帰 還
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「まだ、着かねえのかよっ!」
ガンッ!!
怒鳴り声とともに、凄まじい音が、艦内に響き渡った。
「あ、あの……ま、まままだ、到着には数日かかりますが」
可哀想なほど汗を流しつつ、精一杯の勇気を振り絞ってそう告げたのは、先ほど音が聞こえてきたその隣で、舵を握る青年である。ちらりと横に視線を流し、そこにいまだに置かれている足を見る。それだけでも圧倒的な存在感である。だが、さすがにその先を見るほどの度胸は、その青年にはなかった。
「あぁん? 数日だと? んなに、待ってられっかよ。一日でつけ、一日で。それ以上は許さん」
「そ、そそんなことは無理です。無理です、出来ません」
傲慢なほどの高圧的な態度と声音で、無理難題をおしつけられた青年は、すでに涙を流していた。
今現在、この飛空艦の最高時速でもって、前進中である。それでも、やはり到着するには、数日間必要だった。
今回の遠征に、行きだけでも一週間かけたのである。すでに893国をたってから、数日後の出来事とはいえ、それでも行きの工程の半数の日数しかたっていない状況で、明日に到着というのは、無茶な話だった。
「チッ」
ガンガンガンッ!!
無理だと断言した青年のその言葉に、舌打とともに足を置いていたそれを、再び足蹴にする。
「うわぁ~! 壊れる…壊れる時…壊れたらどうしよう……」
真っ青な顔で、妙な三段活用をしつつそう呟く青年は、けれど、それをやめるように注意することは、当然ながらできなかった。
もちrん艦内には、他の人間もいるのだが、それでも誰も何もいえないまま、しばらく艦内の機体を蹴る音だけが聞こえてきた、が、不意にその音が止まった。その足が、機体を蹴れずに空中を蹴った。
原因は、背後から近づいた人物によるものだった。
「あん? 何すんだ、キンタロー」
「やめろ、シンタロー。艦が壊れる」
場違いなほど落ちついた声。
それは、シンタローの肩をがっしりと掴んでいる青年から発せられたものだった。空振りの原因は、その手で、行き成りその身体を後ろに引っ張られたためであった。
「なんだよ、キンタロー。その手をはなしやがれっ」
振り返れば、そこには従兄弟のキンタローが無表情で立っていた。しかし、伸ばされた手は、シンタローの肩にきつくくいこみ、暴れることを禁じていた。
「足蹴りをやめるなら、離す。苛立つのは、わかるが、それはやめろ。後々修理するのが大変だ。お前がやってくればいいが、無理だろう?」
「………わーったよ」
まっすぐに視線を向けられ、重々しくそういわれればかなりの説得力はある。
確かにこの艦が壊れてしまえば、困るのはこっちである。
素直に、あげられたままだった足を床に下ろすと、シンタローは、掴まれていた手を無理やりはがした。キンタローも、すんなりとその手を肩から下ろす。
自由の身となったシンタローは、ばつが悪そうに、くしゃりとその長い髪をかき上げるように乱すと、そのまま、数歩下がり、専用の椅子に腰をおろし、蹴りをかましていた足をその場で組んだ。
「あー、ちくしょう」
ガシガシと再び髪をかきみだす。
苛立ちは少しも収まってはいない。それどころか、さらに湧き上ってくるようだった。
その後ろにキンタローは、立った。そうして、苦い表情を見せる従兄弟を見下ろした。
「落ち着け、シンタロー」
「これが、落ち着いていられるかっ!! コタローが。俺のコタローが、あそこから逃げ出して行方知れずになっているんだぞっ」
その報告が入ったのは、つい一時間ほど前である。
正確には、正式な手続きによって報告された情報ではなかった。
シンタローの乗る、この艦体のみ、常に本部からの情報を得るために、本部の通信回路を合わせており、内部情報も、傍受できるようにしていたのである。
正式な報告は、まだこちらには届いていない。
そのため、詳しいことはわからないが、それでも、元総帥の息子であり、現総帥の弟であるコタローが、なぜか長きに渡って原因不明の眠りについていたにもかかわらず急に目覚め、本部から飛び出していったことは、知ることはできた。
