシャッターを切ったのか、本来の形を予言するかのようなその写真の裏側には、確かに父親の筆跡で、日付に加えて『家族と』と書かれていた。
(2006.9.28)
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