吹き荒ぶ風の音で目覚めた。
室内はまだ昏い。
傍らには子供の規則正しい寝息とぬくもり。
寝起きのぼんやりとした頭でまだ夜なのだとシンタローは理解した。
珍しい。
否この島に来てから何も無いのに夜中に目覚めるのは初めてかもしれない。
日中はそれこそ、この子供に付き合って休む暇の無いほど働いているから、
一日が終わればクタクタで、普段は一度寝入れば朝まで殆ど目覚めるような事は無い。
偶に寝込みを襲いにやってくるナマモノやら刺客やらも
最近は半分寝てる状態で条件反射で吹っ飛ばしているらしい。
らしいと他人事のように思うのは覚えてないからだ。
朝、天井に開いた穴を見て、また来たのかと呆れて終わり。
さっさと忘れて、一日の糧を得るために出掛ける。
それがこの島での日常だ。
寝汚い。
自分を叩き起こした早寝早起きの子供にはかつてそう言われた。
確かによく寝てる。
ガンマ団にいた頃とは比べ物にならないくらいに。
だけど、そうでないとこの島では生活は出来ない。
食料を手に入れるのだって結構命がけなのだ。
気力・体力を養うためにも睡眠は必要不可欠だろう。
思いながらも、逆に心の奥の冷たい部分が問い掛けてくる。
本当にそれだけなのか?と。
目を閉じる。
浮かぶのは父親の顔、弟の顔。
断崖の上に聳え立つ鉄の城郭。
血と硝煙の匂いのこびり付いたそこが自分の家だった。
仮令、殺し屋の集団の本拠地でも、何も知らない頃はそれでも安らげる場所だった。
…壊れてしまったのはいつからだろう。
弟と引き離されてから?
否その前から時折自分は不安を感じていた。
父親が弟を見詰めるその瞳の冷たさに。
…僅かな歪みや傷や亀裂は元からあったのだ。
気付かないフリをしながらも、少しづつ、少しづつ
胸の底に澱のように降り積もっていたものがあの日形になってしまっただけだ。
それでも、何処かで自分は信じていたかったのだ。
…父の事を。
他人から見ればどんなに酷い人間でも、それでもあの人は自分にとっては父親で
一族の中で異端であった己を愛してくれた肉親で。
だから、自分へと向けられる行き過ぎな愛情を厭いながらも
心のどこかで安堵していたのだ。
残酷な覇王だと言われる人でもその手は暖かいのだと。
それは錯覚だったのだろうか?
何故父は弟を愛してくれなかったのだろう。
ただ、普通の親のように。
それだけで自分は父親を信じていられたのに。
(アンタと同じように人を殺して、その血に手を染めても
アンタの事を信じていられたら…それでも俺は構わなかったんだ。)
手を伸ばす。
薄闇の中へ。
あの時、届かなかった無力な腕を。
「コタロー」
ひそやかな呟きは夜の闇に溶けて消える。
答える声も無いままに。
当たり前だ。自分の傍らに居る子供は弟ではない。
苦い笑みを口元に刷いて、そっと身を起こした。
恐る恐る隣を伺えば、安らいだ寝息を立てて子供は眠っている。
その穏やかな寝顔に安堵の息を吐いて、
起こさぬよう、音を忍ばせて布団から抜け出す。
擦り抜けるように扉から外へ出た。
途端、吹き付ける風。
屋外へ出れば風の音は一層強かった。
いつにも増して湿った空気。生温い風が吹き荒れている。
煽られるように己の黒髪が舞う。
黒い髪・黒い瞳の異端の自分。
金髪に蒼い瞳の一族の特徴を備えた弟。
全く似たところの無い自分達はそれでも確かに兄弟で。
あの人は俺たちの父親だったはずなのに。
幼かった弟は自分の目の前で父の部下に引き摺られる様にして連れ去られた。
「お兄ちゃん!!」
泣きながら自分を呼んだ弟の悲痛な声は未だに耳に残っている。
行方の分からなくなった弟。
自分達を引き裂く命を下したのは父親。
そうして、どんなに訴えても、叫んでも、罵っても。
父は決して弟の居場所を教えてはくれなかった。
『コタローのことは忘れろ』
『私の息子はお前だけだ…お前さえいればいいんだ』
『お前は一族の後継者だ』
そんな言葉など要らなかった。
「なぁ、父さん…アンタにとって俺たちはなんなんだ?」
生死のほどすら分からなくなった弟。
眠れずに今日の夜を過ごし、それでも訪れてしまう明日に、
明けゆく空を絶望的な気持ちで見詰めたのは、遠い過去の日ではない。
抑えきれない苛立ちを抱えて戦闘に出ては無茶をする自分を父親は諌めたが
その言葉も何処か虚しく己の上を通り過ぎただけだった。
そうして一年が過ぎようと云う頃。弟の所在はある日突然知れた。
『日本支部はあまり知られたくないようだからね』
医務室で偶然ドクターが漏らした言葉
そこに不審を抱いて、日本支部の情報を辿り、弟の居場所は漸く分かった。
最重要機密に分類されたそのデータ。
羅列されていく情報の数々。だが何よりも…
『いるんだ…弟は日本にいるんだ』
生きて…。
凍っていたものを溶かすように頬を伝って涙は勝手に零れた。
弟は生きている。父は弟を殺したりはしていなかった。
取り戻せるかもしれない。まだ、今ならば。
思ったから、自分はあそこを飛び出した。
秘石を持ち出したのは父親への意趣返しのつもりだった。
家族よりも青の一族の長の立場を選んだ父。
だから、一族の象徴であるあの石を持って逃げた。
壊れてしまった家族。
せめて、弟と自分だけでも家族に戻って、暮らしたかった。
(なら何故あの石を持ち出した?)
