作・斯波
我を頼めて来ぬ男
角三つ生ひたる鬼になれ
さて人に疎まれよ
霜雪霰降る水田の鳥となれ
さて足冷たかれ
月 光 抄
震えるような肌寒さに俺ははっと眼を覚ました。
どうやら知らぬ間につい、うたた寝をしてしまっていたらしい。
窓際に置いたテーブルの上に並べた料理はもう冷めてしまっていた。
時計を見ると、もう十時を過ぎている。
―――キンタローの奴。
俺は舌打ちをして座り直し、クリスタルのグラスに日本酒を注いだ。
小さな海のように揺れる酒の水面には、黄金色の月が砕けて煌めいている。
今夜は月見でもしようと自分から誘ってきたくせにあいつは来ない。
どうせ開発課の部下にでも捕まっているんだろう。
頼られれば何事も蔑ろに出来ないのがあいつのいいところで、俺にもそれは十分解っている。
俺の方が忙しくてあいつとの約束をキャンセルしたことだって何度もある。
―――だが理性と感情は、また別物だ。
夢の中で聴こえていた唄は、確か昼間アラシヤマが口ずさんでいたものだった。
訊けば昨夜マーカーと約束していたのに、急に袖にされたのだという。
どうやらあのナマハゲに無理矢理つき合わされたものらしいが、日付が変わる頃まで起きて待っていたのに連絡も無かったというので、普段師匠命のあいつもさすがにかなりむくれていた。
その時には笑い飛ばしてやったが、今になってその気持ちが痛いほど解る。
「ふん・・・雨に降られて冷えちまえばいいのさ」
「あいにく今夜はいい月夜だが?」
俺はぎょっと顔を上げた。
ソファに寝そべっていた俺の真上で、待ち焦がれた男の小憎らしい顔が笑っていた。
「おまえさあ、今何時だと思ってんの」
「だから謝っているだろう」
温め直した料理を口に運びながらキンタローが俺に酒を注ぐ。
輝くようなバカラのグラスはこの間デパートで見つけて衝動買いしたものだが、大きすぎず小さすぎず、持った感触も良くて気に入っている。
「帰り際に急ぎの仕事が入ったんだ。どうしても今日中に終わらせておきたくて」
「・・・何で」
「明日呼出を食らうのは御免だからに決まっているだろう」
笑みを含んだ眼差しに凝視められて顔が赤くなるのが自分でも解った。
―――おまえ明日、完全オフだったな?
―――そうだけど。
―――俺も休みを取ったから。
書類を揃えながら耳許で囁かれ、全身をかっと熱い血が駆け巡った数時間前の記憶が甦る。
キンタローがグラスを置いた。
(そういえば最近忙しくてゆっくり逢えてなかったな)
小さな音を立ててソファが軋む。
口移しに流し込まれる大吟醸が、ゆっくりと俺を温めてゆく。
「シンタロー」
「・・んっ」
「さっき呟いていたのは・・俺への恨み言か?」
俺はキンタローの首に手を回して引き寄せた。
長い独り寝に冷えていた手足は、キンタローの温もりで熱を取り戻していた。
「―――違ェよ」
(懲らしめよ 宵のほど)
その気にさせておきながら来ない男。
温かい肌を恋しく思わせておきながら素知らぬ振りの憎い男。
そんなつれない男を、俺は待ったりしない。
(昨夜も昨夜も夜離れしき)
なのに呼吸が乱れるのは、きっと心の中まで照らすような月の光のせいだったと思う。
酒よりも俺は、絶え間なく降り注ぐ甘い口づけに酩酊していた。
「待たせて済まなかった」
「自惚れ・・んなっ・・この俺がテメーなんざ・・待ってる訳ねえだろ・・」
うっすらと開いた瞳に映ったのは、晴れた夜空と黄金色の月光。
そして視線を逸らすことさえ許さぬような青い瞳。
「俺はただ・・月見がしたかっただけなんだよっ・・」
(ただ置いて霜に打たせよ)
ふ、とキンタローが微笑う。
(てめェみたいに不実な男は鬼になればいいんだ)
―――その咎、夜更けてきたが憎いほどに。
--------------------------------------------------------------------------------
キンちゃんは故意にしろ天然にしろ、
シンタローさんに甘えるのが上手そうな気がします。
キンシン一覧に戻る
PR