(C5規制。)
博士が使っていた研究室は、ほぼ私室のようなもので、こじんまりとした部屋に所狭しと博士の作品が置かれており、パソコンのスペースがどうにか確保されている程度の広さしかなかった。
それでもパーティションで区切っただけで共同研究室に押し込まれているのではなく、個人の部屋が与えられているのは、博士の能力の高さを表しており、ここに来て研究を始めたばかりの頃の男にとって、随分羨ましかったものだ。
ずっと昔に主を失った部屋は、代わりに別の研究者がはいることもなく、そのままの状態で保存されていた。専門分野で特化した頭脳を持っていた博士の部屋は、同じ分野を研究している者にとっては大事な資料の埋もれた部屋であり、希望すれば博士の遺した書きかけの論文や資料、機構図などを眺めることも許可されているらしい。
骨董品のようなパソコンは、電源を入れればまだ動くだろうが、そのパスワードを知っている者は、男を含めて二名しかいない。
時間が止まった部屋にありがちな澱んだ空気は仕方ないにしても、これほどモノが置かれた部屋にしては埃っぽさがなく、どちらかと言えば無機質な印象を受ける。定期的に掃除しているのかと考えて、男はもはや他人に対して嘲っているような皮肉しか口にしなくなった元旧友の、わずかに残る人間臭さを感じ取り、かすかに不愉快な気分になった。
男が求める設計図は、博士が使っていたラップトップパソコンの中に残されていた。年代物のパソコンのスイッチを入れると、ぶぅぅんと懐かしい音を立てて動き出し、ちかちかとディスプレイが光りだす。パスワードを打ち込んで、起動するまでの時間、男は所在なさげに狭い室内を見渡した。
ふざけた外見の発明品は、博士が半ば趣味で作ったモノだ。それなりに使い道はあるはずなのに、実用されなかったのは、その外見のせいだろう。もっと普通のデザインにしておけば、従兄弟達にも受け入れられたかも知れないのに、頑なに奇抜な装飾を施したのは、発明品を通しての従兄弟同士のスキンシップを博士が望んでいたせいかもしれない。
呆れ半分で博士の発明品を眺める従兄弟達と、嬉々として自身が生み出したモノについて説明を始める博士の光景を、男も何度か目にしていた。
逆に博士は専門のロボットに関しては、無骨なまでのシンプルな外見を好んだ。
いくらでも、人間に近づけることも出来ただろう。それなのにステンレスやアルミなどの素材を使い、シリコンや人工皮膚を使うことはしなかった。
パソコンの用意が整ったので、男はマウスを操り、目的の設計図を呼び出す。小脇に抱えていた自分の最新のパソコンに繋ぐと、急いでデータを移し始めた。
ディスプレイには、コピー中の文字と共に、残り時間が表示される。
デスクの横には、組み立て途中のロボットの腕が無造作に放置されていた。完成されることのない、むき出しの金属の骨格は、人間に近い形をしており、触れると体温が奪われるように冷たかった。
死んでいる、と男は思った。ロボットなのだから生死など元より範囲外にあるはずなのに、なぜか男は死んでいる腕だと思った。
不意に博士の声が蘇る。
――本気?
男性にしては甲高い声は、詰るでもなく問い詰めるでもなく、ただ確認するだけで、何の感情もこもっていない。
――別に僕はヒトの幸せ不幸せに口出し出来るほど高尚な人間じゃないけど。
博士はその子供っぽい風貌とは裏腹に、時に冷たいと感じるほどに突き放した物言いをしていた。家族以外には、と限定されてはいたが、子供のような話し方の陰に潜む容赦ない物言いは、育ての親に良く似ていた。男がこの設計を頼んだのは、博士も老齢に達していた頃のはずなのに、男の脳裏に蘇ったのはまだ二十代の、若々しい容貌と声だった。
――不老不死なんて、結局当人も周りの人間も、幸せになんてしないと思うよ。
これはどこで交わした会話だったか。
男は思い出そうと思考を巡らせ、やがて放棄した。親友や友人が彼の周りに当たり前のようにいた時期のことを思い出すことは、男にとって辛すぎる作業だった。
先に死ぬと言いながらも、自分を受け入れてくれた親友。
学生の頃と同じ、親しみのこもった毒舌を吐いていた友人。
親友の横にいることを、黙認してくれていた違う色の一族達。
大勢の人々が男の横をすり抜けて、遠い場所へ旅立って行った。残っているのは、ただ一人だけだ。
――生物とロボットの融合って、その発想は面白いと思うけどね。
パソコン越しに、博士は男に語りかける。
――でも僕は、機械のボディに人間の心を持ったモノなんて、見たくないし作りたくない。そんなの醜悪だよ。機械の心、って言うか知性と、人間の知性って別物だもの。機械を人間にしようとするのは、ヒトのエゴじゃないかな。
自律型のヒューマノイド開発を嫌っている様子を見せていた博士は、生涯操作型のロボットしか作らなかった。僕達は石ころのオモチャじゃない、と発言したのはどの場面だったか。男は記憶を弄る。
創造された存在だったからこそ、ロボットに心を与えることを嫌った博士は、男の語る研究内容にかすかに眉根を寄せてその話を聞いていた。その石ころに直接創り出された生き物である男が、どうして生命を作り出すことに興味を示したのか、それは本人にも解らない。創造主に対する、意趣返しだったのかもしれない。
――もしもジャンさんが作りたいんなら、僕が死んでからなら好きにして良いよ。止める権利なんかないし、死んでまでロボットの技術を使うことに文句なんて言わないからさ。でもその存在に対する責任はちゃんととってね。
そう、責任は取る。心配しなくても、ちゃんと自分の手で幕は引いてみせる。幕引きのためには、どうしても『その存在』が必要なのだ。
ごぼごぼと音を立てる培養器の中で、分裂し続ける細胞。それは徐々に人間の形に近づいていく。だがそれだけでは足りない。
男は、人間では幕を引くことが出来ないところまで来てしまった。
ディスプレイにコピー終了の文字が踊った。彼は久しぶりに表情らしい表情を顔に刻んで、パソコンの電源を落とす。起動するものはなにもなくなり、再び部屋には静寂が戻ったはずなのに、骨を引っ掻くような耳障りなノイズが残った。
ノイズは博士の声であり、ロボットの金属音であり、細胞が分裂し成長する音だ。
男は耳に残るノイズを消すために、わざと動作を大きくして首を振る。
「使える物は使わせて貰うよ、グンマ博士」
ラボに遺された多くのロボット達が、無言で彼を見つめていた。
幕を引くためには、幕を開けなければならない。
(2007.2.21)
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