(追っ手がかかれば弟の奪還も難しくなる)
(弟を取り戻すだけなら、他に方法があったんじゃないのか?)
俺は本当は何を取り戻したかった?
「 」
呟いた言葉を攫うように風が轟々と吹き抜けていく。
どうせなら、この胸の中に澱んだモノも持ち去って行ってくれればいい…
思いながら、風の行く先を見詰める。
そうすれば自分は叶わぬ望みを抱えて立ち尽くすことも無い。
見上げれば雲が勢いよく空を流れている。
髪が靡く。背に風がぶつかっていく。
押されるように一歩踏み出した。
丁度その瞬間。
「シンタロー」
名前を呼ばれた。
ハッとして、とっさに振り向けば眠っていたはずの子供が立っていた。
「こんな夜中にナニをやってるんだお前」
何処か咎める調子の抑揚の無い声。
不機嫌そうな子供が自分を見上げている。
「わりぃ…起こしたか?」
謝りながら、子供の視線に合わせてしゃがみ込む。
真っ直ぐな子供の視線。
自分は今うまく表情を作れているだろうか。
己を覆っている昏い感情を目の前の子供には知られたくなかった。
楽園の子供には今は、まだ。
「オマエ、育ち盛りの子供の睡眠時間を何だと思ってる」
揺れるこちらの心の内など全く気付いていないかのように
子供はいつものように偉そうな口調で断じた。
だから、いつものように、自分も答える。
「しょうがねーだろ、風の音が気になったんだから」
言えば、肩をすくめて子供はわざとらしい溜息をついて見せた。
「全くメーワクなヤツだナ」
「あーはいはい、ワタクシが悪う御座いました」
「誠意の全く感じられん返事をすな!」
子供が此方の頭にひょいと飛び乗ってくる。
いつものように。
その事に酷く安堵する。
「風が吹いてるのは嵐が来るんだ。」
頭上で呟かれた言葉は風に流される事なく自分に届いた。
こういう風が吹くときは、じきに荒れるんだ。だから。
言って子供はぴっとパプワハウスを指さした。
「帰るぞ、シンタロー」
当たり前のように子供が告げたその言葉と体温に何故だか酷く泣きたくなった。
本当に帰る場所は他にあるのに。
子供の言葉に何かが慰められた気がしている。
『トモダチだ』といった子供の言葉に救われた時のように。
『帰りたい』と言う自分の言葉が淋しい。
自分が帰りたかった場所はもう無いと分かってしまったのに何処に帰りたいというのか。
それでも、このままここに居るわけにもいかない事は分かっている。
この子供もこの島も当たり前のように自分を受け入れてくれているけれど
いつかは、帰らなければいけない。
少なくとも、まだ弟は自分を待っていてくれているはずなのだから。
壊れてしまっていても、家族がいる場所があるのだから。
あぁ、けれども
今は、まだ。
自分の中には荒れ狂う、憎しみとも思慕ともつかぬ感情が吹き荒れているから。
もう少しだけここに居ることを許して欲しい。
願いながら、自分は子供と共に『家』へと帰る。
扉を開けて、穏やかなその場所に滑り込む。
せめて
この嵐が通り過ぎるまで。
室内はまだ昏い。
傍らには子供の規則正しい寝息とぬくもり。
寝起きのぼんやりとした頭でまだ夜なのだとシンタローは理解した。
珍しい。
否この島に来てから何も無いのに夜中に目覚めるのは初めてかもしれない。
日中はそれこそ、この子供に付き合って休む暇の無いほど働いているから、
一日が終わればクタクタで、普段は一度寝入れば朝まで殆ど目覚めるような事は無い。
偶に寝込みを襲いにやってくるナマモノやら刺客やらも
最近は半分寝てる状態で条件反射で吹っ飛ばしているらしい。
らしいと他人事のように思うのは覚えてないからだ。
朝、天井に開いた穴を見て、また来たのかと呆れて終わり。
さっさと忘れて、一日の糧を得るために出掛ける。
それがこの島での日常だ。
寝汚い。
自分を叩き起こした早寝早起きの子供にはかつてそう言われた。
確かによく寝てる。
ガンマ団にいた頃とは比べ物にならないくらいに。
だけど、そうでないとこの島では生活は出来ない。
食料を手に入れるのだって結構命がけなのだ。
気力・体力を養うためにも睡眠は必要不可欠だろう。
