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あの人がまさに落ちる瞬間を目に映したとき、身体の痛みも全て忘れて駆け出していた。
がっちりと掴んだ手のひらは大きくて、絶体絶命の場面で握り返してくれたことがやけに嬉しかった。


「そうなんだよなぁ…」
溜まった洗濯物を片付けながら、彼は溜息と一緒に誰にとも言えない独り言を呟いた。
「あの人、いつか島を出て行くんだよなぁ…」
洗濯物を洗う手を止め、彼はぼんやりと空を眺める。
今日もお姑さんと子供と犬は、仲良く出かけて行った。彼は一人家に残り、洗濯物と格闘している。
青年の存在に初めこそ途惑った彼だったが、今では青年と子供の仲をなるべく邪魔しないよう心がけ、今では料理や掃除の指導などもして貰っている。青年の姑のような微細かつ暴力的な指導には辟易することもあるけれど、概ね上手くやっていると言えるだろう。
金髪の少年が去って行ったときは悲しかったが、入れ替わりのように残った青年に、彼は親しみを抱いていた。家事が趣味、と言う点で気が合ったせいかもしれない。弟である少年の時にもそう思ったのだが、自分はどうも深入りし過ぎる、と彼は思っていた。
この島は聖域で、自分はその番人。
余所者には厳しい立場をとるべきだ、と彼としても解っているつもりなのだが、賑やかな島の住人達に囲まれていると、ついついそのことを忘れてしまうことがある。甘いと言われればそれまでだが、顔見知りの物騒な人達が島に訪れても島の皆と平和で楽しい日常を過ごしているところを見ると、それも良いかと思っていしまう。
自覚がない、と指摘されれば反論のしようがない。
『俺はいつか島を出る。しっかりやれよ、リキッド』
普段はヤンキーとしか呼んでくれないくせに、こういう時だけ名前を呼ぶのはずるいと思う。
そうだった、と彼が改めて青年の顔を眺めて見れば、そこにあるのは断固たる意志だった。当たり前のように子供の隣にいて、当たり前のように島の住人と遊び、当たり前のように子供と犬と一緒に青年は眠っていた。
そんな姿を最初から目の当たりにしていたためか、彼は青年がこの島にいることが日常だと思っていた。青年自身の口から『島を出る』と言われるまで、そのことを忘れていたのだ。
もしかしたら故意に忘れていたのかもしれない。青年が無愛想な子供のそばにいる事が当然のように見え、それが日常だと彼の目から見てもそうだったから。

「わう!」
突然横から犬の鳴き声がして、彼は思わず手にしたままの洗濯物を取り落とすところだった。帰宅したお姑さんが片付いていない洗濯物を目にした際の恐ろしい事態を勝手に予想し、彼は自然に防御の姿勢をとっていた。
しかしそこにいたのは茶色の毛並みをなびかせた犬だけで、一緒に出かけたはずの子供の姿も青年の姿もどこにも見えない。
「あれ?どうしたんだ、チャッピー」
彼は不思議そうに一人で家に帰って来た犬の背中に手を置く。先日青年からブラッシングをされたばかりの毛並みは艶々としており、手のひらに心地好い。
「わぉん」
この犬は島の生物でただ一匹、言葉を喋らない。一番子供の近くにいて青年とも親しんでいる存在と、意志の疎通が出来ないと言うのは、中々不便でもある。彼としてはこの愛犬が喋れればもっと色々知ることが出来て楽になるんだろうと、思わないでもなかった。
「うん?なんだ?俺がちゃんと洗濯してるか見張りにきたのか?」
「わぅ」
そんなもんだ、と気軽な返事を返されて、俺ってお姑さんに信用されてないのね、と彼は笑う。
笑いながら残りの洗濯を済ませ、手早く干した。洗濯物が空に映えて眩しい。彼は犬と共に家に戻ると、おやつの支度に取りかかり始めた。もうすぐ二人も帰ってくるだろう。
足元の犬が、オーブンから立ち昇る甘い香りに鼻を動かしながら尻尾を振っている。それを微笑ましく眺めながら、彼はすとんと犬の隣に腰を下ろした。
「なぁ、チャッピーはシンタローさんのこと好きだよな」
「わん」
何を当然のことを聞くのか、と言いたげに犬が訝しげに彼を見る。それに苦笑を返しながら、彼は犬の頭をなでた。耳の後ろをなでられて気持ち良いのか、犬は目を細めている。
「じゃぁさ、シンタローさんに、帰って欲しくないって思わねぇ?」
それを口に出した途端、彼は悟った。自分はあの口うるさいお姑さんにずっとこの島にいて欲しいのだ。もしかしたら憧憬に似た感情があるのかもしれないが、それよりも何よりも、あの二人を見ているのが好きだった。時間が限られていると解った今でも、あの二人には一緒にいて欲しかった。番人と言う立場から見ても、あの青年と子供の絆は胸が締め付けられる類のもので、あれほどまでにお互いを想い合っているにも関わらず、離れ離れになってしまうのはどうにも遣る瀬無い。
青年には帰る場所も待っている家族も、あちらの世界にいると頭では分かっていても、あの二人を目の前にしてしまえばそんな考えは吹っ飛んでしまう。
『いつか島を出る』
その『いつか』はいつだろう。ずっと来なければ良いと望むのはいけないことだろうか。
いっそ去って行った金髪の少年も、皆でこっちに移住すれば良い、と実現不可能な考えも一瞬脳裏に過ぎった。
「…わぅ」
彼の目の前の犬が、同情をその瞳に浮かべて、しかし左右に首を振った。
『同感だけど、それを口に出しては駄目』
そう言われているようで、彼は犬をなでる手を止める。
「そうだよなぁ…一番シンタローさんに行って欲しくないのは、パプワだもんなぁ」
あんな小さい子供が我慢していることを、犬にとはいえ、つい洩らしてしまった自分に呆れてしまう。
犬はじっと彼を窺うような目で彼を見ていたが、自分で答えを出した彼に、ほっとしたように尻尾を軽く揺らした。
「大人気ねぇなぁ、俺。黙っててくれよ、チャッピー」
気まずそうに頭を掻く彼の手に、もちろん、とばかりに犬は前足をのせた。自然に握手するような形となり、犬の肉球を手のひらに感じながら、彼は青年の手の感触を思い出していた。
いつか、あの手を離さなければならない日が来る。自分も子供も犬も。
それをどうも受け入れかねて自らの考えに落ち込み気味となってしまった彼を、犬が何か言いたげに横目でちらりと眺めたが、すぐに扉に向かって大きく尻尾を振り始めた。
「ただいまー」
「帰ったぞー」
並んで戻って来た青年と子供にばれないよう、慌てて「おかえりなさい」と返す。
あと何回おかえりなさいってお姑さんに言えるのかな、と彼が思っていると犬が後ろ足で蹴りを入れてきた。せっかくの楽しいおやつの時間を台無しにするな、との警告のようだ。
彼は気を取り直して、オーブンの中身を取り出すと、綺麗に盛り付けを始めた。随分腕が上がったはずだけれど、あの大きな手から作り出されるお菓子にはまだ敵わないんだろうなぁ、と彼は内心苦笑する。
敵わないのが嬉しいのは、一体どう言うことだろう。
「はいはい。じゃぁみんな手を洗って。おやつですよー」
家じゅうに、香ばしい甘い香りが漂っていた。三人と一匹が食卓を囲む、いつもの風景がそこにあり、彼は今の時間をせめて大事にしようとこっそり心に誓い、隣に座る犬の毛を軽くなでた。

(2006.8.12)

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