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(南国6巻44話の「殺すよ」の場面より)


今まで目の前に提示されていたにも関わらず、あえてそのままにしておいた問題を、まとめて突きつけられたのか。
息子を連れ戻すために訪れた暑い南国の島は、当初から些細な既知感をもたらす場所だった。今となれば、一族としての本能が反応したのだろうと思えるが、その脳裏を小さな針で引っかかれるような警報を見逃して――いや見逃していたのか気付いていたのに故意に無視したのか――息子のために再来訪したのが、そもそもの原因だったようだ。
だがその警報を察していればどうなったか、と言うことを考えると答えは一つしか出てこない。そこに至る過程の違いは多少あれど、息子のためにやはりこの島に足を踏み入れていただろう。例えそこが、赤の一族の聖地であっても。
対照的な色を持つかの一族に関しては、良い思い出は皆無である。末弟の目を奪い、兄弟間の絆を奪い、ひいてはすぐ下の弟の命までこの手から失った全ての元凶である「赤」を、恨むことは当然だろう。
赤にとってはこちらの方が全ての元凶だ、と言い分があるだろうが、概ねの事象は正誤も善悪も表裏一体であることを、私はすでに学んでいる。私にとっては彼らが悪であり、彼らにとっては私が悪だ。それについては何も言うことはない。見解の相違など、そこらに溢れている。
その悪である対象に良く似た面影を持つ息子を溺愛した自分は、異常だと罵られても仕方ないのかもしれない。表立って意見するものはいなかったが、影でそう囁かれていたことに気付かないとでも思っていたのか。小さなことが命取りになる、それを阻止するためにも常に冷静であれ、と行動して来たが唯一の例外が己の血を分けた息子だった。
自らの双眼とそれが齎す強大な力を、内心では疎んでいたのだ――と知らしめたのもまた息子だ。この目さえ無ければ、兄弟にはまた違った未来があったかもしれない。その可能性を模索していた最中に、忌々しい目を持たずに生まれてきた息子は、神の恩恵のように思えた。父が亡くなってから神を信じたことは無いが、齎された一筋の光を手放すような真似はしない。
希望だからこそ愛したのか、それともどこかで力を持たない息子が私が作り上げた現状を変えるかも知れない可能性をどこかで期待していたからこそ愛したのか――そしてそれは破滅願望に似たものだったのかも知れない。
いやよそう、気持ちを探ることほど愚かなことはない。そこに客観的な視点が入る余地は無いのだから。
成長するに従って「赤」との類似性が顕著になった息子だが、誓って息子に「赤」の面影を見たことは無かった。むしろそれを気にする息子に、より一層の愛情を抱いた。歪み過ぎると、むしろ真っ直ぐになるのはどうしてか。真っ直ぐな愛情はもう一人の息子にも注がれるべきものだったのだろう。
だが、忌まわしい私と同じ目と強大な力を持った次男を、私は――。
言い訳はすまい。私の心情がどうであれ、結果が全てである。二人の息子は私を憎んだが、これで最悪の未来は回避されたはずだ、と信じた。大事なところを読み間違えたのは、曇った愛情のせいだろうか。
いやそれすらも、全てがあの石の脚本だったのかもしれない。踊らされているのを見越して利用しているつもりだったのだが、定石通りに動いてしまったのか。
この島で、役者は全て揃ってしまった。
明らかになりつつある真実は、私を、いや私達一族をどこに連れて行こうと言うのか。
「赤」だと分かった今でも、私は息子を愛している。だが、私は青の人間でありそれは否定できない事実である。「兄」「父親」「総帥」と私の肩書きは多く存在しているが、この局面でどれを選べと言うのだろう。それは選べるものではなく、全てが平等に平行線上にある。
そしてそれら全てを総括しているものが「青の一族」と言う肩書きだ。私は生涯それに縛られるのだろう。だからこそ、それに縛られていない息子を愛したのだ。だが息子が忌々しい運命に私以上に縛られていると分かっても、胸の奥底にあるのは、やはり愛情だった。表面が変わっただけで本質に変化は見られない。
だから私は、自分自身の手で、息子を殺そうと思う。
それが「赤」だと分かった息子への、最後の愛の形である。
これから起こることを私は予測できない。
どっちを選ぶ?と差し出されて、両方得られないのなら両方破壊すれば良い。選べない私はずっとそうしてきた。この戦いが終結した時、私は何を手にしているのだろうか。全か無か。
その中間が無いことは、この場合不幸なのか。これを考えることも止しておこう。幸不幸もまた、善悪と同様に表裏一体であるのかもしれない。
時は来た。私は「父」として「兄」として「総帥」として、そして「青の一族」として行かなければ。
行かなければならない。
いやそれは義務ではない。私は先ほどから自分に言い聞かせているのだろうか。言い聞かせないと立ち上がれないのだろうか。それは違う。私は自分自身に言い訳をしているに過ぎない。最愛の息子をこれから自分の手で殺すことに、後暗い喜び――歓喜のような絶望のような――を感じている自分に対する言い訳を。過程は関係ない、問題にすべきは結果である。

私は、青として赤を――父として息子を――この手で殺そう。

(2006.10.9)

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