思いながらも、逆に心の奥の冷たい部分が問い掛けてくる。
本当にそれだけなのか?と。
目を閉じる。
浮かぶのは父親の顔、弟の顔。
断崖の上に聳え立つ鉄の城郭。
血と硝煙の匂いのこびり付いたそこが自分の家だった。
仮令、殺し屋の集団の本拠地でも、何も知らない頃はそれでも安らげる場所だった。
…壊れてしまったのはいつからだろう。
弟と引き離されてから?
否その前から時折自分は不安を感じていた。
父親が弟を見詰めるその瞳の冷たさに。
…僅かな歪みや傷や亀裂は元からあったのだ。
気付かないフリをしながらも、少しづつ、少しづつ
胸の底に澱のように降り積もっていたものがあの日形になってしまっただけだ。
それでも、何処かで自分は信じていたかったのだ。
…父の事を。
他人から見ればどんなに酷い人間でも、それでもあの人は自分にとっては父親で
一族の中で異端であった己を愛してくれた肉親で。
だから、自分へと向けられる行き過ぎな愛情を厭いながらも
心のどこかで安堵していたのだ。
残酷な覇王だと言われる人でもその手は暖かいのだと。
それは錯覚だったのだろうか?
何故父は弟を愛してくれなかったのだろう。
ただ、普通の親のように。
それだけで自分は父親を信じていられたのに。
(アンタと同じように人を殺して、その血に手を染めても
アンタの事を信じていられたら…それでも俺は構わなかったんだ。)
手を伸ばす。
薄闇の中へ。
あの時、届かなかった無力な腕を。
「コタロー」
ひそやかな呟きは夜の闇に溶けて消える。
答える声も無いままに。
当たり前だ。自分の傍らに居る子供は弟ではない。
苦い笑みを口元に刷いて、そっと身を起こした。
恐る恐る隣を伺えば、安らいだ寝息を立てて子供は眠っている。
その穏やかな寝顔に安堵の息を吐いて、
起こさぬよう、音を忍ばせて布団から抜け出す。
擦り抜けるように扉から外へ出た。
途端、吹き付ける風。
屋外へ出れば風の音は一層強かった。
いつにも増して湿った空気。生温い風が吹き荒れている。
煽られるように己の黒髪が舞う。
黒い髪・黒い瞳の異端の自分。
金髪に蒼い瞳の一族の特徴を備えた弟。
全く似たところの無い自分達はそれでも確かに兄弟で。
あの人は俺たちの父親だったはずなのに。
幼かった弟は自分の目の前で父の部下に引き摺られる様にして連れ去られた。
「お兄ちゃん!!」
泣きながら自分を呼んだ弟の悲痛な声は未だに耳に残っている。
行方の分からなくなった弟。
自分達を引き裂く命を下したのは父親。
そうして、どんなに訴えても、叫んでも、罵っても。
父は決して弟の居場所を教えてはくれなかった。
『コタローのことは忘れろ』
『私の息子はお前だけだ…お前さえいればいいんだ』
『お前は一族の後継者だ』
そんな言葉など要らなかった。
「なぁ、父さん…アンタにとって俺たちはなんなんだ?」
生死のほどすら分からなくなった弟。
眠れずに今日の夜を過ごし、それでも訪れてしまう明日に、
明けゆく空を絶望的な気持ちで見詰めたのは、遠い過去の日ではない。
抑えきれない苛立ちを抱えて戦闘に出ては無茶をする自分を父親は諌めたが
その言葉も何処か虚しく己の上を通り過ぎただけだった。
そうして一年が過ぎようと云う頃。弟の所在はある日突然知れた。
『日本支部はあまり知られたくないようだからね』
医務室で偶然ドクターが漏らした言葉
そこに不審を抱いて、日本支部の情報を辿り、弟の居場所は漸く分かった。
最重要機密に分類されたそのデータ。
羅列されていく情報の数々。だが何よりも…
『いるんだ…弟は日本にいるんだ』
生きて…。
凍っていたものを溶かすように頬を伝って涙は勝手に零れた。
弟は生きている。父は弟を殺したりはしていなかった。
取り戻せるかもしれない。まだ、今ならば。
思ったから、自分はあそこを飛び出した。
秘石を持ち出したのは父親への意趣返しのつもりだった。
家族よりも青の一族の長の立場を選んだ父。
だから、一族の象徴であるあの石を持って逃げた。
壊れてしまった家族。
せめて、弟と自分だけでも家族に戻って、暮らしたかった。
(なら何故あの石を持ち出した?)