そして、シンタローには、それで十分だった。
とりあえず、怒りを爆発させるのは、である。
「コタローを逃がしやがって。役立たずの人間どもめ。つーか、あいつは殺す。ぜってーに、あの親父はぶっ殺す。完膚亡きまでに叩き潰し、ぐっちゃぐちゃのミンチにして、海にばら撒いて、魚のエサにしてやる……それから―――」
ぶつぶつぶつと呪詛まがいの言葉を吐き出すシンタロー。その眼光は、にごった鈍い光を宿しており、口元はなぜか笑みを浮かべている。
その本気ともつかない呪詛の言葉を、誰にぶつけられているのか、ここにいる者達は、皆わかっている。
時折、「お気の毒に」とか「大丈夫だろうか」という優しい言葉が聞こえてくるが、その行動を起こすだろう本人を止める言葉を吐く無謀者はいなかった。
ここで、その言葉を出せば、即座に、先ほどの呟かれた言葉を自分たちが実行されるのは、間違いないのだ。
だが、唯一、今の彼に話しかけられるキンタローは、聞こえてはないだろう、その耳に、ぽつりと言葉をおとしてやった。
「あーシンタロー……。とりあえず命は一つだけだから、大事にしてやれ」
が、もちろん返事はない。
どう言う風に殺してやろうか、という想像で夢中なシンタローに、キンタローは、どこか遠くに視線を向けつつ溜息をついていると、その後ろから、誰かが近づいてきた。
「あの……キンタロー様。このことは本部に報告するべきでしょうか」
振り返れば、そこには本部との通信を担当している部下である。
こそこそと耳打ちするようにささやかれたキンタローは、しかし、その部下に首をかしげてみせた。
「何をだ?」
「総帥が、すでにコタロー様が逃げ出したことを知っていることをです」
「ああ……そうか」
その説明に、キンタローは頷いた。
この状況は、異常である。
本部に前もって知らせるべきだろうか、と考えるのも無理なかった。
しかし、本部からの報告はまだないのだ。
そして、たぶん向こうも報告する気はないような気がした。
コタローが逃げ出したことを報告した場合、シンタローが、どういう反応を示すかは、叔父貴―――マジックならば、十分わかっているはずである。とすれば、現在、内密にコタローの捜索をしているに違いなかった。
シンタローが帰りつくまでにはまだ、わずかだが時間が残っているのだ。その間に、コタローを連れ戻そうとしているに違いない。
だとすれば、この状況を知らせるのは得策ではない。
「報告するな」
「えっ? いいんですか?」
きっぱりとそう言い放ったキンタローに、以外な顔をされるが、キンタローは撤回する気はなかった。
「ああ。それに、万が一、あれに逃げられたら、本部崩壊だけではすまされそうにないからな」
あれ、とは当然マジックのことだ。
シンタローの帰還までに、コタローが見つからなかった場合、その怒りを恐れてマジックに逃げられては困るのだ。
怒りの矛先は、一人に向けられた方が被害が少ない。
キンタローは、素早くそう計算した。
マジックがいない場合、それを探すために、内部を破壊しまくるシンタローの姿を想像するのは、容易かったのである。
「はあ」
いまいちわかってない顔を見せつつ、頷き下がった部下を見送り、キンタローは、とりあえずは、大人しく座っているシンタローを眺めた。
ぶつぶつと呟かれる呪詛は、顔をひきつりたくなるほどエグイものに変わっている。
とりあえず、今のところ大人しいが、何かあれば、暴れだすに違いない。
「まったく。やっかいなことになったもんだな」
どうも自分には、損な役回りしか回ってこないような気がする。がだ、それも仕方なかった。それが自分の選んだ道である。
「さてどうするか………」
シンタローの宥め役を引き受けるのは、自分しかいないのである。ここにいる者のでは、今のシンタローは手に負えはしない。
「この借りはいつか返してもらうぞ」
誰からか、は明確にせず、そうぼやいたキンタローは、とりあえず異様な緊張感に包まれた艦内を元に戻すために、元凶をどう移動させるかに、頭を振る回転させ始めた。
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