見渡す限りの荒野に、金色に輝く二つの人影があった。
片方の少年が大地に膝をつき、辛そうに息を吐いている。その様子を恐ろしく綺麗な顔をした男が見つめていた。
「立ちなさい。まだ休憩時間じゃないよ」
ぴしゃりと言われて少年は歯を食いしばって立ちあがる。そして二人きりの特訓が再開された。
力のコントロールの仕方を教えて欲しいと、家に戻ってすぐ父親に懇願した。
父親は随分と渋っていたが、それでも必死で頼み込むと、仕方ないと叔父を連れて来た。
久しぶりに会った叔父はとても四十も後半とは思えないほど綺麗で、あの島に一緒に居た方の叔父とは双子のはずだったが、あまり似ていなかった。
どうやら、この叔父が自分の教育係のようだ。
呼ばれた叔父は、まず父に席を外すように頼んだ。
二人きりになって、どうすれば良いのか分からず、とりあえず父に頼んだようにコントロールの仕方を教えて欲しいと言おうとすると、それを遮って、叔父は話を始めた。
まず、自分が幽閉されたとき、それを止めようとしなかったこと。
次兄の死に関係して、自分の兄達を赤子の時に入れ替えたこと。
四年前、あの島で自分と敵対したこと。
淡々とそれら過去のことを話して、それでも私と二人、訓練に行くかと尋ねてきた。
叔父の罪を告白されて、正直途惑ったが、一刻も早く、兄や友達を助けたかった。
そうして叔父と二人、荒れ果てた大地がむき出しの場所で、過酷な修行をしている。
叔父は厳しかった。本人が言うように、決して自分を甘やかさなかった。
その厳しさが有難い。厳しければ厳しいほど、早くコントロールが身に付いて、兄のところへ行ける。
だから耐えた。それが自分に出来る精一杯のことだったから。
食事の準備も自分の役目だった。
二人分とは言え、慣れない調理は大変で、あの島でさんざん我侭を言った家政夫に少しだけ、ほんの少しだけ悪かったかも知れないと思った。
「だいぶ上手くなったな、コタロー」
ある日やっと叔父に褒められた。それでも兄の味や家政夫の味には到底及ばない。
「そうかな。お兄ちゃんほど、美味くないけど」
「あの子も最初は酷かったよ」
あの料理の上手な兄も、最初は自分のように、包丁を扱いかねた頃があったのだろうか。
「シンタローが作った初日の食事は本当に不味かった」
「本当に?」
驚いて目を見張ると、叔父はくつくつと笑いながら当時の事を語る。
こうやって、食事などの休憩時間に叔父が昔のことを語るのが、最近の日課になっていた。
自分が産まれる前のこと、閉じ込められていたときのこと、眠っていた間のこと。
叔父が見た、他の人から聞いた、家族のこと。
話は尽きなかった。
出来ることなら、ずっとそれを聞いていたいように思うけれど、休憩時間は短かい。
それでも、少しの短い話でも、自分の空白の時間が埋まるようで、嬉しかった。
その夜、どうしても寝付けずに寝返りを打った。
今日も厳しかったので、寝ないと明日もたないと解っているのだが、なぜか頭が冴えて眠れない。
何度目かの寝返りを打つと、隣で眠っているはずの叔父が、声を掛けてきた。
「眠れないのかい?」
「うん…。ねぇ、お話してもらっても良い?」
叔父も眠っていなかったようなので、思い切ってお願いする。
「良いよ。何が良い?」
「何でも良い。皆のこと、話して」
家族のことが知りたかった。兄以外、そう詳しいとは言えなかったから。
「そうだね…そう言えば、今日の昼間、ハーレムから電話があったよ」
「ハーレム叔父さんが?なんて?」
もう一方の叔父は戦場を走り回っているらしい。そう聞いていた。
「コタローは元気してるかって」
「そう」
気にかけて貰って嬉しいが、連絡があったのはその叔父だけだろうか。
皆忙しいのは知っている。
兄達は、見失ったあの島に行くために日夜研究にいそしんでいるらしい。
父も、そう父も、総帥代行で忙しいのだろう。
それでも思わず『お父さんからは?』と尋ねそうになってしまう。
父は、自分をどう思っているのだろうか。
四年前、暴れる自分を抱き締めてくれた。
そしてこの前、兄ではなく、自分の手を取って、抱き締めてくれた。
恐らくもう、嫌われていないのだろうけれど、どうしても不安になる。
自分はもう父を嫌っていないと思う。いざ父を目の前にすると、緊張して震えてしまうけれど。
「お父さんは…」
決死の覚悟で、そう口に出してみたけれど、それ以上言葉が続かなかった。
「兄さんはね、コタロー、必死なんだよ」
自分の断片的な問いに、察したように叔父が答える。何に必死なのだろう。
「シンタローを助けるためももちろんあるけど、それと同じくらいお前との接し方を今必死に模索してるんだ」
「お父さんが?」
信じられない。そんな声音だったのか、叔父が苦笑する気配が、闇を通して伝わってくる。
「兄さんは、あの通り冷静で、強大な力のコントロールも完璧で、覇王として君臨していただけあって何でもそつなくこなす。それが弟として辛かったこともあったよ」
「うん」
どう答えて良いか分からず、とりあえず相槌を打つ。
「私も最近になって分かるようになったんだけれど、そんな万能に見える兄さんでも、たまに迷うことがあるんだ。最も完璧で優秀な人間は、迷っても周りに相談することが出来ない。本心をさらせない。孤独だろうね。そして迷った挙句、間違ったことをしてしまう時もある。お前の場合もそうだったんだ」
私も人のことは言えないけどね、と自嘲混じりに言われては、相槌すら打てなかった。
「間違ってしまったから、今度こそ、間違わないようにお前と接したいんだよ。だから必死で今考えてるんだ。臆病になっているのかもね」
父が自分のことを考えてくれている。本当に?
「お前が眠っている間、兄さんは毎日見舞いを欠かさなかったよ。シンタローが言っていたから絶対だ」
「お兄ちゃんが…」
あの兄の言うことなら信じても良いと思えた。
「兄さんは、今度こそ、お前の本当の父親になりたいそうだ」
目の奥がつんとして、涙が溢れてきた。それを見られたくなくて、慌てて布団をかぶる。
「兄さんはしつこいから、お前が例え拒否しても、どんな手を使っても父親になろうとするだろうね」
涙が頬を濡らす。嬉しくて泣いたのは初めてかもしれない。
叔父は気付いているだろうが、見ない振りをしてくれた。
「じゃぁお休み、コタロー。…ああそうだ、本部に戻ったら、兄さんに夕飯にカレーをねだってごらん。あれだけはシンタローも敵わないから、食べておく価値があるよ」
「うん。おやすみなさい」
かすれた声は叔父に届いただろうか。
家に戻ったら、父と向き合ってみよう。正面から、父と話をしてみよう。
自分も父親も、互いのことを理解してない。だから不安になってしまう。
けれど理解したいという気持ちがあれば、きっと大丈夫だ。
今の自分は、閉じ込められていないし、眠ってもいない。だから、これから向き合う時間はたくさんある。
それにしても父の得意料理がカレーとは。
あの父親がエプロンをつけてキッチンに立つ姿を想像して、思わず笑った。
笑みと一緒に、新しい涙が溢れてきた。
(2005.10.26)
戻る
PR