(追っ手がかかれば弟の奪還も難しくなる)
(弟を取り戻すだけなら、他に方法があったんじゃないのか?)
俺は本当は何を取り戻したかった?
「 」
呟いた言葉を攫うように風が轟々と吹き抜けていく。
どうせなら、この胸の中に澱んだモノも持ち去って行ってくれればいい…
思いながら、風の行く先を見詰める。
そうすれば自分は叶わぬ望みを抱えて立ち尽くすことも無い。
見上げれば雲が勢いよく空を流れている。
髪が靡く。背に風がぶつかっていく。
押されるように一歩踏み出した。
丁度その瞬間。
「シンタロー」
名前を呼ばれた。
ハッとして、とっさに振り向けば眠っていたはずの子供が立っていた。
「こんな夜中にナニをやってるんだお前」
何処か咎める調子の抑揚の無い声。
不機嫌そうな子供が自分を見上げている。
「わりぃ…起こしたか?」
謝りながら、子供の視線に合わせてしゃがみ込む。
真っ直ぐな子供の視線。
自分は今うまく表情を作れているだろうか。
己を覆っている昏い感情を目の前の子供には知られたくなかった。
楽園の子供には今は、まだ。
「オマエ、育ち盛りの子供の睡眠時間を何だと思ってる」
揺れるこちらの心の内など全く気付いていないかのように
子供はいつものように偉そうな口調で断じた。
だから、いつものように、自分も答える。
「しょうがねーだろ、風の音が気になったんだから」
言えば、肩をすくめて子供はわざとらしい溜息をついて見せた。
「全くメーワクなヤツだナ」
「あーはいはい、ワタクシが悪う御座いました」
「誠意の全く感じられん返事をすな!」
子供が此方の頭にひょいと飛び乗ってくる。
いつものように。
その事に酷く安堵する。
「風が吹いてるのは嵐が来るんだ。」
頭上で呟かれた言葉は風に流される事なく自分に届いた。
こういう風が吹くときは、じきに荒れるんだ。だから。
言って子供はぴっとパプワハウスを指さした。
「帰るぞ、シンタロー」
当たり前のように子供が告げたその言葉と体温に何故だか酷く泣きたくなった。
本当に帰る場所は他にあるのに。
子供の言葉に何かが慰められた気がしている。
『トモダチだ』といった子供の言葉に救われた時のように。
『帰りたい』と言う自分の言葉が淋しい。
自分が帰りたかった場所はもう無いと分かってしまったのに何処に帰りたいというのか。
それでも、このままここに居るわけにもいかない事は分かっている。
この子供もこの島も当たり前のように自分を受け入れてくれているけれど
いつかは、帰らなければいけない。
少なくとも、まだ弟は自分を待っていてくれているはずなのだから。
壊れてしまっていても、家族がいる場所があるのだから。
あぁ、けれども
今は、まだ。
自分の中には荒れ狂う、憎しみとも思慕ともつかぬ感情が吹き荒れているから。
もう少しだけここに居ることを許して欲しい。
願いながら、自分は子供と共に『家』へと帰る。
扉を開けて、穏やかなその場所に滑り込む。
せめて
この嵐が通り過ぎるまで。
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