作・斯波
誰かの思惑に左右されることなんか一生ないと思っていた。
他人がどう思おうが俺は俺だと思っていた。
あいつを、好きになるまでは。
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「へえ、使ってくれてんだ」
背後で明るいグンマの声がする。
「シンちゃん、今までシャンプー変えたことなかったのに」
「・・・ああ、うん」
俺は書類をめくりながら言葉を濁した。
暇だと言って総帥室に遊びにやってきたグンマは、相手をしない俺には構わずに俺の髪を弄り始めた。さっきまでは三つ編みにして遊んでいたが、今は丁寧にブラシで梳いている。
昨日洗った髪から匂いを嗅ぎ取るところはさすがに開発課の責任者というべきだろうか。
いや、単に匂いに敏感なだけかもしれない。
とにかくグンマが言っているのはブルガリアの薔薇のエキス入りだという触れ込みでグンマ自身が俺にくれたシャンプーのことで、この間貰ってからは専らそれを使っている。
「良い匂いだもんね」
嬉しそうに言ってくれるが、俺がいきつけのサロンで調合させているシャンプーをやめてこの薔薇の香りのシャンプーを使っているのはそれが理由では無い。
―――いい匂いだな・・・しつこくなくて気に入った。
そう言って笑ったあいつの顔が、鮮やかに脳裏を過ぎった。
もともと俺は他人がどう思おうがあんまり気にしない性質だ。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
服や靴を選ぶ時にも、雑誌なんかは見ないし店員の意見も聞かない。
そんな俺にしては異例中の異例だと言ってもいいと思う。
(髪に顔を寄せたあいつが何だかとっても幸せそうに眼を閉じたから)
だからこのシャンプーに変えたんだなんて、口が裂けたってグンマには言えやしない。
「シンちゃん、髪伸びてきてるよお」
「そうか?」
「僕が言うのも何だけど、これだけ長いと鬱陶しくない?」
「そーだな・・・」
「僕のリボンで結んだげようか」
「すいません、それだけは謹んで遠慮致します」
「いっそ切っちゃう? その方が活動的でしょ、シンちゃんのお仕事には」
「うーん・・・」
確かに髪を伸ばす理由なんかないのだ。
士官学校に入るまでは普通に切っていたし、戦うにも書類を捌くにもこの長髪は邪魔なだけで。
「そうだよなあ、この際切っちゃうかなァ・・・」
そう呟いた時、不覚にもまたあいつの声を思い出した。
―――髪、切るなよ、シンタロー。
何で、と訊いた俺にあいつは笑って、俺を抱くときにこの髪が乱れるのが好きなんだと言った。
あけすけな答えに真っ赤になった俺を抱き寄せて、あいつは耳許で囁いたのだ。
おまえが上になって見下ろしている時に、その髪が俺の胸に流れ落ちてくるのが好きだ。
黒い髪が白いシーツの上で生き物のようにくねる様が好きだ。
顔に被さってくる髪を鬱陶しそうに払うおまえの仕草が好きだ。
素直じゃないおまえが俺に抱かれて乱れるとき、その激情を表すように揺れて俺を誘う。
それを見るのが、俺は好きなんだ―――。
「シンちゃん?」
怪訝そうな声に慌てて我に返る。グンマはいつの間にか俺のデスクの前に立っていた。
「悪い、何か言ったか?」
「そろそろ戻るね、って言ったの。部下からデータが上がってくる頃だから」
「ああ、御苦労さん」
「ねえ、シンちゃん」
書類に落としていた視線を上げてぎょっとする。
グンマの顔に浮かんでいるのは、小さい頃習った言い回しを思い出させるような笑みだった。
――― He is grinning like a Cheshire cat.
「今度はトワレをあげるよ」
「は? トワレ?」
「キンちゃんの、好きそうなヤツ!」
グンマ、と俺が怒鳴るのと扉が閉まるのとはほぼ同時だった。
廊下で一人笑っている従兄弟の顔が眼に見えるようで、俺は思わず舌打ちした。
「ちっ・・お見通しかよ。―――」
綺麗に梳かれた髪をすくいあげてみる。
(・・・だって仕方ねえよなあ、あいつが好きだって言うんだから)
そういえば最近キンタローがしているネクタイも、俺の好みに合わせたものだった。
(互いに影響しあって、好きなものがどんどん増えて)
そう―――そういうのもきっと、悪くない。
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「STAY WITH ME」で使っていたシャンプーです。
キンちゃんには何が何でもシンちゃんの長髪を死守して
いただきたいと思います。
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